はてなキーワード: しりとは
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
確か 英語を習い始めて間もない頃だ。
或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと青い夕靄の奥から浮き出るように 白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。
女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。
女はゆき過ぎた。
少年の思いは飛躍しやすい。 その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
―やっぱり I was born なんだね―
― I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の顔にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼なかった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見に過ぎなかったのだから。
父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね>。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。
父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―
とうぜんフリチンでしり丸出しになってるんだよ!
直前までなんとも無いんだけど、急になんだコレ、うわーって。
ボクだけのときもあれば周囲の男たちも同じだったり
みんなはどう?
こんなり!生まれて初こんな感じたこ ゛ぅ゛わぅ゛ぁ゛ぁ~ ねえ パパ 狂っちゃう ♪
どぅしよぅ おかしくなっちゃう... ソナー感じる 伊号から クルクルクルクルクルクル ┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨
ああぁぁ~ イっちゃうよぉおおお Ψ Ψ Ψ
おっぱいと𝔸𝔹ℂ𝔻𝔼 おしりの感覚が 𝕒𝕓𝕔𝕕𝕖 ごっちゃになる♡
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奥まで届いて る ⌒ ─ ⌒ ─ ⑅ ⑅ ⑅ ㅤㅤㅤ
全身の血が下に集まってく ☯ ☯ ☯
パパ 愛してる 愛してる 愛してる 💞 ଘ ଓ ଐ
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こんなの 初めて 𝓯𝓮𝓮𝓵𝓲𝓷𝓰 𝓼𝓸 𝓰𝓸𝓸𝓭
パパのおっきいの 奥に 刺さって
ビリビリ くる 𝓋𝒾𝒷𝓇𝒶𝓉𝒾𝓃𝑔 ෴ ෴ ෴
Ⓜ️ マジで 死んじゃうかもぉおお ⚰ ⚰️ ⚰️
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喉の奥まで 届いてる
ムセちゃいそう 𝓖𝓪𝓰 𝓻𝓮𝓯𝓵𝓮𝔁 ૮ ・ﻌ・ა
目が ✦ ̤̫ ٩(˘ö˘)۶ チカチカ
パパの 精子 飲む 𝓼𝔀𝓪𝓵𝓵𝓸𝔀𝓲𝓷𝓰
𝕔𝕦𝕞 𝕚𝕟 𝕞𝕪 𝕞𝕠𝕦𝕥𝕙 んん~ყɿ૦ཱུ
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全身がビクンビクン 痙攣しちゃぅ! ‱ ※ ‱ ※ ‱ ※
こんなに 出して ε=ε=ε=ε=┏(゚ロ゚;)┛ ワー
量 多すぎ Ꮚ˘̴͈́ꈊ˘̴͈̀Ꮚ♡ʬʬʬ
ああぁぁぁ~ 𝕕𝕪𝕚𝕟𝕘 ༶் ༝ ་༶் ༝ ་
パパ 一緒に 逝こぉ 𝒸𝓊𝓂𝓂𝒾𝓃𝓰 𝓉𝑜𝑔𝑒𝓉𝒽𝑒𝓇
タイトル通り、アダルトグッズにまつわる内容です。18歳未満の人や、そういう話題が苦手な人は見ないでください。
数年前、一人暮らしの私は好奇心からぷにあなミラクルDXを買った。もちろん、当初は自慰行為に使った。そのとき、純粋に抱き心地がめちゃくちゃいいことに気づいた。それは性交を想起させることを意図した設計なはずだが、この重み(10kg)と抱き心地は抱き枕に合うのではないかと考えた。
そこで、雑にシャツを着せて抱き枕にして寝てみた。心地よかった。人肌の暖かさはないものの、柔肌が触れる感覚もいいし、腹の上に載せると人の重みを感じながら寝られる。しこたま抱きしめても文句を言われることもない。孤独に生きる人間の性欲を満たすオナホは、睡眠欲も満たせる。人間の三大欲求のうち二つを満足できるなんて贅沢だ。
