はてなキーワード: 説得力とは
雰囲気に説得力があってお金持ちの知識人キャラの人に支持されてる業界
宗教学や心理学はじめ文系のオンライン講義をとってるうちに気がついたのは
文系や芸術系の分野はITや環境の切り口で延命しようとしているということ
実家も太くないし進まなくて正解だったのだろう
酸っぱい葡萄でもあり寂しい
b:id:ch1248にはあきれた。マジであきれた。
まずはここ。
「小松氏がこの評を読んだとき、深刻に悩んで後悔し、作品消したり、芦原先生の顛末みたくならないか気になってしまった……。/自分の評の影響は考えた?」
→読むの?
・深刻に悩んで
→深刻に悩むの?
・後悔し、
→後悔するの?
・作品消したり、
→作品消すの(消せるの?)
→そんなことになるの?本当に?
こんなふうに他人の行動を、「かもしれない」の連続によって、自分の言説に都合がよいように誘導して「最悪のときにこうなるから慎め」って、そんなことを言い出したら、何でもありだよね。
「あなたが現内閣を支持することによって、社会の変革を求める者が、いつまでたっても政権が交代しないことに対する絶望感を募らせ、ついには直接行動をおこして要人を殺害するといった、山上徹也の顛末みたくならないか?自分の影響は考えた?」
とか、
「核兵器の廃絶運動によって、世界から核兵器がなくなると、核の抑止力もなくなって、戦争が増えて、私の息子が徴兵されて戦場へ連れて行かれて殺されるということにならないか?自分の運動の影響は考えた?」
も、何でもありになっちゃうけれど?
人の死をにおわせることによって言論を掣肘するのは、ちょっと卑怯じゃないか?
「小松氏がこの評を読んだとき、深刻に悩んで後悔し、作品消したり、芦原先生の顛末みたくならないか気になってしまった……。」
芦原先生が亡くなられた本当の理由なんてもちろん分からないけれど、私たちに見えている事象としては、芦原先生は最後、
というメッセージを残しているよね。
これを素直に受け止めれば、先生の自死の大きな要因として考えられるのは、先生が脚本家に批判されたからでも、ネットでリンチにあったからでもなく(先生が被害を受けたことの苦痛ではななく)、
先生自身のブログが発火点となって、SNSのユーザーらが脚本家をはじめ関係各位に攻撃を始めて収拾がつかなくなったから(自らが加害の発端となってしまったことへの後悔)だと考えられるよね。
それを今回にあてはめていえば、むしろ心配すべきは、自身のエントリにブックマーカーどもが追随したせいで、結果として小松氏への批判だらけのブックマークページをつくってしまったid:whkrだろう。
一歩譲って、小松氏がブックマークページに並んでいる非難の文章を読んで気に悩むことを心配するとしても、釘を刺すべきはブックマーカーどもだろ。
をもう一度読んだ方がいいと思うよ。
私はid:ch1248をお気に入りにこそ入れていないけれど、私の敬愛する方がid:ch1248をお気に入りに入れているし、私自身もid:ch1248のエントリを何度も読んだことがある。
別に嫌いではなかったし、別にお気に入りに入れてもいいぐらいに思っていた。
男であることを証明したいと思う機会がなかったので考えたこともなかったが、
簡潔に証明するなら、配信するか増田編集画面にチンコと一緒に撮影するくらいしか有効な方法がないかもしれない。
どうも女性の生理レベルには個人差が激しいようで一般化しにくい。性欲、勃起力、夢精の話などなど。
また男は他者のチンコについて基本探りをいれない。他人のチンコに興味を示す素振りがあると、ホモかと馬鹿にされる土壌があるからだ。(そういう傾向があることは男性には共感してもらえると思う)
なのでチンコの話は意外とピンとこない。たぶんセックス経験多い女性の方がチンコには詳しい。俺も一度誰かの勃起チンポ触ってみたい(とかいうとホモ扱いされがち)。
ただブリーフとトランクス、ボクサーパンツの着衣感覚の差や、EDに関する悩みなど解像度上げて書けば説得力でるかも。
どうでもいいが、最近自慰するときに喉に少し違和感でるようになった。血圧上がる影響か?
