はてなキーワード: 夜遅くとは
私の名前はここでは明かせませんが、かつてはステージで光り輝く歌手でした。2017年、夢に満ちた心と歌声を武器に、音楽の世界に飛び込みました。しかし、今ではその光はすっかり影を潜め、日々は子育てに追われる母としての生活に変わっています。
私の音楽キャリアは、短いながらも濃密な4年間でした。曲を作り、ステージに立ち、人々の心に響く歌を届けようとしました。しかし、現実は厳しく、私の音楽は大きな反響を呼ぶことはありませんでした。SNSでの拡散を試み、バズを狙いましたが、それは燃え尽きることと同義でした。夜遅くまで目を凝らし、フォロワーの数を増やすための戦略を練りました。しかし、それは音楽への情熱を燃やすことにはならず、ただの数字の追求に過ぎませんでした。
2021年、私の人生に新たな命が宿りました。妊娠が発覚し、それは私にとって活動を終えるタイミングでした。今では2人の子供の母として、新しい喜びと挑戦に満ちた日々を送っています。子供たちの笑顔は、かつてのステージの光よりもずっと温かいです。
SNSの世界では、拡散されなければ存在しないのと同じです。私の音楽がどれほど心を込めて作られたものであっても、それが拡散されなければ誰の耳にも届かない。これが現代の音楽業界の現実です。私は周りには「良い夢を見れた」と言っていますが、心の中では不満を感じています。音楽の良さが認められることなく、SNSでの拡散が全てを決めるのですから。
しかし、私は後悔していません。音楽という夢を追いかけることができた幸せ、ステージで歌えた喜び、そして今、子供たちと共に過ごす時間。これらすべてが私の人生を豊かにしてくれています。私の歌はもう大きなステージで響くことはないかもしれませんが、私の心の中ではいつも歌っています。そして、私の子供たちには、夢を追いかける勇気を持ってほしいと願っています。
私の物語は、SNSで拡散されることはないかもしれませんが、私の心の中で、そして私の家族の中で、永遠に生き続けます。そして、もし私の歌が誰かの心に届いていたなら、それは私にとって最大の報酬です。私の歌手としてのキャリアは終わりましたが、私の物語はまだ続いています。そして、これからも、私の心の中で歌は永遠に響き続けるでしょう。
1月に別れた元彼から、先日「この間彼女が出来た」とLINEが来た。
簡単な馴れ初めである。私たちは20代半ばの同い歳で、昨年マッチングアプリで知り合い、交際に至った。マッチングアプリでマッチしてからメッセージのやり取りを1週間弱して初めて通話、その翌週から1回目アポ、2回目アポ、3回目アポと3週連続で週末に会った。3回目アポで彼から告白された。だが、私はまだ彼のことをすごく好きというほどでもなく、「良い人だな〜付き合ってもいいけど〜〜」くらいの気持ちだった。そのため、「まだ気持ちが追い付かないけど、それでも良ければ付き合おう」と返事をした。
私は恋愛経験が少なく、ましてやマッチングアプリで知り合ったということもあり警戒心が強かった。そして彼もまた、恋愛経験が少ない(しかも元カノは別のマッチングアプリで知り合った人1人だけで1年半付き合って半年前に別れた)と言うので、私も自分が恋愛経験が少ないことを打ち明けることができた。しかし、警戒心が残っていたので2回目アポの時に帰り道に手を繋ぐのを許してしまったのを翌日悔やみ、3回目アポでは待ち合わせ直後に手を繋がれそうになったのを「付き合ってないのにそういうのはちょっと……」と拒否してしまった。彼は本当に傷付いたような顔をしていた。申し訳ないなと思った。その数時間後に告白されて付き合うわけだが、帰るにもまだ名残惜しく、カフェが開いていれば入りたいけどもう22時過ぎで……となったところで、向こうの「うち来る?」である。彼の家はその地点に近い駅から1駅で着くらしい。私は彼の最寄りから電車で1時間ほど離れたところに住んでいるので、「いいけど行くと終電がないんだよね……」となり泊まることに。「今日は絶対にしない」と言われ、「まあこれで体目当てか分かるし、そうだったらタクシー拾って帰ろう」と半信半疑でついて行った。その結果、同じ布団で寝はしたが、私は緊張しすぎて一睡もできず、彼は初めのうちは手に触れるくらいだったがお膳を据えられて次第にエスカレートしていったが「今日はやめておこう」と自ら思いとどまってちゃんと約束を守ってくれた。ここでやっと、「この人は誠実かもしれないのに疑って悪かったな」という気持ちが生まれた。
その後は3回会った。外でデートした後、全て彼の家に泊まった。こんなに泊まる感じであれば寝間着を置かせてもらおうと思い(前回は私服のまま寝たので)、付き合ってから1回目のデートで置かせてもらった。2回目のデートの時に「(洗濯するために)来週持って帰ろうかな」と言った。3回目のデートはクリスマス期間でその後は年末で会えないと思い、年内に持ち帰ろうと思ったためである。
3回目のデート前日は金曜日で、彼の会社の忘年会があった。どことは言えないがあるテーマパーク(?)を貸切にして1次会、居酒屋で2次会。それはもう楽しそうで、私もその日は仕事が22時くらいまであったので特に連絡せずに「楽しんできてね」とだけ言ってあった。彼は2次会で帰ると言っていたが、もちろん終電を逃してカラオケで始発待ちの3次会である。翌朝私はLINEを見て、朝5時台に「今会社の飲み会終わってふやふらや笑」と来ていたのを見て「これは本当に今日デートあるのか?」と疑念を抱く。とりあえず心配している旨と支援物資(薬やスポドリ)を届けようかという提案をするも、未読。デートがあるかどうか分からないまま、そして彼の体調を不安に思いながらクリスマスデートに向けて2時間かけてメイクとヘアセットをした。夕方になり、そろそろ向かわないと待ち合わせ時刻に遅刻するので電車に乗って向かったが、途中で「思ったより体調が悪いから明日○○(行こうとしていた場所)に行って、明日の夜泊まって欲しい」と馬鹿野郎。そんなん知っとったわボケ。ギリギリまで粘るのも優しさであり、早めに決断するのも優しさであると私は思うのだ。もう途中まで来てしまっているので支援物資を届けるか改めて聞いたが、「来たら俺がおもてなしモードになるのがしんどい」と言われた。ドアの前で手渡しか玄関の前に置き配しようとしていたが、そう言われては元も子もない。そしてなぜか、家にいる証拠として部屋の写真が送られてきた。一体何を見せられているんだろうな。「疑ってないよ」と言ったが、そんなものを送られてきたら逆に私はどうしたら良かったんだ? 私はキメキメの格好で12/23(土)の混雑した駅のプラットフォームに取り残されてしまった。
