はてなキーワード: 観光地とは
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自分は仕事でアメリカ4年・イギリス2年いたけど、観光つーか異文化接触においては、自身のフラグ立つとこじゃないと、感動は生まれないと思う。
増田は旅の本質ってやつに少し手が届いていると思う。自覚がないだけで。
名所旧跡を見たとか写真撮ったとか、確かにそういうのは旅の本質じゃない。つーか、パッケージ旅行で到着した名所旧跡なんてただのコンテンツで、はっきり言えば編集したビデオ映像でも見る方がなんぼか意味ある。それでも、建築物とかは内部の構造や音の反響とかを体感できるという意味はあるんだけど、それはまあ興味があればって話で。だいたいのところ、意味ない。「有名なアレの本物を見た!」つー感動はあるだろうけど、だいたい「写真で見るよりちっちぇーなぁ……」とかだったりするので、それなら写真で見てワクワクしてた方がいい。
でもさあ。むしろ「詰まんない」とこに、旅ってものの本質があるんだと思うんだよ。コンテンツにならない違和感、非日常性。ただ「そこにいる」ということの価値。たとえば自宅に「場所としての特別感」があるなら、当然、どこか別の場所には別の場所なりの「特別感」はあるんだよ。旅行者にとっては、街がまるごとテーマパークみたいなもんだよ。海外に行けば言葉違う、通貨違う、町の人が食ってるもんも違う、隣を歩いてるおっさんの顔も違えば職業も違う。聞いたことのない人生、生活、常識がそこにある。街角で喫茶店に入る。さて何を頼むべきか?観光客がなるべく戸惑わないように、観光地のソレは「よそ行き」な顔をしているけど、本当の地元の喫茶店は「よそ行き」の顔なんかしてない。その街に行かなければ分からない「顔」をもってる。それを見て、すげえ詰まらないんだけど「おぉ~」とか思う。そういうとき、「ああ旅だなあ」って思うんだよ。
だから、
温泉だってどこのやつに入ってもそんなに違いを感じねえし、すぐのぼせて上がってしまう 脱衣所のすのこ(?)の床の質感とかはすげー好き
いいじゃんか! すのこも街によって違うぞたぶん。コーヒー牛乳が全国にあるとも限らんしな。地元の「当たり前」が旅人にとっては「当たり前」じゃないんだよ。
メシにしたって貧乏性でつい旅先でも安いものを求めてしまう いやいや、せっかく来たんだから奮発しようぜ!とときどき思って高いものを食うと、まあうまいんだけど、そりゃ高いんだしな…という気持ちが先に立ってしまって満足度が低い
いやいや、それでいい。安いものでいいんだよ。観光客向けのよそ行きのご飯じゃない飯。地元の古い店に入ってみれば、ただのカツ丼にも地元ならではのこだわりがあるかもしれんよ? しょうゆの味一つ、塩加減一つ、カツは卵と煮るかあとからぶっかけるか三つ葉載せるか、街によって好みは違うもんだ。
旅行でいちばん好きなのは宿の部屋に入る瞬間 部屋の鍵をあけ、薄暗い部屋に入っていって電気をつけるときのワクワク感はかなりある
荷物置いてそのまま寝るってことはほぼなく、そのあともう一度出かけないといけないから、あんまり気を抜いてダラダラはできねえんだけど、だからこその良さがあるというか、外出着のまましばらく横になるあの気持ちよさは替えがたい
そう、宿はいいんだよな めちゃくちゃ良い
いや、分かってるじゃねえか。自分の家ではないところで、仮の宿にいる。なんなら、そのまま宿で三日ほど過ごしてもいい。主人に謂われを聞いてみたりしてな。昔誰が泊まっただとか。実にぜいたくだ。
とにかく少し腰を落ち着ける。空気を味わう。地元の人と会話する。地元の飯食う。寝る。そして起きたら知らない街。それが「旅」情ってもんだと思うぞ。あー旅はいいなあ…。
確かに観光地になっているある種の完成され情報が揃っている場所に行くと、想像以上に想像通りだったり思った以上の新鮮さを感じることは少ない。それは私も実感として思う。
違う文化に触れて知識欲っていうか知見が広がるのは面白い。風土を知ったりその土地の歴史を知ったり、結局旅なんてそのきっかけの一つにすぎないのかもしれない。日常の刺激が足りないから刺激を求めるという話もあるだろうね。
