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2016-09-10

成熟なのは過激ヘイトスピーチ批判者側だよね

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20160908185445

id:exterminator イジメが発覚したときに「単なる冗談だった、マジになるなよ」って言う子供理屈にまともな大人が合わせてやっても何もよくならないと思うけど、こんなに子供理屈に合わせたがるひとが多いとはビックリ

id:kiku-chan 差別発言で「知らなかった」では許されないのは基本だと思っていた。/増田らの被害者意識交通違反の取り締まり時に「なんで他にもっと酷い違反者がいるのに自分?」と開き直るのと一緒では?

こういう、例えがおかしく元の話からずれてる例え話は百害あって一利なし

最初は「警察官の態度が横柄」みたいな例え話で応答しようかと思ったがずれた話に取り合ってもしゃーない。

id:nost0nost 「いきなり殴らないで教える事が大事」とか言ってる奴に星ついててびっくりした…いきなり殴られたのはどう見てもアイヌの側何だが それは無知ゆえなので優しく語りかけようって馬鹿でしょ 小学生開き直りレベル

一番ひどいのがこれで、まずtwitterサーチしてリプライ読みに行って「いきなり殴られた」はない、ということがわかってない。経緯知らないのかな?

初めてそのリプライを読んだ時に「殺す」というワードの強烈さにショックを受けたというのはわかる。

しかし、だったら吊るし上げ凍結という手段なんてほぼ確実に相手にショックを与えることがわかりきってるわけで、自分がショック受けたからといって相手にショック与えていいことになるわけない。

仮に「ショック受けた無罪」でショック与えられるとしても、今度は相手が「ショック受けた無罪」発動させて…の泥沼になる。

他のエントリブコメでも勘違いしてるのが多いんだが、「今回の件がエスカレートしたこと」のきっかけ(今回の件のきっかけじゃなく、為念)は「アイヌ殺す」リプライではなくkotoneiの引用RT

から「今回の件がエスカレートしたこと」についてはkotoneiが多分に悪い(開き直りも悪いと明記しておく)。

 

で、元増田はいきなり殴るのがいいのか悪いのかという話をしてたわけだが、これに対して最初に殴られたのはアイヌ側とか言い出し(しか事実誤認)、穏健な意見子供理屈とか小学生開き直りとか言って貶す。

あえてこいつらと同じレベルで言うならこれは中学生レベルの話のすり替えレッテル貼りだね。

自信があるなら恥じることなく「いきなり殴るのはいい」とはっきり書け。それができないか婉曲表現で「なんでえ別にいいじゃねえかいきなり殴ったって」という感情を遠回しにぼやいてるんでしょ。

あ、内心を忖度してしまった。すまんな。

まあ元増田がわざわざここポイントですよって太字で書いてくれたところを無視して別のポイントから反論するっていうのはそういうことでしょうよ。

 

さて、なんで優しく語りかけた方がいいかというと、マナーとかはもちろんとして、単純に話聞いてもらえる成功率が上がるわけじゃん。

相手無知だったらなおさらで、話の聞かせ方によっては凝り固まる前の相手の頭にこっちの考えをインストールできるわけだし(露悪的な表現だが教えや諭しにはそういう一面はある)。

実利的に考えてもウエメ晒し吊し上げ通報呼びかけしてアイヌ側が得することが何もないんよね。

ヘイトスピーチ者を放置することによる害を阻止とか言われる可能性があるけど、「殺す」発言の人は別にヘイトスピーチ者でないことは明白だし、手段が完全に過剰制裁から

話を聞いてもらって味方を増やす可能性を自ら閉ざすのは目先の「こいつらわかってねえし潰すわ」欲求を満たすのと差し引きでは大損。

もう一度あえて低レベル小学生コメント対応させるなら、開き直りすらさせないようにするのが大人、実利を取るのが大人

それができないんなら未成熟なのは過激ヘイトスピーチ批判者側だよね。

そういう実利的な理性的対話とかはなから目的じゃない、普段からの蓄積でつい感情的に過剰防衛してしまったんだーという筋なら上記の話をある程度無効化できる。

でもそれなら過剰防衛喰らった側の過剰防衛開き直りも引き受けなきゃいけないんじゃねーの?

