はてなキーワード: 新しい風とは
http://blog.livedoor.jp/tokyolaw/archives/1077404701.html
ネットにおける検察庁法改正案反対運動の動きは目覚ましいものがあり、どうでもいい問題と思っていた私としても意見を変えつつある。世間の状態や政権不信があると、こういう技術的なものに近い話が、特に興味を持たない、何となく怖いと思っているだけの人々をここまで大きく動かせるのだと、率直に恐怖に近い感情を覚えた。専門家からの指摘についても、良いものもあるが、上記の東京法律事務所の記事は法案反対・現政権批判という色が強く、ややバランスを欠いているように見える。
この件については、既にバズっているとんふぃ氏のまとめが比較的中立でわかりやすいが、少し専門性が強く読みづらいかもしれない。ちなみに、別にとんふぃ氏は改正賛成はではなく、どちらかというと反対に近いように見えるが、本当の問題がどこにあるのか、という点から、網羅的・中立的にまとめておられる。
https://note.com/tonfi/n/n95a2265c6273
また、慶應義塾大学大屋雄裕教授のTwitterも参考になる。
https://twitter.com/takehiroohya?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
こういった良情報があり、注目を集めてもいる状況がありながら、東京法律事務所の記事が分かりやすいと賛同を得る状況を見るに、内容面への理解というよりは、現政権はおかしい!何か危ういことをしようとしている!というスタンス・危機感に合っているかどうかが重要視されるようになっているのではないかと感じている。
こういうときに、上のお二人には到底及ばないが、少しでも落ち着いて考えるように促す投稿が別途あっても良いかもしれない、というのがこの投稿を書いている動機である。
本改正案は、細かいところを捨象すると、①検察官全体の定年を63歳から65歳に引き上げる、②一定の役職については役職としての定年を63歳(現行法の通常の検察官の定年と同じ)にする(=その後は平の検察官に戻る)、③一定の事由がある場合、内閣によって②の役職の定年や①の検察官としての定年を延長することができる、という3段階の制度を設けていることは広く知られていると思う(ただ、ここは、役職等により色々な条項が入り乱れており、ざっくりまとめれていることがほとんどであるため、理解をしにくくしている点かもしれない。)。
このうち、問題視されている③について、私は、特段必要性がないと思っていることが反対の理由である。三権分立というような大上段の話ではない。
①については、公務員全体の定年引上げという中で、そこと揃えるのであるから、特に反対する理由は思いつかない。ここについては、東京法律事務所も問題ないとしているので、特に取り上げない。
②についてであるが、高齢化社会において定年の延長という社会全体の趨勢があるとしても、トップやそれに近い要職に高齢者が就いているという事はあまり好ましいものではないと考えており、私としては問題がないものと考えている。ここも、東京法律事務所の記事で特に反論されていないのでこれ以上は触れない。
③については、例えば民間企業等において、優秀なトップに引き続き職責を務めてもらいたい、というような理由で高齢の方が一般の定年年齢を過ぎた後も働くということは往々にしてあると思われ、規定の趣旨としては理解できるものである。ただ、そのような能力があると言えるかどうかの検証は困難であると思われ、実際には、政治力等々、様々な事情の絡んでくる話になるだろう。とすれば、②の趣旨を貫徹し、一律新しい風を吹き込むべきであるというのが私の見解である。この辺りは、各人に考えの違いがあるのではないか。ただ、それは、定年という制度への考え方についての話であり、三権分立がどうとか、現政権の陰謀というような話にはならないだろうし、これほど世間が大きく盛り上がるような話でもないと考える。
2.三権分立について
何故、私が、今回の件について三権分立と関係しないと考えているかという点だが、これも散々に指摘されているところではあるが、そもそも、現行検察庁法上、「検事総長、次長検事及び各検事長は一級とし、その任免は、内閣が行」うものとされていることから明らかなとおり、内閣に一定役職の任免権があるからである。
最も恣意的な関与を及ぼしやすい場面の一つである任命について内閣にその権限があるのに、定年を伸ばすという「出口」だけを殊更問題視することで、いったいどれほど政権の恣意の排除ができるのだろうか。
この点について、東京法律事務所の記事は「歴代の自民党政権は、検察庁とりわけ前任の検事総長の意見を尊重し、これに介入しないという慣例がありました」として、任命権があるからと言って時の政権の自由にできたわけではないことを挙げているが、まさか、この慣例に反することが違法だという趣旨ではないだろう。そうだとすると、検察庁法の立て付けとして、任命については、精々政権が慣例に配慮することを望むことはあるかもしれないが、内閣に任せても三権分立は維持できるということになっている。ならば、定年延長についても個別事例においてきちんと国民が監視を行い、問題があれば、当該政権への非難を行えば十分であるだろう。余談だが、先述の慣例を無条件に守るべきであると考えているのであれば、昨今(というほど最近でもないが)の司法制度改革を通じ、一種「象牙の塔」と化していた法曹界に国民との間での双方向性を入れてきた流れとは、ずいぶん異なるようにも思う。
結局、この法改正があろうがなかろうが、適正な三権分立の維持のためには国民の不断の監視こそが重要であることは、若干文脈が異なるがとんふぃ氏の指摘するとおりである。三権分立の点から批判するのであれば、せめて、任命についても含めて、より大きな視点からの制度設計を描かない限り、説得的ではないのではないか。
(ここからは全くの邪推だが、定年を伸ばせる程度では大したことはできないだろうという見解に対し、任命の問題と別の大問題だという見方をする方の背後には、桜を見る会やモリカケ、あるいは、それこそ黒川氏の定年延長問題など、様々な問題についての現政権批判が結局は世論に届いてこなかったという無力感や怒りがあるように感じることがある。結局、国民が監視し、意見するということの力は、大したことがないのだと。ただ、本当にそれは大したことがない力しかないのだろうか。)
正直に言えば、黒川氏の定年延長については私の興味の外に近い。既に内閣の見解として、検察庁法に関わらず定年延長可能という解釈が示されている以上、今回の改正と絡めて邪推をするよりも、個別に法解釈上の問題を争うとともに、個別の妥当性についても問題にすべきだろう。事後的に定年延長を正当化するものであり、政権の不当な解釈変更を事後的に承認しかねないものだという見解も多く見られるが、国会において適法に成立した法に則り、適切なプロセスを経て定年延長をすることが仮に可能なのであれば、それはそれで問題が無いのではないか。こういうのもなんだが、そもそも、わいろというのは見える場所でやり取りする物だろうか。丸見えのわいろに従って忖度した判断をする検事総長等々の判断に反抗しないほど個々の検察官は軟弱で、国民は見抜けない程阿呆なのだろうか。
