はてなキーワード: なおざりとは
「○○ニーでマジイキすると日常生活に戻れなくなるのでおすすめしない」といった内容の記事シリーズが、少し前に界隈を賑わせた。我々オナニスト協会としても斯様な知見が広く世に伝わることを悦ばしく思うが、先人の執筆者たちはやや書き急ぎ過ぎていた印象を受ける。つまりは『マジイキ』の定義論がなおざりにされたままだったのだ。そこで本稿では、我々オナニストにとってマジイキとはどういう状態であるのかを明確に定義しておきたい。
「マジイキした」と述べるためには、下記の3つの要件を満たさなければならない。
マジイキとは最低でもオーガズム(絶頂期)が30秒以上持続する状態を指す。男性は一般的に射精時にオーガズムに達するが、射精そのものの持続時間が10秒にも満たず、射精後は不応期(俗にいう賢者モード)に移行してしまう。ゆえに上記要件がある以上、射精及び男性器の使用によってマジイキするのは不可能である。
アナニーないしサイニー開発の背景には、オルガスムの持続時間向上の意図がある。またユメニ―では「夢見状態における体感時間」と「現実空間における体感時間」との差異を利用して、主観的により長くの快感持続を得ることを目的としており、これもマジイキ指向のひとつであると解釈できる。
(注釈)アナニーでは肛門を用い、サイニーでは催眠音声を用いる。ユメニ―では明晰夢を応用する。この他に、乳首を用いたチクニ―、瞑想を用いたメイニーなどが存在する。また、はてな匿名ダイアリーなど文章を書くときの陶酔感のみをもって絶頂する手法を増田アノニーと呼ぶ。
マジイキでは、複数回の絶頂体験を獲得することを目的とする。通常、男性であればオルガスムは射精時の1回のみであるが、マジイキオナニーは原則として射精を伴わないため複数回の絶頂を得ることができる。
例えばアナニーにおいては、下部骨盤筋群の筋収縮を人工的に引き起こし、オルガスム時の不随意運動を擬似的再現することによって、何度でも絶頂することができる。サイニーにおいては催眠音声を用いて、大脳辺縁系そのものをコントロール化におき強制的な絶頂を与える。催眠音声のなかでは「100回の絶え間ない絶頂を体感させる」商品なども出回っており、マジイキニストの精神と肉体の限界が試される。
余談だが増田アノニーにおいては、ブクマをひとつ獲得するごとに1回絶頂することができる。
そもそも論として、射精によって得られる快楽などたかが知れている。もしも射精が無上の快楽体験であるとするならば、男性の麻薬中毒者やアルコール中毒者は存在し得ない道理で、世の中はもっと平和だったに違いない。すなわち射精によってマジイキするのは不可能であり、射精時の絶頂は所詮はドラッグ以下のものであると推定される。
社会を脅かす危険ドラッグ撲滅のためにも合法的なマジイキノウハウの普及が待たれるのであり、そしてマジイキ時に得られる快楽は確実に、射精時の10倍を上回るものであることを保証する。つまり、マジイキの真価は、快楽の持続性と連続性に加えて、快楽自体の大きさにある。
例えばアナニーにおいては女性的オーガズムの再現によって射精を上回る快楽性を手にし、サイニーにおいては催眠によって性感帯の感度を何十倍にも上げる。ユメニ―では「現実」という認識のリミッターを外すことで非常識的な次元を超えた快楽を手にすることができる。また、増田アノニーも言ってみれば「自己催眠」の延長線上にあり、人間が本来持ち合わせている「承認欲求」と「自己陶酔感」を性的快楽に変換している。
マジイキニストのなかには「まだ射精で消耗してるの?」などと自己優越感に浸って煽る者も存在するが、我々協会としては全人類は等しく(老若男女、人種門出を問わず)マジイキの権利を有していると信じているし、またこの権利は何人にも侵せない、不可侵で神聖なものである。
科学の発展したこんにちの世の中でも、野蛮な性犯罪が後を絶たず、心の底から嘆かわしく思う。もしも人類みんながマジイキの正しい手法を知り、自らを慰めることができるようになれば、このような性欲が他者攻撃へと転ずる卑劣で悲惨な事件は防げるのではないか。また薬物やアルコール、あるいはギャンブルへの依存も防げるのではないか。無論、それが理想論に過ぎないことを知っていても、私は「マジイキ」が世界を平和にすることを願ってやまない。
http://anond.hatelabo.jp/20151223021454
http://anond.hatelabo.jp/20151226132550