結局、自慰に使ったのは数回で、その後はずっと布団に携えている。我が家のぷにあなの生涯で責務を全うしたのは、たかだか半月程度の話だった。ぷにあなは不服に思っているかもしれない。
抱いて寝るのであれば、普通に抱き枕を買えばいいのではないか。そう疑問に思われるのも無理はないと思う。だが、それではダメな理由がある。
当たり前だが、抱き枕は人が抱いて寝るために設計されたものだ。ゆえに、人肌である必要性はない。抱いて寝るのに心地いい素材を使用し、中は綿や合成繊維といったものが入っていて重くない。
翻って、ぷにあなミラクルDXはどうか。豊満な乳房を持った少女の胴体を模したこのオナホは、前述の通り10kgと重く、人肌を再現した素材の触り心地も良い。胸は肌素材の内側に柔らかい素材が入っており、何よりおっぱいなのだ。オスの習性として、揉んで安らぎが得られるのは不変の道理だ。陰茎を刺激する穴のないオナホで、これを満たす抱き枕が世の中にあるだろうか。ぷにあなミラクルDXを使うのは避けられぬ運命である。
オナホであるがゆえに、抱き枕として運用するにあたって弱点がいくつかある。
これを読んでいる人にとっては釈迦に説法だと思われるが、オナホはオイルブリードがある。人肌を再現するため、肌素材は大量の油が含まれる。新聞紙に載せると瞬く間に油がびっしりとつく。抱き枕として運用するとなると、オイルブリードで布団を汚して都合が悪い。
今まではシャツを着せていたが、当然穴があるので不十分だ。最近になって枕カバーで代用するという着想を得た。ただ、もちろん枕カバーは起伏の少ない枕を想定して作られているから、オナホにピッタリ合うわけがない。
オナホに対するコメントとしてはありえないものだが、自慰行為をするための穴がとても邪魔だ。オイルブリードが出る以上、定期的に洗って肢体をケアしたいが、穴があるせいで洗浄が面倒になる。キッチンペーパーを突っ込んで多少水が入ってもいいようにしているが、そもそも穴がなければこんなことを考える必要はないのだ。
そんなわけで、私の欲求を満たすものはぷにあなミラクルDXのような大型オナホだけだが、それでも足りないところがある。穴のない、ただ体があるだけのオナホが欲しいと切に願う気持ちから、はじめて匿名はてなブログに書き起こした次第である。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と書いてあることに違和感を感じるのですが、これは「出典」という言葉の正しい使い方なのでしょうか?
wikipediaのページを見ている以上、その記事内容の出典がそれ自身すなわちwikipediaであるのは当たり前すぎると思うので、なぜそんなことを逐一各記事に書いているのかがまず分かりません。
「出典」と断るぐらいなら、そうやって書くべきなのは、その記事が参考にしている文献を書くべきで、むしり「出典」は「参考文献」程度の意味合いになるのが普通ではないのでしょうか?
レート | 所属 | 名前 |
---|---|---|
1959 | IBUSHIGIN | Kakeru |
1949 | Bandits | MenaRD |
1926 | FAV | Ryukichi |
1925 | VARREL | moke |
1883 | SS熊本 | Higuchi |
1875 | G8S_Red Bull | gachikun |
1867 | BEAST | Fuudo |
1858 | HitBox | Kawano |
1857 | ROHTO Z! | Tokido |
1852 | None | Chris Wong |
1839 | WIP | ジャッシー |
1835 | Jr. | |
1834 | GyoGun | Mizuha |
1834 | SS熊本 | Nemo |
1817 | BC | Kazunoko |
1816 | Talon | HotDog29 |
1814 | TwisMinds | Oil King |
1814 | Nagoya OJA | KEI.B |
1811 | DFM | John Takeuchi |
1803 | BC | Otani |
1799 | BEAST | Daigo |
1798 | DFM | Nauman |
