はてなキーワード: イコールとは
Coinhiveの良し悪し → わろし!
で、止まってる奴らが多いんだな
その後に、
・Coinhive設置の良し悪し
・Coinhiveがアウトならセーフとの境界線はどこにあるか
そりゃあるよな。口に入れて噛むだけで旨味が溢れるんだから。
何か行動するときに、ついでにイカを口に入れるだけで、常に口の中が美味い状態に保たれるんだから。
今だってあたりめを噛みながらこれを書いてるんだから、その説得力と言ったらないよ?
全然ふざけてるつもりはないんだ。ちょっと風変わりなことを言ってウケをとろうとかそういうのじゃないんだ。
たかがイカでしょとか言うのももっともらしくはあるよ。でもそれはイカを口に含んでないから言えるんだよな。
いざ含んでみたらみんな翻すことになる。特に何かしながらの「ながらイカ」のありがたみは一回やれば分かる。
例えば家への道を歩んでいるとき、何か漫然と考えたりしてると思うんだけど、
脳の今使っている以外の領域に「美味い」って信号が絶えず送られているような感じがするんだよね。
あくまでも隙間に、メインの活動を妨げることなく美味さを伝えてくれるんだよね。
ほんとありがたいよ。
じゃあどうやってイカを手に入れるかだけど、一番お手軽なのはコンビニ。
小袋なら百数十円。大袋なら三百円ぐらい。大袋なら量的な満足感は間違いない。
思い立った時にコンビニでイカを買って食べる。これが一つの幸せの形であることは間違いない。
ただお手軽さを犠牲にすれば、いや手軽ではあるものの事前の準備さえすれば、新たな幸せを見つけられるといったらどうする?
ただ先に言っておきたい。この道は一方通行だよ?
もうコンビニあたりめでは完全には満足できなくなってしまうよ?
もう言ってしまうけど、アマゾンで「あたりめ」と検索して、ちょっと美味そうなあたりめを買うんだ。
厚いやつだ。評価が高いやつだ。ちょっと神経質そうな奴が褒めてるやつだ。
グラム千円弱なら十分なものがあるし、これはコンビニ価格と大差ない。
そして厚さはこれほどまでの違いをもたらすのかと思うよ。
このイカに導いてくれたのは間違いなくコンビニイカなんだから。
感謝はあれど、侮蔑なんてとんでもない。ただ感謝ノットイコール美味さなんだ。
世の中のほぼあらゆる二項の間にはノットイコールが成り立つけれど、
ここまで痛切なものもなかなかないよ。
どうも、大学で論理学をかじったマンです。あなたの話には論理的な誤りがあるので解説します。あまり知られていないことですが、「AイコールB」を証明するには実は、「AならばB」かつ「BならばA」を示す必要があります。
だったからと言って
とは言えない。フェイジョアかもしれない。
なるほど確かに、「殺人が多い」ならば「軽犯罪・性犯罪が多い」の説明は見事なものでしたが、厳密にはさらに、「軽犯罪・性犯罪が多い」ならば「殺人が多い」の説得が必要で、これは必ずしもそうとは言えない訳です。
論理学に通じていない一般の方は、特によくこのミスを犯します。「明日は晴れの日」は、「明日ならば晴れの日」という意味で「明日以外は晴れの日ではない」という意味ではありません。しかし「今回の犯人はコナンだ」は、「今回の犯人イコール、コナン」の意味です。「コナン以外の人は今回の犯人ではない」のです。本質的な問題はここにあります。"~は~"が本当は論理学上で二種類の意味を持っていて、区別せずにカジュアルに使われているために、混乱をもたらしているのです。私は親に大学に入れて貰えたお陰で高等教育の恩恵に預かることができて、誤りを判別する特殊スキルを身につけられました。しかし誤謬は友人との会話の最中にさえ顔を出し、その度に弁明しなければと思うのですが、訂正できたためしがありません。
主張には全面的に同意する。私の日々の考えとも同感でもある。細かい例(異種族レビュアーズどうとか)はよくわからないのにもかかわらず。
私は女で、昨日はこんなエントリを書いたりもした身だけれども…。(読まなくていいけど)https://anond.hatelabo.jp/20200204131907
私はひごろから、人間関係での問題はほとんどが程度問題を含むと考えている。増田のいうグラデーションは私のいう「程度問題」とほぼ同義であると感じたのが最初の感想だ。
グラデーションの問題以外にも、同じ言動でもTPOや対人関係で適切・不適切が変わる部分抜きで話はできないと思う。
書店で、オタク向け美少女微エロの単行本の表紙として見たなら違和感は持たなかったと思う。これよりきわどい本をごく幼いころから見慣れている。
だから、不快感の一部には献血のポスターまでこの路線なんだ、というTPOでの不適切さが含まれている。
でも増田がいうように(増田の使い方これであってるよね?)、極端なエロというわけではない。
ただ「オタク対フェミ」の構造で切り取っているけれども、この話、結局根っこは「男対女」になるのではないか?
オタクとはほぼ
>二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い
なのではないか?
