はてなキーワード: 転回とは
ヤ゛ァ!!!マダ★ㄨの世⃣⃣⃣⃣ΨΦ界ので
の!!?!の下請ケ゜厶゛ラィ⤴ェ
ラーゥ建没ェラーッ!!!と産業おΩこってΣる
だア「「「「「「ッ」」」ッ!!!ゼΦノ・∀トΦラベラーーЖー!!
αイえば、无请け(とても惡ΨΨΨい人が弟
子に殴る様に発注する゙通常、風纪が
やる、こんなガ..カメラ🎥とかスマフォΞΦΦΦ
アッッ!!?!!やはПり〜ΣΣΣΣΣーーーーちょっかい
を出す確率はニャーン大!!!!风纪は
捕まるのオ嫌だΔから、同じ事をΞ手下に
発注手下もΩよい分けΣがΞΞΞΞΞんばヮらない、
ので同じΦΞΞΞΦ事をチンピラに指示そ
うする∇と、元请けとチンピラはもう
関系ないで、ダアアアアチンピラは賢
くないし、責任感もないのでΨΨα指
示通りやらないのが当たり前でΩ大
体ポリ公にΞΦΦやられちゃう!!!!!!!!!!!!!!!!
!クニルがどこに埋めるかとかゎ昔
ゎ代々引き継がΞΦΦΦΦれてきたけど、
だアッッ!!!!!!! จุฬาลงกรณ์湯川先
生 コペルニクス的転回!!αα???上記の
様な理由で、最近はドンドンドム~
🕴️の仕方が時代遅れになってる...
例えば栃木で殺された人はΩΩΩハ
イギングコースにいい加減に置か
れてた!こんな所でΣやればΣ絶対
ヤァ!ツバレ!る!!!!!!?案の定、同ΨΨαα
じ様にパクラッレたけど...発注者
に近い程、人数が少なくなるの
で、クラレイ゛アアアアアントは絶対にΦ調
べられない。
って ███に書いてあった。
Chagtp:
本的基にく考えどうるぃてルぅァッッッッ???
にに特力子原、殖炉速高増、うぃこ点観めて含も
い伺おばれけでとずまぃ思...!
アリベシビノのクスルビシは地の北極ぃざでご
グンィテーヒりまとうがそなったわけであります。
りやもだれといたは思っていないすまぃと思。
力火の来従に常非が題問なき大らながみはを、
にずれ知でま日今に常非用重てきされて
もとこういうぃざご、てましまで先らかれこ、
にうふういどうかていくえかりき対にとこういう
、てしに対にき的極積とっちょうもをき開展るべ図
かとういふないはるえ考でけわざぃでご。ます
は科学工械機生年一の見てもが
。すまぃざでごとこなんそ、らたしまりおっ言を
長課当担、のでたしまぃざでごに私、
とういるかす決解うど長座の会話懇とれやを
頼依けわたに来。すで
失得害利りはやく比よをてしまし致、
、は私力子原は用急緊に常非要重。るであ
ムウニラウ、とすまし致ったわ賄で
ント万一に間年一。すまりり要蓄備のいらぐれそ
が、がすまぃざでごけわる要」ゅじんも「が
物棄廃性射放がるめ。からすまぃざでごけわ
上以体大。すまりであ
〕席着理代長会野鹿、席退長会〔
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08
※日曜日の本放送だけ1時「25」分から …来週は1時半から、これの再放送です
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
とりあえず今回の再放送は30日土曜日にはなく31日日曜日は13時「半」にあります
今回分のもうひとつのアップはその再放送上でのパネル確定時の予定です
赤:峯智41@福岡 4.16
・02 樋口一葉 ひぐちいちよう
・03 金星
・05 北海道(石
・08 コースター
・09 くるみ割り人形
・11 [近似値]27
・13 ウラジロ
・14 『ナウ・アンド・ゼン』NOW AND THEN
・15 スクルージ(・マクダック
・16 スカッシュ
・18 舞鶴(市
・21 フランク・ロイド・ライト
・25 HoneyWorks ハニーワークス
・27 野沢雅子 のざわまさこ
・29 ビタミン)C
・30 鹿児島(県
%% 着手中 %%
- 書写A : タイピングで書き写す。
- 書写B : 導入初期はタイピングで書き写す。(手書きに変更するかについては今後検討する)
- 書写C : 手書きで写す。
- 書写D : タイピングで書き写す。
- 書写Dについては本工程を省略する。
- 新規作成したファイルへ、それまで書き写した内容の続きとなる文章を書き出す。
- 書写A,Bについて、「見ながら書き写す」から「文を見る→目をつぶって諳んじる→目をつぶったまま書き写す→目をひらいて修正する」の繰り返しに変更する。
- 以下を実施する。
- 修辞を用いた一文と、その前後の文を含めた文章の抽出・保存
- 抽出元は直前の書写で書きだした文章、抽出先は新規作成したマークダウンファイル(以下、mdファイル)とする。