元々、土日で会う予定だった。そして日曜日は彼がどうしてもM-1をリアタイしたいということで、クリスマスプレゼントを買いに行って昼過ぎに解散しようという流れだった。だが、日曜日に変更となると、翌日の月曜日が出勤の私は彼の家から直接職場へ向かうのか……荷物どうしよう……と思ったが、言えなかった。そして私は日曜日の朝に(近くはないが)身内に不幸があり、家がバタバタしていてとても行ける状況ではなくなってしまった。これ以上リスケしたら年末年始でまた会えなくなって本当に別れそうな気がしたので、身内のバタバタが一旦落ち着きそうになった夕方に待ち合わせた。さすがにしんどかった。リスケと身内の不幸。どちらも仕方のないことだとは分かっている。元気に過ごしたかったが難しかった。
翌朝、帰る時に彼に「寝間着は持って帰らないの?」と言われた。そういえば先週そんなことも言っていた。しかし、これから出勤するというのにモコモコのパジャマを持っていくのは恥ずかしすぎるし、荷物がかさばりすぎる。「うーん、どうしようかな」と言うと、彼が持ってきて「持って帰りぃ」と言う。ああ、終わった。別れるかも。そう思ってしまった。「次会うのは年明けかな」と言うと、「年が明けてから考えよう」と言われてそのまま私は職場へ向かった。思えば、彼の顔を直接見たのはこれが最後だった。
元々LINEの返信の遅かった彼だが、その日を境にどんどんと遅くなった。「LINEは義務じゃない」とお互い決めてはいたが、まさかこんなに減るとは思わなかった。ひと足早く年末年始の休暇に入っていた彼は、新幹線が混む前に関西へと帰って行った。なんとなく帰るのは聞いていたが、実際に帰る日付を言われたのは事後報告だった。しかも、実家で過ごす前に友達と旅行をしていたという。私はまだ仕事をしていたので、彼が楽しく過ごしているならそれで良いと思った。ただ、体調を崩したというのだけが心配だった。
年が明け、地震があり、私はまた心配事があった。友人が能登半島に住んでいるのだ。そして、私は新潟県で活動しているアイドルグループを応援しており、ファンの中には北陸住みの方が多くいた。ちょうど出先だった私は、すぐに家に帰った。そして、TVのニュースとXを見ていた。友人が避難できたことを知り一安心だが、アイドルグループのファンの方々が避難中の様子を実況する度に「今は車を使わずに逃げて欲しい!海岸線を車でなんてやめて!しかも渋滞してるの!?」という気持ちでどぎまぎして、その人たちが避難しきれるまでは気が気でなかった(一度も話したことのない見ず知らずの人たちだが)。彼の地元も揺れたようだが、身の安全が分かってよかった。しかし、その後「震災の報道ばっかりだね、格付け楽しみにしてたのに笑(※格付けは延期になった)」ってLINEが来たので私は怒り狂ったがその素振りを見せず、「年始早々色々なことが起きていて複雑な気持ちだけど、明日は何も起こらないといいね」と言葉を選んで返信した。この時には1日1往復連絡が取れているかも怪しかったが、彼は実家で楽しく過ごしているのだろうと思い、追及はしなかった。電話の1本くらいしたかったが、年末の体調不良で喉を痛めていると言っていたのが引っかかり、1度もしなかった。
1/4、私は仕事始めなので前のLINEに既読がついていなかったが「今年も仕事がんばろう!」と送る。すると、半ギレで「体調ぶっ壊して休んでるけどそっちは頑張って」と返信が来る。私は「気遣いができてなくてごめんね、LINEは体調よくなってきてからで大丈夫だよ。ゆっくり休んでね」と最大限の優しさを発揮した。
1/6明け方、先輩から「身内に不幸があったので休日出勤を代わって欲しい」と言われる。そうなるかもしれないと言われていたので、いつ連絡があってもいいように寝ずに待機していた。寝不足で仕事をし、ちょうど自身の忌が明けた(先述した身内の件)ので恋愛成就で有名な都内の神社に参拝した。それは初詣でもあり、お礼参りでもあった。秋頃、当時マッチングアプリを通じて会っていた方に疑念を抱き始めていたため、こちらの神社で良縁祈願をしたのだ。すると、参拝した数日後に当時会っていた人とは疎遠になり、彼とマッチングしたのだ。なかなかタイミングが合わずお礼参りができていなかったので、このタイミングにと思い、お礼参りをした。その数時間後、彼から「別れて欲しい」とLINEが来た。
理由は、会話のテンポが合わないことによる自己嫌悪。テンポが合わないことの理由を探ったけど見つからず、色々試しているうちに思ってもないことを言ったり、思ってもない行動をしてしまったりして、自己嫌悪になったらしい。彼は自己完結するタイプだ。ぐるぐると悩んでは、自分の中で答えを出してその後は頑固である。私はまさか自己嫌悪が理由で別れることになるとは思わず、「体調が良くなったら会って話さない?文面ではこじれるから、直接会って話したい」と言ったがすぐには返信が来なかった。どうやら帰省先から戻ってきているらしい返信は別れを切り出す直前に来ていたので、体調を心配して翌日支援物資を家の前に置いてきた。置いたよってLINEをした後、そんなつもりじゃくて本当に心配してやったことだけどポイント稼ぎだと見られるのかもしれない……と思ったが、心配には代わりないのでそのままにした。家の電気はついていなかったが、寝ていただけだと信じたい。その夜、「会うことについては考えさせて欲しい」とやっと返信が来たので、「今後どうするかは体調が良くなってからゆっくり考えて」と送った。
