はてなキーワード: 模擬試験とは
50万ぐらいするねんけど、給付金?っていうのがあって、
それでも最初は50万払わなあかんし、途中で諦めたら給付金ももらわれへん。
大変な額や。
でもな、ちゃんと一括で払っても生活困窮せん程度には貯金もしてるから大丈夫。
まぁ、ずっと言うてる引越しとかはしばらくお預けやけどな。
でも、この資格は多分、今のうちのキャリアにプラスしたら絶対にいい方向にいくはずやから頑張るわ。
模擬試験とか見てたら、今の知識でも答えられるようなのが半分くらいあったし、
なんか実技試験もあるみたいやけど、ぶっちゃけうち、対人スキルめっちゃあるから、
国家資格やで。
種類は別やけど、妹が大学4年間で学んで一生懸命とった国家資格と同じやつや。
今はこういうの、大学行かんでもとれるねんな。
ええ時代や。
自分で稼いだお金で、自分の意思で、必要なタイミングで、欲しいからこの資格をとるために頑張る。
絶対にとれる。大丈夫。すごいやろ。かしこいやろ。えらいやろ。
だからな、もうあんたらええ加減、「お姉ちゃんを大学に行かせてあげられなかった」と思うのやめなさい。
そやのに、妹が高校のと気におじいちゃんが死んで遺産ががっぽりや。
そのお金で妹は浪人して、大学行って、国家資格とって、確かにうちよりかけてるお金はずいぶん多い。
そりゃもちろん最初は妬ましかったよ。当時まだ20代前半でしたからね。
でもな、うちはずっと、ちゃんと感謝してるねん。
あんだけお金ない中で、2年ならっていう風に言うてくれたから、
確かに安めのところ選んだけど、奨学金も払ってへんやんか。これはすごいことやねんで。
それに、その専門学校に行きたいって言ったんは、限られた選択肢の中からやったかもしれへんけど「うちの意思」や。
介護福祉士とか保育士とかやなくて、カメラマンとかデザイナーとか安定性の低い系の学科やったけど、
反対もせんと、学資保険とおかんの隠れ貯金使っていかしてくれたやんか。
明らかに専門学校の経験がきっかけで今の仕事を選ぶことができたし、
今、月収27万ももらえてる。おとんやおかんが稼いだことない金額やろ。
自慢の娘やろ???ん??
「東京で働くならちゃんと大学行かせてあげればよかった」とおとんが言うようになった。
おかんもそう思ってるみたいやし、妹も、「おねえちゃんかわいそう」と思ってるみたい。
いや、やめい。
確かに、今周りにおる人たちはみんな学歴コンプレックスとは無縁や。
でも、別にそれで「あなた専門学校卒業でしょ」みたいな嫌味言われたこともないし、普通にやっとる。
確かに、学びの基盤の差を感じるときもあるけど、「こんなもんかい」ってやつもおるからなぁ。
あとな、
うちはとにかく正社員になりたいって理由だけで大好きな地元を離れたから、長期休みは欠かさず地元に帰るで。
ほんまのこといえば、今でも仕事とか安定とかそんなん考えやんと地元に戻って、家族の近所で暮らしたい。
でもな、「お金使ってあげられへんかったから」とかいって何回かに一回、交通費を渡してくるの、やめい。
親孝行したくて外食のお金を出そうとしても、「ええから」って逆におごってくれるのも、やめい。
たまには払わせてや。うちこの中で給料いちばんもらってんねんぞ。
ほんでそのお金で生活してな、好きな服買って、外食して、遊んで、貯めてな、
国家資格とろうってなるまできたんや。
今はな、大学なんか行かんでも、こういうスキルはみにつくねん。
でも、行かんでも、こうやって10年くらいたって目指せたりするんや。
十分やで。
ていうかな、
正直、20歳まで育てるまでに十分お金つかってくれてるし、専門でもお金出してくれてるからなあんたら。
あんたらももう、「お姉ちゃんにお金を使ってあげられへんかった」なんて思わんと、
私がお金出す、言うたらたまにはそれも娘孝行やと思って受け取ってや。
(そして年々その可能性は高まっていくばかりやけど)
そやからそれぐらいさせてくれ。
おかんが、自分のいろいろを犠牲にして育ててくれたん、ちゃんとわかってる。
おとんは、ちょっと今さら思うなら早くどうにかしてよって思うけど、
それでも今そんな風に後悔してくれたら、もう十分や。
やから、「ごめんね」なんて、もうやめてや。
苦労ばっかりで悲しい顔してた分、そういう顔はもう見飽きたから、
楽しそうにしてるあんたらの顔がみたいんや。
次帰ったら、もう「ごめん」なんて顔やめてや。
なんかええもんでもご馳走させてくださいね。
ADHD診断済の者です。
ここ最近、借金玉氏のブログ(http://syakkin-dama.hatenablog.com/)が立ち上がったり、そこでの記事が話題を呼ぶのを見て、にわかにはてな界隈でも発達障害に関する話題が盛り上がっているのかなと思っていた所、
http://anond.hatelabo.jp/20170206102543
↑こちらの中学受験の話と、それに付いていたブクマコメントが、あまりにも「そうッ!」という思いだったため、少し乗り遅れた感ありますが思わずキーを叩いてしまっています。
そのコメントとは、id:Outfielder 氏の
知能に遅れのない高機能発達障児は、中学で内申が出ないから高校受験で詰んでしまい人生終了がほぼ確定してしまうから少々無理してでも中学受験すべき、という体験談は聞いたことある
というもので、まさに自分がそれだった、その通りや…と瞠目してしまいました。
自分がそれ、と言っても結局中学は公立に進んだのですが、幸いなことに人生終了は(おそらく)しておらず、今は自分にとっては環境面・経済面でも充分有難い場所で働かせてもらっています。