自分らは感情的対応するけど相手理性的対応してくれっていうのは最初に殴った方の持ち出す筋論としてはおかしいから。

殴られた側が言うのもアレだしムカつくのはわかるけど、今回に限ってはかなり情状酌量余地があるしね。

というかここまで「側」って言ってるけど殴られた本人は凍結しちゃったら自分の口で反論することも(Twitterでは)できなくなるんだよなー。マジで凍結呼びかけは卑劣なのでやめましょう。

 

なんというかな、今回の件はほんと何らかの問題がよくわかってない人にものを教える、諭す、説得する、変節させて問題意識を持たせるということの労苦を甘く考えてる人が多いんだなと思った。

上で書いた大人、実利を取るというのは言葉にすれば簡単だけどほんとに難しい。まず無理ゲーだと思ってくれていい。

その労苦に満ちた無理ゲーさと向き合いながら地道にやっていこうとする人は偉いんだけど、「自分たちにはできる」と思い込んで実際やることは吊し上げみたいな連中は害悪しかない。

なんでチープな手段に出るのかといえば結局その手の人たちは対話コスト払う気がないからじゃん(推測だけど)?

でも対話とかする気ない(問題意識いから当たり前)人と対話しようと思ったら対話コスト払うのは話しかける側っていうのは当然じゃん?

コスト払う気もないし労苦を引き受ける気もないし煽られて会話シャットダウンされたら即キレて暴走する…もうちょっとちゃんとしてくれないと文字通り話にならんのよ。

ちゃんとしてない人は自分のちゃんとしてなさを自覚し、無理ゲー絶望し、後のことはちゃんとした人に任せて口を閉ざして退場した方が界隈のためになるんじゃねーの?

といううんざりした感想になってしまった。本当にうんざり

2016-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20160110205646

あるある言いたい」って何?頭悪いんだろうなーと思いました。

23:35追記)

意外にもトラックバックが伸びているので。

元増田

昨今の「東京で消耗してないで地方へ行こう」に、昨年末から地方から東京引っ越してきた私からあるある言いたい。

という文は、これだけでは、賛成の立場からあるあるわかるよねーと言いたいのか、こういう反例があるんだよあるんだよと言いたいのか、明確でない、すくなくともおれには。最初の一行でそんなあいまいな書き方するなんて頭悪すぎだろ。自分のごく近辺の、自分と等質な集団コミュニケーションすることを目的増田を利用してるのか。

…と思って書いたのだが、どうやらあまり伝わっていないようだな。いや、「自分と等質な集団コミュニケーションすることを目的増田を利用」してるのはおれだったか(むろん本気ではなく、ハイコンテクスト文章をそのまま読んでしまいそうな頭の悪いみなさんに対するイヤミとして書いている)。

ところでhttp://anond.hatelabo.jp/20160110220939はおれじゃないので為念

あとなにをどうぐぐったらおれの疑問は解消されるのかなーと思いました。

2015-08-10

まだ起訴前なんで、特定される情報はぼかすけど、気の毒に同じ車両に乗ってた人なら判る程度にちゃんと書く。

ちょっと前の金曜日会社帰りに帰宅の為に会社最寄駅から電車乗った。

会社最寄駅は始発の駅で、タイミングが良いと並んでても座れる時がある。

混みそうな時間帯にも関わらず、幸いにも端っこの隣の席に座ることが出来た。

出発まで5分ほど、背負っていたリュックを膝上に置き、スマホ技術ブログなどを漁る。

インターネット中毒なのか、外界の景色が見えなくなる程に熱中して読んでしまう時がある。その時もそうだった。

電車が動き出したのは覚えてる。後、隣の人が若干臭かったことも。

始発駅から1つ目の駅を出た頃、隣に座っていたおっさんが動いた。

視線スマホ目線の左端に動くおっさんの腕。

一瞬そっちを見るが、立つのか伸びをしているのかと判断して、視線スマホに戻そうとするその横で、振りかぶって返ってくる肘。

まさか電車で全く知らん人、ましてや無害だろうと判断した人からの突然の攻撃に備えられるはずもなく、目で追えていたものの、顔面クリーンヒット

考えさせてくれる暇も与えられず2発目。

突然脳天を揺さぶれ、顔面にモロにくらい、茫然自失、戦意喪失

おっさんは更に立ち上がり、殴り始める。

やっと回復した自己防衛本能、ガードを固める。

引く周りの乗客

一通り殴って気がすんだのか、平然と座る男。

おっさん「あー、スッキリした」

俄然高まる緊張感。

その後は、おっさんから引き離す様に立たせて、間に入ってくれた果敢な男の人に全てを任せ、立ち上がり再び威嚇するおっさんが取り囲まれ、駅のホームに取り押さえられる様を他人事の様に見てた。

