はてなキーワード: どんぴしゃとは
治験の、それも希少疾患の薬剤のアレンジをしています。薬が世に出るまでには、10年15年といった長い年月と、信じられないくらいの巨額の投機的投資、フェーズ1、2、3、4くらいの段階的試験と分析が必要です。私はその主にフェーズ3の、グローバル治験全般と物流をアレンジしています。今日は(次があるのかどうかわかりませんが)その「ラスト1マイル」の話。
ドイツ、スイス、アメリカ、イギリスなどの諸国の製薬会社から薬剤が成田に着きます。その薬剤はいったん専門業者の倉庫に収められ、盲検が施され、厳格な温度管理がなされて、病院と治験者が整った段階で、どんぴしゃりのタイミングで病院の薬剤部に運び込まれます。
温度逸脱が最大の敵のひとつで、もちろん専用の保冷箱に温度計が同梱されて運ばれるわけですが、薬は極力、物流倉庫で、あるいは薬剤部の倉庫で落ち着いて眠っている時間が長いほうがいい。したがって、物流/配送時間を最小化する課題が生まれてきます。たとえば、3月14日14:00さいたまの大学病院配送なら、都内の倉庫から逆算して、12:30ぎりぎりまで薬を取り出さず、保冷箱に移し替えるまでの間、外気にふれる時間を極力短くして、デジタル温度計を起動し、あらかじめ用意した書類を同梱、封緘して、その時間に来るように手配したドライバーに保冷箱を手渡し、ドライバーは13:45に病院の業者用ヤードに駐車、13:50に薬剤部の担当の方に電話をかけ、携帯の電源を切り、13:55に薬剤部のゲート前に到着し、13:58に窓口を軽くノックする。13:59に担当の方が現れ、後述の合言葉を唱え、14:00に「開封させていただきます」の声とともにカッターナイフを取り出し、テープを切り、箱を開け、書類と薬剤を手交。署名を得たら「ありがとうございます」回れ右して退出。
この間、ドライバー(イコール配送担当者)は、黒子に徹しなくてはならない。無駄な発声は一切禁止。どの製薬会社の何の疾患のどの薬剤でということも原則、口にしてはならない。盲検性に触れるおそれが必ずしもゼロではないからです。前に「○○(物流会社名)の△△です。XXさん(製薬会社)のPP(疾患名)のMM(薬剤名)、あ、今回はプラセボ(偽薬)ですね。お届けにまいりました」と滑舌よくいい放って数百万円の損害を出して即日クビになった伝説の猛者がいました。
「14:00の○○(手交管理番号)の件です」「はい。どうぞお入り下さい」。あるべき情報交換は、本来これだけ。服装も、リクルートスーツは基本中の基本、声の抑揚は「お通夜の司会のつもりで」なんてことを教育される世界であります。
今回、同行させていただいたドライバーさんとは、13:45に業者用ヤードで待ち合わせをしました。13:35に僕が先に着いた。まだだれもいない。13:40にもいない。13:41、スマホを取り出して(ついうっかり)「黄金頭 サクラ」で検索する。師匠たしかサクラ絡みで何か面白いことをつぶやいていたはずだ。黄金頭さんの中毒性のある筆致にすこしネットに夢中になる。13:45イタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! どこから姿を現したのかわからない。左側、3歩ほど離れたところに、薬剤を両手で抱え、植田まさしのかりあげクンを地味にしたような30代半ばと思われる地味なメガネ氏、中肉中背のリクルートスーツが場に溶け込んでいる。僕のほうを見ない。顎を引き、猫背気味、心もち遠くを見るようにして、肩の力が抜けている。「(只者ではない…)」歩を寄せ、「13:45お約束の…」「はい。では、行きましょうか。その前に電話を入れます」。(僕だという確認もしない。わかるのだろう。)
かりあげ氏、そこから先は前述の時刻進行通り。なのですが、特筆しようと思ったのは構内を歩く挙措の無駄のなさ。トラックヤードの上り框から、どの角をどこで曲がり、どこに目配せをすればいいか、足が覚えている感じ。とりわけ、通路の交差点手前では必ず気持ち歩速を緩め、ひと呼吸立ち止まり、左右確認をして会釈をしてから再び歩みを進める。「万一、薬剤を落としては元も子もありませんから」「会釈をして歩く業者を見て気分を損ねる先生や看護師の方はいないと思うんです」。5分前に薬剤部ゲート前に到着してからは直立不動(肩の力は抜けている)で、1分ごとに腕時計で時間を確かめる。
もちろん、何かしら、間違っていると思います。リクルートスーツとかね。そもそも、みんな忙しすぎる(´;ω;`) こんな配送日時指定、調整に血眼になるのは日本の治験だけだとよくグローバルの親分からは聞かされ、嘆かれる。批判も、しようと思えばできる。でも、しない。当面、しないことにした。代わりに、待遇を上げたい。物流のラスト1マイルはどうしても、C向けでもB向けでも、多層の中間搾取の残りの霞をかつかつで食べさせて、その割に重いプロトコル(お作法)を押し付ける傾向があります。特にB向けで専門性の高い、今回記したような薬剤配送の世界はその傾向が強いと感じます。
帰りに「ありがとうございます。お見事でした。どうしてこの業界/仕事に?」と尋ねたら「10年ほど前に弟が珍しい型の白血病にかかりまして。幸い治ったのですが…いえ、余計な話を。申し訳ありません」とかりあげ氏。「すごいプロがいる」と聞いて、今回、普段は管理側にいる私も、それだけではだめだ、現場をこの目で見ないことにはと思って、スケジュールをやりくりして同行させていただきました。さわやかな気分で病院を出、途中の川沿いの桜に、すべて実薬で治験の行われる日を願いつつ、帰途についた次第です。ありがとうございました。
今更ながら感想
音100第1弾がこの曲で本当によかった 明るい 元気が出る…
雪国に嫁ぐ姫様も強い 「集えば美しくて 白雪は笑う」て 姫ちゃんつよい
→でずにーパレード始まっちゃった わちゃわちゃ感が楽しい ドーマウスくん歌ってる…?
