はてなキーワード: 語源とは
はじめて書く。うまくいくものだろうか。
Hello, World!
いきなりプログラムの話で恐縮ですが、上記の”はろーわーるど”とはソフト開発においてプログラミング初学者が入門書片手にとりあえず作ってみるプログラムにより出力される文字である。ことが多い。
なぜ”はろーわーるど”か。
英語を母語としないため、直訳日本語とてしては”こんにちは、世界よ!”くらいのニュアンスしかない。
母語ではどうなんだろう。
https://eow.alc.co.jp/search?q=hello
今はあいさつの言葉であるが、人を呼んでくることや呼びとめる時のかけ声を語源とするので、”やあ!(こっち向いて)”や”ちょっと(話せるか)”くらいだろうか。
https://eow.alc.co.jp/search?q=world
世界。
指す範囲は広いだろうが、”人間の年齢”を語源とするので、自然科学的な地球や宇宙というよりは、人類の歴史、文化による主観的な世界を指す感じか。
それは連綿と連なってきた世にプログラムが、出てきたからこっちを向けと言わんばかりのニュアンスを淡~く含む挨拶であったのだろう。
Helo, World! を書いたカーニハンか誰かに真意があったのか、なかったのか、ご存知の方がいれば教えていただけないでしょうか。
ざっくり検索した限りでは見つけられなかったため…
一応解説しとくぜ
増田でゲーム日記ってカテゴリがあって、そこで日記かいてるやつがいるんだよ
毎日プレイしてるゲームのこととか仕事のこととかいろいろ日記に書いてる
そいつが毎日3食なに食ったかってのも一緒に書いてるんだけど、昼飯がほぼ毎日助六だったことがあったんだよ
どっちかというと増田でゲームが趣味といえばゲーム日記→ゲーム日記といえば助六という流れだな
助六のブコメの「はやや~」ってのはゲーム日記書いてるやつがよく日記に書いてる口癖な
昨日の昼飯も助六だったみたいだぞ→[ゲーム日記]8月17日
まとめると、
ゲームが趣味の人を馬鹿にする→ゲーム日記の人を馬鹿にする→ゲーム日記の人が毎日食べてる助六が否定されてる!?ふざけんな!
ただ、一見とんでもないこの論理飛躍も、実はゲーム日記の書き手へのリスペクトがこもっているんだ
ここからは穿ち過ぎと言われるかもしれないから話半分で聞いてくれ
ゲーム日記を書いてる人は増田、はてなでちょいと有名なあの人なんだが、
あの人のブコメも、元記事からかなり論理飛躍した内容になってることが多々あるんだ
つまりゲーム日記の書き手のブコメの書き方の癖へのリスペクト、オマージュを込めた上での論理飛躍トラバになってるんじゃないか?
わかりづらさの奥にある意味を考察するとそこまでたどり着くこともできる、深いトラバなのではないか?
・・・なんて読み方もできるかもしれない
余談だが、助六はオタク的にいうとまどマギのさやかを指すこともある
こちらの語源はどこぞの寿司屋がまどマギキャラの名前で勝手に寿司の詰め合わせをチラシにのっけてたんだけど、
そのなかでさやかだけがなくて、本来さやかがあるべき位置にすけろくがあったからっていうワケ
1年後の今になって追記するが、一部心無い、というか増田にわかのブコメトラバが散見される
しかし彼の文体を何度か読んだ人間なら、これが彼によるものではないことは確定的に明らかであり、ただの増田にちょっと詳しいだけの暇人だってわかるはずなんだ。
漢字では「搗ち割り」と書く。
「餅をつく」の「搗く」、「かてて加えて」の「搗て」や、「かち合う」の「搗ち」と同じである。
臼と杵でつく、上から叩く、物と物がぶつかる、といった意味がある。
つまり「かち割り氷」とは「(細かく)叩き割った氷」ということであろう。
意味としては「(決まりの悪い場面で)周囲を気にせず出てくる」「何も知らないで出てくる」といったものである。
単なる擬態語という話もあるのだが、なんの擬態なのかよく分からない。
「ぬけぬけ(抜け抜け)」や「のけのけ(退け退け)」あたりの転訛かと思ったがそういう話も見当たらない。
「のこのこ」を強調した形として「のこのこさいさい」というのがあるのだが、
これは
1. もともとあった「のこのこ」という言葉に「お茶の子さいさい」と同じく民謡「のんのこさいさい」を掛けたもの
なのか、
なのか。
この「のんのこさいさい」というのは、
ということである。
文化年間(1804~1818)に江戸で流行したはやり唄「のんのこさいさい」が、四つ竹を用いる遊芸人によって伝えられたものと考えられる。
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%AE%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%93%E7%AF%80