http://anond.hatelabo.jp/20151224204014
過去、同じようなことを言われていたらごめんなさい。
初めてなんです♪、って言えば優しくしてもらえるかもしれない、みたいな打算的な期待もしています。
巷でよく、「ソープへ行け」みたいな言説があるじゃないですか。
ぶっちゃけ、あんなの嘘っぱちですよね。
ちょっとくらい体験させてもらったくらいでは、何にも変わりやしませんよ。
ただただ絶望が増すだけです。
たしかに女の人の体は柔らかいし、細いし、ぬめぬめしてるし、気持ちいいというのは間違いないかもしれません。
指先でそっと撫でられると少しひんやりしてくすぐったいし、自分からは見えないので背中を撫でられたのだか舐めてもらったのかわかんないけど不意にびくっと反応しちゃったりして恥ずかしくなったりもします。
けど、自分の右手に馴染みすぎて黒ずんで皮が伸びきったような鈍感息子にとっては、なんというか、そこまで特別な刺激ではなかったような気がします。
くぱぁと開いた神秘の洞窟に侵入させてもらっても、これで俺も晴れて大人の男だ、みたいな感慨もなく、あー、うん、こんな感じなのかー、みたいな、なんかふわふわしたような、現実味の無さ。
跨がってもらって、汗だくになりながらも腰を上下にスクワットしてくれて、胸のあたりのふにふにした物体が2つ別々に弾んでいるのをぼんやり眺めていると、あー、俺、なんでこんなことしてるんだろー、とか思索に耽りそうになります。
振動方程式だか波動方程式だかって何だったかしら、とか、知りもしないことを思い出そうとしてみます。
なかなか至らなくてしびれをきらされたのか、攻守を交替してもらって、くびれた腰をおっかなびっくり掴んで、やや反り気味のしなやかな背中と浮き出た肩甲骨と首からうなじ、後頭部の曲線、汗ばんで乱れて揺れる髪の毛を見ながらも、
少しばかり俯瞰というか、自分の後頭部の更に斜め後ろくらいにカメラレンズを設置したような、幽体離脱して自分の背中越しに眺めているような感覚に陥って、なんだかものすごく滑稽な格好をしているように思えて笑ってしまいそうになったりします。
アスタリスクを見て、猫でロックな解散芸を思い出してしまい、あまりにも場違いな妄想でかき消したくなります。ΦωΦ
相手方も、あん♪あん♪、と嬌声を上げてはくれたりするわけです。
だというのに。
にもかかわらず。
あー、これって、演技してくれているのかなー、みたいな。
なんだか気を遣ってもらっちゃったのかなー、みたいな。
エロマンガで見るような、クソデブキモオヤジみたいなのが突然奇跡の力に目覚めて、女の人をアヘェとか、おほぉぉぉとか、させてあげるようなことなんてできるわけがないんです。
制限時間が迫っても一向に機能を発揮しようとすらしない、ローションにまみれてテカテカした皮余りの愚息を、どうにか作動させようとばかりに、ひんやりした小さな手でさすさすと擦ってくれるわけです。
最後には、向こうが悪いわけでもないのに、ごめんね、ごめんね、と謝られたりしてしまって、更に居たたまれなくなるわけです。
金銭を無駄にした、みたいな後悔ではないはずだと、自分では思います。
それに見合う労働はしてもらいましたし、自分にとっても貴重な経験にはなった、と思いたいです。
ただ、「まだ俺は本気出してないだけ」だったはずなのに、もしかしたら本気を出したところで何もできないのではないかという無力感に苛まれているだけです。
きっと何者にもなれないのです。
卵の殻を破らねばひな鳥は生まれずに死んでゆくかもしれませんが、卵の殻を破ることができても死んでしまうひな鳥もいるのです。
不甲斐ない。
つらい。
虚しい。
こんなつらい気持ちになるなら、いっそ、知らずにいればよかった。
知りたくなんてなかった。
彼女にとってみればお仕事だったのかもしれませんけれども、あんなに汗だくになってまでしてくれたのは、決してなおざりなものではなかったはずですし、それはきっと彼女自身の優しさだったのだろうと思います。
だからこそ、それに応えられなかった自分が情けなくて、不甲斐なくて、悲しい。
至らず、ほんと申し訳ありませんでした。
結局、こじらせた中年男がソープへ行ったところで、何も変わりません。
無力で何もない自分を思い知るだけです。
エロマンガやエロビデオから仕入れた虚構にまみれた嘘だらけの知識だけ持っていたって、何の役にも立ちません。