夢100の不思議の国のアリス観って、ぶっちゃけデズニ―から来てますよね 童話のアリスじゃなくてでずにーのアリス
→他の曲はそれぞれの「国」の特徴をテーマにしているけどこの曲だけは「マッドハッターから見たアリスと王子達(と姫)」なんですよね
姫に対して歌ってるはずなのに、アリスって名前は出てこないのに、アリスのことを歌ってるように聞こえる
錆喰いビスコを読んだ。すごい、このラノベ。大盛のカツ丼を、無理やり食べきった後みたいな読書感が得られる。それがいい。
文章は軽妙で、表現も端的。展開に至ってはものすごく速くて、山場しかないもんだから、全体的に胸焼けするような濃さがある。
好きなものを詰め込んで、なおかつ読みやすさを確保してあるから余計にそう感じたのかもしれない。
デストピア的な世界観はもちろん、いろいろなものから影響を受けたであろうパロディの数々を見つける楽しさもあるかも。あんな世界でどうやってビスコ作ってんだよって思ったけど、稼働してる工場があるんだろうなあ。
キャラも分かりやすくてぶれないのがよかった。詳しくは描かれないけど、きっとこんな理由で行動してるんだろうなって想像できるのもいい。
でも、一番すごいなあって思ったのが最初の挿絵だった。あの一枚絵は本当にすごい。
前文までの展開と絵の内容がどんぴしゃりではまっていて、なおかつそこでタイトルコールを行うような演出がされているもんだから、一気に引き込まれた。没入感が凄まじい。
物語としては、最終部で終わりそうで終わらない展開が続いたため、まだやんのかよってちょっと嫌気がさしたけれど、全体的にはちゃめちゃかつ高品質なエンターテインメントになってたと思う。
その3日後に生理が来てしまったから、きっと今回は授からないだろう。それでも私は、お腹を大事に撫でるのがやめられない。
今ようやく生理が終わったけれど、次に逢えるのがいつかはわからない。きっと排卵日にどんぴしゃとはならないだろう。
馬鹿だと笑われるかもしれないけど、そのセックスを通して、本能で生きていたい、って思えた。
きっと、私を死なせないための、彼なりの延命措置かもしれない。それでも、彼の子供が欲しいと思った。自分でも非道だと思う。
多分、期限の目処は半年。きっと、1年もチャンスは与えられないし、先に私が死んでしまうと思う。
今日も私は、ただの脂肪で肥えたお腹を、撫でるのがやめられないでいる。コンビニに、アーモンドを買いに行こう。お肉も嫌いだけど食べなきゃ。
2018/5/18に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC♪GROOVE☆」の如月千早主演公演第1部,第2部に参加してきました。12日の主演公演第3部で体調不良を押してライブを行った千早の、その後の体調や回復が心配されていましたが、上記2公演では超完全復活とはいたらなくともしっかりとした歌声を披露し無事に公演を成功させました。今回はまともな口コミレポートを作成し、今後の展開を応援するためにも全体的な内容と感想をまとめたいと思います
・公演の詳細に触れますので内容を知りたくない方はご注意ください。
●公演の概要
●MR公演に感じた魅力
今回はMRという技術を用いた新しいライブイベントで、簡単に言うと765ASの3Dモデルが舞台上で歌って踊るというものです。PS4のステラステージ、プラチナスターズで導入されたあのリッチな3Dモデルが舞台に立ちます。その性質上、本当に765のアイドル自身が出演しているという体と演出で行われており、ここでしかない貴重な体験が味わえます。
youtubeのとっても短い公式紹介動画 https://www.youtube.com/watch?v=jHwXIrJKr3s
会場はDMM VRシアター(横浜駅から歩いて5分ぐらい) https://vr-theater.dmm.com/
※VRと付いてますがゴーグルなど不要でライブは裸眼(ないし自前の視力矯正用眼鏡)で楽しめます
チケットは単体6,300円ですが、今回はワンドリンク制で+500円会場で支払いが必要でドリンク券がもらえる仕組みです。
コラボメニューもあり、私はたるき亭ブルーと言う青くて甘い飲み物を飲みました。700円なのでドリンク券+200円必要です。
ペーパーコースターがおまけで付いてくるのですが、2種類あって私は3回行って集めることが出来ました(ランダム配布のため)
2018/4/30-2018/5/27の土日祝日を中心に開催され、ひとつの公演時間は1時間、1日に3公演が実施されています。開催日それぞれに「主演アイドル」が1人選出されており、主演アイドルはMCとソロ曲を披露してくれます。セットリストは基本的に下記の構成のようで、曲については主演アイドルによって前半ユニットパートが変更されるようです。私は千早公演しか行ってないですが、千早公演はすべて同構成でした。
千早公演セットリストはこちらのブログで丁寧にまとめていただいています http://ch.nicovideo.jp/sidenp/blomaga/ar1528434
MRの技術的な詳細は存じ上げず理解も出来てないのですが、本当に立体的に見える3Dモデルが舞台上に投影されます。
おそらく等身大になっていると思われるのですが、本当にアイドルがそこに存在しているように見えるんですよね。
キャラクターの立体感がすごい。そこに立っている。(技術的限界か実際はちょっとだけ床から浮いたところに立ってるのですがぜんぜん気にならないです。前のほうの列じゃないと気付けもしない)
そして会場がさほど大きくないというところもポイントだと思われます。
17列中前から10番目が一番後ろでの参加でしたが、そこでもほんと手が届くところにアイドルが居る!と思えてすごく興奮しました。近い!
