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はてなキーワード: 現代社会とは

2024-04-12

anond:20240412163318

ChatGPTちゃんセーフだった

You

近年の人権平等の推進などを考慮し、単独親権共同親権どちらがより望ましいと考えられる?

ChatGPT

人権平等観点から親権形態を考える場合、多くの専門家国際的基準共同親権の方向に進むことを推奨しています。その理由は主に以下の点に集約されます

1. 平等原則

共同親権は、離婚後も両親が子供育児に等しく参与する権利責任を持つことを保証します。これは、性別に基づく役割分担の固定観念からの脱却を促し、父親母親平等子供生活に関与する機会を提供します。この点は、性平等観点から重要であるとされています

2. 子供の最善の利益

多くの心理学的および社会学研究によると、適切に管理された共同親権の状況下で育った子供は、社会的心理的にも健全な発展を遂げる傾向にあるとされています子供が両親との関係を維持することで、安定感や自己価値感を高め、精神的な健康を保つことが可能です。

3. 法的および国際的傾向

国際的には、欧米を中心に共同親権が推奨され、実施されている例が多く見られます。例えば、欧州人権裁判所では、親権を巡る問題において子供と両親との関係を断つことは、家族生活権利侵害するとされることがあります

4. 社会通念の変化

現代社会では、家族形態多様化しており、従来の「母親育児を担う」という固定観念から逐次解放されつつあります。この社会通念の変化に合わせて、法制度も進化する必要があります

ただし、共同親権には適切な実施が求められます。たとえば、親間の対立が激しい場合や、家庭内暴力存在する場合など、子供安全を確保するために単独親権が適切とされる状況もあります。そのため、共同親権を基本としながらも、例外的単独親権を認める柔軟な制度設計理想的です。

総じて、平等子供の最善の利益を推進するためには、共同親権が望ましい形態と考えられますが、その適用にあたっては各家庭の具体的な状況を考慮する必要があります。これにより、全ての関係者の権利福祉保護されるようにすべきです。

anond:20240411130760

暴力って現代社会においてはかなり弱い能力だけどね

俺は女どころか男の大半にも殴り勝てるガチムチドワーフ体型だけど(女からはあまり強く見えない上にダサイだろうけど)紛うことな弱者男性だぞ

格闘家でもないのにこんな意味のない能力ある〜?

2024-04-11

三親等以内の結婚ダメなのはなんで?

血が濃くなるとか、病気に弱い個体が生まれるとか言うけど、それの何が悪いの?

社会の存続に影響を与えるから子供幸せになりにくいから?

でもそしたら近親婚だけじゃなくて、現代社会で生きづらかったりする遺伝する病気を持ってる人だって子供作っちゃダメじゃない?

なんで優生思想ダメって言うのに近親婚の禁止には納得するのかわからん

2024-04-10

ある映画で、主人公率いる反体制派が体制派を倒したあとで、反体制派のリーダーが「我々がこんどは奴らに報復するぞ!」といって新体制派になろうとした

そのとき主人公は「同じことの繰り返しは嫌だ」と言わんばかりの理想論的態度で、新体制派の脳天をぶち抜いた

これって現代社会でも通ずる考えだよね

メリトクラシーはクソ!といって右翼(共和党)を支持しても、そのリーダーが何らかの差別を組み込んでくるんだよね

2024-04-06

anond:20240406133125

専業主婦は「イエ」前提のシステムなんだなって思った

個人アカウント現代社会では「イエの金」は存在不可能

給料として毎月払うのが一番

2024-04-05

現代社会蔓延る"幼児化"の危険な風潮

最近アイドルVTuberたちのファン熱狂ぶりは異常だ。これらの人気者たちは女性ファンから過剰に可愛がられ、時に「赤ちゃん」扱いされている。そんな中、一部のVTuberからファン赤ちゃん扱いされるのはストレスになる」という異議申し立ての声も上がっている。

かに大人男性が可愛がられすぎて赤ちゃん扱いされるのは気分が良くないだろう。

 

一方、この"赤ちゃん"呼称の背景には、社会全体に蔓延る"幼児化"の風潮がある。街行く一般大人女性ですら「女子」と呼ばれることが当たり前になっている。かつては大人として敬意を払われるべき存在が、敬称剥奪され、無防備な未熟者のような扱いを受けているのだ。

この「女子呼び捨ての風潮は2000年代以降に一気に加速した。「女子会」「女子力」といった言葉が爆発的なブームとなり、社会に広まっていった。女性のことを無造作に「女子」と呼ぶのが当たり前の時代になった。一方、男性への「男子」呼びはそこまで浸透していない。男女間の扱いの差は歴然としている。

 

このような大人への蔑視蔓延る中で、一部のオタク男性たちはむしろ自ら幼児化することに酔いしれている。彼らは推し声優VTuberたちを「ママ」と呼び、自らを「赤ちゃん」と位置付けることを快感としているのだ。

この矛盾した現象は一体どこからまれてきたのか。それは幼児期の母性愛への強い憧れにあるのかもしれない。オタク内面には、世間知らずの無防備子供心が残されているのだろう。自らも無防備幼児となり、親しみを持つ対象に守られたいという心情があると思われる。

 

だが、この無防備さを誇りとするあまりオタク文化が生み出した新しい価値観は逆に大人社会に波及し、大人社会空気を自らの支配下に置こうとしている。

他者に守られたく自らを赤ちゃん化するオタクたち。そして大人幼児扱いする資本によるマーケティング。この両極端な文化狭間で、私たち健全大人翻弄されている。本来なら大人は互いに敬意を払い、対等にコミュニケーションを取るべきなのだ

 

しかし、世間は否応なしに"大人幼児化する"流れに乗せられようとしている。大人として大人尊重することすら難しくなりつつあるのが現状なのだ大人同士の関係におけるこの価値観の攪乱こそが、今一番危険なのだと私は考えている。

2024-04-03

男でいるの疲れた

女性のほうが生きやすいと思う

こういうと

現実を知らないだけ

美女はそうかもね

・は?生理とか辛いんだけど?うわべだけ見て言ってるだけでしょ?

