はてなキーワード: 体罰とは
こういう親に限って兄弟平等に育てたからというのかもしれないな
大人になってから親にあったら、「兄弟平等に育てたから」と口癖のように言われたけれど、そんなに成人した子供はそんなに馬鹿じゃないよって思う。
「兄弟平等に育てたから」の裏にあるのは「だから、お兄ちゃんだけじゃなくあなたも私の面倒を見なさい。墓守をしなさい。」という暗示なんだろうけどさ。
それも見え見えだから。
未婚で何も浮いた話がない兄と、ステディな関係の異性がいる弟なら、女性がケアワークをするのが当たり前という価値観があるエルダーにとっては後者を支配下に置きたかったんだろうね。
それで賢明な人間なら、その彼女にやさしくしてイメージアップをするという将来投資もできただろうが、未婚の兄に気を使っているのか、息子をとられるのが気に入らないのか、とにかく別れさせようとばかりされた気がする。それにしても、「破談になればよいと思った」なんて言った相手に介護されたいのかとさすがに嗤ってしまう。
さて、一歩引いて見ると、幼少期の扱いもなかなか面白い。
まず、呼び方から違った。兄は"お兄ちゃん"と呼んでもらえるが、弟は"豚"。いや、文字通り豚野郎みたいな呼び方だった。
そんな呼び方を母親がすると兄弟で真似するだろ?だから、家族はみんなでそう呼んでたよ。
世間を知らない幼児にそれをすると、自称が豚野郎になるから恐ろしい。
物心ついた時にはおだてて掃除をさせられていたけれど、家族の共用部分を掃除をしていた兄を見た記憶がない。
そういう雑用は下っ端にやらせて、兄にはやらせなかったんだろうなって思う。
多少の年齢の差というのは幼少期ほどあらわになるから、下の子供ってだけで全く頼りにされていないというのが子供心に分かった。
すべてのシステムが年上の兄に向けて作られていて、弟はついていけないでとにかくよく怒られた。
一言でいうと要領の良しあしなんだろうけれど、モンテッソーリ風に理解すると子供が自分でできるようにシステムを作らず、子供の不足を責めてただけなんだと思う。
家族でご飯を食べると、家族の食器は自分が食べているそばから片づけられ、食べるの遅くて昼休みにも給食食べている人みたいになってたな。
家族内でも自分だけ何かと体罰されていたし、暴力をかさに脅されたりもしていたな。
それでいて、引っ込み思案な性格を何とかしろとかいうからな。逆だろって今なら思う。
大きくなってからもさらにいろいろとあるけれど、個人特定されそうな話になってくるのでこの辺で。
...とここまで書いて、平等と似た概念に公平があるのを思い出した。
「体罰は昔は常識だった!俺も体罰を受けて育ってきた!」と言っても問答無用で処罰されるんだから。
「『お〜いお茶』は昔は女性蔑視の意味だった!『フリマでクッキーでも売れ』は昔なら女性蔑視だった!」とかいう価値観を若い人に押し付けて来ないでほしい。
まあ、「昔はそうだったんだよ。今はいい時代になったね」くらいの意味で歴史を振り返ることには意味があると思うけどね。歴史を繰り返さないためにも。
私は散々歩み寄ってきたけどね。内心では「意味わかんねぇ」と思いつつ、でも「ほんの10年で社会は大きく変わるから、そういう時代があっても不思議ではないよな」と自分を納得させて来たよ。直接見たことも感じたことも一度たりとてないけど、あなた方の言葉を信用して来たよ。
一切問題ありません。日本には近親相姦罪のようなものはありません。
同意があろうがなかろうが監護者性交等罪(刑法第179条)になります。18歳になるまで待ちましょう。
親権を失う等して監護者でなくなる手も使えそうですが条例に引っかかりそうです。
今回の名古屋地裁岡崎支部で無罪判決が出たのと同じです。同意がない事が認定されています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/itokazuko/20190411-00121721/
これで無罪になるかどうかは、同意がない中でどうやって実現するかによります。
まず暴行や脅迫をした場合は強制性交等罪(刑法第177条)になります。
暴行が前日以前の場合は該当しないようです。今回の判決ではアザが残る程の暴行が前日以前にあった事が認定されています。
次に、心神喪失か抗拒不能な状態でセックスすると準強制性交等罪(刑法第178条)になります。
ちょっとわかりにくいですが、睡眠中や酒に酔って前後不覚になっている場合が典型的なようです。