ダンスで前後交差しながら踊る場面でも立体感は強く感じました。
またちょっと存在感とは離れますがモーションがキャラクターごとに特徴を捉えた微妙な差やタイミングのずれなんかが有り、それがまたアイドル個々がまさに生きている感じが出てて良かったです。
他の媒体では絶対に感じられないことが感じられるので本当にすごいです。
まず身長差。
響が伊織が小さい!貴音があずささんが大きい!りっちゃん美希よりちいさい!
情報は知っていても等身大で並んでみるとすごく実感できてとってもキュんキュんします。
そして動きの質感が本当にキャラクターの存在感とか生命力を感じさせてくれます。
私は特にジャンプする振り付けのときに質量感みたいなものを感じて“アイドル実存”を強く感じてめちゃめちゃ引き込まれました。一昔前の3Dロボットアニメにありがちな動きが軽いってヤツとは無縁でした。
単純に「765ASってこんなダンスうまいの!?すげー!!」と感じました。
キレとか、しなやかさとかがすごいんですよね。
これはおそらくゲーム内のモーションでもそうだとは思うのですが、目の前で等身大のモデルが並んで踊っている様を観るとまた感覚が違って、すごく迫力を感じます。きれい、かっこいい、かわいい!!!
全身使って踊ってる姿が余すところなく目に飛び込んできますし、そのこともよりモーションを楽しめる一因でしょう。
後は細かい脚のステップやフットワークがとても美しく良かったです。
MRによるモデル+モーションのしなやかさと開けてる視界、近いところに居るアイドルという状況があいまってすごく魅力的に見えました。
ゲームだと地味に感じやすい動きですが、そういったところもしっかり楽しめるのはMRならではで、モーションがしっかり作ってあるということの立証だと思います。
アイドルとリアルタイムに会話するなんてMRじゃなきゃ不可能ですからね。
正直これのためだけに参加してもいいぐらい。
これは演出もしっかりしているから出来ることで、とんでもない時代に生まれたなと思います。
本当に千早に会ったんですよ私。
舞台の後ろにも背景が投影されるのですが、ステラステージで出てくるサクラ学園やギャラクティカといったゲームのものが出てきているのが良かったですね。私としてはより765ASのライブって感じがしました。
あと、これは定かではないのですが、開演前と終演後に流れていた会場のBGMがステラステージのゲームBGMだったのですが、開演前が日常⇒衣装チェンジ⇒ライブ前みたいな感じで変遷して終演後は一週間の報告(小鳥さんが話しかけてくれるやつ)のBGMになっていて、ゲームのBGMでライブ全体の時系列を表現していたように思いました。
こういうことされると好きになっちゃうんですよね。
ひとこと全体として話すなら、これは担当の主演回以外にも十分いく価値はある!という話です。
待ち受けプリンスとか響、貴音、真Pにはマジでみてほしい。。。
幕が上がると同時にというかんじで、最初見たときはびっくりしました!
生っすか未履修の私はこの曲をここで始めて聴いたのですが一瞬で好きになりました。
あんなかわいい衣装(名前分からないごめんなさい)で歌われたら好きになるでしょ!
振り付けもとってもキュートでさびのところで腕を┌┘みたいな形にするのがすごくかわいかったです。
雪歩に目を奪われました。
そして貴音の高身長からくる優雅でダイナミックなダンス!うつくしい。。。
なんかライブで亜美と真美が並んでるってすごいことなんだなぁとしみじみ感じました。
また、この曲は他と比べると実は比較的激しいダンスがなくて要所要所でシャープに決めるキレのある構成になっていて味わい深い名曲だなと感じました。
前半パートで一番好き。特に真、響、貴音という組み合わせがどんぴしゃでした。
この曲の恐ろしいところは両ひざを開閉させるセクシーダンスで、うら若き乙女にこのダンスをされると「いけません!ああ、そんなことをしては!ああ!」という気持ちになるのですが完全にセクシーすぎて虜になります。
セリフもずるいですしね。心奪われます(「うそつき」は響担当でした)
あとねチュワチュワのところのダンスもめっちゃかわいいんですけど特に貴音は高身長だったのでこの振り付けがよりあうように見えました。よいよい。
アニメだと伊織と真美がやってたと思うんですけど腕ぐるぐるする振り付けが好きで、実際見てみるとめちゃかわいかったです。
サビのところの振り付けが死ぬほどかわいいんですよね。もうほんとに。好き
この公演のテーマソングでもあり、公演が全部終わった後流れるスタッフロールでも採用されている曲です。
おそらく今回の公演のテーマ衣装(ユニットパートその2ではみんなこの衣装です)もこの曲をイメージして作られたものだと思われますが大変マッチしていて良い。
燕尾服的な腰からふわっと伸びている上着のパーツがかわいいです。
わたしはこの曲を心から愛していて歌マスとかマスピを殿堂入り枠で考えた場合、全体曲ではこの曲が一番好きです。
歌詞もとっても良くて、歌で愛を届けるアイマスにぴったり、メロディラインも要所を盛り上げる感動的な構成で心に響く曲です。
またラストのサビで、背景に今回の公演タイトルが書かれた看板が下りてくる演出があって、それも良かったです。
チェンジの貴音がかわいすぎるしぬ
長くなったので分割で続きます ⇒ https://anond.hatelabo.jp/20180518235504
やっと見終わった
宮前先輩派
鹿ではネコ科には勝てなかったよ
黒に来るが楽しかった
原作ゲームのキャラクターや世界観を踏襲したままアニメならではの独自なことをやる手法としてダブル主人公というのはおもしろいアイディアに思えた
けどけもフレも同じか
1期同様おもしろ楽しいのだけど、宗教ネタでいじるのはちょっとどうなんだろう
手をつないでいる男女(同性同士でもいいけど)を見たらもしやハンドシェイカーかと身構える楽しみを覚えてしまった罪深い作品
