はてなキーワード: 語源とは
カッコいいのはわかるんだけど、サムライ的な設定のキャラ、果ては騎士団長的立ち位置のキャラまでみんながみんな推して参るというのはいかがなものか。
ていう話を寿司屋で兄としてたら、
そもそも「推して参る」の語源はスペイン領東インドでオス=テ=マヒル公爵が現地の酋長の娘との結婚をかけてフィリピン相撲で決闘した逸話が宣教師を通じて明治時代に伝わり、その武勇にあやかって突撃の掛け声として広まったものであるから、江戸時代レベルの武士的な世界観で使われるのはそもそもおかしいんだよね、
などと大ボラを吹いてきたので、民明書房かよ、つまんねえよ、とあしらいつつ、うっかり本当だったらどうしようかと思って、スマホで検索した。自身を持ってこれはガセ、と断定できぬ我が身の学のなさが悔しい。
車が普及する以前は最速の移動手段だった馬が居ない世界。果たしてどういう歴史をたどったのだろうか?
まず馬が存在しない戦場はどうだろう。歩兵による集団戦術がずっと有効だったのだろうか?あの世界にモンゴル帝国は存在したのか?あったとしてもこちらの世界とはだいぶ違う歴史をたどっていそう。
偵察や連絡はウマ娘でも可能だろうが、女性しか居ないウマ娘に奇襲は可能だろうか。
人間の移動手段は何が使われていたんだろう。荷物の運搬なんてとてもムーーーリーーーだろうし。馬は居ないけどロバは居たりして?
農業にも影響があっただろう。機械化前の農業を支えた馬という労働力が無かったら?牛で全て代用できたのだろうか。
そもそも「馬」の語源自体が騎馬民族から世界中に広がったらしいが、その騎馬民族の存在すら危ういあの世界でどこから「ウマ娘」という言葉はどこから生まれたんだろうか。
馬が存在しなかった世界について考えてみたが、すでに同じ考えをしている人が居た。
“もしも馬がいなかったら”という実験はできませんが、それを裏付ける根拠のようなものがアメリカ大陸の歴史からわかるそうです。アメリカ大陸にも馬はいたのですが、すべて食べてしまって1万年ほど前にいなくなってしまいました。ヨーロッパがアメリカ大陸に進出したのは今から500年ほど前。それまでのアメリカ大陸の文化は、馬に乗っていたヨーロッパに比べると、とても遅れていたそうです。「僕は馬がいなかったことが大きな影響じゃないかなと思います」と語った本村さん。人類の歴史にそんなに大きな馬の影響があったとは、おもしろいですね!
馬が居ない世界の西部開拓はどうだったんしょうね~気になりますね~。
その他気になる疑問
そうとは限らないんだよなあ。語源不詳です。
rain cats and dogs(土砂降りの雨、激しい雨)
It began raining cats and dogs.
「土砂降りの雨が降り出した」
【語源】北欧神話で、猫は雨を降らせる力があり、犬は風を起こす力があると信じられていた。
『英辞郎』
One of the less likely suggestions is pets sliding off sod roofs when the sod got too wet during a rainstorm. (Ever see a dog react to a rainstorm by climbing up on an exposed roof?) Probably rather an extension of cats and dogs as proverbial for “strife, enmity”.
(可能性が低い説の一つは、ペットたちが嵐の間、雨にぬれた芝の屋根からすべり落ちるというもの。(むき出しの屋根に登って嵐に反応する犬を見たことがあるか?)あるいは、争いや敵対の象徴としてことわざに出てくる「猫と犬」のイメージから来ているのかもしれない。)
Drainage systems on buildings in 17th-century Europe were poor, and may have disgorged their contents during heavy showers, including the corpses of any animals that had accumulated in them.
(17世紀のヨーロッパでは建物の下水システムが貧弱だったので、大雨の間に、それまでに蓄積された動物の死骸を含め、様々なものを吐き出していた可能性がある。)
“Cats and dogs” may be a corruption of the Greek word Katadoupoi, referring to the waterfalls on the Nile
(Cats and Dogs は、ナイル川の滝を表すギリシャ語 “Katadoupoi” がなまったもの。)
The Greek phrase “kata doksa”, which means “contrary to expectation” is often applied to heavy rain
http://gogen-allguide.com/te/debu.html
「Double chin(二重あご)」が「デブちん」となり「デブ」になったとする説や、「Death and Burst(死と爆発)」からとする説がある。「デブ」という名詞は明治時代以降に使われた始めた言葉であるため、これらの英語語源説は完全に否定できない。 しかし、江戸時代に「でっぷり」や「でぶでぶ」という言葉が存在するため、「出っ張り」から派生した擬態語「でっぷり」や「でぶでぶ」が名詞化され「デブ」になったと考えるのが妥当であろう。
元増田の言う「デブっていうのは 賢いし 強いし すばやいの!」っていうのは間違いで、
そういう人も稀にいるっていう程度の話でしょ。
マ○コDXはスマートかもね。
室町時代の風呂は蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたものが起源であるが、現在の風呂敷にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。
足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りにはこの絹布の上で身繕いをしたこという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。
江戸時代に入り、湯をはった銭湯が誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包まれるようになったのが、現在の風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。
”陽気な”って意味だ。
自分が思うに、セクシャリティがどうであるかということを悩み、悩みを突き抜けて、差異をありのままに受け入れ笑い飛ばすことを身に着けたからだと思う。
差異でもって区別して社会に位置付けられるのではなく、差異から生み出される位置エネルギーを運動エネルギーに変えて前進したり踏み台にされたりするでもなく。
まあ、当事者ではないから、勝手な想像の域を出ないから、傷ついた奴がいたらすまん。
おれは幸運なことに(あるいは残念なことに)ヘテロセクシャルだから、同性の裸を見ても勃たないしヌケないが、全部の異性に対して勃ってヌケけるかっていえば、「これはむりでしょ」ってたたないしヌケない異性もいる。
LGBTは、そう言う方向が様々違うってだけだ。