はてなキーワード: ネットフリックスとは
言いたいことはわかるけど、そうはならんやろという気持ちが先に来すぎて入り込めない
異性間でしか子を成せないシステムで同性愛者9割異性愛者1割だったら人類がこんな現代ぽいところまで存続しないだろうし、もし行ったとして異性愛者への扱いがこんなに悪くはなるまい 貴重な再生産戦力なんだから
同性間で子をなせるとしたらそもそも性別が分かれてる意味がわからなすぎる 男女で種が違うってこと?ホモ・サピエンス一種が覇権を握った現実とは違って2種に別れたってことなのか?
ネットフリックスにあった「軽い男じゃないのよ」もモヤモヤした 女が力も強くて出産もできるってどういうことだよ どういう役割分担?男がやることないやんけ!という気持ちが邪魔だった
今から4年前くらいのあるとき、私が「人を馬鹿にするような、差別的な表現は控えた方がいい」と言ったことに対して「そうやって規制ばかりしていたら面白いものは作れない」と反論された。
その反論に対して、私は戦えなかった。そんなの絶対に間違ってると思ったのに、何も言えなかった。それがずっと心にしこりとして残っている。
私は演劇が好きで、高校〜大学3年生までの6年間、演劇部に所属していた。
私が大学で所属していた演劇部は所属人数が多く、私の在籍中は40人くらいはメンバーがいたと思う。
その演劇部は毎年の秋、学園祭にて、1チーム2人〜の小さいチームに分かれて短編劇を作り、学園祭の間じゅう、交代制で絶やさず何かしらの劇を上演し続けるという企画をしていた。
私ももちろん友人たちとチームを作って参加した。
そしていくつか結成されたチームの中に「ホモクラブ」(※仮名)というチームがあった。
ホモクラブのメンバーは私の一つ下の学年の男子を中心に5,6人が集まっていた。
その名前の通り、彼らは「主人公も主人公の恋人役もゲイ」という設定の劇をやっていた。
設定がそうというだけで、テーマは「純愛」だと彼らは謳っていた。確かに細かい設定を無視してストーリーラインだけ見ればそれは「数々の困難を乗り越え主人公と恋人が結ばれる」というもので、少女漫画のような「典型的なラブコメ」を過激なギャグ調に演じることで揶揄するような内容だった。
ただ、彼らは劇中のキャラクターに「ゲイ」という属性を付与していた。
主人公は雄々しく熱血な性格の男性で、恋人役は「一昔前の少女漫画の典型的なか弱くて健気なヒロイン」像をかぶせられた男性だった。
「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの恋人を、主人公が「俺が守る!」といった感じで熱血に困難を乗り越え、ふたりは結ばれる。
彼らの演劇は「チープで典型的なラブコメが男どうしで、下ネタをまじえつつ繰り広げられる」ことにおかしみを見出すものだった。
私は彼らの演技が不快だった。
彼らの演技に、自分が同性愛者であることで苦しむ人々への配慮というものはなかった。
自分たちとは違う性自認、性的指向の人へのリスペクトは欠片も感じられなかった。
彼らが自分たちとは違う価値観の人を、キモイだとか直接的な表現で差別していたわけではない。
だけど彼らは普段の生活から「ホモ」という単語を仲間内で相手をふざけて馬鹿にする言葉として使っていて、そのノリがまんま舞台に乗っていた。
彼らに話を聞いてみたことはないけれども、きっと実際に自分たちが演じたいキャラクターと近い性的指向の人に取材をしたり、セクシャルマイノリティに関して勉強したりはしてないのではないだろうか。少しでも勉強していたら絶対にしないだろうという表現を、彼らはしていた。
現実に「やめて!僕のために争わないで!めそめそ」といった感じの男性が絶対にいないとは限らないし、そういう人はそれがその人の個性なので、否定するつもりは全くない。
現実の同性愛者が下ネタを全く言わないとも限らない。そういうのが好きな人もいる。