抗拒不能、つまり反抗が著しく困難な状態かどうかは、かなりややこしいです。
http://www.moj.go.jp/content/001132255.pdf に抗拒不能になった例、ならなかった例があるので、軽くまとめてみます。
卒業後の就職に焦っていた中学生に就職斡旋のための身体検査と偽った例。
モデルプロダクションの経営者がモデル志願者に全裸の写真撮影が必要で、応じなければモデルとして売り出してもらえないと誤信させた例。
警察から依頼された医師を名乗って売春と性病の検査を受けさせ、性病治療のためとして男性器を挿入した例。
被害者の親しい知人が夫と性交中に膣けいれんを起こして、無理やり抜いたため別の人と性交しないと精子が腐ってしまうという話を信用してしまった例。
牧師から従順でなければ地獄に落ちると小さい頃から教え込まれていた少女たち。
アナウンサー志望被害者に就職希望先のテレビ局の人事担当者を装った例。
テレビ局での就職活動では通常こういう事があるという社会的な風評も考慮されています。
金持ちを装って15歳の被害者に抱きついて「これで妊娠したけど処女膜を破れば子供はできない」と騙した例。
その後デートを重ねていたなど、騙されてはいたが被害者の好感情が伺えるので、抗拒不能ではなかった。
数年間指導している18歳のゴルフ教室の生徒にゴルフ指導のためとしてセックスした例。
被害者は抗拒不能状態にあったが、無神経な加害者がそれに気づいていなかったと認定された。
いろいろありますね。
被害者が抗拒不能になっている事を加害者が認識している事も準強制性交等罪の要件になっているようです。今回の判決ではそれに言及している報道を見かけない気がするんですが、今回は争点になっていないんでしょうか?
こうして並べてみると、今回の判決の抗拒不能判定は厳し目のように感じます。今までに拒否できた事があった事が大きいのかもしれません。
さて、同意がない状態で抗拒不能に認定されずにセックスする方法をまとめます。
多少の嘘は問題ないですが、その嘘によって拒否できない状態に追い込んではいけません。
当日の暴行は避けましょう。前日までであれば大丈夫です。なお合法的に暴行する方法として、20歳未満の場合は懲戒権(民法第822条)を使うことで条件によっては暴行もとい体罰が合法な場合があります。
先日の出来事で体罰賛成と思うようになった。体罰で死んだ生徒が生き返ったのだ。葬儀屋金返せ。国もしっかり仕事している。確かに金持ちに限るとか死後硬直とか制限がある。だが数年先の未来は体罰死での死亡は人間としての死亡と扱われないのではないか?ちょっと混乱して書いてるが乱文で申し訳ない、あと葬儀屋さっきからうるさい黙れ。全国の学校で体罰死した生徒がガシガシ利子つけて蘇る事も可能だ。なら体罰賛成だ!どんどん体罰やって悪ガキどもをヤって欲しい。そしてどんどん蘇生させろ!因果応報、首を洗って待っておれ。
さっきお坊さんがら電話があって「体罰で死んだ子はお釈迦様が死を免除してくれる」みたいなことを言ってた。正直仏教どころか宗教すらまともに信じてない。あと葬儀屋に最後に一言いわせろおまえら…
どうするのがベストなのか。改めて妻のことを理解するのが難しい。結婚前からわかってはいたことだが、子どもの教育を考えるとルームメイトのような関係というのはどういう影響を及ぼすのだろう。
1 現状維持(最低限の会話のみとし、娘とは十分なコミュニケーションを取る)
3 嫌がられるのを気にせず娘の前だけでも話しかけ続ける。
1は遠からず父母の間で会話があまりないことに娘が気づく。自分の両親も特別仲睦まじいわけではなかったが自分との会話があるかどうかのほうが重要だったので、個人的には別にいいというかむしろ父が母に話してほしくなかったような覚えもあるくらいだ。父母に会話があるかは最重要ではない。
だが、ロールモデルとしては厳しいものがある。親のことを客観的に捉えられて自分で考えられるほど成熟する前に結婚でもした場合に困る可能性も。まぁ、相手によるか。
2は養育の実態を自分が担えないなら婚姻を継続することを前提に交渉することになる。親権という言葉より実態を死守する。妻と娘を二人きりにし続けるのは二人にとってマイナスでしかないと確信している。気質が僕と似ているがゆえに娘は母親から拒絶されたように感じる可能性が高い。逆に妻は娘を持て余す。体罰というか暴力に発展する可能性もままある上に娘の能力は引き出されないままになる。義母とは衝突しつつも落とし所が見つかるだろう。義姉とはかなりうまくやれるはずだが向こうも子育てが忙しいから娘の身近な理解者にはなりえない。
