はてなキーワード: FGMとは
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
よくやった。
女子刑務所に入れることができるほど、お前たちはトランス女性を女性と思わせることに成功した。
お前たちはレイピストを女子刑務所に入れた。お前たちは女子の囚人たちがレイピストに暴力を受けることをよしとした。
お前たちが許可を与えた。トランスの承認願望を満たすほうが大事だったからだ。
よくやった。
その女性たちが男性(ペニスと睾丸を持つ人間)をセーフスペースに入れることを拒んだからだ。
よくやった。
女性をTERFと呼びさえすれば、それも許されるようになった。トランスフォビアのクソアマは殴ってやれ、そうだろう?
その女はそういう奴だ。デモに参加する女性を殴っても問題ない。なぜなら奴らはTERFだからだ。
よくやった。
お前たちはお前たちとのセックスを求めない人々に嫌がらせをする。トランスフォビアと呼ぶ。
トランスフォビアのレッテル張りをしてやれ。お前たちの承認欲求のほうが大事なのだから。
お前たちは女性専用のスペースにどんな男性でも入れる法律を作った。
その男性が「私は女性」と言いさえすれば、それは尊重され、入室を許可される。
安全のために作られた女性スペースは誰でも入れる場所になった。
よくやった。
お前たちは「インクルーシブな言語」を使えと脅し、FGM(女性器切除)、妊婦、バギナという言葉を口にする人々に嫌がらせをした。
世界に対し女性の体について語ることがインクルーシブでない、ヘイトスピーチだと思わせた。
よくやった。
お前たちはトランス女性こそが女性の権利について語り、女子スポーツに参加し、女性を押し退けて政治の場に進出する権利があると思わせることに成功した。
男性が女性であると思わせることに成功した。その間、女性は犠牲となったが。
なぜなら、お前たちのナルシストで、エゴイストで、ミソジニーな考えでは、お前たちこそが重要で、尊重されるべき対象だからだ。
お前たちはトランスのスペースを求めなかった。お前たちは女性のスペースを求めた。そして、女たちを追い出すことに成功した。
お前たちは「私はトランスで、それでいい」と言うだけでは満足しなかった。女性と呼ばれ、女性のアイデンティティを得ることを求めた。それを拒否する人々は、脅した。
お前たちは世界がひれ伏すことを求めた。お前たちは自分たちの要求が誰よりも優先されることを求めた。特に、女性よりも。
女性とは何か?と尋ねるとお前たちは「気持ち」だと答える。女性とは、“adult human female”という意味なのに。
お前たちはバギナを「前の穴」と呼び、手術で裏返したペニスを「バギナ」と呼ぶ。なぜなら、お前たちは女性よりも女性になりたいからだ。女性の定義では、決してお前たちは女性になれないというのに。
私はトランススペースの権利のために戦う準備ができていた。トランスは恋人を見つけるのも難しい、と文句を言っていたときも、支援をするつもりだった。
それで気持ちがよくなるなら、と「she」と呼ぶこともいとわなかった。医療の権利、尊重を得る権利のため、そして男性による暴力に対して一緒に戦う準備ができていた。
アライになるつもりだった。多くの女性は同じ気持ちだった。多くのTERFはアライから始まっていた。
なのにお前たちはNOをつきつけた。トランススペースなんかいらない、お前のスペースをよこせ、と言った。
お前のバギナがほしい、女性スペースがほしい、女性を限定する言葉を使うな、体のことについて話すな、スポーツで順位を奪ってやる、政治の場から、学校から、組織から追い出してやる、 と言った。
お前たちの女性性をよこせ、と言った。そして私達が従うことを求めた。すべて明け渡すことを。そして、多くの女性にそれをさせることに成功した。
だけど、女性は影で本当のことを話している。性別を変えるなんて本当はできないということを。
女性のステレオタイプや体は真似しても。子宮、卵巣、子宮頸部、クリトリス、骨盤はうまく真似できていないみたいだけど。
顔を「女みたいに」作り変え、ボイスレッスンを受け、ウォーキングレッスンを受けても、お前たちは女性として生まれたものの経験を決して体験することはできない。
