はてなキーワード: 不妊とは
結婚前に俺の貯金は3000万円あったんだけど、結婚10年でいま500万円。
共働きで月に手取り70万円あるんだけど、ずっと赤字で俺の貯金を食いつぶしてる。
子供は一人いるが、もともと子供ができにくい体質で、二人目のためにいまも不妊治療している。
俺の知らないところでどんどん金がかかっていて、いったい何にこんなに金がかかっているのかさっぱりわからん。
マネーフォワードでできるだけ金の流れを見えるようにしてみたが、それでもさっぱりわからん。
俺が欲しいものは仕事関係でなんとかなるので家計にはほとんど影響がないはず。
仕事に熱中することでいろいろ誤魔化してるけど、それでもたまにすごく不公平感で虚しくなる。
不妊治療のためにストレスを与えたくないからいいよいいよでやってきたけど、俺自身がなんだかもう限界だな。
俺はベンチャー企業に勤めてきて、結婚する時に義父にギャンブルみたいなんじゃなくてちゃんと安定してやってけみたいなこと言われて、株とかリスクあるものを現金化して、全部家族のために使うってことにした。
タネ銭ないから株もできないし。
俺の両親はなんだかんだでいろいろ金を出してくれるんだが、妻の両親はそうじゃない。
妻が心配かけたくないとかなんとか・・ じゃ、うちはどうなんだって感じなんだが。
もうさ、我慢しすぎてどうにかなりそう。
でも、パパはもうお父さんやめたいよ。
離婚して母子家庭になっていろいろ補助金とかもらったほうが生活楽なんじゃないの?
世の中のお父さんたちはどんな感じ? 家庭のためにそんなにがんばってるの?
経験上,35を過ぎて結婚してるのに子供を作ってない奴はどこかがおかしい
結婚してて子供作ってない奴はちょっと何かが欠落してるというか,サイコパスもしくはアスペ的な奴が多い
介護とか貧困とか致し方ない事情がある人がいることも分かっているが
そういう人は全体の1割もいない
個人的に感じているのは,その手の大半は「変化を許容できない」タイプの人間
結婚は恋愛の延長線上でどうにかなるけれど子供ができるとそうはいかない
自分自身が変化せざるを得ないし子供の成長に応じて変化していくしかない
現状に満足していなくとも不満の無い状態が長く続くと「変化を許容」できにくくなると感じている
去年の6月頃、妻が子供を作りたいと言い始めて、妻は35も過ぎているのでまずは問題ないか婦人科でチェックを受けてから子作りすることにしました。
不妊の原因の半分は男性!という話も聞くので、「僕も精液検査受けたほうがいいかな」と相談したら、受けることになりました。
婦人科にオナニーするための部屋(採精室というらしい)があって、エロ本やエロDVDがおいてあるというのをネットで調べて知っていたので、少し楽しみにしてました。結婚してからAV見ることも減ったので。
そしたら、その婦人科は病院で採取ではなく家でとって持っていく方式でした。
妻に手で抜いてもらうのも気持ちいいけど、婦人科にあるオナニーするための部屋という異空間にも興味津々だったので少し残念でした。
街中で妊婦を見かけると、それがどんな女性だろうがハ淫セ(イチャラブ中田氏セックス)してる情景を勝手に想像してしまってとてもつらい気持ちになる。
中にはもちろん不妊の人もいるだろうし不満足なセックスライフを送っている女性もいるだろうけど、問題の本質はそこじゃない。
見目麗しさとは程遠いカップルが目の前でペッティングするよりキツい想像を勝手におっぱじめる脳のせいで本当に不愉快な気持ちになる。
正直とても困っている。
ちなみに小さい子供を連れてる女性を見たときは一割くらいの確率で「セックスだ!!」と思う。
病気なのかな。
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臨月の妊婦となった今、上のようなことは起こらない。むしろ彼女らの苦労を忍んでしまう。我が身にふりかかる妊娠ゆえのトラブルが重かったのもある。しかし、当時の自分と根本的に異なるのは、セックスの有無は本質ではないと分かったからかもしれない。以下は自分語り。
