はてなキーワード: 番長とは
オタクやめたい。推しのこと嫌いになりたい。好きをやめたい。疲れる。追いかけたくない。忘れたい。
二次オタです。不祥事は起こさないし、スキャンダルもないし、死なない。ビジュも中身もエピソードも全て最高の推しです。信頼できる。
オタクとして目覚めて1番長い期間推してて、青春はこの推しに捧げた。思い出もたくさんあるし、これ以上の最高の人がいる訳ない。この推し以上の熱と愛を他の誰かに向けられる気がしない。
しかし、コンテンツが次々拡大していって、自分も年をとるにつれて、もう金銭的にも時間的にも追いかけられなくなりつつある。推しを追いかけていると人間として終わりそう。身体的にも金銭的にも精神的にも疲れる。
つまり推しではなく自分の問題でオタ活できない状態。最悪!自分の生活と推しの二択を選びきれないゴミ人間…
心としては!推しを追いかけたい……。推しを追いかけていないと心が枯れる。虚無になる。推しがくれる快楽を知って、それに依存してしまっている。中毒。
自分に無理のない距離感で推しを追いかけるとなると、なんか嫌なんだよ!中途半端というか!物足りなさが。これはわがまますぎ。
それであれこれ考えていると、なんかもうダメになる。他のオタクと自分を比べてしまったり、本当に自分は推しが好きなのか分からなくなったり、イベントに行けない事実に夜な夜な大号泣したり、推しのグッズ突然全部燃えるゴミに出したり、推しのあれこれ読んで大はしゃぎしたり、他のオタクのアカウント覗いて鬱になったり、なんなの〜〜〜〜〜?!?!?!もう!!!!!!!!!!
地元アピタ。もう全く流行ってないアピタがあった。何故か立地が田んぼの真ん中で、隣にホムセンはあるものの、他に施設もない。
閑古鳥どころではなく過疎ってた。
テナントもどんどん逃げて「フリースペース」やら、不自然にベンチが置かれた謎の空間ができてた。
食品も微妙に高いし、土日に行っても人がいない。いても地元の老人というあまりうまみの無い客層。
それでもその地域にある唯一まともなスーパーであった。そのため、アピタが不採算店舗を撤収するという噂が流れると、町長と産業立地課長が雁首そろえてユニーの本部に出かけては、支援を約束するからどうか店を閉めないでくれ、と陳情にいっていたと言う話も噂で流れていた。なんか土地は一度町が借り上げて、いろいろと理屈をつけて格安で貸し付けているとかなんとか。なので地元では良く潰れないなーと話題になっていた。
それが変わったのが、去年の今頃である。
突然、その過疎アピタが「県内初のMEGAドンキホーテUNIに業態変更する」という話が降ってわいたのである!
今まで支援してきた町長以下町の職員はプチパニック。なにしろMEGAドンキどころか地元にはドンキホーテなるものは存在しない。いわば幻のような存在。
町の職員らはどんな風になるのか県外のMEGAドンキホーテUNIに視察に出かけるとか、なんかよくわからない行動を取った模様。
特に反対する理由は無いどころか、すごくいい話。よそでは業態変更で反対運動があるところもあるようなのだが、何しろ周りに家が無いような場所。
なんでこんな田舎の店舗がMEGAドンキへの業態変更の対象になるのかわからない始末で、ありがたいけど大丈夫ですかユニーさん、と言うノリであった。
アピタの食品売り場の責任者(副店長)、仮にMさんとしよう。Mさんは、人当たりのよいおいちゃんで、農産物直売コーナーを、一番お客さんが来る場所にどどーんと設置してくれるような、すごい人のよい方である。でもたぶんこんな不採算の店舗の責任者だとすると、あんまりこう、やり手では無いんだろうなー的な人である。
話を聞いたときに、俺はMさんに電話して聞いたところ、Mさんも詳しいことは聞いてないけど、半年ぐらい休業して店舗改装することになりそうだ、と聞いて、驚いたもんである。
そして、ついに改装が始まる。一部専門店はそのままだが、店舗内部は大規模な改修が行われた。
店舗内はお祭りでもやっているのかという大騒ぎで、人だらけ。ドンキホーテは品物を山に積むはずなのに売れすぎて無くなってドンキっぽく無い情況すら膿まれる。
待機列であふれるマクドナルド、フードコート、金が足りなくなり停止する農協のATM、今までこんなに人が入ったことがないので大混乱を引き起こす地元テナント服飾店にめがね屋。
呆然と立ち尽くすじいさんばあさんに、ドンキのペンギンの前で記念写真を撮り始めるおにいちゃん、地元のじじばばの足である軽トラ軽小型車の代わりに駐車場を埋め尽くファミリーカー。どう見ても地元の小学校よりも多い数の子ども達。
周辺の道どころか、そこに至る片側二車線の道に大渋滞が発生。しかし、どうやらドンキホーテ自身もそんなに客が来ると思っていなかったらしく、警備員の人数が足らなず周辺の道は大混乱。
そんな中で、俺が最も衝撃をうけたもの、それは…