トイレや温泉の話などは特に特徴的な話はあまりない気がする。トイレも温泉も掃除のおばちゃんがナチュラルに入ってる程度の話は有り触れているだろう。
温泉施設の移動時において男はチンコをタオルで隠す割合が高めの印象だが、男性間でも意見が割れそうなので微妙。
仮性包茎の人は温泉で剥くかどうか結構悩んでそうで、ナイーブな話題だ。このあたり詳細に書くと説得力出そう。
ボンボンでも良い。自分が少年期頃に接していた、その当時のみ流行した男児向けコンテンツについて語れるとそれっぽさでると思う。(女性も同様だろう)
これらのコンテンツは、大人になってから再履修する機会が極めて乏しい性質がある。故に誤魔化しが効きにくい。
自分の世代でいうなら、「学級王ヤマザキ」あたりになるか。「ミニ四駆(列・豪)」と「スーパービーダマン」は今読んでもメチャクチャ面白い。
とはいえ当然、男児が全員コロコロを読んでいるわけではなく、女児であっても読んでいる人間はいる。男兄弟がいればなおさら。
ちなみにオタク男はボンボンという単語に妙に反応してしまう性質を持つ。
恋愛含めた社会的非対称な経験の話まで拡げても、おま環論が拭えない気がする。証明って難しいね。
書いてて思ったがやっぱどうでもいいし、そう思えるのも、ネット空間における男性優位的な性質を無自覚に享受しているのが男であることを象徴しているかもしれない。
(ネット黎明期、いや今も匿名の場において、女性は女性であることを隠す文化があり、ネットは男性的なものというイメージは今も地続きかもという話)
実在児童ポルノだの実在エロ写真集海賊版だのが58億枚の学習素材の中に入っててもか?
オレも今回人づてに知ったけどやろうとすれば元画像が出てしまうらしい。
それは撮影された側にとったら憎かろう。
手描きでも精巧な模写力が有れば資料を見ながら、あるいはトレスすれば低画力の者でもそっくり描けるだろw
これと同じでAIも故意に元画像に似せようとしなきゃ原則として瓜二つにゃならねえし
そして元画像にそっくり似せた画像を世の中に公開したら著作権侵害で普通に負けるンだわ
58億枚学習させたモデルデータ使って元画像そっくりなイラストをt2iだけで作ってから言え
そもそもイラスト界隈もトレスでちょくちょく炎上してるし漫画家も児ポで捕まったろ
ついでに萌えイラスト界隈でも割れエロ漫画で炎上した奴が居ただろ
トレスも平気でやるし児ポに学び児ポを資料に作品制作してるのが手描きイラスト界隈
モラルも糞もねーのが手描き界隈なんだよ
仮に自分にないものが賞賛されている状況が気に食わないとかでは無く、単純に当人のトラウマが事実だとしても、
ババアが自分より若い赤の他人に自分を投影して「気持ち悪い」とかお気持表明してる奴の方が気持ち悪いわ。
何だろう、おじさんが女児に感情移入してプリキュアごっこしてるとか、そういう醜悪さを感じる。
皺ができて皮膚が垂れた、価値の無くなったおばさんが若い女性のイタコしてるの、
北欧神話に出てきそうな妖怪が綺麗な女性の皮を被って喋ってる気持ち悪さに近いモノを感じるいうか。
いつまでも「若い自分」を引きずって、その仮想の「若い自分」の発言に説得力を持たそうとしている、
何と言うか若さにしがみつく哀れさと醜悪さと内面の幼さが見え隠れして、本当に気持ち悪い。おぞましい。消えて欲しいと思う。。。
原作付きなら本来は「脚色家」として仕事しないといけないところ、「脚本家」として自己アピールして、原作者が傷つくような二次創作をしてる訳だよね。公式で。
さっき脚本の書き方をググったんだけど、こういうものなら原作マンガに時間・場所・誰のセリフかを追記するだけでいいんじゃないかと思った。
マンガそのものの方が話の流れも雰囲気も分かるし、表情や立ち位置まで図説されてるから分かりやすい。マンガを監督や役者やスタッフに脚本として渡すのありじゃないか。
で、そのコマ外情報の書き起こしとか、シーンごとの切り分けとか、作品を守る編集社サイドでやれる仕事だと思うんだよね。なんなら個人の思惑を持ち込まないバイトにやってもらうのが適切ですらある。
脚本家もこんな「誰でもできるような文字起こし」させられるだけの仕事なんか技術職としてのプライドに障るだろうし、自分の名前が出るのに自分の意思が全く介在してないようなものは「仕事してない」「自分がやる意味とは?」ってなってしまう気がする。だから存在意義のために強引にでも何かしら手を加えないといけなくて、それが諸悪の根源なのでは。
そう思うと本当にマンガ原作の作品に脚本家いらなくない? って思ってしまう。
