はてなキーワード: 何だかとは
学歴コンプ・大学コンプってやつだと思うんだけど、どうしたらいいか分からなくて戸惑ってる。
私は地方の国立大学に行ってる。実家から通えるからっていうのと、生まれ育った地元の役に立てる人になりたいと思って選択した。
最近頻繁に、関東圏の有名な大学に行った遠方の友人たちが、大学の名前でマウンティングをしてくる。それで、その言われた内容を不安に思って学歴やキャリアについて検索してみたら、たいてい関東圏の大学や旧帝大の事しか書かれていなくて、ますます不安になった。
勿論、それらの大学が偏差値が高い大学だっていうのは知っているし、そこに受かるくらい勉強を頑張ったのは素直に凄いと思う。
でも、私みたいに、地元に愛着があって、所謂無名の大学を選んだ人は馬鹿にされるのかな。私が進んでいるのは、正しい道じゃないのかな。私の好きって気持ちなんて、何の役にも立たない、くだらない考えなのかな、って、時々心が折れそうになる。
将来は好きな仕事をしたい、自分なりにキャリアを積んでみたいって思ってるけど、Google検索の結果に振り回されて、それが不可能なんじゃないか、私の夢は叶わないんじゃないかって凄く不安になったりして。大切な友達に見下されて、よく分からなくなってきたよ。
インターネットを控えて、友達と縁を切るなり仲直りするなり、関係を薄めるなりした方がいいっていうのは分かっているんだけれど……。
夢見すぎなのかな。多分、部活動ばっかりしてて、受験について情報収集を怠っていた私が悪い、ってことになるんだと思うけど。でも、そんなに大学の名前で見下されるような事になるなんて、思ってもみなかったから。
追記 2019/01/15
何だか眠れなくて見てみたら、結構言及して頂いててびっくりです。普段はROM専なので、不思議な感動もあり。ため息のつもりだったけど、周りに無かった考えに触れる切っ掛けになって凄く嬉しいです。ありがとうございます。
今回の件の友人たちとはやっぱり少し距離を置いてみようかな、と思います。面白そうな研究が目の前にあるのに、私の人生に責任を取ってくれる訳でもない彼らの言葉で立ち止まるのも勿体ないなと。
色々あって兄が沢山学費を使ってしまい、家計に気を使っての選択でもあったので、何なら自分を褒めたいと思います。
機会があれば、国内、海外問わず、是非色々な所に行きたいです!(できれば仕事か留学で……。)色々な土地や文化を見た上で、故郷が、あるいは私が、どうやって戦えばいいのか、何か見出す事が出来れば良いなと思っています。
無事に夢がかなって大満足だった。
その時は意味がよく分からなかった。その後その彼女と二人だけのエッチの時にあの時の言葉の
意味を聞いて衝撃を受けた。話しがややこしくなるのでそのマンさんをA、もう1人をBとする。
そのマンさんが言ってたのは、俺がBと交尾してて時たまAが俺のチンコを横取りして舐めてた。
その仕草にメチャ興奮した。何も考えていなかった。AはBのマンコを舐めた事があるんで俺の
Bの膣に入っていたチンコも舐められる。BはバイではないのでAのマンコに入っていた俺のチ
ンコを咥えることに躊躇する。今までAのマンコに入っていたと思うとすぐには舐める気には
ならない。
男二人でマンさんが1人の場合、マンさんの膣にチンコを入れられるのは一人。もう1人はお口
クチュクチュモンダミンでも良いのだが、この場合にマンさんは男Aが膣に入っていて引き抜か
れた時に、その直後実は男Bにクンニしてもらうのが最高の幸せなんだそうだ。今まで自分じゃ
ないヤツがチンコを入れてたマンコを即座にしゃぶれるか?これは俺も出来ない。でも男2×女1
の場合は起こりえること。そのマンさん曰く、男が二人で女が1人なら1人と交尾中にその結合部
を舐められない男は参加資格が無いよ。そう言ってった。純粋なバイの男性だとマンさんの膣に
入っていたチンコが引き抜かれた瞬間余っている男がそのチンコを咥えるのはOKだと・・
要するに男2×女1の場合は、男はホモ・・バイでなけりゃ冷めるってことを言っていた。
俺は過去に乱パで他の男と交尾中のマンさんに「私のオマンコ舐めて」と言われて舐めた事がある。
でも、絶対に男のチンコに触れないように舐めた記憶がある。俺は男のチンコは咥えられない。
良いことした気になってるから、だらだら長いけど聞いて欲しい。
増田で書いたことあるけど、私乳がんの既往があるから定期的に検診受けてるんだ。
再発しにくいタイプだし、新しく出来ることはあっても手術したがんについてはそんなに不安ではない。
がんのせいで治療が出来ない不具合が出てしんどいけど、乳の病院で出来ることはないから、先生にしんどいよーって話をするだけのために病院行ってる。
先生楽しい人だし、お喋りたくさん聞いてくれるから待ち時間は長いけど大好きなんだ。
だからその日もぼんやりスマホいじりながら待ってたら、少し離れたところで告知されたてほやほやの女性が看護師さんから治療の説明受けてるのに気付いた。