- 文章のなかで目にとまった単語を、mdファイルのタグに追加する。
- 以下の項目を追記する。
- 1W5Hに関する内容(箇条書き)
- もしストーリー上の転回となった場合、以下の項目を追記する。
- 要約
- 月末まで固定する。
- 既に書き写した小説
- 短歌
- 各国の憲法,不文憲法にある条文(日本以外は邦訳を用いる)
- 内容はセクション「情報収集」で保存する。
%% 未着手 %%
%% 未着手 %%
%% 未着手 %%
%% 未着手 %%
2023/09/15:
- 概要
- 実施事項
- 参考
- 書写
- 読書
- 情報収集
- 執筆
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
気色悪い~~~~~~~~~~~~~いぃぃぃ!!!!
女ほうばっかチラチラチラチラ見てんじゃねえよ!!!そんな精液の臭いをプンプン垂れ流した文章をネットの海に放流するてめえは誰よりもオスだ!!!
①にしても男性性関係ねえ!!女性だって家庭内暴力振るったらDVだし外で暴力振るったら傷害事件なんだよ!!
「男らしさから降りる」ってのはさあ、お前の自身のためにやるもんじゃねえの!?
「女性様、安心してください。僕は暴力も振るわないし女性とセックスすることなんて考えてない無害なオスです」ってアピールになんの意味もねえわ!!
な~~~~~~~~~~~~にが「性的消費」だチンカス!!その発想がキモいわ!!むしろ「ぼくは女の人や二次元の女の子は性的消費しません!」って言いながら変な興奮してんじゃねえのか!?
アダルトビデオ見てなかろうがなんだろうが知ったことじゃねえ!!むしろ逆に好きにこっそり見ろよそんなの!!!どちらにしたってわかりゃしねえんだからよ!!!
どうせ釣りかなんかなんだろうけどさ~~~~~それにしたってキモすぎるわ。
「男性性から降りろって言ってるのに実際降りたらこう言われるんですね」とか言い出したら承知しねえぞ。だって降りてねえじゃん。女ァ~女ァ~ってうごめくゾンビがよ。いつ噛み付いてくるかわからん腐った男は男性性じゃなくて人間性を失ってるだろ。
「じゃあ正解教えて下さい」もダメな。お前のためにお前が男らしさから降りるんだろうが。お前がつらくならないような考え方はお前しかわからないの。なんなら男らしく生きるのが自分にとって良いならそう生きりゃいいんだよ。
いままで二十数年間女性と縁遠くて、ずっと鬱憤が溜まってました。
どうして僕はこうなんだろうと。
なぜこんなに男らしくないんだろう……そんな考えに抑えられてたんです。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを克服し、弱い相手を暴力でいたぶります。
❸ 女性を食い散らかします。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、別の方法で埋めることにします。
❹ 女性を人間として扱う以前に、モノ扱いするようにします。暴力性を全開にし、女はただの産む機械だと考えるようにします。美人だから緊張するとかやめてどんな女だろうが平等に暴力性を発揮するように努力します。
匿名ダイアリーとブックマークに、この方針で弱男らしさを捨てた先輩はいらっしゃいますか。
いままで二十数年間女性と縁遠くて、ずっと鬱憤が溜まってました。
どうして僕はこうなんだろうと。
なぜこんなに男らしくないんだろう……そんな考えに抑えられてたんです。
❶ 暴力的な悩みと縁を切る。立ち向かえない弱さを反省するのは止め、強い相手からは逃げます。
❸ 女性にモテたいという願いを捨てます。心を許せる誰かがいない空虚さ、家族がいない寂しさにずっと耐えていましたが、諦めます。
❹ 女性を女性として扱う以前に、人間扱いするようにします。性別に関係なく、自分と同じただの人だと考えるようにします。美人だから緊張するとかおっぱいに目を向けるとかを一切止めるよう努力します。具体的には、美人、などという評価基準を捨て去るように反省します。僕は男性は別に美人だとか考えたことないのだから、シンプルに男女平等を適用すれば可能なはず。
匿名ダイアリーとブックマークに、この方針で男らしさを捨てた先輩はいらっしゃいますか。
注意点や落とし穴、基本的な心構えを教えてくださるとありがたいです。
追記・午後8時
コメントを読みました。
僕は悲しい。
追記を読んだ感じだと、優先度の高いアドバイスとしては、①なるべく左側の車道(路側帯)を走る、②サドルを上げる、だ。