犯人が暴れてるので、取り押さえ男衆に混じり4人掛かりで抑え、警察に引き渡す。

駅前交番犯人聴取と、関係者の連絡先を警察官に聞かれる。

が、警察官ほとんど犯人しか相手せず。

殴られて顔腫れてるわ、もみくちゃにされて片目のコンタクト失くされてるわ、後頭部の鈍痛がある中、警察官尋問で、待たされ続ける。

取り敢えず早く病院行きたかったのに、やっと出てきた警察官渋る渋る。

自分で呼んだ方が良いよとか言われたが、上司が応援にきてあっさり承諾。なんじゃそりゃー。

病院は至極適当だった。まぁ、当直医なんてそんなもんか。

こちらも為念受診してるので、文句は言えない。

取り敢えず、CT異常なし。

その後、署に移動して調書作成被害届け。

この時点で、23時過ぎ。

警察署では、何故かマル暴本部長さんが対応してくれた。

一昔の前のアイドル風な風貌に、マル暴で鍛えられた静かな迫力。

不器用ノートパソコンに調書を書いてくれ、2時過ぎまで対応してくれた。

途中、長過ぎてもう適当で良いよーと思ったり、感謝はしつつも調書もAmazonレビューポエム的な、拘りがあるのかなーとか思ったりしてた。

2時半頃、調書も被害届けも書き終わり、送ってくれることに。

本部長さん、今朝5時から働いてるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました

から聞いたが、犯人は住所不明無職の男。

前科13犯。動機は、刑務所なら3食食えるから。とのこと。

警察官刑事さんも、みんな言ってたが、本当に死んでしまえと思った。

あと、何にも出来なかった、やられた後に反撃さえ出来なかった自分が情けなくて、何か本当に悔しい。

2015-02-26

ラノベの「よく出来た」ボーイミーツガールテンプレート私論

はじめに

映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』において金子は次のように指摘している。

シナリオは筋書き(プロット)と描写(レンダリングから成り立っていますが、シナリオから分析局面では、プロットのものはあとに残る印象要素ではないということです。複雑なプロットであればあるほど、観る人をひきつけはしますが、覚えることは難しい。したがって他の人にも伝えにくいのです。したがってプロットに関しては「面白い」「いい」だけ。覚えている印象のほとんどは、描写です。つまり、シナリオライティングのミザンセーヌに関していえば、レンダリング重要だということになります

ラノベにおいても抽象度の高い「筋書き」を具体的に「描写」していくという作業は多くの作家が認めるところである映画は「筋書き」である台本と「描写」である映像に明確に分離可能であり、それと比較すればその境界は曖昧でありつつも、基本的な考え方としてラノベにおいても両者を区分することは可能であろう。

様々な作家による小説、ラノベ創作技法において、そこに書かれた技術がどちら寄りかを意識してみると、人物設定はどうあるべきか、世界主題の関係についてといった「筋書き」寄りの内容に対し、「描写」寄りの内容はその紙幅のほとんどが正しい日本語講座に費やされていたりする。

正しい日本語で書けるようになりました、とは読者に苦痛を与えずに「筋書き」を伝えられるようになりました、というに過ぎず、そして苦痛なく読める文章であることは読者にとっては当然であり、その意味でこうした日本語講座は「マイナスゼロにする」ものしかない。実際、ラノベワナビを数年続けているような人であれば読めない文章であることは少ない。しかしそれがなぜつまらないのか、といえば、まさしくそれがゼロしかないからではないのか。

一方で「ゼロではなくプラス」のラノベは確かに存在する。とすると「ゼロプラスにする」、すなわち「筋書き」を単に読者に苦痛を与えずに伝える方法ではなく、魅力的に伝えるための方法はあるはずである

ラノベを含む多くの創作論では「とにかく色々読め」という指摘がなされている。それは直接的な知識の吸収のみならず、そうした多読から無意識に「魅力的に伝えるための方法」を抽出し、そしてそれを自作においても無意識に利用するようになることを期待してのものであると筆者は考えている。

