はてなキーワード: キン消しとは
例えばSONYのMetal Master46だと当時1350円のものが1万円程度で取引されている
マンモスマン肌色(ベージュ)なら50万円、赤は12万円、青なら10万円する
一般的には500円〜1000円ほどで取引されているが、レアなものは高い
森高千里50度だと50万円、ポケモンテレカは25万円、有村架純 テレホンカードが6万円など
ビートルズやローリングストーンズ、The Who、ピンク・フロイドなどの特定のアルバムが数万円〜10数万円で取引されている
ファミコンソフトは円安もあり外国人が買いまくっているため年々上がっている
ゲームボーイやスーパーファミコンなども値上がり中。狙い目は今が底値のPS2、そのうち上がる
他にある?
タイトル通りです。下記のようなマンガで育ち、近年マンガを読んでいない浦島増田太郎に「これも読んどいた方がいいよ」「これはきっと好きなはず」というマンガがありましたら、新旧問わずご教示ください。
藤子不二雄は両御大ともに「大好き」では済まされないくらいの敬意を抱いている。ドラえもんより21エモン派、パーマンより劇画オバQ派の自分だが、もっとも胸を熱くして読んでいたのはこれ。「藤子不二雄ランド」(80年代半ばに小学館が行なった復刊シリーズ)でセル画付きコミックスが本屋に並ぶのを毎月楽しみにしていた。
メディア・ミックスの力をリアルタイムでびしびし感じたマンガ。消しゴム(通称・キン消し)にアニメにFCゲーム。単行本はクラスメイトと奪い合って読んだ。ゆでたまご氏の画力とストーリーテリングにおける成長ぶりを主人公に重ねることができる。『ドラゴンボール』同様、作者の力を越えた「神がかり感」にみなぎっていた。好きな超人はアシュラマンとサンシャイン。新シリーズは未読。
まだ幼かった小学生男子にとって大人の世界(サブカル、ギャンブル、酒/煙草)の入り口であり、ギャグ漫画の類でほとんど笑えなかった自分がほとんど唯一声をあげて笑っていた希有な作品。「国宝級」という言葉はできれば使いたくないのだが、この作品には相応しいように思う。60巻あたりで読むのを止めてしまったが、いつか最初から全部読みたい。
僕が中学生の時に鳴り物入りで連載スタートした本作。ファンタジーとエロスとオカルティズムが三位一体となって、思春期の扉に射しかかっていた自分を暴力的に襲ったハレー彗星の如き作品。単行本10巻代で離脱してしまったので(そのうちKindleで続き読みたい)ここに入れるかどうか迷ったが、インパクトの大きさを考えると外すことはできなかった。
『BASTARD!!』とほぼ同時期に連載が始まったように記憶している。当時の自分が毎週ジャンプを欠かさず読んでいたのは『ドラゴンボール』『魁!男塾』『聖闘士聖矢』ではなくて、『BASTARD!!』と今作のためだった。第3部までは完全無欠な作品だと思っていたが、自分的には4部半ばで失速してしまい、以降未読。
思春期になって別冊マーガレット(別マ)を読むようになったのは、人格形成においてかなり大きかったように思う。が、今でも諸手を挙げて「好き」と言える少女マンガ作家はこの紡木たくとくらもちふさこ、山岸涼子、岡崎京子くらいかもしれない。自分より少し上の世代(BOOWY、尾崎豊世代)の聖書『ホット・ロード』と迷ったが、今作で展開する田舎の閉塞感と諦念を含んだ叙情性の方が自分にはずっとリアルだった。
くらもちふさこ作品の影響は自分で思っているよりもきっと遥かに大きい気がする。どの作品もあまりに素敵で、生々しく、リアルに感じた。今もくらもち作品を読むと、初心な女学生のような気持ちでいっぱいになる。
高校生の頃、コンビニのスピリッツで第1話を立ち読みした時の衝撃を忘れることはできない。「恐怖心」というより、新しい世界への扉が開いた時の「カチッ」という音が聴こえたような気がした。たしか最後まで読んだはずなのに、まるで記憶喪失になってしまったかのようにほとんど全て忘却してしまっているところも、楳図作品「らしい」。
二十代の頃、たしかクイック・ジャパンかな? サブカル誌で知って全巻買いした。悲しくて美しくて愉快な夢幻と、人生において或る時期にしか見得ない美しさにみちていた。昔の詩や文学みたいだなと思った。
かつてのサブカル女友だちが「あんたは絶対読んどきな」と貸してくれた。その後、彼女とは会えなくなって、返すタイミングを失ったまま20年近く経ってしまった。『ピンポン』『鉄コン』も迷うけど、個人的な思い出もあって本作を選びたい。
最近の(?)作家では例外的にほぼ全作フォローしている。楳図かずおや上村一夫、安達哲の影響を見事に咀嚼し、現代風にアップデートしている感じがした。当初はそこまで凄い作品と思っていなかったけど、巻を重ねる毎に自分にとってのっぴきない作品に変貌していった。連載中の『血の轍』『おかえりアリス』ももちろん読んでます。
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以上となります。よろしくお願いします。(本当に最近のマンガはろくすっぽ知らない浦島漫画太郎なので、批判意見や罵詈雑言はなるべくご容赦ください…!)
