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「大人が怒鳴ってばかり」 学童体験会で衝撃…子どもも違和感抱く“野球独特の指導”
https://news.yahoo.co.jp/articles/d702a1189b2c4f9240cca45e12969cafb97aee42
「野球界独特の指導法についてどう思っていますか?」。野球経験者であれば、少しドキッとする言葉で始まる「JSBB指導者啓発動画」をご存じだろうか。全日本軟式野球連盟が、少年野球界に根強い“押し付け指導”を見直してもらおうと、ジュニア育成における他競技の取り組みとして、ラグビーチームの指導現場を紹介したものだ。同連盟の公式サイトで公開後、学童野球関係者から多くの反響が寄せられ、その内容が注目を集めている。
同連盟がこの動画を制作したきっかけは、事務局長を務める吉岡大輔さんが、野球に興味を持った小学生の息子とその友人と共に学童野球チームの体験会に行った際、「どうして大人が怒鳴ってばかりいるの?」と子どもたちに質問されたことに始まる。
「私自身、幼い頃から野球をしてきたので、その場の違和感はありませんでした。そのチームの指導者も本当に怒っているわけではなく、声掛け程度にとらえていましたから。しかし、“野球独特の指導法”に慣れていない子たちにとっては、大きな衝撃だったようです」
KとTがぶっ壊した後の世界に生きる俺達のうち、誰一人としてTに何も出来ずに野放しにした結果がコレだよ。
お前らはさんざん政治に文句をつけていたのに自分たちは投票に行っただけで大満足でお終いにした結果だよ。
挙句の果てには「Tが日本のすべてを壊したかのように語る奴ら、経済のことが分かってなさすぎ」みたいな極論の立場から極論を批判するという極論を噛まして「冷静」を装いやがる。
そうやって身内さえも冷笑の餌食にしようとして誤魔化して奴隷の鎖自慢してるから、足枷だけにすまず今度は手枷をはめようって話になるんだ。
いい加減目を覚ませよ、負け組同士で背中を刺し合って勝利宣言かましても何の傷も言えないよ。
せめて「Tをヒルアボーブしていたら多少は世の中良くなっていたのは間違いないだろうし、Kジュニアがこんな暴挙に出ることもなかっただろう」って事実から背を向けるのはやめろ。
2018年3月5日、マイクロソフトの共同創業者で探検家のポール・アレンによって、オーストラリア東岸から約800 km、深さ約3200 mの海底でレキシントンの残骸が発見された[299][300]。当時米太平洋軍司令官を務めていたハリー・B・ハリス・ジュニアは、父親がレキシントンの生存者の一人であったことから、残骸発見に寄せて声明を発表している。
レキシントンの残骸は、船体から艦首・艦尾の各先端および艦橋が離断し、それぞれ離れて横たわっている。このように損傷は激しいものの、海中での浸食はあまりなく、搭載されていたMk 10 5インチ砲等の火器や艦載機の残骸も良好な状態を保っている[301]。
にけつッ!!最新回でジュニアが「飛行機で隣の席に座った60がらみのジジィがイカれた奴だった(意訳)」という話をしていた
先ず、CAさんがそのジジィに「お飲み物は」などと訊いたが無視
繰り返して訊くと「水!!」と横柄に一言答えた
そして、水を持って来たCAさんが続けて「お食事お出しいたしましょうか」と尋ねると、そのジジィはあろうことかコップを持ってCAさんに水を浴びせたという
若年性かな?前頭葉が壊れたかな?砲弾でも浴びた?元々の性格?人格障害?
