はてなキーワード: パプリカとは
中華や和食、タイ料理など東アジア圏の料理は簡単なのよ。これは調味料が旨味を持ってるから。
醤油でも味噌でもジャンでもナンプラーでも良いけど、とりあえず発酵調味料を使えば旨味が足せる。
でも日本人だって、だしの素やらコンソメキューブやら鶏がらスープの素やらを多用してるわけで同じようなもの。
アジアの人がこういう発想になるのは、調味料で旨味を足すってのが普通だからなんよね。
アジア料理は適当に食材に火を入れて、発酵調味料で味整えれば完成。
調味料自体が発酵させるという面倒な工程をやってくれてるので、調理自体は無茶苦茶簡単に美味しく作れる。
次に簡単なのが、イタリアンとインド/中東、南米料理。ここは「トマト」と「ニンニク」「唐辛子」の文化圏。
どれも旨味が強いので、これらを使えばだいたい美味しくなる。
ただ発酵調味料と違って、加熱で旨味を増やしたり辛味を抜いたりしないといけないので、多少は時間がかかる。
でも、長く見積もってもせいぜい30分以内。
もっと言うとイタリア料理はアンチョビがあるので、この中ではアジア料理に近くて比較的簡単な部類。
ちなみに小麦粉の加工の話はちょっと脇道逸れるので置いておく。
トマトを使える文化圏は発酵調味料ほどではないにしても味付けは簡単。コロンブス偉大だよ。
で、一番大変なのがフランス料理。
イタリア料理ほどバカすかトマト使わないし、調味料も発酵した旨みの強い調味料は無い(酢やワインはあるけど)。
食材を香り出しして、煮出して、スープ(ブイヨン)作って、それを詰めてソースにする。
って工程が必要になる。これは数時間〜数十時間レベルでめちゃめちゃ時間がかかる。
バターで塩振って焼くだけでフレンチですわよって人もいるけど、それは嘘でソースつけなければ基本的にはフレンチではないのよ。
アメリカのスーパーとか行くとBBQソースをはじめ鬼ほどソースの類が並んでるけど、ソース作るのクッソ大変なのでそこを省力化したいっていう現れだからね。
ま、イタリアンは麻婆豆腐と同じレベルか、それよりも簡単だからやってみたらいいよ。
<追加>
そうね。ポトフというかシャルキュトリーの言及してなかったな。
田舎料理とかだとソーセージやらベーコンやらで旨味を作ることが多いね。
ただ、それら使った料理が代表的なフレンチか?って言われると疑問は残るかな。
>南仏はニンニク圏
バスク地方とかね。美味しいよね。
あの辺はスペイン料理との中間みたいな感じなので、ニンニクやパプリカを上手く使うよね。
メインどころはソース必須になること多いから、手間がかかりすぎるんだと思うよ。
これは風味の保存が効きにくいから。
フレッシュな素材から作るソースって風味がめちゃくちゃ大事なのよ。
有名シェフ監修のプロ用の冷凍ファンドヴォーとか、時々使うこともあるけどやっぱ割と味落ちるんだわ。
アメリカ人?彼らはスモークつけまくったソースとか愛用してるでしょ。
>マギーブイヨン
発酵は本当すごいと思うよ。
日本での人工栽培の開始は1993年だが、生産量が増えはじめたのは2000年ごろから。
2000年11月3日放送のミュージックステーションに出演した桑田佳祐が、
「エリンギにハマっている」と紹介したことから売上が10倍になったとの逸話がある。
1990年代から中国や東南アジアで養殖されるようになり、その養殖のしやすさから生産が急増して、
世界的には2005年までにブラックタイガーを抜いて、養殖エビの大半を占めるようになった。
日本に輸入されるようになったのは2006年頃からと言われる。
2013年に全国各地のホテルが「芝海老」と称してバナメイエビを出していたことが発覚して問題となった。
スペインで生産されている豚の品種で、最高級のイベリコ豚はドングリで育てられていることで知られる。
以前からハムに加工された形で輸入されてはいたが、「調理用の豚肉」として日本に初めて輸入されたのは2003年である。
ヨーロッパでの豚熱の流行を理由に禁止されていた豚肉の輸入が再開されたとき、
2年間の熟成が必要なイベリコ豚のハムは輸入再開が遅れたため、代わりに生肉が輸入されるようになったという。
英語ではコリアンダー、中国語では香菜と呼ばれ、「パクチー」はタイ語に由来する。
日本も含め、世界的に古くからハーブやスパイスとして利用されているが、
2007年に開業したパクチー専門店「パクチーハウス」が、食材としてのパクチーをふんだんに用いて、パクチーブームを巻き起こした。
本来のタイ料理では、パクチーはシソやパセリのような使われ方をしていて、「パクチーだけを山盛りにして食べる」というようなことはない。
他にある?
