はてなキーワード: フォーマルとは
に対して、
https://www.w3.org/TR/jlreq/ja/
第三章あたり参考な。
を見ると、
3.1.1 縦組と横組で異なる約物など
横組で使用する句点類(cl-06)と読点類(cl-07)の組合せには,次の3つの方式がある.
、。
,。
,.
つまり、どっちでもいいんだよ。
デザイナーをしているものだが、個人的に五輪エンブレムは納得のいくものだったので、ネット上に蔓延したダサいという意見には戸惑った。
同時にそれをダサいと感じる人々の理由を知りたいと思ったのだが、困ったことにそれを説明できている人が自分の観測上、いなかったのだ。
例えば、五輪制服に関するダサさ、あれはわかりやすいし説明も納得もしやすい。制服でありながら一般のフォーマルの文脈をあまりに逸脱しているからだ。あれがダサいことに異論はない。
しかし、あの五輪エンブレムはロゴデザインとしてはかなりスタンダードなのだ。落ち着いたトーンやスタティックな図形の使い方は均整も取れている。日本の伝統的なハレの三色を少ない面積で入れるあたりも、非常に王道だ。要するにかなり保守的な、ハズレの要素の少ないデザインなのだ。
それに対し、暗い・躍動感に乏しいというのならわかるが、このスタンダードなデザインをもって単に「ダサい」と言ってしまう人々というのは、正直言えばそもそも洗練がどういうものか理解していないのではないか、要するにこの人たちの感覚こそがダサいのではないかと思ってしまう。(シンプルなアップル製品を「ダサい」と思う人々もいるのだ)
また、広告会社への不信・不満は特にネット上では顕著で、その先入観からの印象も大きいのではと思う。個人的に勘繰ったのはネット上の佐藤可士和へのdisの雰囲気で、その流れからシンプルなロゴ=ダサいに至った可能性もあるのかなとは考えた。
要するに、五輪エンブレムの炎上の発端は偏見に基づくもので、エンブレムそのものについては正当な批評がされることなく話がゴチャゴチャになってしまったと思うのだが、どうか。
ちなみに、パクリかどうかの判断は一切無視して書いた。純粋に、パクリ騒動が起きる前に上がった「ダサい」という声について考えたかったので。
大阪芸術大学教授・純丘曜彰氏の発言への疑問を述べた記事に、氏から応答があった。
元の記事
「五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言」
http://anond.hatelabo.jp/20150903062450
純丘氏の応答
http://www.insightnow.jp/article/8644?page=6
もう佐野研二郎氏に関わるような話題は終わらせたほうがよいと考えているので、
議論がふたたび活発になるようなことは望まない。
筆者から疑問を投げかけ、氏がそれに答えてくれたので
パンチ一発ずつ(?)ということでこれ以上の応酬はやめようと思う。
なぜか筆者が「チャレンジャー」ということになっているが……
ただ、わざわざ返答をくれた氏に対してこちらからの感想とちょっとした考えを述べておきたい。
加えて、幻となってしまった佐野氏のエンブレムへの所感を残して旧エンブレムについては最後とし、
次のエンブレムについての思いを記そうと思う。
「ニーチェの綴りが2ちゃんねるでどうこう、ということだが、なんのことやら」(純丘氏)
炎上という非常事態に対してまさにこの「なんのことやら」という意識で臨み、
周辺に挙がっている言葉(火種)をそのまま拾って記事を作るということが、
■色の件
一般の人が読むことも考えて説明を加えたのだろう。
残念だがこちらの疑問に答えたものではなく、新たな論点もない。
この項を借りて…
氏の表象論などを用いたデザインに関する言説は(半分以上フィクションとしてだが)みな
■純丘氏の社会的影響力
非常にあったと考えている。
それは、(失礼だが)純丘氏の所論が正しく、力強かったからではない。
識者の言質さえ取れればいい、このフリップのこのスペースが埋まればいい、
そんなノリでコメントを拾っている。
8月10日、純丘氏のこの一文を読んでびっくりしたのをよく覚えている。
「このデザイナーがpinterest、その他、ネットのかなり奥深いところから