もしファンタジー表現を実写で可能な形に落とし込んで欲しいとか、舞台で可能な形にして欲しいとか、こういう企画を盛り込んで欲しいとか、役者のために当て書きして欲しいとか、そうなったら必要かもだけど、原作準拠の実写ドラマを作るのであれば、脚本家なしの方が費用も工数もトラブルも減らせて効率的だと思う。コスパ良い。
問題は業界の慣習と忖度ですかね、その辺もそろそろ意識のアップデートなされるといいよね。
あと「実写化は二次創作」って制作側だけが分かってる風なの欺瞞だと思ってて、原作ファンにも明確に二次創作であることを示すべきじゃないですかね。
具体的には『明らかな別タイトル(原作:原作名)』として出して欲しい。
普通の二次創作はそうでしょ。タイトルへの併記じゃなくてジャンルとして記載済みだったり奥付への記載だったりするけど。二次創作だと分かった上で買うかどうかは買う側の自由で、同様に視聴するかどうかもファンの自由にすべき。
ここで数字出して初めて「他人の褌で何言ってんの?」って軽蔑されてるのが、ちゃんと説得力ある発言として聞く耳持たれるようになる。
とりあえず、実写化の話が上がるレベルまで「原作を買い支えたファン」を騙し討ちするのは本当に不誠実だと思う。
こういうところで目先の売上優先して「信用」を目減りさせていることに考えが至らないのが問題の一因だよね、ぜひ考え直して欲しい。
信用といえば小学館、自分は雷句誠先生の騒動まだ覚えてるので、「また小学館か」となってる人は結構多いはず。信用回復のためにも作者に寄り添った火消し頑張って欲しい。
見てきた。SNSで感想をさっと見たがまだ出てなさそうな話をしたい。
キラがシン達の眼の前で彼らを指して「弱いから」と言うところのキラのいけすかなさが印象的だった。
「サイが僕にかなうはずないでしょ」というSEEDでのセリフと一貫性があって、何かの拍子に出てくる本音で、他人の能力の部分を見下している。
完璧超人だからこその短所であって、キラに人間らしさを持たせるために必要な短所なのだろう。
それがアンチを作る要因でもあるかもしれないが、当時も今も新しい主人公像だろう。SEEDを新しいガンダムたらしめた特徴ではないのか。
劇場版本編の話にもどると、あの場ですぐ殴ってくれるアスランの相棒としての価値がですね。
頼もしくもありエンターテイナーでもあり。言い換えると今回は葛藤のないキャラだった。
SEED DESTINYでも途中までゼータにおけるクワトロの立ち位置だった。
黒背景でゆっくり動くズゴッグを見てキラが「アスラン?」と気づくのはオマージュというより笑い要素を含んだパロディかと思った。
真面目にツッコむとキラはズゴックのどこからアスランを見出したのか?これが人の愛?
キラと殴り合うのはよく考えたら逆襲のシャアの殴り合いシーンから来ている?これは考えすぎか?
ただ、吹っ切れて戦えている姿が良い。自分の目的と合致した戦いができていることが良い。
ステラがシンの心を守ったところ、「どんな闇を抱えているんだ」⇒SEED DESTINYでのシンの物語の積み重ねが無駄じゃなかったところにグッと来た。
劇場版の物語はキラとラクスが中心だったが、キャラクターとして報われたのはシンとルナマリアだと思う。
アグネスの物語上の役割は、SEED DESTINYでアレだったルナマリアの恋愛部分を着地させること。
正直アグネス周りの話は蛇足に感じたが、よくよく思い返してみればあれはクエス・パラヤのオマージュだ。
アムロに興味を持って、拒絶されたと感じて脱走し、シャアにその価値を見出される。
スポンサーから押し付けられた枠か?Gアーマーの合体シーンやシュラク隊を思い出した。
ジャスティスに至ってはアスランに乗ってもらえずシンにディスられる始末。
デュエルブリッツやデスティニーのカラーリング(これは鑑賞後にSNSで見た情報)など、テレビ版で退場した機体の要素を、そのパイロットに縁のあるキャラが受け継ぐところが良い。
デュエルはアサルトシュラウドないと他より特徴がない部分をブリッツ要素でカバーとしてるので、なんか説得力あった。
でもわざわざ旧型のデュエルとバスターを核エンジンにしてコクピット周りをザク系統にするのは非合理だよなと。合理性よりお祭り感を演出する分には良し。
インパルスのシルエット全部来て良い。カラーリングのアップデートは何か元ネタあるのか?
ミーティアやデスティニーの換装など、外部装備の共有はなんかガンプラ系の番組の表現っぽかった。でもガンダムってそうだろう。
視聴者にとって悔いが残ったところをキチッと終わらせて、キャラクターやメカの見せ場をこれでもかと出し切る。お祭り、同窓会。
復活のルルーシュ、グリッドマン、シン・エヴァンゲリオンなど、最近のTVアニメの完結編としての劇場版は大体そうだし、そういうものが求められているというか、これが完成形なのではないか?