はてなキーワード: メンズリブとは
・女は金目当て!男をATM扱いするな!
・離婚の時司法は女を優遇して女は金も子供も奪っていく!親権は母親有利!
・男が女を殴るのはダメなのに女が男を殴るのは許容され、男がやり返すとやっぱり男が悪者扱い!
・痴漢冤罪ならぬレイプ冤罪やセクハラ冤罪。女の証言だけで男の人生台無しに!
・力仕事や兵役は男ばかり!フェミは平等とかいいながら汚れ仕事や力仕事やらない!
・女はマッチョが好きで弱くて真面目な男に冷たい!
・女性専用ジム?女性専用ライブ?女性専用駐車場?女性専用ばかり!男性差別だ!
等々。Google翻訳とにらめっこして英語だけ解読した結果、日本の反男性差別、反フェミと大体同じようなこと言ってました。
日本のフェミは甘えてるが海外のフェミは自立してる!とか嘘だなと思った。
結婚は墓場!がやたらしつこいのは、独り者が冷たく見られがちなカップル文化だからかな。
おおよそ男社会というのが成立していたのはバブルが崩れて不景気が訪れるまで、
つまり大企業にパワーがあって年功序列で男一人が定年まで働けば家族を養えていた時代の話だ。
そのあとウーマンリブが持て囃されたのも女も働かなにゃ食えなくなったのを「女性の社会進出」とか言って誤魔化しただけの話であって、女性の権利を認めたわけではない。
その男社会の中でオタクが排除された存在だったかというとそんなことはなくて、在りし日のオタクは自身たちも強烈な男社会を構築し、
知識やコレクションによるオタクマウンティングタワーを立て、女子供を排除していたわけである。
ゆえに不景気による男社会が崩壊した後のオタクたちは、知識による他者との競争ではなく、より自身の中にある欲望に素直な「萌え」文化を生み出す。
そこはかつて男に求められた能力がなくても、本当に「好き」という気持ちだけで居場所を与えてくれる自由な社会である、
90年代に一大ブームとなったエヴァは、庵野監督の今の自分の気分を作品にしたいというコンセプトの通りにそんな過渡期の時代の空気を映していて、
つまりあれはお姫様を助けなければいけないという男の役割を全うできない王子様(シンジ)と、王子様より強くありたいお姫様(アスカ)のジレンマのお話である。
最終回では多様な世界=二次創作を包括する世界観が提示され、一つの世界観に対する知識やコレクションを競っていたそれまでのオタク文化との決定的な違いを打ち出した。
かくして「萌え」を手に入れたオタク文化は男社会に入れないもの達を内包して急速に発展していった。それが90年代から今までのオタク文化に起きていることである。
メンズリブ的な言論って、むしろ女向けだと今でも普通に一定数の支持を得ているけれど。
女が女向けに書いて「こういう男が増えればいいのに」と女同士で言い合ってるだけで終わっていて
当の男は興味を持たない、或いは反発するという地獄になってる
男が男である苦悩、女には当てはまらない男ならではの苦悩、というと
https://anond.hatelabo.jp/20171128224207とかhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/52809のような
「自分が女より劣っている故にプライドが満たせない苦悩」「女を支配出来ない事による苦悩」になってしまうからね。
んでこういう苦悩を抱えた主人公を出すとしたら、多くの読者に共感され、良い創作だと認められるような行きつく先は
「それを苦悩だと考える主人公個人の問題であり、主人公がその認識を変えなければならない」にするしかないんだよ。
「これは主人公個人ではなく、女より劣った男・女を支配できない男は認めないという男社会の風潮の問題であり、
そういう風潮を変えなければならない」と言うメンズリブ的な思想は多くの男性には受け入れられない