男性を女性に変えることなんてできない。本当は、性転換っていうのは間違った言葉なんだ。女として生まれる経験なんてできやしないのだから。
でも、それでも大丈夫なはずだった。自分が異性でないこと、自身をトランスと認めることに、問題なんてあるわけがない。
生まれた性に違和感を持つのも、全然不自然なことじゃない。あなたは、あなただけのユニークな存在になれるはずだった。
トランスの人たちが自身のトランス性を見せる時、それは本当に多種多様だ。しかし、すべてのトランスがトランスであることに変わりはない。
でも、お前たちはそれでは十分ではない、と言った。「ユニークな存在」になるだけでは満足しなかった。
少なくとも、最も声の大きく、影響力のある男性のトランス活動家にとっては。お前たちは、社会をお前たちの違和に適合するよう変えようとした。しかし、聞いてほしい。
私達は拒食症の人たちに、その「太っている」という不安が本当のことだ、と伝えたりはしない。
重篤なアレルギーを持つ人が多くても、ピーナッツをこの世から消し去ることはしない。
レイチェル・ドレサル(黒人と自称する白人活動家)をトランスレーシャルと呼ぶことはしない。
私達は世界の50%を占める人々の要求や問題を、お前たち極少数の、定義も不可能なグループのために犠牲にする必要はないはずだ。
社会規範に違和感を持つほとんどの人々は、対処法を見つけたり、自身でサポートグループを作る。
ほとんどの人々は、人生はみんなが満足できる公平なものではない、と知っているからだ。お前たちが女性の権利を破壊しようとするだけ、お前たちは敵を作り出している。
お前たちは、レズビアンやヘテロ男性に「レディーディック」を求めないのはトランスフォビアだ、と喚いた。
お前たちは女性から女性性を奪い、女性たちが権利として勝ち取ったスペースを我が物にすることに成功した。
お前たちは従来の性別の概念に合致しない子供たちの親に「その子供はトランスだ」と思い込ませ、第二次性徴を止める薬物を使用し、不妊の原因となる医療介入が必要だと信じ込ませた。
子どもたちの将来の子を産むチャンス、セックスライフがなくなる可能性があっても、だ。
純粋な疑問から来る質問をはねのけることで、お前たちはアライを敵に変えることに成功した。
お前たちは有色人種の女性、白人女性、男性、保守、リベラル、中道、レズビアン、ゲイ男性、そしてトランジッションをやめたトランスの人々までをも敵にまわした。
よくやった。
The Trans Ego: Why Allies are Becoming TERFsの日本語訳
出展:https://womenarehuman.com/the-trans-ego-why-allies-are-becoming-terfs/
近頃日本でも移民受け入れについての議論がみられるようになってきましたね。
私は基本的には移民政策には賛成です、でも移民を単なる労働力と捉えては失敗すると思います。
10年ほどヨーロッパ某国に住んで様々な移民・難民と同じ社会で暮らしてきた体験を少し。
私自身がヨーロッパの某国に移住したばかりで語学コースに通っていた頃のおはなし。
語学コースのクラスメイトにはタイやフィリピン出身の女性移民が多くおりました。
当時何も知らなかった私は無邪気に「わあ、国際結婚なんだね!どこで旦那様と知り合ったの~?」なんて尋ねてしまいました。
実は彼女たちの多くはあっせん業者を介して嫁にやってきた女性だったのです。
「愛はないがより良い生活のために嫁にきた。」「本国の子供や両親に仕送りするために嫁にきた。」
「夫を愛してないけどセックスしないと本国への送金を止められるので泥酔して夫と寝る」
アジア人という見た目だけで私もそのような女性たちと同じ目で見られ通りすがりに
日本人だと言い返すと手のひらを返すように謝られることも多々ありました。
このように敬意を払われるような行動をしてきてくれた日本人の諸先輩方へは感謝でいっぱいです。
授業中前を向いてにこにこしながら座っているだけでメモを取ることもなければ配られるプリントに目を通すこともありません。
その国の言語はもちろん、英語も全く話さない彼女はコソボからの移民でした。
かろうじて単語単語でロシア語を理解するということがわかり、ロシア人クラスメイトが交流を試みたところ、