であるならばそれは、システマチック再利用可能な一定演出法――いわば「テンプレート」として抽出可能なのではないか。

仮にそうだとすれば、筆者はこの演出法には大きく二段階あると考えている。一つは筋書きを主たる場面に分解したとき、そのそれぞれの場面をより魅力的に見せるための場面展開の組み方、いわば「レイアウトの仕方」であり、もう一つは場面それ自体品質を直接的に上げるための「描写の仕方」である

金子映像に関して指摘するように、ラノベにおいても「描写の仕方」の影響は非常に大きいだろう。しかし一方で「よく出来た話だ」という感覚を覚えるラノベがあるとき、それはこうした「レイアウトの良さ」によって得られる感触であり、それは文体が合わないとか、パロディ不快だといった個人の直接的な好みとは一つ別の次元での評価――「自分の好みではないけれど、でもよく出来た話だと思う」といった、評価底上げに繋がる効果があるのではないか、と筆者は考えている。

「描写の仕方」については稿を改めるとして、本稿ではまずこの「レイアウトの仕方」についてのいくつかの私見を述べることとしたい。

本論

定義調査対象

本稿で抽出したいのはラノベの「筋書き」を魅力的に見せるための展開の仕方であって、あらゆる物語に普遍的存在する何かではない。ロシアの昔話とギリシャ神話キャラ萌え特化の現代ラノベ普遍的存在する要素を抽出したところで、物語構造論的にはさておき「よく出来たラノベ」を書くためという点で言えば糞の役にも立たないと筆者は考える。

大塚新城をDisった上で、つまりあ特定様式における「テンプレート」の抽出必要なのであり、本稿ではボーイミーツガール様式をもつラノベ限定することとした。

ボーイミーツガール定義として、例えば伊藤ヒロは「涼宮ハルヒゼロの使い魔など、メインヒロインとの「出会い」がきっかけで平凡な主人公が非日常に入る、という構造」を持つと述べる。裕時悠示もまた「ヒロインが非日常をつれてくる」としており、まとめると主人公ヒロイン出会いとそれによる非日常の始まり、といったところだろう。

まず本稿では「主人公」は単に語り手もしくは視点人物とする。『涼宮ハルヒの憂鬱(以下ハルヒ)』においてはキョン主人公であり、涼宮ハルヒヒロインである。加えて主人公ヒロイン性別は問わない。『マリア様がみてる(以下マリみて)』においては主人公ヒロイン女性であり、『エスケヱプ・スピヰド』においては主人公女性ヒロイン男性である表現上の混乱を避けるため、本稿では男性ないし無性であっても「ヒロイン」と呼称する。

次に、では「非日常」とは何か。

例えば『灼眼のシャナ(以下シャナ)』では主人公ヒロインと遭遇する前に外敵に襲われ、これは明らかに「非日常」として描かれる。もっとも襲撃直後にヒロインとの遭遇がある以上、広義にはヒロインが「非日常」を連れてきたと言っていいだろう。ところが例えば『化物語』では主人公ヒロイン出会う随分前から怪異に接する生活に入っており、ヒロインがそれをもたらしたとすることには広義といえどいささか無理がある。

そこで「非日常」とは主人公を取り巻く環境の変化ではなく、主人公のとる「意識と行動の変化」であると筆者は定義した。『ハルヒ』も『シャナ』も『化物語』も、いずれもヒロインと遭遇後、主人公の行動はヒロイン意識したものへと変化し、その意識した行動を軸に物語が展開していくことになる。この点から本稿ではヒロインを「主人公意識している相手」と定義する。

以上をもとに、本稿では下記の条件を満たすラノベボーイミーツガールと考える。

  • 語り手/視点人物(主人公)はある人物(ヒロイン)と遭遇し、これを意識した行動を取るようになる。この行動が物語の主たる軸として描かれる。

なお、本稿におけるボーイミーツガール排他的ものではない。ゆえに例えばハーレムラノベの代表格と言えるであろう『IS〈インフィニット・ストラトス〉(以下IS)』も、本稿ではボーイミーツガールとして扱う対象である