でもそれはたまたま、運が良かっただけという気がしていて、振り返るとこれまでの人生の中で、ADHDのせいとは一概には言えないけれど、幾つかの「挫折ポイント」があったので、もしこれからの進路にお悩みの発達障害傾向のあるお子さんを持つ方などが居たら、参考になればと思いつつ振り返ってみます。
(多分あんまり参考にはならないですし、それよりも自分が整理して書き出してみたいというADHD的衝動によるものが本心です)
子供の時から、自分は周りとは違う人間だ、という自覚は多少なりともありましたが、それは割とポジティブに捉えていました。運動は苦手だけど、勉強はわりといいところ、そして休み時間や家ではマンガを書くこと、それを披露することでクラスで固有のポジションを得ていた覚えがあります。
(絵師の皆さんなどもどこかで記憶のあるような体験なのではないでしょうか)
問題のポイントが、中学受験。親の方針もあり、自分もなんとなく説得され特に断る理由もなかったので(通学が遠くなるのはめんどくさいなあくらい)小4くらいから中学受験に向けた塾通いをするようになります。
しかし、それがだんだんキツくなり、小6のいつ頃だったか、日曜も朝から夕方まで模擬試験、しかも提携してる友達も居ない知らない塾まで通っての体制になり、多分その環境に自分のストレス耐性がピークに達してしまった気がします。
と同時に、なぜ今の小学校の友達と離れてまで、遠い中学に通わなきゃいけないのか、さっぱり意味がわからないと涙ながらの突然の抵抗。自分が覚えている限りの自我の芽生えその1です。
結局、これ以上は無理と親も理解したらしく、中学受験は断念、塾も同じ塾内の進学コースから普通コースに移動しました。この時の迎えてくれた友達の安心感たるや今でも思い出します。
この公立中学が地域圏内では割と悪評の高い、まあいわゆる「荒れてる」と言われるような学校だったようなのですが、幸いなことに僕が入学する直前辺りから目立って悪い行いは無くなっていったようで、中学の3年間は気の合う(ヲタクな)友達も狭い付き合いながらも出来、全体的には、例えばいじめに遭うなどという特段嫌な思い出もなく平和に過ごせました…
が、
心境的には、中学2年辺りから周囲との違和感を強く感じ始めていました。
まぁこれは、誰にでもある思春期の訪れだとも思うのですが、良くないことに同時期に、インターネットに桃源郷を見出してしまいました。
テレホタイムは親のPCでこそこそチャットや掲示板に入り浸り…(なんとなくこれで年齢が分かりますね)
今思えば、このあたりもADHDの衝動性、過集中にフィットしてしまい、その後にやってくる虚脱によって学校を休むことが増え、やがて内申はどんどん悪くなっていきました。。
はい。ここで2度めのポイント、そして最大の「人生終了」感を味わいました。
中学での内申に引っ張られ、「お前はここにしか行けない」という公立校にヒィヒィ言いながら入りました。(試験の点数だけで言えば中の上レベルの人たちと張ってたのに…と今でも悔やむことがありますが、まあしょうがない)
なんで辞めたのか。今でも正直言ってこれといった理由が言葉に出来ないのですが、幾人かの「いやなタイプ」の人の顔、そして、排外的な雰囲気、それに合わせることの絶対できない自分の中の何か。
気づいたら高校に行けなくなっていました。僕みたいな人間は、居心地が良くないとマジで死ぬんだなあ、ということが身に沁みてわかりました。
多分この時ほど親は、上記のコメントと同じことを思ったことは他にないでしょう「少々無理してでも中学受験すべきだった・・・」
その後、半年ほど引きこもりをしてから、今度は底辺私立校に一年から入り直すことになります。
ぶっちゃけ誰でも入れるような所で、周りを見渡せば一目瞭然の発達障害、ヤンキー、そしてほぼ知的障害とも言えそうな人まで、ワケアリな人種ばかりが揃った愉快な空間でした。
それでも、そんな所に高いお金を払って再チャレンジさせてくれた親には大変感謝しているし、また学校行けなくなるのではという恐怖も乗り越え再びやり直すことを決めた当時の自分も、割とがんばってたと思います。(引きこもってた時分は外に出るだけで怖かったです)
そしてこの私立校が、思いのほか自分には合い、割と気ままに過ごすことが出来、大人になった今でもLINEでくだらないことを言い合うような親友も出来ました。
特にその学校ではPCを使った授業に力を入れていて、もともとネットにハマってたくらいなのでPCに触ることは自然だったのですが、その中で自分の特性に合ったジャンルを先生が見出してくれて、「大学受験してみないか?」という運びになります。
その高校での先生たちの手厚いサポートのおかげで、(あの悪評高い)AO入試制度を使い大学への入学を果たします。
2ちゃん等ではFランと呼ばれるランクでしょうが、世間的にはそこそこ名だけは知られているところでした。
そして自分の学生時代を見返してみても、この大学時代が一番輝いていたように思います。
興味のある授業内容、自由な雰囲気のキャンパス、そしてどことなく普通じゃない人達の集まる文化系サークルに出会い、居場所と夢中になれることの両方が目の前に広がり、自分の人生が本格的に始まった感じがしました。
色々あったけど、特にここで語るべきことはこれ以上ありません。
就活は例に漏れず苦痛でしたが、それでも思ったよりあっけなく、自分に合いそうな所に内定を得ることが出来ました。
そして、光に満ちた4年間が終わり、ここから暗く長い旅の始まりです・・・。