「女を自分の性的欲求解消のためのコンテンツとしてみなす男性」
は珍しくない。
性差という点で、男性は性的衝動が強く、攻撃性が高く、社会性が乏しいつまり他人がどう考えるかそれによりそう共感性を発揮したり、
特に「自分の考えは正しく、相手の考えは誤りである」とみなすことが多く、他人の自分とは違う感情を即座に否定し拒絶する率が高い。
こういう他人の内面への把握の不得意から男性は女性を「性的な物体」とみなす、女性はほぼ持たない性質を持っている。
男尊女卑の傾向が強いほどこの「女=性的オブジェクト」とみなすようになるというが…。
とにかくこういう性質のため、
「自分が女を性的消費する快感が100%正しいと信じて疑っておらず、そこに疑義を挟む意見(主に女から)に腹を立て、
男性特有の高い攻撃性のまま自分の快楽の邪魔をする者として攻撃する」
宇崎ちゃんのポスター論争において、ポスターを擁護した男性のすべてがオタクではなかったはずだ。
グリッドガールの廃止に異議を唱えた男性の中には普段はF1レースを見ないような男性も多くいたはずだし、
そのほかの同様の事例でも同じであろう。
増田にはこういう念押しは不要だと思うが、私はオタク対フェミの構図で切り取ることに異議があるわけではない。
むしろ逆だ。
より狭く明確な構図で切り取ることに成功すれば、その背後にある広く抽象的な問題をもっとシャープに見せてくれる。
そうなると、このエントリを読んでの私の疑問は、
オタクは「自分がなじんでいて受け入れている美少女性的消費コンテンツは、公共の場ではふさわしくないことを受容するか」である。
私がツイッターで見ている限りでは、オタクの中にはオタクは迫害されてきた、オタク的表現はわけもなく理不尽な差別に晒されてきた、
という認識を表明する人がけっこういる。
こういう人が、「二次元美少女性的コンテンツを公共性に合わせたグラデーションにまで落とすこと」を理解し、受け入れるだろうか。
「オタク対フェミの不毛な対立」の解消は増田エントリを読む限り、2点ある。
フェミ側、オタク側の両方がグラデーションを理解し、それぞれの批判を取り扱うことである。
は?バカ言ってんじゃねえよ。
汚い楽譜じゃやってらんねーと思う事がそんなに悪いのかよ?
ふざけけんなよ。
そもそも演奏の熱意と楽譜探しをイコールで繋げる意味が分からん。
だから読みにくい事を一切顧みず、演奏するための楽譜をアップするというのは非難に値する行為なんだわ。
そんな事も理解できない奴が口出すんじゃねえ。
http://lty.hatenablog.com/entry/2020/02/02/223200
一部ブコメに言いたいのは「作者が変わらないと言っている」イコール「だから変わってないことを担保する」ではないということ
この場合ありうるのは「本当に変わってない」か「作者自身も違いがわかってない」のどちらかだ
そして私は後者だと思っている
ぜひ2枚の画像を横に並べて見比べてほしい
いいか、まず、第一弾のポスターを見たときの"オタクでもフェミでもない人"の第一印象を想像できるか?
ここでは細かい定義は後回しだ、要はネットの議論に参加してない、そのへんの、大多数の人、ということだ
正解は
だ
普通は なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラ と認識するだろう
オタク以外の人間がアニメの女の子のキャラを見たとき、それがジブリやディズニー以外の絵柄だったとき、かなりの割合で「キモい」と感じる人がいる
そこには「(気持ち悪い)アニメオタクが見るような絵だから」が含まれる
ましてや宇崎ちゃんのような巨乳のイラストだと、さらにキモい度があがる
では第一弾のポスターを印刷してお母さんお父さんや学校・会社のオタクではない人に見せてみよう
どんな反応するか想像できないか?かわいいね~って言うと思うか?
まず「画面を占める乳の面積」が全然違う
位置も違う 見せ方も違う
第二弾は「萌キャラドーン!」「おっぱいドーン!」が相当緩和されている
ゼロになったのではない、緩和されていると言っている
この「緩和された」のが「わからない」とか「ゼロになってないから何も変わってないのと同じ」と思ってる人たち、本気なのか????
漫画がある
だ
それから1コマ目を見て「なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラがいる」だ
(悪い意味の)インパクト、不快感、「ウッとなる感じ」、が相当に薄れている
「どっちも気持ち悪い」という人はまだわかる、だが気持ち悪さが緩和されているのは間違いないだろう
これを「変わってない」と思うならもう何を見ても不快だと思うのでしょうがないですね
「どっちも問題ない」「どっちも悪くない」という人は、ちょっと世間と感覚が乖離しすぎている
大きな違いはこれだけ
なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラが、画面全体にドーンと位置するか、漫画のコマの中に登場人物として配置されているか、これだけ
「印象」が全然違うよね?