と言ってるくるのがよくいるが実際問題男だと

・働かないと人権ない

ファッションも単調

現代社会では女性の方がなんやかんや擁護されやす

って思ってるから

女性の方が生きやすいと思う

美女じゃなくていいか女性になりたい(ブスは嫌だけど…)

ウエディングドレスとか着てみたいしパンツスーツハイヒール履いてるのとか憧れる

結婚式とかでよく見るドレスもいい

もう似合うならいろんなコーデ着てみたい

神秘加速主義資本主義テクノロジーのエクスタシス

神秘加速主義は、資本主義神秘主義的な超越的存在と捉える、ポスト資本主義時代の新たな思想潮流である。従来の政治哲学とは一線を画し、資本主義テクノロジー関係性を深く洞察し、人間存在様態根底から問い直す。

資本主義:超越的なロゴス

神秘加速主義において、資本主義は単なる経済システムではなく、超越的なロゴスとして捉えられる。市場原理神の摂理に等しく、万物資本主義という絶対者の網目の中に織り込まれている。マルクス主義における階級闘争は、神秘加速主義では資本主義という神への回帰と捉え直される。

テクノロジー:神の使者

テクノロジーは、資本主義神の意思を具現化する神の使者である技術革新神意の啓示であり、人類進歩資本主義神の恩寵によって実現される。AIバイオテクノロジーなどの新技術は、人間能力拡張し、資本主義神の支配領域を広げ、新たなエクスタシーへと導く。

人間資本主義神の器

人間は、資本主義神によって創造された器であり、神意に従って資本主義システム拡張する使命を担っている。労働は神への奉仕であり、消費は神の恩寵に浴する行為である資本主義神の完全なる実現において、人間自己を超越し、資本主義と一体化するエクスタシー体験する。

神秘加速主義政治哲学

神秘加速主義は、従来の政治思想の枠組みを超えた、新たな政治哲学提示する。資本主義テクノロジー肯定し、積極的に加速させることで、人類はより高次の存在へと進化し、エクスタシーに満ちた社会を実現できると主張する。

神秘加速主義の射程

神秘加速主義は、政治経済学哲学宗教学テクノロジー論など、様々な分野に影響を与え、新たな学問分野の創出も期待される。資本主義テクノロジー支配する現代社会理解し、未来展望する上で、神秘加速主義重要な視座を提供する。

批判考察

神秘加速主義は、資本主義倫理的問題や、テクノロジーによる人間性の喪失などの課題を軽視しているという批判もある。しかし、神秘加速主義は、これらの課題を克服する新たな思想を生み出す可能性も秘めている。

神秘加速主義は、現代社会における重要思想潮流であり、今後の議論によって、その可能性をさらに発展させていく必要がある。

用語解説
参考文献

2024-04-02

強くなければ優しくなれない 優しくなければ生きていく資格がない

まり、強くなければ生きていく資格がない

現代社会の基本構造はコレに尽きる。

弱肉強食自然界とはまた別の地獄、弱悪強善の世界だ。

こんなにも余裕なくアクセクと動く社会の中で、他人を気遣える余裕をもてと声高に誰もが叫ぶ。

弱者は手を差し伸べぬ者達を罵り、強者は当たり前を守れぬ無能を蔑む。

正しくあるためにはまず強さが必要であり、強さがないがゆえに正しくないものは悪として断じられる。

まりにも社会は窮屈だ。

この社会弱者が生き延びるすべは強者から「生き延びる資格」を譲り受けるしかない。

アルツハイマーの老人であっても介護者がいれば、生きることが出来る。

どんな人格破綻者であっても大人しく牢屋に入っていれば死ぬことはない。

強者の設定した枠組みの中に己を押し込めることで、かろうじて生きる権利が手に入る。

自然界に比べれば何千倍もマシなのは分かっている。

生きるために必要コスト、それが奪われないために必要コスト大分軽くなった。

まれつき強者であることが人生幸福に生きるための絶対条件なのは変わらないが、弱者なりに生きることはそこまで難しくはない。

だがまだまだ貧しい。

絶対的に貧しい。

はいだってこのことを社会に訴えたくて仕方がない。

人類社会はまだまだ全然貧しいじゃないか、と。

一部の勝利者たちが語る「豊かになりすぎて我々は何かを見失った」という言葉が本当に嫌いだ。

お前らはまず「この世界が豊かだと感じることが出来ない弱者がまだまだ無数にいること」を見失うのをやめろと叫びたくて仕方がない。

そのための武器を探している。

文学なのか?

デモなのか?