実は、それを見たのは開店前である。産直組合に入っている俺は、できるだけたくさん出してくれというMさんからのメールに、たくさんの野菜を持って行ったのだ。
応援の見慣れない店員などもたくさんいて、すごい活気にみちていて、こりゃすごいことになった、と中を見ていたところ、そこにあったのである。
Mさんの、巨大なポップが。天井からぶら下がっていたのである。ドヤ顔でサムズアップし、「驚安番長M」とかかれた巨大ポップが。
衝撃だった。なんだこれは。
どうしてこんなことに。
思わずスマホで撮影してSNSに流したのは言う間でもない。彼のあだ名がその瞬間から番長になったが、俺は悪くないと思う。
現在、MEGAドンキユニーができてから半年がたった。売れるのは正直最初だけだと思ったが、週末になると駐車場がいっぱいになるほどお客が入るようになって、安定しているように見える。と言うか、むしろ駐車場が足りてない。
客層は明らかに違っている。前はじじばばばかりだったが、ファミリー層がすごい来ている。子ども連れがかなり多い。(なので、従来からいるテナントはちょっと浮いてる)
また、戦略も、地元愛を押し出すことでなじもうとしてる感じがある。例えば各コーナーには地元の名前をつけている。たとえば、増田町なら「あなたの待ちの電気屋さん、マス電コーナー」みたいなノリ。
それから、地域産品にやたらと目立つポップをつけている。地元で流通している名物の品物があるのだが、そこにでっかい「やっぱり地元がいちばん!」と言うポップをつけて目立つようにしている。
それから地元で好まれる食材がアピタ時代より増えている。アピタ時代はどうも画一的な品揃えの所に、一部地場産品という感じだったのだけれど、ドンキホーテになってから地元にカスタマイズしてくるとは正直思わなかった。
これらは、できるだけ早く地元になじもうという戦略だと思われる。
正直、潰れかけの店舗をここまでやるとは思わなかった。駅前型のドンキホーテのイメージがあったが、郊外型店舗でもきちんとノウハウをもってやっている感じがする。
「競技用のアーチェリーや和弓は競技レベルの威力だから問題ない」ってアーチェリー協会の識者が警察にほざいてたけどさ
アメリカのアーチェリーハントでは鹿やイノシシ猟の最低張力が28インチで45ポンドなんだよね
和弓(85cm)で言えば約18kg、男子高校生や男子大学生の平均弓力でイノシシを狩れるデータがあるわけ
150ポンドのクロスボウですら10インチ(25.5cm)しかないから
和弓に直した場合は(85/25.5=3.333)だから20kgくらいになる(アーチェリーなら24kg(52ポンド)
どっちも普通に競技で使われてるレベルの威力だし、アーチェリーの一番長い距離なら50ポンド超えはザラ
引くのに時間がかかるっていうけど、和弓の型通りなら的前にたつの結構かかるけど
アーチェリーなんてぶっちゃけ18m先のドア大の大きさの的になら一日練習したら当てれるようになる程度
こんなのクロスボウとそう大して変わらない
所詮弓矢の一種なんだから弓矢とそう対して威力変わんないんだよね、中世末期の何百キロもある戦闘用クロスボウを基準で考えてるからおかしいだけで
個人的に思うのは、そんなくっだらねー規制に警察動かして余計な税金使うくらいなら
もっと別のところに金使えよって話
家庭不満とセックスレスのストレスが大爆発し、アプリ使ってばかみたいに外でセックスしてる時期があった。
メッセージ交換して、話の通じそうな既婚者十数人と会った中、登山の帰りに汗まみれで現れるなど、ちょっとこれは……という人を除いた数人とセフレになった。
慣れてくるとナマでやりたがる男性、最初からナマでやりたがる男性、「唾液交換、する?」と持ち掛けてくる男性、性器の形が水風船のような男性、カカオでおじさん構文日記を送り付けまくってくる男性などなど、やっぱ一筋縄ではいかんな…と思わされることもよくあったが、まあなんとかやっていた。
(でも日記の送り付けはしんどかった。セフレにはセックスしか求めてないので、相手の日常とかどうでもよすぎて返す言葉がない。毎日スタバのなんかの写真を送ってこられても、コーヒーだなあとしか思わない)
そんな中、メッセージ交換ではまったく話がかみ合わず、恐ろしいほどピンとこなかったのに、成り行きで会うことになった人がいて、結局この人と一番長く続いている。
会ってみても話はそんなにかみ合わないし、いまだに恐ろしいほどピンときてないのだが、それは単なる性格の不一致であって、この人はセフレとして非常に見どころのある人だと感じる。
何目線って感じで申し訳ないが、なんというか、ごく自然に慎重な人だ。
たまに公共の交通機関を使って移動するとき、ICカードは使わず切符を買う。
コロナ前まではジムに通っていたので、そこで使ってるシャンプーやボディソープを持参。
慣れてくるとぺらぺら自分のことをしゃべりたがる人が大多数を占める中、この人はそうではなかった。