といっても、第3のポイントは1年目序盤にあっさりと訪れます。会社に数日行けなくなりました。
体が動きません。会社のメールも見れません。連絡したくありません。何もかもから逃げ出すことしか考えられなくなりました。
それでもなんとか数日休んで、這うような思いで出社し、耐え、またしばらくすると行けなくなる、を繰り返しました。
メンタルクリニックにも行き、「抑うつ状態」の診断書を突きつけたりもしつつ、それでも時には自分に合った業務に携われる期間もあり、何より会社の人が良い人だったので、なんとか辞めたり休職したりはせずに、自分の心と身体を騙し騙し、一つの仕事に人より何倍も時間を浪費しながらも、続けられていました。
ADHD的に特に難しかったのは、やはり外部とのコミュニケーション、スケジュール管理、企画書作成といったところでしょうか。
これらを、自分を無理に奮い立たせながら乗り切っていたため、やがてそういった業務をすればするほど、図太くなるどころか気づいた時にはストレス耐性が全く無くなり、再びしょっちゅう休むようになりました。
それがここ1年ほどのことです。
再びクリニック通いを再開し、軽うつに対応するような薬を飲みつつも、相変わらず同様の環境で仕事を続けており、このままじゃどんどんダメになるのではという漠然とした不安と焦りが募っていました。
そして約半年前、同じクリニック内で医師が代わり、その医師の診断方針もあり状況を見直した所、「ADHD」という判断を受けました。
それまでもネットで色々情報は見ていたため、あ~やっぱり、という感じでした。
その後、自分はADHDであり、こういう業務はどうしても脳の形状的に難しいのだと諦めがつくようになり、まずは環境を変えなければどうしようもないと思い、同じ社内ではありますが異動を相談したところ、あっさり通り、そして始めのほうに記したような、落ち着きつつある現在の状況があります。
中学受験・高校・社会人と何度も「周囲との違和感」「やってみてはダメになる」「周りと同じような適応は出来ない」を繰り返してしまっていたのですが、それでも、親や教師の理解やサポート、たまたま巡り会えた環境に恵まれ、なんとか人生終了せずに、今は地道に日々の幸福度を回復させていけるようになりました。
中学受験に成功していれば全てが上手くいった、とは思わず、結局はどこかで周囲とのギャップ、そして挫折を経験していたと思いますが、それでももっと早くADHDという認識を与えられ、それに対応した生活の見直しや進路を定められていたら、もうちょっと楽に歩むことが出来たんじゃないかなと思います。
一歩間違えれば人生終了待ったなしだった気がするので、それを回避するためにも、もし自分が、そして自分の子供がちょっとあやしいなと思ったら、診断を受けてみたり歩み方を普通の人とは変える、認識を良くも悪くも諦めるようなタイミングが、必要なんじゃないかなと思うのでした。
汁どこ行ったん。作り方通りにやったのに。すごく持ったりしてて味が濃ゆい。卵とコショウぶっかけたら美味しい。
伸びる心配もあんまりなさそうだし、ポケモン映画見ながら書いてみる。
~本免までの道のり~
①教習所に通う
└大事。
②学科は真面目に受ける
└ビデオ視聴中も真面目に寝ないで受ける。
└重要と言われた所はちゃんとマーカーをひく。
└教官が出した問題は間違えてもいいから全力で答える。何て答えたか、どうして間違えてたのかを頭に叩き込む。
└運転してみると、教本の内容が嘘みたいに染み込む。ここを押さえとけば家で復習とかしないで済むよ。
④疑問に思った事は教官に聞く
└何でもいいから聞いてみる。好きな音楽の話とかでもいいと思う。
└意外と見ていそうで見ていない自分以外の運転。見てると面白いし勉強になる。
~本免前日~
└一生懸命やる。
⑦間違えた箇所は解説ごと書いて覚える
└「これは〇or×なんだ」だけじゃなくて、問題集の回答に書いてある解説を覚える。解説がなかったら、教本の問題に当て嵌まる箇所を探し出して書き出す。
⑧寝る
└寝よう。
⑨復習する
└朝に間違えてた部分だけ復習してみる。
⑩合格する
└100点満点中90点で合格です。
└全部で95問を50分で解きます。
└文章問題90問(配点各1点)、イラスト問題5問(配点各2点)
└イラスト問題を全問正解すれば、文章問題で10問間違えてもテスト的にはセーフです。逆に言えば、イラスト問題を落とすと予想以上に辛い。
以上です。
この問題集を解けば合格間違いなし!というのもあるんでしょうけど、僕は教習所で出された問題集さえやっとけば合格出来ると思います。
あと、あなたが思っている以上に本免の学科試験は簡単です。基礎中の基礎しかありません。模擬試験の方が難しくて拍子抜けしました。何問か間違えてますが。
当たり前の事を当たり前にやれば合格出来るというか、受験勉強とかテスト勉強とか、今までにやってきたような勉強方法でやればいいんじゃないかと。
僕自身は本当に勉強嫌いで、上記の通りにテスト・本免前日しか勉強してません。1時間やったら2時間休憩してました。んで、一回も合格点に届かなかったんで逆に吹っ切れてました。「落ちちゃってもいいさ」みたいな。
「付け焼刃な知識で路上に出て大丈夫なのか」と声が聞こえてきそうですが、大丈夫じゃないですかね。何てったって数か月車の練習・勉強をしてきたんですから。
本免試験頑張ってください。
某官僚作家の人が「偏差値50以下の大学は廃止しろ」とツイッターで主張し、それに対して、「偏差値50は平均値だから、毎年半分ずつ大学が減っていく」とのツッコミが行われていますが、このツッコミは間違っています。どういうことか以下、説明します。