(エマワトソンの演説が未だに男性に反発されているのを見ればいい)し、
かと言って「男より優秀な女や、男に支配される事を嫌がる女が悪い」という結論にすれば
それはただ男性にのみ都合が良い女性差別的な悪しき結論とみなされるだけで、
そういう創作は山ほど存在するとは言え、それが公に認められる事はまずない。
逆にそれを裏返した「女ならではの苦悩」は
というのはそれぞれよく見るのに、メンズリブ的によいCMが話題にされてんのあんま見たことねえなー、企業側はメンズリブ勢にアピールしても旨味薄いからかなーって思ってたら、大和ハウスのCMが結構それっぽいことに気づいた。
なのではてなのジェンダーに一家言ある人たち、これ見てなにか語り合ってください。
http://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/hajimari.html
http://www.daiwahouse.co.jp/ad/cm/asa.html
(あととりあえずメンズリブって言葉を使ったが、マスキュリズムと言うべきなのか、それとも他の用語の方がふさわしいのかよくわからない)
フェミニズムやフェミニストは「フェミ」「クソフェミ」などと馬鹿にされ、「(弱者)男性差別にも反対しろ!」「女性差別に反対してるくせに差別してるからクソ!」などと叩かれまくるのに
メンズリブやマスキュリズムという概念はフェミニズムほど浸透していないから、男性差別反対はメンズリブ、マスキュリズムと言われず、一般男性の普通の意見のように受け取られる
マスキュリストもフェミニストと同じように、「クソマスキュ」などと馬鹿にされ、「男性差別に反対してるくせにこんな差別的なことを~」「男女平等とか言って女性差別には無頓着だし男尊女卑を目指してるんだろ!」「都合の悪い同性をすぐバカマッチョ呼ばわりする自分たちが一番男性差別してる!」とか言われたらいいのに。それこそ平等というものだ
それにしても、なぜ日本ではメンズリブ、マスキュリズムという概念が広まらないんだろう。これだけ男性差別男性差別騒がれてるのに。自称中立派こそあいつらを叩けばいいのに。本当に中立のつもりがあるのなら
※バカマッチョとは、反男性差別界隈の使う「女の味方をする男」の意味。「名誉男性」の男バージョンだと考えたらだいたいあってる
そういう正しい意味での「メンズリブ」の方法はソフトなフェミニズム論者や人権活動をしてる人たちが懇切丁寧に男性に訴えてるんだけど、全く耳にしてくれないんだよね。
いわゆるラディカル・フェミニズム的主張はほんのちょっと男性を話題にしただけで群がってくる地獄耳してるのに。
モテないことをこじらせてるおっさんどもにとって自分が本当はどういうことを望んでいるかに真正面から向き合うことは自分のコンプレックスを正視することになるから、現実的な提案をしてくれるソフトフェミよりも、わかりやすく攻撃しやすいラディカルフェミの方が好きなんだよな。
始めに言っておくと、私はエマ・ワトソンは男性側にかなり融和的な方向性取ってるな、と思ってて別にエマワトソンになんら含むところはありません。
ただ、それでもエマ・ワトソンが述べている理屈にも論理的に穴はあると思ってるし全てに賛同できるわけでもありません。
それはフェミニズムでもメンズリブでもなんでもそうだと思いますけど。
「個人的なことは政治的なこと」っていうフェミニズムで重要な役割を果たしてきた言葉があります。
従来、個人的(プライベートパーソナル※指摘あったので修正)なことってのは公的(パブリック)な部分とは完全に分けられていて基本的に関係のないことです。
という前提で議論がされていました(1920年代以降の第一波フェミニズムのあたり)
例えば選挙権に関して言うと公的なことなのできちんと女性の権利を向上させよう。