主人公視点のカメラと盗撮視点のカメラとを交互に見せることでそこはかとなくいかがわしい雰囲気を演出することに成功していたと思う
人間関係とかテンプレではあるんだけど、テンプレなだけに安心して楽しめた
1期目とは雰囲気が変わったような気がしたけど、これはこれでおもしろい
心を試される試験では日本のマンガやアニメだと主人公がウジウジ悩みそうなところを、この主人公は弱い奴らのことなんか知らねーって言い切ったのがスカッとした
ニコニコで見ていたのでオープニングの馬に毎回つっこまれていたのだけど、まさかその馬が話の中で回収されると思わなくて素直に驚いた
かわいい方向に寄せた森川智之というのは案外貴重なのではなかろうか
ひとくちに「オタク」といってもその中身は十人十色ということがよくわかるし、その多種多様な「オタク」をまるっとまとめて飲み込んでいたのが秋葉原という街なのかもしれない
得意分野だけではなく得意ではない分野でもそれなりに知識をカバーできるような総合的なオタクのための作品なのだろうと思う
途中の息抜き回かと思っていたおむすびころりんの釣りの話とかバレーボール(ゴレンジャー)がちゃんと結実する構成が個人的な好みにどんぴしゃ
少し前に伏線が回収されればおもしろくなるわけではないといってた増田がいたけど、回収されることそのもののおもしろさというものもあると思うんだ
かわいいし笑いもおもしろくて抜群の安定感ではあるのだけど、なんというか全体的に隙が無い優等生みたいでどこか部分的に褒めるというのがむずかしい
これってすっごく今流行りのPC関連な話だけど、2chはもとよりはてブでも宮崎氏の発言を白々しいものとして捉えている人が結構な数でいるので、自分なりに補足してみたい。
パラリンピックなんかで活躍するような、四肢が欠損した人物だろうか?
あるいは、24時間テレビなんかで見かける知的障碍の子供だろうか?
ひと口に障碍者と言っても、その病状、症状は様々だ。
例えば、脳に障害を負ったとする。後天的なもので多いのは、やはり脳梗塞。いわゆる脳の血管が詰まることで起こるそれは、急性期においては命に係わる危険なものだ。また、一命をとりとめたとしても、後遺症として深刻な障害を負うことは避けがたい。左の脳に梗塞ができた場合、右側の身体に後遺症が出る。四肢の麻痺やあるいは半身麻痺、言語障害となる場合も多い。
麻痺とは自分の意志で体が動かせない状態のことだ。それとは逆のパターンで、不随運動と呼ばれるものもある。自分の意志とは関係なく、体が動きコントロールできない状態のことだ。パーキンソン病の主な症状のひとつ安静時振戦などがそう。震えのような症状から手足をくねらすような動きまである。
こういったことを念頭に置いて、川上氏の提出したCGを観たとしよう。その動きはどんぴしゃであの障碍者の動きだ! というものではないが、四肢の奇抜な活用の仕方は、身体のコントロールがきかないそうういった方々を容易くイメージできるものだと言える。
おそらく宮崎氏もそういった連想により障碍者の友人に思い当たったのだろう。故に川上氏の「気持ち悪い動き」を面白がる態度を強く批判した。
要は、かなり平たく状況を述べるなら、駅で見かけた変な動きの人(あえてこう書かせていただく)を見て面白がる無邪気な小学生を怖そうなおっさんがゴラァ! とした、とでも言おうか。
……表題としてはこれで以上ではあるが、ポリティカル・コレクトネスを考えるうえで、個人的に気になることを書く。
今回の件は確かに川上氏の態度に嫌悪感を抱いたし、宮崎氏はそこを鋭く突いたなと感じている。
が、同時に川上氏に対して「他人の痛みが理解できていない」といった批判はできんなーとは感じている。
といのも今回は、自分がたまたまそういった障害を持った方を知っていたからにすぎないからだ。
こういった配慮を想像力だけで補うのは不可能だろうとは感じている。要は知識の問題で、それ故に川上氏を無邪気な小学生と例えたわけだ。
これが企業ならそういった豊富な知識を買うことができるんだろうけど、個人レベルにおいては難しいよなあと、2chやはてブの反応を見て思った次第。
結局のところ、「知らないものは配慮しようがない」といった話になってしまうが、そう考えたときにアイスバケツ・チャレンジのようなムーブメントほ重要なのかもなと思うが……(どんどんと取り留めなくなってきそうなので終わる)
何かと話題のシン・ゴジラ。サヨク側から見ると、え?これ自民党の広報映画?自衛隊の広報?緊急事態条項のための煽り?なんなの?と、見えなくはないです。今回は僕なりどうしてそう見えちゃったのか、理由を考えてみたので、それを解説させてください。。。
以下、シン・ゴジラのネタばれを含むので、ってそこがメインのトピックではないですが、未見の方はご注意ください。僕の立場性的なものを説明することで行を稼ぐので、ネタばれしたくない方は僕がながながと自己紹介してる間に離脱してくださいね。
<立ち位置>
僕は自称サヨクの保守派です。政治的な信条をいえば、九条は守る派。自衛隊は基本的に違憲。災害出動はありだから自衛隊って言う名前を変えて武装をなくして災害時のすげーレスキュー隊みたいなのにしちゃだめなのかしらって思ってる派です。でも中国の尖閣とかどうしよう。
安保はアメリカがお金を払って守ってくれるんだったら別にいいんじゃね?派ですが、沖縄ばっかりに基地が集中してるのは不公平感が強いから県外に分散させたほうがいいんじゃないかしら?派ですね。
原発に関しては、なくなったほうがいいけど今すぐは絶対なくせないから、今すぐ全部の原発を最新のやつに置き換えて、少しでも安全にして議論の時間を稼ごう派です。
まあネトウヨさんに言わせれば、典型的な「頭の中お花畑」の一人でしょう。日教組教育に毒された頭の中お花畑です。あんまり職業として政治家とか官僚とかに興味なくてよかった!