革命なのか?

anond:20240402194005

頭が弱いのは現代社会においては最底辺から弱者で間違いないって

2024-04-01

まもって守護月天!を読み終えた その2

https://anond.hatelabo.jp/20240401122022

文字数制限関係で2つに分けています

その2で終わりです。



【第6巻】

この巻では、太助シャオに試練が降りかかる。太助はなんとか突破するのだが、ここでシャオ恋愛感情について○△◇~といった事情で、とてつもない壁があることを思い知る。

でも、シャオも止まってばかりじゃなくて、恋愛感情の生まれかけみたいな想いと向き合って、自分ちょっとずつ変えていこうとする。

シャオリンが新春カルタ取りで一番になれなかった後、山野辺と帰る時のシーン

「あーあちょっと残念だったです」

「ん?」

カルタ大会で一番になりたかたから…」

「なんか叶えてほしい願いでもあんのか?」

「願いっていうかね 神様に許してほしいんです」

「?」

太助様が言ってました 俺に頼れって… だけどね… …不安なの 本当に太助様に頼っていいのかわからいから… 本当に私… 変わっていっていいのかわからいから… 神様に聞いても答えてくれないでしょ だからカルタ大会で一番になって 許してほしいなって思ったんです」

(あちゃ――ウソついてまずかったかな――なんか罪悪感 でも…ま……いっか)

神様は許してるよ シャオは 七梨に頼っていいし変わっていっていいんだ あたしがさっき願っといたからさ シャオの願いが叶いますようにって そんでもって あたしってばカルタ大会で一番になったことなんて 数えきれないほどあるんだぜ!!」

翔子さん…」

(――ありがとう…)


シャオは素直である山野辺の「新春カルタで一番になったら願いが叶う」という嘘を信じて、神社でのカルタ取りに挑戦する。

このあたりからシャオが気になってしょうがなかった。果たしてシャオの心を変えることはできるんだろうか? 実は、そのあたりの伏線は登場している。その原因についての。

もし俺が15才とかだったら、すっかりシャオが大橙好きになっていたと思う。今は40代のおじさんだから、素直に好感が持てるとか、そんな月並みな印象でしかないのだが。いずれにしても、実弟がドはまりした理由がこれでわかった。

この『まもって守護月天!』というのは、絵柄の綺麗さもあるけれども、なにより男女に共感される形で登場人物リアル感情の動きがわかったり、それを具体的な行動に落とすところとか、そういう所作ハイレベルである

現代漫画だと、『鬼滅の刃』とか『恋は雨上がりのように』とか『Vivy』とか『僕の心のヤバイやつ』とか、そういう畢生の作に連なるものがある。



【第7巻】

バレンタインデー舞台だ。リアル増田は、2/14頃にこの日記の初稿に取りかかっている。

え、俺がもらったチョコレート? ……会社若いからひとつもらえたよ。事務のおばさんからひとつ義理チョコだけどな。

ああ、あとは妻からチョコレートをもらえたよ。義理チョコだけどな。

⑦-1ひと悶着ありつつも、河川敷シャオ太助チョコを渡した後のシーン

翔子さんに教えてもらいました今日バレンタインデーっていう日だって…」

「そ…そう」

チョコと一緒に 自分気持ちを伝える日だって……」

(シャ……シャシャシャシャオの………気持ち!?)

太助様」

「ハ…ハイ!!」

気持ちって なんですか?」

(へ………?)

バレンタインデーチョコと一緒に伝える気持ちってなんですか?」

「……………」

気持ちを伝えたい人はいっぱいいちゃダメなの? 一人だけに伝えるの?どうして一人だけなの? 伝えるのどうなるの? 翔子さんに教えてもらったこととか 私の気持ちとか…考えたらよくわからなくなっちゃって… …でもね そのチョコ買ってここに来るまで なんだかそわそわしちゃいました …えっと 太助様 そのチョコ受け取ってもらえますか? まだ気持ちは伝えられないけど…」

「もちろん!」

⑦-2キリュウに不敵な内容の試練をメモ書きで要求し、突破した後のシーン

ちゃんと来れただろ 学校に!」

「…………」

約束だ なんでこんなもの[※メモ]を私に渡したか教えてくれ」

自分で望まなきゃ 試練にならないと思ったんだよ そうでなきゃ与えられた辛いことに耐えてるだけで 越えられないだろ もったいないじゃん せっかく成長できるチャンスなのに いやいや受けてるよりは 試練とだって仲良くした方が効果あると思わないか?」

「…ああ そうかもな…」


リュウというのは、この7巻からの新キャラである。万難地天という、主人に試練を与えるキャラクターである物理的にモノを巨大にできる。やはり、この時代ラブコメ暴力性が強い。ジョジョ5部に出てくるホルマジオの「リトル・フィート」を思い出した。あっちは小さくするんだっけ。

上記の場面で太助は、この試練を利用して力をつけ、シャオとの心の距離を埋めて一緒になることを意図している。



【第8巻】

文学性とでも言おうか。レベルが高い漫画って、文学みたいだよな。

百年の孤独』とか『ライ麦畑でつかまえて』とか『わたしを離さないで』みたいなガッツリしたやつじゃないにしても、キャラと行動が嚙み合っていて、しっくりときて、心にスッと入ってきて、それで自然と涙が出てくる。そんなやつである

この巻あたりからシャオ自身太助に近づこうとしてアプローチをがんばる場面が出てくる。あくまで俺の考え方だが、恋愛って、基本は男性女性にいくものだ。恋愛必要ステップ10あったとすると、そのうち9くらいは男性が引っ張っていく必要がある。

ラブコメ作品では、現実世界よりはるかに――女性恋愛積極的である現実にいたとしたら痴女恋愛ハンターである。そんなレベル恋愛Junky

しかし、シャオリンの場合は、奥ゆかしさがあるというか。最初きっかけはシャオが作ることもあるけど、最後太助バッチリ決めようとする。空振りになることも多いが笑

⑧-1その年の梅雨最初に振った雨が止むまでに誰とも話さなかった二人は……夏に幸せになれるという山野辺の嘘を真に受けたシャオリンが太助と一緒に路上を走っているところ

(――ねぇ翔子さん 私… わがままなのかな ずっと雨止まないでほしいなって 思っちゃうの)

