はてなキーワード: カンヌとは
性犯罪の被害者に対する二次加害発言です。(過去の投稿と重複しますが、未読の方への周知を図るために再度ここで引用します。)
出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記。記述形式は
[ページ数]
(初出)
です。
[p113]
【※】カンヌ・グランプリのロマン・ポランスキー監督作品『戦場のピアニスト』もアカデミー賞の授与は無理だろうと云う話題から。(※訂正:songsfordrellaさんのご指摘のとおり、最初の投稿では『海の上のピアニスト』と誤記していました。お恥ずかしい。お詫びすると共に訂正いたします。)
町山:ロマン・ポランスキー、十三歳の少女との淫行事件でやっぱり授賞式には来れないの?
柳下:保釈中に海外逃亡だから自動的に逮捕されちゃうんですよ。逃亡期間中は時効も停止してるし。
柳下:合意のうえなのに相手が未成年だったから強姦扱い。そもそもあの娘は札付きだったしね。
柳下:ロブ・ロウと3Pして隠し撮りしたビデオを売った少女とか、みんなもういい年だと思うけど、何してるのかな?全員集めて同窓会やってほしいな。
町山:この手の地雷女はいろんなところに隠れてるからな。あ、この場合は地雷少女か。
【※】「(笑)」をまじえながら被害者を「札付き」、「地雷女」呼ばわりしています。
【※】投稿(30)の引用で、過去の性犯罪被害を訴え出た水沢アキや荻野目慶子のことを嘲笑・バッシングしていた時と同じ「性犯罪の被害を訴える人間を厄介者扱いする」と云う町山智浩・柳下毅一郎の思考が、ここでも認められます。
【※】「男尊女卑思想」の持ち主でなければ、このような非人道的な発言は出ないと思います。要するに、町山智浩らは森喜朗や佐々木宏の同類であり、性犯罪の被害を訴える女性は町山智浩らにとって「弁えていない厄介者」なのです。
(初出『映画秘宝』03年vol.41)
【感想】
この「そもそも被害者の方にも問題が有った」論法は、恫喝DM事件が発覚してから『映画秘宝』関係者や町山智浩・高橋ヨシキの信奉者が用いていた―――と言うか、今でもネット上で被害者をバッシングし続けている―――手法です。彼らの思考は変化していないことが分かります。
町山智浩らの女性蔑視的な言動は、決して『済んだ過去の話』ではなく『現在も続いている話』なのです。
【追記】2021/04/01の午前十一時〜十二時ごろ5ちゃんねる上に「はてな匿名ダイアリーの新作が投稿された」と書き込みがされたようですが、その投稿は私ではありません。既に件の投稿ははてな匿名ダイアリーから削除されたようですが、一応お断りしておきます。
【追記その2】以前の投稿に対して、なんJっぽい言葉づかいで絡んで来た人間がいました。それと同一人物か否かは不明ですが、現在匿名掲示板5ちゃんねるの『映画秘宝』関連スレでは、私の「―――」を使う文体を真似して書き込みを行う人間がいるようです。瑣末な話ですが、5ちゃんねるに私は一切の書き込みをしていないこともお断りしておきます。
Twitterで校正紙の指示がすごいってのを読んで興味を惹かれて行ってみた。
久々の遠出、久々の美術館。
まず着いたら遠目から黒い人だかり。
120分待ち。
ちょっとは並ぶと思ったけど、
こんな状況になる前もでかい箱モノの美術館ってそんな行ったことないからわからん。
交通費払って来てるし、並ぶことを決意。
鍛えてない足は並んでいるだけで疲れたけど、
よい日光浴になった。
120分とかビビらせといて人減らして
(対策で閉まってるっていってもこの人混みで今更…と思わなくもないけれど)
チケット買えたと思ったら、入場までにさらに30分近く並んだ。
時間指定とかでまた待たされるのもヤだし、まあ良いよここまで来たら。
はい、やっと入れた〜。
中混んでそうだな〜と思ったら実際めっちゃ混んでた。
撮影禁止って書いてあるのに、展示室スマホ持った不届きもの多いな〜って最初感じちゃったけど
