はてなキーワード: 腐臭とは
自分の小学生時代にも掛け算の順序を強いる教員が複数いて、そのときはそいつらが愚か者なだけだろうと思っていたが、ネットのおかげでそれが広範囲で観測可能な珍現象なのだと30年越しに知れた。学生時代に数学ができなかったことへの劣等感を小学生に掛け算順序を強いることで解消している暗愚は実在するようだし、自分のメンツの心配しか頭になくて学理を無視したオレオレ真理を四の五の屁理屈こねながらキメ続けている自称教育者が教育現場にはびこっているわけで、これは教員養成システムが骨抜きになっている証左だと言えるが、しかし今どき学のある真人間はわざわざ教員になんてならないだろうから、この問題はこれからも解決されずに業界は澱んだまま腐臭を放ち続けるだろう。沈みゆく国の幕間に相応しい滑稽さだ。
飛び散る女性の頭、自らも死のうとした元従軍看護師戦後72年…激戦地で生き、戦後は助産師で赤子抱く
もう歩けない。何度も死を覚悟した。ジャングルの川の中で力尽き、このまま流されて死ぬんだと思った。「同級生2人のお骨は私が内地の両親に届けなくちゃいけない。絶対に死んじゃいけないと自分に約束した。けれども、かなわずに死のうとしたの」
元従軍看護師の木村美喜さん(89)=桶川市=は激戦地のフィリピン・ルソン島で約1年、敵の爆撃機や砲弾が四六時中頭の上を飛び交う中、傷病兵や患者の救護に従事しながら生き抜いた。食べるもの、飲むもの、薬もない。無数の死体が転がる山の中を逃げ回り、行軍した。仲間や兵士たちは次々に命を落とした。
生まれも育ちも桶川。日本赤十字社埼玉県支部の看護師だった1944年7月、召集を受けてマニラ郊外の陸軍病院に派遣された。当時16歳。埼玉班26人で最年少だった。歯科外来に勤務し、当初は不自由のない生活をしていた。
9月、マニラ初空襲。次第に戦火が拡大し、12月に病院は解散。絶え間ない空襲の下、部隊はマニラから北に約250キロのバギオに移動した。
悲劇が襲ったのは、45年1月23日。正午前に大編隊の爆撃機が襲来し、病棟は瞬く間に火の海になった。がれきの中で「助けて」とさけぶ声。焼け落ちた梁(はり)が目の前で女性に直撃し、頭が飛び散った。外に逃げた人々は次々と機銃掃射で撃たれて犠牲になった。
埼玉班も9人が戦死。「今夜は夢でいいからお父さん、お母さんに会いたいね」。前日に梅干しをしゃぶりながら古里の話をした同期2人は骨だけの状態と、顔や手足、内臓がない状態で見つかった。
4月、バギオから撤退。山の中で終わりなき逃避行を続けた。昼間は空から見つかるため移動できず、夜は砲弾が飛んでくる。草のしとねに横たわり、古里の歌を口ずさむと、歌声はいつしか涙声に変わっていった。「みんな『白いご飯をおなかいっぱい食べたい』『死にたくない』と言いながら死んでいったの」
埼玉班の仲間も一人、また一人と病気や栄養失調で亡くなった。「今度死ぬのは自分の番だ」。どんなときも肌身離さず持っていた親やきょうだいの手紙や写真、日の丸の寄せ書きを河原で焼いた。死んでから人に見られたくなかった。
終戦を知らされたのは8月17日。途端にマラリアで40度の高熱が出た。捕虜収容所に行くまでの山を下りられず、同僚3人と部隊から取り残された。もう半歩も動けない。道の両側は腐臭を放つ死体の山。うじが団子になって、ハエが真っ黒にたかっていた。ゲリラの先住民の足跡を見つけるたびに背筋が凍った。
ジャングルの川の中で先輩に泣きながら懇願した。「お世話になりました。私はここに座っていたら流されてしまう。待たないで先に行ってください」。そのたびに言い聞かされた。「一足歩けば一足日本に近づく。一足歩けば一足お母さんに近づく。日本に帰りたかったら、お母さんに会いたかったら歩きなさい」。その言葉に背中を押され、何とか収容所にたどり着いた。