歩道走行可の標識が出てるところもあるけど、それでも原則は車道と思っておくべし。その方が安全だし、歩行者を気にしなくて良い分、歩道より楽。
右折とか信号がらみでちょっとくらい歩道や右側走るのは(本当は良くないけど)最大限安全に気を使って最小限度で、なるべく車道側を(道路交通法第63条の4第2項)。あと、橋とかで路肩が狭いときも歩道に行くのは有り。
とにかく、車道は左側通行厳守。右ハンドルにバックミラーつけるのお勧め。
路駐の車を右から抜くとき、急転回すると横に出た時に後ろの車との隙間が少なくなりやすい。車が進行方向をスムーズに調整するには3秒かかるから、路駐の車の5秒前には後方確認して手信号出して右側に寄り始めよう。
サドルを上げれば、背中は前傾するし、段差とかで体重抜くのも尻より手足に体重乗せるのも自然にそうなるので、サドル上げれば一気に良くなる。
あと、車道を走ってれば段差も減るので、ケツの痛みも減ると思う。
メイカーなんだけどさ。確かにトランスジェンダーの人いるんだわ。
ある日突然、新しくトイレができたのよ。吹けば飛ぶような工場建屋には全くふさしくない無駄にちゃんとしたトイレ。工場とは別当。外観はなんかの観光施設みたいで豪華。
あんなのに金使うぐらいなら給料上げてくれ、って言っている人も黙っちゃう出来。
地場の木材を使うともらえる補助金使って、木造。杉の爽やかな香りがする。
男性用、女性用、狭い誰でもトイレ(普通のトイレより広いが車椅子の転回はちょっと厳しい。オストメイト付き)、広い誰でもトイレ(サービスエリアにある様な広々としたトイレ。オストメイトはもちろん、何故かベビーベッドまである)という構成。
で、車椅子来客があった場合と、癌やって人工肛門使っている人ののため、という事になっていたんだけど、風の噂で、会社見学に来た学生さんが現場トイレに入って青い顔を出てきて消えた、女性→男性になった人がいて、その人が必要だと社長に直訴し、それが決めてだったと聞いた。
うっすらと誰だかは分かったんだけど、同じく前から男性という認識だったよ。みんな同じ色の作業着。田舎なので更衣室はなくみんな作業着で通ってるし。現場のトイレは男女共用だったし。
あー、話には聞いてたけど、いるんだああとうっすら思った覚え。
同居人になんらかの精神的転回があり無限におれを加害者扱いするモードに入ってしまい(なお心当たりはない)、正直相手してらんねーよと思いつつむげにしても殴られたり物壊されたりしたら本当におわりなので状況が極まってしまっている そいつがバイト飛んだりなんなりで生活ぼろぼろなのを見ていたから話聞いたり寄り添ったつもりだったが、なんらかが着火してしまったらしい 勝手に被害者ヅラされて平常心を保てるほど寛大でもない、ふつうにクソムカついている 殴りたいし物ぶっ壊したい しかし日々バーベル上げなどに勤しむ男にへたなことしたら殺されかねん 一旦親しい第三者に入ってもらおうと動いているが、そいつも忙しく一週間ほど来れないそう 一週間耐えねばならんのか? 指向性トゲピーと同じ屋根の下で おれがどこかに避難するのは合理的ではある 距離を取るとだいたいのことは解決するらしい しかし屈辱的だ なぜおれが? よっぽどそいつの親に連絡しようと思うが、そうなるとたぶん縁は切れるだろうな ゲ〜しんどい
P.S.まあ縁は切ると思うよ ただ退去させるまでの時間をどうすごすのかが勝手に投げつけられた課題になってて、相手は家も知ってるわけだし(知り合いの物件を格安で借りてるからおれは出る気ゼロ)、そこに付け込まれたようで死ぬほど苛立ってる できるだけ穏便に退去の手続きをおこなうって簡単そうで激難易度高いんだが また腹たってきたわ
わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入・容姿・コミュ力・モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。
そしてその層の生きづらさと鬱屈の責任を、弱者男性と対をなす「強者男性」ではなく、「弱者男性を相手にしない女性」に結びつけてきた。
声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。
こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやすい議論だった。
自分を弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面から向かい合ったら、そこには自責の余地が生まれる。
