同じくSE職
報告書などはエディタで切り貼りしつつ文章全体を構成しなおすので、ガーッとはいかないが、手で書くよりは楽だと感じる
外部の勉強会・イベント・セミナーの類でメモを取るのは紙でないと無理
タイピングが追いつかないし、図を描く・線を引いて概念を関連付ける等もできない、そういった類のソフトを使う知識とスキルがない
◇ 『仁義なき戦い』の脚本家、笠原和夫の本がなぜか図書館にあって、面白くて読みふけってしまった。
曰く、『仁義なき戦い』のテーマの1つは、日本は戦争に負け、経済戦争にも負けたのに、またカネを巡って同じことをやっている。アホばっかりだ。ばーかばーか。ということだと。
時代は違うが内村鑑三も似たようなことを言っていて、曰く、日本は戦争向きの国ではないし、文化もモノマネしかできない。経済もそんな強くない。と。
じゃあどうすればいいかというと、内村は「日本の目指す道は宗教しかない」と言う。
ぜったい無理だけど、そうなったらいいなぁとは思う。
◇ キリスト教関連のエッセイに「フォイエルバッハはいいぞ」みたいなことが書いてあったので入門書を買ってきた。
めっちゃむずかしい。なんだこれ。
入門書の筆者曰く「フォイエルバッハはその主張から無神論者だと思われがちだけど、実はそうでもないよ」とのことなのだが、完全にキリスト教徒を殺しにかかってて笑える。痛いところ突かれまくり。だがそれがいい。
てかマルクスの思想の元ネタの1つがフォイエルバッハらしく、時折マルクスっぽいことを言うのでおおっ!てなる。
これ理解出来たらキリスト教とマルクス主義が頭の中できれいに整理されるんだけどなぁ。なんかもう1冊買うか。
内村鑑三の注釈は聖書の部分によって明らかに筆のノリが違っていて、自身の実生活で慰めを得たところだと熱くなる。
具体的には、貧乏生活を慰める規定や、人を裁くことを諫める規定は熱い。熱すぎる。
たまらずコレヘトの言葉に移ると、地上の快楽を追及するのは虚しいだけだよ、みたいな話なので熱気がすごい。おもしろい。
作者がソロモン(と言われているが実際には違う)ってのもロマンを感じる。
とりとめないが以上
朝食
昼食
弁当 750kcal
夕食
鶏の竜田揚げ 70g 200kcal
もやし+レトルトスープカレー(マジックスパイススープカレー)1袋 170kcal
1600kcal以内達成。
竜田揚げの小さいパックに卵2コで若干オーバーしたかな、と思ったが
おかげで達成。
スーパーでカレーのレトルトのパックをいろいろ見ていたのだがだいたい1箱で350kcal前後だった。
こってりした欧風カレーではなくさっぱり目のものがいいなとスープカレーを買ってみたが、なかなか良かった。
辛味足し用の特製スパイスが余ってしまったので鍋キューブカレー味を使うときにでも、一緒に使うことにしよう。
明日もがんばろう。
出会い厨が会った相手に不満があったからという理由で、相手の方をむしろ悪質な出会い厨として言いふらすとかやってるのと似てるな。
元増田の記事消えてしまったが、結局あれはそういう出来なのか。
pixivで元となる二次創作の序文だけ読めるので、それは読んだんだが文章を読ませる力はあるように思えたし、グロテスクな描写がある割に読みやすくも感じた。
元ネタの小説のオマージュ、借用のおかげの部分もあるのかもしれないが。
一方で、その二次創作題材となるアニメとキャラクター自体が矛盾の塊、魅力の無さの権化みたいなキャラクターばかりが出てくるアニメ作品だから、SFと絡めてあの作品の二次創作を行うとしたら、その設定の矛盾点やキャラの魅力のなさへの皮肉と絡めて書くことができたら唸る作品が生まれたかもしれないと思った。
オマージュ、というよりパクリを用いているといえばその二次創作題材となるアニメも盗作問題で炎上した。未だに誰も反省の弁を口にしていない近年でも最悪のシリーズ作品だった。
だからその点も含め、皮肉を込めた作品にできていたら、二次創作の名作になったかもしれない。
まあざっと読んでも、エログロSFをおもしろおかしく混ぜてみても結局は単純にその出来の悪いアニメ作品とキャラクターへの盲目マンセー系百合パロディみたいなノリで終始しそうな気配がぷんぷんしたからどうにかして読んで見たいなんて気は起きなかった。
