はてなキーワード: botとは
人はいつか死ぬという事実について考えた時、すごい苦しくなって発狂しそうになる。
自分が生まれる前にも世界はずっと存在していて、自分が死んだ後も同じように世界は続いていくのだろうけど、
自分が意識を持ち、何かを感じ、何かをすることは、自分が生まれてから死ぬまでの間にしかできない。
自分が死んだ後も世界は続いていくけど、未来永劫に今の自分と同じ「この意識」が生まれることはない。
嫌だ。死にたくない。
この当たり前な事実がどうしようもなく恐ろしくてやばい。本当に怖い。
この事実を前にして何故みんな普通に生活して、楽しく笑うことができるのか理解できなくなる。
ただ、一定のルールに沿って入出力を繰り返しているだけのbotなのかもしれない。
そうじゃなきゃこの、あまりにも理不尽で、信じ難い現実を知りながらまともに生きていくなんてできない。
もしも自分と同じような気持ちを感じる人がいるなら教えて欲しい。
「おっさん」って何だ?と思ったら、Twitterにbotがあったので、どんな発言をしてるのか一通り見てみた。
中学のころ、通ってた塾のクーラーがこわれて大変だった。10;みんな汗まみれになって女の子の制服が透けてた。10;しかも私はそのあと大学生の彼氏とのデートがあって10;大人ぶって黒いブラつけてたから10;男子たちがチョー興奮しまくってたw— 埼玉のおっさんBot (@saitama_no_o3) 2013, 12月 4
お酒のみすぎると男の子たち全員に「オチン○ン何センチ?」てきく癖があるw— 埼玉のおっさんBot (@saitama_no_o3) 2013, 12月 4
うちの彼氏は私がそばにいるのに平気でオ○ニーする。10;で出そうになったら私の口にねじこんで射精するの。10;「おまえがいるとティッシュの減らなくなって便利だわ」て。10;便器以下じゃん。肉ティッシュだよ・・・— 埼玉のおっさんBot (@saitama_no_o3) 2013, 12月 4
これと元増田が同じに見える人がいるのか…。
横増田自身ならともかく他人の画像を転載してこの手のコメント求めるのってどうかなーと思うよ
ちゃんと画像転載の許可は得たのかなと疑問に思うのでこの人についての感想はノーコメント
言葉を選んで答えるならアニメやゲームで得られる幸せは所詮現実逃避の幻想の中の幸せに過ぎない
異性に認められて仕事して社会に受け入れられてこそ初めて周囲の「期待値」を満たせて自分を認められるわけで
それが努力しても満たせないという人々の苦しみは他の事に逃避しても「ポジティブ」を押し付けられても癒されない
「異性に異物としてではなく異性として認識されたい」「世間に受け入れられたい」この二つは本能に根ざす「願い」だから
努力してもこの願いが人格云々以前に知的能力的に叶えられない人生に煮詰まったクラスタの一部の人達が右や左やマイノリティにもチラホラいて
TLに災厄をもたらしたり特定の人物に何年間も粘着したり、誹謗中傷で「目立つが勝ち(誰か相手して)」という考えを持っていたり、botで嫌がらせしたり
そういう傾向が見受けられる
「ポジティブ」な生き方なんて押し付けられてもこの手のネットでくすぶらざるを得ない人達にとっては紙の上に描いた餅を「喰え、喰って黙れ」と無理矢理
口の中に押し込もうとされているようなもので精神的に抑圧される苦痛しか与えないってことです
ポジティブなこと言う方は「私、良い事言ったーはい、愚痴はおしまい(ニコニコ)」で済むんだろうけどね
長年生きてきて世の中の人々に軽い気持ちで「無能」「不必要」だと言われ続けハートにヒビが無数に走っている人にとっては傷に熱湯を浴びせられるような