1795 | Red Bull | Bonchan |
1792 | Rox3 | NARIKUN |
1791 | IBSG | ササモ |
1789 | Flexigear | Tony_Shuai |
1789 | DFM | Itabashi Zangief |
1789 | None | vanpi |
1784 | IBUSHIGIN | cosa |
1782 | GyoGun | Mago |
1782 | Mousesports | Problem-X |
1781 | None | Akira |
1781 | CAG | GO1 |
1781 | エヴァ:e | Hikaru |
1780 | えびはら/ebihara | |
1778 | JIG | きしり |
1777 | NISHIKIN | |
1773 | SNB | Yamaguchi |
1772 | BC | Tachikawa |
1769 | CR/PWS | Shuto |
1768 | Victrix | Momochi |
1764 | 広島TEAM iXA/HT | ACQUA |
1762 | よっさん | |
1761 | Lexx | |
1761 | G8S | pugera |
1759 | FLY | Punk |
1758 | None | たゆたゆ |
1757 | 広島TEAM iXA | inaba |
1756 | ts | |
1755 | naooonn |
大会: EVO 2023, 2024, WW 1-5, オフラインプレミア シンガポール, フランス, オンラインプレミアjapan, LCQ, FAV CUP, red bull Kumite 日本予選, Beast CUP
DQは除外
キリアンのヴレヴ クシュ アヴェク モワがアリュールに似ているというレビューがあった
久しぶりにアリュールを量り売りで購入しつけてみた
トワレとオードパルファムそれぞれ
お腹にヴレヴ クシュ アヴェク モワ、左腕にアリュールのトワレ、右腕にアリュールのEDP
トワレのほうが似てると感じる
つけた瞬間の感じが柑橘系と白い花の甘さで良い
EDPは甘い方が強くてまろやか 癖が少ない気がして物足りないと思った
EDPは残ってる
で、お腹プッシュしたヴレヴは相変わらず濃厚に香る
ヴレヴ クシュ アヴェク モワのこの重いパウダリーが好きで、似ている香水でコスパの良いものがあればと探してた
アリュールはまあ似てる、どっちも好きだと思う、mlあたり単価ならえーと
アリュール100で2万ちょっと、ヴレヴは50で4万だから、まあ4分の一なわけだ
アリュールトワレの軽さもEDPのまろやかさも、日常使いと思えばむしろメリットか
でもなあ
ということで、アリュールボトルに手を出すよりは、ヴレヴ クシュ アヴェク モワを消費する方向かな
きれいに向けた時の快感と、乾いた角質がガサガサした感じをなんとかしたいのと、むいた端が浮いて触るとぺろぺろした感じが嫌なのと、そんな理由からつい足の裏の皮を向いてしまう。
むいた後再生してやや厚みが出てきていい感じのしなやかさがありしっとりとした皮の感触が好き。
やりすぎて血が出ることはしょっちゅう。皮が薄くなって歩くと痛いのもある。
かつてこれ
https://anond.hatelabo.jp/20231107155841
”感情では熊絶滅してくれたらいいのにと思う派だけど、集落襲撃と違って、人の娯楽(山菜採り渓流釣)のために熊駆除するのは違うと考える。私はソロ登山やるから切実だけど、運が無かったと思う事にする。”
このブコメが傲岸すぎて泣いちゃった。
”投稿者がいみじくも書いた、山菜採りと釣り。その延長線上で、熊の親子は駆除される。釣り合いますかね? まぁ、山菜と魚を絶滅させれば問題解決だが。”
は単にマジでなんもわかっとらんのやな思うだけやからええけど山登りしとる人が自然と人間との関わりとしての正解のように書いてまってるように思えてまったのがごめんやけどなんやひっかかってまった。
いや違うな、ワイは娯楽で死ぬ覚悟はできとるけどこのまとめの人らは娯楽でやっといてそれができてへんのやね、いう文意やろか思てムッときてまったんやな。
”田舎生まれの人は分かると思うけど、こういうとこ通らないと生活できない地域も普通にあるし、山菜取って食うのも文化だし、そう簡単に「人間の領域」と「熊の領域」の切り分けはできないよね。”