元がファンアンソロジー本への寄稿小説だからそんなもの載せられるわけがないのだろう。
その序文だけ読んでも察する所はあったが作者のTwitterや読者の感想を眺めてみるとやはりアニメのラブライブの影響を受けての礼賛的なテーマが込められているものなのだろう。だから残念ながら面白そうとは思えない。
それと、それらを見ていたら、やはり「君の名は。」「紫色のクオリア」に似ている的な言及が見られた。
最後にして最初のアイドル読了。もともとはラブライブの2次創作。紫色のクオリアとかみずは無間とか好きな人には絶対におすすめできるやつだ!— せにょ (@senyoltw) 2016年11月21日
「最後にして最初のアイドル」は「君の名は。」のように時空を超えた恋愛が描かれます。本当です、信じて下さい。この目が嘘を言っているように見えるか?— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『君の名は。』の百合バージョンを求めている方は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
自分は「紫色のクオリア」は超絶名作だと思っているが、それを先に知っているだけに「君の名は。」がストーリーや設定的に陳腐に感じられ、かといってもちろん萌えアニメ・キャラアニメ的な軽薄な派手なキャラ付けも弱いし、TSネタも使い古された薄味のものばかり、恋愛的エンタメ性すら弱いため、なかなかにつまらなく感じた。
まあ駄作ではないのだろうが、名作とはどう頑張っても呼べない。欠点が多く長所がそこらへんの深夜アニメと比べても少ないレベルであるが、不快になる作品ではなかったから人の好みや気分によっては良作と呼べるのかもしれない、という程度の感想だ。
ラブライブ!が好きな連中には「君の名は。」も絶賛できる輩が多い印象がある。どちらも辻褄がスカスカで、かといって爆発力的なエンタメ性や萌えなどがあるともいえない。強いて言うとラブライブの場合はライブシーンや楽曲、君の名はの場合は美麗作画で誤魔化しにかかっているがまともに見ていたら満足感に到底結びつかない。変な薬か宗教に浸かるでもしない限りは。
実際自分は君の名は。を見た時に自分はラブライブのことを思い出した。この辻褄の矛盾が気になる構成、辻褄云々を吹っ飛ばしてくれるエンタメ的なシーンを用意できない構成、それで誤魔化した気になってるのかと突っ込みたくなるふざけてキチガイダンスしだしたような寒い演出。そんなことに目をつぶりながら見続けても結局陳腐な話でサービスもなく終わり何もカタルシスが残らない作品。まあ君の名はそこまでは酷くないが、方向性としてはそういう面で似ていたし、あれが世間で人気だという点も含めて、こういうものこそが広くいいものだと思われる認識が広まるのは日本や世界の文化にとって危機的状況だと感じた。
人間の科学技術や知能の発展というのは人間の歴史が続く限りは永遠に続いていくと思われがちだがある時をピークに衰退に転じるという予測もある。手塚治虫の「火の鳥」でもそんな話があったように記憶するが、もしかしたら映像芸術、文化芸術の表現力や認識力において人間は既に衰退に転じてきたのではないか…なんて思えてきている。
恐らく序盤のシーンを超えていくと、上記の作品に似たエッセンスを用いた流れがやってくるのだろう。そうなると二番三番煎じかつ、元ネタがアイドル、しかもあのクソアイドルアニメということで説得力には期待ができない。
結局あの作品の大半を占める百合なら何でも喜ぶタイプのオタク、ラなら何でも喜ぶタイプのオタクが読まないと賛美するという方向に思考が結びつかない、ラブライブの二次創作に相応しい作品なのだろう…。
アイドルになりたい人は「最後にして最初のアイドル」を読みましょう。キラキラできます!— SF作家・草野原々 (@The_Gen_Gen) 2016年11月22日
『最後にして最初のアイドル』読んだ。なかなか感想が難しい。初めはアイドルでSFってどういうこと?って思ったが、今なら分かる、完全にSF小説だった。"アイドル"の概念に迫るアイドル創世記。締め括りも良く、これは周りにお薦めしたいhttps://t.co/3SKBmNU1BK— うきくさ先輩 (@Sphingobiumm) 2016年11月22日