といった具合に。
ところが第二波の辺りからこの点に関して疑義が呈されるようになってきました。
「実は個人的なことって政治的な事にものすごい影響与えてない?」
とか
「政治的にはこうだから、個人的なこともこうなっちゃうんじゃないの?」
っていうロジックが出てくるようになったんですね。
これは具体例で言うと
「女性ばかりが家事の分担をするのは、女性は家事をするべきという公的な目線が原因じゃないの?」
とか
「仕事を任されないので時間がある女性ばかりが家事をしてしまっている。公平であるなら男女の仕事の時間も同じになってその結果家事労働も平等化されるはずだ。」
とかね。
当然その観点で見た性愛や家族に関する議論もおこなわれました。
その中に
「男性が若い女性ばかりを性的な目線で見るから、女性がそういう行動をとるようになる」
今でもそういった議論の影響は強くて男性はそうした観点から有形無形の批判をあびてます。
例えば、不景気なので個人個人が銀行にお金を預けないでタンス預金していたら
市場にお金が回らなくなって結果的に全体で不利益を被る人が増えた。
つまり
「個々人で見ると小さなことなんだけど、それをマクロな視点で見ると社会に非常に大きな影響を与えてしまっている」
って言う話に繋がるわけです。
この理屈で行くと
という一見して社会的な構造とはあまり関連性のないように見えることが議論の上で非常に大きな論点になってくるわけです。
「女性が意識的・無意識的に強い男性を好むほど、男性も女性からの承認を得ようと強くなろうとする。その結果普遍的な女性一人一人の選択が家父長主義的な社会構造を維持することに大きな影響を与えてしまう」
という話に当然なってしまうんですね。
もちろん男性側の選択もそういった家父長主義を助長してしまう側面は大いにあって
若い女性を好むと、相対的に知恵も経験も薄い女性が選ばれがちになってしまって無意識的に家父長主義になってしまう、という側面があります(というか、フェミニズムなんだから当然こっちが主題だけど)
こういった人達が集合すればするほど社会に家父長主義的な風潮が増加しちゃいますよってことなんですね。
強い女性に指摘される「弱い男性を無意識的に排除してしまうと結果的に家父長主義が蔓延しちゃうだろうが!」
ってのが
「フェミニストは個人的なことは政治的なことを無視している」→「フェミニストは弱者男性を無視している」
というお話に繋がるわけです。
で、それを踏まえた上で「エマ・ワトソン演説」を見ると実は従来のフェミニズムに比べて大きく弱者男性に歩み寄った姿勢だと言えます。
つまりようやくフェミニズムが弱者の男性に目を向け始めた第一歩であると捉えられるわけです。
※もちろん以前からこういったことを言っている人は山ほどいるし、少し大げさな言い方ですけどね。でも影響力の強い人がこういったというのは本当に重要なことですよ。
なぜエマ・ワトソンが一部の女性から強烈に叩かれるのか、というのもこれで構図がわかると思います。
なので、その歩み寄ったエマに対していきなり「弱い男性と付き合えよ」ってのは話を進めすぎだし性急に過ぎると思いますね。
議論もまとまりきってないし、女性から男性への個人的・政治的な介入をどうすべきなのかについてはもっと違う方法があるかもしれません(強者女性がそのまま弱者男性を養うのが政治的にただしいこととするにはまだ理屈が弱すぎます)
ただし、エマ本人ではなく「女性一人ひとりの選択が社会に大きな影響を与える」っていうのに無自覚だった女性はこの点について大きな矛盾を指摘されているのも事実です。
もしあなたが「家事労働は男女平等に大きな影響を与えるので男性も考えるべき」と思っているのであれば
「女性が強い男性を好む事に無自覚である」という部分にも大きな注意を払わねばなりません。