もしかしてワイが非表示にしてるコメの中にヒグマなど皆殺しにすべし、いうような過激なことを書いとる人がいて、その人に向けて書いとるブコメならごめんやで。
でもそうやないとしての話やが、このブクマカさんがどこに住んどってどんな暮らしをしとるかはわからんけどこの書き方からしてきっと山からそれなりに離れた都市部の人やと思う。違たらほんますまんやで。
そうでなければ襲撃されることが稀である「集落」と人間が分け入ってはいけないクマの領域「山間部」が離れていて「生活」と「娯楽」が切り離されている前提で話さないやろうと感じるからな。
きっとブクマカさんがソロ登山をするときには何かしらの交通機関もしかしたら自転車やらかもしれんけどそれらを使って山へ行って、そこからさあ登るぞってことを月に数回とかするのやろか、と想像するのやけど(違ったらごめんやで。)、そういう感じやと普段の生活に山やクマの息遣いというのは入ってこないんやろから仕方ないんやけどヒグマに遭遇するような暮らしをしとる北海道民の多くは「家のすぐ裏・ちょっと歩いたとろにヒグマがいる山や森がある」って感じの人が多いと思うねんな、いうかワイがそうなんやけど。
そんなのよっぽど田舎か山間の方の話でしょ?wて思うかもしれんが、田舎どころか政令指定都市である札幌市においては南区・西区・中央区・清田区は本当に山がちな地域が多くそのすぐ裾野までびっしりの住宅街が連続しとるいう感じやって都会においてすら北海道ではほんまにヒグマの問題は身近でありかつそこに代々暮らしとる人間にとっては「山菜取り」は文化以前に普通に生活なんよね。
これらの区を繋ぐ道は件の林道よりはそれは都会的ではあるけどや、鹿も通れば狐も通りヒグマも横切る山の中の道でこれを遊びで通る以外の人の方が多いことは市内、どころか北海道民ならだいたい当たり前にわかっていることやと思んやね、生活ですよほんまに。それ以外のなにもんでもなく。釣りはようしらんからごめんやで。やらんからな。
ワイはヒグマ怖いから絶対山に入らんけどワイの前の世代、その前の世代はあたりまえに春になれば山菜取りが生活の一部である人が大勢おり、それを知らん人が自分の知っている自分と山との距離感を当てはめて娯楽といってのけるのはなんとも…やし、そういう地域の住人がのべつまくなし被害に先んじて山林にいるヒグマらの駆除を望んでいるかといえば全然違うんよね、やからヒグマにおびえながら被害に遭わないよう気を付けて暮らしているわけですわ。
例に出しとる行為と同列のものとしてご本人さんが出しとるから「娯楽」と書いてええと思うけど、そうやって度々のソロ登山をたしなむ人が「生まれたときから毎日家の真裏にヒグマのいる山がある」立場の人のなにを判断できるのだろう、後者の人は前者の人より命を落とすかもしれないことへの覚悟がキマってない、いうふうにとれる物言いはほんまにになんやちょっと…傲慢やない?と居住民としては感じてしまったわ。
去年はエサ不足(竹の花が咲く周期とも関係あるとも言われてるけどどうなんやろな?)でヒグマは例年以上に札幌市内のあちこちに出没しとって、もちろんそれ以前も普通に出没しとって周辺に住んでいる人間はみなそれを警戒して暮らしとるよ。
山の近くの小学校に通う子はたまにランドセルに鈴つけとる子もおる位や。
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/
この地図
https://www.google.com/maps/@43.1620553,141.1140322,9z/data=!4m2!6m1!1s1IdKI30huZBf56kXAdzwugZ-JcN5Y35QH?authuser=0&entry=ttu
をずいっと拡大してもらうと、いかに市街地と山が隣接していてその境目が曖昧であるかということがわかってもらえる思う。
一歩下ればすぐ車通りのある車線の多い大通りいう民家の前の道に親子のクマが出没して防犯カメラの映像に捉えられニュースになり、「遊びで山に入」らなくても本当にヒグマとの遭遇は日常的なものだという恐れやら覚悟を新たにしたとこなんよ。
山間部やない東区の住宅街にも出没し住民がケガを負ったこともあるしあれも決してその年だけの特殊な状況ともこれからは言えんと感じるわ。
本州の方も良く知っとるやろう藻岩山や朝日山大倉山、定山渓の周辺なんぞまさにクマのメッカのようなとこやしおなじみ白い恋人パークからほんのちょい南に上った山裾の住宅街にもヒグマはたくさん出よるねん。