当時の自分は、人生とセックスは切っても切り離せないものだった。欲望に忠実で、どうしても手に入れたいものが目の前にあるなら手段を厭わず行動していた。行動力の源泉としてブラックホールのようなものが自分の中にあり、自分の中の物足りなさや満たされなさを埋めたくて欲望のままに何もかもを吸い込んでいたと思う。今ならその正体が少しは分かる。生まれてから死ぬまで徹頭徹尾自分は孤独であること、ひとりうまれひとりしななくてはならないこと、不十分な自分の人格を誰かが代わりに育ててくれるということはなく自分が満足するような自分自身になるためには他でもない自分の努力や意思に基づく試行錯誤によってのみ実現すること。近道もズルも存在しないこと。これらが耐えがたい苦痛であるためにずっと目を背けた結果ブラックホールのようなものが誕生したのだった。
そのブラックホールに名前を付けるとすれば驕り、または臆病な自尊心かもしれない。私は妊娠で「底つき」を経験できて、きれいさっぱり驕りが解消されたので、よかったと思う。
重症妊娠悪阻で水も飲めず点滴を打たれて寝ているあいだだけが「人間」でいられた。
一人で外出はおろかシャワーさえ浴びられない。仕事はなくなった。なんのために生きているのか分からなくなった。
まともな食事ができるようになってからは、日中の静かな家に一人取り残されて、孤独感に苛まれ、頭がおかしくなっていくのが分かった。暇を解消しようとするも、体が動かず、情報に敏感で、ラジオすら聞き続けられない。寝ようとしても数分~数十分で起きてしまう。深夜に帰ってくる家族との会話が命を繋いでいた。
仕事もしない、家事もしない、寝ているだけ。今までの人生において、そんな「役立たず」や「穀潰し」になったことがなかった。いつも私は自分で自分を納得させる生きる上での口実があった。こんなにも満足のいかない生活は初めてだった。
初めて知る。「ただ生きているだけでもたいへん」ということを。
人間は生きているだけでもたいへんなので、ほかの要素が組み合わさったら当然カオス的に大変である。解析的に解けないし、適切な数値解にたどりつくには果てしないパラメータチューニングの試行錯誤が必要になる。そして苦心して解を得ても、誤差項を多いに含む。
元の記事に戻ると、人生をモデル化した時に性行為が欠かせないと思うから妊婦を見てセックスを連想するわけだよ。
今の私はもうそうは思わない。人生は存在それ自体が大変。大変であるというのが人生の本質。その大変さの各論は個人によりけりで、ひとによってはセックスが困難かもしれないし、暮らしが困難かもしれないし、自分の体が困難かもしれない。それは外見からは分からないことだよ。
ひとくちに妊婦といってもフェーズによってトラブルはコロコロかわる。
当初、腹の中に人間がいるのさえ自覚がないのに、そのために日に日に変化する自分の体がグロテスクで、第二次性徴への嫌悪感を思い出した。
今でも、腹の中に人間がもう一人いるというのには慣れないが、皮膚が突っ張って痛いほど膨れる腹への受け入れがたさは時とともに薄れていった。そのかわり、乳頭から滲み出る乳汁への嫌悪感は凄まじい。ひとつ解決すれば、別の問題が浮上するものである。
艱難辛苦汝を玉にす、とはよく言ったものだよ。妊娠を経験したおかげで、他人に向ける視線から邪な思いが少しは消えてよかった。
あまり期待しすぎると二人とも後で辛いし
でもやっぱり悲しかったなー
赤ちゃんの心臓が動いてないってLINEで知らされた時は仕事中だったんだけど、
その日は定時ですぐに帰ったんだけど、
俺を見た妻の目は赤くて、すぐに二人で泣いた
妻は俺よりかなり年上で、もともと赤ちゃんにはそこまで乗り気じゃなかったんだよね
でも、俺が赤ちゃん希望してたから、最初はいろいろありつつも、
不妊クリニックに行って注射とか打ったり薬とか飲んだりしてくれてた
3回ぐらい検査薬使って、嘘じゃないよねって
まだ二人とも諦めてないから、
しばらく休んでからまた頑張ろうって二人で言い合ってる
だけど、やっぱりまだ悲しいよなー
さっきも、俺をお父さんにしてあげたかったなあ、って言われてまた二人で泣いた
20代後半になったら、結婚したら欲しくなるものなの?人間の本能?
・育てるのが大変 専業主婦なんて今時暮らしてけないから働きながら子育てになるだろうし
・明治とか大正とかと違って特に後継を絶対生まないといけない風潮でもない
・昔より子育てにクオリティを求められている(昔:高卒でもワンチャン 今:大学進学が最低ライン?