人間そもそも、安定した衣食住を求める生き物だから、今の生活に不満がなく刺激も不要なら旅しないのはそれはそれで一つの正解だと思う。でも、わからないからって自分の価値観と違うのを否定するのはやめてあげてねって気持ちではある。
先日久しぶりに大掛かりな旅行を計画して、七人で旅行に出かけた。一人の友人と手分けして、宿や交通手段の手配、観光地の調査、タイムスケジュールなどを決め、当日を迎えた。旅行に参加したのはいつも遊ぶ友人二人と、前述のしっかり者の友人と、学生時代の同期で久しぶりに会った三人。旅行自体はとても楽しかったけど、旅行が終わったあと、全く動かなくなったLINEを見て、そういえば誰にも「手配してくれてありがとう」とか言われなかったな、と気づいた。
そこから芋づる式に、よく遊ぶ友人たちにさえ自分からしか声をかけてないということに気づいた。
お礼を言われるために旅行を計画したのではないし、私も行きたかったからいい。でも、自分発案の遊びにしか自分が参加してないという事実に、なんだか力が抜けるような気分だった。何年も一緒に遊んできて、なんなら親友とさえ言っていいような友人も、私が連絡を取らなくなったら一切取らなくなるのではないかと、自分の一方的な友情に恥ずかしいやら悔しいやら複雑な気分だ。
そしてこのSNS時代、画面を開けば「誕生日祝いしてもらいました!」「プレゼントありがとう!」といった赤の他人の投稿に溢れている。友人の誕生日はお店を取って祝ったりプレゼントをあげたりしていたが、自分はされたことないなと気づいた。友情の搾取という言葉が正しいかわからないけれど、今そんな気分になっていてすごく落ち込んでいる。どうやら自分には思った以上に友達がいないらしい。みんなどうやって友達を作ってるんだろう。いいなぁ。友達欲しいなぁ。
パルテノン神殿行ったときですら、神殿そのものをじっくり見ていた時間は10分もなかったと思う
風つえー!アテネ市街の写真とるか!あっピント合わねえな、アテネにピントがあってねえw!とか言ってるうちにいつの間にか帰ってた
何かを得た感じはあまりしない パルテノンクラスのクソ有名建造物でも、心を打たれるって感じはなくてただ「へー、これか…」程度の感動だった
旅行はわりと好きなはずなんだけど、どこに行った記憶を思い出してもあんまり観光地を楽しんだ感じがしない
金閣寺とか見たはずなんだけど、具体的にどういう風に見えたかとかマジで覚えてない ただ境内が混雑してて、良い天気の十一月で、楽しかった そのくらいのボンヤリした記憶しかない (これに関しては修学旅行だったのが悪いのか?)
伊豆とか箱根とか旅行したいな!と思うんだけど、じゃあ行った先で具体的に何を見たいっていうのは全然ない
神社とかはあんまり興味ない 山に登って景色を見るのは好きだけど、近所にもなかなか良い山があり、わざわざ遠くまで行って山に登る意味があるか?というとちょっと疑問
温泉だってどこのやつに入ってもそんなに違いを感じねえし、すぐのぼせて上がってしまう 脱衣所のすのこ(?)の床の質感とかはすげー好きなんだが、そんなん近所の銭湯でも味わえる
メシにしたって貧乏性でつい旅先でも安いものを求めてしまう いやいや、せっかく来たんだから奮発しようぜ!とときどき思って高いものを食うと、まあうまいんだけど、そりゃ高いんだしな…という気持ちが先に立ってしまって満足度が低い
旅行でいちばん好きなのは宿の部屋に入る瞬間 部屋の鍵をあけ、薄暗い部屋に入っていって電気をつけるときのワクワク感はかなりある
荷物置いてそのまま寝るってことはほぼなく、そのあともう一度出かけないといけないから、あんまり気を抜いてダラダラはできねえんだけど、だからこその良さがあるというか、外出着のまましばらく横になるあの気持ちよさは替えがたい
そう、宿はいいんだよな めちゃくちゃ良い
どうしたらいいんだ
みんな何を目当てに旅行してるんだ?
どこ行っても最初数分「お〜」つってるくらいのところで熱量が燃え尽きて、あとは惰性みたいな感じになってしまう
いっそ移動と宿をメインにしたらいいのか?
今日、NHKの番組「ねほりんぱほりん」で、同人作家が特集される。
それに伴い、一般人が検索するから、鍵をかけた方がいいよ!というツイートが回り、バズっていた
いうほど、同人作家で呟いてるか?
