はてなキーワード: リア充とは
はじめてのコミケで本が売れた。
生きててよかったと思った。(※ここからは本人特定されないために嘘も混ぜるがそこは許してほしい)
ずっとダメ人間だった。顔は不細工。もう女子とは学校を卒業してからほぼ話してない。
リーマンショックのせいで、ブラック企業に偽装請負で働いてた。
それでメンヘラになった。
それで4年間ひきこもりをやった。
自分は何も残さず、家族に寄生したまま死ぬんだろうと思ってた。
怖かった。
家族が死んだあとどうするんだろう。自分も後を追って死ぬかとか考えてた。
自分にも夢があった。
西尾維新とか奈須きのこみたいな作家になりたいとかずっと思ってた。
でも新人賞への小説を一作も書かずどうせ無理だろうと思ってだらだら過ごして、アニメを見たりラノベを読んだりして青春は終わった。
そんななか創作クラスタをずっと、「うらやましい。でも失敗しろ。お前らなんかどうせプロになれず終わるんだ」と呪詛と羨望を混じった眼で見続けてた。
twitterで「こんなに絵がうまくなりました」っていうツイートが流れてきた。描き始めの絵と現在の絵の差をみんなで楽しむって企画。名前は伏せるが、大嫌いな絵師の絵が流れてきた。いけ好かないリア充野郎だと思ってた。
悔しかった。
最初の絵はノートに鉛筆で描かれた落書きだったのに、現在の絵はラノベの表紙に使われてもおかしくないクオリティだった。
その日から、一か月ぐらいずっと、悶々と考え続けてた。あいつはプロになるんだろうか、漫画家になるんだろうか、失敗したらいいのに、炎上して消えればいいのに、そんなことばかり考えてた。
そして、俺は、自分も絵を描くことにした。なんでそう思ったのかわからない。ネットに乗ってる、サルでも描ける萌えキャラの描き方講座を読み、コピー用紙に萌えキャラを鉛筆で描き始めた。
あれはきっと逃避だったんだと思う。自分の将来と向き合うのが怖かった。だから美少女に救いを求めたんだと思う。我ながら馬鹿だと思う。
最初の一か月はつらかった。どんなに描いても人間の顔にならない。美少女を描こうとしてるのに不細工どころか人類の顔になってくれない。何とか人間に見えるようになるのに1か月かかった。
ネットの情報を見ていると、萌え絵を描くにはどうやらパソコンとペンタブが必要だということがわかってきた。お絵かき用のPCとを調べてみたら、7万円はかかるということが分かった。
気が付いたら、アルバイト雑誌を入手し、アルバイトを探していた。
アルバイトを探している、と言ったら年老いた両親が驚いていた。
医者も驚いていた。
家の近くのコンビニバイトを探していたが、引きこもりオーラのせいで全部面接で落ちた。
唯一受かったのが、コンビニに調理パンを卸している食品工場のバイトだった。
一日7時間。深夜勤、時給1000円で7000円を一日で稼げた。
ずっと立ちっぱなしだったが、1か月でPCとペンタブとペイントソフトが買えた。
そうして気が付いたら社会復帰していた。
毎日昼の15:00に起きたら絵を描いて、夜の21:00に出勤し、終わったら寝る。そういうダメ人間の生活を2年ぐらいやった。
絵は下手くそだったが、お絵かきアカウントを作り、ネットにアップするようになった。
このころから、新しい友人がネットででき始めた。中にはフォロワーが1万人超えのような上級絵師さんも相互フォローになった。
アップした絵が初めて10RTぐらいされるようになったのもこのころ。
そうしたら、会社から「正社員として働かないか」と言われた。本心は嫌だった。創作に使える時間が減るから嫌だったのだが、会社は先に親のほうに話を通してしまった。こうなるともう正社員として働くしかなくなってしまった。ひきこもりとして実家に寄生しているのに「絵を描く時間が減るから嫌なの」とか言えるわけがない。いやいやながら、正社員になって働くことになった。絵を描く時間が一気に減った。一日一時間ぐらいしか描けなくなった。そんな日が2年続いた。
気が付いたら、預金残高が300万ぐらいたまってた。家に住んで近くの会社で絵ばっかり描いているし、生活費を払っても自動車も買わないのだから、それぐらい溜まる。
それからさらに数年。そして俺はコミケに出た。本当はずっと出たかったのだ。創作クラスタが11月と6月になると「東ア‐12」とか名前の横につけるのがずっと格好いいと思っていた。でも、1部も売れなかったらどうしようとも思っていた。ネットで一部も売れなくて重い在庫を持って帰るとか、そういう話を読んで怖いと思っていた。でも、預金残高を見て、売れなくても大丈夫だと考えなおした。
で、申し込んだら最初は落ちた。
二回目で初めて通った。
そこから「初めてのコミケのサークル活動」みたいな記事を読んで必要な物を一式買った。
ポスタースタンド、防炎加工の敷き布(いわゆるあのぬの)、カラーのポスター、小銭入れ。そういう物を買うたびに、不安が募っていった。