もので苦しくてもがきも暴れもするだろうさ
その光景を見て「愚か」だと笑うことも「頑張れば希望がある」なんて言葉で誤魔化すこともできない
学校の友人と、プレイしているネットゲームや趣味が同じ人、botが並ぶのを見ていくうち、とある友人のアカウントがないことに気付いた。
フォローしてないしされてない。
しかし、友人らを集めたリストには友人のツイートが表示されている。
どうしてだろう、と思ってしまった。
その友人を仮に、Aとしよう。
Aとはほぼ同時期に部活動を始め、当時はさほど仲良くなれなかった。
私は部活に馴染めなくてやめてしまったが、Aはそのまま続けていった。
Aやその周りに関わるのがとても嫌で離れていた時期もあったが、選択授業で一緒のクラスになり話す機会が増えた。
周りの人と話しても胃が痛まなくなった。
私は携帯を持っていない。
軽い気持ちで登録し、なんだかんだで呟いた。
そんな時、Aもアカウントを作ったとのこと。
早速フォローした。
向こうもフォロバしてくれたし、その後も会話は続いた。
Aはネット上の友人を増やし、いわゆるリアルアカウントという物も作った。
もちろんフォローした。
去年の今頃。
Aが「コンサート見に行きたい人リプくれ」と呟いたので私は「いいなそれ行きたい」とリプを送った。
「いいよーチケット今度渡すねー」と来て、他の友人たちもいたが一緒に見に行った。
私とAはコンサートに興奮していたが、他は演奏中寝てしまっていた。
「仕方ないね」とは言いつつも、少し悲しげなAだった。
つい、私は「また見に行きたいな、こういうの。Aと一緒に」と言ったら、Aは「もちろん!」と言ってくれた。
すごくうれしかった。
アニメとかじゃないもので、好きなものが同じ友人というものが初めて出来た気がした。
ついこの間、「ブロックしてからブロック解除をすると相手からのフォローが外れブロックしていることもわからない」みたいなことを知った。
それを思い出した。
Twitterのサービスに、そのアカウントでのフォロワー数変動を調べることができるものがある。
なんとなく登録していたのを思い出した。
調べないわけがない。
訳がわからなかった。
何か嫌われるようなことをしたのだろうか。
まさか、そんなはずはない。
だってこんなに仲良くしてるのに、と思ってフォローしなおした。
私が「なぜかフォロー外れてた、しなおしたよ」とリプを送れば、「ほんとだ」とフォロバとともに返ってくる。
共通の友人がすぐ、「これはwwwwwwひどいwwwwww事情知ってるからwwwwwwブフォwwwwwww」と呟いた。
死にたくなった。
いや、自分を傷つけたい。痛めつけたい。
なぜ気づかなかったの。バカなの?
話すほど赤面して汗が噴き出る気持ち悪い奴がちょっと仲良い人ができたからって調子に乗って。
言わなきゃよかった。放っておけばよかった。
こうしてまた一人友人を失った。さらに失いかけてる友人もいる。
Aの友人は私の友人と共通している。
月曜に顔を合わせたら、泣いてしまうかもしれない。
今こうして書いている間も、Aの鍵付きリアルアカウントの呟きは増えているのだろうか。
しかし、私に対してAは何かを思っていて、その何かを他の友人は知っている。
こんなこと、知りたくなかった。
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2759.html
そもそも、ゲームを楽しみたいと思うユーザーが集まってて、金を落としてくれているところが「ゲーム業界」だろ。
昔のゲーム業界を懐かしみ、現状のソシャゲに文句言ってる奴らを馬鹿呼ばわりして腐す気持ちは解る。でも、それって昔っからあった事だろ?