・物価の上昇&不景気で金銭面辛い しかも不妊治療費とかかかる場合も
・しかも育てた所で子供がレール(笑)の上を歩くとは限らない。昔より就職難なのもあってニートやフリーターになる可能性も低くはない。
現代って後継とか家の労働力要因とか考えなくていいから、子供を産む必要はないし、メリットも少ない気がするんだよなぁ。
父親に「産まなきゃよかった!」って理不尽にキレられた時は「じゃあなんで産んだんだよ!娯楽か!」と思って以来ずっと疑問だった。
不妊の原因は不明だったけど、不妊治療開始後一度だけすぐに妊娠したが、一回目は流産した。
それからなんども人工授精をしたけどうまくいかず、結局高価な体外受精に踏み切った。
それが一回でうまく行き、順調に十月十日を迎えた。
妻は初めての妊娠で産気付いてから丸々一日掛けて、俺は延々妻の背中をさすり続け、明け方近くにめでたく出産した時はホッとした。
立会い出産して、感動するかなとか思ってたけども、疲れ果てていたせいもあって涙も出なかった。
自分が始めて授かった子供なのに、何故だかよく分からないが最初はそんなに可愛いとは思えなかった。
今思うに、多分俺は妻ほどには子供を望んでいなかったからだと思う。むしろ、これからが大変だとその先を案じていた。
大変なのは割とすぐにやってきた。
娘はなかなか寝付かず、夫婦共々ほんとに困り果て毎日疲労困憊。
あれだけ子供を欲しがっていた、最初こそ喜んでいた筈の妻が、昼間の育児はするものの(昼寝は良くしたらしい)、とうとう夜の寝かし付けだけ育児放棄しだしたのである。
よくある「あなたは仕事だけやってたらいいんだから、楽よね!、私は一日中毎日家事と育児なんだよ!」みたいな。
実際のところは俺は買い物もしてたし、洗濯も掃除もやってたし、家にいる間はオムツ替えも授乳もお風呂もやってたんだけど、そんな言い争いをしても仕方ないから反論はしなかった。
だから、夜の寝かしつけは、娘が多少の分別がついて自分で寝るようになるまでは俺の仕事になった。
立ったままダッコしてゆっくり何十分かゆすり続ける、それ以外では絶対寝ないのが娘だった。
ひどい時は2時間も3時間もゆすり続けなければならず、椅子やソファーに座る事すら許されなかった(泣き出すのだ)。
当時も結構仕事が忙しくて、帰宅は遅かったから、自分が寝るのは延々と時刻が翌日になってから。
娘を可愛いと思う時もそりゃぁあったけど、総じて言えば大変なだけで、こんなに大変なら結婚などしなければよかったと思うことすらあった。
だけど、一人目の苦労は二人目に存分に生かされた。二人目の息子は娘ほど大変じゃなかった事もあるけど、一人目に苦労した分だけ夫婦共々成長していたのだと思う。ちなみに二人目は自然妊娠だけどね。
さて、そんな娘もすくすくと育ち、小学校五年生の夏休みがあけてからのことだった。
実は娘は1学期が終わる直前に右足を捻挫してしまい、夏休み後半まで松葉杖生活を送る羽目になっていた。
それで、夏休みが空ける一週間ほど前に松葉杖がなくても歩けるようになったのに、さぁ登校という段になって「足が痛むから行けない」と言うのである。
最初は親もそれを信じて、少し休めばすぐに行けるようになると思っていたのに、それが一週間たっても治らない。
というよりも、夏休みの時は松葉杖があれば歩けたのに、松葉杖登校すら拒否するのである。
流石にこれはおかしいと親も気付き、時間を掛けて問い詰めたらやっと「学校に行きたくない」と答えた。
だが、そこから先が大変だった、その理由を頑として言わないのである。
とにかくどんなに問い詰めようと責めようと、絶対に言わない。
仕方が無いから、学校の先生や友達に色々聞いても、特にいじめられているわけでも、或いはクラスで孤立しているとかでもなく、成績は結構いい方だったりして、理由が皆目見当がつかない。
いろいろと関係各位に相談していると、理由はともかく、学校に無理に行かせなくてもいいから、しばらくは様子見、みたいな感じになりそれが結局三ヶ月以上続いた。
理由は・・・娘は娘なりに「理由を明かしたところでどうにもならない」と分かっていたから言わなかったのだと思う。
肝心の担任に原因があった。
親だってまさか担任に原因があるなどとは思わず、不登校のことを何度もその担任と相談していた。全く馬鹿みたいだ。
娘の友達の親が「あの先生、すっごい生徒を差別するから」と妻との会話で言ったらしく、もしかしてそれが?と思い、娘に聞くとやっと頷いた。
びっくりするくらいの差別だった。
例えば授業中の先生の質問に娘がどんなに頑張って手を上げても絶対に娘に答えさせない。
勉強で分からない事があって聞きに行っても、忙しいから後で、などを理由に相手にしない。