これを基本条件として、さらに人気作の方が魅力的な展開が内在する確率が高いだろうという推測から映像化された作品を中心に絞り込むこととした。

シリーズ化している場合、本稿での調査原則としてその第一巻のみを調査対象とした。最初の一巻はそれだけである程度のまとまりを見せる構造を持っているだろうと思われ、またその出来がいいからこそ続刊が決定したと言うことができるだろう、という推測によるものである(細かく言えばボーイミーツガールとしてのひとまずのオチが付いたと筆者が判断したところで区切ったため、『化物語』はひたぎクラブのみ、『星海の紋章』は全三巻と対象範囲に差はある)。

以上からWikipediaアニメ化されたラノベ一覧からランダムに選び出し、上記の条件に該当する作品50冊を調査した(一部個別判断からアニメ化されていない作品も含めた。また本稿では「ラノベ」の定義については特に踏み込まない)。これらを以下本稿では「ボーイミーツガール」と表記する。

長くなったが、以下やっと本題に入る。

本論

本稿では「ボーイミーツガール」を遭遇と関係構築で成り立つものと考え、それぞれについて「テンプレート」を抽出することを試みた。いずれも個々のラノベからその要素の類型化をまず行い、次にそれらが実際にどう扱われているか、またどのような扱い方がされるとより「よく出来ている」と筆者が思ったか、という恣意的判断によってまとめたものである学術的な検討がされたものではないし、類型化の際の用語も筆者が勝手に命名したものしかない点は注意されたい。

遭遇のテンプレート

主人公ヒロインとの出会いののち意識するようになる」とは、主人公ヒロインに対する見方が変わる、と換言してもいいだろう。その意味ヒロインとの物理的な出会いのみならず、「ヒロインに対する主人公見方が変わる」ことも含めて本稿では「遭遇」と定義する。

さて、「よく出来た遭遇」は印象に残るものであり、そして意外性は印象を残す一つの要素たりえる。実際多くの「ボーイミーツガール」は遭遇時にヒロインの「意外性のある設定」を明らかにする。

問題は、その「意外性のある設定」は凄まじい勢いで陳腐化する、という点である

突然同じ部活所属することになったヒロイン毒舌であることが明かされる『やはり俺の青春ラブコメは間違っている(以下俺ガイル)』、突然同じ寮に入ることになったヒロイン天才画家であることが明かされる『さくら荘のペットな彼女』、突然同居することになったヒロインサキュバスであることが明かされる『ご愁傷さま二ノ宮くん』などいずれも「意外性のある設定」が明かされるが、それが筆者に十分なインパクトを与える意外性であったかといえば否定せざるをえない。ヒロイン魔王だろうが神様だろうがそれがどうかしたのかと微塵も関心を示せない読者は特に筆者に限ったものではないだろう。

筆者が考えるに、これに対するアプローチは大きく2つに分けられる。ひとつは「設定の極端化」、もう一つが「演出の工夫」である

設定の極端化

「設定」の新規開拓はもはやほとんど絶望的だが、既存陳腐化した設定を極端化することによって意外性を勝ち得ているものは確かに存在する。例えばヒロイン挨拶代わりに主人公を撲殺する『撲殺天使ドクロちゃん』はその典型例と言える。問題は極端化が進めば進むほど馬鹿げた内容になりがちであること、さらに所詮は既存の内容の延長上にあることから読者の十分な意外性を得ることができず、陳腐で馬鹿げたものしか認識されないリスク内包する、という点である

演出の工夫

既存陳腐化した設定を使い回しつつも、その演出によって読者の興味を喚起することは可能である。そこでまずいくつかの代表的な遭遇における演出類型を整理したい(以下で全ての類型を網羅しているといった主張ではない。為念)。

主人公を困難に直面させる

クーンツは『ベストセラー小説の書き方』において、物語冒頭で主人公が困難に直面することが読者の興味を喚起する重要な要素である、としている。ヒロインの設定に意外性が乏しく魅力が無くとも、遭遇の場面の魅力はこの「困難さ」で補填することが可能であるヒロイン奴隷だと告げられる『ゼロの使い魔』、異星人に狙われる立場だと判明する『這いよれ! ニャル子さん』、突如男性主人公美少女に変わる『俺、ツインテールになります』などが具体例としてあげられる。

とはいえこれらの例において実質的主人公が困難を自覚しているものは少なく、その解決へ向けて真剣に行動することはほとんどない。いわば形式的な困難さでしかなく、そうした困難さは筆者の興味を喚起するものではなかった。