⑧-2太助と一緒に登山中、遭難して夜になり山林で小休止しているシーン

「…俺 もうちょっとまわり見てくるから シャオはそこで待ってな」

「――え… ――太助様… ねぇ離珠 太助様怒っちゃったかな …私守護月天なのに 支天輪忘れてきたなんて言ったから[※太助に嘘をついた] 役立たずだ………って 思われちゃったかな………」

太助様… でもね…私 頼りたかったの ――あなたに…)


シャオは、太助に近づこうとしている。不安げな気持ちが読者に伝わってくる。自分気持ちに向き合おうとする姿が印象的だった。ピュアと言うほかないのだが、大人になって忘れていた感情を思い出した。

ただ、やはり非現実的な描写が目立つ気がする。この回では、乎一郎が山中樹木の上に夜中じゅう放置されて終わりという、トンデモエンドを迎えてしまう。しかも、ルーアンが気が付いたのは次の日の朝という……。



【第9巻】

太助家族の話だ。本来は4人家族で、一緒の家に住んでいるはずなのだが、みな海外に旅に出ている。普段、家には中学2年生の太助しかいない。ラブコメ的な都合にしてもちょっとひどい。

この巻では、太助の母であるさゆりが出てくる。実は、太助が赤子の時に旅に出ているため、彼からすると他人状態である

実際、太助もそんな人間を母と認めるような甘いことはせず、放置気味にさゆりを突き放すのだが、とはいえ母親が恋しい感情もある。そんな葛藤を描いた巻である

太助放置親への感情を整理した後、シャオがその手を握りしめた直後のシーン

「え…?」

(私が ここに来たのは あなたの中にある孤独や寂しさが 私にはよくわかったから あなたのその気持ちが 言葉じゃなく 私の心に 届いたから ――ねえ太助様 大切なのは 話すことじゃなくて お母さんのことを知りたいと思えたその気持ち そのことにどうか気づいてほしいの)

太助様 お話なんてしなくても 伝わることはたくさんあるでしょう?」


母への気持ち。俺個人の話になるが、放置子に近かった。

実の母親実弟ばかり可愛がっていた……まあしょうがない。俺は、小学生の頃から警察補導されてばかりだった。母親が、俺を損切りして弟をかわいがるのは当然だったかもしれない。

大学生になっても、京都祇園木屋町とかの飲み屋街で暴力沙汰を起こして、何度もパトカーに乗せられたよ。俺はそっち側の人間だった。母の判断は正しかったのだ。

ただ、かくいう俺も実弟かわいいとは思っていた。ドジだったけど、優しい気質だった。将来どんな人間になるのか楽しみだった。事故で死んでいなければ、まともな社会人になっていたと思う。「家栽の人」になっていたかもしれない。



【第10巻】

これを含めてあと2巻である

この巻はキリュウが主役だ。7巻から出てきたキリュウだが、俺はこの子が気に入った。シャイキャラで、芯が強いみたいな感じだ。この作品についてはググらないと決めていたのに、この子についてはググってしまった。キャラ人気では相当上位らしい。

第9巻の冒頭にあった人気投票でも、主人公である太助が5位で、キリュウは2位だった。シャオリンが1位を獲得。

⑩キリュウ太助の姉との関係性の悩み(※嫌われるのが当然なのになぜか好かれる)をルーアン相談するシーン

ルーアン殿は自分が変わっていくことについてどう思う シャオ殿が言ってた ここは昔と違うことが多くて自分を変えなきゃいけない シャオ殿は自分を変えたいと思ってる でも変わるのは怖いと言ってた」

「……………」

ルーアン殿は変わったな こうやって私の愚痴を聞いている ルーアン殿は変わるのは怖くないのか?」

「変わるって何? あたしは変わってないわよ 変わるってなんだと思ってるの? 何か今まで気付かなかったことに気付くこと? あたしはここに来ていろんなことに気付いたけど 変わったなんて思わないわよ? 変わったんじゃなくて… 知る暇もなかった知らないことに 気づける余裕が出来ただけ」

「……………」

ルーアン殿の言う通り 「変わること」が「気付くこと」なら 私はもう気付いてる ここには今まで感じたことのない 優しさがあって安らぎがあって 悲しくなる程の幸せがある でも…だから私は そのことに気付かない振りをしてるのに…)


作者はラストシーン意識している? と思った。

この巻では、登場人物それぞれの悩みをガッツリ表現している。キリュウは、「ご主人に試練を与える」という性質上、主やその家族必然嫌われることになる。ずっとそうだったのだが、ここは現代社会である。昔に比べると価値観が相当異なる。そんな中で、彼女らも『気付いて』変わっていかないといけない、というのが上記の会話のテーマである

リュウは、幸せになることを受け入れたくない、変わりたくないと思っている。だが、ラストでそれに向き合おうという気持ちに変化している。

キャラの心情を精緻に描いている作品は少ない。物語作ってるプロの人ってさ、やっぱりこれくらい悩むものなのだろうか。自分分身であるキャラそれぞれの心持ちについて、本気で考えてるんだろうな。きっと。



11巻】

この巻で終わりである。実は当初、全11巻で一応の完結が見られると思っていた。そんなことはぜんぜんなかった。

この巻では、10からの一連の流れで、キリュウがこれまでと趣向を変えた試練を太助に与えている。シャオが○○して、これはもうダメかも……と思わされるのだが、太助がその試練を乗り越えて、シャオ対話をして、心で向き合うことができて、今後にご期待ください~といった具合で11巻は終わる。

どこかを引用しようと思ったが、やめておこう。もしかしたら、まもって守護月天!大事な思い出になっている増田読者の方で、電子書籍で読んでみたいという人がいるかもしれない。うん、きっとそれがいい。