約4カ月の捕虜生活の末、12月に復員。日赤病院に同期2人の遺骨と遺髪を届けた。桶川駅で母の胸に抱かれてわんわん泣いた。17歳だった。
戦後は助産師として働いた。「もし日本に帰れたら、たくさんの兵隊さんの亡きがらを葬ってきた分、この手で新しい命を取り上げよう」。収容所で毎晩、誓った夢をかなえた。抱いた赤ちゃんは数え切れない。3分間に4人取り上げたこともある。自らも子ども3人、孫5人に恵まれた。
今は子や孫のため、社会のために一日でも長く生きていたいと願う。戦争を経験した人が減り、自分の代わりがいないと思うから。多くの講演を引き受け、本も出版した。戦争を知らない若い人たちみんなに、一度でいいからこれまでの話を伝えたい。「戦争は人の殺し合い。もう二度としては駄目。命は本当に大切。一つっきりしかないんだから。かけがえがないんですよ。」
有川ひろの作品に出てきたヤクザ者を見て心が締め付けられる気分になった。小学生の頃の僕の作文にそのヤクザ者から想起する一節があったのを思い出したからだ。
『レンズ越しの世界はいつも他人事だ。テレビに映る世界と目の前で起きてる出来事なんて変わらない』
僕はいわゆる眼鏡小僧で、生まれつきの遠視から度の強い眼鏡をかけ続けることをずっと強いられていた。あだ名がのび太だったことすらある。馬鹿だとかアホだとか見下されることが嫌いだった僕はそのあだ名がすごく嫌いだった。
思えば、その作文は厨二病の一種だったのだろう。自分が特別であるように言動するなんてありふれた話。王家の血を引いてるとか、邪眼を移植しているとか、そういうレベルの痛々しい妄想でしかない。
でも、他方では思うのだ。心を締め付けられたのはその感覚を今でも肌で感じているからなのだと。
僕は小さい頃から自分が好きではない何かを始めるが苦手だった。レゴブロックを片付けないで叱られる。漢字の宿題をやっていなくて怒られる。水泳の習い事をサボって泣き喚く。とんだクソガキだった。
今も部屋のどこかで何かが腐ったような匂いが漂っていて、部屋の中を小さい無数の羽虫たちが我が物顔で飛んでいる。
きっと部屋の汚さは君たち常人が考える三倍どころじゃない。手元にある便利な箱で別のタブでも開いて「孤独死 老人 部屋」とでも調べるとすごく近い光景が広がっているから興味があれば調べてみてほしい。
ともかく僕の部屋は常識を絶するほど汚い。そして、僕はそんな部屋にへばりつく虫であることを許容してしまっていた。
腐臭に既に鼻は慣れ、物が置かれ過ぎて食事を作るに適さないキッチンではもう半年は食べ物を触っていない。
だから部屋に一番多いのは食べ物に関わるゴミだ。弁当の食べた空き箱や出前の使い捨て容器、パンの袋、カップ麺の器やかやくの袋。あとは酒の空き缶空瓶。目についたものを並べただけでこんな感じ。
よくもまあ、こんなに汚せるものだと自分でも感心してしまうほどだ。
閑話休題。
話は逸れたけれどつまり何が言いたいかというと、そういう汚い自分でありながら、僕は日常生活が送れているように装っている。
駅弁大学に所属する僕は三度目の三年生をむかえた。成績極めて不出来。春先からこの夏の終わりまで学校に行けてすらいないというのに、東京に住む遠距離恋愛の彼女には学校にはきちんと通えているとなんでもない顔で言っていた。滑稽な話である。
僕は嘘つきだ。嘘をつくことで生活している。嘘をついてしかまともであるように見せることができない。
何もうまくいっていない。辛い、苦しい、何もかもやめてしまいたい。死にたい。もう構わないでほしい。まともになりたい。