入ってからずっと年配の女性のインタビューっぽい音声がずっと流れてる。
カタカナ語が多いからなんだろうって思ってたら、石岡さんの声っぽい。
なんとなく情熱感じる。
これもQRコードで文字で読めるらしいから、ちゃんと聞き取ろうと頑張らず
とりあえずBGMにして展示を見ることにする。
(校正紙のに惹かれたのと、見たことないけど聞いたことある映画『落下の王国』の人、というのと
好きな映画『白雪姫と鏡の女王』の衣装の人、ということくらいしか知らないで来てるよ)
元々資生堂の人なのかっていうのも知らなかったけど、
反対とかされたのねじ伏せたのかな? 海外ロケの先駆けか〜はあ〜へ〜
実際のポスター、なんか赤い丸に細かい効果線?が効果的なのかな。
よくわからんけど、力強くて印象的だ。
日の丸とか桜とかいろんな図柄やら伝えたい意図、考えを落とし込んでいって
ポスターの形にしてたことが、たくさんのメモから伝わってきた。
おもろーこういうの見たかったんだよ! ってなった。
まずここで圧倒されたよ。
「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」
って一歩間違えれば意味わからんダサくなりそうな、でも力のある言葉を
ビジュアルで納得させられて格好良く感じる。
キャッチコピーの力も大きいけど、
肌の色が濃い人の美しさ? を全面に出してるの
当時鮮烈だったのでは? 今でも新しく感じるくらい。
むしろ今でも通じるというか、今こそ見たい感じもする。
見比べると仕上がりやっぱ良い。
指示怖いとかTwitterで書かれたの見てたけど、怖さは感じず
的確さ、仕上がりを追求する姿勢に圧倒された。
そんでまたまた圧倒されたのが
否が応でも刺さってくる、図のみでこれでもかと訴えかけてくる…
やば…と思ったらやっぱり説明文にD社と著作権で協議したって書いてあった。
でもわかってただろうにそういうの込みで発表した気概がすごいし、
その完成度もすごいんだこれがまた。
あきらかに校正紙と完成品のポスターで手をはじめ全体の立体感とかが違って
(途中エスカレーターとか乗って階変わってまだまだ見れるのか! と量の多さにびっくり嬉しくなった。
「風姿花伝」っていうのを出版して売り込んでくってのが格好良いなあ。
本も表紙だけでデザインセンスがあふれてることが伝わってくるよ。
企画とか舞台とか演出とか衣装とか色々な分野で活躍してたらしい。
石岡さんという方が自ら仕事を創り出せる、切り拓いていく方だったんだろうなあ。
着物の柄、生地、光沢、色合い惚れ惚れした。写真の見せ方も素敵。
舞台衣装、その舞台を輝かせるための舞台がある間だけのものだけど
こうやってじっくり見られるの嬉しいな。
グラミー賞とかトニー賞とか、詳しくない素人でも聞いたことのある賞を受賞されてることをここで知る。
いろいろ映像とかみてなんか暗幕くぐって次の部屋入ったら
床と壁全面金ピカで金閣寺があった。びっくり!
回り込むとなんか金閣寺割れてる。触れないように金閣寺中入れたよ。楽しい。
準備した人、企画した人大変だっただろうなー
展示の期間の終盤に来たけど、床きれいだった。
カンヌのなんか賞獲得したけど日本では遺族とか色々で公開中止で
流れてた映像ダイジェストだけど、ラブホとか神社の鳥居が沈んでるのとか
色々なんかひっかかったのかもねと思わされた。(実際はどこのせいかはわからんけど)
気づかないタイプだから、説明あるとちゃんと理解が深まった気がして嬉しくなる。
熱出した時に見る夢の不思議の国のアリスと孫悟空混ぜたおとぎ話の大人版みたいな?
シルク・ドゥ・ソレイユの衣装も手がけてたなんて
部屋入るまで知らなかった。
子どものとき、テレビで初めてシルク・ドゥ・ソレイユ見たとき、
あとシルク・ドゥ・ソレイユの現状ニュースで見たから
芸術家っぽかったのにできるんだ! って驚いたけど
変な形なのになんかスタイリッシュで、ポケット開いたらハートとか遊び心あるなあ。
色合いも今見てもなんかお洒落だ。
こんな活躍をされていたなんて!