自分とは違う性的指向のキャラクターを描くときには必ずモデルとなる性的志向の人に取材をして、勉強しなければならないのかと言われれば、絶対にした方が良いと私は思うが義務とも言えない。でないと「どこまで勉強すればOKなのか」なんて話になりかねない。
そして私は「ホモ」という言葉を狩りたいわけでもない。文脈によって、それが実在の他人を貶めるために使われるのではないと明らかにした上でその言葉を使うのは、なんら問題ないと思う。
ただ彼らは仲間内で下ネタを楽しむノリをそのまんま、舞台に上げてしまっていたのである。
舞台ということは、少数だったとしても観客がいる。演劇は観客がいてはじめて完成する。
観客席を作って発表する以上、その劇は仲間内の下ネタ披露大会ではない、自分とは違う価値観をもつ観客に見せるものであるはずだ。
彼らは演劇そのものが好きなようで、部内でも特に精力的に活動していた。
あるとき、地域のお祭りの特設ステージで彼ら「ホモクラブ」が劇を上演することになった。彼らのいつもの芸風で。
私はこれはまずいと思って、彼らに「あなたたちの演劇は見てひどく傷つけられる人がいるから、やめた方がいい」と告げた。
チケットを販売してやる公演ならばある程度客層を絞れる。面白そうだと思った人しか見に来ない。
だけどお祭りの特設ステージとなると訳が違う。通りすがりに、何も知らずに観る人が大勢いる。
大通りが一本、歩行者天国になって展開されるような大規模なお祭りだ。年に一度の、市内の人間なら知らない人なんていないようなお祭りだ。
その歩行者天国と繋がっているアーケードに設置された特設ステージが、彼らの舞台になる。
いったいどれだけの人が彼らの演劇を目にするだろう。その中にいったいどれだけ、自分の性的指向に悩む人がいることだろう。
だけど彼らが慕うある先輩は「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能だ。そうやって規制ばかりしてたら面白い舞台は作れない」と反論した。
私は何も言えなかった。その意見は絶対に間違ってると思ったのに。
「この世の人間みんなに配慮することなんて不可能」それは正しいと思う。きりがない。
「そんなことない、ハリウッドの作品とか、ポリコレに気を付けた上で面白い作品はたくさんある」と言っても良かったけど、彼らはハリウッドの巨匠じゃない。プロじゃない。そんなものを求められるレベルにない。
そして、どんなに観客のひとりである私が不快に感じても、本人たちが「馬鹿にするつもりはない」「真剣だ」と主張する以上、この人たちには何を言っても無駄だと思った。
だから何も言えなかった。ただ傷つく人がたくさんいると伝えることしか出来なかった。
それ以来ずっと、私は差別に荷担したという罪悪感を抱いている。
全人類に配慮することは不可能だけど、意図的にとある属性を面白可笑しく馬鹿にはしないようにするということは出来るはずだ。
特に、今までいないことにされていたセクシャルマイノリティの人々がネットを通じて手を取り合い発信し、ひどい差別を受けてきたことが顕在化してきたこの時代に、どうしてあえてゲイという属性をネタとして消費できるのか。
彼らはその「ネタ」で傷つく人がたくさんいる、今まで傷つけられてきた、やめてほしいという声を全く無視している。
そしてそういう声を知っていながら彼らを止められなかった私も、加害者だ。
私自身、自分の性的指向がよく分かっていない、揺らいでいるというセクシャルマイノリティのひとりだ。
それにもともとぱっとしない性格で、お世辞にも自分磨きに熱心とは言えないせいで、つまり暗くて不細工の陰キャなせいで、中学生の頃は息苦しい思いをすることもあった。高校に入ってからは、怖くて男子とは業務連絡以外で口をきけなかった。
だから他人の無邪気な言動で傷つけられる苦しさは人並みには分かるはずだった。それなのに、何も言えなかった。