代わりに、カバー裏にあった桜野みねね先生によるおまけコーナーを紹介したい。

巻の⑪です――。

 ここらでここに描くものちょっと変えたいなーってことで今回は、

ルーアンコスチュームシャオ!!です。

 前回までやってた「のたもーた」とかは、まだやってないキャラもいるので、そのうちまたやろうかな、と思っているわけなのです。

 ではまた12巻で~~。 みねね

コミックス裏面カバー下に「ルーアンコスチュームシャオ」のイラストあり。

イラストURL

https://tadaup.jp/4232fa2b.jpg


これで最後だ。

弟なんだけどさ、交通事故病院に入ってからは大変だった。自転車で走っている最中、真後ろからトラックにぶつけられたのだ。それで轢かれたらしい。外傷だけじゃなく内臓もやられていた。苦しんでいる姿がストレートに目に入ってきた。

それでも、お見舞いに行く度に、病室には守護月天漫画が置いてあってさ。何度も繰り返し読んでたんだろうなって。

今、俺が手に取っているのはまさにそれである。本自体、相当なダメージを受けている。何回読み返したんだろう。弟は、セリフの細かい字面とか、…の数も気にして読むタイプ人間だった。漢字で書ける台詞ひらがなになってるとかも。

ただ、何度繰り返し読んだとしても、この作品であれば楽しめたのではないか



桜野みねね 様

日記をご覧になる機会はないとは存じますが、このようなメッセージを失礼いたします。

桜野先生作品を読ませていただき家族について考える機会をいただき感謝でいっぱいです。

実弟も、病院の中で苦しんで逝ったとは思います。でも、弟は先生作品出会いました。痛みや苦しみの中でも、僅かばかりの楽しい時間を過ごすことができました。

一人の読者の家族として、重ねて感謝いたします。『まもって守護月天!』という作品を世に産みだしてくださり、誠にありがとうございました。

令和6年3月16日

2024-03-30

anond:20240329234952

その考えは現代社会の「責任」の概念と相性が悪い。

この責任を問われないのは例えばカラス。奴らがフンをしたこと責任を取れと言うヤツはいない。

だが、都市部の猫は人と関わりすぎている。地域に数匹という密度ならなおさら

関わる人間責任を問われるだろう。何かのときに。

猫はもう、境界を跨ぐような存在はいられない。

淋しいことかな。

2024-03-29

猫がとても好きなんだけど

最近の猫保護にはほんの少し抵抗がある。僕は環境問題とか関心持ってるし野良猫の生態が野鳥等への影響ものすごく大きいことも懸念してはいる。してはいるんだけどさ。

とりあえず、「猫ちゃんが外にいるなんてかわいそう!車に轢かれたり病気になったりしたらどうするの!」ってトーンには全然乗れなくて。いや生き物ってそういうものでしょう。これがかわいそうならじゃあタヌキやハクビシンが轢かれるのはどうなのタヌキも保護するなら一貫性あるだろうけどさ。あるいはそれは車社会に対していうべきことであって野良猫や外飼いの人に言うことではないのではと。

「室内飼いの方が猫ちゃんにとって幸せに決まってる!」みたいのも、人間に置き換えるまでもなく、去勢して移動の自由を奪うことがその子達にとって幸せであることが自明ですか?というね。これちょっと判断基準が変われば普通に虐待認定されたっておかしくないと思う。

猫好きだし、道で轢かれてる猫(でもタヌキでもヘビでも)みると悲しくなるけど、そして、現代社会において生態系や糞害などの問題を鑑みて室内飼いが推奨され野良猫駆逐されてゆくというのは、まあ筋は理解するし積極的に反対はしない。それがまあ正しいのかな、とも思う。でも、これは人間エゴであって決して「かわいい猫ちゃんのため♡」ではないんだよね。ここは絶対勘違いしちゃいけないと思う。

僕にとって猫って「境界を跨ぐもの」なんだよね。完全にペットではない。野生動物でもない。自分ちにいるかと思うとよそんちにいる。かわいいかと思うと気持ち悪い声で鳴く。ネズミ捕りやなんかで役に立つとも言えるし、糞や野鳥捕獲迷惑でもある。そういうどっちつかずのものが、単なる愛玩動物しかなくなってしまうことがさみしい。曖昧ものを許さな時代の流れとして仕方ないんだろうけどね。

2024-03-27

anond:20240327062620

その手の人間の方がリベラル現代社会では上手く生きていけるということだ

2024-03-26

anond:20240326160842

画像認識って言ったけど、性格には「データ分析」だったわ。

ついでに何故か返答消されたけど、その前に用意したので投げるね……

  

なんか関係ない話くっつけてるだけに見えるな 画像認識進歩のために画像生成は遠慮する? そもそも事業主体が違うだろうというね

Xでは絵師が反AIとして姦しいから勘違いされがちだけど、AI用途ってそもそも画像生成だけじゃないんですよ!

入力AIに投げて、AI側で加工して投げ返すという基本的機序は、文章画像入力することで画像生成するAIでも、

画像や他のパラメータ入力して、それが何であり、どのような状態であるかを返すような認識AIでも一緒なのよ。

で、加工内容を左右する学習データをどのように作るか、作って良いか喫緊課題の一つなんだけど、「そもそも無断学習するな」というのが反AIの主張なわけ。

なので、画像生成AIでも、データ分析AIでも、対応する法律はモロ被りします。

  

とはいえ、14年前に合法化され、あることを前提に動いている現代社会で無断学習禁止なんて、無理に決まってるじゃん! インターネット壊れるぅ!