開発者はそういう奴らを華麗に無視しつつ、いつだって金を払ってくるユーザーに向けてゲームを作ってきたじゃん。
文句言うマニアを馬鹿呼ばわりしてるけど、何を今更って感じなんだよ。
そもそも、ゲームをどこでどんな機種で遊ぶかは数年単位で変化してる。
パソコンからアーケード、ファミコン、スーファミ、プレステ、PS2、DS、携帯、スマホへとユーザーが移ってきたように。
プラットフォームが変わる度に保守勢力は新しいシステムに文句を言い続けてるけど、
結局今じゃゲームはテレビにつなぐものじゃなくポケットに入れて持ち歩くものになった。
PS3ユーザーがファミコンに戻らないように、スマホユーザーは据え置き機には戻らない。
ファミコンから続いた30年の据え置き機王朝は、新興の携帯機勢に譲り渡された。
新しい王を讃えよう。新大陸でゲームを繁栄させ新たな地平を目指そう。
今、我らが歩いている道こそが王道だ。
ゲーセンで自分が選んだゲームに100円払った時代があり、次にゲームを買う時代が来た。
パッケージと口コミと雑誌記事を信じて1つのゲームに数千円を払う博打の時代が暫く続き、高騰するゲーム価格にライト層が逃げ出していった。
逃げた層は携帯に移り、それなりに暇をつぶせて満足していた。
そしてスマホが登場し、リッチなゲームが遊べるようになり、ゲーセン時代のように気に入ったゲームにだけ課金する時代になった。
さらに素晴らしい事に、昔はお金を払うまでどんなゲームか分からなかったものが、無料で遊べるようになり、ユーザーが本当に納得して払えるようになった(射幸性の問題はあるけど)。
今までだってユーザーはゲームに金は払ってきたけど、この新しい課金のシステムでは、少なくとも金を払ってクソを掴まされる危険は減った。
開発者も、クソゲーだと知ってて発売し、やっぱり売れないで、ファミ通で3点とかついて、ユーザー騙した気分になって、有名どころと比較して卑屈になってた時代は終わった。
「嫌なら遊ぶな」
「払いたくなきゃ払わなければいい」
「つまらなければお代は頂きません」
売れたかどうかは別にしても、少なくともクソゲーに金を払わせる欺瞞は解消された。
これは誇っていい事だと思う。
ゲーム開発者は、自分の作品の出来について嘘をつかなくて済むようになり、誇りを取り戻した。
ユーザーは納得して金を払えるようになった。
開発者とユーザーの正しい関係が、スマホゲームによって、ようやく構築された。
俺は、少なくとも今の現状は、開発者にもユーザーにも好ましい方向に動いてると思うよ。
だって好きな時に、好きなゲームで金を払わなくても遊べて、気が向いたら好きな金額だけ課金すればいいんだもん。
ゲームを遊ぶ場所も時間も払う金額も自由にできる時代がやってくるだなんて、昔のゲーマーに言ったら泣いて喜ぶと思うぜ?
こんなに理想的な環境なのに、据え置き業界がダメだからってだけでゲームがオワコンだなんて言って欲しくない。
むしろゲーム業界は「全ての携帯ユーザー」という超幅広い層にリーチする、夢の時代に突入した。
ゲーミフィケーションなるバズワードも出てきて、ビジネスの世界にも浸透しつつある。
とりあえず、馬鹿って言うなと。
死人に鞭打つのは止めろと。
島国がDisってるような、限界集落に住む奴らの愚痴にはbotに「貴重なご意見ありがとうございます」のテンプレでも返させとけばいい。
あそこにビジネスチャンスは無い。
今のゲーム市場は、新しいスマホを手に入れ、どうやってこの端末を活用して元を取ろうか躍起になってる暇人達の手の中にある。
で、やっとこタイトルに戻るんだけど。
俺には島国が言ってる「俺は開発者として現状に満足していない」も、ユーザーの「俺の求めるゲームはこれじゃない」も、どっちも時計が止まってるようにしか見えないんだよなぁ。
開発「それは俺の作りたいゲームじゃない!」
営業「オンライン対戦だ!」
開発「つかしょぼいだろ。10FPSとか無理。当然それは俺の作りたいゲームじゃない!」
開発「操作スティック無いとか最悪!(DSは許すけど)。あとそれは俺の作りたいゲームじゃない!」
ユーザー「ミニゲームばかりで飽きた。タッチ操作やりづれーし、もっとリッチにしろ。あと俺のやりたい新機軸のゲームを作れ!」
何この無限ループ。
お前らいつまでやってるんだよと。
本当に時計を進めるべきなのは、現状のゲーム業界を否定している奴ら全員なんじゃねーの?って思う訳で。
今いるところが最前線なんだと認めることが、時計を進めるって事で。
時計の針が正常な位置にあって、さらにその先を模索するのが業界の中の人のお仕事なんじゃないの?って思う訳で。
いいかい?