アイドルになれるとかアイドルの概念がどうとか言っているが…三次元アイドルとは違って、理想を実現させられるはずの二次元アイドルという概念を三次元的現実やその事情と絡め貶めた設定を用いた、アンチ二次元アイドルの権化であるラブライブ!、そしてアンチ二次元アイドルの権化であるアニメ版矢澤にこが元ネタになっている点で作者や読者のアイドルという概念の捉え方や理想(のアイドル)の捉え方にも期待が出来ないどころか絶望的な不安しか感じられない。
百合は素晴らしいということを否定はしないが、結局のところ百合マンセーラブライブマンセーナントカSFマンセーを行う道具として片手間で作られたラブライブらしくラブライバーらしい小説が元なんだろうなあ…と想像を働かせてしまうのだった。
これに限らず、なんかの受賞作品といってもその賞自体の価値、審査自体の価値が危ういなんてのは珍しい話でない。
必ずまともな審査員しかいないコンテストなんて殆どどこにもない。ノーベル賞やアカデミー賞ですら賛否両論は珍しくない。
だからまともじゃなくていいなんてことではないが、どうしようもない人がどうしようもない作品を作っても何かが間違うと高く評価されるなんてこともあるかもしれないのだ。
今はピコ太郎の「PPAP」が流行している。しょうもないとまでは言わないが、素晴らしい含蓄がある歌詞と画期的で流麗な音楽に感動した…なんて到底言えないものだ。
しかし、どんな歌詞を込めてどんな演奏力ある楽器隊や歌唱力あるボーカルを擁して作られた他の殆どの日本の音楽よりも今は世界的に流行し評価されてしまっているのが現状だ。
だから、その最後で最初のなんとかみたいな駄作小説が賞をとれてしまうこと、ラブライブとかいう駄作アニメが売れたり賞をとれてしまうことなども含め、そういうのを見てると、ワンチャンどころでないチャンスが実は世の中誰の目の前にも転がってるのではないかと思う。
幼い頃、「ちびまる子ちゃん」を毎週見ていたが、学級委員のみぎわさんが大嫌いだった。
わがままで厚かましく、そのくせ学級委員としてその立場を盾にイチャモンをつけ自分に都合のいいことしか言わない。
とどめに本人はブサイク(に描かれている)ときた。どうしようもない。
現実世界の人間関係にそのような人はいなかったのは幸いだった。
ポリティカル・コレクトネスが声高に叫ばれる中でそれに反旗を翻す動きが生じ、巨大化して飲みこもうとしている、いや飲みこんでいる昨今である。
典型的なのはイギリスのEU離脱や先のアメリカ大統領選の結果だが、日本でもそのバックラッシュをちょくちょく感じる。
そして色々なニュース(おもに女性の萌えキャラであるとかポスターを発端とした炎上案件)に目を通すうち、ポリコレ棒で殴ってくるのはみぎわさんみたいな人なんだろうな、思うようになってきた。
自分が不快であるからという根拠を第一に押しつけの正義感で叩く。さながら花輪クンと話す他の女子に焼きもちをやくように。
こういう人は話が通じることはなくすこぶるめんどくさいので、距離をおくのが一番楽だ。
大体上記リストの作品の8割方プレイ済みの自分がそのリスト内の私的上位と遜色無しに評価するのだと
『ひまわり』 微妙にブレイクしきらなかった同人エロゲだが、見た目の軽さに反して内実骨太のSFと言っていい。
『鎖-クサリ-』 粗は多いが真のヒロインの内面描写が凄い。エロゲだから描けた"媚びてない"、覚悟を示したヒロインの魅力。
『僕と、僕らの夏』 多分世間的には『群青の空を越えて』のが高評価だけれど、派手な事件など無い中の登場人物たちの
心情描写をじっくり描いた、複数視点ものの醍醐味を活かした傑作としてこちらの方を評価したい。
『シンフォニック=レイン』 エロゲじゃないが作りは実質エロゲやろってことで。シナリオもだが故・岡崎律子氏の音楽も何より素晴らしい。
まぁ、並び的に元増田は当然の様にやってる気はするけど、まぁ参考用にこっちの好みの表明兼ねて。
↑に比べるとちょっと落ちるけど、ジャンルとしてのエロゲの懐の広さを示す作品としては