2日後、仕事から帰っていると「別れたい気持ちは変わらないから会えませんごめんなさい」とLINEが来たので、とうとう感情を露わにしてしまった。「別れを引き留めたいというより、自己嫌悪っていう理由が納得できない。別れたいのは分かったから会って理由を聞かせて欲しい」と書き、「電車降りたら電話かけさせて」と送って電車を降りてから電話をかけたら出た。通話は彼と初めて会う前にして以来、2回目である。
【私の思っていた彼の別れの理由】
楽しませようとするが空回り→私を傷付ける言葉や行動→思ってもないこと言っちゃったどうしよう→俺本当にダメだ
彼がボケる→私が拾いきれない(特にクリスマス)→俺ってもっと面白いのに……→周りにはちゃんと拾ってくれる人がいる!今の彼女は面白みがない!!
…………は?
私はいつの間にか、コンビを組んでいたのだろうか。そりゃM-1大事だわ。予定変更になってクリスマスプレゼントは買えず、私は外でごはんを食べると思っていたからまさか虚無になりながらキッチンに立つとは思わなかったし、彼が楽しそうにTVで観ているM-1をたまにしか覗けなかったのが間違いだったのか。ツッコミの先輩方を観てきちんとしたツッコミを学ばなければならなかったのか。私はいつからNSCに入学していたのか。
2人の関係性は2人で納得して決めたいと言っていた私は、一気に白旗を上げた。もう完敗だよ。
1時間弱の通話のうち、何度「しんどい」と言われたか。彼は何度話し合いから逃げようとしたか。どんなに優しく聞いても、「しんどい」と言われる。やっと話してくれたと思っても、こんな理由でしょうもなくてびっくりしてしまった。しまいには、「俺は振ったことも振られたこともある」と言い出したので問い詰めると、実は半年前に別れた人の後に2人付き合っていたことが発覚した。ちょっと待て、私と知り合ったのが10月で、前の人(ではなかった)と別れたのは3月のはず。4〜9月の間に2人いたのか? 過去に1人しかいないと思っていたのでいわゆる女性への幻想(胸のサイズは漫画で見るものを基準にしてはいけないよ的な)に気を付けていたのに、そんな気を遣う必要がなかったみたいでがっくりした。一応20分だけ会って別れの挨拶だけはしてあげようと言われたので、そこで一旦電話を切った(夜遅くなってあまりにも向こうがしんどいを連発していたので)。途中で切ることになって私からは言いたいことがあまり言えていなかったので、文面で送った。こうなってくると情が湧いてしまい、文中に「また短いスパンの付き合いを繰り返すのはあなたのためにならないよ」と入れた。そして、「会いたいっていうわがままを聞いてくれたのにごめんだけど、私もこのまま一度別れてもいいと思ってる」と「格付放送してよかったね。あの時は北陸に知り合いが多くいたのもあって真面目に返してごめんね」と最後の抵抗をした。約1日経って返事が来て、そのまま別れた。1日1往復もできなくなっていた頃だったから、ギリギリその日中に返事が来たことに驚いたのも懐かしい。
そして私はすぐにマッチングアプリを入れ直して1人と3回会ったが、プロフィール詐欺(居住地、学歴、仕事、趣味)が発覚したため、お断りした。本当に虚しかった。そこで、マッチングアプリで元彼に会えたのは奇跡だったのかもしれないと思ってしまった。そうなると、人間は単純である。過去の成功体験を忘れられないのならば、追い求めるしかないのだ。
お礼参りをした神社に再度赴き、復縁祈願をした。少し日が経ってから、思い切って連絡してみたりもした。「ハイキューって知ってる?」と。当時は映画をやっていたのであわよくば連れていきたいが、別れているのでせめて無料公開期間に漫画を読んで欲しかった。未読無視でも仕方ないと思ったが、翌日返信が来た。どうやら漫画の1話は試し読みで読んだことがあるらしい。それなら話が早い。読んでくれ。付き合っていた頃、一切二次元オタクであることを明かしていなかった私がこんな発言をしたらどうなるか。それは、「読んでみようかな」である。ま〜た上辺だけの発言じゃねぇか。仕方ないよな、私は彼女ではないのだから。そこからぽつぽつとやり取りをして、彼が今胃が悪いこと(飲みすぎ)、来月帰省する予定があること(私が○○(彼の家の近く)で予定があるから会おうと誘ったら言われた)、帰省の後に大事な資格試験があることを知った。次に誘うなら資格試験の後かな〜と思いながら、やり取りをしていた。帰省も本当にしたみたいで、会うのが嫌で嘘を言っている感じではなかった。
4月も終盤になり、私は彼の帰省の話をもっと聞きたい(思い出話をされたので)のと自分が遠出したお土産を渡すのを口実に資格試験が終わって落ち着いた頃に会おうと誘ったところ、
「ごめん、この間彼女が出来て会うのは厳しい😭」
である。やっと本題。ここがサビ。
でもちょっと待て。2ヶ月もLINEしておいてどういうつもりだ? キープか? それとも無理やり続けてくれていたのか?
彼が嘘を言っていないのであれば、資格試験の勉強で土日は潰れていただろうし、平日もとてもじゃないけれど暇はなかったはず。
というか、「この間」っていつだよ。
しかも、あなたにここで見えているかは分からないが、号泣している絵文字がくっついていた。見えているだろうか、「😭」が。