それで初めてのコミケ。
最初の一時間は全く売れなかったから、「ああ、やっぱり。不安的中しちゃったよー。もう止めとけばよかったよー」とそのまま帰って寝ようと思った。
社会と初めてつながったような気がした。
買ってくれた人に「ありがとうございます」と心から言えた。
数十部売れた。
生きててよかったと思った。
自分はコミケとか創作とか、そういうのがなければ、ずっとひきこもりだったのだと思う。
あそこがあるから生きていられる人はきっとたくさんいると思う。
以下の記事を読んでそういえば似たようなことあったなーと思ったので書いてみる。
身バレが嫌なので詳細は省く。
批判の文化が日本を技術後進国にしているかもしれないという話 - メソッド屋のブログ
運営したとは言い過ぎで、ただ単純にネットで知り合った人たちと遊んでただけ。
本名も連絡先も知らなけどネットでだけ繋がってて、誰かが暇だと言えば行ける人たちでわーっと集まって遊んで帰るみたいなことを3年くらいやってた。
誰が主役というわけでもなかったけど、私はよくいるメンバーの一人だった。
私が言い出しっぺで何かやることも多く、私がきっかけで付き合ったカップルが把握してるだけで10組はいた。
私も何人かとお付き合いさせてもらった。
そんな感じでネット弁慶なくせにリア充を謳歌してた私が一切の活動をやめたのは「感謝されないから」だった。
何がきっかけでそのコミュニティが始まったのかは覚えてないけど、私がきっかけの一人ではあった。
少なくとも何か見返りを求めて始めたことではなかったけど、最終的には前述のカップルのうちの半分以上が結婚した。
元々似たような趣味の人たちが集まってたからまぁそうなるよねという感じ。
結婚式の招待も来なかった。
今にして思えば出会いはリアルだとしてもきっかけがネットだからそこでの友人は招待しにくいかと思うけど、
当時はそこまで考えれなかったし、それでも声くらいはかけるよなと思うと悲しい。
私が喧嘩の仲裁をしたわけでもないしただのきっかけではあるけど、何人かは式に呼びますと言ってたのになぁ。
何だかんだ見返りを求めてるお前が悪いと言われればそうなんだけど、
お金とか出さなくても感謝すれば救われる人がいるってのは知ってほしい。
この経験があるから私は人のことを簡単に批判しないし無償で頑張る人はマジで凄いなとリスペクトしてます。
あとこれから何かやろうしてる人には続けるために金でも感謝でも何かしらの見返りは貰うようにしろとアドバイスしてます。
たいていが嫌な顔されるけど続けるためには必要なんですよ。
よく「表現の自由戦士が表現規制をする自民党を支持するのはおかしい」と言われるが、戦士の一人としてはっきり言っておきたいことがある。
貴様らは我々表現の自由戦士の奥深い戦略性をまるで理解していない。一から教えてやるからしっかり聞け。
ひかえめに言って我々表現の自由戦士はキモオタクが非常に多い。ほとんどの者がアニメ、漫画、アイドルをはじめとするサブカルチャー文化を好んでいる。
かつてこれらの趣味はただ嗜んでいるだけでも侮蔑の対象となり、中堅のスクールカーストを維持していた者もひとたび露見すればただちに最下層に突き落とされるほどひどい扱いを受けていた。
しかし時代は変わるものである。いまやサブカルチャー文化は広く浸透し、これらの文化に接することは何も特別なことではない。偏見は解消された。
が、表現の自由戦士・ザ・キモオタクにとっては辛い。我々はキモいからだ。たとえサブカルチャー文化に接していようが接していまいが、無関係に振る舞いや容姿や言動がキモいからだ。
我々にとってサブカルチャー文化が種々の偏見から解き放たれたり、法的に自由が保障され大っぴらに楽しめるということは大してありがたくない。むしろ自分のキモさが100%自己責任になってしまう、とんでもない毒リンゴだ。
立憲民主党や共産党、社民党はおそらく表現の自由を守ってくれはするだろう。しかし、それ以上のことはしない。キモくて金もなく、今となっては若さも失われつつある者多数の表現の自由戦士にとってこれは、いまいち魅力に欠ける話だ。
しかし自民党は違う。自民党は得をさせてくれる者を贔屓する。法律をねじ曲げてでも厚遇してくれる。変なフェアネス精神に酔った野党にキモいおっさんは救えない。公平ではダメだ。特別扱いがいい。自分だけチートがほしい。
自民党にサブカルチャー文化を贔屓すると得があると思わせ、これらを伝統文化やらなんやらとして祭り上げてもらい、国家の代表的文化を愛好する者として見なされたい。
能楽やら歌舞伎やら国文学やらを嗜んでいるいけ好かない連中が少しばかり挙動不審でも個性として尊敬されるように、我々キモオタクも尊敬を受けたいのだ。
自民党が色々と不正を働いていることは知っている。しかし我々がそれを見て思うのは「自分たちも同じように保護されたい!」だ。なぜそう思ってはいけない?