さっそくオススメをありがとうございます。『キン肉マン 無量大数軍編』、ジョジョ4部続き、『深夜食堂』『かくかくしかじか』『ハチクロ』『犬夜叉』『吸血鬼すぐ死ぬ』『着たい服がある』『スキップとローファー』『ヴィンランドサガ』『アクタージュ』『ハコヅメ』『SPY&FAMILY』『マイ・ブロークン・マリコ』『A子さんの恋人』読んでみます。オススメリストもありがたいです。
『チェンソーマン』は知人に薦められて、DMMセールで一気に買って読みました(すみません、書き忘れてました)。なかなか面白く、第2部も読んでますが、正直、そこまでハマれませんでした。『タコピーの原罪』も読みました。これもなかなか良かった。デスノートとバクマンも全巻読みました。鬼滅、呪術廻戦、東京リベンジャーズは未読です(たぶん好みじゃないだろうと決めつけていました)。ハンターハンターはあまり読める自信がありません…。薦めて頂けると読むモチベーションがぐっと上がるので、引き続きよろしくお願いします!
いつまで両手のキン消し闘わせてるんだこの人…
https://anond.hatelabo.jp/20220701203714
↑を見て日本のマンガ史の重厚さと幅広さを実感し、媒体レベルでまとめるのは無理だと悟った
せめて出版社、掲載誌レベルじゃないと議論がとっ散らかりすぎるから一旦みんな好きそうなWJで作ってみた(ジャンプ専業とそうでない人の比較においてアンフェアな気がしたので作者単位ではなく作品単位にした)
選考基準は独断と偏見でしかなく、強いて言えば後世の作家への影響、言語化できないジャンプっぽさを重視している。ランキングではなく、連載開始順に並べただけです
黎明期レジェンド枠。現代の観点で言えばいろいろと問題ありそうだけど、サービスエロがジャンプマンガの大きな側面を担っていた事実は否定できないし、そもそもこの作品の売上が無かったらジャンプが存続してたかも怪しいので入れざるを得ない。
黎明期レジェンド枠2。ジャンプ黎明期の売り上げを支えつつ、不良系マンガを一大ジャンルとして確立させた意味で実は物凄く偉大な作品なのでは?という印象。これが無かったら東リべも存在しないよ多分。
ギネス記録である40年にわたる長期連載、そしてサブカルチャー全般を積極的に題材として取り入れたことで現代日本の風俗、文化を凝縮したような史料的価値を持つ作品になった点を評価したい。
黎明期レジェンド枠3。売り上げもさることながら、見開きを用いたド派手な演出の数々や、「荒唐無稽な能力バトル」というジャンルを確立させた点を評価したい。(このジャンルのパイオニアはアストロ球団なのだが、後進への影響はこちらが上かなと思う)
リングにかけろが確立したバトルマンガ路線を、当時の少年たちが大好きだったプロレスに絡めることでさらなる高みへ導いた作品という認識。初めてのジャンプ黄金期を作った作品で、キン消しとか一般社会への影響力もすごい。
あと個性豊かなキャラクターの関係性が面白い。「友情・努力・勝利」の「友情」はほとんどキン肉マンで作り上げられたイメージなんじゃないかな。
勝利や友情といったそれまでのスポーツマンガの王道を抑えるのみならず、サッカーという競技本来のリアルな楽しさにフォーカスすることで、現実社会でもサッカーブームを巻き起こした。マンガ史全体としてはドカベンがそういうジャンルのパイオニアだけど、ジャンプで言えばキャプ翼がそれ。海外で人気が爆発したほぼ初めてのジャンプ作品という点も評価したい。
80年代のジャンプの象徴といえる作品。創刊以来、ジャンプの主たる系統であった劇画タッチやハードボイルドな男向けの作風の最高到達点だと思う。
90年代中盤のジャンプ黄金期を牽引した作品であり、連載が終了してなおもジャンプ、日本のマンガ文化の頂点に君臨する作品。急激な路線変更、無理やり感ある後付け設定と引き延ばしなど、負のジャンプらしさをも象徴している。
国民的作品として定着してきたのはここ数年って感じはするけど、現代の異能バトルマンガはほぼ全てジョジョ3部の影響下にあると思うので入れざるを得ない。