ふざけるなよ、「あなたに会いたい気持ちはあるけど、彼女が出来てしまったので仕方なく会えません」みたいな生ぬるい返事を許せるわけがないだろ。彼女がかわいそうだわ。
私は何食わぬ顔で「おめでとう」、「それは言ってよ笑」みたいなことをいくつか送ったが、ぴえんみたいなリアクションスタンプがついていただけだった。ふざけるなよ、何がぴえんだよ。何でそっちが泣いた絵文字を使うんだよ。使いたいのはこっちだろ。
彼女がいたらすぐ言う性格だと思っていたので、「この間」というあまりに曖昧な表現を用いているところを見るとただ距離を取っているかのように見えるのが引っかかる。でも相手の言うことを信じるべきだと思うので、それ以上何も送らなかった。どちらにせよ、私を遠ざけたいのだろうから。
そういえば、彼は仕事の関係でブログを書いていた。最後にそれを見ようと思ったら、なんと彼は資格試験で忙しいであろう期間中にチームビルディングと称してリレー大会に出ているではないか。いや、もしかしたら資格試験と並行していたのかもしれないが。楽しそうな様子にどんどん現実に引き戻されて行くのと同時に、「あ、1kmのタイム5分20秒なのか……学生時代はもちろんだけど、今の私より遅いわ……」と急激に冷めてしまった。chu!ジム通いでごめん♡自己研鑽に励んでごめん♡
また人生のうちに機会があれば、自称オモロ人間として私に何か話題を提供して欲しい。
【追記】
書き殴りにこんなに反応をもらえると思っていなかった。ありがとう。
・160cm台半ばで普通体型の範囲内だとは思うがどちらかといえばふくよか(私との身長差は自己申告の身長のままなら7cmくらい。だがあまり身長差を感じなかったのでヒールを履くのは控えていた)
・顔の善し悪しは私が決めることでもないので言及が難しいが、鼻が小さくてかわいらしいと当時は思っていた
・かなり色白(今は知らない)
ハンガーは手前に取ろうとして引っかからない向きでかけないとストレスが溜まる
自分は食器洗うタイミングはいつでもいい派なんだと思ってたけど実はそうじゃなくてコンディション悪い時にシンクに溜まった食器見ると泣きそうなくらい悲しくなる
食器溜まるのを解決するために食洗機導入しても結局食器は溜まる
自分は洗濯溜まってても気にしない派なんだと思ってたけど実はそうじゃなくて溜まった洗濯物見てスルーする同居人に理不尽にキレそうになる
ドラム型洗濯機は高いし今の部屋の洗濯機置き場は狭くてどっちにしろ買えない
夜2人でテレビでも観ながら食べよ〜と思ってルンルンで買ったプリンを要らないって言われると2日後くらいにダメージくる
甘いもの好きなのは自分であって相手はそんなに好きじゃないってだけの話なのに
仕事のキリ悪くて上がれなかったりゾーン入ってて抜け出せなかったりする時に夜遅くまで働いてることに意見されると本当につらい
ゾーン入ったエンジニアなんてほっといてくれればいいじゃんって思うけど多分エンジニアが近くにいない世界で過ごしてきたんだろう
自分がしんどい時に相手がしんどそうだとしんどいって言えなくて余計にしんどい
ひとりになりたいときにひとりになれないとつらい
2LDK以上はほしい
疲れた時に会いたい早く帰りたいと思って帰るけど期待しすぎるのはよくない
寒くて雪が多くて除雪で腰は痛いし暖房費もかかるし大変だけど冬一番好きで冬終わってしまったのが寂しすぎて泣いてる
路面のアスファルトはもうほぼ出てて冬靴の底がすり減るし今日ついに夜歩いても全然寒くなくて本当にちょっと泣きながら帰ってきた
寒くて雪が多くて暖房費もかかるし除雪も大変だけど冬はヒグマもマダニもハエも出ないし(クモは出る)不審者も出足が鈍くて森も街も夜遅くまで気にせず歩けるサイコーの季節(ただし猛吹雪の日を除く)
川辺の道はきれいだし河畔の雪原には青紫の影がくっきり落ちてウサギとか狐の足跡が延々続いてるし街の道を歩いても小型犬中型犬大型犬の足跡がずっと続いてて散歩の記録がいつまでも残ってるから何が歩いたかありありとわかってかわいいし夜降ってくる雪は見上げればいつまでもずっときれいだし雪の結晶も肉眼で見られて外灯できらきらして最高だしコート着てればその下の格好はあんまり気にしなくていいし毛も剃らなくていいしあったかいコーヒーは常においしいし遠くのスーパーから溶けるのを気にせずアイスを買ってゆっくり歩いて帰ってこられるし汗かかないから街中まで1時間以上歩いても平気で行けるし冷凍パスタも溶けないしストーブの前でぬくぬくしてた猫の思い出もよく蘇ってくる
こんなにも冬最高なのに毎年終わってしまう
悲しい
日陰の雪を探して踏みに行っては名残を惜しむ三月
春くんな
よく1階の玄関で友だち呼んで喋ってる
友だち呼んで喋ってるときに私が玄関を通ったらなんかジロジロ見てくるし聞こえる声で馬鹿にしてくる
あれお前の姉ちゃん?そんなわけないwwとかうーん50点!!wwww(←これが一番ムカついた)とかなんかカバンデカい!!wwとか
そいつは近所で一番(というか都道府県内で一番)賢い私立の高校に行ってて、そんな賢い子でも普段こんなんなんだーと思ってた 勿論嫌いだった
そいつは私の部屋の上の階に住んでるんだけど、
夜遅くにお父さんらしき人が怒鳴る声とかガキが大声でなんか言ってる声とか聞こえてきて
父親と出かけるときにその子の一家と玄関で遭遇して、世間話が始まったので聞いてたら案の定受験失敗してた
予備校どこ行くかで迷ってるらしい
うちの父親は親馬鹿だから、すかさず娘の私の話をして自慢してた
うちの娘は〇〇駅の河合塾で浪人して〇大行きましたよ!wwって 特に悪意はなくてただ自慢してるだけなんだけど
そしたらその子の親がすごい感心してて、え〜大したもんやぁ!ってめっちゃ盛り上がってて
「あんた、〇〇さん〇大行ってたんやって!あんたも見習わな!ww」って
そのあと話聞いてたら、そのガキは地元の国立と関大と京産落ちたらしい
うーん、50点!!wwwwwwwwww
