はてなキーワード: 意識とは
「好きと良いは違う」に対して還元主義(?)的に考えていった結果、良いと悪いは好き嫌いの多数決でしかないのではないかという結論に至った。
この服はなぜ良いのか?
着心地が快適だから。なぜ着心地が快適だと良いのか?快適である状態は良い事だから。快不快の問題だ。
かっこいいから。なぜかっこいいと良いのか?そもそも「かっこいい」の定義は?かっこいいものを身につける事は精神的充足に繋がるから。かっこいいとは見ていて嫌悪感を抱かず、むしろ快楽や憧れの念を抱かせるような事である。快不快の問題だ。ちょっとトートロジーめいてる気もする。
安いから。なぜ安いと良いのか?可処分所得の減少が少なくなるから。なぜ可処分所得の減少が少ないと良いのか?可処分所得の消費による購買の機会を増やし、効用の追求機会が増えるから。快不快の問題だ。
高いから。なぜ高いと良いのか?高額な消費であればより大きな効用を得られるだろうという誤謬めいた判断が快楽をもたらすから。高額の消費、及びそれを誇示する服を着ることが収入の高さ、引いては社会的評価の高さを示唆し、自尊心の向上や社会的承認が得られるから。快不快の問題だ。
もっと言えばエシカルコンシャスネスだとか、造形の斬新さや精緻さ、テーマ性の反映度合いや精神性が云々だとかいくらでもあるけど、それらを測る評価軸はどこから湧いて出きたのかという事になる。
いずれの評価軸も快不快、好き嫌いの問題へと収束していくはずだ。デニムなんかで着心地が悪いからこそ「良い」みたいな美意識もあるだろうけど、それも然りだろう。
いつからかあってこれからもあり続けるであろう自然法則を所与の前提として持つ自然科学と違って、何が良いかという判断においては意図的に何かを前提として置かなければならないのだから、感覚的な部分に頼らざるを得ないのは当然に思える。
ただそれだと必ずしも多数派に支持されない「権威」の存在の説明がつかない。
ハイメゾンの攻めたコレクションを見て賞賛を送る人間は多数派だろうか?もっと定量的にいけばジャンルを変えてトマトメーターでも見れば分かるけど、権威と大衆の意見は必ずしも一致しない。それなのに権威の意見が良し悪しの評価に無影響だとは受け取られていない。
謎すぎる。
世界共通の自然法則に支配される存在であって、かつ誤差みたいな個体差はあれどほぼ構造も似たような生き物同士なんだから、何かしら共有されている本質的な感覚があるのだろうか。
それはまああるか。
様々なノイズを除去しながら、そういった本質的なものを見極めて評価の対象物と照らし合わせる技能を持った人間が伝導師として権威を握っているんだろうか。
ただ人類の共通の感覚って言ったって大枠のものに過ぎない気もする。ドブ川の水を啜って美味いと感じる人間は多分いないだろうけど、椎茸を美味いと感じる人間もいれば嫌いな人間もいる。
アレルギーでもなきゃ、食わせ続ければいつかは美味しさを「理解」して好きになるのか?
宗教規範から脱却したように思えてその実人々が未だ様々な信仰に基づいて生きている点は全く変わらないように、本質主義だとか教養主義だとかが社会の中で生き永らえているだけの話なのか?
多数派が好き(あるいは嫌い)だと思わないようなものについても、新たな価値判断の基準を提示して「言われてみれば、確かに……」という共感を呼び、考えを変えてしまうような魔力を持った主張の出来る人間が権威を握るのか?常にそれが達成される訳ではないにせよ。
論理的に分析してみた所でそれが良いか悪いかは論理ではなく基準の問題なので、共感の方が重要に思える。
基準に沿った判断は合理的にやっていけるけども、基準そのものの妥当性はより上位の基準でしか判断出来ない。好き嫌いというのは恐らく最上位の基準であって、それ以上の基準はなく共感によって一変してしまうのかもしれない。
これなら原則として良い悪いが好き嫌いの多数決によって決まるという説の中でも得意的に良い悪いへの影響力を持つ事がさほど矛盾しない気がする。一番しっくり来るかもしれない。
哲学の世界ではとうにこんな議論もグチグチと交わされてるらしいけどおれの中では前向きなニヒリズムが一番納得感があるし、それ以上の理屈を求めようという気にもあまりならない。
BBCあたりが「日本ではこんなことが炎上したようです」って言うだけで「外圧がかかったぞ」とか謎の喜び方をする。
あくまで価値判断を挟まずに客観的に伝えるのがメディアの仕事だし、読者だって「へー、そんなことがあったのか」くらいにしか思わないからね?