いわゆる「大学の偏差値」とは大学そのものの能力を示した数値ではありません。模擬試験を受けた受験生に偏差値を割り当て、各大学の合格ラインを推定したものです。母集団は大学ではなく、受験生になります。
2思考実験
受験生が100万人いるとしましょう。一方、全国の大学の総定員が40万人だとします。受験生全員が受ける模試があって、偏差値50の人(平均点を取った人)の順位は50万位です。一方、大学には上位40万人しか入れないのですから、「偏差値50」の人はどこの大学にも合格できません。この時、すべての大学の偏差値(合格ライン)は50よりも高くなります。
3実際にやってみると、
「偏差値50以下の大学を廃止」を実行した場合、初年度は大学が大きく減るでしょう。しかし、次年度以降、大学進学希望の受験生が減らなければ、大学の数はそのままです。偏差値50以上ない受験生はどこの大学にも合格しない状況になります。
実際は、この政策を取ると、成績下位の人たちが進学をあきらめるので、受験生の母集団の学力は高くなります。偏差値50(平均点)の学力も徐々に上がっていって、少しずつ廃校になる学校は毎年あるでしょう。しかし、「毎年、半分ずつ、大学が減っていく」ということは起きません。
好きな人がいる。脈もない。なのに好きなのやめられない。ばかみたい。
必死に考えた文面送って、返信がこないと既読になってるかさえ怖くて見れない。返ってきた返事がそっけないと、瞬間怒りがわく。
「なにこの適当な返事!」
そしてすぐに、相手も楽しく返信してくれる、なんて自分勝手な思い込みだと気づく。
「こんなに私は好きなのに!なんなの!?失礼なやつ!」
側からみて「ばかだなー」と思ってた友達の反応と、同じことをしてる自分に気がついて心で苦笑いする。辛いなー。はやく終わらせたい。
結局、自分が勝手に相手のこと好きなのに、それをすぐに忘れちゃう。相手を優先しなきゃいけないのに、なぜか自分の欲望ばかりで動いてしまうからすごく気をつけて気をつけて行動するけれど、気づいたらまた自分の欲を優先してる。
あーあー、脈ないってわかってるんだからはやく次行けばいいのに。なんなの。
多分、相手のこと好きな気持ちより、自分の恋を叶えたいという欲望の方が強いのかも。これはダメだ。
私が勝手に好きなだけ。それだけ。相手が喜ぶ顔が見れたらそれでいいのに。
どこかで相手のこと下にみてるのかな。「私がこんなにしてるのに、なんなの?!」って。最低。
必死に着飾って、見た目ばっか気にして、そうじゃなくて笑顔で楽しく会話したらいいじゃん。目、覚まさなきゃ。
自分の好きなこと、やらなきゃ行けないことちゃんとしなきゃ。恋煩いだからって言い訳は自分勝手すぎる。
適当な相手にならたくさんモテテク使えるのに。本当に好きな相手には使えないなんて...模擬試験でいい点ばっかとっても、本番で問題解けなきゃ意味ないでしょ。
現在の日本を変えるために、私立の学校、予備校は廃止されるべきである。学校はすべて公立にし、さらにどこで勉強するにしてもすべて学費は無料にされなければならない。
現在のあらゆる社会的格差はすべて教育格差に還元できる。教育格差は家庭の経済格差に還元できる。経済的に貧しい家庭の子供が十分な教育を受けられないことが社会格差の最大の原因である。これを打破するにはどうすればいいか。教育をすべての人に平等に与えられるものにする以外の道はない。
まず真っ先に撲滅しなければならないのは私立中学、私立高校である。程度の高い教育を金持ちだけに与える制度など、社会的格差を広げる原因でしかない。そのうえで、すべての学校のシステムを変革しなければならない。
現在の小・中・高校の教員のレベルの低さは問題である。なぜ教員のレベルが低いのか。それは教員が魅力的な仕事ではないからだ。なぜ魅力的な仕事ではないのか。教員が授業以外のさまざまな仕事をしなければならないうえ、給与も良くないからだ。つまり、教員が授業だけを担当し給与も改善されれば、学校教員のレベルも上がるだろう。それは日本の学生の学力向上に直結する。
思うに、学校教員は研究者でなければならない。教育者である前に研究者でなければならないのだ。私は小中高の教員全員に博士号の取得を義務付けるべきだと強く主張する。そして、小学校から科目ごとに専門の教員を設置し、本質的な授業を行うべきだ。現在の小学校の教員のレベルを知っているか。分数の割り算をなぜひっくり返すのかも理解していないのだ。中学の国語の教員は古文を原文で読むこともできない。こういう教員が蔓延っていて、日本の教育レベルが上がるはずがない。教員は数年に一度教員免許の更新試験を受けることを義務付けるべきだ。小中高の教員が担当科目の大学院入試レベルの試験を受けるようにするべきなのである。
さらに、学校は現在予備校が担っているような仕事もするべきである。つまり、放課後の学習をある場合は希望者に、ある場合は全員に受けさせるのだ。定期的に模擬試験も実施し、小学生のころから周囲と切磋琢磨する習慣を付けさせるべきである。
ひとつの学年は学力ごとにクラス分けされるべきだ。最も優秀な生徒のみが集まったクラスのなかでさらに優秀な生徒を選抜して集めた学校を市にひとつ設立し、優秀な生徒はそこに行くようにするべきである。これが現在の私立中学の役目を果たすだろう。
このようなことを国がすべて無償で国民に提供するべきなのである。しかし現状では予算が足りない。削るべきは何か。老人福祉に他ならない。
