はてなキーワード: 生物とは
これは飲み込めないと思う。並外れて内省的なことを自覚してるけど、自分はできなかった。生物としてのリスクを朝から晩まで体が叫んでいるというか、不治の病と付き合うような感覚だった。少なくとも誰かとの結婚を考えてるようなモノガミーが、突然押し付けられて耐えられるようなできごとではないと思う。ともかく自分で整理がつけられる類の問題ではないはずなので、関係を改善するなら相手が君を上手に説得してくれるのを期待するしかないかも
>俺が興味があるのはあくまで文化と性の関係であってフェミニスト文脈ではない
なるほど。
俺がここで主に興味あるのは、文系概念に対する理系知識の導入だ。
かつて人文学では、文化というのはヒトと動物を乖離させるものと理解され、ヒトの生まれつきの本性というのは教育によって如何様にも変化するとされた。「子供は真っ白なキャンパス」などという言葉が事実のように扱われ、男の子を女の子のように育てることで男性の暴力性を去勢することができるとすら考えていた時代があった。もちろん事実は違い、文化とは、ヒトの生物として性質の一形態であり、教育は人間性を変化させる万能の道具などではない。
ヒトの進化適応に関する理解や、脳科学の発展と解釈を踏まえたうえで、これからの社会人文学は理論を作らねばならない。
(フェミニズムに批判的なのはこの点で、根本的に80年代理論であるフェミニズムは理系概念の理解が全くできてない。全ての性差を"ジェンダー"という変更可能な概念に回収せんとする理解で全体が構成されてしまっている)
お前は「あなたが正しいかもしれないが、正しくないかもしれない」という言い方で、文化が現在の生物理論から離れたものである可能性や、教育が万能の道具としての効果を発揮する可能性を、わざと留保している。
それは科学って立場からは認められないものだ。「炭を殴り続けたら炭素が分解して酸素にになる可能性がワンチャンあるかもしれない」「月を実際1億人で調査すればウサギを発見できるかもしれない」と言うようなものだ。
お前がそれについて無知であることは、事実が未定であることではない。
そこを胡麻化すことはぜひともやめて欲しい。
あと、お前はやはり、文化がもたらす性癖の変化に興味があると言いながら、性癖が増えることと性欲が増えることを混同しているようだ。文化は所詮ヒトとしての本性の上にのっかっているのであり、ヒトを変えたりはしないのだということを、再度確認してもらいたい。
自称フェミニスト達は例外なく頭が悪く感情的で自分達の主張を論理的に説明できないので、話を聞いている俺達も誤解している面があったと思う。彼女達の主張を論理的に再解釈するならば、
このように再解釈すれば自称フェミニスト達の一見出鱈目な主張にも論理性が見えてくる。
なぜ自称フェミニストは萌え絵を性的搾取と主張するのか?不快感を覚える性的話題だからであり、不快感から逃れる権利は基本的人権だからである。
なぜ自称フェミニストは被害者のいない事象を搾取と主張するのか?社会構造によって女階層が搾取されているというマクロ視点に立っているからである。
なぜ自称フェミニストは無根拠な萌え絵性犯罪助長論を唱えるのか?フェミニズムが階級闘争だからである。勝利のためなら手段は問うべきでない。
なぜ自称フェミニストは女による男性搾取を認めないのか?フェミニズムが階級闘争だからである。敵に塩を送る必要はない。
なお、自称フェミニスト達のいう性的搾取は国連の性的搾取の定義に反するのではないか?という疑問についても、社会構造によって女階層が搾取されているというマクロ視点に立てば反しない。女階層にとって不快な社会構造を支配階層たる男が性的な目的で作り今も維持していることが「濫用」に該当する。
