はてなキーワード: 貧乏とは
「誰にも怒られたくない」とか「誰にも迷惑をかけたくない」とか「誰にも馬鹿にされたくない」とかって感情、誰でも持ってると思うんですよね。
でも僕の場合、その感情が強すぎて、それが人生における最優先事項なのよね。
そうするともう、「誰かに怒られる前に早く死にたい」、「誰かに迷惑かける前に早く死にたい」、「誰かな馬鹿にされる前に早く死にたい」って思うのは当然じゃありません?
僕の生死に対する感情は「死にたい or 生きたい」じゃない。
「とにかく早く死にたい or まぁそんなに急いで死ななくても良いかー(どうせいつか死ぬし)」の2択なんですよね。
即ち、最も気分良い時でさえ「まぁそんなに急いで死ななくても良いかー(でも苦しまなくて良いなら今すぐ死んでも良いけど)」って気分なんすよね。
、、、そう、臆病だから、苦しいのとか、痛いのは、怖い。
そういう意味では、ある意味「死にたくない」と思っているのかもしれない。
でも、たとえば上から飛行機、もしくはその部品が空から降ってきて、それが自分に直撃して一瞬で死ねるとしたら、それは僕にとっては最大の幸運でしかないのですよね。
、、、ここまで読んでくれたあなた、これを書いている僕は孤独で貧乏な男、即ち「キモくて金のないオッサン」を想像してます?
実際は、僕は正社員で一定の収入があり、妻もいて、子供もいて、さらにはインスタ映えするような趣味もあって、傍目には「人生楽しんでる風」の男なんですよ。
そんな男でも、上記のようなことを考えながら「早く寿命こねーかなー」とか思いながら、死ぬまでの暇つぶしに精を出してるんですよ。
ちなみにそういう人生を送ってるとね、時間の進み方がめっちゃ遅いんですよ。
毎年2月になると「もう今年も1か月過ぎてしまった!」とか、6月になると「もう今年も半分終わろうとしている!」とか、騒ぐ人が多いけど、僕はいつも「まだ一か月しか経ってない!」「まだ半年と終わってない!」って、鬱々と「時間の進みのノロさ」を感じながら日々過ごしているのですよ。
あー、今年まだ半分も終わってないのかー。。。
自分の楽しみのために産む人間達は馬鹿ブス貧乏で東大に行かなければ詰みな人間を産んだ罪を償うべき。産みたくて産んだ子供に対して子育てが面倒とか、お前達が楽しむためだけに産んだだけなのにどれだけ子供が苦しい思いをしているかわかってるのかなぁ?
舌っていうか体質?
私は幼いころ母子家庭になり、風呂なし1kに住んでいたこともある貧乏暮らしだったのだが、子どもに悪いものを食べさせたくないという母の親心により基本的に質の良いご飯ばかり食べていた。
手作りパン、手作りピザ、手作りケーキを定期的に食べ、ジャンクフードを禁止され、飲み物は水か牛乳のみという健康的な生活だったのである(風呂はなかったがオーブンはあった)。
大人になった今となっては「もう自分の責任だからね」とジャンクを食べても咎められないが、幼少期に培われた味覚が今にも影響しているのか、余裕もないのに食だけは高級志向にならざるを得ない状態だ。
・安いバナナはピリッとしたり苦かったりしてまずい。一房290円以上の高原バナナとかじゃないと無理。
・安い卵は生臭かったり薬臭くてまずい。六個入り230円ぐらいならおいしいと思えるものがある。
・カップラーメンを食べた後はわかりやすく体調を崩し、必ず肌荒れ・下痢になる。
・ミスドを二個以上食べると気持ちが悪くなる。味はめちゃおいしいと思うので悲しいのだが多分油があまり良くない。自分で作ったドーナツはぱくぱく食べられる。
昔からジャンクを食べていたらジャンクに耐えられる強靭な体になっていたのか、それとも元々私の体が弱めなのか気になる。
同じ環境の人がいたら教えてほしい。
自分が作った料理以外無理!ってほどの繊細さではないんだよね。
ラーメン屋さんのラーメンとかなら平気。給食の卵焼きは駄目だったけど。
ていうか小さい頃は自分がいいもの食べてるなんて全く思ってなくて、ジュースとスナック菓子を好きに食べられる友達が羨ましかった。