巧妙に素材を拾ってきていることが完全に明らかになってしまった」
Pinterest ついては、この時点では「完全に明らかになった」といえるような
証拠は出ていなかった(強く紐づけられるものがせいぜいニーチェの件で、
結局、最後まで確たる証拠といえるようなものは出てこなかったと考えている)。
しかし、この記事は一気に広まり、その後のムードを作っていったように思う。
純丘氏には、「佐野エンブレムを下ろしたい」というご自身の希望を
初見でロゴだけを見たときはあまりいい印象をもっていなかった。
が、明滅するアニメーションを見て選ばれた理由がわかった気がした。
その後は、騒動の最中ではあったものの見慣れていき、黒がよい主張と映ってきた。
CM でスポンサーロゴの両脇を固めたオリンピックとパラリンピックのエンブレムにはリッチで崇高な印象をもった。
黒のことがよく言われるが、プラス方向に見ればゴージャス、フォーマルな色である。
もちろん、この強い色の使用はチャレンジだった。
桜のリースのようなデザインもすばらしいが、今回の選考委員の半数はチャレンジを選んだ。
オリンピックでこれまでに使われたことのない「黒」も、
選ばれた主な理由だと考えられる「組み替えアイデア」も、チャレンジであったと思う。
選ばれることがすなわちよい結末になるとも限らない、そんな不安がある。
何か思い当たるふしなどなくてもだ。
コンペではよく「勝った」「負けた」という言葉が使われる。
新国立競技場のコンペについて伊東豊雄氏もはっきり「負けました」という言葉を使っていた。
「芸術も、学問も、勝った、負けた、の話じゃない。なにが本当か、
どうすればより美しくなるか。みんなで知恵を絞るにこしたことはない」
文句をつける方も単なる気分だけでは広い支持を得られない。出発点が気持ちの問題だとしても、理路を立てて主張する必要がある。それに対して賛成反対それぞれの理屈がついて盛り上がったところで「空気」が形成される。空気で決着がつかなければ裁判に持ち込んで白黒つけるということになる。もともとお互い理屈で説得にかかっているので、裁判になるというのは特別なことではなく、単にフォーマル度が一段上がるだけ。
日本の場合、理屈をつけないでも「空気」が動くし、むしろ理屈では空気が動かせないところがあるので、やる方も空気を読んで動くしかない。
ハッキリ言って、周りの女のコは引いてます。
おしゃれは足元から・・・なんて言葉もあるくらい靴は大事なポイント。
どうせ靴なんて・・・自分はそれほど気にしていなくても女のコ達は男性の靴をよくチェックしています。
ちょっとポップなカラーリングのスニーカーを履いてたり、フォーマルな革靴なんかをおしゃれに履きこなしていると
でも毎日代わり映えのしない汚いスニーカーを履いているあなた・・・
見栄えもよくないばかりか、臭くて不潔そう。
気を抜かずにもっと足もとのオシャレに気を使ってください。
新しい靴を選ぼうにも何を選んでいいのかわからない方へのアドバイスとしては・・・
普段履いている靴とは違う、ちょっとトラディショナルなものを選んでみてください。
できればオランダの木靴なんかがいいです。
オランダの木靴なら、今流行のヨーロピアン・カジュアルにもぴったりだし、不意に釘などを踏んでしまっても安心です。
27女です。
誰も興味ないかもしれないけど、思うところを書いてみる。
自分となるといろんなことが茶番に感じて抵抗あったし同棲期間も長くて、今更結婚式するのなんて面倒!と夢のない事考えてた。
遠方の親戚に挨拶に回るのが面倒だから結婚式したほうが一度に親戚に挨拶出来て楽って話はよく聞くけど、
考えるうちに、どこかで親に対しての一区切りというか感謝を伝えたいという気持ちが芽生えてしまって地味にでも何かしたいなって思った。
家で手紙読んで花束渡すのもアリだしお金もかからないけど、今更と照れくさい。
■フォトウエディング
フォトスタジオや街でドレスや和装で写真をとって記念にするパターン。
訳あり婚(?)とかおめでた婚の人も多そう。
ただカメラマンの指示で見つめ合ったり手でハート型つくったり、
出来た写真を家に飾るのも、誰かに見せるのにはとっても抵抗が・・・
the結婚式っていう白無垢の古風な写真を残しておきたい気持ちは多少ある。