自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。
考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。
それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。
弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。
そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。
ところが去年、白饅頭が医療従事者を社会的強者として叩いて炎上した。
https://togetter.com/li/1926636
今回、わかり手が大谷の容姿をネオテニーだ中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。
https://togetter.com/li/2098940
どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性」自体を直接射程に入れた議論だ。
「医者はもっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的でブルジョワっぽいからキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家が経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュア・エリート出身者」「メス化」…。
ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、
それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。
(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者=医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)
彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間で活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。
だから彼らは、そうした現実をファンタジーの方に合わせようとして、
彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。
彼らは強者男性にいつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。
雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、
そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。
この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、
こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。
そこで語られるのは、端的に言えば、教育・就職先・文化資本・社会階級をめぐる堂々巡りの自意識だ。
そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。
単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIXや鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って
高収入を得て美しい妻を娶って生まれた自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が
人生の勝ち組であり、その中でも新参者や中途半端な位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。
この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、
トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、
そこにはもはや「女性は弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。
一億総中流と言われた社会が解体しきって、日本でもペアレントクラシーによる
階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。
わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。
その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組だから、という皮肉な現実はさておいても、
そもそもこうした露骨な階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。
タワマン文学時代の強者男性とは、すなわち階級的強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。
そうしたペアレントクラシーによる階級の固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。
でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。
そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。
語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさない真実というものがある。
土日や祝日、大型連休、夏季や冬季の休暇期間に休日限定ドライバーたちは走り始める
普段の出勤や外出は電車やバスを活用したり、運転する距離も自宅と職場の往復と帰宅途中のスーパーなどに寄る程度である彼らは、なぜか休日になると我も我もと車に乗り込みハンドルを握り不慣れな運転で走り出す
我が家の近所には大型のショッピングモールと会員制の倉庫型店舗があるため、自宅の窓からそれらに続く道を見ると朝の9時から夜19時くらいまで、ずらーっと車列が続いている
どこまでも続く赤いテールランプが綺麗で、という状態だ
そして残念なことに、地図アプリの進化により我が家周辺の細い道が抜け道として活用される
軽自動車が2台ぎりぎりで並べる程度の道に、久しぶりの運転で目がバキバキになっている大人がハンドルを握るワンボックスカーが突っ込んできたり、通れないと悟った車が敷地内に堂々と入り転回していったりと、まるで緩いペースで襲ってくる山賊の趣すらある
そんな日はできるだけ家から出ないで済むように前日までに買い物などをしておくのだが、祝日の今日、混雑が確定しているエリアへどうしても行かなければならない用事ができてしまい、萎える気持ちを奮い立たせて車に乗り込んだ
地元民だけが知る抜け道を駆使し、混雑する交差点で立ち往生する他県ナンバーを横目に、普段の1.5倍程度の時間で目的地へ着いた
駐車場へ入ると割といい位置で空いていた駐車スペースを発見し停車しようとハザードをつけ、後続車を先に行かせようとしたがその後続車はピクリとも動かない
もしかすると通り抜けるのに狭いのかなと思い、停車している車両に限界まで近づいてさらにスペースを広げたが、それでもなぜか動かない
待ってくれているのかと思いやや右前方へ車を振り駐車行動を開始した時、先程までは不動だった後続車がなぜか車間を詰めてきた
何をしたいのか全く意味が分からず窓を開け後続車を見ると、まるでこちらの行動が異常であるかのように目を見開き口をパクパクと動かしていた
「当たるから下がって」とジェスチャーをしても無視し、これはいよいよ降りて説明した方がいいのかなと思いシートベルトに手をかけた瞬間に、その後続車はほぼピッタリの隙間を加速して通り抜けていった
いやいやちょっと待て、いったいこちらの何に腹を立ててそんなことをしたんだと聞きたくて追いかけようとしたものの、助手席の同乗者に止められ、大人しく駐車を完了させた
「さっきの車はなんだったんだろう」と話しながら車から降り店舗入り口へ向かうと、その入り口を先ほどの車が塞ぐように斜めに停まっていた
目を凝らして見ると先ほどの目バキバキ口パクパクアラフォー女性が乗っていたのが見え、その瞬間にエンジンが止まり荷物を持ち降りようとしているのがわかった
駐車スペースでもないその場所は、大きな荷物を運ぶ他の客の通行の邪魔になるし、そもそも駐車車両が斜めになっている分、ワンボックスカーも気をつけて通過しないといけないほどだった
先程のやり取りの真意も知りたく、降りてきたその女性に声をかけて、悲鳴をあげられても困ると思い冷静な声のトーンで慎重に話した