一方で『シャナ』は主人公が強く困難な状況を自覚し、絶望するところで始まる。トーチ云々の中二病はともかく、ヒロインに命を救われたと思いきや「いやもう死んでるから」と否定され、残りわずかな自分人生に悩む流れは使い古されたそれでありながら、筆者は悪くない印象を持っている。形式的困難に全く効果が無いわけではないだろうが、より効果的にしたいのであれば実質的困難とした方が無難とは言えるだろう。

秘密漏洩

偶然からヒロイン秘密主人公が知ってしまい、ヒロインもまたその漏洩を把握する、という遭遇の類型もまた古典的展開と言っていいだろう。『乃木坂春香の秘密』などはこの典型例と言える。

知ってしまった秘密主人公はどうするのか、秘密を知られてしまったヒロインはどうするのか、という次に当然起こるであろう緊迫した事態への興味を効果的に喚起させることができる上、それまで互いに無関心であった主人公ヒロインが相互に強烈に意識し始めることが読者に必然的に伝わる、という強力な副次効果を持つ。また秘密漏洩ヒロインにとってみれば「困難の直面」に他ならず、そこで極限状態に置かれたヒロインがどのような行動をするか、とはそのヒロイン人格であったり本性を端的に表すものと読者に暗黙に理解させる点でも効果的に機能する。

謎の提示

その状況が主人公にとって予期せぬ事態であり、なぜそんなことになったのかという困惑と疑問が生じる遭遇は読者の興味を喚起するという点で効果的である

例えば『タイム・リープ あしたはきのう(以下タイムリープ)』においては記憶の混乱という謎がまず読者につきつけられ、その解決が物語の主たる軸となる。『のうりん』においては主人公の崇拝するアイドルが電撃引退の上突如転校してくるが、彼女がなぜ転校してきたのかが物語の中心に据えられている。

しかし『タイムリープ』と『のうりん』を比較すると遭遇の出来の良さは(筆者にとっては)圧倒的に前者である。その違いは、おそらく単純に「読者の興味を引く謎か」という一点に尽きると思われる。この類型ヒロインの設定の意外性ではなく謎の意外性で勝負していると言ってよく、ゆえにどれだけ読者の興味を惹起することのできる「謎」を思いつくかがこの類型の要点と言っていいだろう。

印象的な絵面

例えば『マリみて』における「タイが曲がっていてよ」のように、これまでに見たことが無いような強いインパクトを与える絵面を描くことで読者の興味を喚起することに成功しているものがある。

筆者は全く百合趣味理解できないが、そうであっても「美人美少女ネクタイを締めてあげる絵」というのはなるほど悪くない絵だという実感が得られ、印象に強く残っている。

マリみて』ほどの強力さは筆者には感じられなかったが、例えば『とある魔術の禁書目録(以下禁書)』における「帰宅したらヒロインベランダにひっかかっていた」という絵もこの類と言っていいだろう。

遭遇の多段階化

以上、いくつかの類型を述べたが、より効果的に演出する方法としてこれらを多段階構成にする、という手法があると筆者は考えている。

例えば『俺の妹がこんなに可愛いわけがない(以下俺妹)』ではまずヒロインエロゲ趣味主人公漏洩する第一の遭遇(秘密漏洩)があり、それについての一段落が描かれたのち、夜中ヒロイン主人公の自室に侵入する第二の遭遇が発生する(謎の提示)。

化物語』の第一の遭遇は階段から落ちたヒロインを抱き留めるという古典的なそれであるが、これは同時に「ヒロイン体重が無い」という「謎の提示」と「秘密漏洩」として機能する。次にヒロインの病弱さがひとしきり語られたあとで、ヒロインカッターナイフホッチキス主人公の口に突っ込み脅迫するという第二の遭遇が描かれる。攻撃性格ヒロインに特段の目新しさはないが、文房具凶器として使うこの絵面は筆者にとって十分インパクトがあった(印象的な絵面)。

とらドラ!』の第一の遭遇はヒロイン主人公を睨みつけるだけの地味極まりないものである。ところが第二の遭遇はヒロインが机を吹き飛ばし掃除道具入れに隠れるところを目撃するという奇妙なものであり(謎の提示)、ラブレターの入れ間違えの発覚を踏まえ、その「秘密漏洩」への対抗策として主人公宅へ夜襲をかける第三の遭遇と畳みかける。