エマ・ワトソン演説というのはフェミニズムにおいて、そういう意味で非常に重大な、一つのポイント・オブ・ノーリターンであったわけです。
男女が平等になるには男性に全てを任せるだけでは駄目で、女性自身もそういった社会に対するコミットメントが求められます。
「女性が無自覚に、強い男性ばかりを好きになり結婚してしまう」
というのは
の対比であり、厳しいことを言うなら
「強者男性に媚を売る女性は動物の本能のままに生きている獣のような女性」
と言うことに過ぎないわけです。
もちろん実際には全ての女性がそういった振る舞いをしているわけではありません。
というか一般的には色んな立場の男性に対して優しく接している人も多いですし、好みの男性じゃないからといって職場でゴミのようにあしらうなんてことしてる女性はまずいません。
若い女性が部下にいるからといってすべての男性がその女性を明らかにえこひいきしているわけではないようにです。
※環境で行動は左右されがちですし、男女どちらにも例外はいるものですが。
ここでは女性をメインにした話をしましたが、男性も改めて「個人的なことは政治的なこと」とはなんなのか考えてみるといいですね。
少なくとも父親や男兄弟から搾取され、実家を出ることもできず飼い殺しにされたり、好きでもない男に「嫁に貰ってくれる先があるだけありがたいと思え」と無理矢理嫁がされたりは減っただろうし、性的な嫌がらせを受けたら容貌がどうであろうとセクハラだと訴えることはできるようになった。
勿論今日でも苦しめられている女性はいるだろうが、少なくとも日本では、増田に「こんなことがあった」と書き込みすれば、「なんて酷い奴らだ!」というブコメがつくくらいには良い世の中になった。
しかしながら、いくらなんでもキモくて金が無いおばさんに、イケメンが無条件で惚れてくれる結婚してくれるなんて、無い。
フェミニズムには精々、男性並みの賃金と労働環境が与えられるように運動するね!あと結婚しなくても(そしてしたいのにできなくても)「ブスだから出来なかったんだろうw」的な侮りを受けない社会にしようね!てくらいにしかできない。
「キモくて金のないおじさんを救えないだろ!」って騒ぐ人が出るたびにそういうことだよなーと思う。
ネットであれこれ議論されてるけど、結局どの思想や集団の旗の下に行けば30代で童貞で無職の俺は世の中に優しくしてもらえるの?
自称弱者男性クラスタの発言は気持ち悪いし、弱者といいつつ差別主義的だし、ホモソーシャルで傷を舐めあってその踏み台としてフェミを叩いてる、ってのは確かに言える。
でも他に行き場がないんだよ。
誰も好いてくれないから似た者同士で傷を舐めあうしかないんだよ。
どうしたって報われる未来が見えないんだ。
男性ジェンダー優先社会、即ちマチズモが俺を苦しめているのはそうかもしれない。
でもそれは難しい。
まず第一に俺にはもう戦う元気なんてない。
加えて、俺はいわゆるマチズモ的なのは嫌い気味だけど、でも自分の中に悪しき男性的な部分が全然ないかというと、当然そんなわけはなくて、叩けばホコリも出るしシゴけば精液も出る体なんだ。
フェミニストたちはそういう俺の中にあるような男性性も当然責めるから、話を聞いていてどんどん辛くなるんだ。
「フェミニズムは男性ジェンダーからの解放にも結び付くから、自称弱者男性が敵対する必要はない」ってのは、男性ジェンダーをアイデンティティから綺麗に拭い去るよう求められるのは苦痛だ、という感覚を無視している。
俺は板挟みにある。
右からは、現実の男性社会が俺じゃあ抱えられないほどの男性性を備えろと要求してくる。
左からは、フェミニストたちが俺が持っておきたい程度の男性性も捨てろと要求してくる。
どちらからも逃れる道としてのメンズリブ? 福祉? そういうのって息してる?