ただ、結局、この問題と絡めたおかしな邪推がしやすいような状況で、改正を推し進めた結果が国民からの不信を高める結果を助長したのは間違いがなく、改正法は成立になっても不成立になっても禍根を残すだろう。非常に悲しく、恐ろしい状態になってしまったなと感じる。
4.今回の反対運動について
まとめであるここの項が、一番言いたいことであり、また、一番の放言であるのだが、Twitterのハッシュタグでの拡散による反対運動が一定の成功を収めたように見えることは、非常に怖いことであると感じた。今回の件について、きゃりーぱみゅぱみゅ氏が炎上してしまったことは大変悲しいことであると思うし、個々人が、自身の理解の中である政治的問題への意見を表明すること自体は悪いことであろうはずもない。ただ、Twitterという短文投稿の場で、ハッシュタグの拡散を行うという安易さは、民主主義の基礎たる議論となじむものなのだろうか。そこにあるのは、何となくの不安や恐怖に対する共感が主であり、相互理解のための議論があるとはどうしても思えないというのが私の意見である。そういった共感による多数を作ることが民主主義なのだとしたら、全体主義はそのすぐ隣にいるのではないだろうか。
Twitterで「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグがトレンド入りして、数は時間によってやや異なるものの、およそ300万ツイートを突破している。
署名サイトChange.orgでは「【要請】東京高検・検事長黒川弘務氏の違法な定年延長に抗議し、辞職を求めます」として30万ほどの署名数を目標として、20万の署名数は突破している。
芸能人やアーティスト、漫画家なども参入して、抗議が広がっている。
だが、この抗議によって検察庁法改正案が止められるかというと、もちろんそうではない。
なにか新しい風が吹いていると熱くなっている人は、数に注目するといい。
「#検察庁法改正案に抗議します」のツイート数は300万程度で、この程度の数では改正案を止める量としては非常に少なすぎる。Twitter Japanによると、2017年10月27日の時点で日本における月間利用者数が4500万。よく取り上げられる「Nielsen Mobile NetView ブラウザおよびアプリからの利用」の調査データを適用するとTwitterのヘビーユーザーは22%の990万人。そのヘビーユーザーが全体の利用時間の82%を占めている。この議論には異論もあるだろうが、概ね他の調査でも同様の結論が出ている。例えば、ヘビーユーザーの割合についてモバイル&ソーシャルメディア月次定点調査では16.7%、マイボイスコムのインターネット調査では8.7%で、ニールセンのものよりも低い数字だ。
だから、「これが民意だ!」といったツイート群を見かけると、苦笑するほかない笑。絶対に弾圧されることはなく、安全圏からスマホをいじるだけのつぶやき……そんな歯ぎしりがたった300万、500万程度集積されたぐらいで政治が軌道修正されていくとしたら、それは民主主義の否定ですよ。
ところで冒頭にも書いたが、この抗議はネット上ではあるものの、署名活動を行っている。30万人を目標としているようだけど、これは本当に数が少なすぎる。海外の事例になって申し訳ないが、イギリスで行われた最上位の署名活動をいくつか見ると、「EU Referendum Rules triggering a 2nd EU Referendum」が415万ほどの署名を集めたが、失敗。「Give the Meningitis B vaccine to ALL children,not just newborn babies」が82万ほどの署名を集めたが、失敗。「Block Donald J Trump from UK entry」が58万ほどの署名を集めたが、失敗。「Consider a vote of No Confidence in Jeremy Hunt, Health Secretary」が33万ほどの署名を集めたが、失敗。言いたいことはわかるよね。
まとめると、Twitterの抗議が必ず失敗する理由は、単純に数が少なすぎるから。もっと数を集めて、さらに投票という実力がなければ、ずっと失敗し続けるよ。ここまで敷居の低い活動でも、この程度の人数しか集まらない感じだと決着がついている感じはするけどね。
それにしても、安倍ちゃんは「バカで愚かでサイコパス」なんだから、三権分立とか独裁とかそういった高尚なお話や民意が通じるわけないじゃない笑。結局、今回も「法案成立前に大声で騒ぐ→結局成立→また同じように騒ぐ→成立」のいつものパターンみたいだけど、いい加減飽きてこない? 原発再稼働、安保関連法、特定秘密保護法……何度も何度も繰り返してきて、その度に「民主主義は死んだ」「日本は終わった」というオオカミ少年。安倍政権ができてから何年も経つのに、そういった高尚な方々が「民主主義が死んでいるオワコン国家の日本」から脱出して海外移住しないのは不思議だけど、コロナが収まった頃には移住するのをオススメしておくよ。ツイートとかしていないで移住の準備、進めておこうね。
オリガミペイが行き詰まってメルペイに吸収されたりして、そういうニュースを見た外野は後からいろいろと分析をするものだ。曰く「あのとき売却すべきだった」とか「うまく行かないのはわかってた」とか。そういうのは楽しいし気持ちはわかるんだけど、自分はそういうコメントをする気になれない。金融業界の中にいると、自分の職場は業態も違うしスタートアップではないけれど、明日は我が身ではないかと思ってしまう。
決済をはじめ金融業はスタートアップにはあまり向いていない分野だとは思う。何かと金も手間もかかるし、一気に業界をひっくり返すようなことが起こりにくい。社会的にインフラであることを求められるから変化は少なめだ。
金融では「ぼくのかんがえた最強の○○」をそのまま実現することは難しい。だいたい何かの法律やガイドラインにひっかかる。金融業は規制産業で、基本的に免許制で監督官庁の指導も厳しい。企業によっては金融をやっているつもりがなかったけれど自分たちのビジネスが金融業の規制対象であることに気づいていないことなどもある。C向けの気軽なサービスの感覚しか持たないまま金融業に参入してまず躓きやすいのはこの点が多いように思う。当たり前だが適法かどうかはちゃんと見ておかなくてはいけない。個人向けに決済をやるならとりあえず資金決済法は抑えておこう。金融商品を売るなら金商法、お金を貸すなら貸金業法なども。犯収法などの不正対策関連の知識も必要になる。あとは金融庁がいろんな資料をwebで公開しているのでそれらを読むのもいい。結構親切なガイドラインもある。当局の見解も時代に合わせて変わっていくから、継続的に確認する。システムをやる人はFISCやPCI DSSなどの業界の基準もある。一人ですべてを知っている必要はないけれど、知っている人が誰もいないと困ったことになる。