敢えて若い人へアドバイスするなら、こじらせる前に済ませておきなさい、とは言えるかもしれません。
こじらせてしまってはもう、手遅れです。
将来、といっても老い先は短くなりつつありますが、万が一にでも伴侶となってくださる人がいたとしても、その相手にまでこんな負担を掛けてしまうことになってしまったら、その伴侶となってくださるかもしれない方に対しても申し訳ありません。
肥大した自意識の化け物に飲み込まれてしまって、どうにもなりません。
ソープへ行っても、何も解決しないどころか、余計にこじらせてしまったような気すらします。
それでも、
それでも、俺は、
俺は、本物が欲しい。
努力とかしたくないけど、本物だけ欲しい。
痩せる気もないし、育毛する気もないけど、本物を手に入れたい。
楽して、ありのままで、ワガママで欲張りで自分勝手な自分のままで、クソデブハゲチビキモオヤジのままで、美味しいところだけ吸い上げて生きていきたい。
消え去りたい。
透明になりたい。
ワタシはスキをあきらめない。
※追記(2015-5-31)
たくさんのトラバ、ブコメありがとうございます。返信の作法がよくわからなくて右往左往してましたけど、追記という形に致します。
まず、ひとつ釈明すると、この時は同僚に連れて行ってもらいまして、自分の意志で行ったわけではありませんでした。恥の上塗りではありますが、ますます受け身でしかない自分に気が滅入ります。事前の心構えができていなかったので、オナ禁してからならばまた違うのでしょうか。次の機会があるとしたら、留意します。
恥ずかしながら、北方謙三先生のことを存じませんで、ネットで流布している慣用句か何かだと思っていたのですが、元の発言者がいらっしゃるのですね。著書等を読めばもう少しその言葉の真意を理解できるのでしょうか。
皆様のアドバイスが身に沁みます。とくに、ちょっと今は見当たりませんでしたけれども「気づいたんだ、僕からキスをすればよかったんだ」というコメントにハッとしました。みるん王子。俺はユリ熊嵐の何を見ていたんでしょうかね。恥ずかしい。ゲスゲス。
とはいえ、クソデブハゲチビキモオヤジなんかがいきなりキスでもしようものなら暴力沙汰で訴訟になりかねないので自制しますけれども。
「感じなかった」とか「たいしたことない」という感覚であったのは確かなのですが、別に気持ちよくなかったわけではありません。他人と密着するなんて体験はこれまでほとんどしてきませんでしたから、なんというか、その、くっつくのってそれだけでドキドキしますし、ふわーっとしたような、ああこれが「幸せ」ってものなのかなー、みたいな感覚にもなりました。『彼氏彼女の事情』に、ただぎゅっと抱き合うだけで充足されるみたいな場面がありましたけれども、ああいう感覚を初めて実感できたというか。
ただ、その「たいしたことない」ことですら、まともにできなかった自分が情けないといいますか。彼女のお仕事としては「フィニッシュ」という目に見える形での成果こそが必須だったと思うのですが、それを為せなかったのが、双方にとって心残りになってしまったように思います。皆様がおっしゃるとおり、自己流をこじらせた結果、鈍くなってしまっているのだと思います。こればかりは、こじらせてきた歳月の長さ、重みを思い知らされた気分です。
皆様から「変わった」と言っていただけると、自分では自覚できていないものの、何か得ることができたのかもしれない、とは思えるようになりました。あとは、俺自身がどうするか、どうしたいか、ですね。まだ何も見えてはいませんけれども。
他所様ですが、http://togetter.com/li/828262 こういった報告を読むと、若いって素晴らしい、眩しいと思います。
某社でディレクターやってんだが、昨年の6月くらいにパンフ制作で提携会社の名前をミスったまま納品しちまった。
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校正は予算が無いからクライアント側ですべてやるっつう案件で、
俺はその点は先方に丸投げしてまったく気にせず目についた誤字だけ適当に直してた。
これでOKっすね?間違いないっすね?って入稿・納品。
案件を忘れかけてたつい先日、先に書いた提携会社の名前のミスが発覚した。
提携会社からの信用が無くなるとか社の威信にかかわるとか言ってくる。
おたくら校正の予算がもったいない、たいしたページ数でもないからこちらで全部やるって言ってたよな?