スポーツマンガの金字塔としてやはり外せない。勝利と成長の喜び、敗北と挫折の苦さがこれ以上なく詰まっている。マンガの域を超えて心に響く名言が多いのも特徴だと思う。
特筆して後世への影響や売り上げがずば抜けている印象はないけど、DB幽白スラダン終了後ワンピナルトブリーチが現れるまでの柱としてジャンプ暗黒期を支えた世代の代表として入れておきたい。
ここに入れるのはだいぶ攻めてるような気もするが、集英社における映像媒体以外のメディアミックスとして最大の成功例ではあるのでね。お金は正義。
ラブコメ枠から選ぶならこれかな。ジャンプの主たる読者層である10代の甘酸っぱい青春がこれ以上なく伝わってくる作品。肉感的なエロさを持った絵は典型的な少年マンガっぽくありつつ、キャラクターの内面を繊細に描き出す表現力が見事。
大河ドラマ的な作風であったり、連載中であったり、作画コストが高すぎたりで他作品へ与えた影響がまるで感じられない(マネしたくてもできない)点が評価を迷うポイント。でもなんだかんだ国民的マンガ、ジャンプの看板の地位は譲ってないのがすごい。
残酷で先の読めない展開、異常に複雑で難解な設定、それでいて少年マンガ的なシンプルな熱さを持ち合わせた稀有な作品。「続きが気になるマンガ」を描かせたらなんだかんだ冨樫の右に出るものはいない。
純粋なギャグ枠から一作入れたかった。読者をただ笑わせるパワーにおいて、この作品を超えるものはジャンプ史上ないと思う。
サスペンスを主体としたマンガとしてこれ以上ない完成度。ジャンプ作品って大別するとバトルものスポーツもの恋愛ものギャグもののどれかになると思うんだけど、それ以外のジャンルで最も成功を収めた作品な気がする。
趣味の多様化、出版不況といった逆風を跳ね返せる力がマンガにはまだあると示してくれた功績がデカい。それは単行本の売り上げや映画の興行収入より何倍も価値がある。
今のジャンプ、ジャンプ+がどんどんジャンルレス化している主たる要因はやはり藤本タツキだなーと思う。コンセプチュアルでありながら大衆性、少年ウケを奥底に秘めた感じというか。まだそこまで顕在化してないけど、今後10年でタツキフォロワーが無限に産まれそうな予感がするので入れておく。
その片隅の、さほど大きくない団地に育った。
団地とともにできた集会所の中に、小さな図書館の分室があった。
学校の教室一つぶんよりも小さいそこに、子供のころ足しげく通った。
児童書コーナーにあった本はおそらく全部読んだと思う。
漢字がわかるようになると、鉄道ファンの積みあがったバックナンバーをひたすらに読み漁った。
身長が伸びてくると、本棚の上の方にあったソノラマ文庫に手が届くようになった。
コバルト文庫やソノラマ文庫の並んだ中に、いつごろかロードス島戦記と風の大陸が入った。
いつしか小さな図書館の蔵書では物足りなくなり、自分で本を買いそろえるようになると、徐々に足は遠のいていった。
やがて団地そのものから引っ越すことになり、最後に行ったのはもう二十年も前になるだろうか。
その分室が、閉鎖されると知らされた。
団地から丘一つ越えた向こうの別の団地にある、大きな図書館がリニューアルされたというのが主な理由。
実際のところは、あの古い団地に人が少なくなっていたのだろう。
私が通った小学校も、もうすぐ統廃合されると人づてに聞いていた。
最終日の今日、いてもたってもいられなくて、車を飛ばして行ってきた。
商店街も半ば消滅していて、子供だけでなく人がいないのだとわかった。
かつて私たちが群がって、キン消しやビックリマン、カードダスを買った駄菓子屋はとっくに閉店していた。
入口を封鎖するように机が立てられて、司書さんが返す本を受け付けるカウンターになっていた。
そこに、子供たちがいた。
司書さんとも顔なじみなのだろう、本を返しに来た幼稚園くらいの子供たちの姿を見た。
見れば図書館の入り口のドアには、近くの保育園の子らから寄せられた寄せ書きが飾られていた。
私が来なくなって二十年以上経ってしまったこの図書館に、通ってくれていた子供たちに、心の中で礼を言った。
ただそこにいて、居続けることができる場所だった。
私にとっては、そういう場所だった。