今直ぐ受診を勧めるわ。というか受診しろ。認知ならメマリー飲め。受診しないなら家族が飲み物に抑肝散混入して飲ませろ。社会の迷惑だ(たぶん家でも大迷惑だろうしな)
つーか、若年性なら効果に対する評価が別れている例の新薬とか使ってみればいいじゃない。検査費3割でもバカ高だけど
そういうイカレポンチへの対応を迫られることを笑いに替えてる場合じゃあないんだよ。笑えるかっつの
「徘徊老人が線路に侵入して電車止めたら賠償求められる(本人の罪状というよりも家族の監督責任とかだろうけど)」のに、「認知症の老人の暴力等(しかも赤の他人への)」がokなのは何故なんだぜ
頭いかれた人間に対する犯罪判定のゆらぎよくない。統一しなさい。そんで介護医療付き刑務所作りなさい(たぶん薬漬けになって獄中死しまくる)
反社と変わりないんだからきちんと対応すべき。もし(介護施設含む)娑婆で生かし続けるなら医療に繋げるだけでなく、きっちり管理。家族や施設職員に頼らずに医療的に管理しなさい
「怒っている理由を傾聴」とかヌルいこと言ってんじゃあねえよ。話通じねんだから。そういうこと言うやつが傾聴しろ。学者や役人なんて言うだけ番長じゃねえか
やっぱそれか。
なんか見覚えある感じの文体だなーって思ったわ。
初めてこの文章を読んだときは興奮して眠れないほどだったけれど、
いや、興奮したのは文章だけじゃなくてそのシーンとか、そのシーンについてきた絵とか、
その後のシーンも含めてだったけれど。
なんというか、懐かしいね。
それでもって、少子化が進んでいる!とか馬鹿じゃねぇのって思った。
団塊ジュニアのジュニアの出生率見てもしかして焦ったのかもしれないけれど、失政に失政を重ねての30年でしたね。
じじぃやばばぁは嫌いなのかもしれないけれど、安倍政権が雇用対策できてて最強だったよなーって思ってる。
ガースーも不妊治療を保険適用するとかいろいろやってくれたじゃん。
まあ、老人には不興だったようで、ガースーすぐ消えたけどさ。
子供が亡くなった事でいつものように運転していた母親がバッシングされている。
「チャイルドシートやジュニアシートを使わなかった母親が殺した様なもの」
意図して見ようとしなくても目に入ってくるくらいには、この手のクソがうじゃうじゃ湧いている。
運転していた母親にどれだけ落ち度があったとしても、子供を二人も亡くした直後に無関係のクソ共のバッシングにさらされる筋合いは無いはずなんだがな。
https://jp.reuters.com/world/us/YWNDB6IXKFLJ3GEB2KVL652TZE-2024-08-08/
「[ワシントン 8日 ロイター] - ロイター/イプソスが8日発表した米大統領選に向けた支持率調査によると、民主党の大統領候補であるハリス副大統領が42%、共和党候補のトランプ前大統領が37%で、ハリス氏がリードを広げている。
7月22─23日に実施された調査では、ハリス氏が37%、トランプ氏が34%だった。
無所属で出馬している弁護士ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏への支持は4%と、7月調査の10%から低下した。
イプソスの別の世論調査でからは、2020年の大統領選で接戦となったアリゾナ、ジョージア、ミシガン、ネバダ、ノースカロライナ、ペンシルベニア、ウィスコンシンの7州でも、ハリス氏がトランプ氏を42%対40%でリードしていることが分かった。各州ごとの結果は示されていない。」
ただ、選挙人制度は、若干共和党有利だから、そこを割り引いてみると、五分五分かなと想定。
https://polymarket.com/elections
まあ情勢は五分五分と見て間違えではないだろう
現在のところ「煮詰まる」という言葉は、「議論や交渉がまとまって結論が出る」という用法が正しいとされ、「議論が進まなくなって行き詰まる」という用法は誤用であるとされている。「煮詰まる」という言葉がどのように用いられてきたのかに興味を持ったので、その変遷を辿っていこうと思う。ソースはだいたい国会図書館デジタルコレクションである。
注意として、ここでは「煮詰まる」と「煮詰める」を区別して、「煮詰まる」の用例のみを追っていくこととする。現在においても「煮詰める」のほうには「行き詰まる」という用法はなさそうだからである。
調べてまず気付くのは武者小路実篤が「煮詰まる」を多用していたことである。そして同じく白樺派の有島武郎や長与善郎、その影響を受けたという岸田劉生・木村荘八なども「煮詰まる」を用いている。まるで実篤から伝染したようである。それらは概ね「無駄な修飾を排して凝縮されている」あるいは「態度が一つに決まっていく」というような用法であり、いずれもポジティブな意味で使っているところが共通している。いくつかの例を挙げる。
心が二元的である間は、即ち或る機縁によって煮つまって一元的にならない間は、どこまでも二元なり多元なりの生活を押し通して行くがいいと思う。
牛のよだれのようにだらだらした書きぶりがいかんのは問題にもならぬ事であるが、さればと云って何でも只無暗に簡潔に端折って書きさえすればいいと云う事を一つおぼえて、まるで電報の文句のような言葉さえつかえば煮つまったいい文章だ、と思っている人の文章は又不自然な、とらわれた感じのするものである。
もちろん白樺派以外の用例も同時期にあった。意味的にはさまざまだが、ネガティブな用法も多かったようだ。
この説明には余程可笑しな点がある、で、僕は云った。
もとは『The Scarlet Empire』というタイトルのアメリカの小説である。原文は「It looks as if religion may correctly be said to have gone to seed, in this country.」となっており、「gone to seed」は「盛りを過ぎて衰える」という意味なので、つまりそういった意味で「煮詰まる」が使われていると考えられる。「加熱しすぎて水分が飛んでしまった」ようなイメージだろうか。