興味深いことに、このときいずれも各段階の間に一拍が置かれている。それぞれの遭遇は矢継ぎ早に連続して矢を刺すというより、一本矢が刺さってちょっと痛みに慣れてきたところで二本目を刺す、というテンポと言ってもいい。

例えば『俺妹』ではエロゲヒロインに返した際、その場でヒロイン主人公へ自室でそのゲームプレイすることを要求しても物語上何ら影響はない。しかし一旦そこで一区切りさせ、主人公に「これで今まで通り、互いに無視しあう兄妹関係に戻るのだ」と吐露させ、その上でヒロイン夜這いさせることで、単にその場で依頼をするより読者に強いインパクトを与える効果を生んでいると考える。

中編へ続く

2015-01-21

http://anond.hatelabo.jp/20150119185257

かつて前期東大落ち、後期阪大基礎工に合格したものです(昔は後期試験があったのです)。

データにもとづいていない主観情報で恐縮ですが思うところがあったので書いてみます

まず、センター試験おつかれさまでした。

前提


受験について

あなたが一番よく知っているだろうけれど、東大京大試験が独特で傾向の対策を十分受けている人がライバルになる。あと1ヶ月でそれに太刀打ちできるようになるかは自分相談。B判定なら射程距離内だけれど、リスクはある(10回受けたら何回合格するか?7回なら受けるべきかもしれないけれど3回なら自粛・・・)。出願期間まで2週間、各模試過去問など受けて考えてもよいかも。阪大を受けるのに、東大京大過去問をやっておくことは損ではない。

大学の違い


卒業

今回のご質問趣旨とは異なるけれど、卒業後、人生の多くをどこで過ごすかは考えておいたほうがいい



よい高校生活、よい大学生活を!

2013-05-19

乙武問題の気になったことメモ

1. 店側の言い方が問題だとか言ってるのがいるけど、先に問題を起こしたのは乙武であり、キチガイ相手に態度が横柄だからって責められてもなぁと思う。(「カタワ相手に」ではなく「キチガイ相手に」である為念。)

2. 「連れ」がいたらしいが、そいつは何をしてたんだろうか。店の手を煩わせずに連れを使えば良かったじゃん。

2012-08-09

被害者同意違法性を阻却するよ。

私立高校の「根性焼き」傷害事件についてのブコメで、意外なほど多くの的外れな批判が集まってたので、啓蒙ということで。

勘違い会場はこちら。http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/news/20120808-OYT1T00336.htm

ここに少なからず見られる「同意があっても」云々は全て、無知に基づく誤った批判です。

 

(他)人の身体を傷害(刑法204条)する行為には、被害者同意がある場合には傷害罪(刑法204条)は成立しません。

被害者同意違法性阻却事由だからです。平易な言葉で言えば、やられた人が良いって言ってたんならやっても良いんです。

 

なぜか。

傷害罪は、各個人の身体(≒健康)を保護するための規定です。

そして、各個人の身体は各個人のが自由に処すことができます。自由万歳

したがって、同意に基づいて行われる障害行為には犯罪性がないのです。

このおかげで私達はハードSMを楽しむことができるわけですね。

 

被害者同意違法性を阻却する根拠は、保護法益被害者が処分できることにあります

から、これが妥当するのは個人的法益保護する犯罪類型に限られます

社会的法益保護する犯罪類型、例えば猥褻物陳列罪なんかだと、見せられた人が同意しててもアウトです。

また、個人的法益でも生命だけは特別扱いがなされていて、被害者同意に基づいて殺した場合同意殺人罪という犯罪が成立します(刑法200条後段)。逆に言えば、「同意傷害罪」が規定されていないことからも、法律が「被害者同意」に基づく傷害行為を罰しない意思であることが判りますね。

 

もっとも、この「被害者同意」は簡単に認めるわけにはいきません。同意押し付けられるような弱い立場の者を保護しなければなりませんから

そこで、「被害者同意」は一般に、「真意に基づく」ことが必要だと解されています

脅されて「同意」した場合には、同意は真意に基づかないため無効であり、違法性が阻却されず、したがって犯罪が成立します。

根性焼き」なんてのは普通は好き好んで行うものではないから、関係者が「同意でした」と言ったくらいで真に受けるのは、故意にも等しい重大な不注意といえましょう。ましてあれほど多量の瘢痕を見て同意を信じるなど、弁解の余地は皆無です。