以下追記。
日本への輸入は1970年代に始まり、その輸入量を徐々に増やしてきた。特に2003年ごろと2012年ごろに輸入量が跳ね上がっている。
食材としては2000年以前から利用されてきたが、スーパーなどで当たり前に手に入るようになったのは2000年以降と言えるか。
1993年ごろから徐々に輸入が増え始めていたが、特に2001年ごろから韓国産のパプリカが輸入されるようになったことで急増した。
アボカドと同じく、スーパーなどに多く置かれるようになったのは2000年以降と言える。
が、沖縄料理が広まると共に、本土でも「ゴーヤ」として知られるようになった。
ジプシーグリルっつう店に行き、日本人のガキが一人で来る場所じゃなさそうな雰囲気にたじろぎつつ、震え声でなんとか注文した
ビーフは高かったからチキンにした、みたいな記憶はあるんだが、料理名を覚えてない なんかケバブ的な雰囲気の、野菜と肉が包まれたものだった
雰囲気が完全にアウェーだったので、当然テイク・アウェーを選択 アルミ箔に包まれた、あたたかく、ずっしりした、正体不明の料理をリュックにしまってホテルまで帰った
料理はうまかった わりと酸味があって、食ったことないエスニックな風味で、熱でクタっとしたキャベツか何かの食感と、そんなに存在感のない鶏肉 総合して実際よくわからん感じではあるんだが、うまくはあった
ウォルマートじゃなかったんだが、アメリカのスーパーに行きてえ!と思って、手近なところに行ってみた
いろいろ見ながら、海外はハーゲンダッツが安いって話を思い出し、アイスコーナーを見てみると、確かにバカでかいハーゲンダッツが3.15$とかで売っていた
クッキーアンドクリーム味を買った あとハリボーと、肌寒かったのでXLサイズのパーカー(10$)も買った
ここでそうびしていくかい?なんて心中でとなえつつ、店を出たところでバカでかいパーカーを着てみて、ホテルに戻った
ハーゲンダッツはうまかった やや大味な気もしたが、たぶん気のせいで、ハーゲンダッツはハーゲンダッツだった
ハーゲンダッツだけを食って腹を満たしたのはあれが初めてだったし、たぶん今後もあんな機会はないだろうな
適当に取った安い宿(アパートメント?)が、思ったよりも郊外って感じのところにあって、着いたのが遅かったからすっかり暗くなってしまっていたのもあり、食いに出るのがややめんどくさかった 怖くもあった
グーグルマップを眺めてみると、徒歩5分くらいのところに評判のいいケバブ屋があるみたいだったので、そこに行くことにした
ケバボーンという店で、そんなに人通りの多いとこにあるわけでもないのに、店内は盛況だった
ジェラート屋あるいはおでん屋みたいな感じで、ガラスのウィンドウの向こうにいろいろな具材が区切られて並んでいて、それを適宜包んでケバブとして提供しているようだった
ラップケバブを頼むと、移民っぽい店員のおっちゃんが「具はどうする?」的なニュアンスのことを言ってきたが、具を見てもそれがなんなのかまずわからないし、わかったとしてもそれをイタリア語とか英語で表現することは俺には無理だった
ディ…ディスワン!的なことを言って乗り切ったのか、リコメンド!とか言って乗り切ったのか、時間切れで適当に盛られたのか、正直覚えていない すごい冷や汗をかいた記憶だけがある
ドリンクセットがどうこう、みたいな話もあり、多分冷蔵庫の中のドリンクを一本勝手に持っていっていいぞ、的な話だったので、そうした これもかなりの冷や汗ものだった
総合して、かなりコミュニケーションに難があった 俺のコミュニケーションに……
店を出てから宿に戻るまで地面しか見られなくなるくらいに気落ちしたが、宿でケバブを開けてみると、すっかり元気になった
デカかったし、うまかった
そもそもケバブは大概うまいが、そういう通りいっぺんのうまさじゃなく、ケバブとしてもかなりうまいという感じがあった
