「ネトウヨ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ネトウヨとは

2024-06-11

保護司の件でTwitterを見ていたら革命志向若者がたくさんいた

ネトウヨ時代反動だろうか、

保護司事件犯人革命志向の同志たちといいねリプしあっていた


ネット上のマジョリティは常にネトウヨ、だいぶ下がってネトサヨだったが、

これらとはまったく違う革命志向(極左とも極右ともどっちともいえない)の若者たち結構な数群れていた

まだまだ知らない世界があるもの

ニコニコニュースかい限界ネトウヨ隔離場がスーパーハカー攻撃でぶっ壊されたせいで

他の場所にあの限界ネトウヨ集団が来ると思うと恐ろしい

ヤフー電話番号登録義務化されてるから大丈夫だと思うけど

蓮舫氏が「尖閣諸島日本領土」にバツの札?【ファクトチェック

フェイ画像かぁ~これだからネトウヨは~と思ってたんだけど、記事末尾に、

「もともとオンエアの時は画面の字幕はありませんでした。共産党共闘するのか、しないのかという質問の場面です」

ってあって、「お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前お前!そう言うところ!そう言うところ!そう言うところやぞ!」ってなった。

単位ブーメラン回収してるんじゃねぇよ。阿呆かよ。

現役世代の激減と非正規雇用爆増で勝手改善されたのを持ち出して

安倍政権の成果だ!

とか未だに言ってるネトウヨ、久しぶりに見た

非正規という言葉を一掃する、とか言ってて非正規雇用が激増するのを黙って見てただけなのに

こんなバカしか支持者に残ってないか自民党はクソな行為ばっかり続けるんだろうな

フランス極右台頭で危機だ言ってるけど日本極右は今のネトウヨ朝鮮カルト化してるのに何を思うの?

そもそも反日を支持する日本の右って何だよって話だが

anond:20240610225441

いつからネトウヨ愛国者が対朝鮮限定になったんだよ。

日本が発展するならそれに越したことはない。

南北朝鮮は政治的に信用できないから付き合う価値はないと思ってるよ。

それはそれとして、日本統一教会に売って日本財産毀損させた安倍売国奴だよ。

ネトウヨだって一枚岩じゃねーんだよ。

2024-06-10

anond:20240610225119

ネトウヨ愛国って朝鮮に対してだろうが

日本語使いながら紛らわしいんだよ

Fireを目指して活動している

しかし、ネトウヨ愛国者たる私は、日本人手不足不足にも関わらずそれを促進するような活動をしている自分のことを大変申し訳なく思っている。

Fire活動法律禁止しない政府が悪いな。

50のおっさんなので人材市場から相手にされないか関係ないが。

anond:20240610213443

靖国政治問題化を許したのは自民党なので、靖国の諸々についての直接にして最大の責任者自民党なんだよな

ネトウヨ君の偏差値じゃ理解できないだろうけど

今日の暇空茜さん(41歳独身

ヨッピー(43歳既婚二児の父)が、KALDIの珍しい味のめんつゆレビューしてバズったことにブチギレて「ステマステマだ」と大騒ぎ。レビュー内容が嫁との会話調だったため余計に怒りがわいたか。なおヨッピーは以前にも暇空に「ステマだ」と騒がれたことで訴えており係争中。

石丸伸二がyoutube配信の中で「暫時休憩」と書いたところ、「暫時」という言葉を知らなかった暇空が「中国語だ」「中国の息がかかってる」と大騒ぎする。

山下ギルド書類送検されたと報告。山下ギルドは暇空と似たタイプの色々やらかしてる人で、過去に暇空の弁護士の渥美陽子と強いつながりがあったが喧嘩別れし、事務所前に街宣車で押しかけた。恐らくその件で渥美に告訴された。俺の時は書類送検とき報道したのになんで山下報道されないんだよとブチギレる。

フローレンス刑事告発されていた件で近日書類送検される予定だったが、実は5月30日に検済みだったと判明。フローレンスは、渥美陽子理事を務める村上財団が多額の寄付をしている渥美陽子と強いつながりのある団体。colaboの時は報道したのになんで今回は報道しないんだよとブチギレる。

難民認定され日本で働いているロヒンギャ女性を悪意的に取り上げたネトウヨまとめサイトを見て、女性支援ということは仁藤がつながっている、石丸もつながっている、堀口もつながっている、全員グルだと確信する。

日本国政府発達障害を全員ガス室送りにしまーす」

政府一人当たりGDPうなぎ登り経済成長が止まらないぞ!