性的搾取(Sexual exploitation): 性的な目的での、相手の脆弱性や力関係、信頼関係に基づく地位を濫用する行為あるいはその試み。 他人を性的に搾取することによる金銭的、社会的、政治的な利得行為も含むがそれに限られない。
もちろん上記論理は間違った前提に立つ論理であり破綻している。性淘汰は生物全般に見られる現象であり、人為的な社会構造に由来するものではない。非モテ女がモテないのは社会構造のせいではないし、男のせいでもない。ついでにいうと、「性的話題を見聞きすることで覚える不快感から逃れる権利」は今のところ基本的人権として認められていない。
これはこの増田と同じだわ
https://anond.hatelabo.jp/20220917135106
ワイがびっくりしたblogの社員も増田みたいな生物なんだろうな
ほぼタイトル落ちみたいなものだけど、公式のオンラインショップで買って色々と捗ったので書いてみることにした。
超特大オオサンショウウオぬいぐるみと初めて出会ったのは去年から一昨年にかけてのことだったと思う。
観光とも旅行ともつかぬ、午前中に家を出て新幹線の車内でビール飲みながら弁当を使って午後は用事を済ませてホテルに戻って一杯、みたいなよくある一泊二日の旅。
帰りの午前中がポッカリと開いていたのでホテルの周囲をブラブラと散策するかー、そういや京都水族館がペンギンの相関図でバズってたなぁと思い出し、折角なので行ってみることにした。
この時点でオオサンショウウオ自体アウトオブ眼中だったのだが、館内に入るや否や圧倒された。なんなんだ、このオオサンショウウオ推しは!
入口を入ってすぐといえば、もうちょっとキャッチーな生物を展示してあるものじゃないのかと訝る増田を尻目に、彼らはプチャプチャ所狭しと言わんばかりに泳ぎ回り、あるいは何か仲間同士でワチャワチャ、あるいは泰然自若にのたりくたり、と愛らしい姿を振りまいているではないか。
今までのオオサンショウウオ知識といえば和田慎二の漫画「銀色の髪の亜里沙」くらいしか無かった増田は、初めて見るその姿にはノックアウトされ小一時間ほど佇んでしまっていた。元より爬虫類や両生類が大好きなのである。
気付いた時には、頭にあったペンギンの相関図は吹き飛んでしまっており(これはこれで面白かったです。あとクラゲの展示がロマンティックで素敵だったんですが周囲はカップルばかりで浮いてしまってました)
オブジェとして展示されていた超特大オオサンショウウオぬいぐるみに魅了されてしまった。
デカい。とにかく、デカい!人の身長くらいは優にあり、綿がパンパンに詰まったフカフカなお手手(ちゃんと生態に合わせて前脚と後脚の指の本数が違う!芸が細かい!)、キュートな眼差し。模様もキチッと再現され隙が無い。
欲しい~、ねぇママこれ欲しい~!と心の中の五歳児が駄々をこねているのを必死で宥め透かし、この手の施設はミュージアムショップあるから落ち着けと理性でコントロールし、途中の展示は楽しみつつも足早に順路を急いだ。
そして途中の売店で小さいサイズのオオサンショウウオぬいぐるみ達に心を奪われつつ、いざ本丸。そして轟沈。お値段、28,233円なり(現在のオンラインショップでのお値段です。当時もそれくらい)。
さ、さまんえん弱は……途中でブラリと寄った所で買うグッズには……ちょっと、出せないぃ……。
今の自分の視点からは「買えーっ!買えーっ!」とノスタル爺が叫ぶものの、如何せん一目惚れしたばかりだ。愛はここから育んでいくものさ!ご縁があれば、また会える!と、おためごかし
3千円くらいのLLぬいぐるみを買ってお茶を濁しつつ、帰路についた。ちなみに、この子は抱き枕として申し分ない大きさだったので、毎晩ぎゅっとして寝てるよ