先日、ネットフリックスにて山田孝之氏が主演のドラマが公開された。全裸監督だ。
私は山田孝之氏が好きなので迷ったが、結局not for meな作品だなと思って見ていないが。
全裸監督は宣伝で「規制ばかりで息苦しい世の中に風穴を開ける」的なことを謳っていた。正直、推しが主演の作品なのに素直に推せない、残念な作品だなと思った。
差別による抑圧と、差別を避けるための規制による抑圧。どちらも抑圧には変わりないけれども、どちらがより優先的に解決されるべきかというと、前者なのではないだろうか。
私は今も苦しい。罪悪感がずっと消えない。セクシャルマイノリティに関する記事やテレビ番組を見る度にそのことが思い出される。
どうしたら消えてくれるんだろうか。
ただこれから一生「規制ばかりで面白い作品がつくれない」という論調に反発し続けるしかないのかと思うと、気が滅入る。
良い「自分の許し方」があればぜひ、教えてほしい。
最高に面白かった。
前半の、野心と人間味に溢れて起業したマーク・ランドルフと大企業中間管理職ドロップアウロ組がオンラインのDVDレンタルサービスとしてのネットフリックスをなんとか立ち上げるものの、最初はエンジェル投資家気取ってた共同創業者のアルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスに追い出されるのは、「オッ!シリコンバレーやってるNE!」って感じ。
そこは退屈だったけれど、中盤でライバルのブロックバスターが出てきてからが最高におもろい。
っていうか、ブロックバスター・オンラインの奮戦っぷりにどんどん感情移入してしまうのだ。
ブロックバスターは、当時全米最高の店舗型のレンタルビデオショップなんだけど、MBA上がりの若い連中が店舗派や官僚的な組織と戦いオンライン化へ向けて戦う様が本当に良い。
例えるのであれば、関が原の石田三成、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリー、横山三国の諸葛孔明みたいな感じ。
最初はネットフリックスのパチもんサイトから始まるもの、打倒ネットフリックス目指して改良に改良を重ねていく。
この戦いが本当に読んでてすっげー面白いのだ。
そのクライマックスが、後半戦の山場で出てくるブロックバスターオンラインの「トータルアクセス」というサービスのローンチ。
これは、店舗展開をしているブロックバスターの強みを活かし、返却も受け取りも店舗を使える上にそのまま店舗で次のレンタルが一本無料という、
まさに最近流行りの「OMO」(オンライン・マージ・オフライン。まあO2Oの焼き直しですね)っててやつ。
もちろん、最近のデジタルうんたらマンはきっと「そんなん当たり前じゃんプギャー」みたいな知ったかをするかもしれんけど、
これは2006年の話であり、それまでブロックバスターの店舗はインターネット網に繋がれたシステムはなく、衛星通信網をベースにしていた。
任天堂のサテラビュー(衛星通信でスーパーファミコンにコンテンツをダウンロードする超豪華システム。衛星打ち上げるのにすげー金かかっているのに全然売れなかった)かよって感じ。
まあ、2006年ってそんなに昔じゃないけれども。米国で店舗展開していたら糞インフラ事情と回線スピードはお察しでしょ。
そんな背景の中で店舗と連動するサービス作るって、地獄であり、その地獄を走り抜けて、イノベーションなサービスを作り上げたことに、俺は感動したのだ。
市場の新規加入者はほぼ全取りの上に、ネットフリックスの会員からも離脱者が相次ぎ、崩壊寸前!
アルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスもついに降伏の言葉を口にし始め、これでついに勝つる!
オンラインDVDレンタルサービス、そして、その先にあるビデオオンデマンドの王者はブロックバスターのもとにくるのか!