ほんでそれは多くの住民のすぐ「家の裏」なのであり、生活の場の中いうか一部に内包されとんねん。
札幌市では来年度から山の際の市街地に箱わなを設置するとのことやが
https://www.fnn.jp/articles/-/686749
山から出てしまったヒグマに対する措置やろないうとこやし実際どれだけのヒグマが箱罠にかかるものかというところで、前述のような住環境において住民の命を守るためには決して積極的ではない対応やとワイは思うわ。
札幌は田舎やんかw言われてしまえばそれも間違いないんやけど田舎に限らずヒグマの脅威というものは常に隣にあるもんで、命を失う覚悟もなく甘々の環境で暮らして遊びほうけとるもんでもなく「運が無かったことにする」では済まない毎日があるいうこと少しだけもしここへ住んどったらどうやろワイ・・・て想像して考えてみてほしいんやで。
その上で誰も積極的にはヒグマなどみな死んで滅んでしまえばええねんとも思ってないいうことは特に書いておきたいのや。
そう強く感じとる人間がようけおったとして内心はブクマカさんも書いてるような気持ちと同じやとしても、結果として出力されとらんとこはワイらも同じやねん、たとえブクマカさんより遥かに遭遇する確率が高い日常を送ってたとしてもや。
前述の増田の通りワイはヒグマが怖すぎて泣きそうやからまだ引っ越し資金をためとるで。
そして今これを書いてから泣きながら家に帰るところや。
ときめきメモリアルに触発されたSLG志向のゲームが理想をけん引したが、当時の多くのメーカーには追従する技術力がなかったため、膨大な選択肢による内部パラメータの操作やフラグ管理でゲーム性を表現しようとした。
同時にノベル作品としてのクオリティも向上していった結果、ゲーム性かストーリー性かどっちかに集中してくれという声が強まっていった。
ゲーム性捨ててルート分岐でルート毎のクオリティを上げようぜ、という方向に流れたのが泣きゲーのはしりであり、その狭まったジャンルの中で競争力を求めた結果が感情に直接訴求するシナリオや表現だったりする。
まあ外連味を嫌う人がいても仕方がない。
その後の時代ではルート分岐すら廃れた。ゲーム性の排除はより先鋭化され、一筆書きでなぞれるノベルが発達した。
そしてその領域で活躍できるライターは次々に泥舟を捨てて文筆業に転換し、この路線は破綻を迎えた。
一方フラグ管理ゲームはその後も細々と続くが、コンプリートのタイパの悪いとか、SNSの発達でゲームの進捗がユーザー間でズレると初動の動きが悪いとかいろんな理由が積み重なって先細りが進んだ。
現在でもノベル的なゲームは数多く制作されているが、ソーシャルゲーム(オンライン運営型ゲーム)の勃興により、見かけ上は選択肢があるもルート分岐どころか直後の差異すらない、形式だけ模倣された作品も多く見る。
時々、行動を起こすことが重要だと思うことがある。
私は障害者であり、ハロワの職員に勧められて自立訓練施設で訓練していたことがあった。そこでの人間関係は楽しいものだったが、訓練が役立ったことはない。
教えられなくとも料理はできるし、裁縫を学んでも実生活で役立つことはないし、OfficeSuiteの使い方なんてものは教わるまでもない。
訓練の一環と言って、無賃で工場勤務をしたこともある。たまに巨大組織に金をむしり取られる夢を見る。これは自立訓練で金と時間を奪われたトラウマと思っている。
「足るを知る」がその組織の哲学だったが、個人の哲学として優れているとしても、企業がそれをやれば「低賃金?障害者のお前たちが働けるだけありがたく思え」という態度になるだろう。
それで...行動を起こすとはどういうことか。例えばそれは自立訓練を抜け出して自分の力で転職活動をするということだ。そして結果的にフルリモートで働くプログラマーになれたわけである。
さてこの先、収入を高めるために転職活動をするべきだろうか。私は箴言の一句を思い出す。
フルリモートで自由度が大きいのに、仕事に対する態度がかなり真面目になってしまい、精神的にもストレスは溜まっている。
真面目に働こうと思うわけである。GWも火曜日からは仕事がある。
ところで、仕事と余暇が同じ部屋であるからか、寝ているときにコードを脳内で走らせるような悪夢も見る。
おそらく代わり映えのない部屋の風景に浸り続けるのがいけないのだろう。今日は散歩でモスバーガーまで行ったが、こういう気晴らしが必要だ。