江島子秋著、「長崎県の民謡巡り」によれば(中略)『のんのこ』は長崎弁で美しいの意味を『のんのか』というそうで、そこから出たのではないかとのことである。
長崎弁の「のんのか=美しい」から来ているのではないか、と「推測」したものが「事実」として地元で定着したのだろうか。
あるいは、諫早から流行って江戸まで達したという説明もあり、どちらが正しいか判じがたい。
諫早発としても「のこのこ」と「のんのこ=かわいい」ではかなり印象が異なるので、
先に挙げた2よりは1のほうに分があるように思われる。
「のこのこさいさい」の語源を「夜来い夜来い」としているらしい。
のこのこさいさい 夜来い夜来い
「よるこいよるこい」→「よこよこ」→「のこのこ」ということだろうか。
夜這いにくるような男は「のこのこ」やってきた感はありそうな気がする。
ようやく景気も上向き始めたとはいえうちみたいな社員10数名の会社は、知り合いの知り合いから仕事を回してもらって糊口をしのいでるのが実情だ。
そんな相手会社の中には、明らかに社長や渉外がアレなのが混ざってて、そういう所の仕事は必ずといっていいほどにうちの社員からのウケが悪い。
いわく、大したミスでもないのに暴言を吐かれた・見積もりと違う条件を後から出してきてゴネた・官公庁には見せられない法律違反行為を強要する・etc.etc.
たしかに「名は体を表す」とはよく言ったもので、この業務に就いて以降、社名から「アレな会社」を区別できる嗅覚が備わったような気がする。
これだけ例を挙げれば、なんとなくヤバさが伝わると思う。
要は、社名から『ヤンキー臭』を感じられる所、というくくりができる所だ。
そもそも、ああいう人たちは知識の積み重ねもろくにやってないのに、『自分を大きく・勇ましく・かっこよく見せたい』という欲望だけは人一倍あるので、その結果がこのような『珍妙な』社名につながっているのだと思う。
「カンガルー (kangaroo)」は、グーグ・イミディル語でクロカンガルーを指す言葉であった gangurru が変化したものであると考えられる。これは直接的な意味としては「跳ぶもの」を指す。
(中略)
西洋人が初めてオーストラリア大陸に上陸した際、現地人にカンガルーを示して「あの動物は何と言うのか?」と訊ねたところ、現地人は西洋人の言葉が理解できないため、「(何を言っているのか)わからない」という意味で「カンガルー」と答えたが、訊ねた側は「あの動物は“カンガルー”という名前らしい」と誤解してしまい、これがこの動物の通称となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AB%E3%83%BC
カピバラ。
グアラニー語の「ka'apiûara(細い草を食べる者)」にちなみ、それがスペイン語に転訛して「Capibara」と呼ばれるようになった。日本では同じ言語の「Kapiyva」(草原の主)に由来するとの説が一般に広く流布しているが明確な根拠はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%94%E3%83%90%E3%83%A9
アイアイ。
ソンヌラはまた、アイアイという奇妙な名前の由来について三つの説をあげている(Simons,1995)。第一、この動物が、アイアイと鳴くという説、第二、奇妙な動物を見たときのマダガスカル人の悲鳴に由来するという説、第三、「私は知らない」というマダガスカル語の方言に由来する、という説である。
著者の現地の見聞によると、地元の人はこの動物を昔から「ハイハイ」と呼んでいるらしく、それがなまって伝わったのようなんですが、なんか面白おかしく話が膨らんでる感じです。
インドリ。
名前および属名Indriは原住民が「ほら見ろ」「あそこに」(there he is)の意があるindriもしくはindri izyと叫んだのをSonneratが本種の呼称と誤解したことが由来とされるが、実在するマダガスガル語はiryでありSonneratが誤解だけでなく聞き間違えた可能性も示唆されている。現地名のendrinaに由来する可能性もある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA
マタマタ。
原住民は「何だかわからない」という意味の現地語で「マタマタ」と呼んでいたので、そのままマタマタとなってしまった。
https://books.google.co.jp/books?id=goiKCwAAQBAJ&pg=PT119#v=onepage
トラバで「~かしら」がそもそも昔の言葉っていう主張もあるし、
もともと男女関係ないって主張もあるけど、