それがまさかこうなるとは。
特にミスドは味が好きなだけに複雑な気持ちなんだよ。一個目は「おいしー!」って食べられるの。でも二個目を食べ終わるとウッってなる。
トンカツ大王の店主「いいかい学生さん、 トンカツをな、 トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。 それが、人間えら過ぎもしない貧乏過ぎもしない、
ちょうどいいってもんなんだ」anond:20230612113917
でも今3人の子供がいて、子どもが大好きで、子どもほど素晴らしいものはこの世にないとさえ思う。
親は楽しそうに子育てなんかしてなかった。
貧乏な親で、共働きで、いつも疲れていて、勉強でいい成績とることしか興味を持ってくれなかった。
私は有名大学に入って、読モやって、有名企業に就職した。バイトで稼いだ金でバックパックしたりもした。
それなのにいつも、心の中に「自分は役に立たない」「自分は邪魔もの」という思いがあった。
特に恋愛関係で、冷たかったり気に入らない態度をとられると話し合いや歩み寄りもできず、極端に攻撃的になるか連絡を一切取らないという方法をいつもとっていた。
今にして思えば、恋愛や友人関係がうまくいっているときは、子どもが親にするみたいに甘えた。顔を触ってみたり、わがままをいって甘えたり。
今子どもがいて、その行動の理由が分かる。私はずっと、親を探していた。
30歳になって、海外企業に転職して2年ほどたった時、自分の人生に飽きていることに気付いた。
もう遊びつくした。前頭葉の発達も止まって、みるものすべてが輝いていた季節は終わった。
保育園に預けて、なるべく子どもと過ごさないようにしようと思った。
それなのに、1人目が2歳くらいになってから、子どもがいかにまっすぐで真っ白で、これ以上ないほどの幸せと愛を呼び起こす存在なのかを知って、すっかり人生勧が変わってしまった。
きっと親も私と同じように愛情を十分に受けずに育ってきた。
愛情を受けないで育ったものは、それがなにかを知らずに生きる。
私はたまたま大学時代に教育心理学の授業で愛着障害という言葉に出会って、その時からやんわりと自分の育ちに違和感を持つことができた。
顔のかわいい、出来のいい子どもじゃないとほしくないという人。
ふっと心が別のだれかのためにつかわれてたがっていることに気付いたことはないか。
アイドルでもなく、ペットでもなく、宗教でもなく、ボランティアでもなく、
30も過ぎて親や生まれのせいにしてうまくいかないことを嘆くのは、自立してからの約10数年に何も積み上げませんでしたと言っているようなものだ。
親のせいにして子どもをためらっている人もう一度考えてほしい。
この世界のどんな友情も恋愛も、かかわればかかわるほど、愛が増す人間関係は存在しない。
大人の持っているエゴを大人自身に突き付け、自分に構え!とあらゆる手段で挑んでくる。
たくさんの愛情と献身、そんなことをやってるうちに、40を前にした今、自分の人生がだんだん空っぽになっていくのが分かる。
そしてその空の部分がとても気持ちがいい。
自分の欲望しかなかったその空間に、別の誰かが入ってくる余裕があるということ。
これほどに、年を取ることの意味があるだろうか。
もちろんとても大変だ。追いつめられたり、感情的になることだってある。
でも、それ以上にとても素晴らしい存在だ。
別にあたらめていう事でもないけど、子無しを叩いたりフリーライダーってレッテルを貼ったりするのって子育てしたせいで老後の貯蓄が無いからだろ
上の世代は「貧乏でもなんとかやりくりして子供育てりゃ老後は大丈夫」だったんだけど、今の世代はそれを真似したせいで生活できないと言われてる
社会に対して話違うだろってのとそこに気づいて子育てを選ばなかった同世代がズルいという思考になる
それが合ってるか間違ってるかはどうでも良くて、老後の心配が不安となって表れるのはわかるが、だったら金が無くてそもそも出産どころか結婚にも辿り着かなかった貧乏独身を目の敵にするのは違うくね?