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。
増田だったと思う、定時に帰ることを続けたらどうなったかというエントリーが相当前にあった。
俺もやってみた
きまずい。皆残っているのにそうそうに変える。「お、お先失礼します〜」とった感じ。
捌ききれないほど溜まりそうなら1日〜何日か夜遅くまで残業して対応し、基本定時で帰れるようにした。
気まずくなくなる。定時後5分で片付けしていたのが、定時5分前から片付けして帰るようになる。
自分の仕事のスピードも上がり効率は良くなる(残業2時間してた頃よりこなせる仕事は少ないが)
「子供のお迎えあるのは分かってるんですけど、こんな時間に話かけて大丈夫ですか?」
「増田さんはお子さんのお迎え協力してやってるんですって。偉いですね」
俺が全く話していないことが脚色されて周りに伝わるようになる。発信源は不明。
(お迎え行ってるのは事実だが俺がいけなくても妻が行くので定時に帰る理由ではない)
きのう、いえにかえりついた。そしたら、子どもがパソコンをしめていて、使う気が
おこらなかった。ラズパイたちあげるという手もあったけど、それすらやる気がしなかった。
けさおきて、みてみたら、コードシェアについてのメールがきていた。夜遅くおくってくれたのか。
親切だね
一年間にこれを教えましょうとかこれをやらせましょうとか学習指導要領で決まってるわけ
国が、文部科学省が決めてんの
法的拘束力があるかどうかは微妙なラインだけど無視すれば訴訟のリスクもある
土曜授業がなくなって久しいのにそれを考慮せず
減らすどころか英語学習を小学生のうちからやれとかPCやタブレット操作を覚えさせろとかディベートやらせろとかあれこれ詰め込んで
国のせいで予定がギチギチになってる
アレルギー持ちや発達障害の子はどんどん増えていくし保護者も躾とかろくにしないから色んな「対応」でどんどん時間が過ぎていく
時間余ったから好きな本を読んでいいとか外で雪遊びするかとかなんかビデオ見るかなんて余裕はなくなって
削られるのはそういった遊びの時間
担任が個人の趣味で子どもに意地悪をして憂さ晴らしするために年間を通して給食の時間を勝手に短く設定している!!みたいな妄想に憑りつかれている奴が多すぎてマジかってなる
もしお望み通り給食の時間をなが~~く取ったら学習指導要領をこなすために授業がよりハイスピードになって落ちこぼれる子が増えるだろう
というかツルツルした食べ物が何かの拍子にスポッと喉に入り込んでしまうとか大人でも年間通したら数十人か数百人か知らんけど死因としては稀にとはいえ存在するものだろう
もともとそんなにひどい不眠だったわけじゃない。
1週間のうち3日くらい、布団に入っても2-3時くらいまで寝付けない日があったくらい。
仕事がキツイ時期とか、大事なプレゼンの前日とか、精神的に興奮している時はより酷くなる感じ。
そしてあまり寝れなかった翌日は調子が悪くなり、それが原因で長い目で見た時のパフォーマンスにムラが出てしまっていた。
改善しようという思いはあり色々なことを試してきた。
カフェインやアルコール、寝る前のブルーライトなどを控えたり、運動をしたり、眠りに良いとされる食品をとったり、寝具にこだわったりなど。
でもどれもこれも目に見えた効果は出ず、自分は寝るのに苦労する体質なんだと決めつけていた。
寝れないことで明確な不利益を被っているわけではないので(パフォーマンスのムラはあくまで主観、日中眠くなるとかはない)医者にかかるなどまで手間をかける気にはなれなかった。
そんなこんなで高校以降20年近く睡眠の問題と緩く向き合っていたが、ここ最近とてもよく寝れている。
朝6時起きを習慣にしてからだ。
コロナ以降は仕事もリモートになり、心ゆくまで寝て目が覚めたら起きるような生活だった。
6時起きを始めたのは仕事が立て込んできて夜残業時の集中力低下を感じたから。
当時は12時くらいまで仕事をしていたが、夜遅くなるとあからさまにガス欠状態になっていたので、朝方にシフトした。
起床から始業前はとても集中でき、仕事の方はとてと順調に回るようになった。
これはいいぞとしばらく過ごしているうちに、夜もとてもよく眠れていることに気づいた。
睡眠時間自体は変わっていない。以前は25時〜8時の7時間、今は23時から6時の7時間。
でも今の方がしっかり眠気を感じ、質の高い睡眠が取れていると感じている。
6時起きはしんどいし、好きなだけ寝られるというのは幸せでもある。
が、決まった時間にスパッと起きる、ということが夜健全な睡眠に落ちる上でとても大事だと感じている。
そして1日の始まりのもっとも頭の中がキレイな時間に、自分にとって一番重要なタスクに割り当てられることが、自分のQOLを大きく高めてくれていると感じる。
もともとそんなにひどい不眠だったわけじゃない。
1週間のうち3日くらい、布団に入っても2-3時くらいまで寝付けない日があったくらい。
仕事がキツイ時期とか、大事なプレゼンの前日とか、精神的に興奮している時はより酷くなる感じ。
そしてあまり寝れなかった翌日は調子が悪くなり、それが原因で長い目で見た時のパフォーマンスにムラが出てしまっていた。
改善しようという思いはあり色々なことを試してきた。
カフェインやアルコール、寝る前のブルーライトなどを控えたり、運動をしたり、眠りに良いとされる食品をとったり、寝具にこだわったりなど。
でもどれもこれも目に見えた効果は出ず、自分は寝るのに苦労する体質なんだと決めつけていた。
寝れないことで明確な不利益を被っているわけではないので(パフォーマンスのムラはあくまで主観、日中眠くなるとかはない)医者にかかるなどまで手間をかける気にはなれなかった。