私立高校を非難するべきはこの点です。「同意」を簡単に信じ、あるいは信じたふりをしたことが、問題です。

他方で、同意があっても云々の批判は誤りです。

 

ところで、もし実際に真意に基づく同意によって根性焼きが行われたとしたら、どうでしょうか。

この場合は「被害者」(もはや被害と呼ぶのも不適切だが)自身の非行であり、私立高校であれば退学処分もやむなしといえるように思います

蓋し、自ら殊更に根性焼きの痕を作って見せる行為は己の暴力的性向を絶えず表明するもので、髪染めやピアスファッションタトゥーを遥かに超え、ヤクザ刺青に近い悪性を有すると思われるからです。

と、まぁ最後段落は今回の件とは一切関係のない思考実験ですけどね。為念

2012-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20120315133630

ちょっと待て

「マ」は、ちょんまげじゃないのか?

気持ちはわかるが

なんの証明にもなってないぞ, おぬしの文章...

ちなみに、ほんとのところは俺も知らない。為念

2011-10-23

セシウム汚染灰で都内の汚染が最悪な状況なう」について

http://togetter.com/li/203621

@TOHRU_HIRANOさんや@yusukeskinjpさんのように心配になる人は結構見かけるし、その気持ちを揶揄する意図はないが、焼却炉の飛灰に放射性セシウムが含まれていたというだけなら、心配する必要はないとおれは思う。だって回収されてるわけだからね。

あるいは、気にしているのは、集塵機で回収しそこなった放射性セシウム大気中に放出されているのではないか?ということかもしれない。

そこで、目黒区の焼却施設について環境研の資料http://goo.gl/A7sXi に基づいて概算してみよう。

目黒清掃工場環境報告書2010によると、ごみ搬入量は103,883t/年。これを焼却してどのくらい飛灰が出るかは、なぜかこの報告書には記載されていないので、先の資料に記載されている福島県内の焼却施設における「年間処理量に対するばいじんの比率」(ばいじん=飛灰である為念からバグフィルターの最大値である4.9%を採用することにする。このうち0.1%が大気中に放散すると仮定すると、目黒清掃工場の飛灰中放射性セシウム濃度合計4,000Bq/Kgより、年間の放射性セシウム放出量は

103,883 x 1,000 x 0.049 x 0.001 x 4,000 = 203,610,680 (Bq)

まり204MBqということになる。これが目黒区全体にまんべんなく飛散した場合、年間およそ14MBq/km2の放射性セシウムが降下することになる。

この分量が多いか少ないか、というと、たとえばhttp://goo.gl/AJGTJからたどれるCs134の月間降下量は、新宿3月8500MBq/km2、4月290MBq/km2、5月74MBq/km2であったから、これらと比較すれば非常に少なく、焼却炉由来の放射性セシウム健康被害(もし起こるとして)への寄与は無視できると言っていいだろう。

というわけでこの件については、少なくとも現在得られている情報から心配する必要はないと結論付けられる。安心してください。

2011-07-14

天災人災と区別のできない日本人。低い社会的リテラシー」と海外メディアに書かれる所以

http://anond.hatelabo.jp/20110710011849

恩恵を得てきたこと

天の恵みは、文字通り自然界が分けたもうたもの

石油鉱物、食糧、水資源自体など。

一方、水道局も電力会社マスコミも事業者のうちのひとつ

人間社会の営みのなかの話。

21世紀に入ってはや10年、昭和がおわって20年以上たつが

おかみ崇拝根性に染まってる様相は、まさにガラパゴス

(20年は、生まれたばかりの赤ん坊がさまざまな試練を経て成人に達するまでの期間。為念)

ちなみに、私は地元水道局に対してすごい技術力と評価しているが(むしろ尊敬という表現が近い)

大事故をおこしたらそれとは別。

それでも、顧客側の立場に立って真摯対応してくれたなら

とりたてて怒りもしない。事実人為的ミスゼロにできないのだし、見つけ次第対処、今後を考え改善するしかない。

私は今回の原発事故についても、政府東電の行動が妥当であれば、大半の被災地住民・顧客がそうしていただろう思う。

ごく一部の「モンスター顧客」が気になって振り回されるのは

それぞれの時点で本当に何をすべきかわかっていない、つまり(本当の)顧客側への理解に乏しい証拠でもある。

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