ローストされたパプリカ?炒めタマネギ?よくわからないが、そういう、柔らかくて甘い野菜系のものと、生野菜と、肉と、ソース ハーモニーだった
そんでデカかった 一食で食べきるにはデカすぎて、翌日の朝に回したくらいだった
付け合わせについてきたポテトは、ややギトギトしている上に、しょっぱかった しかし、それも愛嬌と思えるくらいにケバブ本体がうまかった
昼メシ、リストランテって感じの店に行って、カルボナーラを頼んだ
水を頼むとき、ただアックアと言ったら炭酸水がくるぞ、と誰かが言っていたことを、ボトルに入ってやってきた水を注いでから思い出した
カルボナーラは思っていたのと違った
まず、ペンネだった
ところどころに入っているパンチェッタは逆にめちゃくちゃ塩辛かった
それぞれの要素だけを抽出すると破滅待ったなしなのに、あわせて食うとなぜか悪くなかった
食えば食うほどうまくなる感じがした
というか、食い終わってからうまくなるというべきかもしれない 思い出として戦う感じの料理だった
忘れられないだろうな
「これ超面白くて考察サイトめっちゃ読むの楽しいよ」「発狂シーンの言葉選び最高じゃない!?」とかは全然大丈夫だった。
けど「一瞬だけど○○の本棚にゲイ雑誌あったの見た?あれ最初見た時違和感で超調べたら考察サイトに載ってて」とか「××と++はそういう事するような仲だったって匂わせてる描写気がついた?」とか「**と・・って結局どうなったかサイト読んだんだけど」とか色々言って来るようになった。
うるせー!!!!!
1日足らずで読める量!!!!
別に読まないことは良いけどなんでそれでマウント取れると思ってんだよ!!
「あのマンションに入った時から××が夢に入るように設定してて」とか言ってるけど原作読んだら全然違ったからな!
青椒というとはおもえないが、そんなら赤椒なの?
ーーー
親父・・・俺の親父。教師と剣道一筋の人生を送る。昨年還暦を迎えたため自由な時間ができ、いろいろやっている。剣道が強い。
俺・・・親父の息子。親父のことが苦手。わけあって一年時間ができたため地元に帰省し、いろいろやっている。剣道のセンスは普通になかった。残念。
ーーー
GW真っただ中の5月3日。晴天だが風が強く吹いている。雲の動きも速い。時計の針は二時少しを指している。大気が不安定な一日になるそうです、と気象予報士はニュースで述べていた。焼肉を想定している夕方には天気も崩れるだろう。どうせやらないことになると高を括り、曖昧な返事をした後に自室にこもる。
適当に動画を見ているうちに眠っていたらしい。電気がついていない部屋は薄暗い。目をこすって携帯で時間を確認すると、午後5時過ぎ。軽く飯でも食べて筋トレに向かうか、少し寝ぼけながら階段を下る。少し煙臭い。マジか。外に出ると風が少しあるものの、空の青と日の赤さが入り混じる、気持ちのいい夕暮れ時だった。
親父は木炭をくべていた。ちらりと俺に目を向け、すぐに火に目をうつす。俺は観念して焼肉の準備をする。台所には分厚い肉が大量に用意されていた。筋トレ行きたいのに胸焼けしそうだなと思う。野菜は玉ねぎともやしのみ。もやしどうやって焼くんだろう。あと大ぶりのエビ。それらをまとめて庭へ運ぶ。
「父さん、飲み物なんか飲む?」
「いや、いらない」
会話が終わる。適当に飲み物を飲みながら、2人で火を囲む。木炭に火が付くのをじっと待つ。手持ち無沙汰が極まり親父の姿に目を向ける。大学の四年間会わなかっただけで、随分昔とは雰囲気が変わったように思える。
親父、白髪だらけだけど案外髪の毛は残ってるんだな。猫背なのは相変わらず。案外身長低いんだよな。そういえば結構やせたよな。高校の時は全然俺より大きかったのにな。いつから俺のほうが身体大きくなったんだろう。色々、想う。けど言葉には出さない。言葉が心の中で反響し、消えていく。
BBQってこんなに会話が無いもんだっけ?と自嘲気味に笑う。正直気まずい。そもそも親父とあんま面と向かって会話したことなかったな。子どもの時の思い出を振り返る。
