はてなキーワード: 立脚とは
日本国憲法の婚姻に関するセクションって以下記述だけなんだよな。
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基
本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の
事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければな
らない。
しかも、2の補記に関しても「結婚する当人ら」のみにおいて法律が制定されるとあるから、実は両人が望みさえすれば兄x妹もしくは姉x弟の結婚は認められてしかるべきものなのかもしれん。
否定される要素ある?
解答はブコメで行うこと。
次の2つの条文に対して明確に誤りであるものを選択肢から全て選べ。
第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。
1. 3人は婚姻できる。
2. 男性A、男性B、女性Cがおり、AとCは婚姻でき、BとCも婚姻できる。
13. 性自任に障害があり戸籍を女性に変更している男性と女性は婚姻できない。
14. 性自任に障害があり戸籍を女性に変更している男性と男性は婚姻できない。
解答はブコメで行うこと。
第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
1. 3人は婚姻できる。
2. 男性A、男性B、女性Cがおり、AとCは婚姻でき、BとCも婚姻できる。
13. 性自任に障害があり戸籍を女性に変更している男性と女性は婚姻できない。
14. 性自任に障害があり戸籍を女性に変更している男性と男性は婚姻できない。
Google八分みたいなのは非常に嫌です。しかし、YouTube、Googleといった私企業のプラットフォームに間借りしている時点で、避け得ない問題だと考えます。ツイッターやフェイスブックのようなSNSでも管理者によるBANは起きますが、これも同様です。
究極的に言論の自由を押し通したければ、自分でサーバーを建てて、既存の動画投稿プラットフォームやSNSに間借りしないで、プラットフォーム自体も自力で構築するしかないと思います。
新聞の投書欄に投稿して採用されないのを言論弾圧と言いますか? 最初から主導権は新聞の編集者が握ってる場ですよ。だったら自分が新聞発行者になるしかない。
「独占的な大企業は社会に対する責任がある」とおっしゃいますが、15年前には多数の人間がみんな利用する動画投稿プラットフォームもSNSもなく、みんな直接テキストサイトをアップしていたじゃないですか。
他人の作った場を間借りする以上、場の提供者に削除の主導権を握られるというリスクは甘受するべきだと思います。個々のユーザーと動画投稿プラットフォームやSNSの関係は契約で成立しているんですから。
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どのような言論でも言論の自由を保障すべきというのはひとつの立場として理解します。
とはいえ、明らかなるデマや誤解に立脚した論は消えて欲しいです、でないと間違った見識が再生産されて拡大される。これは当然左翼リベラル派の主張でも同様。
現状のヘイト動画サイトは、明らかなるデマや誤解に立脚した論が多いので、そういう物に関しては削除されて然るべきです。何か調べようと思って、検索結果の上位に来た動画で堂々とウソが語られていたら困るでしょう。
自分は何も、ネトウヨ動画は全部消せと言ってるわけではない。事実に立脚しつつ、中国政府や韓国政府を批判してる動画ならば大いに結構です。
YouTubeとて、なんJ民の通報を片っ端から何も考えず受理しているわけではないでしょう。通報されたサイトで、「なるほどこれは過度に偏見的過ぎる」「個人攻撃的過ぎる」「事実に立脚してない」と思える物を削除してるのではないですか。
「削除すること」も表現ですよw
文化の盗用とかポリティカル・コレクトネスとかアイデンティティ・ポリティクスってリベラルの思想であるけど。
alt Rightの理屈ってそういうのと表裏一体に見えて、リベラル側の理屈を元に立脚した新しい論調であって既存の右翼の理屈と文脈がぜんぜん違うように見える。
というのをそろそろハッキリさせたほうがいい。
今まではあくまで「ファンの交流活動の一環」という前提があっての同人の世界だったが、
ネットによる同人誌の流通、クラウドファンディングや投げ銭サービスなどの発展で、明らかに異なる文脈の同人活動が発生している。