大事なので2度言いました。
はい、分かったら解散。
hokusyu、toled、Apeman、D_Amon、tikani_nemuru_M、y_arim、amamako…
彼らは、はてなの空気を支配し、はてなという小さな村の中で行われるネットバトルの頂点に君臨していた。
ここはてな村では、「はてサ」こそが掟であり、常にネットバトルの中心にあり、ネットバトラー達の倒すべき敵だった。
はてサは、人々に憎まれ、愛されていた。
一方で、我々の愛したはてサとは決して戦火を交えず、しかし、もう一つの頂点として君臨する者達がいた。
それは、自らが絶対に正しい知識と正義を持ち、それを体現しているという自負である。
モヒカンとはてサは、自らの正義を信じ、敵対するあらゆる人間を攻撃して来た。
超長文をダイアリーに投稿し、あらゆる異論に反論し続け、メタブックマークをバベルの塔のように積み上げる。
驚異的な粘着力が、敵対する全ての対象を討ち滅ぼし、はてな村から敵を消し去っていった。
やがて、彼らの自負が、彼らの論理をはてなの掟にまで伸し上げる結果とまでなったのだ。
だが何故、2つの全く異なる集団が、はてなの頂点に君臨し、互いに戦火を交えることが無かったのか。
まるでbotが喋っているかのような非人間的な態度で、「私はあなたに共感しますが」と箇条書きにするのだ。
モヒカンには心情に踏み込まない。
あるコードの記述ミスを指摘するコンパイラのように、淡々と間違いを指摘して、去って行く。
それはもはやbotなのか、人間なのかすら判別できない存在であり、はてなに残る都市伝説だった。
一方で、はてサの支配する掟の中では、より弱者へ共感を示している側が正義だった。
弱者へ思いを馳せること、抑圧者である自らを自省すること、それらをウェブ上で表現すること。
はてな村に流れ込んだ2つの源流、fjと、テキストサイトのうち、前者はモヒカンが受け継ぎ、後者ははてサが受け継いだ。
はてサはテキストサイトのごとく、自らの自意識をダイアリー上で表現していた。
どれだけ自らが弱者の現状に思い悩んでいるのか、どれだけ強者として自省しているのか、その自意識を、はてなダイアリー上で開陳し、
はてなダイアリーにマイノリティ当事者が居たのなら、彼/彼女のマイノリティとしての心情を理解して、
トリアージが「さくさく」と表現されていれば、オノマトペで心が傷付く人々が居るのではないかと弱者に思いを馳せていく。
従って、はてサとの闘いは、自陣こそが本当の弱者の擁護者であるという立場を得るための闘いだった。
はてサとは『弱者に共感する人格の一貫性』によって担保されており、もしも、はてサが言葉が滑らし弱者を蔑視したなら、彼ははてサとして終わるのだ。
こうして、はてサの敵対者は、はてサが弱者を蔑視する瞬間を狙い撃つ。
ダイアリーに自意識的長文を書き連ね、メタブックマークタワーを積み重ね、自らが弱者に値することをはてな村で表現していく。
はてな村においてはてサは掟であり、自陣と敵陣を分かつ者である。
死ねばいいのに、これはひどい、脳の失敗、頭が悪い、魂が悪い、国語の成績が悪そう、プーックスクスクス…
はてサの敵対者が書き連ねた言葉は、一顧だにされず、蹴り飛ばされる。
その徹底的な共感の姿勢と、敵陣への圧倒的な嘲笑こそが「はてサ」だった。
だが、はてサは死んだ。
最早はてなに、はてサの掟は存在せず、ホットエントリーには、痛いニュースやアルファルファが乱舞して、ブックマークはヤフコメと大差ないコメントが立ち並ぶ。
我々の愛したはてサは死んだのだ。
はてサの強み、驚異的なメタブ粘着力や、超長文による物量攻撃は、Twitterでは存在することも出来なかった。
