はてなキーワード: 邦楽とは
RADWIMPSが好きだ。
2年に一度ライブに行く程度だし、曲も全て知ってるとはいえない。
CDも気が向いたときや好きな曲、アルバムくらいしか買わない。
だけどなんだかんだもう、10年以上もずっと聴いているし、自分の中で好きな邦楽ベスト10のうち4つくらいはRADWIMPSの曲がランクインする。
洋次郎の言葉は10代のころの私を形作ってくれたと思うし、今でもそう思っている。
たとえどんな変な曲を出しても、やっぱりRADWIMPSと洋次郎の紡ぎ出す言葉の世界が大好きだから、最終的には曲も好きになる。
最近あんまり音楽そのものを聴かなくなっていたので、情報も集めていなかった。
ツイッターのTL上でRADWIMPSの新曲について触れているRTが回ってきて、どうやらRADWIMPSの新譜のカップリング曲が物議を醸しているらしいということを知った。
2016年に前々前世が映画のタイアップとして大ヒットになって(個人的には映画自体が壮大なRADWIMPSのMVだと思ったが)、それ以前より多くの人がRADWIMPSについて興味を抱き、好きになった。
もちろん冒頭に述べた通り、RADWIMPSは一見(一聴)しただけでは分かりづらい曲も多いし、取っつきにくいやばい曲も存在する(五月の蝿とか笑)
だけどどうやら今回話題になっている曲は、ちょっと今までのソレとは毛色が違うらしい。
正直に言います。
私はこの曲を許せません。嫌いです。
きっと一生好きになることはありません。
リリース当日に洋次郎が発言した、まっすぐに届きますようにっていう発言。
違うんじゃないの?って思って、悲しいやら腹立たしいやら悔しいやらで涙が溢れた。
何回も何回も歌詞を読んで、洋次郎の言葉を咀嚼したけど、どうしても私には理解できない。
今までの洋次郎の言葉を考えてみても、この曲だけは、全然かけらも理解できないしいいとも感じられない。
もちろんこの曲をいい曲だ、好きだと言っている人もいるし、その人たちを否定する気はない。
だけど、この時機で、この言葉で、この曲を書いてほしくなかったしリリースをしてほしくなかった。
ファンの色目もあるかもしれないが、RADWIMPSは今やほとんどの中高生が知っているバンドだし、好きなバンドのひとつだと思う。
その、影響力を、インフルエンサーとしての自覚を、洋次郎はきっと望んでないかもしれないけれども、リリースする前に持ってほしかったし、周りもちゃんと考えてほしかった。
もちろん、愛国心はいけないものではないけれど、盲目な愛国心ほど危険なものはない。
たった半世紀の間に二度もだ。
そのあとはイデオロギー、主義主張をめぐってあわや地球の危機にまで陥った。
そして翻って、今の日本の子どもたちに、盲目的にならないくらいの考える力はあるのか?
過去に日本が行ったことに対して、単なる受験に必要な暗記事項としてではなく、世界を構成してきた歴史として考える力が、果たしてどれくらいあるのか?
大人やメディアやSNSの言ったことを鵜呑みにしない思考力があるのか?
(もちろんこれは大人にも言えることだが、RADWIMPSの影響力や、people who live in Japan の将来のことを考えた場合に子どもとしている)
たかが歌詞ごときで、カップリングの曲ごときでと笑う人もいるだろう。
だけどそれは、過去に学ばない理由にはならない。正当化する理由にもならない。
特に今のご時勢、世界のどこもきな臭くて、戦争する理由を探している人が一定数いる。
謝罪してほしいわけじゃない。
撤回してほしいわけじゃない。
ただ、RADWIMPSにも、洋次郎にも、そして一番はファンにも、その言葉の持つ辞書的なもの以外の意味を、もう一度考えてほしい。
どうも長くなってすみませんでした。
ニコニコ動画でVOCALOIDの曲をいくつか投稿し、界隈では相当有名でカリスマ的になった人。
マトリョシカ、パンダヒーロー、結ンデ開イテ羅刹ト骸なんかは、VOCALOID追ってない人でもある程度ランキング見てたら知ってたりする。
やがて別名義(本名)にて地声で曲を投稿し、一部のファンによってハチだとバレたあたりでCDを出しデビュー。
最初は古参のVOCALOIDファンくらいにしか売れていなかったが、ネット発という視点を排してみても意外に良曲が多く、
BUMPのような王道の邦楽ロックにVOCALOID曲由来の奇妙さを掛け合わせたスタイルがロキノン厨や中高生、軽音楽部などに受ける。