入れないのは仕方がないが、司書さんにお願いして入口から中を覗かせてもらった。
あの手前にはトーマスが並んでいた。
何十年も前の記憶がひと時に蘇った。
たぶん、私は泣いていたのだと思う。
そこは、私の故郷だった。
いままさに、失われようとする、私の心の故郷だった。
あそこで教えてくれた数々を胸に、今の私がある。
頭髪やら下着の色のチェック、指定衣服やカバン、教科書放置禁止、ポケベルや携帯電話の持ち込み禁止などなど挙げればキリのない既存の校則
それを成立させた世代のはずなのに非難するだけ非難して、それを成立させてきた自分をひた隠しにする卑怯さに辟易する
先ずは一言それを成立させたことへ反省の弁があるならまだしも、叩かれるのが怖いのか自分達がやってきたことを隠蔽し、一方的に叩こうとする感性はどこから来るのか
スーパーカー消しゴムや多面式ふで箱、キン消し、バトルえんぴつ、特定遊戯の禁止化、染髪、改造制服、ゲーム機、インスタントカメラ、ウォークマン、バッシュ、プリクラ手帳、無許可集会、無報告運転免許取得、無報告バイト、深夜徘徊、援助交際(援助交際は犯罪だけど社会現象として)etc..
それを成立させてしまったから責任を取って今変えようとしているとかいう詭弁を言うのなら、その前に「自分の世代で成立させてしまった」としっかりと明言してから非難しろ
1980年代の小学校では、ある玩具が爆発的に流行しては、教師により特定の玩具の持ち込みが禁止されるという状況にありました。
コマなど駄菓子店で売られる玩具については、ほとんどが早期に禁止を言い渡されています。
その後、玩具は子供側に「これは勉強に使うものだから」という言い訳がある、文具店で販売されるものへと移っていきました。
キャラクターがキャップ部分についたシャーペン、色鮮やかな練り消しゴムなどです。
それらも、爆発的に流行して教師が持ち込みを禁止するのは、他の玩具と同じでした。
消しゴムは玩具性が低いとみなされ、子供たちが「自分の考えで」何かを選んだと主張するのに便利な品でした。
例えば、消しカスがひとつにまとまる消しゴムは、練り消しゴムの禁止が教師から告げられたあと、自家製の練消しを密造するのに使われていました。
練り消しゴム以外の、教師にとがめられない消しゴムは、おもに以下の3タイプでした。
・上記の箱が失われ、カドも無くなって、ほぼ円盤上になったもの
・片方が白く、もう片方が灰色の砂消し(すなけし、砂消しゴム)
小学校では休み時間になると、ボールを持って校庭へ飛び出す子供たちとは別に、教室にとどまり、学習机上で上記の消しゴムを使った「ピンピン」で遊ぶ子供たちがいました。
ピンピン基本ルール
1. 複数人が1つの学習机の端に、自分の消しゴムを置きます。
3. 自分の消しゴムを弾き、他の人の消しゴムにぶつけて机から落とします。
1. 自分で弾いた消しゴムを机から落としてしまった場合、勝敗はカウントされません。落とされた消しゴムとともに、落ちた地点に再配置します。
2. 攻撃する消しゴムの持ち主は、親指で溜めて人差し指や中指で弾くほか、逆に親指で弾く、プラスチック定規をばねとして使う、ノック式ボールペン(側面のスイッチで収納するタイプのもの)の戻る勢いを利用する、などの弾きかたがあります。
3. 狙われている消しゴムの持ち主はタイムを取り、机に密着させる、角度を変える、立てて相手ごと落ちやすくするなど消しゴムを置きなおすことで防御ができます。
4. 攻撃側も消しゴムの置きなおしができます。攻撃者と隣接してピンチの守備側が消しゴムを立てる→攻撃側も消しゴムを立てて底を弾こうとする、などの攻防があります。
5. 他のプレーヤーは、攻守の2人が時間を掛けすぎていると、早くやれと急かしていました。
文字を消す能力はないが小学校に持ち込むための言い訳に消しゴムの名がついた樹脂製玩具として、「キン消し」(キン肉マン消しゴム)の発売以前、「スーパーカー消しゴム」がありました。
スーパーカー消しゴムは他の消しゴムとピンピンで争うには軽量すぎ、おもにノック式ボールペンが戻る力で弾く方法で、スーパーカー消しゴムのみで対戦されていました。