これからの日本を支えていくのは子供たち若い世代だ。老人たちは死にゆくだけの存在である。老人たちに出すお金など必要ない。年金がないと生活できない老人は、60を超えるまでにろくに貯金してこなかったのが悪いのであり、自業自得である。これからの若い世代がその尻ぬぐいをする必要はない。
前回の記事はまとめサイトに掲載されたりTwitterで拡散されたりしていた。
今回はその続き。
http://anond.hatelabo.jp/20111219120206
まとめサイトに掲載されたときにも元教員からコメントのあったとおり。
2年間でどのような像に仕上げようかという目標がない。
資格系の学校の場合、あるのは検定に合格させるという目標だけ。
だから、授業の半分以上は検定対策。
これで授業が面白いはずがない。
実務を縮小した課題をしているだけ。
作業はするけど、提出さえすれば単位は取得できる。
詳細は「芦田の毎日http://www.ashida.info/blog/cat34/」を参照。
言っていることは過激だし現場の苦労は知らないと思うけど、おおむね同意。
午後のプログラム言語は選択式だけど、半数以上の学校はCASLII(アセンブラ)で受験する。
なぜか。学生が長文を読めなくなっているから、ステップ数が少ない言語を選ぶ。
当然、就職には役立たない。
基本情報を取得しているからといって、プログラムができるとは限らない。
あとは、遊び程度にC言語をやるぐらい。
一部の人気学科(看護等)以外は、全入時代。一条校ではないから、補助金もでない。
一人あたり、年間で100万円。入試は面接だけ。学力試験はしない。
オープンキャンパスに○回以上参加でその面接すら無くしている学校も。
当然、学生当時の担任も在職している。元担任には頭があがらない。
古くからのやり方が変わるはずもない。
もちろん、ここに書かれていることが該当しない学校もたくさんある。
偉そうに合格体験記でも書いてみようかと思います。知り合いにもはや受験生はいないのですが、d:id:lonlon2007:20090317が目に付いたので。
ぶっちゃけると受験勉強は「想像していたとおり楽。」でした。受験勉強を始める前は受験生ってのは寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見は全く持ってなかったんですが、やっぱりそのとおりでした。むしろ10月までバイトしていたのがたたって出席日数が足りず授業のコマ数が増えたうえに出席日数を充たした他の生徒が次々と休み始めるために授業中に寝にくくなり、平均睡眠時間が減っていきました。(寝ないと動けないんですが・・・)
東大は天才じゃなくちゃ入れないっていうのは確実に嘘。「東大生」は学部生だけで約1万、ほぼ京大もほぼ同じ、わずか4〜5歳間に2万超もいる人たちを「天才」とは言わない。天才なら楽に入れるなら本当かも。
秀才が3年間こつこつ勉強して入れるっていうのは本当。「〜初めて入れる」は微妙。秀才でも凡人でも3年間もコツコツ勉強すれば入れるんではないでしょうか。本当に「コツコツ勉強」していれば。
「色んな人が色んなところにこうやれば受かる勉強法!みたいなのを書いていますが、個人個人で合った勉強法は違うので、色々な方法を試してみて、自分に合ったものをやるのが一番いい」というのは当然のことで、id:lonlon2007が長々書いてる中で唯一の真理。
id:lonlon2007を逐一もじるのは早くも飽きたので、というよりもそんなに長く書くこともないので簡潔に。
ちなみに残念ながら僕は、『苦手科目は世界史と日本史、得意科目は数学と化学と物理と地理』だったので「理1なら1ヶ月で受かるんだけどな、下手すりゃ今日にでも受かるかも」と思いながら勉強していました。
あと、基本的に家では喫煙を禁じられていたので、主にガストとジョナサンで勉強してました。当時(約10年前)のファミレスはせいぜいがホットコーヒーのみおかわり自由で、ジョナサンのアイスコーヒーおかわり自由とガストのドリンクバーには大変助けられました。あっ、嘘だ。一番勉強したのは学校。さっき書いた通り10月にバイトを止めてからは授業にかなり出るようになったので、授業科目を耳で聴き、別の科目の教科書を目で読み、2科目並行で勉強してました。あとはファミレスで数学や英語(主に英作文)の難問を広げ、頭の片隅でその回答を考えつつ苦手の世界史のテキストを読んでいました(たぶん後で書くけど教科書やノートよりも新書が多かった)。
風呂の中や通学電車の中で小説を読んでる時も、未だ解けていない難問や数日内で間違えた問題のことを完全忘却しているわけではないのですが、机の前以外では何か思いついても頭の中にメモるだけ。勉強しない時は勉強しないとメリハリをつけるようにしていました。ちなみに「机の前」には授業時間が含まれます。高校生は一日の半分近くを学校で机に向かっているわけだから、勉強時間は非常に長い。一部の(私立)進学校や特別選抜クラスのような環境でもなければ「授業のコマ数が減る」ことはないと思いう。嫌でも一日の半分近くが勉強時間。「寝てる時間と飯食ってる時間以外は全部勉強に当てて、たまに徹夜で勉強する!みたいな偏見」は授業時間を効率的に使えていない人が持つのではないかと思います(あとは生徒に自由時間を多く与える方針の学校の生徒)。そういう意味では「勉強効率」がポイントというのは同意できる。