■二人だけでの挙式
もしくはハワイとかビーチリゾートでハネムーン兼ねてってのもコスパがよさそう。
でも二人で式ってところがまずピンとこない。贅沢な旅行という感じ。
■身内だけで海外挙式
まぁ楽しそうだけど、父母が若くないので海外挙式なんて想像がつかないし合わないというか。
費用的にも旅費を一部~全部負担したりご祝儀を遠慮したりあるだろうし
親戚を呼ぶなら仲の良い友達を呼びたいから、どっちもとなるとハードル高め。
■家族で挙式&お食事会
これは結構本気で考えた。最近多いらしいいわゆる地味婚。神前式もいいな。
でも親戚が遠方だと、時間をかけてわざわざ来てくれるんだから良いお料理で、お色直しもしたほうが良いだろうし、間を持たないから司会者もプロにお願い・・・
となると普通の披露宴と同じような金額になっていきそうな予感もしたし、
なにより旦那になる人が『友達呼びたい』と言ったのが親族だけっていう式が選択肢から消えた理由。
費用を惜しまずに親戚だけで料亭なんかで挙げたらアットホームで良い式になるだろうけど。
挙式に呼ばなかった親戚や上司を招待するならあるていどフォーマルにしないと失礼そうだし、
逆にフォーマルにしていくとどんどん披露宴のようになっていく。
会費、立食or着席、遠方からのゲストへのお車代、お色直しの有無、引出物の有無・・・
こういうのは、主催するカップルのリア充具合(人脈や雰囲気、プロデュース力)があって初めて楽しめる感じ。
『会費』というところで逆に失礼にあたったり?料理と金額のバランスも悩みそう。
遠方で呼ばれた人も困るだろうし。
北海道だと会費制が普通っていうけど1.5次会がもっと全国的に当たり前になればいいのに。
なんて事をぐだぐだ思いつつ、式場見学に行ったらあれよあれと一般的な挙式と結婚式の組み合わせに落ち着いてしまった。
しかもドレス試着したら意外にもテンションがあがってウエディングハイになりかけてる。
アメブロでもやろうかな。
Apple Watchを使っている奴が馬鹿なのではなくて、Apple Watchを使っているユーザーの中にいるとある馬鹿に煽られたので書く。
俺は機械式時計を昔から使っているが、その馬鹿が「腕時計なんて携帯があればいらないだろ」と一方的に突っかかってきていて鬱陶しかった。
携帯を見れば問題ないと思っている人にとって腕時計は必要ないものだ。そしてそういう人はたくさんいるだろうし、彼がそう思うのは全く否定しない。
そいつが馬鹿なのは、その主張にもかかわらずApple Watchを買い、お世辞にも使いやすいとはいえないインターフェースで、メールとかの通知を必死に読もうとしていることだ。
諦めて携帯出せよw
その馬鹿のことはともかく、Apple Watchのおかげで機械式腕時計も注目度が上がってきて嬉しい限りだ。
せっかくここまで読んでくれた人に、俺の「主観的な」機械式腕時計の良い所と悪い所を挙げてみたいと思う。
機械式腕時計は電池がいらない。充電もいらない。ゼンマイを巻けばすぐに時計が動き出す。これが一番大きなポイントだ。
久々にクオーツ時計を使おうとしたときに、電池がなくて使えなかった経験をした人は多いのではないだろうか。
USB充電式の時計だと、充電忘れなんて日常茶飯事だ。携帯ですらたまに忘れるのに、さらに充電が必要なアイテムを増やすのは辛い。残り容量を気にして生活するのも辛い。
機械式だと、リューズと呼ばれる横のゼンマイをチャチャっと巻くだけですぐに動き出す。
自動巻きの機械式腕時計ならば、腕につけているだけで自動的にゼンマイを巻いてくれるので、腕に着けている限り巻き直す必要もない。
すぐに動き出さないという難点はあるが、ソーラー時計も似たような特性があるので、毎日ゼンマイを巻くのが面倒な人は、自動巻きかソーラー式が良いだろう。
自分はメインでは手巻きの機械式時計を使っていて、それをつけている時は夜寝る前に巻いてから寝ている。USBよりはよほど楽だし、一日の最後に時計を巻くのは楽しい。
機械式時計は時間が狂う。超精密な時計であっても、月に15秒くらいは狂う。
クォーツ時計もその程度は狂うのだが、携帯電話や電波時計などはいつも正確な時間を指すので、それらに比べると明らかに時間が狂う。