帰るや否やオンラインショップをブクマし、時々ページを眺めて入荷があれば値段に煩悶し、売切れたら落胆し、を繰り返していたのだが、最近ようやく清水の舞台から飛び降りる覚悟を決めてポチり、お迎えした。してしまった。最高です。もう言葉はいらない
男が幼少から女として育てられたから自認が最終的に女になったってめっちゃ性自認の開放と食い合わせ悪いよね。
それって生物的な男女、先天的な性自認をあまり考慮せず男・女として育てられたらそっちに寄っちゃいましたっていう至極普通な結果で男が男として育てられたけど内心はずっと女でしたって性自認の齟齬の苦しみとなんも関係ないっちゅーねん。むしろ無理やり外的要因で捩じ曲げることにたまたま成功したパターンのひとつだぎゃ。
そりゃブリジットも異色の経歴に分別がついてきてから苦しんだけど別に普通の人間なら普通に起こりうる範疇の話だよね。
個人的には自認は男であったほうが面白かった・気楽だったけどね。女でもいいけど。それは結局、女として育てられた影響が強すぎたっていう自己コントロールできてない後天的植え付けの被害者。被害者?みたいな背景に見えちゃうからさ。ま、そこに自認にいたるまでのドラマが生まれて生臭い話にはならんのだけれども。
少なくともブリジットは性自認と親や環境に苦しんでいる子供たちから見ての味方・ご同類ではなくて逆に敵といってもいいような立ち位置に思えるなうん。
マジレスすると、フェミニズムが「正しくない」=生物としてのヒトの気持ちに則さないが、故に、必然として生まれてしまうのがツイフェミたちだと思ってる。
思想を思想として正しく獲得するだけの理性を持たない奴らが、生物としての感情だけを振り回してる形だ。
もしもヒトとしてのあるがままの感情が全て正しいという立場をとるならば、確かにツイフェミらは「フェミニズム」よりも正しい
が、まあ、そんな倫理的立場をとることは、さすがに無いよね。アナーキズムもいいとこだし。
逆に言えば、アナーキズムとしては成り立ってるけど。
根本的に20世紀の、理系科学について全く無知・無関心を貫いていた頃の人文学が生み出した発想である「フェミニズム」は、そういうところで弱い。
ヒト種という生物は平等な扱いが好きではない、という現実を無視するために
「女の子は弱いから男が守ってやるのが当然」っていうのは、方便。
男が女におごったり親切にする(=格好つける)のは、それに見合うものが欲しいから。
当たり前だけど男は見返りを100%求めてるわけじゃない。たま~に出るヒットのために日頃からせっせと女におごっている。
一方の女はメスを餌にして寄って来た中で良い遺伝子持ってそうな男を捕まえるってのが、生物としての本能。
当然(自分の意志とは関係なく、女の遺伝子が)メスを出せば、へんな男も寄びよせてしまうからそこで事故も起きる。
だから「男が女に親切する」のと自立だのなんだのって言うのは、まったく別レイヤーの話。
こじらしちゃった人達がメスを売りにしちゃダメだとか、メスに寄ってくる男は悪いとか言い出しちゃったもんだからおかしなことになってる。
人がたくさん辞めた。表向き会社はうまく回っているように見えてちっともそんなことはない、各々HPを使い果たして回るようになってるだけ。もう私にはキャパシティの貯金がない。筋金入りの無能なのに肩にいくつも案件がのしかかってて笑える。自分が休めば他の人に負担がいくのが火を見るより明らかで、そう思えば思うほど身体は重くなる。
夏の終わり。まだ少し暑いけど太陽の光が心地いい、だのに平日は会社に缶詰、休日は疲れて夕方まで眠る、生物としてこんなの正しくない!!!と胸中で叫ぶ。今日も昨日に引き続きとってもだるい。逃げ出すことは甘えなのにもうそれしか考えてない、でも具体的な施策はなんにも!ない!終了!