そんなこと言えるわけがない。
言ってしまえば自分がおかしいことが露見するし、きっと一人であることすら許されなくなる。要するに病院送りか、実家への軟禁だ。
盆も過ぎた。また新しい学期が始まる。
親にはまだ「まだ僕が三年生をやっている」のだという真実は伝わっていない。先延ばしにする方法があったから先延ばしにしてしまった。
帰省した時は嘘をついて急場を凌いだ。
こんなに嘘をついても僕には罪悪感がなかった。嘘をつくことに欠片も良心は痛まない。かろうじて嘘が露見して起きるアレコレが怖いという気持ちが生まれるくらいだ。
彼女とのデートで久々に眼鏡を、ただの伊達メガネだったけれど、かけた時に思い出した。僕にはずっと現実感がなかった。眼鏡をかけたレンズ越しの世界とスクリーン越しの世界に区別をつけられなかった。だから、眼鏡をかけることを嫌って、高校2年の冬に僕は眼鏡をかけることをやめた。目が見えなくなることなんてどうでもよかったのだ。ただ、現実感がない自分が嫌だった。現実感がないから、自分のことを自分のことのように思えないからきっと嘘を簡単につけてしまえるのだろうと思ったのだ。そんなことを思い出した。
でも、現実を見た。
僕は変わらず嘘つきで、今も親を騙し金を毟って生きる寄生虫。いわゆる社会のゴミだ。
生きている価値なんて冷静に考えて本当にあるのだろうか? 誰かに好かれるだけの何かを持っているのだろうか? 甚だ疑問で一杯だ。
親から騙し取った金で少し前に有川ひろの『キャロリング』を電子書籍で買った。この本は有川ひろが書いた作品の中で僕の読んだことのない数少ない作品だった。今見たら読み進めた場所は85%のところまで、結末までは読まずに本を閉じたことが明白だ。
残りを流し読みで適当に読み進めていくとヤクザ者は仲間と共に警察に連れて行かれていた。
救いのない話だった。物語の中では自分が一番共感した人物が幸せになるとは限らない。
僕もきっとこのヤクザ者のようにいつかどこにも行けなくなる日が来るのだろうと思った。そして、そんな日が来たときにまた僕は嘘をついて取り返しのつかないことになるのだろうと思う。
つらつらとどうでもいいことばかりを書いてきたけれど、結論なんてものはない。適当なところで適当な気分で読むのをやめてほしい。
感想も書きたくなったら書く、書きたくなかったら別に何も言わなければいい。偉そうに自分が勝手に目を通したくせにクレームをつけるタイプの人がここには沢山いるらしいことは知っている。なんであんなに傲慢に暮らせるのか、なんで傲慢に気付かないのか。正直、彼らってなんであんなに薄っぺらに生きれるんだろうね。
この文章だって氷菓子を齧りながら適当な気持ちで書いた嘘っぱちだ。今だって目線は沢山の小説が雑然と置かれた本棚を見て目を彷徨わせている。
“僕は宮崎勤事件の頃の世間の空気や幕張メッセ事件も知ってるしあの時代が「オタクとコミケ最大の危機」であったという認識もあるんで、だからこそ「赤松健がいなければコミケは壊滅してた」みたいなデタラメを平気で言うヤツがいると腹がたつんですよ。あの時ほどの危機が近年いつあったってんだ。”
“これまでの「表現規制」の認識と自身から発せられる言葉が『ポリコレ腐臭』と煙たがっている層に対してだけに響く程度でエエのんかと。政治をやる態度として、あんたこれで6年議員すんのかとの疑いが日増しに強くなってます。”
『ポリコレ』言うけど、でるとこにでたときの判断ちゅうことやね。
普通にモデルになった人が裁判起こしたりしてるじゃん。プライバシー侵害と名誉毀損で。この人、表現に関わることについてこんなに無知なのを公言していいの…?
