はてなキーワード: 晩年とは
山崎まさよしがライブで燃えているようで、その他玉置やら、さだが名前に出ているけど、自分もとある歌手を見に行って酷い公演を見たことがある。
無気力、MCに覇気がない、歌うのをやめてしまう、アンコールもない。
当然叩く人がいたし自分も金返せよーとは思ったが、口直しに居酒屋行って飲み明かして忘れることにしたので、別にそのあと炎上に加担したりはしてない。
数日後、週刊誌がライブ直前に歌手の父が死去したことをすっぱ抜いた。
むしろよくライブをしたなと思った。そしてなにも言わなくてよかったと心底思った。
1度向けた怒りというのは収めがたいもので、その事実を知ってもなおプロならちゃんとすべきだったとブログに書いている人が居た。
実際このときは週刊誌が暴露したから本人からも当時のことについて説明があったが、観客にはしりえないことばかりなんだろう。
エルヴィスという映画を見ると彼のステージの舞台裏を知ることができる。晩年色々言われたプレスリーだが、裏でこんなことが起こってたなんて知ると気の毒すぎて当時の客を憎んでしまう。
客には何も見えてない。そう思ったから何も言わないことにした。
ミーハーでライブは好きなので「さっさと巻きで終わらせよう」とか言ってる人も見たことあるし、旧ツイッターで延々観客の悪口を言ってたり、スタッフのミスを責め切れ散らかす人も見たことがある。明らかこいつさっきまで薬やってただろ、あれ薬切れか?って人もいた。全員有名人だ。
それでもなにも言わない。
生ライブってことはそういう人間の波を観察するものかもしれないと思うようになった。歌手は基本良くも悪くも感情が豊かなので。
それでファンが離れても自分にはどうでもいいことであって、もちろん怒る人がいなくなると社会的秩序が消えてしまうので居るべきなのだろうが、少数でもそれを楽しむやつがいても良いのではないかと考えている。
まあとにかくネットで思ったことをすぐ書くというのはバズりはすれど後悔する可能性が高いので、いい大人なら一旦落ち着いてほしいものである。
去年、プラッツ近鉄時代から20年くらい世話になってる京都駅のソフマップが閉店した。京都駅周辺で初めて出店したデジタルモノに強い家電量販店だから、なんやかんやで重宝したわ。ここでパソコンも2回買ったし、大学帰り、会社帰りでよくゲームも買った。
まあ、晩年はそのプラッツ近鉄跡にできたヨドバシに行くことの方が多かったけどね……。
やっぱり最後にテナントを構えてたイオンモール京都は、京都駅からは微妙に遠く、休みの日にイオンモールに行ったときについでに寄る店で、仕事帰りに寄る店という感じではなかったのが大きい。せめてアバンティ京都のままなら寄ることも多かっただろうけど。
ちなみにソフマップが出店されてた頃のアバンティ京都はティーンズ向けファッションビルとしての色合いが強く、本来の客層とソフマップに寄る客層が完全に分かれてたのが面白かったりする。そんな、アバンティもアニメイトが出店されたり、ドンキが出店されたりしてだいぶ空気も変わってしまったが。
ソフマップ京都店の思い出話はさておき、なんか最近、ソフマップがメチャクチャ少なくなってないか……?