居心地のいい場所や思想がない。居心地がよくなりそうな希望の持てる何かがない。誰も優しくしてくれない。
だから、ヌルく共感できる奴らとたむろして、男性社会はクソ、でも男性社会を徹底的に焼き払おうとするから俺らも火傷させるフェミもクソ、とクダを巻いてるんだ。
つまるとこ、スネてるし引きこもってる。
でももし同情してくれるなら、誰か俺に、俺たちに優しくしてくれ。ケアしてくれ。
追記を書いた
フェミニズムやフェミニストは「フェミ」「クソフェミ」などと馬鹿にされ、「女性差別に反対してるくせにこんな差別的なことを言ってるからクソ!」などと叩かれまくるのに
メンズリブやマスキュリズムという概念はフェミニズムほど浸透していないから、男性差別反対はメンズリブ、マスキュリズムと言われず、一般男性の普通の意見のように受け取られる
マスキュリストもフェミニストと同じように、「クソマスキュ」などと馬鹿にされ、「男性差別に反対してるくせにこんな差別的なことを~」「男女平等とか言って女性差別には無頓着だし男尊女卑を目指してるんだろ!」「都合の悪い同性をすぐバカマッチョ呼ばわりする自分たちが一番男性差別してる!」とか言われたらいいのに。それこそ平等というものだ
それにしても、なぜ日本ではメンズリブ、マスキュリズムという概念が広まらないんだろう。これだけ男性差別男性差別騒がれてるのに
※バカマッチョとは、反男性差別界隈の使う「女の味方をする男」の意味。「名誉男性」の男バージョンだと考えたらだいたいあってる
ポリコレという概念は人権保護やら道徳やらとだいたい同じでありまして、本来ポリコレは異性愛者男性キモオタのことも守ってくれるのだ、というのは全く正しい。
オタクだって人間だもの。貧しい人や学のない人も人間だもの。人権やポリコレはあまねく守ってくださる。本当なら。
しかし現状を見ると、ペドフィリアをセクシャルマイノリティに含めてくれという論の旗色の悪さとか、メンズリブやマスキュリズムの低調さが象徴するように、今のところオタクはポリコレを積極的に利用しづらい。
ポリコレはいわばオタクも装備できる武器であり防具なはずなのだが、どこで失敗したのか、オタクの手には馴染まないようにチューニングされてしまっている。
全く使えないとは言わない。ポリコレによる恩恵を一切受けていないとは思わない。たとえば「ポリコレってオタクジャンルに対して妙に厳しすぎるだろ」という反論は、オタク側が「不当な差別はよくない」というポリコレを使っている例だ。
しかしどうも効果はいまひとつで、このポリコレってのを自分たちのために利用しきれてないんだよなという感じが漂う。
理想的解決策としては、オタクもポリコレ肯定を前提とした議論に参加し、ポリコレの用いられ方を自分たちも使いやすいように改善していけばよいのだろう。
だが、建設的議論というのは多くの人にとって負担でとても面倒なものであり、まして既にアウェー状態なリングに上がるほどの意欲を持てというのは困難な話だ。
「話し合いましょう、根気強く丁寧に、色々調べて、難しいことを悩んで、広く長い視野を持って、傷つくこともあるだろうけど我慢して、感情的不快感などは冷静さのフィルターを通して、ひとつずつ物事を善くするため考えていきましょう」
そんな誘い、よっぽど能力や気力や体力や適性や時間や意欲のある人間しか応じない。
そこまでして、ポリコレという手に馴染まない装備を自分も使えるようチューニングしたがるオタクはあんまりいない。
それはまあ、ポリコレを使いこなせるようになればとても便利で強力であろう。
だから長期的な視点で見れば、苦労しつつもポリコレ議論に向き合い、オタクの立場を守るポリコレの運用方法を確立させるのが良手だ。
でもやらねえ! めんどいから! 長期的な視点より今の快楽を貪ることで精いっぱいだよ! おれっちバカだから!
自分は使いこなせないのに他グループが活用する装備なんだったら、ポリコレなんてまるきり否定してやるぜ!
もしも将来ポリコレが本当になくなったらオタクも困るんだろうな。
でも知らねえ! おれっちバカだから! 将来のことを考えるなんてダルいぜ!