話してたぞ。
おまえの主張は「主人公が人間じゃないと感情移入できないから売れない」。
俺の主張は「人間でないと感情移入できないとは限らない」「そもそも感情移入が必要とは限らない」。
「主人公が人間でなくても普遍的なテーマであれば受け入れやすい」というのはおまえではなくむしろ俺の主張の範囲なんだよ。
そもそも人間には「親近感」以外にも「憧れ」や「同情」などさまざまな感情がある。
映画の中には、視聴者には真似できないことをするスーパーヒーローも、現実では絶対にやりたくない悪事を働くダークヒーローもいる。
主人公が本当に嫌な奴でムカつくからこそ面白い作品だってある。
主人公を全能のように描いて脇役に感情移入させるタイプの作品もある。
それらすべてを一面的に「視聴者と主人公が近くて感情移入するから人気がある」と説明することはできない。
それを「子供っぽくて親近感が湧くから人気なんだ」と無理やり説明しているのがおまえ。
もちろんそれも一因ではあるが本質的ではない。
ひとつ便乗して言えば昔は左翼も同性愛を批判してバカにしていた
社会党ブレーンの向坂逸郎は、東郷健(ゲイの人権を唱えて雑民党を結成した人)に対し
小説「チャイルド44」にも出てくるがソ連ではホモは弾圧の対象、中共も然り
どうも同性愛は社会病理または資本主義的退廃な変態性欲の一種と見なしたらしい
もっと古いスターリン時代の左翼は性にうるさかったし変態性欲を許さなかった
変態性欲の代表格みたいなサド侯爵とかフランス革命前の大貴族だったわけやん
イギリスは今だに貴族だの地主だのがのさばっていて貧富の差が大きいんだよ。だから金持ちはスゴい一方で惨めな貧乏人も多い。
オマエの言う事を聞いてると「イギリスには貧乏人がいるじゃないか。だから金持ちがいるはずはない」とでも言っているかのようだ。実際には貧乏人が多い事は大金持ちたちがいる事の裏返しなんだよね。
ちなみにハギスはイングランドじゃなくてスコットランドの食べ物な。英国全体の伝統じゃなくて一ローカル文化なので、念のため。
子供産んだ瞬間、夫と育児の愚痴しか言わなくなった人の多いこと
面白い話書いてた人が途端につまらなくなったし、所帯染みているのを通り越して貧乏臭くなった
ロシアのウクライナ侵攻なんて比ではないほど酷い略奪と虐殺の上に成り立っているのが現在のアメリカ大陸なんですね。もともとアメリカ大陸にいた土人達は消されたか保護区に追いやられて貧乏生活を強いられているかのどちらかなんですね。大陸レベルの大侵攻、不法どころではない大移民をしてきた人達が自分達のところに来た人達には酷い扱いをしている。偽善という言葉はこのためにあるようなものですね。
引用元の筆者(以後あなた)はカール・ヒルティが敬虔なキリスト教徒であることを都合よく忘れてしまっている気がします。
あなたの言う通り、カール・ヒルティの『幸福論』1巻の大半はストア主義哲学をベースにした仕事術のような内容です。
それはおそらく、イエスが人々の聞く力に応じて、何事もたとえを用いずには語られなかったから、
それにならったのでしょう。
また、ストア派の考えとキリスト教の思想は一部分似通っていて、
私もあなたのように1冊目を読んだあと、キリスト教とヒルティの思想をより詳しく知りたくなり2巻3巻と読みました。
彼の著作である『眠られぬ夜のために』や、聖書も含めて日ごとに読んでいます。
だからこそ、あなたの言われたことには、まったくの勘違いがあると言いたいのです。
「死んだら何らかの形で次の人生が続くと考えた方がいいだろう。もし死んで何もなかったとしても、次の人生がある前提で生きる方が楽しく生きられるから、それでもいいのだ」こんな内容のことを言っていた
この点についてです。
『幸福論』にこのような思想は一切ありません。まったく反対の考えになってしまっています。
「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」
なぜそうなるのか、彼の思想がどう書いてあるのか。
幸福論1-3巻、眠られぬ夜のために、聖書などからの抜粋しつつ記します。
死後に私(達) もまた霊的な復活をし、
そして、神の国に入って高い者とされるのは、神に愛されるものである。
生前に清かった者、義に篤かった者、憐み深かった者…そのような人達である。
