はてなキーワード: プロジェクトXとは
あの歌はプロジェクトXの主題歌に使うために書き下ろしてるから、スポットライトが当たっているのは人間、すなわち地上の星=人間だよ。
中島の所属する事務所には取り合ってもらえなかったが、今井が中島に手紙送ったところ、中島本人が快諾し[2]、本曲を書き上げた。
新幹線や黒部ダムといったビッグプロジェクトには、多くの人の苦労があって人間ドラマがあるけれど、新幹線や黒部ダムにスポットライトが当たることはあっても、それに携わったプロジェクトリーダーや現場の職員にスポットライトが当たり記憶に残ることはまずない。そんな人たちにスポットライトを当てる番組がプロジェクトXだった。
だから中島みゆきが星と表現しているのはプロジェクトに携わった一人一人のことを言っていて、ものや存在といった広いものではないと思うぞ。
もっと目を向けるよう呼びかけているというのはその通りと思うけど。
輝く星は美しいけれども何千光年も離れた遠くではなくて、同じように輝いている人がすぐ近くにいる。それが見えていない我々に気づかせてくれるという番組という意味でつばめは「プロジェクトX」を例えたものと考えて間違いないと思う。実際つばめはXの形にも見えるし。
まとめ主と反するコメントを書くと消されるのでこっちで書き残しておく
とあるが
コレは微妙に違う
「富士山」という商標は「東京都千代田区 株式会社ニップン」が取得して、ずっと更新してる
商標法上「その商品」の「産地、販売地等」は商標登録が認められないと規定されているため、出願書類に記載する「指定商品」が「富士山」を産地や販売地としそうなものであれば商標登録が認められない。
というような構造があり
変な話だが、青森で酒を作っているAfuriの方が、山に関係ないとして商標を取りやすい
そんな馬鹿なと思うかも知れないが、そういう規定のものなのである
山の名前、川の名前、そういった類の物は実は商標登録可能で、【産地じゃない】方が使えるのだ
もちろん、消費者感情を完全に無視できれば、という条件はつくが
変な話、Afuri社が、大山の麓で酒を作っていたら、その方が阿夫利で商標取るのが難しいまでありえる
もちろん、このあたりの判断はこうして社会的な話題にならなければ緩いものだ
「阿夫利大山」という日本酒は、伊勢原市(まさに販売地)の酒屋が商標を所得できている
産地であり販売地でありながら取得できている、八海山、高千穂等の実例もある(この辺は過去の経緯等も重要だろう)
この話は、例外事項が多すぎて、変にうだうだやる方が深みにはまる(人が一般的に感じる人情と乖離する)ので
至極ドライに進めるのが正解だった
八海醸造(1925年)高千穂酒造(1902年)を例に語れば、歴史や地域性で判断されてしまう
だから、そっちで戦っては駄目なんだ
ひたすらドライに
ただただビジネスライクに
法的にどうかという点はともかく
とにかく、社長の動き(facebookやインタビュー)が燃料になってしまっている
これ、だんまりを貫くのが正解だと思うんだよ
「権利者の苦労」とか言ってるまとめ主も、盛大な後ろ弾だと思うんだよね
酒造さん側の苦労がないとでもいいたいのか?
企業買収をお涙頂戴で語って、再建物語をプロジェクトX風に語ったら勝てるのか?
違うだろ?
ラーメン側のほうが苦労が大きいと?
違うだろ?