と、まあそんな私ですが、ゴジラに関しては、世代的に平成VSシリーズがドンピシャなこともあり、平成VSシリーズをなんとなくカバー。ミレニアムシリーズは大人だったのでノーケア。どちらかというと今回の映画には庵野入り口です。エヴァンゲリオンどんぴしゃ、序を見ながら映画館で「庵野大人になったな。。。俺も大人にならないとな。。。。」って思いながら号泣するぐらいの庵野フォロワーではあります。なので、それに併せて今回1954のゴジラや1984ゴジラを予習した上で、劇場に足を運んだのでした。
以上前置き。
さて、そんな頭の中お花畑で庵野フォロワーな私なので、最初にシン・ゴジラを見たときは、え。。。これ、アベ政権の宣伝・・・?自衛隊礼賛・・・?なに・・・?と政治的にぐらぐらして正直あまり楽しめなかったのです。その理由をまとめると以下
前提として、今までの作品と若干比較します。過去作も「ゴジラ・自衛隊・放射能」っていう要素は大きくは違わないにもかかわらず、過去作を見ても政治的にぐらぐらしなかったのに、今作はちょうぐらぐらしたからです。
ほいで、比較の対象は今までのゴジラ映画の中でも「まじめゴジラ映画」です。ゴジラシリーズがわりと大人向けのハードな作品としてシリーズを開始しながら、だんだんマーケットを意識した子供向け映画になっていくのはそれはそれで面白いんですが、まじめゴジラ映画としか比較しません。
ファンタジー子供向け映画であれば、どれだけ自衛隊がかっちょよく活躍していても、現実との距離があるのであんまりドキドキしないですし、そもそもゴジラ映画の中では、子供向けに舵を切れば切るほど、ゴジラと対抗する人間側の組織がどんどんファンタジックな組織になっていきます。これはこれで興味深いけど論旨とずれるのでおいといて、「ゴジラが現実に出現したらどうする?」っていうベースを持っているのは54のオリジナルゴジラと、84ゴジラなのでこの作品二つを本論では「まじめゴジラ」として、この二つとの対比でこの項目では取り上げます。
まず54ゴジラはくっそ反戦映画なわけですが、途中よくわかんないヌルヌル三角関係とか出てきて、事前情報なしで見た僕はなかなか衝撃でした。その三角関係は必要なのか?で、もー出来立てほやほやの自衛隊が一夜にして高圧電線を東京湾岸に引いたり、戦闘機飛ばしたり、なかなか大活躍されるわけです。見方によっては出来立てほやほやの自衛隊の宣伝映画。でも、この映画の主題は、芹沢博士(眼帯)が自分の技術を軍事転用されることを恐れて自殺する、という衝撃の展開にあります。非常に九条の精神を体現した英雄的な行動ですね。
自衛隊活躍させる(みぎ)けど、眼帯の博士が技術の軍事転用を恐れて自殺する(ひだりっぽい)。このバランスのとり方がサヨクをスポイルさせるのだと思うのですが、この説教くささは1984でも繰り返されます。
1984ゴジラも、なんとなく沢口靖子(大根)をめぐる三角関係感が見え隠れしなくもない(片方の相手はお兄さんなので正確にはシスコン)映画で、武田哲也の怪演が当時話題になったことは否定しがたい名作ですが、まあこのなかでも自衛隊は謎の新兵器を開発したりわりと優秀です。しかも、冷戦状況下において日本とは思えない軽やかな政治判断と交渉を繰り返したり、なかなか自民党政権礼賛です。アメリカ大使とソ連大使に当時の首相こんな軽やかに対応できたんかい。
あと、散々首都を蹂躙し、西新宿も壊滅させられたのに、なぜか大島の火山に沈むゴジラを涙ながらに見送る首相(その涙にはどんな意味が?)とか思ったりしますが、この首相なかなか理想を体現する人で、ゴジラへの対処として核攻撃を提言する米ソの大使に対して、「日本には非核三原則がある!作らず・持たず・持ち込ませず! だから核攻撃などありえない!」と高らかに宣言をされるわけです。
えー。。。駆除に関する議論をしてるときに、原則論持ち出されても。。。ってアメリカ大使そりゃ怒るよね。こんなときだから原則論なのです、ってえーじゃあどうすんのよーってなるよね。
まあどんだけ自衛隊を活躍させて自民党政権が軽やかに外交で振舞う現実離れした宣伝(みぎサービス)があったとしても、首相が頑として非核三原則を曲げない(ひだりサービス)が、あれば、サヨクは安心するわけですよ。
自衛隊が活躍しちゃったりすると、どうしても「えーこれお母さんに内緒で見ていいやつかな?」って思っちゃいがちなサヨクの良い子たちに、同時に、軍事転用を恐れて自殺する眼帯とか、非核三原則を宣言する首相とか、そういうわかりやすいさよくがお母さんに報告しやすいガジェットをしのばせることによって、バランスをとっていたのです。今までのゴジラは!すごい!サヨクにもやさしい!