一般人が番組から検索するなら、番組名のタグや「同人作家」というキーワード、あるいは番組中で挙げられるキーワードくらいではないだろうか
正直、同人活動をしているものの、同人作家とは呟いてないし、同人〜と呟いたこともないかもしれない。
事実、それらのキーワードで検索しても自分のアカウントは出てこなかった。
本当に一般人の目につきたくないのなら、そういう期間限定の鍵ではなく、ずっとTwitterのアカウントに鍵をかける必要があると思う。
持っている中で一番よく使うのは金のしおり。薄い金属できれいなやつ。金のしおりとググると出てくる。昔はマットな感じの黒いしおりも売っていたけれど今は分からない。
大きさと厚みが文庫本にちょうどよく紐がしっかりしていて、本から落ちにくい気がする。(たまに落ちるけど)
貰い物なので当時の値段は分からないが今楽天で見たら440円くらいから買える。
種類によって大きさが違うので自分が挟む予定の本をイメージして買ったほうがいい。ミュシャのデザインはデカかった。自分の持っている気球デザインは文庫にちょうどよい。
紙に跡が付くのは気になったことがない。
トラバにある平等院鳳凰堂しおりは多分これと同じところが作っている。
金属製パート2。土産物屋でよく売っている、長方形のオーソドックス型でなんかステンドグラス風のもの。
地域の有名なものが描かれていて、その名前が下にローマ字で書かれている。「kokeshi」とか。
多分色々な観光地で同じしおりが売っている。可愛いからオッケー。
学生時代、友達からこのしおりをお土産で貰った。私のしおり好きはここが原点である。
とても気に入って使っていたがなくしてしまった。数年後に本の間から発掘されたが劣化してメッキがハゲてきていたので泣く泣く捨てた。
その後似たようなしおりを自分でも買ったしおみやげでも貰ったのだが、どうもしっくりこない。大きさや紐の長さによって使い勝手が変わる。
ありとあらゆる観光地で売っている薄くて細長い竹に絵が描いてあるもの。紐は2色のピロピロしたものが付いている。
ひこにゃんと箱根のかまぼこ柄を持っている。絵以外は全部同じ作り。
観光地の土産物屋でしおりを探すと大抵これが売っている。ひとつ持っていれば充分だと思われる。
私は本から紐が長く出るのが嫌なタイプなので、文庫本には使わぬ。もっぱら漫画やハードカバーに使う。少し大きめサイズの漫画にはちょうどいい。ハードカバーは本に紐が付いているものあるので、紐があれば紐を使う。
青森の土産屋で買った。薄い木できていてリンゴの形がくりぬかれている。装飾はそれだけで木の優しさと紐の赤さが可愛いくてよい。買った当初は木のいい香りがした。
私は本を並行で数冊読むタイプで、自分の中で3番目くらいの立ち位置。3冊目にこれを使うくらいの感じ。
高村光太郎記念館で買った。
革なので厚みがあり、挟んだまま数日放置すると跡がつかないか気になるので長期間の使用や持ち歩きの本には向かない。
光の文字が箔押ししてある。
この文字は光太郎が住んでいたオンボロ小屋にある便所の扉の明かり取りとしてくり抜いたもの。
中尊寺で買った。けまんという仏具?の形をしたありがたいしおり。
紐が軟弱。仏具っぽい装飾が綺麗だが、そのぶん頼りない感じで、本から落ちやすい気がする。
仏具としても使えます、と書いてあったので仏具が欲しい人にもおすすめ。
いい感じの紙にいい感じの言葉といい感じの花が印刷してあるものが8枚セットで売っていたので買った。
本屋でくれるしおりを太らせたくらいの大きさ。紙のしおりが好きな人には良さそう。
スカイツリーなんかにある食品サンプルの店に売っている。ベーコンや生ハム、スライスチーズなどがある。
https://www.ganso-sample.com/item/
(オリジナル小物の項目を横にピョコピョコすると見られる)
面白いし可愛いけれど厚みがありでこぼこしているので実用的かと言われるとあまり……。しかしつい人に自慢したくなる一品。
主張が激しく挟んだページがすぐに分かるので、例えば漫画など、すぐに続きを読む際に使うのに適している。逆に挟んだまま本棚にしまう等すると跡がつくと思う。
お土産で生ハムを貰って使っていた。生ハムが好きなので見ているだけで笑顔になるしおりだった。しかし紛失した。多分本に挟んだまま古本屋に売り払ってしまった。
悲しかったのでスカイツリーに行って焼きベーコンを買い直した。ちなみに焼いていないベーコンも売っている。
凝りすぎた形、大きさが使いづらいものは持っていても使わなくなる。