どんな仕事をしてるのか、住んでるエリアも職場があるエリアもまったく話さないし、こちらにも聞いてこない。
お互い既婚である以上、普通はそんなもんだと思うが、意外なことに、複数回会ってもずっと隙がなく口が堅いのは彼一人くらいだった。
自分からは積極的にしゃべらなくても、ガードゆるゆるすぎて会う前から本名・職場までわかってしまったり、中にはホテルで社員証放りだしてくるからこちらが見てられなくて、見えないようにそっと裏返さざるを得ないような相手もいたが、そういう粗相も絶対に彼はしない。
セックスもいたってノーマルで、何よりナマでやりたがったことが一度もない。
最初はゴムしてても、何回か会うとナマに移行したがる人も珍しくないが(アプリにいるような女がなんかの病気もってる可能性とか考えて怖くならないんだろうか)、自ら積極的にゴムを着用する姿勢を今に至っても崩していない。
次はいつ、次はいつと際限がなくなり困らされた相手とはちがい、この人はコロナにあわせ去年の3月から8月までは会うのを自粛。12月からはまた自粛している。
話の合うセフレ、セックスがいいセフレならほかにいた。でも、行動に抑制が効いていて安全だなと感じるのはこの人だけだったので、コロナ中断をはさんで、結局切れずに続いているのはこの人だけになってしまった。(多分コロナが落ち着いたら再開するので、続いているものとする)
この恐ろしい時期に無理やり会おうと持ち掛けてこないところもすごく好ましい。私だって、常にセックスはしたいが、コロナもらってまではしたくない。
抑制が効いた人間にはそもそもセフレなんていわれればもっともだが、否、こんな風に、慎重で自分を律する力のある人だけが、いろんな危機を避けながら大禍なく外で遊ぶことができるんだろうなと思うし、自分もそうありたいと思う。
前に一度間違って、夫のことを不倫相手(このセフレではない)の名前で呼びそうになったことがある。すんでのところでこらえた。
どんだけセックスが盛り上がってたとしても、私のことを名前で呼ばないセフレは、家庭でそういう間違いを犯すことも絶対にないのだろう。そもそも教えてる名前もお互い仮名ではあり、セックスの時に呼んだって微妙ではあり。
いやいや、自己満足でやっていける世の中なら誰も苦労せんわ。たとえ自信を持ってても結果が出てなおかつ他人に、社会に認められなかったら無意味なんですよ。自信満々で結果が出せない人は「口だけ番長」「無能な働き者」と揶揄され社会的に殺されるしかないんです。
> でもあなたの勘違いは、「他人から努力や成果を認めてもらえなければ必ず自信を無くす」と思っていることだ。
これは私の勘違いというより四半世紀弱生きててたどり着いた結論です。このケースは全人類に当てはまらないのは重々承知です。ですが私は認められなかったから自信を無くしたんです。バイトでいつまで経っても成果に基づくランクが最下位のままだったことはどのバイト先でも変わりませんでした。これは勘違いではなく事実です。
動物園という表現が差別という話は動物園にいる動物たちへの差別的見方が前提にあると思うんだけど、人間の宿痾だよね。
まぁ、そんな話は置いておいて、東京では中学受験がお盛んなようで、すごいなぁと思う傍ら、大阪の衛星都市で中学時代を送った人間が、中学校ってどんなところだったか書く。
教師をしていた義理の伯母から後々聞くには、当時、自分の通っていた中学は「新任向けのぬるま湯」と言われていたそうで、1学区跨いだらさらにビーバップジュニアハイスクールだったそうだ。
【あったこと】
・授業妨害
・授業中構内にバイクに乗った不良が乗り込んでくる
・隠れタバコ
・恐喝
・盗難
【なかったこと】
・レイプ
・刃傷沙汰
200人中で
孤高の女番長 1人
ちょいわる 20〜30人
みたいな感じで、
今だとコンプライアンス上で許されなさそうな体育教師2人で抑え込んでた感じ。
教え方の下手くそな先生は授業をコントロールするのに精一杯で、特に英語の先生がダメだった。
理科の先生は比較的コントロールが上手くて、これは実験とかそんな実地要素があったからだろうな。
自分はいわゆるメガネくんポジだったけど、運動もそこそこできたり、学級委員やらされたりしてた上、孤高の女番長とは幼稚園からのご近所さんなのでターゲットにされるリスクは低かったので、中2くらいで不良の影響が強まってきた頃から自分を中心にマジメくんやオタク勢をグループ化して、スイミーみたいな防衛体制を敷いていった。
これがなかった下の学年はやむなく私学の中学に編入で転校したりとか、なかなかひどいことになったみたいだ。
卒業後は自分は勉強ができたので難関と言われる私学に行ったんだけど、そこで僕が学んだことは「有名校だから素晴らしい教師がいるわけではない」「男子校はクソ」ってことだけど、それはまた別のお話。
今となっては懐かしい思い出だけど、中学も一つの社会でそこに対する恨みつらみは人間である以上仕方がないだろう。