ところがそのようなバランスはシン・ゴジラではとってくれません。いくつかお母さんが喜びそうなシーンもあるのですが、多分喜びません。
お母さんが喜ぶ可能性が少しでもあるシーン
→アベ首相が中途半端に英雄的なことを言っているだけだからお母さんは不機嫌になる。
○石原さとみが「おばあちゃんを苦しめた原爆をもう一度この国にごにょごにょ」
→ここいけそうなんだけどなーなんでだめなんだろう。石原さとみがそもそもお母さんにいいづらいのかな
でもお母さんが目くじらを立てそうなシーンはいっぱいあります。
○自衛隊員が最初の品川攻撃へ出撃するシーン「みんな覚悟はできています!」
→ゴジラを救え?倒せ?どっちにも聞こえるシュプレヒコールって馬鹿にしてんのか!
あと全体的に手続きに時間がかかるとか、そのもどかしさとかは緊急事態条項作ろうとかそう言うこと?!あと、泉が優秀だったり矢口と矢口の部下が優秀だったり、自民党のことばっかりホメやがって!!!
ってなる気がする。
と、いうわけで、自分を含めて多くのサヨクは、自衛隊とか自民党の政治家とかが出てくると基本的に、それを否定的に描いているかどうか?っていう評価回路(上記でお母さんって言ってるやつね)が自動的に起動して、否定的に描いていなかったり肯定しているのと同じぐらいの分量の左翼的なメッセージが内包されていない場合、この作品って右っぽいんじゃない?って思っちゃうわけですよ。だからみんな多めに見て!大目に見てあげて!
蛇足ですが。
上記より、僕が思っていることは3点、上記お母さん回路は遮断してこの作品を見るべき、サヨクは現実との乖離を認識するべき、でもこの作品から何が生まれるのかは注視すべき。
の、三点です。
○まずお母さん回路の遮断はそのまま。庵野は現実の制度とスタッフを忠実にトレースして東日本大震災の成功パターンを描いただけなので、別に誰かのことをほめたりする意図はまったくない。国会前デモみたいなのも揶揄するつもりではなく、こういうのありそうだよねっていうリアリティのためのガジェットに過ぎない。から、その回路は遮断したほうが映画自体を楽しめる。落ち着け。お母さんはもうお前を怒らないし、庵野にはべつに政治的な意図はない。
○2点目、あべ政権くそ、死ね、自衛隊は違憲!って思っているサヨクのあり方そのものがものっそい一般からずれちゃってるゥ!そりゃあ選挙負けるわ。っていうのをこの映画の見方のズレから認識するべき。野党の共闘はある程度機能したとか抜かしてる場合かボケ。ほんとに改憲阻止したいなら生前退位するぐらいの覚悟は見せるべき。
○3点目、わりと負け惜しみっぽい最後のポイントですが、エヴァンゲリオンで描きたかったのはそういうところじゃなかったのに、結果的に庵野はセカイ系への扉を開いちゃって、その後最終兵器彼女とかほしのこえとかそういういわゆる「セカイ系」と批判される作品群を生み出してしまった。今回のシン・ゴジラもなんかそういう扉を開いちゃうと思うけどそれが何かは注視するべき。 ほんでサヨク的な負け惜しみだけど今回開いちゃう扉は、愛国ポルノ的なものの可能性もあるんじゃないかしら。そこは注視するべきじゃないかしら。
いやあこんなことになるとはね。
三ヶ月前に結婚したのですが結納の席で初めて妻の妹と会いまして。
どんぴしゃなんですわ。いや、妻も大好きなのですけども、まさかあんな妹さんがおろうとは。
ロングヘアでめがねをかけたちょいブスで、でも色白で、明らかな巨乳。
伏し目がちで受け答えもドンくさそうなのですけど、あれ違うで。
絶対に心のなかではスパコン並みにいろいろ思考していて俺のことを「こいつキモイ。氏ね」とか「このクソ男が私に色目つかいおって」とか、あるいはもっといろいろなこと妄想しているんだ。きっとそうだ。
数日前、妻の実家に泊まった時。
風呂を頂戴しようと風呂場に向かったら、湯上りの義妹にばったり。
いつもはほとんど口をきかないのに俺をガン見しながら「お義兄さん、いいお湯ですよ」とか。
はやる気持ちをおさえつつ服を脱ぎ捨て浴槽にザブン。
におい。においってするんやな。体臭。
なんだこの香り。イランイランみたいな甘い香り(あの催淫効果のフレグランス)。
この湯に義妹はさっきまで漬かっていたのか。そこに俺は密着しているのか。そんなことありえるのか。
http://anond.hatelabo.jp/20160131142538
数カ月前、ヘルスで顔も体型も好みにどんぴしゃの嬢に当たった。大興奮した。しかし、勃起しないで終わった。
先週違う店にフリーで入ったのだが、出てきたのが昔の部下にそっくりな女。そいつはヤリマンで有名で、俺も一度飲み会の帰りに誘われたことがあったんだが、好みのタイプじゃないので誤魔化して逃げた。そこそこ美形ではあるんだが、ちょいゴツめで、体型もむっちり系。髪型は茶髪のショート。俺はスレンダーな黒髪ロングが好きだったのだ。