機械式時計には「トゥールビヨン」と呼ばれる、重力の影響を可能な限りキャンセルして時間を狂わせなくしようとする機構もあるが、それでも機械式である以上狂う。
なので機械式時計を使う以上、時刻を合わせる必要がある。自分の時計は1ヶ月で1分ほど狂うので、1ヶ月に1回くらい合わせているが、この頻度をどう判断するかは人それぞれだ。
特に、ラッシュアワーとかの乗り換えで秒単位を認識しながら行動している人にとっては、電波時計やスマートウォッチ(Google WearやApple Watch)を使ったほうがいいだろう。
機械式時計にSiriはついていないが、それでも日頃必要になる機能は大体ついている。
一番よくあるのがデイト、すなわち今日が何日かを表示する機能だ。外回りとかで入館証明を書かされたりするとき、デイトがあると便利である。
高価なのになると永久カレンダーと言って、30日31日の判定はおろか閏年までしっかり対応してくれる。安いやつは月初に自分で合わせることになる。
次に、好きな人が多いクロノグラフ。乱暴に言うとストップウォッチ内蔵腕時計だ。これは機能よりも見た目の格好良さで好まれることが多い。
ワールドタイマーは、海外とのやりとりの多い人には便利だろう。時差のある国の時間も同時にわかる機構だ。2国だけの場合もあれば、複数の国の時間が一気にわかることもある。
自分は仕事で日本以外に海外二拠点とやりとりが必要なことがあり、その時にはワールドタイマーの腕時計を着けているが、大変重宝している。多分スマートウォッチより見やすいと思う。
ミニッツ・リピーターという、時代遅れの機能も人気だ。光が一切ない夜に時間を知りたくなったことを想定して、今が何時何分か音で知らせる機構である。
今のご時世、電気のつかない暗闇なんてものはそう滅多にないので実用性はほとんどないが、ゼンマイ式なのに音を出せるその複雑な機構のファンは大変多い。
これらの機能はみな電池式の時計でも可能なものばかりだが、機械式のメリットを享受したままこれらの機能が使えるのが嬉しい。
機械式時計ならでは機能もある。ドレスウォッチは薄型がフォーマルだが、機械式だと電池の厚さ以上に薄いフォーマルな時計もある。(充電型だともっと薄いものもあるにはあるが)
スケルトンの時計も電池だと格好わるいだろう。ミステリークロックの腕時計版、ミステリーウォッチなんてものは、スマートウォッチでは到底実現出来ないだろう。
こういった機能はもう自己満足の世界かもしれないが、電気を使わずカラクリだけでこういった機能が実現出来るのに魅力を感じる人は多い。
実際の所、今まで挙げてきた色々な機能は、ソーラー式の電波時計を買えば大体まかなえる。
ソーラー式の電波時計は、充電の必要もなく、常に正しい時刻を刻んでくれる。そして機械式時計に比べればまだ安い値段で買える、大変良い選択肢である。自分も1本持っている。
それに比べて、機械式時計は高い。ちょっとしたものでもノートパソコンくらいするし、50万円くらいの時計もたくさんある。数百万から1000万円超えも高級時計のラインナップに普通に並ぶ。
機械式時計は大体3年に1回オーバーホールに出す必要があり、そこで費用がさらに発生することもある。色々と高くつくのだ。
一方、機械式時計の価格の大きなメリットの一つとして、価値が落ちないというものがある。ノートパソコンは10年も経ったら間違いなくゴミだが、高級な機械式時計は50年くらいは余裕で動作する。
結婚生活でずっと身につけて欲しいという思いから結納返しの定番商品であるし、親から子供に自分の使っていた時計をプレゼントするのも機械式時計ならよくある話だ。
生活を一緒に歩む、気持ちを込めた道具としての腕時計、という側面は、機械式時計ならではのものだと思っている。
これを読んで、機械式時計もちょっといいな、と思う人が出てくれたら嬉しい。ソーラー電波がいいなと思ってくれても嬉しい。やっぱりApple Watchいいじゃん、でも結構嬉しい。
「私服OK」でいいと言われてクソ真面目にリクスーか、ビジネスカジュアルで行けば「無難」という声が多い。
要するに「無難」さのあるスーツ系統でコーディネートするのを妥当する人は、多分「私服でOP」という命題に明確な回答を持ち合わせていないんじゃないか?