“本当にオタク界隈マジでどうかしてる。エロのために、……表現の自由を守るのを政府側に委ねるなんて、どうかしている。表現の自由の「原理的にありえない」ヤジポイ裁判を見ても、現に警察権力まで使って表現の自由を規制している”
“コミケに比べると小規模ですが、今年も逆恨みや思い込みによるデマでイベント、会場への嫌がらせが害悪オタクによって行われ、イベントが中止になってます。なお、当然×××も××党系議員も何もしませんでした(××××や××にメール相談したのに対応しなかったし)”
お前らの部屋がなんで汚いままなのか。
教えてやるから読め。そしてやれ。
①スチールラックを捨てろ、今すぐにだ
②部屋で飯を食うな、キッチンに近寄るな
これだけでいい。逆に、これができないならお前らの部屋は一生汚部屋のままだ。
努力したのに失敗しかしてないのならそんな努力より別の事をやれ。
汚部屋を受け入れるな。抗え。戦え。そのための犠牲を厭わず気概を見せろ。
以下、詳しく書くから読みたい奴だけ読め。
//////////
1.物が増えること
2.物が減らないこと
3.物が使われないこと
収納のためのノウハウがあり、適切に使いこなせる人にとってはきわめて有用なアイテムだが、
お前らみたいなズボラ汚部屋野郎が買うのはバカでかくて段数もあって奥行もあるクソデカスチールラックだ。
それこそ大きな倉庫にでもありそうなのをクソ狭いワンルームに置くもんだから圧迫感この上ない。
違うんだよ、そこに置くべきは奥行きの深いラックではなく、文庫本一冊分の奥行しかないうっすいうっすい本棚なんだよ。
クソデカスチールラックの特性を考えてみろ。まとめると以下の3点だ。
2.奥行きがある→奥の方の物が取れない
3.段数がある→どの段もいらないもの詰め込みスペースになる
一度置いたが最後、一生出されないまま引越しの時に処分するルートまっしぐら。
そんなものにスペースを占領されて恥ずかしくないのか?悔しくないのか?
人間様のただでさえ少ないスペースを不要物なんかに取られていいのか?
捨てるという意思を放棄させるスチールラックはお前らには無用の長物なんだ。理解しろ。
お前らに使いこなせる代物じゃないんだ。もっとうまく使える人が使うべきものなんだよ。
お前らみたいなズボラ野郎が何をするか言い当ててやる。簡潔に3行にまとめてやる。
これはいとも簡単に悪循環に陥るやつだ。クソデカラックの比じゃない。
なのにそれを片付けられないとどうなるか。
臭くて汚い液体とともに台所に溜まり続ける。捨てる気すら起きずに溜まり続ける。それだけ。
なら、そうしないためにどうすればいいか。
そもそもゴミを出さなければいい、ゴミが出る可能性自体をゼロにすればいい。
マックでもいい。サイゼでもいい。吉野家でもいいし富士そばでもいい。
日高屋だろうがやよい軒だろうが大戸屋だろうが俺には関係ない。好きにしていい。
その代わり、コンビニ飯は避けろ。少なくとも持ち帰るな。イートインで食ってこい。
金とか健康とか言ってる場合じゃないだろ。部屋を綺麗にするために健康を犠牲にするくらいのことはしろ。
そうでもしないと綺麗にならないくらいお前の状況が絶望的だということを理解しろ。話はそれからだ。
干した後に畳むな、そして仕舞うな。
そのまま洗濯ばさみから引きちぎるように下着を取れ。ハンガーから直接服を取れ。
洗濯→乾燥→収納→引出→着用→洗濯→乾燥→収納→引出→着用→…というものだ。
お前らみたいなズボラ野郎が【洗濯→乾燥】の先の【収納→引出】をできるわけないんだ。
それをすっ飛ばして【洗濯→乾燥→着用】という最小限の工程にしろ。そのための環境構築を怠るな。