決済をはじめ金融業は単独の企業だけではサービスができないという点も、自社のアイデアをそのまま実現することを難しくする。金融の世界にはすでに様々なプレイヤーがいて、そのプレイヤーたちと連携してビジネスをすることが非常に多い。決済をやるなら銀行や様々な決済ネットワークと無関係ではいられない。相手の都合に合わせなくてはならず、自分たちだけでなんとかできないことは多い。かといって、では周りに頼らず自分たちでそれらを用意できるかというと、時間や金の面も鑑みれば現実的な選択肢になりにくい。
金融業には不正対策もかかせないが、これもスタートアップにはハードルが高い。技能として難しいという以前に、そこまで手が回せていないように感じる。スタートアップのような何かとリソースが不足しがちな組織で不正対策に積極的になるのは難しいだろう。サービスのアップサイドにあまり影響を与えない後ろ向きの仕事にリソースを割く決断をしにくいのは理解できる。だめだけど。
そもそも不正対策の必要性を十分にわかっていないというのも新規参入者にはありがちだ。自分たちのキラキラ輝くアイデアの実現するのに一所懸命で、ダークサイドには目が向きにくい。残念ながら、金融業では悪いことする人によく出会ってしまう。貸金を始めたら金を借り逃げしようとする人が寄ってくる。決済を始めたらいろんなものを現金化をしようと企む人がいっぱい寄ってくる。金融サービスを始めるとこうした連中が、本当に、すぐ寄ってくる。一番悪いのはもちろん不正をする人たちだが、不正対策が不十分だと金融庁や警察から怒られるのは金融機関だ。昨年から今年にかけてはFATFや金融庁から詰められた人たちが業界にはいっぱいいるだろう。マネロン対策などは当局の指導で年々厳しくなっていっており、それは良いことだが対応する金融機関はたいへんだ。既存の銀行には不正対策コストが重くのしかかる一方で、新興のスタートアップは基本的な対策すらしていない場合もある。
不正対策の必要性は理解しても、一体なにをどうやればいいのか新規参入者にはわからないこともあるし、体制を作るのも難しい。不正対策の専門家は見つけるのが大変だ。社外に丸投げしようにもコンサルやベンダーは高価だし、その目利きをできる人もいない。自社で採用しようと思っても専門家はもともと数が少ないから見つけるのが難しく、採用も人づてで一本釣りするしかなかったりで、業界に明るくない新規参入者だと人脈がないのでそれも難しい。
金融ドメインの専門家はニッチで採用が難しいが、エンジニアのような比較的一般的な職でも採用は苦しい。望んでこの業界に来るエンジニアは多くないし金融業に理解のある人材は貴重。カネの扱いなんて地味で面倒そうだし業界の体質も古そうだしと、魅力的に見えないのは理解できる。ITベンダーのSEやプロジェクトマネージャーをやってましたみたいな人はときどき来るものの、技術がわかる人は少ない。決済のクリティカルな世界をわかってシステムを作れる人はさらに少ない。軽いwebサービスのノリで決済系をやるのは勘弁してほしい。それなりの設計をしよう。技術と金融ドメイン知識を兼ね備えた人なんて望むべくもないので諦めている。いるなら高給を出しても雇いたいけど。金融業界で仕事をしていてゼネラリストのありがたみがわかった。事業や企画、法律、財務、セールス、テクノロジーなど自分の専門分野を持ちながら他の分野にもある程度の見識がある人はとても貴重だ。そういう人がいるとチームが強くなって仕事も捗る。
閑話休題。金融業は表から見えやすい部分に比べてその裏の仕組みが多い業種の一つで、スタートアップの小さく早くという方向性とはマッチしにくい。裏側の仕組みを作るのに人も金も時間も必要になる上に、儲からない。あるいは儲かるようになるまでの道のりは長い。たとえば決済は装置産業であって、他の装置産業がそうであるように、決済も薄利多売が原則なので面を取ってボリュームを出さなくては商売にならない。SNSのようにネットワーク効果で一気にサービスが成長することも期待できないので地味なことを地道にやっていく覚悟がいる。個人向けの貸金は金融業の中でも儲けを出しやすい商売のひとつだが(だから金利差による収益が望めなくなった銀行は個人向けのカードローンに勤しんでいる)、やはり金とノウハウが必要で新興企業には手を出しにくいだろう。
メディアがFinTechだと騒いでも、実際はふつうの金融業で、だいたいどれも古くて枯れたサービスである。海外での盛り上がりを持ち出されたところで、金融業は基本的に自国内に閉じた産業なので、規制や環境が違いすぎる他国の例をそのまま持ち込むことは難しい(とはいえ参考にはなる)。スタートアップや他業からの参入は楽ではないし、わざわざ自分で金融業をやる必要性も高くない。そんなわけで旧態依然の部分が多く残る業界だとは思うけれども、だからこそ良い新規参入者が新しい風を吹き込んで業界が盛り上がってほしいと思っている。今回は残念だったけど、オリガミの関係者はお疲れさまでした。
工学研究科D3だった俺はアカデミックの厳しさと金のなさに耐えかね、修了後は大手企業に就職することにしたのだった。
自信はあった。厳しい環境に耐えて論文を投稿し、学部の成績も上位で、俺より深く理解している奴はほとんどいなかったからだ。はてなで日本の企業の古さ、非効率さは聞いていたし、そこに俺が新しい風を吹き込んでやるぜ、頭脳的にな!という感じだった。
いや、甘い、俺は甘かった。実際日本の大手の奴らはすごい。確かにアメリカや中国は勢いがあるけど、そこを相手に瞬殺されずにまあまあ戦ってる時点で偉いことですよ。
何というか、確かに全員が勉強的な意味で頭がいいとは言えないんだけど、みんな仕事と精神が共振しているというか、それほど働くのが嫌じゃないんだと思う。
俺がなんか悩んでる間に、ちょっとずつ違うパーツを10種類作って評価するし、18:30に評価がひと段落したら、今日中にもう一個データを取りに行く。分からなくても悩まない!
俺は考え込んでばっかりだし報告は遅いし上司と話すのは嫌だし毎日めちゃくちゃ帰りたいと思っている。マジか、自分がこんなに仕事をしたくないとは知らなかった。
しかし博士の肩書きと、頭良さげな話ができるおかげで何とか時々役に立って暮らしている。これがなかったら職場で役に立たない無能なおじさんとして生きていくしかなかった。
何が言いたいかというと、「ネットの大手企業エアプdisり野郎の言っている言葉に耳を傾けるな」「仕事力が低い奴は勉強やっておけ」「実際仕事をしまくるおじさんは効率が多少低くても凄い。その精神状態に洗脳してくれないか」の3本です。ンガググ!