親になることでこういったことを学んで成長するということを否定はしないが
でも親になるってことは人間という生物を飼育するのに最低限どういった環境が必要かを直接毎日要求されることなんでやっぱりかなり根本的な人生を生き抜くための「やさしさ資格」を取得した感じになるし、今までの自分がいかにやさしくなかったかとか、自分と半分同じ遺伝子を毎日観察するのだから自分自身が外から見てどういう個性だったかもわかる
元々が調子ぶっこいた傲岸不遜な冷酷野郎だったけど親になって人生で初めて思いやりの概念を多少知ったというタイプの奴が「やはり親になることで人としての優しさを学ぶことは大切…」とか言い出すのは我慢ならない。それはお前の人格がカスゴミだからだぞっていう話。
エロ同人作家はヌくとエロが書けなくなるからヌかずに自分のおかずにするエロ同人をかきあげるときいた
その話でいくと「結婚含めた人生そのもの」にあこがれを抱く作家は結婚という人生のうまみをあじわわずに「結婚てのはさぞうまいんだろうな」という気持ちだけを練り上げて書けばいい、わけなんだけど
それでずっとやっていけるかというと老境はたいてい全員「若い人生さぞうまいだろうな」という気持ちになれてるのでおじいさんおばあさんが若者をうらやむがなにもしないというつまらん増田のごとき金取れない匿名日記にしかならないんよね
やっぱりどっかで人間的成長はしたほうがいいとおもうし親になるってのは一つの成長だとおもう
大江健三郎とか今からみると障害児の親としては全く完璧じゃない(昭和の男親らしいよ)んだけどそれでもネタにしてたわけだしね
もちろん火星行ロケットの指揮とか消防・救急で夜中でもたたき起こされていて、まともな家庭生活は送れていないが宇宙科学だの救命医学だのについてめちゃくちゃ成長を積んでいる人も世の中にはいる
でも親になるってことは人間という生物を飼育するのに最低限どういった環境が必要かを直接毎日要求されることなんでやっぱりかなり根本的な人生を生き抜くための「やさしさ資格」を取得した感じになるし、今までの自分がいかにやさしくなかったかとか、自分と半分同じ遺伝子を毎日観察するのだから自分自身が外から見てどういう個性だったかもわかる
(もちろん親にならずに介護資格や看護師資格、医師資格をとってやさしさレベルをあげてる人もいるから100%ではないけどね)
フィリップマーロウじゃないけど強くなければ生きて行けないし優しくなければいきていく価値がない
なので親になって最低限の強さ・やさしさ資格を取得しておけばそうそう無駄にはならんとおもう
※一度親となってから離婚した人が若い異性にもてやすいといわれるのも、ファザコン・マザコンといわれるやさしさ好きなアダルトチルドレンにモテてるのである。
第17条
法第22条 の規定により水道事業者が講じなければならない衛生上必要な措置は、次の各号に掲げるものとする。
一 取水場、貯水池、導水きよ、浄水場、配水池及びポンプせいは、常に清潔にし、水の汚染の防止を充分にすること。
二 前号の施設には、かぎを掛け、さくを設ける等みだりに人畜が施設に立ち入つて水が汚染されるのを防止するのに必要な措置を講ずること。
三 給水栓における水が、遊離残留塩素を〇・一mg/l(結合残留塩素の場合は、〇・四mg/l)以上保持するように塩素消毒をすること。ただし、供給する水が病原生物に著しく汚染されるおそれがある場合又は病原生物に汚染されたことを疑わせるような生物若しくは物質を多量に含むおそれがある場合の給水栓における水の遊離残留塩素は、〇・二mg/l(結合残留塩素の場合は、一・五mg/l)以上とする。
知らんけど
正直なところ繁殖じゃん?