正直、出てきた瞬間は「ゲッ」と思った。あいつに似てるなと。しゃべりの当たりが柔らかくてサービス地雷ではなさそうだが、また無理かもなー、と。しかしこれがびっくり、目の前で服を脱がれた瞬間からアマ勃起してしまって、触られたらあっという間にガチガチ。三回戦までしてしまった。不思議だったな。苦手意識は好意の裏返しだったのかもしれんね。
こいつ自分で表現とかほざいてたんだけどさ、SNSの拡散性だけ利用して肝心の内容に配慮しないのって、表現者としてクソ甘えてるよな。
伝えるために中身を工夫するって、表現と畑違いのサラリーマンですら資料作成でやってることだ。多くの人に見せるなら、多くのために心を砕けよ。動物の死骸写真ばら撒いて表現でございとかレベルが低すぎる。
そしてもちろん心を砕いた結果があの写真だったならば別に問題なかった。しかしこいつは自分の表現とろくに向き合いもしていない。だから「あなたは肉食わないんですか」「うんこの例えは違う」なんてアホなことが言える。
食の観点から言えば肉食う過程と結果なんだから、うんこの例えはどんぴしゃだろ。でもこいつはうんこは汚くて嫌で自分の写真は綺麗だと思ってる。「動物は死んだ瞬間に他の動物が生きるための食料、命そのものになる。」「可哀想は偽善」とか綺麗ごとは言えても、その結果鴨の夫婦がこんなうんこになりました、って事実は写真にできない。命がけとかデカイこと言って他人には押し付けるくせに自分は覚悟を持ち合わせていない。写真に文句言ってくる奴は晒し上げられても、踏み込んだ表現は批判が怖くてできない。そういう打算だけの写真家様。
大好きな人に振られた。8年間遠距離で付き合って、最後は明確な理由のない「さよなら」のメール一通だった。電話も拒否され会ってももらえず大海原に放り出されたような気分になったところで、SNS上で私の知らない女性と婚約中という交際ステータスという文字を見つけた。ていうかその時初めてSNSやってることを知った。衝撃だった。
振り返ればいつも趣味に付き合ってくれる人だった。私が第二幕東方神起始動時にハマった頃には勿論付き合っていて、日産スタジアムのライブには2人で行った。2人とも大いに楽しんで帰りの凄い混雑の中で、彼が「豆粒サイズのたった2人の人間を見る為だけに7万5千人が集まるって事実が凄い」と感心したように言ってくれた一言が今でも忘れられないほど嬉しかった。ライブが始まる前から頭にタオルを巻いてはしゃいでくれる、優しい人だった。
振られた私からしてみれば突然放り出され言い分も聞いてもらえないままなので仕方ないからここに書くけれど、あんたは私が会えない夜にどんだけ『Telephone』と『逢いたくて逢いたくてたまらない』を聴いて泣いたか知らないだろ。私があんたの心情を慮れなかったのと同じように、私にだって悟られたくない不安や心配や悩みはいつもあった。恋しくて恋しくて眠れない夜だってちゃんとあったのだ、でも重荷になりたくなくて言えなかった。「何でじゃーーーーーー!!!」って『Why?』聴きながら激昂した夜もあれば会えた日のドライブでは私の想いを忘れないでほしくて延々『Duet』を流し続けたことも、あんたは覚えてなくても私は覚えている。『Thank you my girl』が好きだと笑った顔も、ライブDVDでチャンミンのMCに大爆笑した顔も、巨人の真似したユノに手を叩いて笑ってた姿も。『One More Thing』を傍で歌ってくれているようなそんな安心感がいつもほしい、そう思ってはいても遂に言えなかった。
いっそ『Catch Me』の男主人公みたいに思わせぶりに匂わせてほしかった。そしたら「行くなーーーーーーー!」って全力で言えた。せめて正直に「他に好きな人ができた」と言われたら、『Before U Go』をもじって上手いことの一つでも言えたかもしれない。あんたを愛していたのはばかだけどばかになれるくらい一途だったこの私だと、最後にこれくらい知っていけと、少しは自画自賛という名の自己満足で自分を慰めることもできたかもしれない。それももう叶わない。何も言われないまま振られた私は、今日も車の中で不意に流れる『STILL』で全力で泣く。もう一度出会えたら、もう一度笑ってくれたら、そう思いながら二度と顔も見られず声も聴けない事実に絶望して子供みたいに泣いてしまう。運転しながら。一日一日思い出さない日はなくて、格好悪いけどひたすら苦しくて愛しくて切ない想いばかりを抱えて、でもそんな自分を駄目だなと戒めるために『I KNOW』を聴いて我に返る。ばかでしょ、私。
今の私は『Fated』を聴いてもテンション上がらず、この悲しみの向こうに輝きがあるなんて、そもそも自分がこれをいつ乗り越えられるのかもうどうしたって分からない。こんなになるくらいなら本当に、ドン引きされても罵られてもいいから、もっと好きだと言えばよかったなぁと心から思う。明日は、明日こそは元気になって輝くぞと念じながら『Back to Tomorrow』を聴いてもいつも迎える朝は後悔や悲しみを含んでいて、寝てる間に泣いた瞼はやっぱり腫れている。