たくさんの壁があったろうに、尊敬。
衣装は中国の伝統的な形を尊重しつつ、たくさんの人数が揃って舞うときの
色合いの美しさに思わず声が出そうになるくらい感動を覚えた。
(こういった光景は、もうしばらく、きっとこの先かなり長い間見られないんだろうと
思ってなんかまた切なくなってしまった。疲れてきたのか? 急に悲観的になってしまう)
白と黒のグラデーションのドレスとか、裾の色変わるのとか、素敵だった。
職人技見られると、無条件で嬉しくなるよね。
この映画大好きなんだよね。石岡さんの仕事で唯一ちゃんと知ってる作品。
布でこれでもか! と作り込まれていて、
見れて嬉しかった〜! 胸元の布の造形が細かくてすごいんだよ。
きっとここも意見取り入れたり試行錯誤した過程があるんだろうなあって見てた。
映画、面白衣装がたくさんあるけど、なんか納得させられるというか、
世界にあっているというか、むしろ素敵というか、説得力あるのが本当良いよね。
説明文でへーって思うところも多々あった。
高校生でこの色合いの絵! すでに実力とセンス光ってる! ってところも驚いたし、
世界に羽ばたくために当時にすでに英語で書いてたってのもびっくりだし、
叶うよ! というか、この方は、自分で掴み取って叶えたんだな。
はーほんと、格好いい人だな。
この人は人生をかけて時代や世界に向かってデザインし続けてたんだなあ。
筋肉とか赤とかいろんな作品を越えて所々で見られるモチーフを見ると
全体総括ではないけれど、この図がぴったりだったのかもしれない。
と、途中所々ベンチで座りつつ4時間近く展示を見て回ったよ。
ギリギリ楽しめるぐらい粘れた。
予想の4倍くらい展示量と濃い内容で大満足だった。
図録買おうかなって売店行ったら売り切れてた。かなり先の入荷だって。さすが。
石岡さんイメージのパフェがカフェとレストランで提供されていて、
久々に良い物、仕事見れたなあ、と大満足。
私は都内のお役所的なところに勤めている者です。うちの職場は、激ヤバ個人情報を扱うからセキュリティが云々カンヌンとかいって、コロナ禍が始まってそろそろ一年経つのに、テレワークが有耶無耶というか黙殺されています。
それでも、春の緊急事態宣言の際には、せめて出勤率だけでも下げて密を防ごうと、週あたりの出勤日数を一人当たり1日〜3日程度にするなど対策しておりました。
ところが、今回の緊急事態宣言においては、全く何も対応しておりません。もちろん、消毒等一般的な対策はしていますが、数百人いる職員は毎日全員が元気に出勤して、ぎゅうぎゅうすしづめで働いています。幸い、まだ感染者は出ていませんが、時間の問題と思います。怖いです。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
韓国人「韓国はパラサイトがカンヌで最高賞、BTSはビルボード1位を記録、最近は愛の不時着が日本のネトフリでも大人気だよねw」
俺「うぅ……」
韓国人「一方日本はちょっと落ち目すぎないかい?ジャニーズ(笑)AKB(笑)が世界に通用するわけないし、
かつて支配してた国に見下される気分はどうだい?w」
俺「ドラゴンボール(ボソッ」
韓国人「え?」
韓国人「あっ、あっ、あっ、(白目を剥き、足がガクガク震えだす」
俺「確かにドラマや音楽では日本は韓国に負けてるかもしれねえ、だがアニメや漫画やゲームの世界ではどうかな?」
韓国人「ひぃっ!!」
俺「手塚治虫や藤子不二雄から”魂”を受け継いだ俺達とお前らでは積み重ねてきた”歴史の重み”が違うんだよ(完全論破)」
俺「とどめだ!”ドラえもん!”」
韓国人「うわああああああああああああああああああああ(絶命)」
最近あった大学のディベートの授業での韓国人の友人とのやり取りな
ふう、危うく論破されるところだったわ
広告クリエイターさんたちから次々に持ち込まれる「新領域アイデア」「広告以外の斬新()な提案」にほとほとウンザリしています。
端的に言って、
その業界知識や先行商品をろくに調べもせず、実際の販売現場も見たこともないで、思いつきのイノベーション()アイデアを持ってくることにうんざりしているというお気持ちエントリーです。
私のところに持ち込まれた企画たちをここで晒すわけにはいかないですが
(本当は晒しあげたい)、実際に広告業界で賞を取っているような事例で紹介したいと思います。
①韓国の「命の橋」
ソウル市は自殺防止のために「命の橋」プロジェクトをぶちあげます。
そのプロジェクトとは、橋の欄干に「つらいんだね」、「言わなくても分かるよ」といったメッセージを掲示して、夜になるとキラキラのイルミネーションで飾り立てるというもの。
https://www.youtube.com/watch?v=PmoG5GBqMw0
いったい、どんな結果が出たか?