そんなこんなで高校以降20年近く睡眠の問題と緩く向き合っていたが、ここ最近とてもよく寝れている。
朝6時起きを習慣にしてからだ。
コロナ以降は仕事もリモートになり、心ゆくまで寝て目が覚めたら起きるような生活だった。
6時起きを始めたのは仕事が立て込んできて夜残業時の集中力低下を感じたから。
当時は12時くらいまで仕事をしていたが、夜遅くなるとあからさまにガス欠状態になっていたので、朝方にシフトした。
起床から始業前はとても集中でき、仕事の方はとてと順調に回るようになった。
これはいいぞとしばらく過ごしているうちに、夜もとてもよく眠れていることに気づいた。
睡眠時間自体は変わっていない。以前は25時〜8時の7時間、今は23時から6時の7時間。
でも今の方がしっかり眠気を感じ、質の高い睡眠が取れていると感じている。
6時起きはしんどいし、好きなだけ寝られるというのは幸せでもある。
が、決まった時間にスパッと起きる、ということが夜健全な睡眠に落ちる上でとても大事だと感じている。
そして1日の始まりのもっとも頭の中がキレイな時間に、自分にとって一番重要なタスクに割り当てられることが、自分のQOLを大きく高めてくれていると感じる。
「普通はおしっこの色って黄色とか白とか、まあせいぜいその程度じゃないですか。でもね、その日は違ったんですよ」
体験談を聞かせてくれたAさんは声をひそめて続けた。
「とにかく違うっていうか、おかしかったんです。色が」
当時、Aさんは仕事上で厄介な案件を大量に抱えており、残業続きの毎日だったという。
Aさんはフロアの端に設置された自販機で眠気覚ましの缶コーヒーを買ったついでに、用を足しにトイレへ向かったそうだ。
Aさんの職場にあるトイレは個室しか設置されていない。鍵を閉め、便座を上げ、チャックを下ろし、用を足す。
ふと、便器を見下ろしたAさんは我が目を疑った。
茶色。
が、何もついていない。
つまり、目の前の茶色い液体はウンコではなく、尿の可能性が高いだろう。
疲労のあまり尿道から下痢便を放ってしまったのではないかとも考えたが、人体の構造を考えると不可能だ。
そもそも、便器に溜まった茶色い液体は下痢便のそれとは違い、明らかに小便特有のアンモニア臭を放っていたという。
目の前の信じがたい光景に震え上がったAさんは、買ったばかりの缶コーヒーの中身を便器にぶちまけた。
そして、水洗レバーを下げ、いつもより念入りに手を洗い、便所を後にした。
なぜ缶コーヒーをトイレに流したのですか、と聞くと、Aさんはこう答えた。
「うーん、僕にもうまく言えないのですが……。そうすれば、説明がつくというか、『便器が茶色いのは缶コーヒーを流してしまったからだ』って説明できるというか。
ちょっと前に、小便が泡立っていたから爪楊枝で急いで泡消した、みたいな小噺が、ネット上で話題になったじゃないですか。
あの時の僕も似たような理屈で、目の前のヤバい出来事に、無理やりにでも辻褄を合わせたかったんだと思います」
Aさんは何かを諦めたような笑みを浮かべ、こう締めくくった。
「信じられない事が起こってしまったら、頭では理解できなくても、理屈の上では“解決した”ってことにしないといけないんだなって、あの茶色い小便のことがあってから、そう思いました」
おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する
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更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。
5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。
私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。
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絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。
あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ
親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。
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そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。
深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。
夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。
すごく綺麗な姿をしていた。
おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」
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伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め
葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。
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「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」