でも、それでも好きだった。物凄く好きだった。もう連絡先も消したしSNSもブロックしたし繋がりを絶った今だから言うけど、まだ好きだしこれからも当分好きなんだと思う。何なら婚約したお相手とハイタッチさえしたい気分だ、「やっぱあの人いいよね、こうさ~中身が男らしくってさ~でも優しくて~~」みたいな、ライブで隣の人と仲良くなるみたいに。恨みでも嫌味でもなく、本当にそのくらい格好いい人なのだ。
この8年、良い恋をしたと思う。本当に本当に大切にしてもらった。終わり方さえ納得出来たら、多分きっともっと上手にこの恋を昇華できた。あんたはこれも知らないだろうけど、私はいつも友人に「今の人と別れたらもう恋はできない」と常々言っていた、その思いが一文字たりとも違わないことを日々実感している。未来がどうなるか知ったこっちゃないけれど、少なくともこの半年間私はちっとも変れていない。そういう意味でも改めて『STILL』はどんぴしゃなのである。本当にただ泣いただけ。
おめでとうも言えず、未だ報われない恋を抱えている私から、それでもこれだけは言わせてほしい。本人には届かないだろうし私の自己満足だけれど、私の恋が終わる為にも、貴方だけの『シアワセ色の花』が咲くことを心から願っている。枯れることも折れることも朽ちることもなく、何色でもいいから、貴方のその凛とした姿勢に相応しい花が咲きますように。よく食べてよく寝て、私が貴方にしてあげられなかったことを全てしてあげられる、貴方の不安を汲み取ってくれて貴方にちゃんと素直になってくれるそんな素敵な女性と、ただ幸せになってほしい。世界が壊れてしまっても、もう誰かの手を離すことがないようにね。
まぁ私は無理やりでも元気出していこう。『Easy Mind』とか『Cheering』とか流してテンション上げて、大声で泣きながら笑って歌ってこう。そしていつか『STILL』を聴きながら、こんな素敵な恋をしたんだと心から笑顔で振り返れる日が来るといい。
ありがとう。そして本当にこれでさようなら。私の報われない恋に、大好きな東方神起を捧ぐ。You were my chandelier.
くそがあああああああああああああああ!!
この職場じゃろくな金作れねえから苦労して努力して他所から仕事貰ってきてやってんだろうがあああ!
それなのに一円にもならねえ青年会活動だの一円にもならねえ式だの、人がようやく貰ってきた仕事と丁度ぴったりかち合う日に入れてんじゃねえんだよクソがあああああ!
しかも前日どんぴしゃりで宿直とかおいお前偶然にしたってマジふざけてんのかクソ野郎があああああ!
金にもならねえ仕事を延々と続けるしか能の無い職場には始めから期待してねえから、せめて人の足を引っ張るんじゃねえよクソがああああ!
だいたい式なんざ一月に一件もねえだろうがあああ!閑古鳥鳴いてるくせに人の貰ってきた仕事の日に丁度ぶつけてくるんじゃねえよクソ利用者があああ!
マジ死ねよ職場。俺にどでかい返しきれない程の貸しがある事すら忘れてやる事はと言えばこんな風に偶然装って不幸押しつけてくるばかりで何年待とうが一切贖罪も返済を行おうとしない職場も業界全体もマジで滅びろ。ゴミが。
さえない中年大学教員。学生で一人とても気にいった子がいた。学生はけっこう数見てるわけだが、性格もルックスもどんぴしゃ。もちろん在学中は手は出せず。嫁もいたし。彼氏がいることは知っていたが、それほど気にはならなかった。
卒業してからも連絡をとっていて、夏に会ったときに「浮気したい」みたいなことを言っている。もちろん私と浮気したい、という意味ではないが、どきどきした。しかし嫁のことを考えて自重。
その冬に嫁と別居。春先に会う機会があったが、秋から冬にかけてもとの彼氏と別れて職場の男とつきあいはじめてたという。しかしやはり脈がありそうな気がするので食事するかというと行くという。
飯食って酒飲んで。新しい彼氏の話を聞いたり。まあいい人なのだな、という感じで幸せになってほしいと思った。私とは歳が離れすぎているし。早く結婚しておちつきたい、というタイプの女。美人でいろいろ男が寄ってきてうるさいらしい。勇気がなくて告白とかホテル誘うとかそういうのはできず。私はいつもそうだ。
次に誘うと、あまり乗り気じゃない感じ。嫌われたかと思って連絡もとらず。
1、2ヶ月後、「9月に結婚することになった」というメール。もしやと思って尋ねると妊娠したので結婚することになったとか。
その後無事出産のしらせ。実は子ども連れて大学に遊びに来たことがある。
もう2歳ぐらいだし、またデートとか誘ってみたいが、だめだろうな。2ちゃんとか見てると嫁が浮気したとかで修羅場になっているのが恐い。
彼女には幸せになってほしい。それだけ。あんまり女性を好きになったりしない人間だから、これが最後の片思いとかになってしまうのだろうか。もう少しチャンスがあるといい。