仮の話だが、ドラム式の乾燥機能つきの優れものを持っている奴は洗濯機から出してカゴにぶっ込むやり方もできるだろう。
それならそれでいいが、俺は今そんな恵まれた奴には話していない。普通の洗濯機の前提だ。
さっさと目障りなスチールラックを捨てて、そのスペースにハンガーラックを置け。
タイヤが付いている、ホームセンターでよく見るやつを買ってこい。
ついでに洗濯バサミがジャラジャラついているアレも買え。そしてすぐにハンガーラックにつけろ。
ラックの半分がジャラジャラで埋まる。下着やタオル、スペースが余れば寝間着を干すのに使え。
もう半分は普通のハンガーをかける。シャツ類やスーツをそこにかけろ。
汗をかいてくっせえシャツが部屋の隅で黄色くなることも永遠にない。
数か月着ないものは仕舞うか捨てるかしろ。部屋の隅に放置することなど絶対にあってはならない。
/////
以上、3点に絞って部屋を汚くせず綺麗に保つ方法を書いた。
逆に、これができないからお前らは部屋が汚いんだ。
物が増える、物が減らない、物が使われない。
そのせいで部屋が汚れ、整理する余裕すら奪い、部屋の居心地を悪くする。
だったら、部屋が汚れる原因を断ち、ただ生活しているだけで部屋が綺麗になる仕組みを作るしかない。
一見便利なスチールラックは早急に処分しろ。さっさとハンガーラックに置き換えろ。
部屋で飯は食うな。3食全部外で済ませてこい。汚れを発生させるな。片付けというクソめんどいことを発生させるな。
お前らの衣食住全てを根本から改めない限り、一時的に誰かが整理したところで何も変わらないだろう。
今まで変わらなかったのが何よりの証拠だ。
部屋の整頓ノウハウなどお前らには通用しない。その程度で綺麗になるならこんな文章など読んでいるはずがない。
逆に、普通に綺麗にできる人はこんなものを読む意味などない。時間の無駄だ。
ここまで読んで、無理だと思った奴もいるはずだ。
それならそれでいい。俺にはお前の部屋が綺麗だろうが汚かろうが一切関係がない。
だが、本当に実行した馬鹿正直な奴は、綺麗な部屋と汚れない生活を手にすることになる。
お前らの部屋がなんで汚いままなのか。
教えてやるから読め。そしてやれ。
①スチールラックを捨てろ、今すぐにだ
②部屋で飯を食うな、キッチンに近寄るな
これだけでいい。逆に、これができないならお前らの部屋は一生汚部屋のままだ。
努力したのに失敗しかしてないのならそんな努力より別の事をやれ。
汚部屋を受け入れるな。抗え。戦え。そのための犠牲を厭わず気概を見せろ。
以下、詳しく書くから読みたい奴だけ読め。
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1.物が増えること
2.物が減らないこと
3.物が使われないこと
収納のためのノウハウがあり、適切に使いこなせる人にとってはきわめて有用なアイテムだが、
お前らみたいなズボラ汚部屋野郎が買うのはバカでかくて段数もあって奥行もあるクソデカスチールラックだ。
それこそ大きな倉庫にでもありそうなのをクソ狭いワンルームに置くもんだから圧迫感この上ない。
違うんだよ、そこに置くべきは奥行きの深いラックではなく、文庫本一冊分の奥行しかないうっすいうっすい本棚なんだよ。
クソデカスチールラックの特性を考えてみろ。まとめると以下の3点だ。
2.奥行きがある→奥の方の物が取れない
3.段数がある→どの段もいらないもの詰め込みスペースになる
一度置いたが最後、一生出されないまま引越しの時に処分するルートまっしぐら。
そんなものにスペースを占領されて恥ずかしくないのか?悔しくないのか?
人間様のただでさえ少ないスペースを不要物なんかに取られていいのか?