事実、これ系の質問になると、スーツ派と私服派で必ず賛否が分かれる。
恐らく彼らにも明確な回答がないためである。
ビジネスカジュアルやノーネクタイが適当だというのも誰かしらのアドバイスを受けていて自分自身でこれだとする正解じゃない場合がある。
エージェントやキャリコン、学校の先生に指導されたから、それがフォーマルなんだろうと自分に言い聞かせている様は明白だ。
「私服で良い」という設問に対して、どれくらいの人がこれが正解だと断ずる人はあまり多くないどころか、一流のビジネスマンでさえも回答に窮するだろう。
何故なら非常にどうでもいい事であり、またこの設問に対する回答は、正解が無い事が解答であるのだから、答など知る由もないのである。
たかがバイトに私服じゃなくてスーツで行く人がいるって聞いて驚いてる。
職業によってはスーツでないと駄目かもしれないけど、例えば事務や営業、バイトがあるか知らないけど。
コンピューター系は私服で面接通ったという人をちらほら見るからSEPGは多分私服でいいと思う。
土方も私服で良いか。
分からないのは私服とスーツと区別付けられない人がとりあえずスーツなら礼儀正しいと思ってる事。
少なくとも正社員とか契約派遣など長期雇用は基本的にフォーマルスーツが基本だけど
バイトに関してはスーツで来る人はどうもこれならいけるだろという魂胆が透けて見えてならない。
駄目じゃないけど、たかがバイトに気合入れ過ぎて職場でも力みまくって問題起こすんじゃないかと危惧する。
現代のストレスを抱える人々に勧めるカジュアル瞑想の時間です(ここ笑うところです)。
現代人は様々な情報を五感や論理野などで処理しなければならず、論理野や脳に非常に多くの負担を抱えています。
これらの負担を解消する為にもっとも適しているのが、質の良い適切な長さの睡眠なのですが、中々そういった睡眠を得ることは難しいのが実情です。というわけで、この質の良い睡眠の代替物としての、「カジュアル瞑想」を勧めていく次第です。
人間は情報処理の為に普段から脳を酷使しているので、その処理を一時的にストップ、あるいはスローダウンさせ、そして休憩を行わせるというのが、この「カジュアル瞑想」の主旨でございます。
して、そのような処理のストップ・スローダウン・休憩はいかなる方法で、いかなる瞑想で達成されるのかと言えば、大したことをする必要はありません。
要するに、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、という、この三つです。この三つを守れば、自ずと脳の休憩は達成されるでしょう。
同時に、そのような瞑想の際に、できるだけストレスが掛からないようにする、というのも重要です。
瞑想というのは、何かを悟る手段のものとして使われる場合があります。
これを、カジュアル瞑想に対して、「フォーマル瞑想」と名づけましょう。
しかし、そのような瞑想は真剣味を帯びるあまり、人間にストレスを掛けてしまいます。「どうしても言葉が浮かんでくる! これじゃダメだ!」とか、「もっと集中しなきゃダメだ、こんなんじゃ真理に辿り着けない」とか、そんな具合に己を追い込む瞑想になりがちです。
しかし今回紹介する「カジュアル瞑想」は、そういったストレスとは切り離された形のものです。
要するに、上記の三つ、目を閉じ、呼吸を深くし、できるだけ言語による思考をしないようにする、を行っていて、消そうとするところの言葉が浮かんでくるようでも、別に気にしなくていいし、更にそのような瞑想を続けていてストレスが掛かるようであれば、すぐに瞑想を停止して構わない、というのが、この瞑想の主旨なのです。
言葉が流れていてもいいのです。どんな言葉が浮かんでくるか、観察する(*)くらいの余裕を持ちましょう。
ストレスを感じるようなら、パッと目を開けてしまいましょう。別に、自分を追い込む必要はないのです。
そうすることによって、脳は然るべき休息を得ることができます。ストイックな瞑想とは違い、あくまで今回の主旨は、「情報処理を一時的に停止し、脳を休憩させ、そして脳の能率(……)を上げていく」ということなのです。
この瞑想は、ストレスが掛からない限りで、心ゆくまで続けてもらって構わないのですが、ただ、個人的には、普通、そこまでストイックにではなく目を閉じ、呼吸を深くし、思考を停止させようとすると、長くて三分後くらいには、目を開けたくなる欲求を感じることになるんじゃないかと思います。短くて十五秒とか、三十秒とかでも、そういう欲求を感じるタイミングがやってくると思います。
あるいは、寧ろそういう「欲求」を意識するまでもなく、自然と目が開いてしまう時があると思います。
ぱっと目を開けてしまいましょう。なんたってカジュアルなんですから。
というわけで、脳を然るべき形で休憩させることの効果は、欧米の研究でも盛んに取り上げられており、多くのメリットを持つと言われています。
貴方もちょっとした安らぎの為に、カジュアル瞑想をしてみては?
(*)更に余裕があれば、『「言葉を観察している自分」を客観的に、一歩引いた視点から観察する』、というのもいいかもしれません。「俺は今言葉を観察してるんだなー」と、ぼんやりと考えてみて下さい。