色々なしおりを使って思うのは、その人の使い方や好みによっておすすめのしおりは本当に違ってくる。私は紐が出ない方が好きだけど、出る方が好きな人ももちろんいる。
自分がよく読むサイズの本を想定して、どんな使いかたをするのかをシミュレートして買うと失敗が少ない。
A5のワイドサイズの漫画なんかに使うなら大きめがいいし、文庫に使うなら文庫と同じ長さみたいなのはちょいと使いづらい。
ちょっと挟んでトイレに行くくらいなら厚いほうが挟んだページが分かりやすくて使いやすい。挟んだまま数日持ち歩くようならそんなに厚みがないほうがいい。
好きなシーンに付箋をはりつけたまま数年放置したら貼ったところがペタペタになったので、付箋を栞代わりにする場合、数日で剥がし、放置はやめたほうがいい。
旅先で買うのもおすすめ。かさばるものでもないので持ち帰りがしやすく自分へのお土産によい。
ちなみに文庫本の持ち歩きについて。
布製のブックカバーを買ったことがあるが、表紙を守れてもサイドがノーガードなので汚れる。鞄の中でページの間にペットボトルが挟まって開き癖がついたり、ペットボトルに付いた水滴が小口なんかについたり、あまりよくなかった。
厚みを調節できないカバーも持っていたが、表紙と裏表紙をカバーに差し込むのが下手くそで、やはり本を傷めた。
昔CDショップで貰ったフライヤーに折り線が書いてあり、そのとおりに折るとCDジャケット柄の紙の文庫カバーになるものがあって、おしゃれで気に入っていた。使い回すうちにボロになってしまったので世の中のフライヤーすべてが文庫カバー仕様になればいいのにと思っていた。
今はCDショップでCDを買ったりフライヤーをもらう時代ではなくなってしまった。
10数年くらい前に角川文庫で2冊買って応募すると文庫ポーチをが必ず送られてくるキャンペーンがあった。
文庫ぴったりサイズで上に紐が付いていて巾着みたいなもの。シャカシャカした素材で、生地と生地の間に綿?が入っているのか、ちょっとふんわりしていて本の持ち歩きにはとても良かった。
しかし10年くらい使い続けてへたってしまい、今はファスナーで閉じられる文庫カバー(Amazonで600円くらいで買った)を文庫ケースがわりに使っている。カバーとしては使わず、紙のカバーをつけた本を包む道具として優秀。
脳波を読み取って像を描き出すみたいな技術絶対そのうち出てくると思う
無理だと思うだろ?それが案外いけるねん
いや知らんけどな でも200年300年あればそのくらいのことは起きたっておかしくない 蓄音器からスマホになったんだし
そしたらスゲーと思うんだよな
パンピーが漫画家になれないのって絵を描く気力がないからじゃん 絵って難しいよな
頭にはカッコイイ画が浮かんでても、実際に線に起こしてみると迫力が全然ない歪んだショボい落書きしか出てこない それを繰り返すうちにへこたれてしまう
念写ができたら違うよ
そりゃ1発めから完璧にはいかないだろうけど、頭の中の像をそのまま出力できてしまえば、それを直していくのは容易だ ここの角度を変えよう、と思えば変わり、それが気に入らなかったらまた瞬間的に変えられる
時間あたりの作業量が圧倒的に増えるんで、誰でも飽きる前にそれなりのものが作り出せるようになる、と俺は思う
・構図などを考えだすセンス
センスさえありゃあ絵が生み出し放題ということになってくる
俺はその世の中が見たいんだよなああ
写真の普及によってさ、地球上で見られない場所はほとんどなくなってきてるじゃん
観光地のグーグルマップを見たら、見たくなるような場所はムチャクチャ撮られまくってあらゆる天気のあらゆる構図が参照できるようになってる
そして次はそれが精神世界に拡大されるんだよ
これまでは表に出ることがなかった、みんなが頭の中に抱えてる世界ってものが、念写技術を通してオープンにされるようになっていく
中学生がスケッチ大会で同じ風景を見て絵を描いたらかなり違う趣が出るじゃん 全員ヘタだから見るに耐えねえけども、それでも確実に各人のもつ何かが絵には出る
念写は全員の技術を爆発的に高めるんです そうすると、彩度・精度・明度をもってみんなの心の中にある風景が浮かび上がってくるんだ
嬉しすぎる 絶対に見たい
念写だよ念写
俺はメチャクチャ期待してるんだけど、無理かなあ
なんとかなりませんか?こう脳波を…脳波をなんとかしてさ…脳波を信じすぎなのかな
頼みますよ
念写ができる世界を作ってくれ
俺も念写したいし、他人の念写が見たすぎる
あなたの目にうつる都民はあなたの言うとおりかもしれないけれど、