このコソボ人の彼女は本国でまともな教育を受けておらず読み書きができないということでした。
読み書きができないということはせっかく難民申請が認められて語学を勉強する機会を与えられても、
勉強をするすべがないということに等しいです。
某国は福祉の発達した国だったので国の制定するフルタイムの語学コースに通うだけで補助金がもらえる仕組みがあり、
どうも彼女は誰かに入れ知恵されてその補助金のために一日中何もせずに座っていたようです。
これらの経験から移民と難民というのは性質の違うものなのだとよくわかりました。
また、難民といえばわたしは某国にて公共の場で見るソマリア人の子供たちが男の子ばかりなのを最初は疑問にも思いませんでした。
ソマリアで長く紛争が続いており無政府状態なのは知っていましたが、彼らの宗教や文化について全く知らなかったのです。
彼らの多くはムスリム教徒で私には理解できないほど女性が蔑視されます。
ソマリア人女性に対して現在でも性性器切除(FGM)が行われているという話を聞いたときは吐き気がしました。
某国でのソマリア男性の多くは失業して国の手当で暮らしているので、
大人のソマリア人男性が町でやることもなくたむろっている姿をよく見かけました。
無害でしたがそれでも傍を通るときは緊張したのは確かです。
最近ではシリア難民の受け入れの体制づくりが素晴らしくて印象深いです。
某国でもドイツなどに比べたら微々たるものですがシリア難民の受け入れが決定され、
私の当時いた自治体ではまず住む家を用意し、大人に対しては語学コースと職業訓練の準備、
子供たちにたいしては学校側でアラビア語の通訳や内戦のPTSDを配慮した医療体制を準備して受け入れに備えていました。
某国に移民として多かったのはヨーロッパでも貧しい国の人々(バルト三国や東欧、旧ロシア圏の人々)でしたが、
中には家族を置いて出稼ぎに来ている人もいましたが、彼らの多くは家族連れで移民してきて、
工場や肉体労働などブルーカラーの職業に携わる人が多かった印象です。
たくましいのは中国人やベトナム人といったアジア人やトルコ人やモロッコ人といったヨーロッパより中近東出身の人々。
彼らの多くは若いうちに単体でやってきて、親戚の経営する飲食店などで働いています。
そのうちに自分でもビジネスを起こしたり、現地で配偶者を見つけたりしてその国に定着していきます。
こういうバイタリティって日本人にはあまりないのでへ~と感心することも。
ヨーロッパ全体そうなんですが、某国の景気もここ数年悪く失業率が上がっているので移民・難民に対する風当たりはかなり強まっています。
極右的な思想を持つ人の声が大きくなっていますが、そういう人たちは農民やブルーカラーの労働者層に多いのですね。
外国人をサポートする前に自分たちをサポートしてほしいという主張が高じて難民・移民排除ということになるんですが、
話が散漫になりましたが、住む場所・教育・仕事など社会の一員として受け入れる態勢があって初めて、
移民・難民を受け入れることができるということがいえるという話です。
また、その準備がこちらにあっても様々な宗教や文化背景を持った移民がいるから、
必ずしもお互いの望む形で社会に定着していけるとは限らないということも言えます。
今の日本では移民を受け入れる準備ができているとは言い難いですが…
元日記:http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091130/1259544537
まず第一に、犯罪や事故が起きたら防犯や注意を呼びかけるのは当然。火事が起きたら「火の用心」だし、盗難が発生したら「戸締まり」をしようと呼びかける。これは至極当たり前のこと。曽野綾子が言ってるのは、「レイプされたくなきゃ自衛しろ」ってことで、それは不特定多数の男の性欲を無闇に刺激するような格好をするなとか、夜道を歩くなとか、むしろ常識とも言えるようなことを指摘してるだけ。「刺激的なファッションもいいけど、仲間だけで家の中に籠もってやってろ。そんな格好で夜道をうろつくな」って話。アホなヤツはそれをヒステリックに揚げ足をとって「犯罪者を正当化するんじゃねえ」とか言っちゃてるけど、「戸締まりしようぜ」っつーのは泥棒を正当化する主張なのか?違うだろうが。露出度の高い格好で街中をうろついたり夜道をひとりで歩くのが異常なんだよボケが。