自分が育てる場合は時短勤務と養育費が鍵になる。娘にはちゃんと対話できる相手が必要だ。収入的にひとり親向けの手当は受け取れない。可能なら時短勤務より出勤退勤を1時間早めつつ、繁忙期にひとり親向けのヘルパーを依頼、スポットで両親及び姉を呼ぶ感じか。住宅ローン控除や保険で所得の控除および還付は使い切ってるので控除額が増えても効果はない。
結婚後に築いた資産と負債を収入及び家事や子育ての貢献度を勘案して分割し養育費と相殺することになる。場合によっては家を売却するのもあり。相場を見れば手数料を差し引いてもほぼプラマイゼロになるはず。
娘用の積立は引き続き問題ないが自分の老後資金および運用には影響が出る。年金についてはもともと扶養には入っていない。個人年金については割譲を求められる可能性はあるが、退職金を前もって運用しているので年齢的に分割の対象になるかは争えると思う。
3はコミュニケーションにならないこと前提に話を続けることになる。無視や嫌悪感を帯びた表情に折れない精神力が必要。まぁでも多分娘が割って入ってくる。また、話しかけているという事実が残るだけで共感できるようになる可能性は考えづらい。それに言葉を返すことが苦手な相手に話しかけ続けるというのも残酷な面がある。一方で違う意見を言えばまた不機嫌になる。無難な話題といえば子供、健康、今後の予定に関すること程度か。
よく見聞きする話として、子供のために仮面夫婦を続けるなんて子供のためになっていない、というものがあるが、まさか自分がその立場になるとは思っていなかった。心理的な距離感と物理的な距離が違いすぎて戸惑う。妻と娘の関係が良好と言えるなら仕事に逃げるなども可能だがこの関係こそが最大の問題で、今後さらに悪化していく予感もある中ではそれも不可能だ。動くなら一気に決めたい。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
保育と育児は、作業内容は似ているが、仕事とプライベートで「場」が違う。
自分のされてきた育児や環境は、基本的な「保育学」で「正しい」とされるものと差がある場合がある。
具体的な例として、体罰は現代ではNGだが、数十年前の家庭では一般的に行われてきたので、
そのような環境で育った保育士が、悪評価には罰を与えることを「良い保育」と感じてしまうバイアスがかかりやすい。
また、「先生」と呼ばれるような、人を指導する立場への根強い社会的信頼感(偏見とも)があるため、
集団を律することに重点を置きすぎ、本来の目的であるはずの個々を尊重する支援の優先順位が下がってしまいやすい。
具体的には、「ほら早く着替えて」「みんなが出来ているのにどうしてできないの」などの、
一般に追いついていない未熟さや個性を、ともすれば悪いものと誤解されるような表現で、子どもを支援しようとしてしまう。
人格に正しいものがないように、育児にも正しいものはない。しかし、子どもに携わる福祉職として、正しい保育はある。
たしかに会社と学校は非常によく似ている、上下関係、同調圧力、意味があるのかわからない儀礼の義務……などなど、ほぼ同じだ。
しかし、決定的に違う点が一つある
「利益追求」という考え方の有無だ
学校では、生徒は先生の命令に従って行事に参加させられたり勉強させられるだけで、「学校のために利益(お金)を生みだせ」とは言われない。
生徒が何かポカをやっても、たいていは先生または先輩に殴られるだけで終わる。
会社ではそうは行かない、何か所属組織の利益損失になることをやると、自分の給与から弁済させられたり、即座に組織から追放される
一定以上の勤続年数があれば、素行が悪くても利益を上げている人間なら許容される
学校の運動部が勝とうとするのは利益追求に似ているが、直接お金に結びつく行為ではない。むしろ、お金がかかっていれば選手の健康を重視して体罰や無理な練習を制限するだろう
逆に言えば、会社では営利と精神論を天秤にかけたとき、経営者が営利に反すると判断した問題は改善される余地があるが、学校ではそれが改善されない
そーいう意味では、学校内で生徒に「そんなんじゃ社会に通用しないぞ」とドヤ顔してる教師の方こそ、非合理的な精神論に陥っている場合がある
経営者がスピリチュアルにハマっている場合など、利益を度外視して精神論を重視する会社も存在するが、それは会社の存在目的としては本道ではないね