なんの苦労もない思いつきで作った商品を
売ったら売れちゃった、みたいなケースも、商標は守るんだよ
ノア・スミス「実は日本は様変わりしてるよ」(2023年1月23日)
https://econ101.jp/actually-japan-has-changed-a-lot/
『ぼくの考えでは,それと同等か,ひょっとしてそれよりもっと重大な問題に,企業での老人支配がある.』
NHKでいにしえの番組「プロジェクトX」の再放送があったので見てみたが、出てくるプロジェクトのメンバーが軒並みやたら若いのにびっくりした。
20代・30代がすごい重要な開発を任されていたりするし、しがらみは勿論あるもののかなり自由にやっているし、私生活を完全に犠牲にして仕事に打ち込んでいたりする。
いま、こんなん無理だよね。
そもそもが1970年80年代あたりの話だから 上の世代は戦争ですごい数が減ってるんだよ。あと治安も悪かったし規制も少なかった。
この国が衰退していく様を眺めている気分は悪くない。
ちょっと前なら、碌にパソコンも扱えないような年寄りがプロジェクトXを観て勘違いしたり、
ブラック企業を礼賛する社畜みたいなのが多数派として君臨、飲み会を断る若者はけしからんという風潮も当たり前だった。
中国の台頭、30年の停滞、急激な円安と、若い世代なら誰でも知ってるような現実を次々と目の当たりにして、
さすがの年寄りでも気合と根性だけでは乗り切れないと薄々気付き始めたようだ。
まあ実際に考えを改めたり、反省したりすることはないだろうが、威張り散らすのを止め、影を潜めていてくれるだけでも大きな進歩といえる。
正義の味方を気取っても手遅れだから、俺が悪人として滅びる側に立つことは構わないが、
コーンが次々と口の中に飛び込んでくる!!
SNSバズ狙いのやたら大袈裟な文章っぽく書こうとしたが上手くいかんかったわ。
「缶入りコーンスープ、缶の飲み口のちょい下あたりを凹ませると残コーン粒が減らせる!」みたいなライフハックを
特濃コーンポタージュ 缶 185g | 商品情報 | 伊藤園
www.itoen.jp/products/detail.php?id=300
「特濃コーンポタージュ」「大納言しるこ」「寒天しるこ」 4月2日(月)より販売開始 | ニュースリリース | 伊藤園
www.itoen.co.jp/news/detail/id=25109
中身を最後まで楽しめる「粒がよく出る容器」を全製品に採用しています。
www.itoen.co.jp/files/user/news/2018/%E7%B2%92%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E5%87%BA%E3%82%8B%E7%BC%B6.jpg
缶内の液体の残量がこれくらいの時に缶をこれくらい傾ければコーンがこれくらい出てくるだろう、という通常の予想
それを超える勢いでコーンが流れ込んできて少し驚いたのは本当。
が、最後のほうで液体の残量と流速が弱まると勢いはさほどでもなくなり、結局は缶のフチにコーンが6粒ほど引っかかって残った。
もっと勢い付けて流し込めば残粒は減らせたんだろうけど。
でも自分はチビチビと少しずつ飲みたいの。缶の都合に飲むペースをコントロールされたくない。
以下の記事が他社のコーンスープとの比較も含め上手くまとまってた。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー
otonanswer.jp/post/27228/
これも同様の原理。
2012年8月から採用とのことで自分も飲んだことある筈だが、さほど感銘を覚えた記憶がない。
担当者「まず、飲む前に缶をよく振ります。そして、缶を軽く傾けた状態で缶上部を軸にして、手首のスナップをきかせながら、
缶の中で渦ができるように、時計回りに細かく回してから飲んでください。時計回りに回すのがポイントです」
otonanswer.jp/post/27228/
などと面倒臭い飲み方を指南しているところからすると、『ジャンピング缶』の形状の効果はそれほどでもないと想像せざるを得ない。
現在のポッポロのオフィシャルサイトに詳しい画像が見当たらないので他人のツイを借用するが、
こんな形状。
粒残り対策缶 | 飲みやすさのテクノロジー | DAIWAテクノロジー | 大和製罐株式会社
www.daiwa-can.co.jp/technology/drink_01.html
缶胴ネック部を延長することで、「アルミ蓋のカウンターシンク部」と「ネック成形部」の隙間に粒が詰まらないようにする。