はい、正解です。
この施策を行った結果、その橋で自殺する人が「激増」しました。
—ソウル“自殺大橋”の命のメッセージ、かえって自殺激増で撤去へ
https://www.excite.co.jp/news/article/Recordchina_20150901068/
この問題に真摯に向き合っていたら、絶対にこの施策はやらないですよね。
② 3cm Market
https://www.youtube.com/watch?v=hVVTLxxGWfc
日本の再配達問題を解決するために、郵便ポストに入る厚さ3cmの容器でお米やシャンプーを販売。
なるほど。うちの安アパートの郵便入れだと1つ商品が入ったら、もうDMも何も入らないね。たしかにチラシが入らなくなるのはメリットかも。
そもそも再配達問題でボトルネックになっているのは、郵便ポストに入るか入らないか、ではないですよね。
運輸配送ロジスティクス問題について、ほんの少しでも調べたらわかることに目をつぶっているのは不誠実ではないですか。
③Safehandfish
https://news.yahoo.co.jp/articles/05683a44c658a405a09c5b887389bd523593f5d2
コロナの感染予防啓発のために、魚の醤油さしに透明な消毒液を入れてテイクアウトお弁当などに一緒に入れる。。。
んーと、なになに、、、
(引用)今後の対応として、子どもや視覚障がいのある人が誤飲しないよう、同プロジェクト参加飲食店から丁寧なコミュニケーションを取るように依頼。海外の客など注意事項が伝わらないと判断した場合、提供を控えるとしている。(引用)
‥め、めちゃくちゃ手間がかかってるやないかーい!
最近はアフターコロナといったバズワードといっしょに更に増えています。
きっと、こういう反論をするんでしょうね。
なんとなく思いつきの、脇の甘いものでも
世の中に出てさえしまえば、広告賞やメディア取材を受けて、ブレーンコマフォト宣伝会議()に乗って
フェースブックで「こんなプロジェクトやらさせていただきました!」なんて報告して、セルフブランディング()できて、あなた達はそれでいいのかもしれないけど。
昔書いたかも知れない。
概ねのゾンビものと違って社会批判とかそういう大風呂敷はない。ただあるのは人生宙ぶらりんで何もやろうとせず、あるいは何も成就せずただ生きてきた人々。こんな人達がある日緑色の体液を出しながら腐ってゆく。物語後半で主人公はゾンビと自分たちは変わらないと言い始める。言うまでもなく腐ってゆく人生になぞらえたもの。ギタリストを目指して息巻いていた青年、定年後も不本意にコンビニ店員をやってる高齢者。結婚できずにあぶれて何となく生きる女。こういう人たちの人間模様がダラッと描き出されるくたびれた一作。基本コメディです。
どうもこれ、ネット先行公開だったものらしい。以前増田に書いた記憶もあるけど、もう一度。
山田孝之をドキュメンタリー形式で撮った作品で、山下敦弘監督を監修にして山田がいかにカンヌに対して本気かを肉薄しながら、カンヌの傾向と対策はなにか、カンヌを目指すに何が必要か、山田の撮影風景などを赤裸々に描き出します。
山田は中盤以降、何やら曖昧な目標を掲げてホラーまがいの作品を作り始めます。この時点でカンヌ出展関係者は「ジャンル映画は受からない」と酷評。あまりに優柔不断な山田の態度に見かねた芦田愛菜もキレはじめちゃったり、なんだか不穏な空気に。この不穏さを爆笑に変えるエピソードが最後の付近に用意されており、この笑うしかないエピソードを山田は真顔でこなします。まあヨシヒコの山田ですからなんとなく察しがつくかと。
すべての賞レースが「ほんとうに面白い○○は選ばれない。」なんてことは自明じゃないの?
まさか直木賞や日本アカデミー賞が最も優れたエンタメ小説や日本映画を選んでると思ってた?
すべての賞レースは、審査員の好みやその時々の社会性を反映するものですよ。
みんなオスカーがどういう性質のものか理解した上で、議論してますよ。
「社会派のメッセージを混ぜた小難しくて立派で、いわゆるインテリリベラルが喜びそうな作品が選ばれやすい。」
うん、そうよ。その通り。
で、パラサイトが選ばれたから、意外ね、全編英語以外の映画が選ばれるなんて驚きね、
という話をしてると思いますけど…
「JOKERは、アカデミー賞を喜びそうな人間の逆を行く映画だ。要するにアカデミー賞の会員の取り澄ました顔の横っ面をひっぱたく映画だった。」
パラサイトでも最後にアカデミー賞の会員のような善良な上級市民を刺してますけど。
表立って侮辱したわけでもないのに。あの社長、そんなに悪者だった?