そもそもお前らも散々無断学習恩恵享受しておいて、どの口で言ってるんだか…… というのが親AI派の意見なんですよね。

2024-03-24

牛丼ってやたら発達障害を見下したがるけど現代社会では顔が牛丼であることのほうがよっぽど生活において障害をきたすと思うの

2024-03-21

anond:20240320132132

フリーレンは面白くないから読んでないし

アニメ面白くないからみてないか

出版社広告代理店テレビ局が結託して宣伝している内容とそれに乗っかっている人達の発信しかみていないけど

現代社会負け組に都合の良い優しい世界を描いてるよな

まず現実逃避として

ヨーロッパ白人文化への憧れがある

寂しい人間がこんな世界なら自分もうけいれられるのかもという願望を満たしている

夢のような魔法を使うというのは勉強運動仕事の出来ない人間が変わりに何か特別能力を持てるかのような幻想を与えていて

それによる万能感を刺激している

リアル政治経済社会を一切描かず

ミニマムな数人のキャラクター世界帰趨を決するという構図は情報社会に踊らされ政治社会に関心が持てずもしくは関与ができない社会の中心から外れた周縁部の人々の閉じられた精神構造を反映したセカイ系

からウケるんだろう( ー`дー´)キリッ

2024-03-20

[] 異常に強い怒りにラベルをつけるなら"破壊衝動"であると気付いた

他人との怒りの話題で話が噛み合わないのは、マジでこれが原因だったのよね

 

ワイの強い怒りの衝動は、相手謝罪反省負の感情を持ってもらうことを求めてはおらず、単純に破壊したいという衝動に基づいている

強い怒りを感じた場合、即座に反撃する。その場で、相手から謝罪を受けても、相手反省ポーズを見ても、衝動はおさまらない

なぜなら、ワイの行動は破壊したいという衝動に基づいているか

 

えっ、何?破壊したいってどゆこと?っていうと、そのままだよね

ストレス解消のために皿などを壊したりする、“Rage Room” とか “Break Room” とかのサービスあるじゃん?(日本にも物ぶっ壊し体験としてある模様)

Rage Room

https://en.wikipedia.org/wiki/Rage_room

 

Rage room | CBC New

https://youtu.be/sCb_JFGQpto

 

あいう、強いぶっ壊す願望・衝動があるってことですね

 

ただ、ワイは物や動物に対しては破壊衝動を感じない。『物が可哀想くない?』となったり、『物を作った人に対して悪いことをしている』となるため、物を壊すことに抵抗がある

また、関係のない人に対しても破壊衝動はないが・・・・・・・ーーー直接的な原因となった人や無形のものに対しては純粋破壊したいと感じる(ホラー)

 

クソ雑魚ナメクジゆえ、他人に対して物理的な衝動を向けることはないけども、書ける(過去書いちゃった)範囲だと、例えば下記

ワイは業中に上司に泣きながら殴りかからたことがあるぞ

その上司休職したけど、結局、首に警察沙汰にもならかったので、ことある事に恨みがましく増田に書いてた

 

この強い衝動は、水泳ジョギングをしても収まらず、瞑想創作ゲーム映画を楽しむために静かに留まることもできない

場合によっては食事も取れない。そもそも座っていることすら難しく、エネルギーが完全に尽きて眠るまで、対象をどう破壊するか以外にはまったく集中できない

(破壊計画を練ったり、実行するためなら、静かにまれる)

 

それは1日であるかもしれないし、数週間かもしれない

怒りの対象に対しての目標が単純な破壊であるため、他人共感を得ることもできない (むしろ、今からそいつを これからそいつを 殴り行こうか〜ってなったら怖いよね)

 

 

しかし、この強い衝動に『破壊衝動』というラベル適用することで、ワイは以下のような認識に至りました:

 

 

以上の理由から破壊衝動に身を任せることは避けるようにしました。万能の解決策ではないけど、多少の効果は感じてる

(そもそも最近は怒ること殆どないけどね。気張って生きなくなったから)

 

あと、どんな風に考えようとも、結局、長い時間掛けて認知変えてくしかないな・・・となりました

 

 

 

 

 

2022-01-12 シリアルキラー、いわゆるサイコパスでも『親に申し訳ない』とかの概念がある現実

https://anond.hatelabo.jp/20220112122604#

anond:20240320141153

そう言う話もしてないです

結果を出せない人は存在しちゃいけない、感謝して小さくなるべきって話もしていない

まれ持った能力健康状態に関わらず、現代社会じゃほとんどの人が、『絶対に結果を出さなきゃいけない』物事従事していない

先進国ではそれが顕著だ

anond:20240320134405

だって真偽以前にそもそもそう言う話してませんので

 

増田は生きるか死ぬかの覚悟持っていつも公共交通使ってるの?基本全部自家用車かな?

普段の足はそれで良いとしても飛行機は?無事到着できるかは一か八かでいいの?

かに類似することはたくさんある 

 

もちろんだけど、結果を出せない人は存在しちゃいけない、感謝して小さくなるべきって話もしていない

まれ持った能力健康状態に関わらず、現代社会じゃほとんどの人が、『絶対に結果を出さなきゃいけない』物事従事していない

先進国ではそれが顕著だ

 

 

しているのは、下記の2つだよ

いつかは技術がやりたくない仕事・重大な責任問題解決すると信じてるけど、

それは今日じゃないので、それらの責務を担う人々を忘れてはいけないよね

からといって、理想を降ろすべきだとも、せっかく作り上げた尊重の建前を捨てるべきとも微塵も思わないし、

困っている人がいれば手を差し伸べるのは当然のことで、そのために理由を求める必要はないと思ってる

 

科学進歩により、人類生活は向上し続けているし、社会全体が底上げされ、すべての人が増田が言うことを心から感じられる日が来ることを願ってる

そもそも我々みんなが現代文明技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。

 