生きるってのはだいたいの人間にとってストレスまみれでいっぱいいっぱいだから、その上に正しさを気にしろ、将来にも目を向けろなんてのは要求しすぎだ。それでも正しさに殉じられる人たちがいるのは不思議なことだが、誰もがそれをするのはムリ。
求めているのは正しさなんかじゃない、今の苦痛を一瞬でも誤魔化す気持ちよさ。
なのに正しさで説得しようとされても耳を傾ける気にはならない。気持ちよくしてくれなきゃ。
刹那快楽主義の未来は暗いとは思うけど他に憂き世に効く麻酔がないからしゃーない。
ポリコレは原理的には異性愛者男性オタクも守るものだけど、実際は異性愛者男性オタクが援用しづらい状態になっている。
しかしポリコレ用法を改善していく面倒な議論に参加するモチベーションは抱きづらいので、ポリコレ自体を攻撃する動きが大きくなるのも仕方がない。
ちなみに
異性愛者男性オタク、キモオタ、オタク、などの言葉が混在してるけど、明確な使い分けをしているわけではない。
女オタや同性愛者オタクでもポリコレの加護の薄さに悩んでいる人もいるだろうなと思う反面、「オタク」と呼ぶとポリコレの加護を実感している人も含んでしまいそうだと考えたので、複数の呼び方をしてお茶を濁しただけ。なんならオタクである必要もないので、ポリコレの恩恵が薄いと感じている人は自分を当てはめてください。
それはわかる。
俗っぽい言い方になるけど、だからメンズリブ論者は「草食系男子の恋愛学」的な方向にいって、フェミニストはなんか男まさりで攻
撃的な方向にいくんだろうな。
大枠では同じだけど、向かう方向性が真逆だから共闘できずにぶつかり合うのかねぇ。「弱者男性が男性ジェンダー規範に乗れていな
いこと」をフェミニストが叩くシーンを私はよく見かけて、おいおい、自分が苦しめられてきたこと、反対していることを自分から
男には平気でするのかよ、ダブスタかよってよく思うんだけど(逆の方向での叩きはなぜかあまり見ない)、「ジェンダー規範」の内容
が男と女で真逆であることを、そのフェミニスト自身が理解できていない、理解しにくいってことなのかもなって、あなたの発言を読ん
で思った。
たぶんあの人ら、自分の中に「男らしさ」のジェンダー規範を正しいものとして内面化しているという自覚がない。そういう人間がフ
再びお返事どうも。
そうですなぁ。フェミニズムは「男女同権運動」じゃなくて「女権拡張運動」と考えるべき思想だってことが、今回の件でハッキリし
ましたわ。↓の記事の「学問としてのフェミニズム」と「運動としてのフェミニズム」の違いとか、超わかりやすかった。なにこの俺w
http://anond.hatelabo.jp/20150527003222
個人的には、「ジェンダー規範に苦しめられている」という点で、弱者男性とフェミニストは仲間だと思うのだけど、なぜこの観点か
ら両者は分かり合おうとしないのかってことが超絶に謎。
フェミニストは、ジェンダー規範に苦しめられてきた人間なんだから、弱者男性の気持ちや立場が理解できてもおかしくないと思うん
だけどなぜか弱い者が同じように弱い者を叩くし、弱者男性は理由は知らんけどなぜかフェミニストを敵視してるっていうね。両者とも、
異性は敵ってミソジニー/ミサンドリー思考に染まりすぎちゃってんのかなー。
先のエマ・ワトソンなんかは、まさに「ジェンダー規範に苦しめられている」という点では男性もまた同じように苦しめられている
と看破し、共闘していこうっていう主張だから、これにはすげー共感できるんだけど、フェミニズムの主流ではないっていうし、超がっかり。
まぁ、フェミニストの主流派が「フェミニズムは女のもの!男は敵!」って考えているミサンドリー野郎たちだってことは今回わかったから、
「性別を問わないジェンダー規範からの解放」について、フェミニズムに期待するのはもうやめますわ。やっぱりメンズリブかなー。