エロコスプレ界隈なんかは顕著だが、ビジネスとして、金稼ぎが目的化している同人活動だ。
「好き」という気持ちより「流行に乗る」「需要に応える」ことが重視される世界だ。
しかし、二次創作同人の存在が広く認知され、多くの新規層の流入があり、今までの暗黙の了解などは通用しない昨今、
二次創作同人にははっきりとした線引きが求められているのではないかとも思う。
今の曖昧な基準のまま、ファンの感情や企業の気分次第で特定のサークルが断罪されることがあれば、その方が問題だろう。
追記
強調しとくけど、ビジネス目的の二次創作を排除しろって話じゃないよ。
ただマスメディアにも取り沙汰される昨今、そこは議論されるべきじゃない?って話。
権利的にクリアになれば、例えば同人誌の違法アップロードなどへの対抗もしやすくなるだろうしね。
委託販売については、これは今や当たり前になってるけど元々の同人の建前からすれば相当矛盾するのは確かだと思う。
こういう意見を出すと必ず感情論とかお気持ち案件とかそういう反応が出てくるけど、
話に出してる人もいる真木よう子の件を見ればわかるように、そもそも「好き」という気持ち、「表現したい」という気持ちに立脚する文化なのだから、
人権週間とかで「差別は辞めましょう」とか言いすぎたせいで、「差別=サベツ=わるいこと・除外行為・拒否行為・ひどい待遇を強いる」みたいになってる。
この意味では「”不当に” & "優劣を付ける"」ということだ。
原義に照らせば、ビジネスでよく聞く「競合他社との差別化」とかと同じく、「扱いに差をつけること」であって、不当性はもちろん優劣ってのもちょっと違う。差別化戦略はもちろん高級化とかもあるけど、逆にシンプル化を訴えるっていう戦略もあるわけじゃん。
たとえば学歴差別っていうのは厳然とあって、一般には高卒よりは大卒を、中卒よりは高卒を優遇している。逆に人種差別は、人種間で扱いに差を付けてる。
男女トイレが差別にならないのは、基本的には、男女でほぼ利用が同じことが想定されてるとかがあるよね。
護衛艦ではWAVE(女性海上自衛官)の風呂やトイレや生活空間に見方によっては扱いに差を付けてるわけだし、合理的理由とはいえ差別化されてるよね。悪意とか不当性とかばかりに着目しすぎると、差別かどうかが主観的要素にのみ立脚しちゃうし、優劣に着目すると「女性専用車両だって混んでるんですよ!むしろ女性専用車両のほうが混んでるときだってある!」とかいう主張に付き合わないといけなくなる。
アファーマティブアクションについては「格差是正のためには良い差別を積極的にする必要がある」って話だし、障害者福祉政策だって「彼らだけが優遇されてる!ずるい!」みたいな意識をもつ健常者の主張を見ることはママある。
別に足りない部分があるんだから優遇されるべき部分は優遇されてしかるべきだし、いわゆる障害者用トイレ(最近はだれでもトイレって言うことがおおいけど)を見て「広いトイレでずるい!」とかまで主張する人は少ないように、内容と態様が過大でないなら、彼らが優遇されることは良いコトだと思うよ。
まとめると女性専用車両は、それが優遇かどうかはともかく「一部の属性をもって扱いに差を付けている」という意味では差別にあたるよね。差別って用語が気に入らないなら区別・分離ほか自由な用語でいいけど、扱いに差をつけていることには違いが無いよね。ただそれは必要性があってしていることで、あらゆる完全な差別をなくすとか言い出すと障害者福祉・学歴による差・オリンピックの競技成績による差その他あらゆる優劣をなくすとかいうわけわからんことになるのなのだぜって話だと思う。
原因は、「差別」って用語を「差別=悪!」って思い込んじゃう人ではなく、そういう文脈で使ってきた日本当局や各国政府の「差別はやめましょう」とか言う言葉足らずな発言だよね。「人種差別はやめましょう」「門戸・出身地差別もやめましょう」「女性に対する雇用・政治参加の差別も辞めましょう」と明言した文脈でのみ使うべき。
だから女子に対する「出産に対する優遇(=男性との雇用上の扱いの差別化)」「売春被害防止の為の特別な扱い」ほかは肯定される。育児休業については最近は男女格差をなくそうという運動も大きいし、制度上は差別がないはずだけどね。
…○○さんも政治から外交、安全保障まで幅広い分野にわたって、切れ味鋭い評論活動を進めておられますが、その基礎となっているのは源氏物語をはじめとした古典から現代文学まで、日本人の核となる精神文化に対する深い洞察である、そう確信しています。「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」。以前、対談の折に新保先生から教えていただいた松尾芭蕉の言葉です。