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葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ
専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた
私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている
親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた
半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。
とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。
どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。
…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。
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その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。
直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。
そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。
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翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。
この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。
孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。
そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。
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そんなこんなで、本番。
今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。
最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。
振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。
葬儀屋さんも泣いていた。
私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。
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葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。
あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。
まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。
否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。
なんだか、ありがたい経験だった。
弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。
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自分には夢がありました。その夢を叶えるために、様々な苦しい状況でも歯を食いしばり努力を重ね、困難を乗り越えてきました。自分の横にはほとんど常に彼女がいました。時に彼女が自分を支えてくれ、時に自分が彼女の支えとなり、お互いに励まし合いながら今日まで歩んできました。
しかし、いくら努力をしたところで夢とは叶いにくいものです。それは叶えるよりも、追い求めるものなのだと思います。夢を叶える上で問題となるのは、お金と時間です。夢のために給料が支払われない仕事もよろこんで引き受け、深夜3時まで作業をし、朝は7時に起きなければなりません。休日は自己研鑽に使わなければならないため、彼女の相手をまともにすることもままなりません。生きていくためには必要なので、足りないお金は別のしかたで稼がなければなりません。そんな日々の繰り返しを、自分は次第に馬鹿馬鹿しいものだと思うようになってきました。そしてあるとき、もう心がぽきっと音を立て折れてしまい、自分には夢を追い求めることより、彼女とふつうの暮らし(まともな収入があり、休日を休日として過ごせる暮らし)を営むことのほうが望ましいと思うようになりました。
そして、給料がしっかり支払われる別の仕事を見つけたのでした。これで生活のゆとりを奪い、四六時中つきまとう夢を打ち砕けると自分は喜びました。
さて、働く意志を彼女に見せたところ、はたして彼女はみるみるうちに頬を赤らめ、口調は徐々に怒りを帯びてゆきました。曰く、思っていたのと違うとのことでした。どうも、自分が夢を叶えると思ってついてきたにもかかわらず、その夢を捨てるとは何事かと腹を立てているようでした。