こちらの質問にも回答はあり会話こそ成立しているようだったが、その女性の言い分を要約すると
・私が停めようとしたところにあなたが停まろうとしたから、どいて欲しくて後ろで待った
・ここは駐車スペースでないかもしれないが、ここには以前ほかの車が停まっていたのを見たから問題ない
・(駐車のための操作中にハザードをつけないことについて)そんなことは法律に書いてないし習っていないから違法ではない
・(駐車場内でもウインカーをつけないことについて)周りが気をつければいいことだし、これも違法ではない
という、マイ交通ルールがしっかりと出来上がった、途中でうんざりしてしまう内容だった
久しぶりの運転で疲れているのになんなの?と文句を言われ、慣れない人に譲るのが常識だとか言い出したので、運転向いてないですよと余計な一言を伝えて店内に入った
久しぶりだの慣れていないだのと言うからには、きっと彼女も休日限定ドライバーなのだろう
世の中の交通作法の習得や不文律的なマナーは彼女にまで届かない
ウインカーやハザードがただの保安部品ではなく、事故の発生を抑制する潤滑油の役割を果たすことなど知らないまま、運転をやめる日がくるのだろう
などと思っていたら店内でもその女性と何度か擦れ違い、大型のカートを通路の中央に置いたまま、冷蔵ケースの中身を吟味していたし、なんとなくできている人の流れをまるで修行のように逆行していた
ただの強い人だった
帰宅途中、先行車が交差点内で急停車し対向車両がいなくなってからウインカーを出しながら曲がる場面に遭遇したが、同乗者と顔を見合わせながら「はい強い〜」と苦笑いするほかなかった
凄い。
トランプを引くだけのギャンブルは本当にただトランプを引くだけで誰もセカンドディールみたいなことはせずただ全員が淡々と引いてくるから驚く。
おかしい……普通こういう展開になったらこっそり数枚引いてるやつや持ち方で数字をごまかすやつがいるはずだ。
コイン入れも最初の調整が適当すぎて完全な運ゲーになっている。
ありえない……脱脂綿も傾けもないし表面張力を見破って途中で一気に加速させるやつもおらずビンゴゲームでただ数字を待っているようなものだ。
神経衰弱にてようやく運以外の要素が絡んでくるが……ただ記憶力が絡むだけだ。
シャッフルを戦略的に使うこともなくただ誰かが当てそうになったら妨害するだけで終わるので本当に凄い。
最後のロシアンルーレットは流石に物理的な重さとか回転回数とかで何かをやると思っていた……思っていた……信じられない……。
この映画は本当に凄い。
ギャンブルが運任せというよりも、やっている連中が運任せなのだ。
生死のかかった極限状況の中で、生き残るために尽くす最善がただ祈ることと神経衰弱のカードを覚えることぐらいだ。
ギャンブルを扱う作品とは究極を言えばイカサマと駆け引きを扱う作品だ。
そこで誰もイカサマをしなかったら何が起こるだろう?
もう何も起こらないのである。
すごい映画だ。
だがこの映画に描かれる「死にものぐるいで最善を尽くす気はないが、俺は運よくうまく凌げるはずだ」という多重債務者特有の思い込みはカイジ以上に描けているのではないか?
カイジシリーズに出てくる債務者は逆転を目指して努力をしすぎている。
そのガッツがあるならもっと早く頑張ればよかっただろと言いたくなる。
それよりも「人生逆転ゲーム」の語る多重債務者は最後までまともに努力なんてしないで全部運任せだよだってそういう奴らだものという態度はより強い説得力がある。
凄い映画だ。
単に借金まみれのクズにトドメをさすためだけなのに大規模な施設なんて不要と言わんばかりの態度だ。
世の中には世界を牛耳る巨大な黒幕がいるというギャンブル漫画的世界観からほんの少しダウンサイジングするだけでグっと世界に生臭さが増す。
これは凄い。
本当にこういうことが起きているのではという説得感では本家を上回っている。
圧倒的低予算で作られているのだから本家に一つでも優ればもう十分だろう。
すごい映画だ。
話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生のノートをもとにソシュール『一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。
話の論旨に関係ないんだけど、こういうことって著作権的にはどうなるんだろう
特に今とかオンライン授業の関係でノートをデジタル的に書き留めてあるし、
タイピングだから手書きよりも早くてかなり抜けが少なくなってる状態だから勝手に出版とか学生ができなくなさそうに思えるんだよな