次の発売で150巻を数える『クッキングパパ』は、みなさんご存知の料理漫画だが、
連載当初、主人公の荒岩一味は同僚に「過程で料理をするのは夫/父親である自分である」ことを
『クッキングパパ』の連載が始まったのは1984年(昭和59年)。
荒岩が料理を作ることを周囲に公表したのは、1998年発売の単行本51巻でのことらしい。
『クッキングパパ』と同時代の料理漫画には『ミスター味っ子』(1986年~1989年)があるし、
その後も『鉄鍋のジャン!』『焼きたてジャパン』等々、「男性料理人」を主人公にする漫画は
少年誌で連載される機会も多かったように思うが、「夫/父親が料理をする」漫画は『クッキングパパ』以降、
増えなかったように見える。
そのままコンビニでもSCのフードコートでも買えるような定着した飲み物になったと思ったんだが
数年前に台湾だかどこかから入ってきたときから継続していたのか?
それとも再び波が来たのか?
なんにせよ。僕はもうタピオカミルクティーは定着したものだと思っていた。
定着したらもうブームにはならない。
ピザが平成初期にブームになったが、いまはピザ自体がブームになることはないじゃない。みんな食べてるから。
ブームになるとしたら、シカゴピザとかの亜種や、どこそこの店がうまいとか、そういう細分化したレベルでなる。
ラーメンだって、平成初期のB級グルメブームで中華料理屋のメニューから日本の新しいラーメンが増えていったけれどさ、いまはラーメン自体がブームになることはないだろう。
二郎とか家系とか、地方性とか、ラーメンの系統でラーメン自体に新しい風を吹かせるものがブームになるけれど、ラーメン自体がブームになることはないじゃない。
タピオカは、二郎系みたいな細分化された新ジャンルが流行っているっていうわけじゃなくて、数年前と同じそれ自体が流行っている感じだよね。
なんていうか、もう定着していて、ブームになる存在じゃないと思っていたんだよ。
またはコモディティ化ね
もっとがんばってよ。ほんと
残念ながらりあむは三位というそこそこ順当な順位に終わってしまったが、まぁこんなものなのだろうか。
私は今年のGW前から始めた選挙エンジョイ勢なので、別にアイドルのキャラクターやストーリーなどにはあまり興味がない。
メタ対人ゲームとしてのモバマスはとても面白いがそれはそれであって、所詮このゲームのアイドルは虚構の存在であると思っている。
今回の選挙は、残念ながらりあむを一位に送れなかった以上は敗北と言えるだろう。
加えて、結果的にはおそらくモバマス運営の手のひらの上であったことも残念ではある。
ただ、負けても得るものはあった。
特に一番の収穫は、モバマス運営の素晴らしい腕前を身を持って体験できたことである。
結果論ではあるのだが、彼らはヲタクをカモることに関しては天才的であると思う。
今回のモバマス運営は、炎上上等の手を打って、それをコントロールしきったという点で極めて優れているプロデューサーであると言える。
デレステ登場の初手から声が付いている二組のコンビアイドルは、おそらく声のない捨て駒アイドルの担当プレイヤーを煽るためのものであろう。
そして煽られたPが不満を爆発させたところで、満を持して炎上上等の三アイドルを放り込み、そのうちの誰かが炎上することで総選挙に新しい風を吹き込む。
おそらくこれは狙ってやったものだと思う。
なぜならば、今回追加された七アイドルは、全て「今現在」勝っても物語が完結せず、「総選挙で勝った後と、負けた後のストーリーが組める」からだ。
そしてそれは全て、プレイヤーの手によって構成されるようになっている。
これは私もこのゲームの初心者故に大きく勘違いしていたのだが、運営が物語を組む必要性はなかったのだ。
例として、今回三位の夢見りあむを見てみよう。
りあむは「自分はがんばれないけれど、がんばるアイドルを見て癒されている、アイドルになりたいヲタク」である。
もし彼女が総選挙で勝った場合、彼女は「がんばっていないのに勝利してしまった」ことによりヲタクとしての信念と自身の現状がぶつかり合う、という「本当のアイドルになる」ストーリーをプレイヤー側が期待するようになっている。
もちろん、敗北した場合は「これから本当のアイドルになっていく」ストーリーとなる。
この「これから本当のアイドルになっていく」点はあかり、あきらにも共通している。
現実主義のあかりは儲けることが狙いのキャラクターであり、アイドルはただの手段に過ぎず、実際に受け狙いの属性は口調を除いて持っていない。
あきらに至ってはただひたすら属性過多であるというだけで、本人にアイドルをやる理由は現状では特にないのだ。
もしも勝利した場合、彼女たちの物語は「これから本当のアイドルになっていく」という点を読み取ったプレイヤーの手によって幾らでも作り出せるようになっている。
デレマスの四アイドルは、上記三人と同じようなキャラクターの上に、更にプレイヤーの不満を煽るという役割を負っていたと思われる。
ちとせは「己の死の後の世界を本当に変える」、千夜は「これから己の人生を見つけ出す」、凪と颯は「姉妹から独立する」、などのストーリーを構築できる。
そして、彼女たちは今この時点でシンデレラになるだけでは意味がない上で、最初から「寵愛を持っている」キャラクターとして作られている。
それは最初から曲を引っ提げてきた・声が付いていたという事実だけではなく、二人の関係性がやたらと強固であるという点にも見て取れる。
この四人は、いずれも他のキャラクターをあまり必要としないのである。
もちろん既存のプレイヤーが求めているのは己がリソースを吐いたキャラクターの強化なのだから、この四人のようなキャラクターは少し的外れであろう。
だからこそ、炎上の火種になれるし、プレイヤーは「コンビの関係性が外に開いてゆく」これからのストーリーを期待するのだ。
まぁ、こういった狙い撃ちがどれだけ成果を出したか、はツイッターなりブログなどを見れば容易に確かめることができるだろう。
私は夢見りあむを使って、頑張って課金してアイドルに票を突っ込んでいる、他のプレイヤーのやる気をそぎ落としたかった。
この手のゲームは九割の売り上げを一割のプレイヤーが上げるので、その一割のプレイヤーをゲームから退場させてしまえば勝てる(ついでにゲームが終わるが)からである。