私が余りに余計なことを喋舌り、私の心の中で長い間煮つまっていたことを必要もないのに述べ立てたことを、而もそれに就いては私は書いたものから読むように話すことが出来たのだ
こちらも翻訳書。英文は「I had unnecessarily described what had long been simmering in my heart」。「心の中でくすぶり続けていた」とか「ずっと感情が渦巻いていた」といったイメージか。
真夏の暑い日に遠く法華宗のお題目が聞こえてくる…という場面で、この「煮詰まった声」は「重苦しく絞り出している」ような印象を受ける。ものが煮詰まったあとのドロドロとしたイメージだろうか。
「居た堪らない」というので、世界が煮られて、そこにいられなくなるような感じだろうか。ぎゅっと狭窄するような感覚もあるかもしれない。
議論が悪い方向に盛り上がってヒートアップしているという描写。結論が出そうにないという点では現在の「誤用」のほうに近いか。
かるが故に自己の生活を安泰ならせんが為には儼然として己れが階級の城壁を固守しなくてはならない。科挙制度がそれだ。かかる試験制度を採用することは一に権力者に反抗する意志を学問の為に煮つまらせ、又一には士大夫階級思想擁護の有為なる人材を作ることになる。
この式場隆三郎も白樺派との交流があったらしいが、「作品を見ない」ということは、ここでの用法は「行き詰まる」に近いのではないか。
勿論コチコチ官僚型で煮つまって、倒さにふっても水っ気もないような人ではなく、時代に対する感受性は強く、好んで人の長所を認識する感服癖さえある。
昭和10年 ギュスターヴ・フローベール『ジョルジュ・サンドへの書簡』
では左様なら。もう遅いのです。頭がまるで煮詰まりそうです。
翻訳書。英文は「Adieu, it is late, I have an aching head.」なので、普通に頭痛がすることを言っているのか、それとも「悩んで行き詰まっている」的な意味なのかはわからない。
戦前は武者小路実篤を中心に、小説・詩歌・戯曲などの文学的文脈で使われることが多かった「煮詰まる」だが、戦後になると現在のような「議論や交渉が煮詰まる=結論が出る」といった用法が登場し、やがて支配的になっていったようだ。
それに関してわかりやすいのは「国会会議録検索」で、戦前の「帝国議会会議録検索」では「煮詰まる」はほとんどヒットしないが、国会会議録では1950年代あたりから見られるようになる。さらに用例を確認していくと1960年代から爆発的に増えていったようだ。労使交渉の文脈が多いように思われるので、そのあたりをきっかけに流行りはじめたのかもしれない。
となると次に気になるのは「議論が煮詰まる」=「行き詰まる」という用法がいつごろ確立されたのかということである。どうやって調べればよいか。たとえば「煮詰まってしまった」みたいな形だとネガティブな文脈で使われていそうだ。ということで検索してみよう。
しかし日本側は表面上は「朝鮮総連を相手にせず」とその抗議を重視せず、裏では字句は修正せずとも運用面に幅をもたせるという妥協の動きに期待を寄せていた。それが、日赤が相手にせざるをえない北朝鮮赤十字から真向に攻撃を受けたのだから、問題は煮詰ってしまった。
やはり人間は災害にあってみないとなかなかわからないもので、そういったことで安堵感を持っている。しかしジワジワと危機に瀕してきているわけで、そのときの判断をあやまると、残念ながら煮詰まってしまう。
ハイ・スクールからジュニア・カレッジヘと進んだアリス達は2年間のカレッジ・ライフで煮詰まってしまい、カリフォルニアに向かったのである。
ああいう自由さが背景にあってのこの音楽じゃなくて、すごい煮詰まっちゃってて、つらいだろうなというところで出て来る音なんですね。
「でも、仕事ばっかりしていると煮詰まっちゃう」「煮詰まっちゃうってのは、息詰まる、退屈する、スランプに陥るって意味なんです。」
昭和60年 毛利子来・岡島治夫・末永蒼生『「体」発、宇宙へ』
「結論が出る」用法と比べれば圧倒的に少ない。とはいえ1970年代くらいからは、日常語として「行き詰まる」的な用法もわりと広まっていそうな感じはする。というか「結論が出る」用法は議論や交渉の文脈でしか使えず、それ以外のときは「行き詰まる」用法になることが多かった、という感じではないか。
ちなみに、この「行き詰まる」用法が誤用として問題視されるようになったのは2000年ごろらしい。実際、Google Booksで「煮詰まる 誤用」などと検索すると2000年以降の書籍しか引っかからない。
といったところか。
「煮詰まる」のコアイメージは「熱されることで水分がなくなっていき固形分だけが残る」というようなものであろう。
それをポジティブに捉えると「余分なものが削ぎ落とされて本質がはっきりする」といった意味合いになり、ネガティブに捉えると「瑞々しいものが失われて停滞する」といった意味合いになる。たとえば「議論」にポジティブなイメージを適用すると「論点が整理されて結論がはっきりする」になり、「思考」にネガティブなイメージを適用すると「新しいアイディアが生まれなくなり行き詰まる」になるわけだ。
もともとの料理としては「美味しくするために煮詰める」ことも「熱しすぎて煮詰まってしまう」こともあるわけで、どちらのイメージで使うのも自然な感覚である。当初から「煮詰まる」は多義的な比喩表現だったのだから、「これが唯一正しい用法なのだ」などとはあまり気にしなくていいのではないだろうか。