捨てるという意思を放棄させるスチールラックはお前らには無用の長物なんだ。理解しろ。
お前らに使いこなせる代物じゃないんだ。もっとうまく使える人が使うべきものなんだよ。
お前らみたいなズボラ野郎が何をするか言い当ててやる。簡潔に3行にまとめてやる。
これはいとも簡単に悪循環に陥るやつだ。クソデカラックの比じゃない。
なのにそれを片付けられないとどうなるか。
臭くて汚い液体とともに台所に溜まり続ける。捨てる気すら起きずに溜まり続ける。それだけ。
なら、そうしないためにどうすればいいか。
そもそもゴミを出さなければいい、ゴミが出る可能性自体をゼロにすればいい。
マックでもいい。サイゼでもいい。吉野家でもいいし富士そばでもいい。
日高屋だろうがやよい軒だろうが大戸屋だろうが俺には関係ない。好きにしていい。
その代わり、コンビニ飯は避けろ。少なくとも持ち帰るな。イートインで食ってこい。
金とか健康とか言ってる場合じゃないだろ。部屋を綺麗にするために健康を犠牲にするくらいのことはしろ。
そうでもしないと綺麗にならないくらいお前の状況が絶望的だということを理解しろ。話はそれからだ。
干した後に畳むな、そして仕舞うな。
そのまま洗濯ばさみから引きちぎるように下着を取れ。ハンガーから直接服を取れ。
洗濯→乾燥→収納→引出→着用→洗濯→乾燥→収納→引出→着用→…というものだ。
お前らみたいなズボラ野郎が【洗濯→乾燥】の先の【収納→引出】をできるわけないんだ。
それをすっ飛ばして【洗濯→乾燥→着用】という最小限の工程にしろ。そのための環境構築を怠るな。
仮の話だが、ドラム式の乾燥機能つきの優れものを持っている奴は洗濯機から出してカゴにぶっ込むやり方もできるだろう。
それならそれでいいが、俺は今そんな恵まれた奴には話していない。普通の洗濯機の前提だ。
さっさと目障りなスチールラックを捨てて、そのスペースにハンガーラックを置け。
タイヤが付いている、ホームセンターでよく見るやつを買ってこい。
ついでに洗濯バサミがジャラジャラついているアレも買え。そしてすぐにハンガーラックにつけろ。
ラックの半分がジャラジャラで埋まる。下着やタオル、スペースが余れば寝間着を干すのに使え。
もう半分は普通のハンガーをかける。シャツ類やスーツをそこにかけろ。
汗をかいてくっせえシャツが部屋の隅で黄色くなることも永遠にない。
数か月着ないものは仕舞うか捨てるかしろ。部屋の隅に放置することなど絶対にあってはならない。
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以上、3点に絞って部屋を汚くせず綺麗に保つ方法を書いた。
逆に、これができないからお前らは部屋が汚いんだ。
物が増える、物が減らない、物が使われない。
そのせいで部屋が汚れ、整理する余裕すら奪い、部屋の居心地を悪くする。
だったら、部屋が汚れる原因を断ち、ただ生活しているだけで部屋が綺麗になる仕組みを作るしかない。
一見便利なスチールラックは早急に処分しろ。さっさとハンガーラックに置き換えろ。
部屋で飯は食うな。3食全部外で済ませてこい。汚れを発生させるな。片付けというクソめんどいことを発生させるな。
お前らの衣食住全てを根本から改めない限り、一時的に誰かが整理したところで何も変わらないだろう。
今まで変わらなかったのが何よりの証拠だ。
部屋の整頓ノウハウなどお前らには通用しない。その程度で綺麗になるならこんな文章など読んでいるはずがない。
逆に、普通に綺麗にできる人はこんなものを読む意味などない。時間の無駄だ。
ここまで読んで、無理だと思った奴もいるはずだ。
それならそれでいい。俺にはお前の部屋が綺麗だろうが汚かろうが一切関係がない。
だが、本当に実行した馬鹿正直な奴は、綺麗な部屋と汚れない生活を手にすることになる。