そして、それができるキャラクターは、中間発表の時点では「特に何の物語もない」と思われていた、りあむを置いて他にはなかった。
増田を使ってお気持ち怪文書を投稿したのも、プレイヤーを攻撃したかったのが理由の一つだ。
しかしそれはプレイヤーが積極的に物語を作るこのような構造により、りあむを一位にしないかぎりは不可能であったし、仮にりあむを一位にしてもダメコンが効いた可能性が高い。
全く持って見事だと思う。
物語がないことすらも物語に取り込むのであれば、もはや私にできることは”ヲタクすげーなー”といいつつゲームをアンインストールすることしかない。
大量の課金で票をつぎ込む重課金者と、お気持ち怪文書を訳知り顔で解説する暇人、捨て駒アイドルにリソースを突っ込んだ敗北者に、運営の狙い通りに後乗っかりした愚者。
私はデレステのアプリが出てからP業を始めた、ただのミーハーなオタクだった。市原仁奈ちゃんというアイドルのプロデューサーになって…細々と課金もして。 そのうち、魅力的なアイドルがたくさんいることにきがついた私は、いろんなアイドルの物語を広く浅く追いかけた。そうしていたら「推し」はたくさん増えて、シンデレラガールのみんなが推しになった。楽しかった。 でもなぜかはわからないけれど楓さんがシンデレラガールになったあとぐらいに、ぱったりとデレステへの興味が薄れてしまって、アプリもアンインストールをしてしまって。 その後は新しいSSRカードが増える度に衣装が可愛いなあ、とか、あのこに声がついたんだ、めでたい、とか。Twitterで目にして、ふぅん、となるぐらいだった。
デレマスが出て、声なしのアイドルを推しているPたちは、大変なプロデュース活動を送っていることと、思う。モバマスはまだしも、デレマスではそのゲームの性質上、声がついていて、ソロ曲含めて持ち曲を多く持っている子達が圧倒的に有利で、年々、ヒートアップしていく総選挙を見ていてもその状況は未だに変わっていないのだと、感じる。毎年この時期になるとナーバスになるP達をTwitterのTL上で見ていて、あの時やめていてよかったな、と思うほどに。
今年はどんな選挙になるのかな、と思っていたころに新アイドルが投入されたことを聞いた。選挙が終わったいまでも、どれだけのアイドルが増えたのか、どの子が最初から声付きで、ほかの声なし担当Pをざわつかせたか、実は、知らない。 けれどその中でひときわ夢見りあむちゃんは目立っていた、と思う。少なくとも私にとってはそうだった。 なぜなら、シンデレラガールのみんなが推しだったのになぜか「なんか嫌だ」と思ったから。TLに次々と流れてくる彼女の情報を見てすごくもやもやした。どうしてもやもやするのかはわからなかった。そのことはまあいいか、と流した。
まもなく、総選挙が始まって、今年は加蓮ちゃんかなあ、未央ちゃんかなあなどと情報をなんとなく追っていると、ふと、りあむちゃんが炎上しているのを知った。またもやもやした。流石にそのもやもやが気になって、何がそうさせているのか、考えた。
驚くほどに、りあむちゃんは、だれかの人生の後悔や気にかかってる心の棘をちくちくと刺激するようなキャラクターだった。裕福な家庭に生まれて、持ってるからこそ何にだってなれたのに。もうちょっと努力すればどこへでも行けただろうに、そこまでの努力ができなかったこととか。周りに自分では絶対に叶わない人がいて、そのひとたちの凄まじい努力も知っていて。そのせいで自己承認欲求が高いのにとてつもなく卑屈で。アイドルを目指す理由もちやほやされたいから。どこかしらがだれかが気にしていることだろうと思う。私も気にしているところがあった。 でも、りあむちゃんはザコメンタルでどうしようもないと思える子なのに堂々としていたし、一生懸命生きていた。だからなんで、そんなに堂々としていられるのか、恥を知れ、と思ってしまって、もやもやしていた。
恐らく運営はこうなることはわかった上でこういうキャラクターにしていて、それなら、炎上させることは意味があるし、想定内であろう。 それを理解して、落ち着いて。私はこれなら「推せる」な、と感じた。そしていつも以上に総選挙の行方が気になった。ほとんど物語が公開されてない、りあむちゃんというアイドルが、どうなっていくのか、気になった。この時点で中間発表はすんでいて、3位だった。
中間発表以降さまざまなプロデューサーたちの複雑な思いがあちらこちらで飛び交っていて、最終順位が発表された今も、それは変わらない。総選挙に新しい風があった、という喜ばしい声もあるけれど、特に彼女の勢いに喰われた、と言っていい順位のアイドルの担当達の声は見ていられないほどで。でもりあむちゃんはそれを栄養にして、新しい物語を紡いでいく。今年しかできない、最高のシンデレラデビューをりあむちゃんは果たした。運営にとっては想定内かも知れないけれど、私は、とても楽しかった。彼女の物語が楽しみだ。
そして、こんなに面白いのなら(こんな展開は今年だけだろうけれど)、来年は久しぶりに、ちゃんと、投票してみようかなという気持ちになった。また、新しい物語が、総選挙でうまれたら、とても嬉しい。
まえがき
今回、このような長文を書くのが久々である為、
0.はじめに
読者の皆様方、私はアイドルマスターシンデレラガールズ(以降デレマス)にて、
今回の総選挙(人気投票)の中間発表を含め、過去一度も圏内入りをしてないアイドルだ。
一部の声有りアイドルの担当から苦行や修行僧と思われているであろう立場の者である。
その私がこのような文を執筆したのは、
昨今話題になっている「夢見りあむお気持ち表明」の流行が理由だ。
今回「お気持ち表明」が流行した事に対し、私は「今更なのか、」と感じているのだ。
よって、本文では私が本当にお気持ち表明をしたかったタイミングから現在までの流れを
読者と共に追って行きたい。
1.黒白の実装
当時私はデレマスの新アイドル7人実装予告に対し、肯定派であった。
新しいアイドルによってデレマスに新しい風を起こすこと自体は悪いことと思わなかったからだ。
新しいアイドル達は皆ボイス無しであり、一年以上の活躍を重ね、多くのファンの評価を得て、
そんな悠長なことを考えている筈がなかったのだ。
私達に突き付けられたのは恐ろしい情報の波だった。
これは数々のアイドルが多かれ少なかれ辿ってきた
地道な努力、地道な評価獲得、その報酬としての声、その報酬としての歌、