こんな外待合で話すの?と思わないでもないけど、気になってチラチラ見てたんだ。
相づちは打つけど、心ここにあらずな感じ。
あれは数年前の私か。そう思ったらすごく苦しくなってきて、励ましたくなってきた。旦那さんも一緒にいるのにそんなお節介にも程があるようなことを思ったんだよ。
告知されたてのころの私、患者とのなれ合いとか反吐が出るぜと思ってたから。
誰にも奥まった部分での苦痛は言わずに終わらせてやるってどこかに思ってた。
抗がん剤を打つためにプチ入院を2回したんだけど、その2回とも親くらいの年齢のおばさんに話しかけられて、すごく癒されたんだ。
共感してもらえることはすごく励みになることに気付いた。
医師や看護師にこの薬の副作用は~って質問しても、そういうのはあんまり聞かない、とか、みんなこう言ってる、としか返ってこないの。
本人が病気になって同じ治療してるわけじゃないからわからないことも多いの。仕方ないけど。
患者も、不具合あるけど大変なことから順番に言ってたらついつい言い忘れたりとか、治療のせいと思ってないから言わないでいたりっていうことが多いから伝わらないのよ。
だけど、患者同士だと妙にわかり合えることが多くて、すごく勉強になった。
だから、その女性を見てあのおばさまたちに励まされたことを思い出して、何か私にも役に立てるんじゃないかってすごく胸がザワザワしたんだ。
いきなり知らない人間から傷心の時に話しかけられるの鬱陶しいかなってすごく葛藤した。
でも、でも、あれは私なんだ。
そう思ったらいてもたっても居られなくなって、つい近寄って声をかけてしまった。
私も、同じ病気なんです。術後数年経ちます。他人事と思えなくて声をかけてしまいました。すみません。
向こうも驚いてたけど、お話ししていくと段々顔が明るくなってきてね。
旦那さんも途方に暮れてたような顔してたのが、何だか安心で泣きそうになっちゃってて、うんうん、って何も言わずに頷いてくれてるの。
奥さん、今の気持ちとか、仕事はどうしてたかとか、どんどん質問してきてくれて、私が答える度に噛み締めるように受け止めてくれて、元気が出てきたってお礼言ってくれたんだよ。
お節介かな、鬱陶しいかなって躊躇したけど、思い切って声かけて良かったなあ。
私と同じ主治医にかかるみたいだから、あの先生優しくて良いですよって言っておいた。
その患者さん、先生と看護師さんに、私と話して気持ちが楽になったし、前向きに治療する元気が出たって言ってくれたらしい。
私の診察の時に、先生と看護師さんからすごく感謝してもらっちゃった。
若い女性の方からって聞いたから絶対〇〇ちゃんや~んって思ったよ、ありがとー、と先生はいつものゆるゆるな感じでお礼言ってくれた。
看護師さんには結構真面目な感じで、どうしても医療従事者の説明は伝聞でしかないから上手く届かない、話しかけてくれてありがとうって感謝された。
私今もずっと体調悪いから全然幸せじゃないんだけど、それ聞いてひとときの充足感が得られたよ。
相手が好意的に受け取ってくれたから良かっただけって思わないでもないんだけど、彼女の苦痛をほんの少しでも和らげることが出来たんだと思うと少し誇らしいの。
ちなみに、一番良いアドバイスできたなって思うのは脱毛について。
周りからまた生えてくるよって慰められるの、鬱陶しいんだ。また生えてくる云々は理解してるけど、フサフサなとこなら一気にいくと、今生えてないことが悲しいし惨めな気持ちになるんだ。
だからウィッグを良いものにしてると自尊心が保たれるし、事情知ってる周りからウィッグすごいって褒めてもらえて嬉しいよって言っておいた。
脱毛については何言われても鬱々とするんだけど、上司(頭髪が残り少ない)に「お前生えてくるかも知れないけど俺はもう二度と生えねーんだからな」と、言われたときだけは逆にすみませんっつって元気になっちゃったんだよ。
このエピソードを伝えたら、彼女めっちゃ笑って、元気出たって言ってた。
回復不可能な人も良い医療用ウィッグおすすめする。最近のは本当にわからないよ。
こんなとこでしか言えないから自慢させてね。私の自己満足なお話。
お目汚し失礼しました。
私だけではないのか。
平素からいい匂いの人と嫌な臭いの人がいるとは思っていた。これは一般的な「悪臭」とは違っていて、ホームレスのおじさんみたいな、何日も風呂に入っていなくて汗の腐った悪臭を放っている人からも、いい匂いを感じる事があったし、清潔にしていて石鹸の香りが仄かにしているような人からも、なんか嫌な臭いを感じた事もある。
最近、その臭いがある人から急にぶわああああっと立ち上って来るのを感じて、そのひとの事を一瞬で嫌になるという経験をして、ふと思った。
変質者が普通の人っぽく装ってくる事があるけど、そういう時、その人がおかしい事に最初は気付かなくても、でも何だか違和感を感じたりするような、と。
なんだろう、性欲のボルテージが上がった時に、臭いを発散する、という事が、もしかしてあるのだろうか?と。
そんな事を考えた。
円周上の点にまつわる座標のことなのか?