どうでもよくはない。むしろ自分に関心がある表現以外は弾圧してほしい。そういう点でも自民党には期待している。
意識高そうな純文学だとか、反体制的だったりメッセージ性のある映画だとか、こういうのが存在するからアニメを観てる時にいつまでも微妙な後ろめたさを感じてしまう。
よく「エロとかアニメ以外には無関心なんだろ」みたいに煽られるが、ある意味で関心はある。はっきり言って、我々表現の自由戦士はめちゃくちゃ他の表現を憎んでいる。
無関心なんてとんでもない。奴らがこういう頭が良さそうだったりリア充っぽい作品を発表するたびに我々表現の自由戦士は深く傷つけられているのだ。もっと配慮してほしい。
青なんとかとか、まんじゅうみたいなアイコンのやつとか、あとなんか名前忘れたけど変な名前のやつ。彼らは非常に役に立っている。
彼らがいけ好かないリベラル連中を言い負かしてくれるおかげで我々戦士も便乗して叩きやすくなっているし、ネット上における我々の発言力は確実に拡大している。
俺もよく保守が批判されている時は「表現の抑圧だ!」と言うし、リベラルが批判されている時は「批判も表現の自由だ!」と言ってあらゆる表現の自由を擁護しているよ。
でも隙あらばnoteとか講演会とかで金稼ぎしようとしているのはムカつく。
我々、表現の自由戦士は今後も増え続けるであろう。すべてはリベラルどもが我々のプライドを傷つけたからだ。公平であればいいだろうというその無自覚な傲慢さが我々を怒らせたのだ。
それを忘れるな。
僕ヤバを考える上で避けて通れない「山田はいつ市川を好きになったのか」問題。
twitter から入るとかなり初期から好意があるような気がしてしまうが、実際どうなのだろうか?
検討してみた。
個人的には「karte.22:僕はずぶ濡れた」が「異性としての好き」の始まりではないかと思う。
それまでの山田の市川に対する感情は「友達としての好感」ではあっても「異性への好意」ではなかった。
という事で、山田が自分の恋心を自覚する2巻ラスト karte.30 までを読み返して、山田の市川観を確認。
6話(ナンパイセン回)にて、市川は自分から行動した事により傍観者の立場を脱却。
14話は市川にとっては大事な回だが、山田が市川を見る目が変わるようなことは特に起こっていない。
山田が鼻を負傷している時期。
この時期の山田は鼻の事に加えバスケ部退部などもあって珍しく弱っている。
しかもそれを(バスケ部員である)ちい達にも出し切れていない。
15話(ご自由にお使いくださいティッシュ)で市川の不器用な優しさを知った山田。
16話(自転車二人乗り&パピコ)では弱気な自分の出しどころとして市川の優しさに甘えている。
この事が大きく打ち解けるきっかけになった。
自転車パピコ以降の山田は市川に心を開いていて、交流もそれまでより踏み込んだものになっている。
問題の雨降り回。
ここまでが友人としての交流なのだとすると何故、山田は傘を隠して市川にカッパを借りたのだろう??
個人的には市川のモノローグにある通り「イベントを楽しんでいる」のじゃないだろうかと思う。
突然の雨にリア充たちが相合傘を楽しむ様子を見て、自分も仲の良い男友達を巻き込んで「恋愛ごっこ」してみた、というような。
その結果、意外とドキドキした事で市川の事を意識するようになった。
続く23話では原さんと恋バナ、24話では神崎君をサポートしたり、市川をからかったり。
山田は「恋愛のある日常」を無邪気に楽しんでいるように見える。
職業見学のあれこれで市川を好きになると同時に、市川が自分をいつも見ている事にも気づく。
お菓子バレの危機に市川が見せた山田への真っすぐな想いを受けて、自分も市川に心奪われていると自覚。
やっぱり結論としては、好きになり出したのは22話で、それより前はお友達、としたい。
以上。