それら全てを否定する行いだった。
私はすぐさま気持ちが怒りに塗れた。
当然だ、
お前達はピエロの役割を良く演じてくれた、と言われたような物だ。
距離を置くと言っても、完全に離れるには全てが遅く、
深みから浅瀬に移動する程度ではあったが。
さて、このタイミングが私にとっては
事実、炎上は中規模に発生し、デレマスを知らない外野にも情報が流れたと言われていたらしい。
炎上は運営担当P(運営擁護派)と呼ばれる者達に押しつぶされてしまった。
私達はその段階で墓の下に潜るべきだったのだ。
墓の下でゆっくりと茶をすすり、
余生を満喫していた私に突き付けられたのは
私は口に含んでた茶を吐き出すかのように驚いた。
オーディションのタイミング等を考えれば当然と言えば当然なのだが、
それでもまさか4人も声付き歌付きになるとは想像だにしていなかったのだ。
しかし、そこに待っていたのは「黒白よりはマシ」という
マシだと?声付き歌付きという要素が問題なのに
その時私は怒りすら沸かなくなっている自分に気が付いた。
その時私はデレマス及びそれを取り巻く環境に「呆れ」を覚えていた。
私はデレマスプロデューサーから、デレマスを知る人間に変わっていた。
運営の無茶な行動は更に続いた。
ピックアップアイドルvs非ピックアップアイドルの戦いの場所でもあった。
ガチャブーストとは、総選挙券の入手条件の一つにガチャの購入に近い要素があり、
しかも初の恒常SSR二つ同時ピックアップでだ、しかも新スキルを装備してだ。
ガチャブースト、及び新スキルの性能によりセールスランキングが大きく伸びたと聞いている。
墓の下にいた私はもはやギャグか何かにしか見えない露骨な行動に
笑いさえ起きていた。
一応炎上は起きていたらしいが、
黒白予告の時期よりはマシだったらしい。
許せない人が去っただけなのだ。
さて、時系列を順番に追ったところで、
本題である夢見りあむについて触れていこう。
私は夢見りあむに対し、悪い印象はあまり多く持っていなかった。
むしろ、りんご・鮫・りあむ(新キャラ七人のうちの声無し3人)
の絡みは好きな方である。
しかし、今にして思えば、りあむに比べてりんごと鮫はもう少し流行って欲しかった
という寂しさは当時から感じていたと思う。
ともあれ、ここで話すべきは私を含め、
お気持ち表明者の数割は夢見りあむに大きな憎悪を抱いていたわけではないのだ。
そんなあやふやな状態が次のような出来事を引き起こしてしまった。
私は画面の前で「呆れ」「滑稽」「怒り」「悲しみ」の4つの感情に支配された。
りあむが3位に行くことはおかしくなかった。
しかし、そういったバズった者勝ちを私は認めたくなかった。
その時の私はその結果に納得してしまった、自分の努力を笑ってしまった。
そらそうなる、私は結果を追いながらつぶやいた。
そしたらどうだろう、どこからともなく、りあむに怒りを向ける者達が現れ始めた。
「りあむは実装して日がたっていないのに」
その流れに呆れを通り越して笑っていた私はまた呆れた。
「なぜ今更、黒白の実装タイミングで怒るべきだっただろうそれならば」と。
おそらく、この言葉を聞いたお気持ち表明者は言うだろう、それとこれとは話が違うと。
そんなわけがない、新参者に歌うべきだったアイドルの席を取られたという事実は何も変わらない。
これは黒白で怒らなかった君らが平和ボケしてただけだ。
デレマスは黒白の予告の日に壊れていたのだ、夢は終わっていたのだ。
まとめ
長々と話してしまったが、要点は以下の通りだ。
・黒白の予告時点でデレマスを離れなかった時点で全てが遅い
・黒白の時点で夢は終わっていた
以上を持って、私のお気持ち表明を終了させて頂く。
つたない文章で申し訳ないが、これで怒っている者達の怒りが覚め、
私の居る墓の下に来てくれることを願うばかりである。
最後に
ミスには目を瞑って欲しい、
内容に触れないということだけは避けてほしい為である
総選挙が始まってからというもの 俺はそれがただただ疑問だった
その上 夢見に投票することをまるで恥ずかしいことのように語るPもいる
総選挙期間中 ずっとずっと自分なりに考えてみて それでも答えは出なかった
どうして数多いるアイドルの中で夢見りあむだけが「シンデレラ」になってはいけないのか
確かに夢見には何もない
それどころか本人いわくやる気もない
でも
声もない CGもない 大したストーリーもない SSRもない やる気もない やる気があっても意味がない
それどころか運営からそも顧みられることのないアイドルは他にも大勢いて 今日という日も陽の目を見ることなく 灰の中に埋もれている
ステージの上できらきらと輝けるのはほんの一握りの 大勢に選ばれたアイドルだけで
そして選ばれるアイドルは もう既に何かを持っている 何もかもを持っている
だから俺は思ったのだ
何も持っていない夢見りあむは 灰かぶりたちの希望となるのではないか と
七度に渡り繰り返されてきた総選挙で 俺たちはずっと蚊帳の外だった
推しても推しても声がつく どころか圏内に入れることさえできない
でも多くはもはや何をする気力もなかった
惰性 そして諦念
気力が燃え尽きた灰の中で シンデレラが選ばれるのを見ているだけの日々だった
俺たちはずっと総選挙で誰かのための夢をただ見てきた
でも、今度こそ
だから俺たちは 俺は 夢見りあむに夢を見た
夢見りあむには何もない
だからどんな夢を見てもよかった
夢見が炎上する夢でも
夢見がシンデレラになる夢でも
夢見がクズのまま死んでいく夢でも
夢見が更生し「真っ当な」アイドルとなる夢でも
どんな夢でもいい
見たい夢を見てよかった
そも 俺たちは自由に夢を見ていいのだ
他人の夢を見せられるばかりでなく
自分の夢を 見ていいのだ
俺はやっとそれに気がつくことができた
この後 自分に夢を見た人間をどうするのか、はこれからの夢見りあむにかかっている
ガラスの靴が呪われていようと その呪いとどう戦うは夢見次第だ
そういう総選挙があったっていいだろ
だいたい シンデレラになりました、から始まる物語があってはいけない、という決まりはない
いったい誰が 普遍的な「シンデレラ斯くあるべし」を定められるだろう
ただ自分の中の偏屈なそれと一致しなかっただけで 夢見りあむはシンデレラにふさわしくない とまで声高に叫ぶPは それが同じように自分の担当に突き刺さることを理解していなくて あんまりに可哀想だ