自分には彼女の怒りがわかるようでわかりませんでした。たしかに、夢の追求から離れる自分は彼女の思惑を裏切ったのかもしれません。しかし、それによって得られるふつうの暮らしは、それほど嫌悪されるものなのでしょうか。週に5日働き2日は休む規則的な生活ならば、趣味に費やす時間も新しい取り組みを始める時間も十分にあります。一方でもし夢を捨てぬなら、これから何十年も、目をこすりながら夜遅くまで作業をし、休日もろくに一緒に過ごせず、自分のために時間を使い続けなければなりません。だとすれば、当初の目論見とは違えど、ふつうの生活を目指すというのがまともなのだと自分は思います。
彼女はそう思わないようです。夢を負い続ける売れないシンガーソングライターが好きで、彼が現実に戻ろうとするのを阻もうとしてきます。
自分は夢を追い続けなければならないのでしょうか。自分で決めていたはずの夢が、自分の手を離れ、もはや自分ものでなくなっていて、自分の想像力や理想でさえも他者に支配されているかのような感覚です。
実家暮らしストーカーニキって、なんで実家(親の持ち家)を自分の所有物だと思っているんだろう。
もちろん、自身が家を相続する権利があると思ってるからというのは頭で理解出来るんだけれども、それって相続するまでは親の持ち物だよね?親と一緒にローンを払いましたとかならまだしも……。
インターネットの片隅に、E先生というイラストレーターの先生がいらっしゃって、その人は毎月2万渡すから…と新潟の実家に九州に住んでいるイラストレーターを呼び寄せようとしていた。
その騒動をリアルタイムで見ていて「お前の家じゃねえだろ」と声を荒らげそうになったものだが、その数年後、似たような事を言う男にロックオンされたことがある。同じ職場の違う部署の先輩だった。
E先生と似た人っているんだ。というかストーカー男は基本的に親のものは自分のもの精神の人が多いのかな……とその時ぼんやり思った。
それが、昼食を取っている時に勝手に向かいに座られて、引っ越ししないか…と持ちかけられた時の話である。考え方が異次元だったので色褪せる前に備忘録として残しておきたい。
E先生にぶつけたかった質問を色々投げられたのでその時は気持ちよかったが、改めて羅列するとなんだこいつ。
私「○○さんから聞いたんですか?私は混む道があるだけで遠いと思ってませんけど。(休みの日に毎回家凸してこようとするので住所をボカしてる)」
男「僕の家に住みませんか?職場近くなりますよ。家賃もいらないですし。」
私「!? 男さん、いま実家暮らしですよね?新しくお部屋探す予定ですか?」
男「いいえ。部屋探しする予定はないです。」
私「!?!? え、もしかして男さんのご実家に引っ越して来いって言ってます?」
男「はい。」
私「男さんのご実家って男さんが購入したものですか?違いますよね?ご両親が購入したおうちですよね?」
男「そうなりますね。」
私「それじゃあなんの権利があって私に住めって言ってるんですか?」
男「えっ?」
私「いや、ご両親が買った家ならご両親のもので、あなたは住まわせてもらってる立場ですよね?もう男さん、一人暮らししてていい年齢ですし…。そんな人が家住んでいいよって言う権利なくないですか?それともご両親に先に話通したりしてます?」
男「えっ、あ、いや……。部屋は余ってるので両親はいいって言うと思います。姉はもうすぐ出ていきますし。」
私「姉!?姉がいるならなおさらあなたが私に実家に住めって言う権利なくないですか?」
男「え…でも部屋余ってるし。私さんも引っ越してくれば会社近くなるし…。」
私「息子と付き合ってもいない、住む場所がない訳でもない見ず知らずの女性に対して、自分が汗水垂らして買った家に住んでもいいって言う人はいないと思いますよ。それに仮に住むとして、家族になる訳でもない人に気を遣うは私は嫌です。」
私「だから、なんの権利があって言ってるんですか?お姉さんが仮に知らない男連れてきて、実家に一緒に住むようになったけど挨拶もしない素性も分からない、加えて彼氏でもない…て怖くないですか?しかも自分が買った家で、ですよ。」
男「そう、ですね……。」
私「私はあなたと付き合う気はないので、あなたのご実家には住みません。加えて、あなたのご実家はあなたのご両親の持ち物で、あなたの所有物ではありません。」
男「でも…」
私「せめて女口説くなら新築物件探すくらいの手間は掛けましょうよ…。」
この話をしても、「やっぱりうちにおいで」としばらく誘われていた。
たぶん私が新しく住む家を探してる…という話を聞いたから喜び勇んで話を持ってきたんだと思うけど、私が家を探していたのは紛れもなくこいつのせい。
私はその時体調を崩して実家に住んでいたのだが、休みの度に「家まで行っていいですか?」「夜遅くても関係ないです!僕が行きますから!」「☆☆方面って聞きました!今向かってます!(違う)」としつこく連絡をし、仕事の時は私の車の前で待ち伏せされ、私が所属する部署に関わる仕事にわざわざ志願して…と、将来的に親に迷惑をかけそうだったためである。
結局、同僚が上司にそれとなく話してくれ、「数年前にもほかの女性社員の社宅に何度も押しかけてクレームになった」事も相まって、デカいミスをした時に窓際部署に移動になりそのまま辞めた。
今でもストーカーしてるのかな、あの人。
劉偉が言ってたと思うんだけど、モンド作ってるときにスタッフに「私たちはどこで間違ってしまったのか」って泣きつかれたとか、そんな中で夜遅くまでスタッフに作業させてたとか、はてなー的に認められない作り方で出来てるんよね。
そんな中で撤退戦ではなくて、人が足りないからだってドンドン増やしてったわけで、経営側が人生かけてるというか、まぁブッ飛んでる。
本来経営者はそのぐらいがデフォなんであって、日本が保守的すぎるだけなのかもしれんが。
日本の「ゲーム大国ゆえの呪い」や「思想の欠如」以前に、人生棒に振る覚悟のある若者が経営者になって、そこに金がブッ込まれる社会構造になってないと出てこないゲーム(原神)だなと思う。
馬はどうしてこう(現状に)なった…。