それは何のために生まれたのか?
どれが基礎でどれが応用なのか?
授業ではθだのπだのsinだのといった直感的には意味が分からない記号を、
ということを最初に教えるべきだと思うんだ。
って思ってたら、この記事が素晴らしかったのでリンクを張っておくね(ステマじゃないよ)。
「三角関数はこんなところに使われていて…」みたいなことを言う暇があったら、
落ちこぼれっていうのは、いろいろ捉え方があると思うけど僕は一応進学校って呼ばれるところに通っている。が、その成績は底辺に近い。
そんな僕でも、一応受験生ってやつをやっている訳だが、今まで散々勉強してこなかったやつが本気を出したところで、まぁ未来はわかっていた訳だがとりあえずまわりも塾に行ったりしているわけであるので僕もそれに同調して塾に通っていた。
そこではちゃんと予習もして、授業も必死で聴いて、ノート取って、と正直周りと比べてもかなり頑張っていた方だと思う。
だがね、世の中そんなに甘くない訳だ。高校に入ってから2年弱、殆ど勉強してこず赤点ギリギリだったやつが勉強したらどうなるか。夏くらいまではすごい勢いで成績が伸びる訳だよ。そりゃぁ何だかんだ成績伸びれば嬉しいし、まわりも褒めてくれた。でもその後演習を重ねていくにつれて自分の限界が見えてくる。
例えば英語の場合、ざっくりいうと文法と読解に分かれている。文法をまず身につけようと思い勉強すると文法は大幅な伸びを見せた。次に読解を勉強していくとこれまた読解も大幅な伸びを見せるわけだ。ならいいじゃん、とおもうだろ?なんと文法は元のレベルまで後退してしまっているのだよ。あわてて文法も見直しをすると元に戻るのだが読解が...
とまぁこんなわけだ。ここが自分の限界なのかなぁとおもってしまう。
さらに学校のレベルが微妙に高いせいで、まわりは満点とれなかっただとか、東大B判定だとか騒いでるわけ。自分の小ささを改めてわからせられるんだよ。塾に行ってもまわりは期待をかけられてる中自分は何をやってんだと思う日々。
多分これを見た人は「いや、もっと頑張れよ」って思う人が大半だ思うけど、もし同じ境遇で苦しんでる人がいたら仲間がいるんだよってことをこの日記で示したい。
この間部屋の掃除をしてたんだ
俺の部屋に開かずの物置があるんだけど、その中の物も処分してちゃんと収納スペースとして利用しようと思ってそこも掃除してたの
母親に言ったらちゃんとゴミの分別してねと言われたから調べてちゃんと分別したんだよ
母親が分別されてない!って発狂しながら庭でゴミを燃やし始めたの
俺は市のお便り見ながら分別したんだよ
母親はカップヌードルのカップに紙ゴミマークが付いててもプラスチックゴミで捨てるのよ
もう市とか関係ないの。
会話の最中に例えを入れたら例えに反応して会話進まなくなったり(しかも興奮状態になる)
何かあるとすぐ叫ぶし(これは女性だとよくあるのかな)
何か辛い事があって相談しても直ぐに自分の話にすり替えて私の方がもっと辛いって喚きはじめるし
父親が典型的モラハラだから父親のせいなのかなとは思ってるけど
さんくす両親ともにアダルトチルドレンなのはもう分かってるからその辺は大丈夫
両親離すのが良かったんだろうけど、もう60だし何だかんだ仲良くやってるんだよな
昨日も二人で旅行行ってたし
父親は母親がすぐ喚くのを学んで最近は丸くなったというか、母親に何も注意しなくなったし
因みに喚く内容はいつも同じで「私ばかり悪者、とか仕事で誰よりも頑張ってるのにいじめられてる」とかって内容
病気なのかなー
実家は山間にある水田農家で、遠くに高速道路が走る風景は昔から変わらない。
小さな駅に車で迎えに来てくれた両親と共に、私は私の家族と共に実家に帰る。
山際の家に到着し、一泊して今日を迎えた。
近くの家の庭先を訪ねると、アウストラロピテクスに会える。昔からいるやつだ。とっても。
アナメンシスなのかアファレンシスなのかは尋ねたことがない。骨格は外面からはうかがえない。
骨を割り続けるアウストラロピテクスのとなりに蹲踞する。