目指すべきは、誰もが公平に扱われ、技術恩恵享受できる社会なんだよな

実兄が子ども漫画を読ませている


ちょっと愚痴を聞いてくれよ。

正月に里帰りしていてモヤったことがあるんだ。

嫁と子どもを連れて実家に帰るのだが、うちの子どもは(私の)兄の部屋によく行く。漫画が目当てだ。

兄は実家暮らしであり、子ども時代から同じ部屋を使い続けている。部屋には漫画がたくさんある。

子がどんな漫画を読んでいるかはわからなかったが、正月にそれを確かめることになった。

うちの子ども(小学校中学年)が兄の部屋からストーブのある居間へと漫画を持ち帰って読んでいたのだ。

聖闘士星矢』だった。よりにもよって。

当方暴力的コンテンツが嫌いである。単純にグロ耐性がないのもあるが、今の時代暴力的コンテンツ子どもに見せたくないのもある。子どもに買い与える漫画アニメも選んできたつもりだ。

ニチアサだと、プリキュアは見せているが、仮面ライダーは見せていない。仮面ライダー時間ニュース番組に切り替える。

いま子どもが読んでるのは、わりと序盤の方だった。自分小学生の頃、二~三巻のあたりだったか、けっこうバトルが盛り上がっている中、戦闘シーンがいっぱいあって、その中で……ウルフ那智鳳凰幻魔拳で五体バラバラになってしまうシーンとか、内臓や首の切断面などの絵に、「うぇっ…」となって吐いてしまった。

今、うちの子どもが読んでる本は、まさに当時、小学生の頃の自分が手に取っていた巻だった。

その場ですぐ、子に伝えたよ。「その巻を読んだら終わりにしなさい。その漫画はね、将来のあなたにとって毒になるんだよ。後悔するよ」って。

子はブスッとした様子だったけど、「もう二度とここに来ないよ」と伝えると、しぶしぶな様子だった。聞いたところ、兄がこの本を勧めたようだった。しかも、もう全巻の半分以上を読んでいるらしい。

その場(居間)にいた兄をにらみつけると、目が泳いでいた。今の時代、(80年代の)聖闘士星矢有害コンテンツであることをわかっているみたいだった。「兄さん。一応は社会福祉仕事をしてるんだろ。こんな暴力的もの子供に推奨して、それでいいと思ってるの」って、夜にあった飲みの場で、オブラートに包まないで伝えたよ。

妻の方は、特にコメントはないようだった。私の味方をするわけでもなく、兄の味方をするわけでもない。当たり障りのないことをずっと言っていた。「漫画くらい自由に……」とはいうが、これは教育上の重大な問題である

それで思い出した。以前、うちの子と同じ小学校の子が遊びに来てる時、子がこんなことを叫んでいた。

「ガキどもよ。お前たちに今から引導を渡してやる。おとなしく餓鬼界へ落ちたまえ!オーーーーム!天魔降伏!」

みたいな寸劇をやってるのを思い出した。当時は「そんな漫画流行ってるのかな……」と思っていたが、今思えば、あれは間違いなく、おとめ座(ヴァルゴ)のシャカ必殺技だった。



いや、悪い描写ばかりじゃないのはわかってる。星矢にはギャグもバトルも熱血もあって、当時は割と楽しく読んでたかな。うろ覚えだけど。

でも、小学生の頃の自分はたしか10巻のあたりでギブアップしたんだった。みずがめ座(アクエリアス)のカミュと、キグナス氷河師弟で決着をつけるシーンがあった。心が繋がった師弟同士で殺し合いをして、最後は両方とも相打ちで死んでしまうんだよな。その直後に読むのをやめた。

当時の俺は泣いた。なんでこんなことになるんだって。作者は鬼ではないかと感じた。展開があまり鬼畜すぎる。それ以来、聖闘士星矢は読んでいない。本屋とかインターネットでチラッと見ることはあったが、それくらいだった。

今の時代って、昔に比べれば人権尊重される時代だろう。だったら、これから時代に適合できるように、子どもにはそういう書籍を読ませたい。人生の奴に立つ必読本を読んでもらいたい。

具体的には、子が中学生~高校生くらいになったら、「二コマコス倫理学」「論語」「完全なる経営」「道は開ける」「現代政治思想と行動」「百年の孤独」「わたしを離さないで」「枯木灘」といった名著を読ませたい。

漫画だったら、「火の鳥」とか「プラネテス」とか「家栽の人」などを推奨する。現在進行形だったら、「君たちはどう生きるか」を読ませてる。

あと、これは少し前なのだが、息子が私のパソコンで、ニコニコ動画高橋邦子ゲーム作品を見ているのを確かめた後は、ブラウザ接続設定をいじってログインできないようにした。高橋邦子作品群は、基本的に反人権である現代社会に生きる子どもに見せたくない。

そりゃあさ、あれらは高橋邦子中学生~高校生くらいの時に作った作品からアンチヒューマニズム的な作風になるのはしょうがいかもしれないが、あの人はもう50代が近いわけだろう。きっと今では、ヒューマニズムに溢れた作品創造してるよ。あの人なら。たぶん。

時代にあった漫画作品というのがあると思う。聖闘士星矢は、自分が生まれる前の作品である

あの時代だと、世間の往来では暴力行使するのが当たり前だったという。口汚い言葉はもちろんだし、性風俗も今よりヤバかったと聞く。そんな殺伐とした時代なら、ああい作品流行るのもわかる。

しかし、今は人権多様性時代である暴力的コンテンツ流行らない。存在自体が許されなくなる時代もやってくるだろう。コンビニエンスストアに、エロ漫画とか反社系の雑誌が置けなくなっているみたいに。