梅田のソフマップはなくなったし、日本橋ではジョーシンと張り合うように出店されまくってたのに、今じゃ大型店が1つあるだけ。昔は京都の四条河原町にも出店されてたりもしたが……。
店舗リストを見てても、ビックカメラに間借りして出店されてるケースも多いし、なんでこんなに減っちゃったんだろ。みんなパソコンを買わなくなって、デジタル家電だけで食ってくのはしんどくなったんかねぇ。
というよりアレだ、老人が
って騒いでるのと相似形の生き恥を、「ヒトの親」が晒してるのは見るに耐えないんだ。
それが利益につながる、乞食根性でも子供が幸せになれる、と信じての主張なんだろうか。
あまりにも矜恃がなさすぎると思う。
老人は死に損ないだからこそ恥も外聞もなく必死こいて喚くのは分かる。生き意地の汚さを人生の晩年で晒すのは動物の本性だろう。
ググったら予想以上に設定が細かくて草
ソレナンテ・エ・ロゲ(Sorenant et Roage)は1599年4月1日生まれのフランスの評論家である。
主に人間の性欲に対する研究を行い、また、学会では批評を行った。
●誕生
父親は後にフランス東インド会社となるパリ国営貿易会社本部の創始者であり、また、母はルイ11世の服装を製作するデザイナーという大富豪の家に生まれる。
幼少期には何にも興味を示さず、養育係やメイド達を困らせたが、13歳の時に友人であるピエール・ダレソレの奨めで同級生であるエマ・ギラクサと付き合う。
それをきっかけに恋愛にのめりこみ、数年のうちに数十人の少女と付き合ったという。
しかし、両親は一人息子が初めて物事に興味を持ったからと屋敷に離れ屋を作り、そこに彼女達を住まわせたと言われている。
なお、後にこれが現代のラブホテルの発端になったという説もある。
20代前半にして、既に100を超える女性とつき合っていたソレナンテは女を見る目が肥えて、フランスの週刊誌「プワソン・ダヴリル」に女性との付き合い方についての1コーナーを担う事になる。
そのコーナーは女性と付き合う為のバイブルとして貴族から平民まで幅広く読まれる事になった。
また、沢山の女性と付き合いながらも、三角関係を円満に解決したり、アメリカから連れてこられて売春婦にならざるをえなかった女性の人権についての批判もしていた。
そんな中、女性の人権を守る会(ドロワ・プル・プロテクション・ドゥ・ラ・ファム)の会長マルキ・ド・サドに注目される。
彼は活動当初は男尊女卑の社会であった為全く注目されなかったが、徐々に思想が広まり、認知されて来ていた。
そんな彼が、ソレナンテに注目したのはある意味必然とも運命の悪戯であるとも言えるだろう。
また、サキュバス・インキュバスの研究をし、それが強姦による妊娠への言い訳であるという批判をしていたザッヘル・マゾッホも彼に注目。
やがて同志となった。
しかし当然の事ながら、男尊女卑の体制を敷いていた貴族から危険分子として注目されてしまう。
貴族達の陰謀により彼らは何度も逮捕され、また釈放されては活動を行い逮捕されを繰り返した。
「またお前か」
と半ば飽きれられる程の知り合いになり、囚人が寝静まった頃こっそりと酒を飲む仲になっていたという。
そんなソレナンテだったが、貴族の陰謀によりついにルイ14世によって処刑が決定され1664年2月30日に処刑された。
子供の頃に芸能目指してて、その一環でジャ⚪︎ーズのJr.の下にある研究生みたいなレッスンだけ受けてるような立ち位置だったことがある。ダンスと演技のワークショップって言うとわかりやすいかもしれない。所属じゃなくても選ばれれば正規のレッスンしてもらえるみたいなのが当時あって、子役の時にそれに参加していた。
しばらくしてスポーツの方に興味がいって芸能目指すの自体をやめてレッスンからも離れたんだけど、 性加害の騒動の中で突然某週刊誌が当時の知り合い経由でコンタクトをとってきた。
最初は「あの件について世代別に聞き取りがしたい」みたいな感じだったと思う。自分は話題の故人と会ったこともないとは事前に伝えたが、「事務所が子供をどう管理していたから的な内容の簡単なアンケートです」と言われていて、その知り合いも同席するとのことで記者と会うことにした。
でも当日現れたのは記者と、たぶん記者ではない女の2人だった。最後までこの女が誰なのかはわからなかった。
その時初めて知り合いは用事ができて来られなくなったと言われたし、大手チェーンの喫茶店で、と言われていたのに理由をつけて個室の居酒屋に連れて行かれた。
取材中はスマホはバッグに入れろと言われて、ギャラのこととか書いた契約書とかの書類もiPadで見せられてその場で読む形で、紙ベースではなくて持ち帰ることはできなかった。「あとでメールで送ります」と言われたけれど、結局情報提供自体を断ったから送られては来なかった。
記者の話の内容を要約すると“某事務所のあの件について情報を集めている、何か思い出せることはないか?”みたいなのを、言葉を変えて何度も聞かれた。2:1でちょっと尋問っぽいなと思ったし、向こうは録音してたから、何か言ったら勝手に使われてしまうんじゃないかみたいな怖さがあった。
あと「噂話でもいい」とも言われたし、もう1人の女が子供に話かけるみたいにしきりに「大丈夫だよ、私たちは味方です」みたいなことを言うのもやばいと思った。
向こうは録音してるわけだから、これ後から編集されて音だけ聞いたら自分が言い淀むだけでも何かを隠しているように聞こえるんじゃないだろうか?