どっちも正しいんだけどさ、明治の女学生の間で「~かしらん」が流行って、そこから女性語なわけだから、いまネイティブに男性で「~かしらん」という人は少なくて、むしろ文学作品等の逆輸入なわけです。
明治の女学生にならうか、それ以前に倣うかは、個人の趣向の話だからなんとも言えない。
「~かしらん」が現代でも使われる事例はあるので、生きた言葉だよね。
もともと「~か知らぬ」が語源なので、公では男性がよく使う言葉でした。明治の女学生ではやったというのは男女平等の概念からでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20180709194600
元増田です。鋭いコメントありがとうございます。本筋から少し外れますが、仰る事に同意です。
看護師を含め医療従事者の多くは、自分達の行為が、形式的には暴行罪、傷害罪、逮捕監禁罪といった犯罪行為の構成要件に該当する、患者の法益を侵害し得る行為であるという認識が「無い」
多くの看護師は、その認識が欠如していると思います。結果的に、日常的にそういう感覚のまま、人間性というかモラルの低下につながっていきます。
私なりに具体的な論理を補足させて頂くと、
看護師は刑法第174条という法律に規定されている「わいせつ罪」の行為、つまり「普通人の正常な性的羞恥心を害し」を患者に対して行うのも仕事です。(洗体とか陰洗とか直腸・・以下省略)
・性欲の興奮、刺激を来すこと
それが犯罪にならないのは、もう一つの構成要件である「善良な性的道義観念に反すること」でない純粋に看護行為の一環として行うこと、に患者が暗黙の社会的合意していることになっているゆえに法律違反という犯罪から特別に免除されていると言ってよいでしょう。
もし、「わいせつ」の最後の構成要件である「徒に性欲の興奮、刺激を来すこと」をした時点で看護から逸脱していることから「善良な性的道義観念に反すること」に抵触しかねない。看護師の職務行為は「わいせつ罪」と本当に紙一重の事を、社会からの信用「信頼を基盤として成立している」という事ですね。
必然的にこういった事について、医療従事者・看護師達は、無感覚になりがちです。
具体的には、ひと昔前に副業で風俗嬢をやる看護師達の事が議論となりました。
http://blogos.com/article/86641/
私の結論は、風俗売春行為をする看護師は、社会の人々からの信頼を毀損する ー 「看護はわいせつ行為と同じではないか」、「そんな事に同意した覚えはない」と。そして看護は、"看護を必要とする人々からの信頼なくしては存在しない"からして、看護師は風俗嬢として副業すべきでない、と(実際は、似たようなもん、と言ってバイト感覚でキャバ嬢・風俗嬢やる看護師が非常に多いらしいですが)。ゆえに、キャバクラ含む風俗で働くような看護師は免許を返上すべき、と。
また、
「パターナリズム」という言葉は父権的干渉主義などと訳されます。本人の意思にかかわりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすることを意味し、父と子の間のような保護・支配の関係を指します。相手を無知な存在として扱うパターナルな押しつけ
患者が望んでもない医療行為を勝手に押し付ける、という問題です。患者の自己決定権の否定につながります。日本ではまだまだ「お医者様様・看護師様様」状態で、全然だめですね。一般、つまり患者側の権利意識が無さすぎます。
医療側がとる「あなたのことは何でも分かってる」とでもいうような態度はパターナリズムの典型ですね。パターナリズムは、パトレ(pater)つまり牧師・父性。つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつです。医者が自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしまう自己陶酔の状態。看護師なら「知らないでしょ、あなたの為なのよ、やってあげてるのよ」、という"上から"の態度をひけらかして患者を自分の思い通りにさせようとします。
英単語の「patronize ペイトロナイズ」という同じくpaterを語源に持っていて、直訳すると「保護者ぶるー>(転じて)子供騙しな扱いをする」となる。これは英語圏でも相手を侮辱する行為である。だから”Don't patronize me!”というのはよく聞かれるフレーズ。
デューデリジェンスは、英語のDue(当然の、正当な)とDiligence(勤勉、精励、努力)を組み合わせた言葉で、直訳すると、
当然の努力という意味になる。もともとデューデリジェンスは、法律用語である。企業が証券を発行するとき、開示している情報が
証券取引法の基準に適合しているのか、投資家を保護する観点から開示情報を精査することを指して使われたことが語源と