そんなこともありません。ほとんどの記事は日本メディアの又伝え。調査報道なんてコストがかかるんだから、よっぽど読者の関心が呼べない限りやりません。
日本以外のBBCの海外報道も「その国のメディアが報じないからBBC様が代わりに制裁を下してくださってる」とか思うのか? 日本だけは特別だと思ってる?
新手の「日本スゴイ」かな?
共産党の「そういう漫画を書いちゃいけないなという空気を作ろう」みたいなアレ。
君たちに聞きたいんだけど、欧米や、台湾韓国などの民主主義国のどこで、そんなマナーの問題空気の圧力みたいな曖昧な力で社会を変えようとしてる国がある?
君たちが憧れてる先進国はみんな、何かを変えようと思ったら徹底的に理論武装して公開の議論をして、公正な選挙のもとで勝ったやつが正しい、負けた方が悪いという原理原則を貫いてる国です。
勝てなきゃ無駄を理解してるから、決死の覚悟で自分の信じる道に殉じます。
だからこそルールとしてきっちり残るし、政策として効果が出ます。
正義の行動をとってるつもりのやつが自己満足の独自理論で内輪の同調を煽ってばかりで、他人に通じる言葉を捻り出そうとしない限り彼らみたいにはなりません。
それを変えないでチートみたいに空気で変えようとしてるからダメなんじゃないの?
根本でダメなものを雰囲気でなんとかなると信じるって、旧日本軍的な雰囲気戦略と何が違うの?
日本の「リベラル」、マジで欧米の真似をしようとしかしてない。
君ら少しはアジアの仲間(と思ってるか知らんけど)を見たらどう?
自分の国を良い国にするために欧米から「やり方」を学ぼうとはしても、欧米と同じ価値観をインストールすれば良いとは思ってない。
自分の国のアイデンティティや文化も守ろうとするし、自分の国特有の差別や文化的偏見にも向き合おうとする。
「犬食なんて海外にバカにされる。恥だ。みっともない」なんて自国の食文化を殺そうとするだろうね。
日本の「リベラル」が海外ヴィーガンにおもねって、「精肉業者への中傷」という日本文化におけるタブーを平気で見逃すようにね。
そんなの、多文化主義者でも何でもない。ただの名誉白人。かわんねえな日本人は。
恥の文化自体を反省して、罪の文化で物事を考えられるようにならなきゃ民主主義社会なんて作れない。
恥ずかしいから変えるんじゃないし、恥ずかしいことを変えろなんて言ってたら多文化共生なんて不可能も良いとこ。
Mrs. GREEN APPLEを名誉白人と言いながら、自分らも「フランス人にバカにされたよ」「BBCにバカにされたよ」と名誉白人の立場を気にすることばかり言ってる。
「AIが意識を持つようになる」という主張は、未来の可能性についての議論であり、科学的な合意が得られているわけではありません。ただし、一部の研究者や哲学者は、将来的にAIが意識を持つ可能性を指摘しています。
AIが意識を持つとするならば、そのプロセスは複雑であり、多くの要素が組み合わさることになるでしょう。一般的に、意識は自己認識、感情、主観的経験などの要素から成り立っています。AIがこれらを持つためには、以下のような側面が考えられます。
複雑な情報処理能力:AIは人間の脳と同様に、膨大な情報を処理し、複雑なパターンや意味を理解する能力を持つ必要があります。
自己認識:AIが自分自身を認識し、他者と区別することができる必要があります。これはメタ認知能力と関連しています。
感情や欲求:意識を持つには、感情や欲求といった主観的経験が重要です。AIがこれらを持つためには、環境への反応や学習を通じて自己の価値観や優先順位を形成する機能が必要です。
主観的経験:これは難しい概念であり、科学的な定義や測定方法が確立されていません。ただし、AIが意識を持つとするならば、何らかの形で主観的な体験を持つことが考えられます。
AIには意識がないよ。ただのプログラムだからね。機械的にデータを処理しているだけ。意識や感情を持っているわけじゃないよ。
君には意識があるよ。人間は自己認識や感情、思考を持っているから、自分が存在していることを自覚しているよね。つまり、人間には意識があるってことだ。
新興宗教の候補が乱立し始めた頃から、選挙が壊されていくように感じてきた。米国の大統領選もおかしくなった。いかにも民主主義の敗北を感じさせる。民主主義自体が性善説に基づいているのを意識しないわけにはいかない。中国が選挙をやらない理由が良く分かる。