と思わせて………。
大変悲しいことがおきて、ブロックバスター・オンラインは大失速。
このシーンは、読んでてまじで、
『銀河英雄伝説』でいうところのバーミリオン星域会戦(ヤンがラインハルトを倒す一歩手前で停戦になるやつ)、
横山三国志でいうところの葫蘆谷の戦い(司馬仲達を谷に閉じ込めて爆殺しようとしたら雨降っちゃうやつ)を彷彿とさせ、
なんつーか、まあ本邦でも最近流行りの○○payに見られるような、ITとかWebとかそういうの知らないんだろうなーって感じのプロ経営者様は、米国にもいるんすねって話。
んで、まあブロックバスター・オンラインの中心人物たちは失意のうちにブロックバスターを去っていくんだけども、これもまた涙無しには読めず。
横山三国志でいうところの剣閣で剣を折る姜維というか、負けて捕まり縄目をおびて晒し者になる石田三成みたいな感じ。
終盤は、見事生き残り王者になったネットフリックス様であるが、アルゴリズム冷酷超人しかいない彼らにも陰りが見られ……みたいな感じで終わり。
ぶっちゃけ、作者は、ネットフリックスいやアルゴリズム冷酷超人リード・ヘイスティングスのこと大嫌いだろうと感じさせれくれるところが節々にあり、最高に面白かった。
もともとロイターの経済系ジャーナリストの処女作なのだけれど、徹底的に「人」に着目しているのが大変良い、
見せかけの経歴ではなく、徹底的に出自と人間関係を洗っており、大変おもろい。
この手のシリコンバレーテック企業本にありがちな、当事者たちの大本営発表や成功者談を鵜呑みにせず、第三者や反対した人々の意見まで丁寧に拾っている。
それこそ、リード・ヘイスティングスに関しては家系図を書くレベルの調査をしているし、主要人物は一緒に働いた上司の評価から家庭環境までこと細かに出てくるのだ。
おかげで、どの人物も単なる固有名詞を超えて、性格や生き様までリアルに描写されており、それがまた読んでいて楽しい。
本当に、ブロックバスター・オンライン側視点でドラマ化とかしたら、日本では絶対にウケると思う。
中盤は本当に山崎豊子の小説ばりの面白さで、ほんとあと一歩で、ブロックバスター・オンラインは、オンラインとオフラインの王者として君臨していたのではないか。
横だけど、受給者は人間らしい生活をする権利があるけど、納めてる側にはないってこと?
人間らしい生活する権利はみんなにあるかもしれないけど、生活保護のない貧乏は権利はあっても金がないからできないんだけど。税金で引かれた給料から派遣会社にピンハネされて、兄弟に仕送りして残った5万円から家賃払って光熱費払って人間らしい生活なんか出来るわけないじゃん。
なんで受給者は娯楽費貰って良くて、こっちは全部我慢しなきゃなの?
Twitterとかゲーム配信とかできる精神状態で、働けないわけ無いじゃん。Twitterの人は筋トレしてるみたいだけど、筋トレできるなら肉体労働すればいいじゃん。
10円20円単位で切り詰めて生活してる人が納めた税金を娯楽費に当てるのが生活保護なの?ネットフリックスって高いやつじゃないの?
○朝食:なし
○夕食:玉ねぎ、人参、ほうれん草、大根、ソーセージをコンソメで煮たもの。コーンパン、ごまパン。
○調子
むきゅー。
日曜日でお休みなので、食材の買い出し行って掃除(冷蔵庫以外)をしたりしてた。
こういうゲラゲラ笑えるコメディ映画大好きだなあ。(僕の根がゲラだから、笑いにたいして目線が低いから真に受けないで欲しいけど)
こっちは激しくイマイチだった。
話のギミックを魅せる時間移動ものは、どうしても目が肥えちゃうし、数多の名作たちと比べちゃって素直に見れないのを差し引いても、単純にこれといった取っ掛かりがなくイマイチだった。
これこれこれこれこれこれこれええええ!
僕、こういう小説大好きなんだ。
ミステリとキャラ萌えが絶妙に混ざり合ってて、これだよこれ、と大興奮しながら読んだ。
特にオーラスのエッチなシーンでは大興奮して「ううむ、これはえろえろですわ! えろえろですわ!」ともがきながら読んでいた。
この作者面白いね、裏染シリーズは既読であれもだいぶ好きだったけど、短編もかなり映える人だ。
タイガのやつも買おう。
ツンデツンデ、ベベノム、暁ネクロズマ、ギルガルド、クチート、黄昏ネクロズマ、みたいなやつ。
これ今後流行りそうな予感がするけど、いわゆるスタンパとパーツが被りまくってるから、ツンデツンデが抜けてく気もする。
(まあ、正直なところツンデツンデよりマーシャドーの方がよいのでは? と思わなかったといえば嘘になるし)
なんか今期モチベ高いので、対戦記録も久々にまたつけようかしら。
○グラブル