うちの高校(某都立)では文化祭(とついでに体育祭)が一大行事としてありますが、殆どの人は夏季講習と文化祭の準備を両立させ文化祭が終わった9月頃から本格的な受験勉強を開始するようです。かく言う僕も文化祭が終わって(ちょっと学校側とイロイロあって)バイトを辞め、10月から受験に力を入れ始めました。今、気付いたんですがid:lonlon2007は「6月から」とのことなのでタイトルに偽りありで約半年、僕の方も10月からなのでタイトルに偽りありで約4ヶ月ですね。開始をもう1月遅らせておけば「四半期で受かった勉強法」とゴロ良くピッタリなタイトルにできたのに。
まず何をしていいか分からない!ということで過去問を解いてみました。いや、模擬試験を受けたかも。なにぶん10年前なので記憶が・・・。とりあえず法学部志望なのに受験敵性では明らかに理系向き。その分、周りが国公立を難しいという理由の一つである文系なのに理系科目(理系でも文系科目)、という関門はあっさり突破。選択授業も理系用の数学(と化学と物理)をとっていたので2次試験の数学もさほど難しいとは思いませんでした。
「まず」も何も、とにかく苦手の世界史だけやろう!ということでそれまでは小説に費やしていた読書時間を歴史系の新書に切り替えました。もともと古本屋めぐりは趣味だったので行動範囲の古本屋の50-100円コーナーで歴史系の文庫と新書を買い占め。2年半バイトしていたので他の高校生男子よりもお金を持ってはいました(うちの高校は縁遠かったけど世間では「ブルセラ」華やかなりし頃。女子高生は金を持ってた)。がそんなこととは関係なく、買い占めたと言ってもせいぜい100冊程度。私立や塾に通うことを考えれば微々たるものです。
いつどんな問題でも満点を取れる!と思わない科目を勉強する分には必ず点数の上昇につながるので、わざわざ『勉強のスケジュール』を組む必要はありません。数学は1日勉強しても1点分しか稼げないけど、英語は1日の勉強で2点稼げる、てなことが計算できるのなら『勉強のスケジュール』も有効かもしれません。しかし、そんな計算ができる人は自分の欠点が分析できているのだから、すぐに数学でも2点稼げるようになります。満点を取れない間は何をやっても点数に繋がるのだから『勉強のスケジュール』なんか不要。そもそも『勉強のスケジュール』を考えようと言う発想が今日の今日までありませんでした。夏休みの宿題@小学校で1日のスケジュールを考えろと言われた時以来の衝撃です。『勉強のスケジュール』は学校がバランス配分してくれた「時間割」で十分だと思います。
夏休みはバイトと文化祭だけだったので、休日の勉強について。休日はNHKで将棋を見てから昼食、最寄り駅周辺の古本屋を回ってからファミレスへ。(好きなのが将棋で幸い。これが囲碁だったら午後の大半がテレビでつぶれる。当時はネット中継がなかったのも幸便)本を1冊読んで(1〜2時間)から勉強。最低2時間はやろうと決めていて実際2時間くらいなら集中力は続きます。鉛筆ナメナメ英作文を推敲していると気付くと2時間なんてこともあって最低2時間の縛りは苦痛ではありませんでした。(学校じゃサボってると言ってもそれ以上やってるわけですし)
夏の「初の東大模試」は受けたような気がしてきました。模試の判定は最後までE判定だかF判定だったので「予備校の採点基準が間違ってる」と思ってました。私立であればともかく国公立の論述問題は大学教授を信用して、「間違ってはない」回答が書けていれば良しとしておきましょう。予備校の採点は予定された正解以外を大幅に減点する傾向があるように思います。英作文であれば日本語の1単語には4〜6音節の1単語の英語を対応させれば文句なしの正解で模試ではこれ以外は減点。実際にはそんな難しい単語を知らなくても中学校レベルの単語を組み合わせて意味が合っていれば大学教授は正解としてくれるようです(大学に入ったからといって採点基準を教えてもらえるわけじゃないけど、じゃなければ不合格だったはず)。
出席日数を充たした生徒が続々と授業に来なくなる。いやがおうにも授業中に寝れなくなる。友人も受験モードに突入で遊びの誘いも減る。悪循環?好循環?
センター対策は・・・必要なんでしょうか。東大・京大の2次試験を見据えていれば不要な気がします。敢えて言うなら文系の理科、理系の社会科でしょうか。僕の場合理科が得意科目だったので無視。
というわけでセンター試験対策としては過去問をやってみたくらいです。悪くても90点以上だったので、本番の集中力があれば大丈夫だろうとタカをくくる。それでも素材がたっぷりあるうえに冬休みは午前中の将棋(NHK)もない。勉強時間は比較的長かったように思います。午前に1〜2時間、昼飯を食って古本屋。別のファミレスで本を1〜2時間に勉強1〜2時間。僕の中では最初と最後の時間差だけとって「6時間もやった」と思っていました。
冬休みは学校に行かないので、毎日図書室で読んでたJapan Timesが読めなくなりました。かわりにテレビニュースを英語音声で聞くようにする。親と妹も「受験生」ということで不満は抑えてくれてたようです。
ちなみに過去問は時間を気にせずやっていました。調子が悪い時や面白い問題にであったときは1時間を超えることもあったと思います。過去問で高い点数を取ってもあまり意味がないので答えや力の確認ではなく、とにかく「どんな問題でも時間さえあれば解ける」という確信を持てるように。時間を気にしていないので早く解き終わった時も確認とかはしない。「できた!」と思った段階で答え合わせ、間違っていたら原因を考える。