ミスがあったのは残念、今後ともどうぞヨロシクで押し通したが、胸糞悪いわ。
次の日に、おそらく先方の校正担当であったろう社員から電話がきて、
今後このようなことが無いようにするにはどうしたら良いか?と聞かれた。
餅は餅屋っすよ…。
やる気のないコロ助と山積みになったザリガニをイメージするんだ。
おざなり:いい加減で、やる気がないコロ助。
なおざり:放置していたせいで、ザリガニが山積みになってしまった。
「おざなり」と「なおざり」は意味が近く、共にいい加減な言動を指していうが、「おざなり」は「御座成り」と書くように、当座の間に合わせの意味であり、自分で意識的にいいかげんな言動をしてその場を逃れようとすること。一方「なおざり」は、注意深くないことであり、自分では意識せずにおろそかな結果になってしまう言動にも用いる。
http://kotobank.jp/word/%E3%81%8A%E3%81%96%E3%81%AA%E3%82%8A
また掛算の順序の話題盛り上がってるな。
どうも順序は関係ないよ派の人々は、
算数だから答えは客観的・論理的にひとつに決まっていないといけないと思っているっぽいが、
本当にそうなの?根拠のないローカルルールはダメなの?っていつも思う。
道路の右側通行、左側通行と似たようなもんで、別にどちらにするべきか根拠はないけど、
一度、一方に決めたからにはそれが正しいっていう類の「正解」ってあるじゃない?
算数のテストで、そういう類の「正解」を問うべきではないってのこそ、
特に根拠がないと常々思っているが、あまりその辺が論点にならなくって、
最近は、Togetterとかおざなりにしか読んでない。(なおざり?)
こういうのとか。
たぶん公に「掛け算の順番固定は数学的にも国語的にも根拠は無いけど授業効率の観点からは合理的な、あくまでもローカルルールなんです」って宣言してしまえば教師も生徒も親も楽になるのではないかと思うのだが。
順序固定派を避難してるっぽいけど、
それの何がいけないのか素で理解できないので誰か教えて欲しい。
数年来の友人と連絡が取れなくなってしまった。
その気持ちのお弔い。
学生時代からの親友で、最後の1年程はなんとなく付き合っていた。そんなような雰囲気だった。
雰囲気だった、というのは別の友人にその話をすると決まって「それって付き合って言えるの?」と言われていたから。
そう言われてしまうと、なんとなく確信が持てない「お付き合い」だった。
一応正式にカップルという枠に嵌りましょうかって合意はあったんだけどね。
まあ元は友達同士で、とても気が合うと思ってちょこちょこ一緒に遊んだりしていたので、そんな合意があろうとなかろうと、その人といるのは楽しかった。
友人に疑問を投げかけられる私たちの「お付き合い」は、それはなおざりなものであった。
(脱線するが、「おざなり」と「なおざり」の用法を調べたら楽しかった。http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/55147.html)
真摯さや誠実さが足りなかったのだ。
自分はこうしたことが初めてで勝手がわからず、どうしても友達の枠を超えるのが恐ろしく逃げ回っていた。
相手は何人か以前に居たそうだが、どれも短期間で終わっているし今回もすぐ終わるようなことをよく言っていた。
どちらも連絡不精で、日常的な音信はない。こと相手から連絡が来たのは数回あるかどうかという程度。
お付き合いを始めてからは、一緒に遊ぶと大体試されるか別れ話になるかのどちらか、或は両方があった。
3回に一回は別れ話になっていたし、試すというと自分が被害者ぶってる大袈裟な表現だけど、要は女の子と2人で遊んだ話やどうやったら職場の子を食事に誘えるか、というような話をいつもしていた。