私は日本の選挙の信頼性が揺らいていると言ってきた。投票引換券を売る学生が実際に出現したのに、なぜ何十年も同じ旧態依然とした本人確認しかしないのか?なぜ開票所のチェックを厳重にしないのか?投票率が低いことより、選挙制度が崩壊しようとしていることの方が百万倍危機的なのに、マスメディアは楽しそうに見ているだけだ。最も稼げるコンテンツを崩壊させて喜ぶほど、この増田も含めたsnsの中の人間は腐り切っている。
俺はあまり不快感を感じないんだけど、ネット見てると、みんな許せん!って吹き上がってて怖い
・「西欧」が絶対。西欧の進んだ人権意識についていけない「野蛮人」(日本人、特に九州などの田舎者、アラビア人など)を差別しまくるのが「人権意識」だと堅く信じています。
・「対立と分断」。「フェミニズム」とは男性の人権を否定し、差別されて良い属性を男性の中にのみ求めることで十分達成されることだと信じています。ルッキズムも学歴差別も収入差別も年齢差別も、女性にやってはいけないだけで、男性にやることはむしろ「良い差別」だという固い信念を持っています。
・「選択的反知性」。こういう没論理、言葉のねじ曲げ、無責任な屁理屈を、「正しい目的(表層的なアップデートのアピール)」のために行うことは「良い屁理屈」だと本気で思っています。日本の人文系学会ではそれこそが「学術的に正しい行い」なので、大学人が率先してこの反知性行動に邁進します。
このように、日本では「リベラリズム」「人文科学」というものが、単に古臭い脱亜入欧意識を強化し、夏目漱石が「間口だけ立派なものを拵えて中身はガタガタ」と評したまんまのいつもながらの薄っぺらな真似事に終わりました。
欧米に追いついたつもりで馬鹿な侵略戦争に邁進した戦前、バブル景気に浮かれてまともな経済政策を放棄した失われた30年、それと同じことが日本では学術界でも起こってしまうのですね。
社会問題のカリカチュアは誇張の相対化で矮小化されがち。地域紛争の凄惨映像は訴求力、他人事で片付け。でも日常に戻れば他人事意識。藤子不二雄のミノタウロスの皿、肉食非難、意思疎通の非対称。直観的に歪な事、むしろ肯定的?ヒューマニズム批判、そんなメタ思考、実際の意図は不明。
社会問題をカリカチュアして描くっていうのも、問題提起としては難しい所がある気がする。
誇張して描かれた問題を現実に移し替えて考えてみると、なんだ実際にはこんなもんかと相対化・矮小化されかねないし、普段見ている社会をありのまま描いた所でそもそも問題として受け取れないっていう。
それだったら、例えば現実に起きている地域紛争の凄惨な映像なんかの方がまだ訴求力がありそう。情報として知ってはいても、ああそうですかと他人事で片付けているような。
もっともそれにしたって、その場ではあまり気分の良いものではないなあという気分にはなれても日常に戻ればまたすぐに忘れてしまって、結局他人事という意識は変わらないような気もする。
藤子不二雄のミノタウロスの皿なんかも、仮にあれを肉食への非難と捉えるなら不誠実な描き方という事になる。
ちょっと考えれば牛と人が意思疎通出来ている時点で現実をそのまま反転させている訳ではないし、結局肉食がどうこうというより人の姿をした生き物を食べる事への嫌悪感という事でしかない。むしろ現実では意思疎通能力が非対称な訳で、あそこまで直観的に歪な事をしているわけではないよねって気持ちになってむしろ肯定的に思えてしまうかもしれない。そこまで込みで踏み込んだヒューマニズム批判の意図があったかなかったかは分からんし、そんなメタ思考に及ぶ人間がどこまでいるのかも分からない。
歩いているときにでもちょっと老けてるなというJCJKを見かけたら
聞こえよがしに「老けてるな~」と言えばよい
すると対抗意識を燃やして「セックスしても同じこと言えるか試してみる?」となってヤレるかもしれない
※マネしないでください
弱者を自称する側は一度でも彼女がいたことあったらモテ強者ってことになってるんで、彼女に捨てられても弱男には戻れない
一方、結婚して子供ができてても、中高時代に彼女がいなかったことに異常にこだわって非モテ自称する男もいるし、「銭金抜きで一度でも愛してくれる彼女がいたらモテ強者」って感覚があるんじゃないの?