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とにかく厳しい人だった。高校で指導教員として、入学したての浮ついた学生を「君たちはもう子供じゃない」とか言って震え上がらせるタイプの人。夏休み前の全校集会で薬物の危険性とかを語る人。お前の父ちゃんって武士みたいだよなとか言われる人。
「子供を預かる教師として、自分の子どもがだらしなかったら生徒の親に顔向けができない」という信念を抱いていたため、自分の子どもに厳しいのは大変理にかなっていた。
小学校の俺はいつもおばあちゃんが作った野菜炒めを残していた。これでもかというくらい大きいぶなしめじが大量に入り、ピーマンを筆頭ににんじんやら白菜やらパプリカやら、とにかく子供が嫌いがちな野菜一色で作られていた。当然、食べることができない。
豆電球の下で親父が無言で腕を組んでこっちを見ている。食べきるまで席を立つことは許されない。泣きながらきのこを咀嚼せず飲み込む。きのこを食べているという事実だけで吐きそうになる。嗚咽が止まらない。思わずもどしてしまう。
「洗って食え」
絶望する。台所に向かい、泣きながらきのこを洗う。親父はじっとこっちを見ている。それが怖くてもう一度、泣く。
ーーー
まじで怖かったなあ。当時を思い出して苦笑する。今でこそ面と向かって食事を一緒に囲めるけど、俺が高校生になるまで食事の時間は緊張しっぱなしだった。食事中のテレビは厳禁だったから、もう黙々とご飯を食べるほかなかった。ご飯を速く食べる癖は案外ここから来ているのかもしれないな、と気付く。
親父はずっと剣道をしているせいかとにかく体がでかくて、何をしても抵抗できない雰囲気を身にまとっていた。よく食べ、よく呑み、よく眠る。毎晩22時前には寝て、朝は5時に起きる。町内を何キロも走って、庭で素振りをする。当時50歳過ぎでそれだもん、中坊のガキが勝てるわけねえよな。
でも、高校生になって直後くらいに親父に反旗を翻したことがある。コテンパンにやられたわけなんだけど。今思うとだいぶささやかだけど、でも当時16の俺にとっては十分すぎる抵抗だった。
ーーー
高校生くらいの時に「親父」とか「おふくろ」って呼び方にあこがれる時期あるよね。もれなく俺もそうだった。高校生になり、「父さん」「母さん」呼びは少し恥ずかしいと感じるようになった。同級生が「親父がさ~」と喋るのを羨ましく思ったし、なんだかイケてるようにさえ感じた。
思うに「親父」という言葉には、青年期を迎える僕たちにとっていつまでも親の庇護下ではない、甘えていた関係から自立した存在になる、みたいな印象があった。言い方自体はぶっきらぼうに聞こえるけど、青年期に正しい親子らしい関係性を、親に対して人間としての尊敬を含んだ、そんな印象を「親父」という言葉に抱いていた。
高校生になって数か月たったある日、夜22時を大幅に超えて帰宅してしまった。明確に門限というのは定まっていなかったが、遅くても21時台に帰宅することが暗黙の了解としてあった。仲の良かった先輩が、「もう高校生だぞ?少しくらい大丈夫だって。」というのを真に受けてしまった。
事実、周りの友達や先輩は門限なんて存在しないどころか、よく互いの家に泊まり合っていた。「今日お前ん家泊まるわ」とか「今日疲れたし、このまま朝までいていい?」とか、そんなことがうちは許されるわけがない。もし泊まるにしても、数週間前には事前に泊まるという報告をし、親から親に連絡を行い、「泊まりに行ってきます」の掛け声とともに家をでなければならない。
そんなのおかしい、俺だってもっともっと友達と遊んでいたい。そうした思いが積もり積もって、禁忌「門限破り」を犯す。
先ほどまでの気の大きさはなんのその、家に着いたころにはビビりまくっていた。しかし家の中の電気が付いていたのもあってか、もう高校生だし大丈夫か、と妙に安心する。ドアを開けようとする。鍵が閉まっていて開かない。庭に回る。リビングにいた妹に開けるように頼む。すると妹が「お兄ちゃん帰ってきたよ」と大きな影に向かって言った。