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」というのはどう考えても「保守の精神」とやらを追い求めることじゃねえよ。
そもそもこの言葉の意味は、古人がかつて求めた跡(保守)を求めるな、古人が求めた理由や背景を理解して古人が今生きていたらどう判断するだろうかを考えろ(時代に合わせて変化せよ)ってことだよ。形を真似るな心を真似ろってことだ。ちなみに、この言葉は芭蕉自身が引用として使っていて、おおもとを言ったのは空海だよ。「書亦古意ニ擬スルヲ以テ善シト為シ、古跡ニ似ルヲ以テ巧ト為サズ(性霊集)」。書道というのは、古跡(昔の大家の書)に「似る」のをもって「巧み」とは言わない、古意(昔の大家が考えたこと)に「擬する」(大家の気持ちになったつもりになる)のを「善」とする、という意味だ。それを「風雅」にも通じるね、ってやったのが芭蕉の趣旨だ。芸術の創作における風雅なんて、前の人のやったことをただ真似してもただの猿真似だからな。
書と風雅は同じではないが、この点では通じるところもあるかもしれない。芭蕉が言ったのはその程度のことだ。決して世の中の永遠の真理について述べたわけではないし、そもそも「政治」なんて全く畑違いのところにこの言葉が適用できるのかどうかも分からない。なのに何が「示唆に富む」だ。古典を自分の都合のいいように解釈したり正直意味が分かってない人間が使う決まり文句だ。古典引用して僕ちゃん格好いい、って思ったか? 残念、馬鹿を晒しただけだ。だいたい、直前の別の人を褒めた文章で
わが国の悠久の歴史や伝統、文化に裏打ちされた価値観は、世の中がいかに変転しようとも揺らぐことはありません。そうした中で伝統的な価値観に立脚し、真の日本人の精神を復活させる
この発言のどこに「古人の求めたるところを求め」る姿勢があるんだよ。ひたすら「古人の跡」万歳万歳じゃねーか! その時点でこの記事上げてる「メディア」のレベルが知れるわ。
「日本人の核となる精神文化」を欠片も知らず理解もせず、こんな人間に得意げに「教えていただきました!」みたいに褒められるとかホント罰ゲームとしか言いようがねえ。その点は受賞者に同情する。まあ自業自得だけどな。それから、我が国の宰相におかれては、こんな阿呆丸出しの文章を平気で得意げに掲載する程度の自称「マスメディア」に担ぎ上げられて舞い上がっておられて本当に可哀想だ。その程度の人間しか応援もしてくれず周りにもいてくれない、その程度の人間としての能力しか持ち合わせておられないことに同情を禁じ得ない。心ある人には完全に見限られているってことだな。親父はもう少し賢かったのだから、母親がダメだったんだろう。まあ勉強から逃げ回っているとこういう人間になるといういい見本だからせいぜい恥を晒してくれれば少しは世間への教育にいいかもしれない。
「立憲主義に立脚した憲法」って恐らく「立憲的意味の憲法」のことなんじゃない。
一般に「立憲的意味の憲法」はフランス人権宣言を援用して「人権を保障し権力分立が定められている憲法」のことを言う。
この「人権を保障し権力分立が定められている」というのはつまり「憲法による権力制限と権利保障」を軸とする立憲主義に等しい。
普通現代において憲法と言えば立憲的意味の憲法を言うわけで、例えば刑法典の名前を憲法と変えても形式上は憲法だけど実質上は憲法に分類されない。
結局のところ、立憲主義に基づいた憲法がなければ「権力制限と権利保障」を成し遂げる具体法がないのだから立憲主義は成立しない。
要するに立憲主義が成立するには「権力制限と権利保障を謳った立憲主義に基づく憲法が存在」(1)し罰則が無い場合も多いので「その憲法を政治家が尊重擁護する」(2)という2点が必要。
”立憲的=立憲主義に立脚した=「憲法は権力制限と権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)”
”立憲的=憲法に立脚した=立憲的憲法に立脚した=「憲法は権力制限と権利保障を軸とするのだ」という思想に基づいて作られた(=立脚した)憲法を尊重した(=に立脚した)”
という意味として使われる。
”民主的=民主主義に立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)”
”民主的=民主主義制度に立脚した=民が決定権を握り行使するべきだという思想に基づいて運用される(=立脚した)制度を尊重した(=に立脚した)”
というような意味としても捕えることができるのとほぼ同じパターンなんじゃね。
正直書いてて自分でも混乱してきたがな!