『天使憑きの少女』 を推したい。AngelBeats!が似たネタ取り扱ったけど、テーマの昇華具合はこっちのが断然うまいと思う。
『未来にキスを』も元長柾木枠代表かつメタエロゲ枠として、シナリオ系エロゲ中心にやって来たならやはり押さえておきたい。
『Quartett!』演出一点突破と言う方向性でのエロゲ媒体ならではってところで。
あとはminori系がスルーっぽいので、今をときめく新海誠ムービーをただのOPに終わらせずに
意味を持って作品に取り込んだ『はるのあしおと』とついでに『ef』辺りもやっておいて損無いんじゃ無いかな。
Googleで○○さんの名前を入力したら「○○ 詐欺」とサジェストされたので、ほほう、有名なのねと思ったあとに
早く出世したいと仕事を頑張っていたら、仕事がらみの人間関係がうまくいかなくてうつ病になった。
なのでしばらく休ませて欲しいと上に伝えたら、
「出世してる人はメンタルを病んでない人多いから、こんなんじゃ出世できないよ。もっと努力しなよ。」って言われた。
ふと「あれ、今飛び込んだらいろんな悩みから開放されるんじゃね?」って一瞬思って、一歩足を踏み出した所で目が覚めた。
紙で書く場合は腕が疲れてしまうので、PCでガッと書きたくなるのだが
どうにもわからない。
自分自身まだ20代だし、SEでもあるし、老害でもないのに紙のほうが…とはいいたくない
原因を考えてみると、なんとなく手元と書いてる文章のマッチがうまくいかないからだろうか?
紙の場合は考えてること、手を動かすこと、出力結果が完全に一致しているが
PCの場合、うーん、なんだか気が進まない。書くという意欲がなぜか40%くらいの気持ちに萎えてしまう。
エディタでプログラムを書いてるときは、もうバリバリ、ガー!っと気持ちよく悩んでかけるのだが
学校教育で作文を書かされたり、テストで穴埋めをしたり…とにかくPCに触れて考えるという機会が少なかったからだろうか?
自分にとって文章を書くということは、自分の思考の整理をつけたい気持ちもあるので、ストレスなく書きたいものだが…
なんとなく英語の場合はこうならないのかもしれない。タイプライターとかは割と素直そうなイメージがある。
とすれば日本語独特のPCに存在する変換というのが、無意識に非常に気持ち悪く感じてしまっているのかもしれない、
こうなるともはやお手上げだなあ…
なにか工夫してることとか、違うんじゃない?という意見が頂けたら幸いです
大学の寮に入れてもらっているおかげで、本来なら数万円かかるだろう家賃はかなり浮いている。
食事は業務用食品をどさっとまとめ買いして、調理したりしなかったり。
それでも、生活に必要なお金の分を差し引くと、私が自由に使って遊べるお金は大して残らない。
バイトはしているけれど、やっと始められたばかりだし、このお金も自動車免許を取るために貯金。
正直自分でもそう思う。
うちが特別貧乏とかそういうわけじゃないけど(少なくとも私は標準的な家庭だと思っている)、かけなくていい迷惑はかけたくないから。
だからどうということもないし、こういうふうに生まれてきたわけだから誰を責める必要もない。
でもそれも結構揺らぐことがある。
人と比べるものでもないけど、ある友人は、私の奨学金と同じ金額のお小遣いをもらって、仕送りもしてもらって、毎月のようにちょっと遠くへ旅行して、美味しいものを食べて、欲しいものを買っている。
よくその子に「遊びにいこう」と誘われるけど、だいたい「金欠だから」と断る。
そうしたら、ついに「金欠金欠って、逆にどこにお金使ってるの?」と聞かれてしまった。
家賃とか光熱費とかネット代とか食費とかだよ、とは言わなかったけど、ものすごーくもやもやした。
そりゃあ私だってあなたみたいに遊びたい。もうめっちゃ遊びたい。贅沢したい。
あのワンピース可愛かったし、イヤリングだって欲しい。あの本を買いたい。隣町の有名なチーズケーキも食べたいし、普段からお菓子も家に置いておきたい。
「かじれるうちに親の脛かじっときな」と父は言ったけど、ちょっと大きな事件が起きてそんなことが出来る状態じゃなくなってしまったし。
贅沢したい。もうすぐ誕生日だし。贅沢したい。