いつもだったら21時過ぎに寝ている父さんが起きていた。どすどすどすと大きな足音を立て玄関に向かう。俺は庭で恐怖に震えていた。
「何時だと思ってるんだぁぁぁぁぁ」
ドアを開けるとともに区域全体、少なくとも両隣三軒には響くくらいの声で突進してきた。そのままの勢いで俺を思い切りぶん殴る。庭にたたきつけられる俺。その上に馬乗りになって殴り続ける。
「どんだけっ!心配したとっ!思ってるんだっ!」
単語の区切り、呼吸の合間に殴ってくる。俺はどっかのボクサーばりに顔面を守ることしか出来なかった。躾の一環として色々殴られたことはあった。でもまるで昭和の家族ドラマみたいに殴られたことはなかった。俺は怖くて少し泣きながら、これから親父と呼ぼう、となぜか思った。
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この反抗?を経て、面と向かって「親父」とはさすがに言えないけど、俺も友達の前では「親父」呼びをするようになった。すると少しずつ親への恐怖感みたいのは薄れていった。家で極力顔を合わせないようにした。塾に通い、意図的に家に遅く帰るようになった。「塾で勉強してるし、遅くなっちゃうのはしょうがないよね」みたいな。すると自然と会話が無くなる。そもそものコミュニケーション自体が無いため、ごく自然な流れでそうなった。
もちろん色々お世話になった。高校最後の大会の前は、親父直々に稽古をつけてくれた。ライバル校の先生である親父が、ライバル校の生徒である俺を教えることはどうなんだとは思うけど、とにかくお世話になったのは事実だ。結果東北大会に出場できた。ポンコツ剣道野郎にとっては十分すぎる結果だ。
俺もさすがに知ってる。親父が不器用だってことは。俺ももちろん不器用だけど、俺も親父も素直に想いを伝えられない。家では全く会話のない俺たちも、どっちも家以外ではお喋りなのが笑っちゃうよな。
大学の同期が実家に泊まりに来てビックリしてた。「お前マジで親の前では性格変わっておとなしいよな」って。母親もよく言う。「父さんはほんとはお喋り好きで、飲み会ではみんなを盛り上げてるんだからね」って。
親父は俺に対して、何かを介さないとコミュニケーションを取れない。
俺も親父に対して、素直に想いをぶちまけることができない。
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俺もう成長期じゃないし、こんなに肉食えないよ。しかもこれから筋トレ行きたいし、あんま胃がもたれるようなの食いたくないんだよね。親父も連日肉ばっか食ってない?もう年なんだしお酒も控えて、少しは健康を意識してくれよな。
ちょっと暗くなってきたね。電気つけよっか。目が悪いっぽいね。そういえば車運転するときもっと気を付けて。車間距離近すぎ、あとよそ見しすぎ。前の車が急ブレーキしても止まれるくらいじゃないとだめだよ。
これ肉焦げてない?いいよ俺食うよ。マジで美味しいよ、親父ありがとう。
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「旨いか?」
「うん」
嵐も粗品もかまいたちも詳しくはないが一般程度には知ってるし、どちらかと言えば好きだ。
ここで言いたいのはそういうことじゃない。言葉としての話だ。一般名詞が薄っぺらい固有名詞になるなよ。
嵐と聞いて思い浮かぶのはstormであれよ。「粗品」は景品の安いタオルに巻かれた紙に書いてある奴だろ。もしかして今どきの小中学生は妖怪としてのかまいたちを知らないのか?
一般名詞から一般名詞としての役割を奪うなよ。最近の歌もそう。マリーゴールド、パプリカ、ドライフラワー⋅⋅⋅
ただ自分の中で許せるのもあるんだけど知名度とかデカさで決まってるっぽい。例えば「ゆず」は気に食わないけど「KISS」はOK、みたいな。