作業を続けながら、彼が問うてきた。
「ホモサピエンスもさ、骨食うよね」
「場合によってはな」
「この飽食の時代だ。俺も骨以外も食べる。ところであんたたちの主食は?」
「米だと言われている」
「いや、それは最近のことだろ。もともと何食ってたんだよ」
そう言って私は、もう少し考えて言葉を出すことにした。
「精確に言うと、現在の日本列島とされる空間に住した人間は魚だ。まずは魚だったはずだ」
「そうかい」
「俺たちより昔は果実だった」
「そうだ」
「未来はどうなるだろう」
「藻とかじゃねえのかな」
「ありだな」
例年他愛ない話だ。互いの親戚の話とか共通の友人とか。仕事の話とか。
そしてそれぞれの社会に戻って行く。
そいつらが言う所の怠けている専業主婦が離婚されないのは、何だかんだでその専業主婦が居なくなると夫が困る
(家事育児する人がいなくなって全部夫負担となったら生活回すの無理だし、代わりに家政婦やシッターにやらせる金もない)からなのに
ハロウィンとクリスマスのコスプレって一番コスパと使い所が悪い衣類だと思う。
二次元三次元問わず、せいぜい使えて10月と12月中限定だし、人によってはハロウィンやクリスマス前の1週間前から、もしくは当日にしか着れない。
クリスマスなら日本人の大半は25日から26日に切り替わった瞬間から、一気に正月モードにガラリと変わるからサンタ衣装が浮いた存在になる。
夏なら水着や薄着、冬なら黒タイツや冬用のコートとか2~3ヶ月は持つけど、そう考えるとハロウィンとサンタ衣装ってわざわざ用意する意味あるのか不思議になってくるな。
昨今のソシャゲー等は、ハロウィンやクリスマス衣装のキャラ登場するけど、絵師に金払って発注した割には一ヶ月持つかどうかの絵だしコスパ悪いよな。
1000作品以上集めてわかった「マンションポエム」に隠された“ワナ” | 文春オンライン
http://b.hatena.ne.jp/entry/bunshun.jp/articles/-/10004
この記事では、マンションの売り文句にマンションを超えた詩的な表現が使われている多くの例が挙げられている。
建築業界にはマンションに限らず痛い詩的な表現が蔓延している。
この建物はいかに素晴らしいか、いかに洗練されたデザインか、そしてそれが施主に認められるかどうかで莫大な金が動く。
このような詩的な表現が多くみられるのは、マンションのような客に対する広告宣伝の場のほかに、個性的な設計をする建築家のプレゼンの場がある。
自分のまちの公共施設なんかの公開プレゼンに出向いたことがある人や、建築家に頼んで家を設計してもらったことがある人には実感があるのではなかろうか。
例えば新しく公共施設を建てようということになると
「水の軸、緑の軸、そこが交わるこの建物が地域の拠点となり賑わいの種となる」とか「エンガワのような集いの場」とか妙にひねった表現が横行する。
住宅であれば「ゆるく繋がる」とか「漏れだす光のぬくもり」とか何が何だかよくわからない。
一応これらの表現について説明すると、水の軸というのは川のこと。緑の軸は並木通りなんかを往々にして示す。
んで、その川と道が交差したここにみんなが集まってくるんですよ! (なんでだよ。集まってこねーよ。)
昔ながらの縁側に座って星を見るような雰囲気に仕上げたので、ここに人が集まるんですよ!
(集まってこねーよ。縁側がカタカナになっていることろもポイント。大体赤の他人と話さねーし)
使いやすい間取りや、周りのまちに溶け込まない個性的な外観を正当化させるために、ごまかしのようにコンセプトばかり考えたがる。これが建築業界に蔓延している癌である。
このような詩的な表現を用いるのは建築学科に通う学生時代からの慣例となっている。
建築学科の学生は記事のようなマンションポエム、表現系建築家に憧れ、育ち、ポエム付き建築を量産しているのだ。
こういう表現をコンセプトや売り文句に含む文化はデザインなんかが絡む建築や、グラフィックとか、映像とかそういう業界に多いように思うのだが