とりあえずセンターの自己採点が大丈夫そうだったので、気が抜けました。本番でも緊張しないことが分かったのが収穫で相変わらず学校の授業に出る日々。得意で好きだった数学・理科はそろそろ休めます。教師との不仲が極限に達していた英語と国語は最後の最後まで授業です。
『東大の○○25ヶ年』シリーズって何?赤本と友人がやり終えた予備校のテキストと文庫と新書、あとは学校の教科書で勉強してました。友人から借りた予備校のテキストはザッと解いて印象に残った問題だけ書き写して返す。別にビンボーだったからじゃないですよ。公立・公立・都立ときて親にはあまり負担をかけてないし、大学も国立の予定だし、バイトもガッツリしてたし、参考書を買う程度で躊躇することはありません。『東大の○○25ヶ年』シリーズはたぶん僕の頃にはなかったんだと思います。
そんなこんなでさすがに学校も行かなくてすむようになり(都立とはいえ受験校なので他の生徒は来ないし、教師もそのつもりでいる)、時間ができたので予備校に潜り込むようになりました。友人は私立志望が多かったのと私立の方は全く自信がなかったので私立コースです。あと友人は理系にも多かったので理系の東大コースみたいのにもたまに行ってました。2ヶ月も真面目に勉強するとさすがに疲れ(飽き)たのか、この時期に大きく伸びた気はしません。予備校では、僕が無意識にやっていたことを言語化してもらった感が強く、それはそれで頭の整理ができました。有意義だったと思います。
ぶっちゃけ全科目やるって言っても、高校で一日授業を受けているようなものなのであんまり死ねませんでした。
得意で理系の授業をとっていたので苦労なし。解けない問題は絶対に回答を見ず、翌日へでも翌週へでも持ち越してひたすら考える。答え方を覚えるよりも、答えの見つけ方を思いつくことが重要だと思います。図形問題なら知ってる定理・公式を片っ端から引っ張り出してやみくもに補助線を引く。そんなことを繰り返してるうちに、問題を見ると求めている回答がわかるようになってきます。センター試験は余力で解けるので無視。
現代文は二三回本番形式で練習して、形式に慣れるくらいでいいと思います。現代文はみんな取れなくて差がつかないし、勉強すりゃ上がるっていうもんでもないので、比重は極めて低かった。漢字も常識の範囲内なので、よっぽど苦手な人でなければ悪くても1問間違えるくらいで済むでしょう。
加えて日頃読んでいた小説・随筆は役に立ったかな。乱読・雑読ですが古今東西ジャンルに捕らわれずに古本屋の投げ売りコーナーで目に留まった本を片っ端から読んでたので、過去問や模試でもたまに知っているテキストがありました。新刊でも買うような好きな作家は受験には向いていないようで、これも幸いでした。好きな作家のテキストが出ていたら「正解」ではなく「持論(自論)」を書いてしまうひねくれた者なので・・・
知っているから解ける、知らないと解けない、というわけではありませんが、抜粋されたテキストの前後や著者が分かることにデメリットはありません。「受験のため」としてはお勧めできませんが、今まで読書に費やした時間も「無駄ではない」程度の気休めに。
使った参考書・問題集:なし
暗記が苦手なので古文には多少手を焼きましたが、学校の授業で十分。むしろ暗記法があれば教えてもらいたいくらい。単語帳とかがいいんでしょうか。僕は単語帳を作るのが面倒だったので、とにかくテキストを繰り返し読んで単語の意味や用法を文脈から類推するように心がけました。おそらく全科目で一番教科書を使いました。和訳(現代語訳)では自然な日本語になるように心がけました。意味が分からないから曖昧に訳すのではなく、文理や言葉のかかりを強調する翻訳体をさらに自然な言葉に訳す感じです。英文和訳でも同じ。
センター試験対策。教科書と過去問で十分。感覚を忘れないように授業がなくても週に一度はやる。勉強期間が短いので過去問が枯渇する心配がない。
うちの高校では入学時点で日本史と地理の選択を迫られます。歴史の暗記(人名と年号)が大の苦手だったので深く考えずに地理を選びましたが、これが功奏。日本史と世界史、日本史と地理が無関係とは言いませんが、世界史(の特に近現代史)と地理は密接不可分。片方を勉強すればいやでも他方の学力もあがります。
比較的得意だった地理。これは教科書と一般教養(新聞と新書)で済ませました。とにかく視点を広くして、知らないことがあって当然、知らなければ考える。このとき世界史の知識や新聞・書籍で読んだ現代社会の知識が役立ちます。社会・政治は地理的条件や歴史的背景に帰結することが珍しくありませんから知らないことでも十分に推測がききます。
あとは地図を見ることかな。別に国名や地名を覚えようとする必要はなくて、国名や都市名とだいたいの位置が繋がればそれだけでたくさんの情報が得られます。内陸なのか平地なのか、頭の中で地形図や気候図とおおまかに重ねられればなお良し。世界でn番目に長い川の名前とかm番目に広い国土といったクイズ的な知識は不要。そこに川はあるのか、国土は山がちだが狭くはない、その程度で事足ります。
都市名と工業・農業・産業を単にセットで暗記するのではなく、そのような産業が育まれた地理的要因を考える。基本で当然のことのようですが、結局はこれにつきます。
歴史(世界史)。大の苦手。とにかく年号と人名が覚えられない。ルイとかシャルルまでは分かるけど何世かが覚えられない。清教徒革命とフランス革命の前後関係(因果関係)は分かるけどそれぞれの年号は知らない。(日本史なら足利某までは分かるけど某が分からない)それでも何とか解けるのが東大・京大の論述問題の良さ!