文章は140文字に制限され、粘着的なReplyはワンクリックのブロックで終了する。
そして、はてブにTwitter連携が設置された時、はてサが支配したはてな村は、Twitterの波に呑まれてしまった。
"/"で弱者属性をbioに並び立てる当事者系弱者ツイッタラー。
それら市民を冷笑し、圧倒的強者として立ち続ける悪質クラスタ。
hokusyuも、有村先生も、今ではただのツイッタラーでしかない。
我々の愛したはてサはもう、居ないのだ。
だいたいタイトルの部分で(煽りも込みで)書いてしまったが、数日前からとある画像が出回っている。
https://pbs.twimg.com/media/BTQ-1ZeIMAIasy9.jpg
「鳥居みゆきのガチメイク」という説明がなされたこの画像は2chまとめブログやTwitter、NAVERまとめなどで話題になり、数日が経った今でも拡散を続けている(大元と思われるツイートは現在14000RTされている)。
ところで、私は鳥居みゆきがメディアへの露出を始めた2008年頃から一貫して彼女を追っている。最近はそうでもなくなったがその頃はチェック可能なすべてのテレビ出演を観ていたし、今でもライブや舞台などには可能な限り足を運んでいる。
その私がこの画像を最初に観たとき、「これは別人だ」と感じた。
直感的なものでうまく説明はできないが、とにかく別人だと思った。もっとはっきりいえばたいして似ていないとも思う。
Twitterで他の鳥居ファンのアカウントを見ても「あれは別人だよね?」といったツイートが並んでいた。
「鳥居さんは自撮りしないしね」
その通りなのだ。何百枚と鳥居みゆきの画像を見てきたが、自撮りの画像なんて見たことがない。彼女の(ファンが把握しうる限りの)性格ともマッチしないし、そもそもブログもTwitterもやっていない鳥居の自撮りなんて出回る機会がないのである。
(この時期に検索能力の高い鳥居ファンによって、大阪のデリヘル嬢の画像であることが判明した)
やがて、鳥居の現場マネージャーである森田拓馬がツイートで公式に(というには口調が弱いが)否定した。
https://twitter.com/moritatakuma/statuses/375535050495766529
私が見たときにはさっそく鳥居ファンがRTをはじめており、私はこのツイートをきっかけに自体は収束するものと思い込んでいた。
しかし全然そんなことはなかった。森田のツイートはある程度RTされたが、それを遥かに上回るスピードで画像は拡散されていっている。今でも。
森田の上司である小林チーフマネージャーがツイートを被せても効果はなかった。
鳥居ファンの端くれとして、今私は困惑ともなんともいえない気持ちである。
鳥居の情報を求めて検索をかけてもノイズが多くまったく使い物にならないし、何より別人の画像をつかまえて「鳥居みゆきが綺麗なことなんて前々からわかってただろ〜」とか書いてる連中にももううんざりだ。
まあ鳥居ファンでもなければ問題の画像が鳥居みゆきでないことなどわからないから仕方なくはあるのだが、しかしバカっぽい。というかバカだ。俺に言わせれば出所のわからない画像を、クソみたいな画像投稿系botを通じてRTなんかしてる奴は全員バカだ。botの管理者とまとめブロガーとNAVERまとめにしてるヤツはクズだ。クズがバカで金稼ぎしてるクソみたいなインターネットだ。あ〜〜〜〜〜〜クソどもが!!!!!!!!!!!
ともかくアフィブログがデマを大々的に拡散してるのは事実なので誰か影響力のある人が取り上げてバカどもが恥をかきますように!!!!!