必要な道具がひとつ多い、スーパーカー消しゴムどうしでは戦いに変化がない、などの理由で、流行はしたものの早期に廃れていきました。
私のいた小学校でキン消しが流行したのは、ピンピンにおいて、キン消しが適していたためです。
机の端で守備側がキン消しを立たせると、机から相手ごと落ちないようにするために、攻撃側には繊細な力加減が求められます。
重量がある「サンシャイン」、回転させてぶつけることができる「アシュラマン」は特に子供たちから愛用されていました。
プロレス技のポーズをとった姿のキン消しは安定性に欠け、ピンピンでは負けてしまうので嫌われました。自立できるポーズのキン消しがピンピンでは好まれました。
キン消しで漫画内のシーンを再現するような遊びは、ほとんどされていないか、ごく早期に飽きられていました。
私の周囲では、キン消しはピンピンのための器具として扱われていました。
はてな住民の格好のサンプル対象として生きてきてまいりました。
さてどこから話そうか。
意外と体力よりも経験がものを言う仕事なので基本給は上がるがやはり体力が続かなくなっている以上将来のことは不安。
新車でアルファードを買うのが夢。
発育だけはよかったのか、勉強とスポーツは何をしてもたいした苦労もせずにいつも一位。
努力とか工夫とかが馬鹿らしくなるが、どれだけ手抜きしても周りがついてきてないので常にお山の大将状態。
モテた。
ただひたすらモテた。
ただし、何故か極度に人間嫌いなので群れるのが嫌いで孤立しまくっていた。
ガンプラとかキン消しとかビックリマンとかミニ四駆とか、そういうのに全く興味もなかったのでただひたすら一人でマンガ書いたりして遊んでた。
頭が良いこと、けんかが強いこと、度胸がすわってること、絵がうまいこと、モテること、がうけたのか、なぜか勝手に地元ヤンキーのてっぺんに。
仕事帰りの地元の駅で俺の名前の旗を持った見知らぬヤンキーたちが毎晩整列して挨拶するのが嫌で仕方なかった。
自分は仕事が終わってひとりTRPGに興じるのが唯一の楽しみ。
あと休日にジャンプとヤンマガ買い込んでガストのドリンクバーで読みふけるのが娯楽だった。
オタクと接触を試みるも、アニメとかよくわからんので結局孤立。
数少ないヤンキー仲間も当時はバブル絶頂期だったため、自分の数少ない楽しみであるクラブ遊びさえもまだ理解されていなかったので孤立。
って答えが返ってくればまだ優秀な方で、本気でクラブミュージックに浸りたいと思ったら米軍基地まで足を伸ばさなければいけない、そんな時代だった
(そしてたびたび米兵とトラブルになった)。
群れないでアウトサイダー的な生き方をするためには、どうしても他人に対して「威嚇」するような風体をしている必要はあった。
皆さんも日常で中高生の「ヤンキー」に出会ってその格好の滑稽さに吹き出しそうになることも多いと思うが、
10代の頃の僕は社会的に何も出来なかったのでどうしても「社会を圧倒する何か」を手っ取り早く風体で手に入れる必要があった。
僕は極度に人間嫌いなので群れることはなかったが、そのロジックは理解できる。
社会的に無力な人間たちが、群れて、コミュニティを形成して、「社会を脅かす」要するに周りをビビらせる為のコスチュームが必要だと言うことを。
どうせ彼らは社会に対して歩み寄りはしないのだから、いくら社会が「マナーがどうのこうの」と言っても無駄だ。
彼らは彼らなりの社会を形成するコミュニティーを編み出しており、その中では「舐められたら終わり」である以上、社会が眉をひそめる行為こそが美徳なのだ。
て、ここまで書いて酔いが回ってきたので挫折。
ああ、結局何がしたいんだろうな。俺。
ヤンキーのロジックをヤンキーの立場で解明したかったのは確かだけど、結局群れてるヤンキーの気持ちは俺にもわかんねーし。
非モテや派遣、その他いろいろな社会的弱者が情報を提供できる可能性があるのがネットなのだとしたら、ヤンキーの行動原理をヤンキーの立場としてロジカルに説明できる場があっても(そしてそれが賛否両論分かれたとしても)面白いんでないかな?と思ったのだけど、僕はここで力尽きました。
結局オッサンの酒の上での話の「俺は昔ヤンキーやった」的自慢話から脱却できなかったのが残念至極。