その後、CMソングなどを経て、アニソン、映画主題歌を手掛け、有名俳優ともコラボするようになり急に有名に。
雅楽/邦楽のプレイヤーって「新しいこと」をしようとするとすぐクラシックとかポップスと融合したがる
古典的な雅楽の良さは音階ではなくアンビエンスとモードで音楽を作り上げるところなのに
モード・ジャズやミニマルテクノ、アンビエント、ダブとかの方が合うだろうし
海外では古典的民族音楽を再解釈や再評価した渋い音楽がたくさんある
はー、雅楽滅びればいいのに
海外の様子
Heilung | LIFA - Krigsgaldr
https://www.youtube.com/watch?v=QRg_8NNPTD8
鉄器~バイキング時代の北欧民族音楽をベースにしたフォーク・パフォーマンス集団
Wardruna feat. AURORA - Helvegen +multi-language Lyrics/Subtitles (live at TraenaFestival2017) HD
https://www.youtube.com/watch?v=YWE9LDIuA0M
ヴァイキング時代から続くノルウェーのフォークを発展させたダークフォーク/アンビエントグループ
ヴァイキング時代の欧州フォークは、コレ以外にものすごくたくさんある
Wolcensmen - The Fyre-Bough
https://www.youtube.com/watch?v=ob8Mv84N4bU
スコットランドやアイルランド周辺の異教徒フォークをベースにした音楽
Phurpa – Boiler Room In Stereo
https://www.youtube.com/watch?v=VK5uG2fN6HE
別に邦楽に詳しい訳でも何でもないしあくまで個人的な印象だけど、90年代、00年代、10年代の邦楽の歌詞って、日本社会のジェンダー観の推移を表してるように思う。
90年代の男性歌手は「殴りに行こうぜ!」「やるときゃやれよ男だろ!」「結婚式で花嫁強奪して盗んだ車で逃げる織田裕二!」みたいな、男は強くてなんぼ、という感じ。
女性歌手は「私ってかわいい!」「彼とデート最高!」「失恋して悲しい!」みたいな、とにかくキャピキャピしてる感じ。
00年代の男性歌手は「仲間と一緒に盛り上がろう!」「手を取り合ってラブ&ピース!」「君のことが大好きだよ!」みたいな、ちょっと丸くなって優男系。
女性歌手は「前向いて突っ走れ!」「くよくよしないで頑張ろう!」みたいな、受け身ではなく能動的に行動する女性がかっこいいって風潮。あと「私は神だ」みたいな裸足歌姫系の人も多かった。
10年代の男性歌手は「お父さんお母さんいつもありがとう」「君のことが好きだけどどうしたらいいか分からないよモジモジ」みたいな、優男通り越して草食系な感じ。
女性歌手は「毎日仕事だけど頑張るしオシャレも欠かさない私!」「私は私の生き方で生きていくんだ誰も指図すんじゃねえ!」みたいな、モーレツ系社員の女性版みたいな感じ。
こういうのが多数派になったとは言わないが、90年以前に男性歌手が「お父さんお母さんありがとう」みたいな歌を歌ったり、女性歌手が「私らしく生きるぞ!」みたいな歌を歌っても、受け入れられなかったんじゃないかなと思う。
それってやっぱり、社会のジェンダー観が変化していって、そういう主張が受け入れられるようになっていったということなんじゃなかろうか。
みんな見ているものは違うけど、スターウォーズだったりシン・ゴジラだったり君の名はだったり海月姫だったりするけど大体の人が何かを消費している。
ストーリーは生きていると思う。死んでいるのはなんなんだろうね。
ストーリー消費している消費者から言わせれば、今の時代作られるもの単純にストーリー面白くないよ。
(これ自体は悪いことだとは思ってなくて、その分野が好きな人がそれを楽しめばいいと思ってる)
グラブルとか見てて寒すぎてストーリーシーンを見たくないがために辞めた。
でも、それが好きな人はいるんだし万人受けする時代ではないよ。もはや。
少数の人を何が好きなんだろうって考える時代のはずなのに、消費者像がネット上の人のごっちゃ煮になっているんだから薄い。
なろう系だって万人受けしているわけではない。
頑張って作ったのに仕様の限界で9個までしかリンク貼れなかったよ!
おまけ:ザ・ファウンダー / フィロソフィーのダンス - www.youtube.com/watch?v=RuicA9qgqng
みんなの心に残った曲も教えてね!