警察犯罪率、特に凶悪犯罪が激減したぞ!」

駅員「撮り鉄が消えて駅の平和が取り戻されたぞ!」

乗客電車でのマナー違反がなくなって快適に乗車できるぞ!」

在来種外来種を放つバカが消えて日本生態系は守られたぞ!」

猫「多頭飼育や餌やりをするバカが消えたぞ!」

外国人観光地迷惑行為を働く日本人が消えたぞ!」

ネット誹謗中傷差別対立煽りのない平和ネット環境になったぞ!」

男女「ツイフェミやアンフェが消えて男女対立煽りがなくなったからこれからは仲良くするぞ!」

レストラン「騒ぐバカガキや放置するバカ親が消えて静かになったぞ!」

公共施設マナー違反迷惑行為がなくなったぞ!」

会社お荷物社員が消えて経営効率が爆上がりだぞ!」

社員パワハラセクハラが消えて心地よい職場になったぞ!」

女性「性被害が激減して安全社会になったぞ!」

迷惑youtuber迷惑行為を働いても誰も見てくれないから真面目に働くぞ!」

野党「支持してくれるバカが消えたからまともな野党になるぞ!」

与党野党がまともになったか政権奪われないように真面目に政治するぞ!」

ビジネス右翼「支持してくれるネトウヨが消えたから真面目に働くぞ!」

詐欺師「ダマされるバカが減って儲からないぞ!」

飲食業界「バイトテロがなくなって安心してバイトを雇えるぞ!」

学校いじめモンペからクレーマーがなくなって平和になったぞ!」

子育て世代問題行動を起こす教師保育士が消えたか安心して子供を預けられるぞ!」

親「引きニートが消えて老後は安泰だぞ!」」

アニメ業界薄っぺら駄作じゃ誰も見てくれないからこれからは質の高い作品を創るぞ!」

広告萌え豚腐女子が消えたか不快エロ広告はやめにするぞ!」

店員カスハラクレーマーが消えて楽しく働けるぞ!」

アイドル「「ファンからキモイセクハラリプが消えたぞ!」

救急隊員「くだらない理由救急車を呼ぶバカが消えたから大切な命が救われるぞ!」

はてなゴミみたいなブコメするバカもそれにスターつけるバカも消えたぞ!」

日本人「日本は良い国になった!日本大好き!」

好き嫌い判断出来ないかめんどい

はてな界隈覗いてると政治的話題になると

もうはじめから好き嫌いでどう判断するか決まってそうで楽だなっていつも思う

自民党嫌い、ネトウヨ嫌い、弱者男性嫌いみたいな感じでさ

その逆言っとけば、みんなと同じ思想共有出来てるぜって感じで気持ちよさそうじゃん

蓮舫都政の政策ビラを共産制作投函

立憲議員の最大の弱点は、

政治的理念政策立案遂行力、関係者との利害調整能力と言った、

基本的資質の欠如からくる政治家として無能さ。

逆に敵を設定して対立構造を作り、先頭に立って敵を攻撃し、民衆扇動すると言う政治屋としての手腕なら、

安倍なんかが足元にも及ばないくらい優秀な人がたくさんいる。

無い部分を共産がしっかりとサポートし、筋を通した政治をさせます

敵を作ってみんなで叩いて熱狂する部分に関しては蓮舫さんにフリーハンドでお任せしますって言うなら、

蓮舫さんへの投票をためらう理由はなくない?とは思う。

蓮舫さんの元に結集して、ネトウヨ叩きを一緒にやろうよ。

それはとても楽しいことだよ。

2024-06-09

anond:20240608235747

普通にリベラル左派が払えば良くないか

それでネトウヨには軍事費払わせてやればお互い文句言わないだろ

2024-06-08

何故お前は過去ネトウヨになってしまったのか?

書けるやつは書いてみて欲しい

因みに俺はニコニコ動画とそこまで行って委員会の影響がデカかった

anond:20240608134019

反米思想の人が死にかけてるみたいに嫌韓もそのうち一部のジジババだけの趣味になって消えそうだよな

ネトウヨが順調に日本共産党と同じ道を辿っている

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


2024-06-07

Twitterで見かけるガイジのネトウヨ率高すぎ問題

Twitterで訳わからん思考回路のリプでウザ絡みしてるガイジのツイート見たら

確率アンチ立憲共産自民をアクロバティック擁護してるネトウヨなの笑う

日本でも海外でもそうだけどガイジのバカウヨ率高すぎてもう知能レベルを知る有力な指標の一つと化してる

IQテストの代わりにここらへん見た方が一番そいつ人間性分かるまである

anond:20240607223542

ネトウヨってネットじゃオラついてるけど

リアルガイジンに話しかけられたらビビって敬語使ってそうだよなw

anond:20240607140014

グラディグスさんがネトウヨ幻覚を見ていて怖い

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