http://anond.hatelabo.jp/20150606230329
私の母も認知症がひどく施設に入っています。常々感じていることがあるので書いてみたいと思います。
介護をするうえで一番大切な心の持ち方は、いかに介護される本人の目線でものごとを考えられるかだと思います。それが根底にあるかないかで言葉や扱いに大きな違いが出てくると思います。本人目線で常に考えて行動している人は、理想的な介護ができていると思います。
ボケててもうんこまみれは辛いと想像できるわけです。本人に対してうんこを漏らして良かったねなんて言葉は出て来ないわけです。
一方、実際の介護現場の状況はどうかというと、「毎日大変」です。
● 夜勤が6日に1回まわってくる。その時はひとりで9人の部屋を巡回介護して眠れずクタクタ。
● 介護するだけではなく常に記録や日誌をつけなければならない。
● トイレ掃除、料理、後片付け、洗濯、歯磨き、トイレ介助、洗濯物たたみ、お風呂介助、寝かせつけ、徘徊阻止・・・。
● 行事があるときは、歌を歌ったり芸を披露しなければならない。
● ストレスが溜まりやすい中で人間関係をよく維持する努力が必要。
● エアコンが使用制限されている。原則個室のエアコンは就寝前の1時間だけです。夏はエアコンが切れたら暑くて寝られない。
● 経営者目線が最優先されている。
● 西日の当たる部屋でも午後5時までカーテンを開けっぱなしで、午後5時にカーテンも窓も締切なので夏は蒸し風呂。
● 部屋全体の拭き掃除がされていない。する暇がない。することになっていない?
● 紙オムツやパッドがズレていることがよくある。
● オムツパッドが尿やウンチでいっぱいの時がよくある。なのにパッドの消耗が異常に早い。
● 同じ洋服を何日も着ていたり、状況に合っていない服を着ていたりする。
現状は、本人目線で考えているとはとても思えないひどいありさまです。ひどい現状を認識していない家族も多いと思います。介護地獄から脱することができて御の字だと思っているのかもしれません。
また、ひどい現状が表に出にくい状況にあるのも事実です。本人は認知症ですし、家族が24時間介護状況を監視することはできないからです。
でも、上記のような大変な介護現場を見ていると仕方がないのかなとも思います。
そこで私は思いました。現状では、介護現場に介護の限界があるのだと。その水準が自分が望む水準に届いていないと思うのなら自分でその水準まで押し上げるしかないんだと。
だから私は毎日面会に行っています。毎日、かみ合わない会話を通して親子の心のキャッチボールをして楽しんでいます。
トイレに行ってパッドを交換し、テレビを見、好きな音楽を聞き、パジャマに着替えさせ、ベッドに寝かせつけ、足を揉み、心配ごとをひとつひとつもみほぐし、「ああ、今日は良かった」のひとことを聞くまで帰りません。最初にその言葉を聞いたときはびっくりしました。そして嬉しくて涙が出ました。
認知症の人はいつも不安でいっぱいなんです。いつも心細い思いをしているんです。さっき言ったこともすっかり忘れてしまうほどにひどい認知症であっても、私が行くと誰だか認識できなくてもシッカリ反応して笑顔になるんです。打てば響くんです。
私は母との関係は凧揚げに似ているなと思います。もう、風は吹いていないんです。引っ張るしかないんです。引っ張らないとすぐにへなへなと凧は落ちるだけです。
認知症の母が老人ホームにいる。 独歩の認知症だから排便が確認できないという。 排便が確認できないと、イレウス防止のために下剤を飲まされる。 それはまあ仕方ないと思うよ。 ...
http://anond.hatelabo.jp/20150606230329 私の母も認知症がひどく施設に入っています。常々感じていることがあるので書いてみたいと思います。 介護をするうえで一番大切な心の持ち方は、いか...
なんとかなりますよ。 家で面倒見ればね。
家で嫁が面倒を見る。そういう、当たり前のことが出来ないから、こんなことになるんだろ
http://anond.hatelabo.jp/20150607113538 は、すっこんでていただけますでしょうか?
奴隷制のほうが国が豊かになるっつってんだよ! 言わせんな恥ずかしい
「おめーう