だから私も、私の愛する神の御前で恥ずかしくない自分になっていたい。
私は現世での朽ちる宝ではなく、永続する神の国での栄光をこそ求める。
だから、私は現世においてのあらゆる快楽や地位や名誉を軽んじ。
この空しい現世において、そのような決意と実行は難しい…。
神の国を想いかつ行動することで、様々な形で、しかし確かな喜びを感じる。
そうした経験を重ねることが信仰を深くし、やがて神のそば近くにいるという実感に至る。
あなたも言われている通り、ヒルティの思想はキリスト教の教えに根差しています。
それなのだから「来世があるから好き勝手に生きよう」となってはいけないのです。
むしろ「現世のためでなく、来世の為にこそ、私は現世で善い人間として生きることを努めよう」となるのです。*
つまり、現世での富はお金ですが、来世の富は神の御心に適う信仰とそれに伴った行いであると説かれているのです。
ヒルティは現世での善く生きることが、来世への貯蓄のようなものだと言っているのだと思います。
ヒルティの言う来世は、確かにキリスト教世界観の来世でありますから、
たとえ現世において、貧乏や不遇な状況にあった人でも、誠実で親切(愛)と公正を尊び、
神の戒めを守って生きた人は救われる──。そういうものであって、
神を信じず、好き勝手適当に生きた人が救われる来世ではありません。*
あなたはヒルティの思想をキリスト教的なものであると知りながら、
理解できないキリスト教部分を誤読して自身に都合よく受け取ってしまったのでしょう。
もちろん、キリスト教徒になれ!ヒルティをもう一度信じろ!と言いたいのではありません。
ただ、彼の思想を誤解したままでは、読まれたあなたの経験が無駄になってしまいます。
それはあまりに勿体ないような気がするのです。
「これまでを反省して前に進もうとするあなたの心は正しい方向を向いている。
その行いが公義や公正に反しないのであれば、それは地上で人に認められたことだからだ。
しかし注意しておかねばならない。
金を得れば、妻を得れば、なにか夢中になれる娯楽を得れば…と。
そうした偶像に救いがあると期待するのは止めておきなさい。
それを得られない事も、あるいは得て、しかし満足と幸福が得られないことは良くあることだ。
いまからでも遅いということはない。
ただあなたの善い生き方をしようと努め、自発的に行う意思のある仕事を見つけて励みなさい。
そして神を信じられないまでも、神はいないと自分に言わず、神を憎まず、
娘の友達の親がかなりのミニマリストのようで、ちょっと度がすぎるのではと心配している。
その子はよく我が家に遊びに来るのだけど、いつ見ても同じ服しか着ていない。
上は白シャツにグレーのカーディガン、下は黒の長ズボンかプリーツスカートの2択、グレーの靴下、白のスニーカー。
一度しか会わなければコムサのマネキンのようでスマートにも見えるのだけど、制服でもないのにいつ会っても同じ格好なのは少し怖くなる。小学生なのに「色」が全くないのって、どうなんだ。
本人もオシャレに興味があるようなので、貧乏で買えないというわけではないのにも関わらず服装の選択肢がないのは余計なお世話なのだろうが不憫に感じてしまう。
また、その子の家には冷蔵庫がない。何気ない会話の中で「うちは冷蔵庫がないから〜」と言っていてとても驚いた。
どうやら少し前まであったらしいが、親がいつの間にか捨てていたのだそう。
食事とかどうしてるんだろう…と気になりそれとなく聞いてみたところ、買い置きや作り置きをせずに日々の食事をこなしているらしく、とてつもない労力とモノを増やさないことに対する強いこだわりを感じた。
きっとすごくお金がかかるのだろう。子供のいる家庭でミニマリストを貫くのは物凄い信念だと思うしその意志は尊敬に値するが、いくらなんでも子供の生活に自由度というか、選択肢やゆとりが少なくてかわいそうだと思ってしまう。
でも、貧困で仕方なくモノのない生活をしている人々もたくさんいるのだろうから、こういったこだわりでの生活スタイルでも安易に良くないと切り捨てることはできないよなあ。
なんだろう。せめてその子が自分の好きな服やアクセサリーを買って鏡の前でああでもないこうでもないってオシャレを楽しめたり、使いもしないカラフルな文房具をコレクションして眺めてみたり、それくらいのことができるようになると良いんだけど。