そもそも自分がダンスレッスンとか受けてたのは議論になってる人の晩年だし、週刊誌側はそれを知って声をかけてきてるはずだった。噂話どころか名前さえテレビで聞くような伝説以外にほぼ聞かないくらいだった。事前に聞かされていた事務所の子供の管理うんぬんはまったく質問されず、とにかくなにか聞き出したい言葉があって、それを引き出すために呼び出されたような印象だった。
今話題になってることの事実が何かは知らんが、ほぼ関係のない世代の人間にまで声をかけて、まとまった額の金を先に提示して、適当な話をして欲しがっているのがわかった。
「何か困ってることはある?」みたいな誘導っぽいことも聞かれたし。証言している人たちの真偽も知らんが、これもし金に困ってたり人生詰んでたら、存在しない思い出話をしてしまうんじゃないだろうか。
話してる時にも録音録画してないかやんわり聞かれたり、とにかく証拠を残したくない感じだった。この件がどうというより、これは週刊誌のノウハウなのかもしれないが。
あと帰る時に「相談するならこういうところもある」と紹介されたのがファンが作った署名団体みたいなやつで、調べたらもっと闇深いらしいが、仮に本当にファンが作ったとしたら、そこと週刊誌がつるんでたり事務所と元々関係のある男繋げるのは問題じゃないか?と思った。
これが週刊誌の独断だけでやってるのか、もっと何か嫌な活動団体とかが後ろにいるのかはわからない。情報提供は断ったし、録音してる音声も使うなと言ったけど、正直匿名にして文字に起こされたらわからないし、閉じられた場所で誰かを騙すのに使われたら加担したみたいで嫌だなと思う。
なんとなく自分で抱えておくのもなと思って暴露系のアカウントにこれを教えたら「この件は触れない」って言われたんだけど、自分の中では嫌な出来事だったので残しておきたい。
渡辺信一郎監督とか押井守監督とかあまりにも早いピークとぱっとしない晩年を見てると、50過ぎてから作品がますます面白くなっていった宮崎駿ってなんだかんだでバケモンなんだなって改めて思った。最新作はさすがに耄碌したなーとしか思わんけど。。
「千のナイフ」で盆踊りをしている様子がTwitterで流れてきて面白いと思った
https://twitter.com/petsounds99/status/1682664145894912001
その関連でいろいろクリックしているうちに大阪の神社、吉川八幡神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%B1%8A%E8%83%BD%E7%94%BA)
https://www.youtube.com/@tenchigaraku
https://www.instagram.com/rev_motomi_yoshimura/
勝手に教授の映像を使っているのかなと思いきや、どうも先代の宮司、久次米一弥は大阪音大卒のミュージシャンで、かつてコラボしたこともあったらしい
今の女性宮司が教授とのプライベートな写真をアップしているのを見ると、けっこう親密な関係だったと思われ
吉川八幡神社は音楽イベントを頻繁にやっているみたいだし、映像を見ると教授の相当晩年だし
これなんなんだろう。
坂本龍一は晩年、音楽と自然音をMIXしようとしていたし、人工的なものを忌避しようとしていた
でも、神道もしかり、宗教なんてものはすごく人工的でもあるよね
その辺詳しい人いる?