そのくせ、気に入った生徒ばかりを答えさせるし、一生懸命面倒を見る。
確かにその差別が原因で不登校になったのは我が娘だけではあったけど、どうも一番酷く差別されたのが娘だったのも事実らしかった。ほとんど無視に近いものだったから。
にも関わらず、その担任は平然と娘の不登校の相談を受けていたのだ。
私達夫婦は、娘に何か障害でもあるのかと、児童精神科のある病院まで行ったんだぞ。
ほんとに、理由が発覚した時は怒り心頭だったのだけど、妻がどうしてもモンペ扱いだけはされたくないからと、担任に苦情を言うのはかたくなに拒否されたので、校長と教頭にだけその事を伝えるに留まった。
校長らも最初は信じられなかったらしく、こちらの言う事は否定しなかったが、結構びっくりしてたっけ。
事情が事情だけに、これを解決する方法は担任を指導したところでどうにもならない(娘の信用がゼロだからね)と言う事で、ともかく、当面は授業が終わってからの補習と言う形で最低限の勉強だけを受けさせて、6年の担任を必ず替えるという事になった。
6年にあがって、新学期から問題なく娘は登校するようになった。
あの時、既に出勤してた俺に妻からその事をメールで連絡されて、不意に涙してしまった。
取引先と電話してた最中に、いきなり涙声になり、相手から「どうかしましたか?」と言われたっけ。
さて今はもう中学二年生。
昨日、その娘から嬉しそうに「やりたかったユーフォニアム、あしたからする事になったよ!」って、帰宅したばかりの俺に報告があったんだ。
ふとね、その時、不登校のときや、昔の寝かしつけの苦労を思い出したんだ。
可愛くて仕方ないです。
追記。
あまりにブクマがついてびびってしまったのでホントの事がいえなかった。すみません。
でも、同時にトロンボーンもやりたがっていたのです。
つい、これを書いた翌日に例の映画が公開初日になると知ってたので嘘をついてしまいました。
申し訳ございません。
流産した。8週だった。
あれから2周期を経て、体も心も落ち着いてきた。
特に気持ちの面では、周囲の人に体験談を聞かせて貰い、これが珍しいことではないのがわかって、落ち着いた。
ただ、今もときどき不安感に襲われて、泣きたくなったりしてしまう。
夫が子供を欲しがっているのを見て、子供がいるのも楽しいかも と思い、排卵日を意識した生活をするようになった。
授かったのは大型連休のときで、タイミング良く、排卵日から着床時期まで 家でゴロゴロ過ごすことができた。
後から思い返してみると、この期間にゆるゆるできたのが良かったのかな?と思った。
妊娠してみると、なんか ぽかぽかした気持ちになって、楽しかった。
完全流産で、流産後すぐに次の妊娠を考えて良い、流産後すぐの方が妊娠しやすいと言われ、前向きに頑張ろうと思った。
日々 基礎体温を測りながら 2周期が過ぎて、焦りと不安が出てきた。
こんなに忙しくて、また妊娠できるのかな〜
このまま 毎月毎月 老化していくな〜
…
だからって、まだ妊娠してないのに 職場で考慮してもらうなんてことは出来ないし。
長い間 不妊治療をされている方もいるなか しょうもないことで落ち込んでて申し訳ない。
子供に興味のなかった私が、こんなに焦るなんて考えられなかった。
あなたのような人のことを、文句だけはいっちょまえというのですよ。
一つでもひっかかったなら、調べてデータ出して反論してみたらいいのに。
こっちもうろ覚えだし、今のことは知らないで書いてるのにね。
なんなら不妊治療なんて無負担だ!こういう政策も補助金も今はどんどん出てる!!
まあ、あなたみたいな3歳児信仰に深く染まった人ばかりの時代だったからこそ、
あいかわらずこういう文句ばっかり達者で自分は何もできないししない人にかこまれているのなら、
子無しは、既婚未婚問わず50歳で処刑することにしてはどうでしょうか。
子なし共働きが一番余裕あるんだし。
不妊治療で授からなかった人も対象なのはどうかと言われそうだが。
こんなのが複数居るとは思えないし
だとしたら自称共働きの割に暇過ぎだよね、何で平日日中から増田にいるの?
そこは世代差だろうだけど、
ただ、0歳児に理性を求めることはだれにもできないだけ。
あんたも床におしっこ15回は垂れ流したしスプーンでほじくったゴハンをテーブルにまきちらした上で
手でにちゃにちゃになすりつけてあそんでは
親を泣かせてこんなにつらいなら実家に帰りたいって30回はいわせてたよ。
なのによく「自分で育てるべき」と大きな口をたたけるね。
ただ保育園にいけば、子供は子供らしく、親は親らしくいられるようになる、
純真な20代女性の前でそんな失態をサラすくらいなら生まれない方がよかったかい?