次に、性犯罪被害者が傷つくから防犯を呼びかけるなってのはセンチメンタル過ぎるし被害者の自分勝手すぎる。犯罪や事故の被害者は誰だって(多少はあるけれども)傷つくだろう。例えば火事に遭ったりしたらそりゃあもう大変なショックじゃないか。泥棒にコツコツため込んだお金(例えば一千万ぐらい)を盗まれたりしても相当凹むよね。普通の人だったら、自分が被害に遭ったならなおさら他者に被害に遭わないように呼びかけるべきというか、そう思うものじゃないか。もちろん自分も同じ過ちをしないように気を引き締めてね。
しかしこのイカレた糞アマは「ああかれらがまもりたいのは、わたしのような、あるいは彼女(彼)のような、やられちゃった女ではなく、無垢な処女、あるいは少女なのだ。」なんて考えちゃうわけ。防犯しましょうって意見に対してここまでひん曲がった発想をしちゃうわけだよ。おかしいでしょ?醜い!まったくもって心が醜い。
同じだよ同じ。被害者もまだ被害に遭ってない人もひっくるめて、これから次の被害が出ないように自己防衛をしっかりしましょうって言ってるの。いくら防衛しても被害を根絶することは不可能だろうけど、防衛してなくて、例えば夜道をひとりで挑発的な格好で歩いてて犯されても「そりゃお前がワリィだろ」って話。家の鍵をかけないで泥棒に入られても、警察だって「鍵かけようね」ぐらいしか言えないじゃん?自分に落ち度があるんだもの。雪山で遭難した人が居ても「好きで登ってたんだもの、ある意味仕方ないよね」って思うじゃん?「好きで挑発的な格好をしてたんだもの、ある意味仕方ないよね」ってこと。
だからそれと同じように、被害に遭いそうな行動は慎もうねってだけの話。話のあらすじはこうよ。だから曽野綾子に突っ込むとしたら「主張は正しいけどその喩えは適切でない」ってことになるの。兵隊なんて相手殺しちゃってるしな。夜中に基地の近くに居て売女に間違えられるのは仕方ないかも知れないけど、殺されるのは仕方なくねーって。(売女に間違えられることに対してもヒステリックに反論されちゃ適わんがな。お店に並んでるものは売り物だと思うだろ?)あと、曽野綾子の「結果を期待して」っつーのも何も「結果=レイプ」じゃないだろうに。結果が何というのを明確には書いてないが、普通は「挑発的な格好をすることによる結果=男を挑発すること」ぐらいに考えるんじゃね?「結果=レイプ」と短絡的に考える奴らは読解力磨いた方がいいね。不特定多数の男を挑発した結果、レイプされるのはある意味仕方ないけどね。好きなファッションをしたいとか駄々こねてんじゃねーよお子ちゃまが。調子に乗るんじゃねえ。
第3に、FGMの話を冒頭で持ち出しているが、レイプとFGMはまったく違った問題。FGMは文化としてアフリカに存在するし、親によって行われることが多いので被害者が防ぐことは不可能。しかし、いい歳した女が露出の高い格好したり夜道を歩いたりするのは防げるだろっつーの。本当に自衛できない話を持ち込んで、論旨を無理矢理変えるんじゃねえ。曽野綾子の喩えも酷いが、フランチェス子の喩えはもっと酷いな。
信頼できないという根拠が適当すぎる。
情報に踊らされる、というのは、闇雲に信用しない、というのも含まれると知るべきだ。
判断保留すると言うことは、事実である可能性を十分に認めておく、ということも含まれる。
そうでなければ、真実をいかにも怪しげな形で語ることで嘘だと信じさせる、ということが例えば非常にカンタンに出来てしまう。
状況証拠やメタな推論で批判的に見る、というのは、実はリテラシーとしては非常に危うい。
というわけで、ぐぐるくらいはしようぜ。
http://www.unicef.or.jp/library/pres_bn2008/pres_08_12.html
世界では1億~1億4000万人の女性と女の子がFGM/Cを受け、毎年新たに約300万人の女の子が、処置を受けるものと推定されている。
http://translate.google.com/translate?js=y&prev=_t&hl=ja&ie=UTF-8&u=http://www.who.int/reproductivehealth/topics/fgm/prevalence/en/index.html&sl=en&tl=ja&history_state0=