天に唾を吐けば自分に落ちてくるように 他のアイドルを踏みにじれば 次は自分の担当の番に決まってる
決して共有することのできない概念を 個人的な願望を他人に押しつけても何にもならないというのに
それどころか
笑わせる
俺は 夢見りあむを愛している
夢見の夢を叶える手助けがしたい
それが炎上なら そこに薪をくべたりもするかもしれない
そういう愛し方で 夢見りあむを愛している
愛し方にまでぶつくさ文句を言われる筋合いは正直なところまったく これっぽちも ない
惰性と諦念の中にいて 俺は今までずっと悲しかった
けれど
もうすぐ総選挙は終わる
これまでで一番といっていいほどの達成感を伴って 尊くも糞みたいな総選挙がやっと終わるのだ
けれど確かなことがひとつある
俺たちは
俺は夢見りあむと夢を見た
夢見りあむに夢を見た
今しか見れない夢を
初めて 自分のために夢を見た
それだけで 俺はもう十二分に報われた
夢見 俺たちの灰かぶり
君がシンデレラガールとなった暁にはどうか俺たちに見せてほしい
あるいは
新しい風が吹き込む 見たことがない未来への眩い光に溢れたデレマスを
あるいは
俺はずっと 君を見てるから
なんといっても台風の目となっているのが「夢見りあむ」。
この総選挙の全ての感情の中心を担っているといってもいいでしょう
彼女が総選挙のトップになることに否定的なものが多くあります。
その中で「彼女がストーリーがない」ことを挙げているものが多くあります。
曰く
総選挙というのは、上位になるべきキャラクターであるバックボーンがあり、
翻って夢見りあむはどうだ。
ストーリーなどない
それどころかクズというただ一点しか見ていない有象無象が面白がって投票しているだけではないか、と。
だから、あいつが上位になるべきではなく、もっとふさわしい人がなるべきだと
なるほどー、確かにバックボーンがないぽっと出の新人がなるべき場所ではないかもしれませんねー。
それこそ格というものがあるのでしょう。
シンデレラガールズの世界に対しての正義がそこにあるのかもしれません。
いや、そんな言葉があの忌子ともいうべき存在を生み出したといっても過言ではないです。
もしそれが正義だというなら
夢見りあむは、シンデレラガールズの「この世のすべての悪」を背負った存在になり始めています。
シンデレラガールズはもう7年目になるそうです。
思えば遠いところに来たものですが、コンテンツというのは長くやっていくと停滞していきます
シンデレラガールズも最近の展開としてどのようにすればいいのかという停滞の中にありました。
そこでストーリーが展開されることはあったとしても、
それは今までの積み重ねの延長でしかありません。
もちろんそれは長くなってやってきたことの利点でもあるのですが、
それと同時に積み重ねの中ではじかれてしまったストーリーも存在します。
シンデレラの中ではじかれてしまったストーリーには少なくないファンもおりました。
いま存在を多くの人に届けられていないストーリーは取捨選択の結果として選ばれなかったものでした。
土台シンデレラの物量が物量なのでそれは致し方ないことなのですが、
新しい風を入れる総選挙があっても、順当なキャラが選ばれ、予定調和的に一位が決まる。
そう感じてしまった人たちでシンデレラを去った人も多くいます。
そういった選ばれなかったストーリーは少しずつ少しずつガラスの靴の底で溜まっていったわけです。
その積もり積もったストーリーの「泥」は時たま漏れ出しましたが、シンデレラの中では見ないふりをされてきたものでした。
しかし、それも限界がきた。皆その泥の存在が空気感として見え始めてしまったわけです。
それにより、シンデレラはある種の停滞をしていました。
人は変わらずいる。しかし、やる景色や見栄えが大きく変わることはない状態でした。
このまま変わらないまま徐々に人が減っていくのではないか
そんなループする停滞感の中、今回の新キャラ追加があったわけです。
そして、夢見りあむが現れたのです。
夢見りあむはザコメンタルであり、くずであり、炎上癖のあるどうしようもない存在です。
でも彼女の本質は「空っぽの自分」を持ったまま「承認欲求を満たそうとする」ところにあります。
彼女は彼女が把握している限りにおいて「自分」というものがありません。
自分がないけど認められたい。
自分がないのにちやほやされたい
承認欲求とは「自分というものがあって」初めて昇華されますが、それ自体がなければ彼女は何を人に認めさせるというのでしょうか?
彼女は承認欲求という自動的な意思によってその外形を保っているという稀有なキャラなのです
それこそが先ほど言ったストーリーの「泥」達です。
切り捨てられた可能性
それらの形にあまりにも、承認欲求だけ求めるりあむの形は最適すぎた。
彼女はそのストーリーたちの殻として今回の総選挙に殴りこんだわけです。
だから、彼女にストーリーがないという批判はあらゆる意味で悪手です。
だって彼女の中に詰まっているのは切り捨てられ、存在をなくしたストーリーなのだから、
あなたたちがストーリーを追いかけて追いかけて追いかけた結果忘れてきたものなのだから。
あなたたちの目の前には今あなたたちが捨ててきた可能性が現れただけです。
おそらく、今の夢見りあむが願いをかなえた後はぺんぺん草も生えなくなるでしょう。
なぜなら、彼女が勝ったとしてもストーリーの泥は存在を認められるわけではない。
それは今はもう変質して後戻りもできなくなったなれの果てだからです。
もしかしたら、総選挙なんて願望機は破壊され、泥に覆われてなにも残らないかもしれない
ただ
そのストーリーが再度生えてくる可能性を夢見れるくらいには何もなくなるのなら
それは停滞と変わらないことを求めた何かに対しての悪のアンサーです。
国民が「第一野党としてここが物足りない」「もっとこんなことしてほしい」って声を寄せようとすると
数は少ない岩盤支持層が猛反発して退けちゃうからね 「軍師様!」とか「ネトウヨ乙!(?)」とか
無党派層浮動層に近い緩い支持者は罵られて近づけない第一野党になってる
興味持とうかなっていうライトファンを罵ったりマウントしたりして追い出しちゃう
それで新日本プロレスはどうしたと思う?