いわれている。この言葉も、今日では、主に投資用不動産の取引を行うときや、企業が他社の吸収合併(M&A)や事業再編を行うとき、
あるいはプロジェクトファイナンスを実行する際、果たして本当に適正な投資なのか、また投資する価値があるのかを判断するため、
事前に詳細に調査を行うことを指して使われている。
元増田だけど、現実に人間が何か逸脱的な行動を起こすときって複数の要因が絡んでるものなので、赤の他人に伝えたい時は仕方なく何かの側面に絞って書くけど、近しい事をしている人間が読んでしまった場合、何か一つのせいにして自分の逸脱的な行動の原因にして怨んでしまうのはいい結果をもたらさないかもしれないというのは伝えておきたい。
自分だって元記事ではああ書いたし、確かに箱庭療法のような復讐の意味合いは強かったけど、だからといって承認欲求を満たしたいという願望がなかったかと言われたら、それは絶対嘘になってしまう。
低能先生氏や自分や言及してくれた貴方と価値観や動機が全く合わないような赤の他人が少しでも理解する助けにはなるかもしれないけど、逆に近い位置にいる人間が読んで原因を一個に絞るのは危険だ。
ちょっと違う例になるけど、昔アメリカで『毒になる親』(邦題)という本が出た。今でいう「毒親」の語源になった本で、この本が出てから自分の逸脱的な行動や歪んだ性格の原因を親の教育にする人が沢山出て社会問題になった。暫く経って、実際問題親がどれくらい子供の人格形成に影響を及ぼすのか調査した結果、親の教育は子供の人格を逸脱的には変えられないどころか、有意差が存在するかどうかも疑わしかったという報告が1つ発表されてしまっていたりする。(5年くらい前で1個だと思ったので、今はもうちょっと増えているかもしれないけど、こういうのをきちんとした結果を求めてやろうと思ったら長い年月と資金が要るのであまり調査出来るものではないんだ。)(ただし虐待は性的非性的問わず有意に悪影響を及ぼすことが大昔にハッキリしている。)研究自体の数も少ないので真偽はまだ実のところ不明で、単に難儀な性格が親から遺伝しただけなのではないかという見方も相当ある中、それにも関わらず、「自分の人格が歪んでいるのは親の教育のせいだ」と全て教育のせいにしてしまって、間違った憎悪を抱えてしまっている人も本当にたくさんいるんだ。これは凄く悲しいことだと思う。
繰り返し、元のエントリはこういう事に全く縁のない他人に向けて書いたので、現実に荒らしを行っている人が読んだときには「原因は本当にそれだけか?」と考え直す必要があるとは思う。
まぁ、個人的には、無関係だとは絶対思わない。そしてよーーーく考えてみてやっぱりあの頃の行動を自分が繰り返していると思ったら、それはそう思って良い。でも、一回は絶対に考え直して欲しい。
あともう一つ、原因が特定できたからと言って、それが治すことに繋がるとは限らない。長期的には、ブコメで言ってくれた人もいるけど、認知行動療法や、新しい趣味、全く知らないサイトでゼロから始めてみたりするのがとりあえず一番の手助けになると思う。
がんの原因なんてとっくに治っているけど患者ががんの発生理由を生物学的に理解したからと言ってがんが治るわけではないのと同じ。肺炎にかかった時に必要なのは治療薬であって医学書ではないんだ。小さい頃のいじめに原因があったからとしても、分かったところで逸脱的な行為の解決には繋がらない。
勿論やめなくてもいいし、自分みたいに激情的な性格を受け入れて暮らしていくことだって出来るし、それも選択肢の一つだし、そもそも治す事を望んでいなくて、増田はただ自分の奇妙な行動に一つ折り合いがついて納得が得られただけなのかもしれない。それならとても幸いに思う。
ちょっと不安だなと思って書いておいた。言及してくれてありがとう。似たような人がいて嬉しかった。少しでも幸せになれるのを祈ってる。
増田は「ジャイアントキリング」を知らないのかな?
これは「番狂わせ」を意味する英単語だ。これの語源は、ある羊飼いの少年デビッドがジャイアンツの選手であるゴリラーデをデッドボールで退場させた故事に因む。
これによりただの平民の羊飼いだった少年は最終的古代イスラエルの王様にまで上り詰めることになったんだ。
「本来倒せるはずもない矮小な存在が」「それよりも大きな存在を殺すこと」をジャイアント・キリングと呼ぶわけで、その番狂わせを起こしてしまうことでその人の評価も180度変わるってことでもあるわけだ。
今回、hagexキリングが発生したわけだけれども、hagexはおそらく低能先生と比べてみれば史実のゴリラーデ並みの暴力巨人だったことだろう。
もし低能先生が今後娑婆に戻ってくることがありうるのならば、彼はもしかしたら英雄扱いされるやもしれんぞ?
そう考えられている。角度とかは。