友達の時はそういう事を全く言わなかったので、なんだか意外で、少し悲しくて、それでも自分のせいでその人の付き合いが制限され、毎回同じ人としか遊べないのは詰まらないよなあと思うから自分を納得させて、その人が誰かと遊びに行った話を聞いていた。
その人は仕事も忙しいし、自分は月に1度遊べるから十分だ、と考えるようにしていた。
そういう話以外は、普通に友達の頃と変わらない。基本的には、楽しい。
ただ性に関する話題を振られるようになって、コメントに困ることが若干あった程度。
自分で色々理由をつけて納得していたつもりだったけれど、知らず不信感は募っていた。
私が異常に小心なせいで一切の触れ合いがなかったので、相手も不信を育てていたかもしれない。
その人が信じてほしいと言った時、信じることができなかった。
友達としては当然好きだった。
数少ない大切な友人の一人だった。
「忙しい」のも信じてた。
でも話す時間や一緒に過ごす時間を全く持てなくて、相手に対して疑心暗鬼になっていたんじゃないかと思う。
放置され関心を持たれないので、ひどく落ち込んだりいやいやそんなの忙しいから仕方がないことだと、気持ちの振幅がすさまじかった。
自分を納得させきれない・相手を信じ切れなかった私が悪かった。
そこで終わってしまった。
半年ほど距離を置いたんだか友達に戻ったんだかの後、唐突にメールで再度振られてどうでもよくなった。
相手にとってはその程度だったんだなあっていうのが、腹の底から納得いった。
不信を伝えて傷つけてしまったために、そこまで嫌われてしまったことも堪えるけれど。
虚無感とか無価値観とかものすごい無気力状態が暫く続いて動けなかった。
人に嫌われることはよくあるし気にしないけど、自分が好きな人に嫌われるのは人生で初めてだった。
今は新しい人間関係を構築中で、知らない世界がそれなりに楽しい。
新しい目標ができたし、それに向けて頑張る仲間と知り合えた。
個人的に仲良くしてくれる友達もできた。
あの人のことで泣くことはもうない。
恋人と別れて5年経った。
別れた当初は我儘だしすぐ結婚したがるし金銭感覚おかしいし軽くDVの気があったしで、
4年付き合ってよくよく考えた結果わかれてよかったと思ってた。
以後恋人が出来ない。というか作ろうって思わない。
だけれど。
ちょっと下の方に書いてた人じゃないけど、SNSでその昔恋人が出来ないと騒いでた筈の友人たちが
その人たちは別に見せびらかそうとかそんな意図じゃないのもはっきりわかっていて
実は自分にものすごい問題があって、あの時別れない方が良かったんじゃないかって思ってる。
恋人とかセックスしたいとかそういうのは、実の所もう本当にどうだってよくって、
やりたかったらやってくれればいいし、ご飯が食べたいならつくるしさがすし、もう本当にその辺りどうでもよくて
たとえば家で今の時間に明日仕事面倒だね、と言ってほうじ茶飲みながらちょっとテレビを見たりとか
その時使うテーブルは一緒にIKEAやfranfranに出てきて二人で話し合って決めたとか、
家にあるものの一つ一つに適当だけどなおざりには出来ない程度の思い出があって、
そういうものがあることによって、不安定だけど軸が動かない小さな安心感が欲しい。
これから死ぬまで積み重ねていく時間の中で出てきた記憶を分けあう相手が欲しい。結婚とか本当どうだっていい。
残念なことなのか幸福なことなのかわかんないけど、ある程度真向に立ちながら時間を積み重ねて分けている人たちが今の所職場にしかいない。
友人はきっと普通の人並みにいるし、人から見たらある意味リア充のくくりに入るのかもしれないけど
心のどこかではもうつかず離れずの距離まで離れてる気がする。
なんかもう、それはそれでいい気もしている。
もしこの空虚が、これだけの時間も経ったことだし、もう破られる事がないんだったら
どうやったらそれを知ることが出来るんだろう。