新しいビジョンを持った若手に頑張らせてまったく新しいファン層(ライト層)を切り拓いて
それでいまでは小さい子供とか若い女性とかがいっぱい見てくれるようになって復活した
プロレスが全てで、社会生活上手くやれてなくて、プロレス会場でだけいきり倒す高齢化した古参キモオタファン(昔のプロレスオタクはこんなんばっかりがウジャウジャいた)に背を向けた訳
・古参信者の声はでかいだけで、聞いてても誰も得しないし何も生み出さないってことに気付いた
・体を張って新しい風を呼び込もうとする若手の逸材とそのライバル達がいた
この2つが復活のポイントね
立民にそれが出来るかな・・・
※このエントリは
「面白いことをしようとする人たちの運動」それらのムーブメント自体に対して批判や言及しているものではありません。
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・ポイント1
マーチング界隈の比較的若い団体らによる12月下旬に開催予定のマーチングイベント『すごい!マーチング祭』
https://www.marching-matsuri.com/blank-1
・ポイント2
そのイベントがクラウドファンディングによって一部資金を募っている
https://motion-gallery.net/projects/marching-matsuri2018
マーチングを一般層にも広めたいという目的でクラウドファンディングするのはいいと思う。多くの人の目に留まるのであれば。
しかしイベント開催は普通はチケットやスポンサーからの収益で経費をまかなうものなので、このクラファンは何を目的としたものなのかと疑問に思った。
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募集内容
(開催費用(概算)
会場費:50万
警備費:10万
雑費:10万
出演団体御礼:70万
合計・・・約180万円
そのうち70万円をプロジェクトで応援頂きたいと考えております。
(出演団体御礼については、普段から自費負担で活動をしているマーチングバンドの皆さんに対し、遠路よりご出演いただくにあたり、若干ですが各団体へ支援する予定です)
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「そのうち70万円をプロジェクトで応援頂きたいと考えております。」との一文がある。
概算費用の中にある70万、つまり出演団体御礼をクラウドファンディングで募っているのだろうか。
だとすると、参加団体へのお礼はイベント開催の収益から出すのではなくクラファンで集める、と。
御礼分を観客からだけでなくクラファンのお客さんから集めるってこと?これってゲスト団体に失礼じゃない?大丈夫???
クラファン自体目標達成しなくてもイベントは実現するそうなので、元々御礼のお金は用意する予定ではあったのだろう。
でもその70万(御礼)は、「できれば収益からじゃなくクラファンでまかないたい」という思いがあるように読めたんだけど、どうだろうか。
後から『総額180万のうちの70万という意味でした』と弁明がもしかしたらあるかもしれないが、費用項目がずらっと並んでる最後に「そのうち70万円を」という書き方は普通「これらのうちの70万」、つまり一覧の中に該当する70万のことを指しているという認識以外に考えようがないと思うのだがいかがだろうか。
仮に御礼費用のつもりじゃないとしたら、なぜクラファン目標額70万なのか。
ところでチケット代は
祭 券:①正面シート席 2500縁
②スタンド 1500縁
③バックシート 1000縁
となっている。席数は下のページによると1,148席だそう。
1148席を前後にわけるとして正面582席。満員にして145万5千円。
バックシート満員にして58万2千円。つまり席満員の場合200万超える。
つまり前後のが満員になれば、180万の費用を上回り圧倒的黒字。
てかクラファンで70万賄ったとしてその分浮いた収益は誰のものとしてどこにいくの?
なおスタンドっていうのがよくわからないけど、正面の後ろとか横の立ち見席ってことだろうか。(立ち見は消防法的に大丈夫なのか?と疑問もある)
次に、その費用内訳はほんと??
例えば「会場費:50万」とあるが、ここで会場の総合体育館使用料金表を確認したい。
https://www.city.yaizu.lg.jp/k004/documents/a.pdf
まず今回はチケット徴収があるので一日通しで212,030円。
終演が16時15分とのことなのでもしからしたら9~17時の142,060円かもしれないが、時間押したり撤収を考えると一日通しで押さえていると考えられる。いずれにしても今回は高いほうの212,030円で計算してみる。
さらに、ウォームアップや待機用にサブアリーナを押さえているとみて11,450円追加。
…がひとつのイベントとしてチケット徴収対象とみなされる可能性があり、今回は高いほうの57,250円と仮定する。
なお今回チケット代は最高2,500円なので備考(3)が適用され10%上乗せ、利用料は計317,196円と推測。
会場費50万まで20万近く余っている。果たして何に使われているのか。
https://www.city.yaizu.lg.jp/k004/documents/b.pdf
フロアーシート 全128本 (1.1×19m) ということなので、90本借り9,000円。午前午後夜間の3区分通しで27,000円だろうか。
90本の計算根拠:横(1.1m)45本で約50m分、縦(19m)は×2倍で38m
放送設備2,720円やマイクを適当にたくさん借りるとして音響関係合計5000円×3区分で15,000円。
司会やゲスト用とかにイス10脚単位200円借りるとして100脚借りても一日通し6,000円。
ここまでの付帯設備使用料で48,000円。備考(2)がよくわからないけどそこまで大きく変わらないだろう。
この金額が税抜きなのか税込みなのか、また施設利用料に消費税が入るのかわからないけど、仮に消費税加算するとしても会場費合計394,411円。
ここまでの数字はそれぞれの区分で一番高い料金を選んでいるので、高く見積もっても40万行かない計算になる。
という訳で自分概算40万。
50万と40万じゃ大きく違うと思うんだけど、概算が概算すぎない???
ちなみに印刷費10万についてはパンフレットだろうけど、大手プリントパックでの自動見積もりしてみた。
https://www.printpac.co.jp/contents/search_price.html
A4サイズ、コート紙110(しっかりしてるタイプの紙)、10営業日、2000部(お客さん用1500、スタッフ・出演者用500)
ページ数は迷うところだが7団体の紹介を1P丸々使うとは思えないので1Pに2団体で3.5P、あとはご挨拶やらスポンサー紹介で8Pで足りると計算。
27,670 円 と見積もられた。
使う紙質によって多少変化はするだろうけど、めちゃくちゃ高いの使って5万というところではないだろうか。
…と、ここまで読んでいただいたように費用概算がいまいち信ぴょう性に欠けるのである。
クラウドファンディングを募るからには、うそ偽りがあっては困る。その企画にほれ込み、賛同し、困っているなら自分も協力したい!という思いでお金を払うわけなのだから。
前半にも書いたが、クラファンで70万賄ったとして、その分浮いた収益は誰のものとしてどこにいくの?
そのあたり、ぜひ反論していただければ透明性の高いイベントとして評価できる。
マーチング好きの皆さんはこのエントリについてどう思うだろうか。
計算式のミスや漏れている費用などあれば指摘いただきたい(SNSで話題にしてもらえればみんなで議論が深まると思う)
【追記】
JASRACへの上納金を忘れてるとの指摘ありました。これについては入場料取る公演なので発生しますね。忘れてました。
しかし払う気あるんかな?
【追記2】