そういう循環を考えていくと
子を成さないのは良くないし
循環に与しない死体処理も良くないし
恋愛弱者だろうが
生物としての存在意義は、子を成すことのみが唯一正解なのではと思う
でももう淘汰確定なのでどうしような
せめて創造主の覚えを良くするために
子を成した人々に媚び売っていくのが最善の戦略な気がする
ガキ産んだから世界の半分を知ったったとか言ってるけどそれはさすがにおまえの世界は狭すぎるだろ、って話だよね。
多分こういう単純な人間には想像も出来ないんだろうけど、世界にはいろんな人が住んでてそれぞれ全く違う人生を送っているわけよ。ガキを生んだ人間も産んでない人間もそれぞれ全く違う人生を送ってて、ガキを生んだ自分ひとりの人生だけで他のガキを生んだ人の人生もガキを生んでない人の人生も測れるわけはないわけ。どう考えても。おまえがガキを生んだっていう体験はおまえだけの体験で、それを知っても世界の半分なんて分かるわけないわけよ。おまえが知ったのは「おまえの世界」の半分で、自分自身の世界さえガキ産まなかったら半分も知らなかったんだとしたら、それはおまえの頭が悪すぎるってだけの話なのよね。
そんでな、自分のガキ産んだだけで「他の人間の世界」も半分知ったと思ってるなら、それはただ頭の悪い勘違いだからあまり公言しないようにな? この人頭悪いのかな?と思われるだけだから。
で、このようなごくごく常識的な、普通の人間なら当然知っているようなことを話して聞かせると逆ギレして「年金ガー」とか言いだす頭の悪いのが思いの外多いんだけど、オレが年金を受給できるのはオレが保険料を納めて年金制度の維持に貢献してきたからで、おまえのガキが保険料を納めるのもオレのためじゃなくてそのガキが将来年金を受給するためなんだわ。自分のためにやってんの。自分のためにやってることを「あなたのため」とか言いだすのはもうモラのハラだから。しかも年金制度に貢献するのは保険料を納めてる人で「その人間を生産した人」じゃねーんだわ。自分の子供の手柄を自分のことのように言うんじゃない。恥ずかしくないのか? だいたいおまえがガキが出来たのも自分がなんかイイコトしたからだろうが。自分のためにやった事を「社会のため」とか言いだすんじゃないよ、図々しい。むしろ社会のためを考えたらおまえのような低級国民は繁殖しない方がいいんだから。おまえのガキは貢献どころか生ポ受給者になって社会にぶら下がる可能性の方が高いのよ?おまえのガキだから。「おまえはガキなんか持たずにもっと優秀な国民の繁殖に協力しろ」とか言われたらヤだろ? それをおまえが望んだ通り繁殖の機会を与えていただいてるのにガキ産んだだけで役に立ってるとかね。もう今年の「いつから勘違いしていたんだ?」大賞よ。
とまあこのように本人もうすうす勘づいてるんだけどなるべく見ないように目を背けていた現実にやんわりと目を向けてあげると「生物として」とかあたかも「自分自身の無価値さが繁殖という生命の目的を達することによって補完される」みたいなスルドイ頭の悪さを開陳するレア珍獣も稀によくいるんだけど、おまえは創造論者か! キリスト教原理主義者か! 生命に目的などないしデザインも設計も戦略もない。複製をつくれば複製が残り、つくらなければ残らず、複製を二個以上作れば数が増えていく。それらは単なる事実であってそこには正誤も善悪も優劣も勝敗もない。生命にとって「残る」は単に「残る」であって「勝ち」ではないし、「数が増える」は単に「数が増える」であって「善」ではないのである。複製が残ることが嬉しいと感じる者がいるのと全く同じようにそんなことは嬉しくもなんともない者もいる。正誤はない。複製をつくれば複製が残るというだけだ。複製を残すのが嬉しいものは存分に嬉しがればいいことだろう。そこでガキを生むやつが「自分が嬉しい」だけでなく「人間として正しい」とか「社会的に上」とか「生物として優」とか「他者から価値を与えられたい」のはなんなんだろう? まあ本人がそうすることで幸せならそれでいいんだろうが「親の劣等感や無価値感を補填するために使われる子供」というのはそこそこ不幸になるんではないだろうか?
まあそれもオレのガキじゃないからどうでもいいんだけどね。とことん不幸になっても。ガキの親にとってもどうでもいいんだろう。自分が嬉しければ。