「体罰=殴る・平手打ち」→「殴る・平手打ち=暴行」→「体罰=暴行」→「暴行=犯罪」→「体罰=犯罪」
みたいになってる気がする。
違いますよね。
殴るのも平手打ちも体罰のうちかもしれないけど、
「給食抜き」とか
「バケツ持って廊下に立ってろ」とかいった「体罰」の話がなおざりになってる。
※以下本稿では、暴行のイメージにまみれた「体罰」と区別するために、こういうのを「身体的処罰」と呼ぶことにする。
体罰反対をとなえる人の中に、身体的処罰すらも無くすべきと言ってる人と、そのくらいならあっていいと言ってる人が混じってる。
さらに、「そもそも子供に対して罰は必要ないんだ」とまで言う人も混じってる。
僕は今のところこんなスタンスでいる。
・身体的処罰は、積極的に支持。
ひとつめについては、僕にとっては論を俟たないほど当たり前のことなんだけれど、違う意見の人もいるみたい。
オトナの集まりである会社ですら、罰則規定のある就業規則で秩序が保たれてる。
たとえば中学校の教室で、授業の秩序を紊乱する生徒が出現したとしよう。
このルール違反に対して、教師にはどれだけの方法があるのだろう。
僕は寡聞にして、身体的処罰よりも有効性と即効性のある非身体的処罰を知らない。
もしあるなら、教えていただきたい。
たとえば停学や退学は、即効性はないし、そもそもルール違反と処罰のバランスとして適切さに欠ける。内申書への影響とかさまざまな不利益があるはずで、たかだか授業中に騒いだだけの生徒にそこまでの不利益を与えるのはちょっとね。
ほかに、何がある?
授業を中断してその生徒を叱責して秩序紊乱をやめさせる? 秩序紊乱が収まるまで説得を試みる?
そんな叱責や説得がスッと聞き入れられるなら苦はないですね。もちろん最初はそれを試みるべきでしょうけれど。
放置する?
そういう行為が放置され罰せられないという状況は、他の生徒たちに対する教育効果としてどうなんだろう。また、そんな状況で授業を受けさせられる他の生徒たちが可哀想。
それらの間を埋め、教師にとっては機動的に発動でき、生徒にとっては重すぎず将来に禍根も残さない、リーズナブルな処罰として、現場の教師による身体的処罰は効果的に機能し、だからこそ明治以来の「体罰禁止」のルールのもとでも脈々と存続してきたんじゃないかな。
それだけじゃないかもしれないけど、少なくともそういう一面はあったと思う。
もちろん、慎重な運用は必要。教師がその場で発動できる機動性と教師のその場の感情に左右されるあやうさは表裏一体だから、ホントに気をつけなきゃいけない。
ただ、教師ってのはそういう専門の教育を受けてなっているものなのだと信じてみたらどうだろう。
何らかの自律はできるものと期待して、そのくらいの権限を与えてもいいんじゃないかな。
その程度の権限すらなしに、教室の秩序を保つ義務だけが押しつけられ、生徒をちょっときつく叱っただけでモンスターペアレンツから教育委員会にチクられ、そんなので教育荒廃の責任を負わされては、いくらなんでも可哀想だ。
その上で、自律できない教師がいたら、クビを刎ねればよいのではないか。
さらにもちろん、身体的処罰に代わる
「教師にとっては機動的に発動でき、生徒にとっては重すぎず将来に禍根も残さない、リーズナブルな処罰」
が発明されるのが、最も好ましいことだと思う。
だから、もし僕が知らないだけなら、「こういうのがあるんだよ」と教えてほしい。いつでも上記の意見はコロッと変わる。
体罰は、無いに越したことはない。
ウィンドウズでWindodowsまで引っかかったり、
そんなわけの分からない間違いまで拾ってくれるなんてすげーじゃねーか。ウィンドウズで検索してWindodowsが結果に出てくるまで何ページめくればいいのかわからんから、確認してないけど。
ごめん。意味が分からなかった。どのように期待に反していたのだろうか?