と書き出したが、書いていて嘘だと気づいてそこまで書いたものを消した。
確かに大したことないや、だったが、それ以上に次いつ出来るんだろうと思っていた。
10代はむっつり性欲モンスターだった。当時は珍しいインターネットを駆使し、エロ画像を集めていた。どんな若い女の人には少なからず性欲を抱いたし、それを隠すのに必死だった。すごいコミュ障だった。
洋楽ばかり聴き、邦楽はガガガSPを愛聴し、ゆずや19なんてナンボのもんじゃいと思っていた(なぜかゴイステにはハマらなかった)
周りは童貞ばかりだと思っていた。だから下ネタを平気な顔をして、女子なんて関わらないようにしていた。
高校を卒業して浪人した頃、周りがほとんど童貞じゃない事を知った。ショックだった。
そんな状況で大学に入って、2浪コンプレックスから周りとはあんまり関わらず、童貞くさい連中と仲良くしていた。
異性に対しては変わらずコミュ障だったし、なにより金がないことがコンプレックスだった(デートで金を使う事が凄い嫌だったのだ)。
風俗に行ける奴はまだ勇気がある。嬢に笑われたらどうしよう、ぼったくられたらどうしようなんとなく不安。そんなことでウジウジと自分は前に進めなかった。
大学を卒業して、東京に出て行くとき、全てがうまくいき、仲の良い先輩が記念にと童貞をもらっていただいた。
刷り込み効果で、もうその先輩が好きでたまらなくなった(遠距離ですぐにダメになったが)
しばらくすると東京で彼女も出来た。サルのように彼女を求めた。気づくと女性に話しかけるのも全然苦じゃなくなっていった。
童貞が自分の中で美化されたのもこれくらいからだ。伊集院光やみうらじゅんに共感するようになった。童貞「くさい」ものが好きになった。童貞っぽい話を聞くとわかるーとか共感していた。
極め付けは「モテキ」に共感しまくっていた。これは童貞でモヤモヤしていた自分だと。
時代は過ぎ、結婚して、30を超えたあたりからすっかり元気がなくなってしまい、性欲も落ちてしまった。でも、童貞マインドはまだ持っていると思っていた。
しかし、今回の騒動で童貞イジリはハラスメントだという言葉にまったくピンとこなかった。
確かに童貞時代にリアルでイジられたら本気で嫌だが、ネットでの言説である。あっちの世界の奴が何か言ってるとヒガミを拗らせるか、そっ閉じで終わっていたと思う。
しかし、この記事を見て気づいた。あ、俺はもう童貞じゃないんだと。
ボクがこれをRTした理由「はあちゅう氏のセクハラ問題と童貞いじりは別と考えます」|吉田豪・連載第五回
http://tablo.jp/serialization/news002670.html
ボクが漫画家の花沢健吾先生をインタビューしたとき、童貞を引きずりつづけている花沢先生はこんなことを言っていたわけですよ。
「だから僕は正直言うと、みうらじゅんさんとか伊集院(光)さんの『童貞を笑い飛ばそう』的な、ああいうのはダメなんですよ。
ホントの童貞はそれすら......たぶんモテる童貞とモテない童貞の違いというか......。
僕の場合、本当に先行き不安な童貞だったし、どこに言っても童貞じゃないかって思われるっていう、ゴールが見えない童貞にとっては、あれはホントに『ふざけるな!』なんですよ」
「ホント、バカにしてんのかと思って。何を思い出にしてるんだっていうような」
「ノスタルジックに浸ってちょっとしんみりしちゃって、モテる側でクスクス笑うぐたいの感じなんでしょうけど、ホントに現場の人間はもっと......」
「この苦しみをわかってほしいんですけど、そんなもの向こうは興味ないんですよね......」
あぁ、そういえば、そうだった。女の子に対して童貞を告白すると、「すごーい。むしろ大切な事だよ。結婚するまでそのままでいてね!」という反応が返ってきて、すごい傷ついたんだ。
俺はいつまで童貞なんだろうと思っていた。もう24だぞ。30まであと6年だぞと焦っていた。
世の中にコンプレックスを感じまくっていたし、後輩は、イケてないアイツは、童貞くさいアイツが童貞じゃなかったらどうしようと思っていた。
いつも心にどこかで童貞を抱えていた。隠そうとし、童貞を捨てられる日を願っていた。
そうだ、そんないいもんじゃなかったんだ。自分にかけられた呪いだった。
童貞は捨てたときに、こんなもんかと感じるが、それまでに必要な勇気だったりを童貞じゃない俺たちはすっかり忘れている。ブサイクで、コミュ障で、ケチな自分が凄く嫌だったんだ。変わった趣味を持つ事で目を逸らそうとしていたけども、やっぱり童貞は嫌だったんだ。
人間、いつかは子供の心を忘れる。子供の心を忘れないって言われる奴はいるが、それはまやかしだ。その頃に感じたことを同じように感じられるわけがない。
人はそれを成長と呼ぶんだ。
1. 床/地面を3×3の9マスに区切り,下記の要領で各マスにあ行~わ行を割り当てる。