他のことは何も論じてないし論じる気もないからね、いくら説明されても「変わってない」を連呼する人たちに「変わってるだろ」と言いたいだけだからね
第一弾と第二弾は「変わった」し、不快に思う人も減った、それはなぜかというと、巨乳のキャラが中央ドーンだったのが漫画のコマの登場人物として小さく配置されるようになったから、です
年齢イコール彼氏いない歴である。最近は親にもやれ彼氏はいないだのやれ結婚しないかだの言われはじめ、毎度「諦めてくれ」と言う会話をしている。
結婚願望はないわけでない。ご縁があれば結婚したいし、結婚するなら子供がほしいなと思う。
自身の見た目が粗悪なわけではない、と感じている。少なくとも清潔感は人並みにあるし、ファッションも化粧も人様に褒められるぐらいの普通さはある。
もちろん、それなりに努力をしなければと思って街コンに行ったときは、それなりの人数の連絡先を聞いて、数人と何度かご飯に行っている人もいる。お互いに「この人はどんな人なんだろう」という状態が、現在では絞って3人ほどいる。
だからといってこれは自慢になることでもなく、陳列棚にある激安シールが貼られた食べ物を「これはおいしいのだろうか…」と品定めされている状態だ。激安シールが貼られていなくても、むしろちょっとお高めだったとしても、おいしそうな商品はすぐに手に取られていくのだ。
きっと、この品定めのうち「やっぱ他のにするか…」と陳列棚に戻される率が高いのが私なんだと思う。
友達とご飯に行くのも楽しいが、ひとりで旅行するのも苦ではない。それどころか博物館に行くのも服を買うのも、人についてきてもらうと「待たせている」と思ってしまい少し苦痛にすら感じる。洋服店でカップルが仲睦まじく「どちらが似合うか」などと話しているのを見ると微笑ましくも思うのだけど、自分に置き換えると「自分のペースで服を見たいし着たい服は自分で決めたいし似合う服は私が一番分かってる」と思ってしまうなと、体験したこともないのに分かってしまう。
趣味もそれなりにあるし、彼氏がいない生活がこうも長いと「むしろいなくても楽しいのでは」となり、今に至る。
芸能人に対する「好き」は容易にわくのに、ご飯に行っている人に対する「好き」はこれっぽっちもない。いい人だな、きっと大事にしてくれるんだろうな、と思っても好きではない。好きってなんだ? 芸能人に対する莫大な「好き」を一般人に向けられる日がくるのか? 彼氏彼女がいる人に聞きたい好きってなんだ?
…私結婚できる気がしないなぁ。
子供も2人すくすく育っていてどちらも本当に可愛くて大切な存在です。もちろん愛してます。
そんな自分ですが不倫をしたいと思っていますし、不倫が許されないことに憤りを感じています。
妻が不倫しているとかという理由ではなく、単純に夫婦間でのセックスレスの問題です。
「疲れてる」「ゆっくり寝させてほしい」「今はそんな気分じゃない」
この10年、何度誘っても同じ返答です。
この欲があったからこそ、生きることを諦めず生き残った、逆を返せば、欲があった生き物だけが今の世界に生き残っているのだと言えます。
何が言いたいのかと言えば、欲は自分ではコントロールできない恐ろしい代物だし、例外なく自分にも備わってしまっているのだということです。
わたしは平穏な生活を送っていたいのに、欲がそれを邪魔します。
欲が膨らめばそれが叶わなければストレスになるし、機嫌だって悪くなります。
仕方なく自家発電しますが、これだって妻に見られたらなんと言われるか分かったものじゃありません。
それに自家発電が満たしてくれる欲は自分が満たしたいと思っている欲とは当然イコールではありません。
ならば愛を売り物にして代わりにセックスを得る以外に手段がないじゃないですか。
妻がきれいであればあるほど、妻が魅力的であればあるほど、セックスレスは私の男の部分を苦しめます。
美人な妻を持ったイケメン俳優が不倫する背景も同様ではないでしょうか。
子育ての数年を我慢できないようでは甲斐性がないと言わざるを得ませんので同情するつもりはありませんが。
セックスレスが離婚事由になるとはいいますが、別に離婚したいわけじゃありません。
溜まっていく欲の解消をしたいだけです。
相手が人間だということを理解しているからこそ、相手の気持を尊重するからこそ、セックスを強要することを恐れそれ以上相手に踏み込むことができません。
しかし、断られることは真綿で首を締めるかのようにじわりじわりと自分自身を苦しめていきます。
同じく断り続けることも、その人を苦しめることを知っています。
今や妻を誘って断られる苦しみと妻が断ることで受ける申し訳無さとの抵抗感をあわせたら、どこかで寂しがっている女性と不倫を働くことのほうが抵抗が少ないのではないかと感じられてしまうほどです。
どうか世の中の女性は、そういう夫の苦しみを理解してあげてほしいし、そういう世迷いを働く男性を強く拒否してほしいと願います。
同様に、男性側が原因のセックスレス夫婦も、妻の苦しみを夫が理解してあげてほしいと願います。
そして、結婚はお互いの欲望を支配できるものではないという理解が世の中にもっと進んでほしいと願います。
その解決方法が、自分では相手とセックスができないというのであれば、肉体関係と婚姻関係を切り離すことでもよいと思います。
今の所わたしには不倫をするだけの勇気がありませんが、避妊手段がこれだけ進歩した今だからこそ、結婚とセックスを切り離した新しい関係がお互いの結婚に対する負担を減らしてくれると信じています。