最近、二次元に魂を奪われ二次創作に萌える二次豚とでも呼ぶべき存在どもが、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」という種類の鳴き声を発明した。
歴史学などの一部学問においてはこうした態度が倫理的に要請されてきた、ということはニコニコ大百科でも指摘されているが、そもそもこうした態度はここ半世紀ほど「文学」「テキスト」「作品」といった物事を専門家が語るために用いられてきたものがほぼ起源であろうと思う。「テクスト論」と呼ばれるものがそれである(構造主義の話はしません)。
すなわち「勝手に言ってるだけ」「言ってないけど言ってる」は、文学者がこの半世紀格闘し続けてきたテーマなのである。ちなみに本稿は、加藤典洋『テクストから遠く離れて』をなんとなく参考にして書かれたので、興味のある方はそちらも読まれるとより楽しいかと思う。
さて、半世紀ほど前まで、たとえば夏目漱石の作品を批評する、ということは「それを書いた当時の夏目漱石の思考に限りなく接近する」ということとほぼイコールであった。平たく言えば「作者の気持ちを考える」ことが批評家の仕事であった。友人の噂話やら本人の秘蔵のメモ書きやら、ちょっと引くくらいの何もかもを動員して「唯一の答え」=「漱石の意図」に接近しようとした。
これは当時に特異な現象ではなく、それまで人間と「ことば」の関係は大体においてそんな感じであった。人類史上のベストセラーである聖書の読み解かれ方を考えてみればわかるだろう。聖書には○○と書いてあるが、これは当時の××という慣習を踏まえなければ正しく読み解けず、「正しい教え」は△△せよ、という意味になる、という研究は数限りなくされてきたし、今も続いている。
聖書にせよ漱石にせよ、ここでイメージされているのは「正解」というもの(難しく言いなおせば「真理」といってもよい)が遠くにあり、我々は「ことば」というヒントでありフィルターでもあるものを通してそこに接近していく、という構図である。
これは我々の日常的な「ことば」の使用から考えてもごく自然なことだ。たとえば日本語話者のあなたが「八百屋さんの隣にあるポストに手紙を入れてきて」と日本語話者である子供に頼んだとき、その場で子供が八百屋と反対方向に歩き出したら、あるいはその場で手紙を破いて食べ始めたら、あなたは「言葉の正しい意味」「子供がたどり着くべきだった正解」についてこんこんとお説教をすることになるだろう。
これまでの「公式」に対するオタクの態度もまた、まさしくここに連なるものと考えてよいと思う。たとえば「エヴァの世界で公式に起きたこと」にアニメや劇場版を通してよりよく接近していこうとする、というのは聖書研究者の態度そのものである(ちなみに「公式」とファンダムの関係をもってしてオタク文化を特異なものとする東浩紀「データベース消費」などの理論もありますが、例も反例もいくらでも出てくる類の話なのでここでは触れません)。
話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生のノートをもとにソシュール『一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。
聖書や漱石の研究など、ソシュール以前は「世界が言葉を作った」とされてきた。されてきた、というか、それ以外の考え方が無かった。わたしたちが「あの赤くて木になってかじると甘いやつ」に「りんご」と名付けたのであって、「りんご」という言葉がまずあって「あの赤いやつ」が後からついてきたわけではない(全くの余談だがりんごと机はこのジャンルの議論で酷使されすぎだと思う)。
それに対して、「言葉が世界を作った」と主張するのがソシュールを祖とする「言語論的転回」である。ソシュールが言ったのはあくまで言語の話で「あの赤いやつと『ri-n-go』の結びつきって別に絶対的じゃなくて、appleとかpommeとか見ればわかるけどたまたまだよね」という程度のことではあった。しかしそれは十分に革命であった。あまりに革命的だったために世界が驚くまでに半世紀を要し(講義は1900年代はじめだった)、さらに半世紀経った今ようやく振り返りがなされつつある。本稿で扱うのは、世界が気づいてからの文学理論の最近半世紀である。
それまでの哲学(世界観と言ってもよい)においては、言語の研鑽によって「正解」「真理」にたどり着けると思われていた。しかし「たまたま」のものをいくら研ぎ澄ませたところでその高みに至る日がくるものだろうか?