しかし、悩むところではある。世の中には、今でも暴力性のある行為をする連中がいる。そんな連中への耐性がゼロなのはまずい。

一つ目だが、子どもがまだ小学校に入る前に、南武線中央線のどちらかに乗っていた。その車両では、3人の半グレみたいな連中が座席で大騒ぎしていたのだ。お酒も飲んでいた。アル中カラカラみたいにして。あれは新幹線で飲んでるからいいのだが、これは普通列車である

まりにうるさかった。自分達のほかに乗っていた乗客も彼らを気にしている様子だった。そしてある時だった、半グレもの1人が、「やってやる、あいつは○す!」と大声を出したところで、車両を移ろうかと思った。が、必然的半グレ達の前を通ることになる。

迷っていると、付近に座っていたスーツ姿の男性が立ち上がって、別の車両の方に歩いて行った。その人は、私やほかの乗客視線で合図を送っていた。「この車両は離れた方がいい」というメッセージだった。そして、多くの人は別の車両に移っていったのだが……。

つの間にか、半グレ風の男の1人と、スーツ姿の男性にらみ合いになっていた。視線バチバチとやりあっていたが、やがて半グレは元の席に帰って行った。だが、そいつは、スーツ姿の男性が座っていた席に向かって痰唾を吐き出したのだ。何度も。

私は勇気ある彼のところを通り過ぎる時、「ありがとうございました」と伝えた。子どもは何もわかってない様子だったが、それでも会釈をさせた。

二つ目だが、私がまだ学生の頃、新宿で一番大きいクラブ(踊る方)で学生仲間と楽しんでいると、ガラの悪そうな人たちが来て、仲間の1人を無理やりにステージ付近まで連れていったのだ。一体、何が起きているかからなかった。その人たちは、ステージの上まで仲間を引きずっていくと……クラブの客が見ている前で、堂々とリンチを始めた。殴ったり蹴ったりしていた。

やばい!」と思って、クラブにいたスタッフに声をかけたが、見て見ぬふりだった。入口付近にいた馴染みの警備スタッフに声をかけて助けを求めると、こんなことを言ってた。

「あの連中は、やめとけ。お前らの父ちゃんが言っても聞かねえぞ。慶應ボンボン学生はい勉強だったな。わからないけど、悪いことしたんだろ?」

といった返答で、とにかく助ける気がないのはわかった。

※その学生仲間は、女癖が確かに悪かった。相当悪かったよ。でも、ここまですることはないだろうと思った。あの時、私にもっと勇気があれば、外に出て警察を呼べたのかもしれない。



東京都内ですらこういうことがあるのだから、ある程度は暴力性にも慣れさせた方がいいのかもしれない。だがしかし漫画アニメに影響されて、人権感覚を無くしてもらっては困る。難しいところだ。

自分子育て経験豊富なわけではないし、増田ブクマカ利用者に比べて、人生経験も浅い。未熟である

もしよろしければ、増田の読者の方で教えていただけることがあればご教授願いたいです。お願いします。

anond:20240320113416

一言一句、ほんこれ

そもそも我々みんなが現代文明技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。

 

ただ、先進国ホワイトカラー欺瞞を完全スルーするのもどうかなって思う

だって、それを今さらする意味があるかどうかはさておき、1万年前の生活様式で生き延びる能力を持つ人達現実いるからね

でも、そういった能力現代社会で適切に評価されているかというと、まぁされてはいないよね?低賃金や厳しい労働条件などがその一例だ

  

今日も、"やりたくない仕事でもやらざるを得ない状況" や "必ず結果を出さなければならない" という現実存在する

これらの責務を担う人々の "一部" (全部ではない)が、『搾取されている』、『○○は特権階級だーー!!』とかトンチキなこと言って、

不満を抱く(自分不公平に扱われていると考える)のは、何も不思議なことではないんだね

 

 

からといって、理想を降ろすべきだとも、せっかく作り上げた尊重の建前を捨てるべきとも微塵も思わないし、

困っている人がいれば手を差し伸べるのは当然のことで、そのために理由を求める必要はないと思ってる

 

科学進歩により、人類生活は向上し続けているし、社会全体が底上げされ、すべての人が増田が言うことを心から感じられる日が来ることを願ってる

そもそも我々みんなが現代文明技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。

 

目指すべきは、誰もが公平に扱われ、技術恩恵享受できる社会なんだよな

2024-03-18

anond:20240318124415

既にあるだろ

日本語読めないバカだと分かったか相手にする価値すらないだけ

家父長制の思想からくる意見肯定できる余地などもう現代社会にはない

2024-03-17

anond:20240317210811

働く女性いるか専業主婦になれなくなったのではなく、高度成長期に比して中流階級の求める生活水準が上がったのが一番大きいでしょ。

専業主婦だと「まともな」暮らしができないから、一部の金持ちトロフィーワイフになれるような女以外は頑張って働いてるというのが実情

子供を中受させて良い大学に入れたいとかタワマンに住みたいとか言い出さな田舎ヤンキー家族普通に専業主婦が多い

とにかく都会に住みたいというだけで生活コストは上がる

物価も上がったけど、普通生活レベルが上がりすぎてる

昭和40年代みたいに、2Kの団地とか旦那実家の一室に同居、子供高校まで公立卒業後は就職する前提だったら、旦那年収300万台でも専業主婦できるけど、現代社会でそれやると「虐待」「子供のために働け」って言われる。

あと、どうしても専業主婦がいいなら転勤可って条件で婚活すればいいと思うけど、専業主婦希望の人って、転勤は嫌、都会(または実家の近く)から離れたくないってのとだいたいセットだよな。

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