へー、上面周縁の凹んだ部分、「カウンターシンク部」って言うんだ。
ポッポロも伊藤園も缶のサプライヤーの社名を堂々と前面に出して技術をアピってほしい。
自分の結論は前出の記事と同じになるが、コーンスープの缶はダイドーが採用してる広口ボトル缶がベスト。
まだ、あるのに…出そうで出ない缶入りスープの「コーン粒」、うまく飲み切るコツは? | オトナンサー - (2)
otonanswer.jp/post/27228/2/
プロジェクトXのノベライズ本を選んだ時があってその時はいたく担任に感心されたな。
てかさ、俺の増田は自意識過剰すぎて本選びすら優柔不断だったって話なんだよ。ちぐはぐなトラバでもやもやすんなあ。
結局のところプロジェクトXの時もしんどかったよ。
しかも褒められてその場ではちょっといい気にはなったけど、結局その本を選んだ経緯とあらすじと当時の情勢の説明で原稿用紙が埋まってるような代物で情けない気持ちも強かった。今でも思い出しただけで恥ずかしい。
経験に照らし合わせると俺はどの年でもどんな本選ぼうが苦悶していた。
繊細さを踏みつけにされながら自意識を癌細胞のように肥大させてた俺の様な児童がいたとして
それこそ「自分ならどうするか」「この本の人たちのように行動できると思えない」「本の人たちは困難に立ち向かって社会を変えられて本当にすごい」「自分もこうありたい」って理想的なことを簡単に書ける
というようなテンプレ優等生解答を書き綴ることは受け入れられないし
「それが『面白かった』『つまらなかった』レベルの感想より深みのあるものなのか?そんな虚無の塊みたいな人間を俺は演じないといけないの?」みたいな反発心を抱くんじゃねえの?実際俺はそうだった。
これは今でもそう感じてしまうことなんだけど、藤井聡太だとかの神童みたいな扱いされてる未成年が公の場で話してるの見て「若いのにしっかりしてんね」みたいな反応する奴に凄くイラッとするんだよ。これぐらいの月並みな挨拶やスピーチできる子どもいくらでもいるからって言い返したくなる。
だって「がきなんて未熟だから思想とか人格なんてろくにあるわけないでしょ」って普段軽んじてるから「若い割になかなかやるじゃない」っていう上から目線な褒め方になるわけじゃん。
フラットな視線から見て純粋に素晴らしいと感じたから褒めてるってわけじゃないんだから投げかけられた方は面白くない。更に言えば、褒めた(つもり)の方は受け手の人格が酷く幼稚で単純な物だと考えてるからそれで喜ばない方がおかしいぐらいに思ってるし、自覚していても子どもが見抜いてくることはないと思っている。
こういった感じの大人に誰が見てるわけでもないのに愛想よく振る舞う秀才が、子どもの頃の俺には滑稽に見えた。優等生的な回答で卒なくこなすことが二流でかっこ悪いものに感じたんだ。
テレビとかネット見たら10代で自分のスタイルを確立しているように見える人がいくらでも見つかるわけじゃんか。だって子どもがそんなん見て憧れないわけないじゃん。
で、俺の時代は10代作家を持て囃すブームがあって綿谷りさとか羽田圭介、乙一なんかに衝撃受けてたからなおさら読書感想文に気合入れたんだよ。今の子にもこういう文章がかけたらいいのになって憧れの対象はいると思うけど違うかな?
とどのつまり作文とか読書感想文書けない子ってイノセント故に志が高すぎるのかもな。
俺はもう中2くらいから開き直ってこういう類の課題は「高校もろくに通ってないおバカ系アイドルのブログ」とか「小学3年生が祖父母に宛てた手紙」みたいな想定でわざと雑に書くようにしてた。
選ばれづらいけど、読書感想文には物語じゃなくて実話ものを選んだほうが絶対に感想を残しやすいと思うよ
課題図書にも必ず伝記とかプロジェクトX的な本が入ってるでしょ
現実にあった話を読んだほうが自分の身近な世界との接点を想像しやすくて、本の内容を素直に咀嚼できるよ
それこそ「自分ならどうするか」「この本の人たちのように行動できると思えない」「本の人たちは困難に立ち向かって社会を変えられて本当にすごい」「自分もこうありたい」って理想的なことを簡単に書ける
まあどうしても図書の選定の時に、物語のほうがエンタメ要素があって読みやすそうって意識が働いてしまうのかもしれないけど、それは罠なんだよなぁ
創作された物語だと「面白い」「つまらない」以上の感想を持ちようがないから。
比較するにしても「自分」とじゃなくて、他の物語(小説だけじゃなくて漫画、アニメ、ゲーム、映画、ドラマ)のキャラとの比較が真っ先に思い浮かんで、余計に書けなくなっちゃう