とりあえず、期間絞って検索はできる(「検索ツールを表示」ってのがあれば)のでそれを利用すればいいと思う。
それはそれとして何を結果の上位にするか、は検索エンジン提供者にとっては肝であるし、Googleは古いものよりも新しいものを上にすべきだと判断したのであって、なおざりにしたわけではなかろう。それにどんなに古い情報であっても、上位に来ることはあるので、Googleが古いからダメと決め付けているわけでもないだろうと思う。
自己の生を豊かにしなければ他者の生を豊かには出来ない、というような理屈があるならともかく、
自己の生の充実を犠牲にして他者や社会に貢献しようとすること自体は、非難すべきことではないだろう。
自己の生の充実だけを求めるのは、エゴイズムでしかない、という理屈も成り立つ。
個別のケースで、どちらの理屈がより当てはまるか、というのは、自明に一般的に判定できることじゃないだろう。
仮に、自己の生をなおざりにして、大きなもの、国や社会に血道を上げることが非難すべきことであるとしたら、
それは、身近な他人や社会、身近な現実に貢献したり、寄与することなしにそうすることのもつ、ナルシスティックで観念的な部分だろ。
しかし、そういう批判は当たっている場合もあるにせよ、それだからといって、自己の生の充実を優先目標にしないこと、を
非難する理由にはならない。
妥協して落しどころを探ると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・法案は骨抜きだ
政治に民意を反映させ法案を押し通すと・・・・・・・・一方的だ、独裁だ
部下に大きな権限を与えて任せると・・・・・・・・・・・・丸投げで無責任だ
官邸主導で進めると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・独裁政治は許せない
決断を下すと・・・・・・・・・・・・・・なぜ急ぐのか、慎重に議論すべき
保留すると・・・・・・・・・・・・・・・・また先送りか
〃 下がると・・・・・・・・・・・もっと国民の声に耳を傾けよ
靖国に行くと・・・・・・・・・・・・・・近隣諸国の許可を得たのか?軍歌の足音が聞こえる
閣僚人事の予想があたると・・・新鮮味がない、地味
〃 〃はずれると・・・・・・・・・またサプライズの手法、実務派を使え
拉致問題に取り組む前・・・・・・北朝鮮との友好を壊すな、拉致は政治的捏造だ
〃 〃 取り組み後・・・・・なぜもっと早くやらなかったのだ
北朝鮮に強い態度取ると・・・・・なぜ話し合いで解決しようと努力しないのだ
規制緩和すると・・・・・・・・・・・・・競争が激しくなり格差社会を助長する
〃 〃 しないと・・・・・・・・・・・既得権益にメス入れろ
株価下がると・・・・・・・・・・・・・・・景気悪くなった、なんとかしろ
〃 上がると・・・・・・・・・・・・・・格差広がった、すぐに是正しろ
景気が良くなると・・・・・・・・・・・・企業優遇税制をやめろ、格差社会を是正しろ
〃 悪くなると・・・・・・・・・・・・景気対策がなおざりだ、社会保障を充実しろ
景気対策をすると・・・・・・・・・・・・バラまきだ
〃 しないと・・・・・・・・・・・・政府は日本の景気を底上げするつもりがあるのか
増税を唱えると・・・・・・・・・・・・国民をさらに苦しめるつもりか
〃 行わないと・・・・・・・・・・・・逼迫した財政をどうするのか
http://anond.hatelabo.jp/20080610203049 のブックマークのコメント
# 2008年06月11日 yukky2001 work, society 長期的な人員予測の適当さを日雇い労働者に転嫁するのはどうなのかね。簡単に解雇できるからこそなおざりになってる部分がないか?当人たちがそれを甘んじて受け入れる必要はないと思う。
は、ちと違うね。
「長期的な人員予測」を行うより、日雇いで、必要なときに必要な分だけ雇うほうが、経費を抑えられるんだ。
経費を抑えると価格競争で有利になれる。利益を出せる。生き残れる。
生き残らなければ雇うことが出来なくなる。仕事すらなくなる。仕事は海外に行き、残るのは失業者だけなんだ。
それでも食っていかなければならないから、日雇いでも働くんだ。
あと俺イナゴぶくまーだから、ダイアリに書いても読んでもらえない。
だから増田に書いた。後悔はしていない。