わたしは産んだよ。会社にいけば「部長はただいま席をはずしております」だの「弊社のプロジェクトは」だのとおしゃれな口を利くのに、
産婦人科医の前でガバーっと足をひろげてね。そりゃ恥ずかしかったよ。痛かったよ。
20代女性にこれ以上なんでも背負わせるのはやめたほうがいいよ。
死ね、じゃない。
結婚したのは私が36歳、妻34歳の時。
1年たっても生理が遅れることすらなかったため、国内有数の不妊治療クリニックを受診した。
検査の結果、私には問題なかったが、妻の卵巣に残っている卵子の数を示すホルモンがかなり低かった。
不妊治療を始めるにあたって、私の収入に余裕があったので妻は正社員をやめて専業主婦になった。
フルタイムで働きながら不妊治療も全力で取り組むのは、とてもじゃないが時間が許さない。
採卵日、胚移植日は直前に決まるから前もって休みを調整できない。
内服、ホルモン注射、超音波検査など頻繁に通院する必要がある。
だからといって、片手間に不妊治療するのはもっと時間が許さない。
2回目の採卵でほとんど卵子が取れなかったので、もう治療はやめて養子を取ろうと思っている。
不妊治療以外のストレスを排除して、妻のサポートに徹したおかげだといいが。
寝たきりの高齢者にどれだけの税金が注ぎ込まれているかご存じか?
毎月30万円以上だ。50万に達するケースもある。自己負担は1割程度。
自分で食べれなくなってまで長生きしたいなら全額自己負担にしろ。
毎月30万もあれば3人は育てられるだろうが。
寝たきりに税金を注ぎ込んで何が得られる?
何もない。
その金を子供に回せよ。
このままじゃ
処女歴26年の自他共に認める非モテだけど、不妊治療やってる友達と会ったときに「問題なく子供が産める年齢と身体なのにどうして結婚しないの?勿体無い」って怒られた。お前私に彼氏いたことないの知ってるだろ。それ以前の問題なのわかってんだろ。
咄嗟に「結婚出来て経済力もあるのにさらに子供まで欲しいなんて欲が深すぎる」って言いそうになったけど、どこをどう足掻いても社会的に正しいのは向こうだから黙るしかなかった。
不妊治療続けてる人が「私結婚できない」「子供も諦めた」って自虐する奴に苛つく気持ちはわからんでもない。でも非モテは非モテなりの苦労があるんだ。親の圧力と同僚の生温い視線と上司のパワハラに耐えてるんだ。
日本学生支援機構から貸与を受けて大学4年間の学費、生活費を賄った。
一種、二種あわせて480万円借りた。
現在私の手取りは13万円。そのうちの5万円を毎月貯金している。賞与は年2回、合計20万円全部貯金に回す。
そうして頑張っても1年間で80万円しか貯められない。昇給も数千円単位だから貯金額を増やせる目途はない。
去年の夏からようやく貯金が出来るようになった。結婚を意識するようになったから。
でも440万円貯めるまで(=奨学金を完済するまで)5年以上かかる。
30歳を超える。
心配なことがある。
また数年期間がいる。
仮にさらに3~5年、貯金するために妊娠を先延ばしにしたら、33~35歳。
もしそれまでに妊孕力が低下していて、自然妊娠が困難なからだになっていたら?
こんなことになるなんて、奨学金を借りる前と借りている間の私は気がつけなかった。
学費を一銭も援助してくれなかった親を恨んだ。
学費やら生活費やら自動車学校費用から車まで買ってもらっていた人を非難したりもした。
奨学金を1円も借りずに社会に出た同期は今頃自由にお金を使って遊んだり、やりたいことを叶えているのかな。
いいなあ。純粋にうらやましいなあ。
ギャンブルや買い物依存症のひとたちのそれと質は違っていても、借金という一括りの中のひとつだ。借金は借金だ。
このやり場のない思いと焦りを彼氏に打ち明けたけど、分かってもらえなかった。
やはり借金のない人に借金のある人の苦しみなど分からないという当然の結論に至った。もしかしたら愛想をつかされたかもしれないな。
というか、自分は彼に何を期待していたんだろうな。肩代わりしてほしかったのではない。そもそもこんな話すべきじゃなかったんだ。
いまここで彼氏にふられたら妊娠どうのこうのの心配もとりこし苦労となるかもしれないな、そのまえにもういろいろ自暴自棄になってたぶん自分でじぶんをころしちゃうだろうな。