自分は普段東京にずっといるから出身地在住の友達と話してても自分の生まれ故郷の話を自分からしないよ。コロナのこともあってずっと東京にいるから自分の出身地の地方がどうなってるかもわからん。だから地方の友達に自分の話をするときは東京の話ばかりになる。
東京、京都、大阪、沖縄、北海道みたいな、いかにも楽しそうな観光地に住んでいる人間は、どうしても変化が少ない田舎に住んでいる人からはうらやましがられる。楽しそうな観光地に住んでいる人を妬む人は自分の住む場所を退屈なところだって思ってずっと生活してる。妬むのがいやなら自分の環境を買えるしかない
こないだ久しぶりに東京の知り合いとビデオ通話したんだけど、どっかで聞いた「東京の人、東京以外にも人が住んでること忘れがち」って本当なんだなと思った。
こっちが伝え聞いた東京の話を振ると盛り上がるんだけど、向こうから東京以外の話題が出ることが一切なくて、悪気なしに本当に地方に興味ないんだな〜と。
当然、人がいることを額面通りに忘れるわけはないんだけど。
厳密にいうと、観光地接客業と第一次産業以外の地味な労働者が地方にもいるってこと、東京の自分らと同じような労働をちくちくやってる人らが地方にもいるってことは、マジで眼中にない人が多いんじゃないかと思った。
そう考えれば、東京のTV番組が地方を扱う時の、もてなしてくれる場所としか見てないようなあの感じも腑に落ちる。もてなす気のない地方をちゃんと映してくれるのなんてドキュメント72時間くらいですよ。
自分が話した東京の人たちは多分まだマシなほう(年数回地方に行く機会はある)で、中には地方出身者もいた。けど、ずっと東京に住んでるとだんだん外が見えにくくなってくもんなんだろうか。東京だけでも十分でかいしな。
今までの自分の勤め先は全部本社で東京は営業所しかなかったし、旅行でも地味な地方を回って各地の町中華に入るようなことばかりしてきたから、なおさら世間とのギャップを感じた。地方って興味持たれないのがふつうなんだな〜。
「テクテクテクテクがテクテクライフになって今日始まって、これ札幌でやってるの俺くらいなんじゃないかなと思ってるんだけど」
「はい」
「名所旧跡、いわゆるポケストップ、いやジムくらいの密度でチェックインができるんだよ」
「はい」
「これを10か所くらい制覇しようという実績があって、都道府県のメイン都市観光地巡りとか、スタッフおすすめラーメン屋(東京のみ)とか、東日本サウナ巡りとかあって」
「はい」
「ミッション達成するといわゆる課金石とプレイヤー称号がもらえるんだけど、めっちゃ手間かかる割に10円分(10ポイント)しかもらえないんだよ」
「はあ」
「見てよこれ、札幌中心部→平和の滝→旭山公園→羊ヶ丘展望台→滝野すずらん公園→サンピアザ→モエレ沼公園とか設定した人バカじゃないの」
「順番の設定はないし別に1日で回る必要はないと思うのですが、平和の滝と滝野が辛いですね…バスでも困る豊平峡方面がないだけまだ有情でしょうか…」
「ええと、実際にスマホ持って現地に行かないとチェックインはできないんですよね」
「人によっては住んでる街にスタンプラリーがない場合もあって、その場合は不公平感が出るんですよ。10円と称号だけなら、諦めや折り合いがつけやすいでしょう。
これが下手に高額だと格差になってしまって、極端な話ですが、たとえば羽幌町交差点五芒星巡り(適当に星形になるように選んだ)とか、江別市防風林コンプリートとか、北海道カントリーサイン2020とか、そういうので800ポイントもらえたらどうしますか」
「来週の休みに行くと思う」
「…そうですね、例が極端過ぎました」
カネにならないからじゃね?
キモオタは搾取できるじゃん。既存の商品に萌え絵をペター、寂れた観光地に萌え絵をペター、地味なサービスに萌え絵をペター。
これだけでキモオタはじゃんじゃんカネを出してくれるわけよ。あいつら萌え絵が貼ってあればミカンだって箱で買うし、献血だってバンバンするし、あんこう鍋食いに日本横断するし。
じゃあ、フェミはなにしてくれんの?
これは規制、これは傷つく人がいる、これは既得権益を助長する。文句ばっか言って、一銭も落とさないよね。
真面目に対応したところで「炎上しない」だけであって、「売り上げが上がる」わけじゃない。
言ったら、レジで1円1円小銭を数えて出してるジジババと同じ存在。
キャッシュレス対応しろよ。セルフレジ使えよ。お前が財布から1円1円出して数えて、結局足りなくて札を出し直す時間で、優に3人は会計できるっつーの。
なあ、フェミよ。
文句ばっか言ってないで、身銭切れよ。