あ | か | さ |
た | な | は |
ま | や/わ | ら |
マスは正方形で,大きさはそれぞれ一辺30cm程度(全体で1m四方程度)
後述するが,ジョイントマット(正方形のスポンジ素材のマット)の利用は非推奨。
2. 任意の(歌詞のある)歌を口ずさむ,あるいは脳内再生する。「非電源」ではなくなるが,普通に再生してもよい。
3. 歌詞に対応する行のマスをリズムに合わせて次々に踏んでいく。
「アルプスいちまんじゃく」なら
「あ」「ら」「は」「さ」「あ」「た」「ま」「や/わ」「さ」「か」の位置を踏んでいく。
濁点・半濁点,小さいゃゅょぁぃぅぇぉは無視する。っはた行,んはわ行扱い。
3×3のマス目の上では激しく動くことになるため,滑りやすいもの・引っ掛かりやすいものの上で行ってはならない。特にジョイントマットは,一見おあつらえ向きに見えるものの,マットと床の間が滑りやすく危険である。
「な行」にあたる中央の四角だけをテープ等で示すのが手軽かと思う。また,自分で踏む場所を把握できればいいので,必ずしも目印を置く必要はない。
いずれにせよ屋内では騒音や足を痛めやすいなどの問題がある。屋外,特に砂地であれば線を引くのも容易である。
これらに限らず,自身の身の安全・周囲への迷惑には十分気を付けてほしい。
基本的には両足で交互に踏んでいくことになる。
当然ながら歌の歌詞はこれを前提に作られたものではないので,足がもつれるような箇所もでてくる。体の向きを変えるなどして対処することになり,試行錯誤を通して最適な体の運びを見つけるのも楽しみの一つである。
基本のルールでは邦楽限定だが,適当に歌詞との対応を定めれば洋楽でも不可能ではない。
当初「わ行」は「や行」の下に飛び出るかたちで置いていたが,「全然」「幸せを」などの歌詞が全然幸せじゃないことになるため一か所にまとめたという経緯がある。
「譜面」は歌の数だけあり,同じ曲でも1番と2番では動きが大きく変わるため,やりつくしてしまう心配はないだろう。お気に入りの一曲を見つけてほしい。
1. 漢字が並んだ表を用意する。
常用漢字一覧 - Wikipediaや別表 学年別漢字配当表:文部科学省など,あるいはランダムに並べた表を自作してもよい。
わたしは「天国と地獄」や「オクラホマミキサー」などを用いている。
3. 表の漢字を順番に使いながら,音楽に合わせて(ある程度)意味の通る歌詞を作り,歌っていく。
悪 安 暗 医 委 意 育 員 院 飲 運 泳 ……
を,曲として天国と地獄を選んだなら
悪いが安い暗闇の歯医者 委ねた意見を育てる職員 病院だろうと飲んだらやめろ 運転するのも泳ぎだすのも
といった具合。
曲を流しながらやるのは考慮時間を減らして即興性を高めるためだが,難易度が高くまともな歌詞にはなりにくい。曲を止めて考えるのも一つのやり方であり,上の歌詞も後から手直ししたものである。
表の並びが偶然熟語になっていると嬉しい。
常用漢字ランダムでやると「璽」「嗣」「抄」「楷」など使いづらい字への対処が求められる。なお「朕」は普通に一人称として使えるので意外と困らない。また"栃"木,"埼"玉,岐"阜",愛"媛"あたりがやたらと登場する。
何かまともな趣味を教えてください。
ないよね?あるの?
俺のアンテナ低いだけ?
いや、まあ、ないって前提で話を進めさせて。
今更なんでハロウィーンかって言うと。
今の季節、街中にテレビにラジオにクリスマスソングが溢れてるじゃないですか。
なのにハロウィンと言えばコレ、と言えるような楽曲がないんじゃないかと。
ここまで書いて
俺のアンテナ低いだけ?
とやっぱり気になったのでざっとググって「ハロウィンを盛り上げる定番な音楽」みたいなまとめ記事に目を通したが、
紹介されてる音楽がマイケル・ジャクソンの「スリラー」とか「ようかい体操第一」だったりで。
他にも何曲か紹介されていて、ハロウィンを題材にした曲がないわけではないことはわかった。
もしハロウィンの定番ソングの地位に納まる曲を作ることが出来たら、毎年ハロウィンシーズンに街中でテレビにラジオに有線に
ヘビーローテーションしてもらえて滅茶苦茶儲かりそう。
1日1回以上は欅坂の曲(主にサイレントマジョリティー?だかって曲)を聞くんだけど、
アイドルらしからぬかっこいい曲調で、メッセージ性の強い歌詞はいいなとは思う。
サイレントマジョリティー歌ってる彼女たち自身が「大人たちに支配され」ているよね?
あの歌だって結局秋元さんが作詞した曲を歌わされてるだけじゃね?ってなる
そうなるとどの曲も一気に薄っぺらく聞こえる。
例えば無名のインディーズバンドだったり、元SMAPの人たちがそういう曲を歌ってたら説得力もありそうだけど。
ということは自分の今書いたような認識が間違っているか、それ以上の魅力があるかってことだと思うんだけど。
誰か教えてほしい。