アカデミー賞であれ、カンヌであれ、あぁいう映画賞で選ばれた映画を「面白い映画を観ようと」するやつなんていないだろ…
ミリオンダラー・ベイビーなんてクソ陰気臭いぞ
ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポール、ウエストミンスター、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナル、ハロッズ等々。
マンチェスター:何もねえ
リバプール:何もねえ
カーディフ:何もねえ
エディンバラ:何もねえ
グラスゴー:何もねえ
パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。
モンサン:遠い
マルセイユ:汚ねえ
ボルドー:最高
トゥールーズ:汚ねえ
カルカッソンヌ:広い城だけ
ニース:最高
カンヌ:まあまあ
ベルリン:壁壁壁
フランク:何もねえ
ミュンヘン:オクトーバーフェスト、クリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。
ハンブルグ:何もねえ
飯は肉しかないのかよ!
ミラノ:最高
ローマ:汚ねえ
フィレンツェ:最高
ヴェネツィア:最高
ナポリ:汚ねえ
シチリア:最高
ジェノバ:何もねえ
トリノ:何もねえ
ピサ:塔
アマルフィ:最高
チンクエテッレ:最高
マドリー:バルセロナの後だと今ひとつもレベルは高い。プラド、ピカソ。
セビーリャ:最高
マラガ:最高
グラナダ:最高
コルドバ:最高
ビルバオ:何もねえ
サンセバスティアン:飯最高
飯:ウマーーー!
飯:ウマーーー!
チューリヒ:何もねえ
ベルン:何もねえ
山:最高最高!!!!!
オスロ:何もねえ
ストックホルム:何もねえ
飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?
ヘルシンキ:何もねえ
ロッテルダム:何もねえ
飯イマイチ
ブルージュ:綺麗だけど何もねえ
モナコ:綺麗だけど何もねえ
チェコ:
ワルシャワ:何もねえ
アテネ:最高
ミコノス:最高
サントリーニ:最高
飯は素材を生かせればまあ、という感じ。
ドブロブニク:最高
ツイッター面白ワタモテ大好き作家と、綾辻行人が知り合いじゃないと想定する人たちは
あの世界冗談抜きで狭い世界だから、ツイッター面白スナックバス江大好き作家と綾辻行人なんて、京大名物脱糞対決ぐらいの下品なこともしてんじゃないの?(あの事件は京大名物脱糞対決の結果ではない)
ツイッター面白キン肉マン大好き作家のことをあまり知らない人も多いんかな?
あの人は作品の面白さを犠牲にツイッターの面白を手に入れているタイプの作家だから、ツイッターでの知名度だけは他のミステリ作家より強そうなのに、不思議だね
ツイッター面白胎界主大好き作家は、マジでそのお前が好きな数々の面白い漫画たちからいろんなことを学ばずに、デビュー作のルヴォワールシリーズ以降は惰性で作品を書いててツイッターに性能を全振りしてるからこんなことになるんだよ
日曜は憧れの国とか1巻と2巻を合わせて読んでも、ワタモテの連載一回分の情報量もない薄さだったぞ
ツイッター面白喧嘩稼業大好き作家は、もっとそのお前が読んでる面白い漫画からいろんなことを吸収して頑張れよ
語り屋カタリの推理講戯は売れてるのか? 大丈夫か? あれ読みたいぞ、頑張れ。
ツイッターで面白い漫画を紹介するのが仕事じゃなかったんだな……
好きだぜ、円居挽……
観測できる範囲だからツイッタラーって書いたけど一部の女発言がマジ嫌い。
今回言うのは、ツイッターでバズってる長年の女友達に彼氏ができて私悲しい〜私の方が○○ちゃんを幸せにできるのに!😢○○ちゃんを悲しませたらマジでぼこる👊みたいなやつだけど、あのさぁ…、て感じ。
お前がその友達と仲良くて幸せに、つまり不快にさせないようにできるのは少なくとも彼氏よりも長い時間その友達と関わってツボ分かってるからだろ?
そりゃ、初めて会う奴の地雷踏むより長年遊んだダチの地雷踏む確率の方が低いだろ。
絶対その女友達と彼氏はケンカみたいなの起こすよ、それでお前のとこに相談行ってお前はフンガーするだろうよ。それでお前は言うんだ、○○ちゃん泣かせたな!ユルザン!って。
そのバズツイートにぶら下がったリプ見ると釣れるわ釣れるわ女が釣れるわ。
男と女でウンヌンカンヌン言いたくないけど言いたいから言うわ、やっぱ女は繋がりメインで生きてるんだな。悪いとは言わんよ。けど男が男友達に彼女できてこう依存気味なのいねーよて思う。
はぁ…。こういう生き物だて思わないとなんなんだこいつら、なんでそう人様を自分のものだみたいに主張出来るんだ。。おこがましいと思わないのか。 なんでなんだよ…。