よく言われるように、日本人は虹を7色で数えるが、外国人は5色で数える。この差の2色というものは本当に「ある」のだろうか?といった問題は一見トリビアルで退屈なものである。だがさらに進めて、そもそも「日本人」というものは「日本人」という言葉よりも前から「あった」のか?と問うと大昔の言語学の講義がいまなお強烈に突き刺さってくる。
これは今日でも大問題ではあるが、半世紀前の文学研究にとっても大問題であった。確かに、それまでも言語というものがそんなに主人に忠実でないメッセンジャーであることは知られていた。しかし言語論的転回は、メッセンジャーこそが主人である、としてしまったのである。その理由は以下のように明快である。我々は言語の向こうの対象(「真理」)に近づこうとしてきた。しかしソシュールいわく言語と対象の結びつきは「たまたま」である。我々が触れることが出来るのは言語のみである。ならば、「たまたま」で検証不能な真理などというものを求めるのではなく、言語が言語として我々に何を訴えかけてくるのかこそをガクジュツテキにケンキューすべきである!と。
冗談のような本当の話なのだが、ここ半世紀、世界中の文学研究者はこぞって「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と言い続けてきた。専門用語でこれを「テクスト論」における「作者の死」という。本当にそういう専門用語がある。
もはや書きぶりから嫌いと蔑視がにじみ出てしまっているが、しかしこの半世紀くらい、この潮流は世界中の識者におけるブームないし真理とされつづけ、最近になってようやく揺り戻しがきている。
二次豚でも簡単にわかることだが、これを言い始めると「公式見解」が意味を成さなくなり、要するにきりがなくなる。しかしこれはある意味正当なことでもある。「全ての『公式見解』が正しいか」と問われれば、とくに今日であれば即座にNOと答えることができる。なぜならもはや「公式」と呼ばれる以上はもはや庵野や富野といった個人ではなく、分業化された組織であるからして、そこには作品世界という真理からの誤差、ノイズ、エラーが当然のものとして含まれうる。最も軽薄でありがちな事例として、公式Twitter担当者が調子に乗って後に撤回する、という事例を挙げておけば十分だろう。
しかし、かつてのテクスト論者たちが正当にも考えたように、庵野や富野すなわち「作者」個人だってべつに無謬ではありえない。すなわち彼らとて(限りなく比喩としての意味合いが薄くそのままの意味での)「神」ではないのだから、それを絶対視する必要は無くなる。むしろ「作品」は1文字、1フレームに至るまで確固たるものとして存在するのだから、そちらから何を導けるかが重要である、とテキスト論者は考えた。さらには一歩進んで、「作品から導かれたわたしの感情」が重要だと考える「読者反応理論」というものも生まれた。
上で「きりがなくなる」と書いたが「何でもありになる」とは微妙に異なることに注意されたい。これまで「訴えかけてくる」「意味する」「導く」などとこっそりごまかして書いてきた部分についても、文学研究者は鋭くメスを入れた。すなわち形式としての言語がなにを「意味する」(またこの言葉を使ってしまった!)かについて、激しい議論が戦わされた。つまり、「シャミ子が悪いんだよ」は「原作とアニメで言ってないだけで実際は言ってる」という解釈はまあアリだが、「桃が悪いんだよ」は「言ってないし実際言ってない」という我々の直観をいかに正当化するかについて、涙ぐましい努力が続けられた。
しかしそうした努力にもかかわらず、論理学や数学(それぞれ「たまたま」じゃない言語として期待されていた)が発達した結果、クレタ人のパラドクスやらゲーデルの不完全性定理やらでそこまで簡単ではないことがわかってきた(ここでは「簡単ではない」と注意深く言ったが、知ったかぶりで「数学は不完全だと証明されたよね」と言うと凄まじく怒られるので注意)。
かくして文学研究者らはそうした論理的数学的理論を縦横無尽闊達自在に引用した結果、文学の「正解」を「何でもあり」にした。現在蔑称として使われる「ポストモダン」という思想潮流は、大体この辺のことを指していると思う。
しかし、文学の「正解」が「何でもあり」であっていいものだろうか。蔑称とか揺り戻しなどと何度か言っているように、今日の文学理論は素朴な「作者の死」論には与せず、いくらかの距離を取っていることが多い(『テクストから遠く離れて』はまさしくそうした書物である)。しかし昔と違って「神」のことばこそが「正解」であるとも考えない。そもそも「正解」があるのかどうかもわかってはいない。いまの研究者は、グラデーションの中のどこかに、自分の場所を見いだそうと必死になっているのだと思う。
だから、「公式が勝手に言ってるだけ」「原作とアニメで言ってないだけ」と2022年に言っている人がいても、笑おうとは思わない。「彼/彼女はこう思う、と私は思う」という感情=想像力こそ、人間が発明した最も大きな発明であり、誰しもまだそれを持て余しているのだから。
最後に
これを書いた人(@k_the_p)は無職で、仕事を探しています。Pythonとかほんの少しできます。よろしくお願いいたします。