理由は、犯罪被害者保護/権利擁護について、全然もりあがってないから。
そのじつ、正気を失って顔を真っ赤にしてることに気付かない。
被害者問題からフレームをずらそうとする、左派のオモ坪ですから。
被害者権利が拡充されたら、容疑者さまが不利益をこうむられるから、
本村さんや世間を挑発してる。
本村さんは、哀しいまでの冷静さで、その挑発を振り切ったけど、
世間や保守論壇は、みごとに釣られてしまった。
制度的に切り捨てられている被害者たちに目を向けさせまいとする、
ヤスティー軍団のもくろみはまんまと成功し、
上告してホニャホニャしても、支援集会なんかで世間を煽り、
Fの死刑が執行されるクライマックスまで盛り上げて盛り上げて・・・・
・
・
・
おまえらそれじゃ困るんだよ。
世の被害者たちは、少年Fいいなーって思ってると思うよ(パラドクスじゃなくてマジで)。
たとえ党派性の権化だとしても、あんだけぞろぞろ守ってくれる人がいて、いいなーって。
それくらい、被害者って孤立してる。
たとえば、はい犯罪にあいました。
ショック受けたまま、取り調べ。
これ、めちゃんこツラい。
お巡りは、少しでもディティールを聞き出そうとする。
同じ質問を、何回も何回も。(それが仕事とは言え、最低限の配慮すらない奴大杉)
少しでも回答にブレがあったら、また何度も何度も。
この段階ですでにサポートの人間が付き添ってくれる国もあるのに、
被害直後からお巡りとサシでアンケ拷問ってそれどうよ。
で、仕事は休まなきゃならないかもしれない。
ケガがあったら通院、ヘタしたら入院かも。
最悪、被害者の老親がいきなり遺児の保育費ださなきゃとか、
申請しても、1年くらい待たないと支給されない。
すぐ入り用なのに工面できないひとは、どうすればいいのさ。
(つーか額面じたい、一律でない部分の幅をふやしてほしい)
被害者サポートセンター経由で、グループカンセリングとか参加して、
被害者同士しか分かり合えない傷をなめあって
ようやっと立ち直りへの道を探している頃に、
(PTSDって、イラク三馬鹿でイメージ悪いけど、ホントしんどいよ)
ほいでやってくる裁判に、心の準備をしていると、
検事務がきて「なんか直接言いたいことあるですか?」
「え…、はあ…」「じゃ○月○日に意見陳述」「!!!」
──○月○日
おれ「え、は、はい…」
うわあ、courtの中あったかいナリ・・・って、俺なんの法知識もないし
つーかおめえら、検察資料なんも見せてくれねえじゃんw
今までだって、犯人のケツ眺めて、法律用語でいろどられたキャッチボール聞いてただけ。
「ブン屋にリークしたから記事でディティール追え」っておまwww
(地方面ベタ記事にすらならない事件だと、被害者はさらに置いてけぼりになる)
当たり障りなく「被告の真摯な更正を望みたいと思います」なんて。
内心ぶっちゃけ、応報チャクラ殺意の波動が燃えたぎってるんだけどね。
でまあ、傍聴おわると、ブン屋がコメ獲りに囲んで来る。
あれ、数が多いと、裁判所から追い出されるのな。
他のかたのご迷惑って、おれがお招きしたお客でもないし、
そもそもこいつらが来た理由自体も、俺に直接由来じゃないんだがw
(こういう時は基本警察も検察も弁護士会も場所を貸してくれない
特別視はできないんだそうだ。アホか)
正直、ブン屋が傍聴席にいたりカメラが待ってるの見るだけで、
心臓に鉛つっこまれてグッと掴まれたような気がして
裁判所から出られなくなることも。
傍聴だってさ、今は優先権があるけど、昔はなかったから、
被害者サポセン職員や親戚に頼んで並んで貰って抽選確率増やして、
ってもう泣けてくる。ほんとに。今は優先権があるけど。
俺自身特定されたらやだからやめる。
でも、ここまで書いてきた被害者って、
みんな不幸になってるのに、制度的に、
加害者より軽んじられてるのは否めないと思うからなんとかして欲しい。
でも昼間どこかのテレビ(キー局)の解説者が、
なんてのたくってたのベッドで思い出して
くわしい人とかには当たり前のことだったかもしれないけど、
当事者的に知ってることだけ書いてみました。
ここまで読んでくれた人、ありがとうね。
これとかもっと報道されるべき。
http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/afb4fb2b74625c50c51e489f7369ebb4