細かい年号はザックリと捨て拙い記憶力は人名とせいぜい事件の名称に費やす。あとは前後関係・因果関係を意識しながら歴史を概観する。
教科書や授業では国や地域で縦に切り、ついで年代で横に切って学習しますが、前後左右のつながりを考えて大きな年表を作ります(頭の中でも良いし、模造紙や今ならパソコンのソフトで実際に作ってもいいかも)。先の例で言えば清教徒革命はイギリスの歴史においてどのような影響を与えたのか、さらにヨーロッパ、アメリカのどのことがらにつながっていくのか、フランス革命はフランスの歴史、ヨーロッパ・アメリカの歴史にどのように・・・こうやって年表に→を書き始めるとすぐに→だらけで見るにたえなくなっていくと思います。そんな因果関係を大まかに覚えていく。このような大きな流れがつかめると東大の問題は急に簡単に見えてきます。
教科書と資料集を片手に短時間で問題を解けるようになれば、あとは覚えるだけ。
教科書・資料集をわたしてもキーワード(人名・年号・地名・事件)をピックアップすることしかできずそれらをつなげて論説できない人が東大・京大の論述式問題を難しいと言ってるように思います。僕の場合は逆で、キーワードが分からない(正確に覚えていない)もののキーワード部分を穴あきにした回答は組み立てられた(センター試験の問題文のような文章)。教科書・資料集があれば穴埋めは簡単。あとはキーワードを覚える。受験勉強のほぼ全てをこれに費やしたと言っても過言ではありません。
例題を解く時は分からない問題もいきなり回答を見るのではなく教科書などを見ながら一度回答を完成させてから回答を見る方がいいでしょう。「覚えさえすれば」という段階に至ることが重要。
もう1つ、大まかな流れを雑ぱくに理解するのに新書のような読み物が役立ちました。受験用ではないので縦横に細切れにされていませんが、その分全体的な流れが見えてきます。気分転換にもいいでしょう。
最後に暗記について。当時は思いもよらず、最近になって思いついたのですが、書いて覚えるのではなくしゃべって覚えるというのがいいような気がします。英単語や漢字は書いて覚えるのも効果的だと思いますが、(ルイ)14世、15世、16世と書き連ねたところであまり役立つとは思えません。関連する人名・年号・ことがらをセットで口に出すと覚えられそうな気がします。ぼくは学校とファミレスで勉強してたので、当時思いついたとしても実行できませんでしたが。ちなみにこれは法学の勉強を通して気付きました。自分でレジュメを作ったり授業を聞いていても条番号はなかなか覚えなかったのですが、ゼミなどで口に出す頻度が増えると自然と覚えていました。
英文和訳は慣れ。知らない単語は前後の文脈で予想。そのために役立ったのは英字新聞Japan Times(とテレビニュースの英語音声)でした。朝に日本語の新聞で読んだ内容が英語に書き直されてるようなものだから、知らない単語があってもドンドン読み進められる。これを2ヶ月も読めばいやでも単語力や読解力、類推力や速読力が身に付きます。
辞書をひくのはあとまわし。類推した単語はあとで必ず辞書をひく。この2点がポイントと言えばポイント。辞書をひくのをあとまわしにするのは「考える」ことが重要だから。あとで必ず辞書をひくのは、1つの単語が持つ複数の意味を「とりあえず知っておく(覚えなくてよい)」のが重要だから。
今では多くの英語の新聞記事がネットで見られますが、日本の新聞とはフォーカスが違うので今なおJapan Timesが良いと思います。「英文を読む」よりも「大まかな内容を知っている英文を読む」ことが重要です。
趣味と実益を兼ねて好きな作家の原書も読みました。が、これはさすがに知らない単語(と専門用語)が多すぎて勉強にはなりませんでした。
あとは過去問。東大と京大ではずいぶんと傾向が違うのですが、それでも私立の問題よりは国公立の問題の方が東大受験には役立つ。私立の問題は「知らなきゃ解けない」うえに教科書にないものも多い。国公立とは別のことを問うています。
単語帳は古文同様に作るのが面倒。教科書では物足りなかったり電車で教科書を開くのが恥ずかしかったりなら、ペーパーブックを1冊だけ買って眺めていればいいのではないでしょうか。3日も同じページを読んでいればいやでも内容が分かるようになり、使われている修辞・技巧なんかにも気付くようになると思います。
DUOとか知らないしiPodは当時はない。当然使ってません。今なら英語のニュースや議員さんのPodcastをiPodで聞くのはありかも。(議員さんやニュースの英語は分かりやすいです)
例文を覚えるという発想はなかった。過去問や模試を解いているといやでも覚えてしまう文法的技巧や慣用句はありました。「覚える」というよりも「(自然と)覚えた」という感じなので「覚え方」は分かりません。
自由英作文は想定されている答えを探すのではなく「意味」が通る英文を書くことが重要。正しい文法で知っている単語の継ぎはぎする。どうしても分からなければ少し長めにあけた余白に薄く日本語を書いておき、あとで考えましょう。日本語1単語に5 words前後の余白を対応させるくらいの気持ちで。他のことを考えているうちにピッタリくる単語(1単語)が浮かぶこともあるし、そうでなくても空白のまま出すくらいなら中学校で習った単語を並べて意味を表現する。とはいえこれは苦肉の策。単語を知っていて損することはないので、時間と金と記憶力に余裕があるなら単語や例文はいくらでも覚えてください。大学に入っても社会にでも英語が足かせになることはないと思う。
模試は一通り受けたと思います。「教える」ための教科書と「考えさせる」ための試験では勉強の内実が違います。「教わる」よりも自ら「考える」ことの方が重要なので省エネ勉強のためにも受けて損はありません。嫌でも丸一日勉強したことにもなります。
東大模試は受ける。結果が悪くても気にしない。結果が良ければ安心する。結果が悪くて自信もなければそれを機に諦める(浪人するなり志望校を変えるなり)。
過去問を見るかぎり、東大よりも京大の方が正解の範囲は広いと思います(模試ではなく本番の話)。模試結果に納得いかない人は東大より京大に向いているかもしれない。
寝過ごした!電車で寝過ごしたけど、高校受験で軽く遅刻した反省をいかして少し早めに出ていたのが功奏して間に合いました。遅刻だけは気をつけましょう。
遠方からの受験生でホテルなどに宿泊する方は寝坊に注意。受験まで1年のこの時期に言っても「そんなわけない」と思うかもしれませんが、1校しか受けない本名中の Permalink | 記事への反応(0) | 18:06