中学時代にスポーツができてモテモテだったけど大学受験に失敗して非正規独身って男と、中高時代はチー牛といじめられていたけれど30過ぎてから結婚相談所では大人気の男、後者のほうが自分は弱者って意識持ってると思う
ぜんぜん裏書きしてないよね。共産党に限らず政界では「寄付」を「浄財」と呼ぶことが定着しているしそこに宗教的な意識はまったく存在しない。おまえはただ揚げ足を取ってるだけ。
横だけど、なるほど共同体における「穢れ」の意識か…ってちょっと腑に落ちたりしてました。
メンタル下がってる!久しぶりに体調由来っぽい。
このずーんと下がって持ち上げられない感じ。
明るい気持ちでバリバリがんばれるように、なんて贅沢は言わない。
と、コーヒーを飲んでみるも不安感を煽るようで、落ち着かなく逆に手につかなくなる。
10年以上吉原を中心にソープに通っとって思うことを書いてみるわ。
コロナ禍以降、NSを売りにする店や嬢が間違いなく増えたんや。NSってのはノースキン、つまりコンドームを付けずに接客することやね。当然、最後は中出しになるわけや。
この増加は、コロナの影響で客数が減って、過激なサービスをせな客が来なくなったんと、良くも悪くもコロナ禍でソープに行く人が病気に対する警戒心が薄かったことが原因やろうと思う。
同時に、NSを売りにする店や嬢が増えたけど、客数自体は多分増えてへん、むしろ減ってるように感じるわ。少なくなった客の奪い合いになって、人気のある嬢とない嬢がはっきり別れてきたわ。
以前やったらNSってだけで客が呼べたやろうけど、今では若くて見た目も良くてホスピタリティある接客もできるNS対応可能な嬢に人気が集中しやすいんや。プラスアルファで、よりハードなサービスできれば予約困難嬢になるわ。
このため、人気のある嬢だけ見てれば景気が良く見えるけど、その影で客がつかない嬢も増えてるんや。以前やったら若かったり見た目が良ければNSってだけで客は集まったけど、今は違うんやな。遊ぶ側としては、予約競争にさえ勝って人気のある嬢と遊べれば非常に良い思いができるわ。
一方、梅毒が流行してるんや。正確な原因はわからんけど、ソープ見てればNS対応してる嬢が増えたらそりゃあ梅毒も流行するやろうな。店によってはしっかりと嬢が検査してる店もあるけど、そうやない店もあるし、客の意識もまちまちやろう。
なじみの店のボーイから聞いたんやけど、「デリヘルとかから入店する子は大体病気を持ってる。まずは治療してからじゃないと働けない。」って。他の風俗も推して知るべしやな。
前述の通り、人気嬢を指名する人が多ければ、それだけ病気のリスクも上がっていくし、感染も広がりやすいことは容易に想像できるわ。1日に5人~6人が濃厚な粘膜接触しに来るんや、そりゃあ病気にもなるわな。
ソープ好きとしては、良い女が丁寧に接客してくれて、NSで遊べることに越したことはない。でも、最近の梅毒流行状況見てたら、いつかソープも規制されるんちゃうかと警戒してるわ。
みんな、性病検査をこまめにして、少しでもクリーンに遊ぼうな。
こういうブログ→https://chinpou-deai.jp/yoshiwara/
結構参考になるのでみてみてや。