そうなんだすごいな。お世話してくれる人に出会えてよかった。
うちも昔大型犬飼ってたけど晩年に十分な世話ができなくて今でも心残りがある。
よかったらまた様子を書いてください。
高校3年生の時に、私が父では無い男との子供である事が判明してしまった。
実父は因果応報か重い病に侵され、余命いくばくも無い事が分かり、せめて最後のクリスマスだけは
「本当に愛する人」と一緒に過ごしたいからと、悲劇のヒロイン面で私達に涙ながらに告白された
実父は父とも学校の先輩として知り合いで、でも良い関係ではなかったらしく(恐らく虐められたか何だかされたんだと思う)
「なんで…よりにもよってあいつとだなんて…!」
ってキレながら泣き叫んでいた。
そのまま母は父が出てけと言う前に勝手に家を出ていき、あちらの家で二人だけの最後のクリスマスとやらを過ごしていた様だ。
そして年明けになって当たり前の様に帰って来たので、
「どうして帰って来たの?」
と聞くと
「まだ離婚している訳じゃないし、○○さん(実父)の所に通うとしてもここが何かと便利なのよ。後は新しいパートも見つけなくちゃ」
なんてふざけた事をほざいていたので、私はぶち切れて
「出て行けーこのクズがー!!お前のせいで私がーー!」
って叫んで
フライパンで母をボコボコにした。それだけでは飽き足らずたまたま近くにあったタオルで母の首を締めていた。
弟が帰って来て体張って止めてくれなければ今頃本当に母を死なせていたかもしれない。
実際私はメチャクチャだった。
父は
「目元があいつに似てきていた。まさかとは思っていたけど、本当なら苦しい」
と言って
今まで父とは凄く仲が良かったのに
って言われて、一緒にいるのも辛いからって家を出ていってしまった。
弟はまだ中学生だったので、私が母方の祖父母の家に行く代わりに父に戻って来てもらう様頼んだ。
祖父母宅でも「恥ずかしい子」の娘だったので肩身狭い思いをしたし、父とは会いたいと何度連絡を送っても殆ど無視。
「顔を見ると色々思い出してしまい、君に言うべきでは無い事も言ってしまいそうになる、会わない方が良い」
とまで言われてしまった。
私は父とはとても仲が良かったのに、父を失ってしまった。
母とも母の托卵が発覚するまでは、母とは仲も良かったし優しいしっかり者の母として大好きだった。
弟と差をつけがちなのが玉に瑕だったが(私には一切言わない事でも、弟には「男なんだから!」と厳しく叱責したり)
その理由が分かってしまった時は吐き気がしてならなかった、実際吐いた。
私は「本当に愛する人」との子で、弟はそうじゃなかったからだと言う事に気がついてしまったから。
弟とも仲が良かったのに、急に「どこの誰とも知れないヤツの子」になってしまい、あっという間に距離を置かれた。
「お姉ちゃんだと思っていたのがお姉ちゃんじゃなくて、どうして良いから分からないから、ごめんなさい」
って
泣きながら謝られたら、弟大好きだった姉としては許せない訳が無い。
本当は卒業記念に弟の好きな食事でも、と思っていたのに、全部計画はパーだった。
大学に入り、夏休みぐらいに「本当に愛する人」、即ち実父が亡くなったらしく、「愛する人をちゃんと見送った強い私」として、実家に帰ってきたらしい。
さすがに弟もキレて父と一緒に母を何度か殴って追い返したらしい。
後で聞かされてどの面下げてって本気で思った。
優しく出迎えてくれるとでも思ったのだろうか?
離婚までは母が全力でゴネてかなり大変だったらしいが、ある程度のお金を財産分与として渡す形で離婚にしたらしい。
「なんであんなヤツに…盗人に追い銭より酷い…」
なんて、父が苦々しい顔をして呟いていたのを思い出す。
その頃から父は、酒弱い癖に酒に溺れる様になった。
どんどん増えていく飲酒。
止めようとしてもその場は飲むの止めるけど、いつの間にかまた飲んでいる。
その繰り返し。
父の気持ちも分かるから、時間が解決してくれるのを待っていたが、結果的に間違いだった。
ある日、父は亡くなった。
「母を愛していた事。愛していたが故に長年裏切られた事実に耐えきれなかった事。
○○(私)はあのクズ(実父)の子で、正直もう今までの様に愛せる自信が無い。〇〇にも伝わっているだろう。
娘を傷つけ続けている私に生きる価値はあるのか分からなくなった。もう悩むのも疲れた。」
というものだった。
父を失い、弟ともこの件でギクシャクしたままとなり、結局疎遠になった。
弟も鬱気味になってしまい、父が亡くなった原因となった母と、その子である私も近くにいると
色々思い出して辛い、本当に申し訳無いって言われて、もうどうしようも無かった。
一応年に一回だけ近況を聞いてるけど、直接はもう何年も会っていない。
あちらも結婚し子供もいるらしいけど、まだ一度も会ってないし、これからも会う事は無いと思う。
夫と結婚し、子供が産まれた時、私からDNA検査をしたいと申し出た。
夫には
って怒られたし、一時期かなり険悪になったけど
当然、夫との子供だった。
普通は夫側が疑ってやるものだとは思うんだけど、私の自己満なんだけどそれでも100%偽りは無いという証明がしたかった。
托卵は本当に不幸になる。
物心つく前ならまだ傷が浅いかも知れないけど、私の時みたいに後年になってから発覚すると、本当に誰も幸せにならない。
少なくとも私達一家は不幸になった。
母とも呼びたくない女はまだマシかも知れないが、あちらも孤独な晩年だろうし悲惨ではあるだろう。
もっと苦しめてやりたいぐらいには憎んでいるけど。