はてなキーワード: 美智子さまとは
眞子さまと小室圭さんのご結婚、ネットニュースだと批判一色みたいな感じですけど、ほんとにそんな皆さん怒っているんですかね?私、かわいそうだとしか思えなくて。
小室さんのお母さんに何があったかはともかく、そもそも親と子は別人格なわけで、どんな手段で得たお金で育ったとしても子どもにはなんの説明責任もないと思うのです。ていうかお母さんとその元カレの話だから彼も事の次第全てを知ってる訳じゃないと思うんだけど。
あと、税金税金って皆言うんですけど、税金で暮らしてるんだから国民の言うことを聞けってのも本当に馬鹿馬鹿しいというか、お金払ってたら人の人生に口出しできるっていう思想が怖すぎるし、結婚という人生の根幹に渡る事柄を自分の意思以外の何で決めろって言うんですかね…せめてしおらしくしろ、みたいな感じもすごく嫌だ。
この結婚騒動で、日本人がいかに人権意識がなくて戦前みたいな親子観、結婚観かってことが浮き彫りになった感じがして、ヤフコメとか見ていつも悲しくなっています。まさに日本の象徴としての皇室…。
批判してる人の内実は結局、庶民が皇族と結婚して税金で贅沢な暮らしをするなんて許せん(だからせめて頭を下げろ)、って感じかなぁと察するんですけど、旧華族とかもともとのお金持ちに皇族が嫁いで一時金が支給されても何も言わないのに今回のこの騒動、弱い者が弱い者を叩く感じもして気持ちが落ち込みます。
私なりに背景をちょっと考えてみると、今の皇室のイメージって、ほぼ上皇さま(と美智子さま)が作ったと思うんですけど、天皇って言われて浮かぶ姿って、膝をついて被災者の話を聞いたり、世界各地を回って戦没者に祈る姿だと思うんですよ。
上皇さまは、戦後憲法における象徴天皇とは何か、を非常に突き詰めて、国民に支持される皇室でなくてはならない…と努力を重ねてきた方なんですよね。いつも腰が低くて、雨の日も雪の日も、自分が濡れても国民に傘を差し向けてくれる人、みたいなパブリックイメージ…そういう存在でなければ許されないと上皇さまが考え、そうでなくては許さないぞと思う国民がいる。私たちは、上質な衣食住の保障された特権階級の存在を認める代わりに、国民のための忠実なロボットを求めているのかもしれない(って書いて、宝石の国の金剛先生って天皇のメタファーかなと思った←漫画の話)。
でも本当は天皇だって人間なわけで、今回の騒動は、皇室の人が人間だってことを思い出させてくれるよい機会になるんじゃないでしょうか…(人間界から皇室に入った現皇后様も、ほんとに大変でしたもの)。
そもそも皇室の人には参政権も移動の自由も職業選択の自由もないですけど、そういう人たちを国に置くことが本当に正しいのか、皇室に関してもっと深い議論になればいいのになと思います。
私個人的に天皇制をなくした方がいいと思うかって聞かれたらすごい悩んじゃいますけど、でも今後、悠仁さまだって天皇になりたくなかったらならなくていいはずで、それを認めたらもう存続が怪しくなる制度なんて原始的不能なのでは、というような気もします。現行憲法下での天皇ってまだ2代目、全然歴史が浅くて矛盾だらけなんだなって。人間宣言してみたけど、人間扱いはされていない。
そして私は子育ての話としてもこの件を考えてしまうのだけれど、秋篠宮ご夫妻は子どもを学習院に入れないで外の世界も見ておいで、というふうに育てたわけで、それによって見識の広がった娘が自分の意思で結婚相手を選ぶことが出来たのだから、子育ての方針と結果が合致してる、つまり大成功してると思うんですよね。
親ってわりと子どもに矛盾をふっかけがちで、勉強はできて欲しいけど女の子だから東大はやめろとか、中高生がお洒落だ彼氏だって言うと色気付いたとなじるのに適齢期になって相手がいないと責めたりとか…するじゃないですか…。秋篠宮家の対応も、そういう矛盾したものに見えるのです。お立場があるから本心でどうお考えか分からないけど籠の外を見せたのは親だよね。しかもICUなんて帰国の子も多くて色んな価値観に触れられたでしょうからね。この状況はその結果として受け止めるしかないのでは…と思ってしまいます。
小室さんの留学は、皇室特権があってもなくても勉強は自分がやるしかないわけだから、無事卒業・合格・就職となれば、そりゃ努力の賜物で文句のつけようもないと思います。
批判コメント書いてる人ら、小室さんが鋼メンタルだと思って調子に乗ってるけど、自殺者出たら集団リンチで殺したことになるって認識あるんでしょうか。こんなの普通に心身病みます、眞子さまの不調も当たり前。ほんとにかわいそうでならない。みんなまるっと幸せになってほしいです。
ヤフコメは反対派の巣窟で、はてなは賛成派が多いの?そうなの?世論全体としては半々なの?ソースどこ…?世の中の人が何考えてるのかって、ネットでは把握できないものだなぁ。
眞子さまと小室圭さんのご結婚、ネットニュースだと批判一色みたいな感じですけど、ほんとにそんな皆さん怒っているんですかね?私、かわいそうだとしか思えなくて。
小室さんのお母さんに何があったかはともかく、そもそも親と子は別人格なわけで、どんな手段で得たお金で育ったとしても子どもにはなんの説明責任もないと思うのです。ていうかお母さんとその元カレの話だから彼も事の次第全てを知ってる訳じゃないと思うんだけど。
あと、税金税金って皆言うんですけど、税金で暮らしてるんだから国民の言うことを聞けってのも本当に馬鹿馬鹿しいというか、お金払ってたら人の人生に口出しできるっていう思想が怖すぎるし、結婚という人生の根幹に渡る事柄を自分の意思以外の何で決めろって言うんですかね…せめてしおらしくしろ、みたいな感じもすごく嫌だ。
この結婚騒動で、日本人がいかに人権意識がなくて戦前みたいな親子観、結婚観かってことが浮き彫りになった感じがして、ヤフコメとか見ていつも悲しくなっています。まさに日本の象徴としての皇室…。
批判してる人の内実は結局、庶民が皇族と結婚して税金で贅沢な暮らしをするなんて許せん(だからせめて頭を下げろ)、って感じかなぁと察するんですけど、旧華族とかもともとのお金持ちに皇族が嫁いで一時金が支給されても何も言わないのに今回のこの騒動、弱い者が弱い者を叩く感じもして気持ちが落ち込みます。
私なりに背景をちょっと考えてみると、今の皇室のイメージって、ほぼ上皇さま(と美智子さま)が作ったと思うんですけど、天皇って言われて浮かぶ姿って、膝をついて被災者の話を聞いたり、世界各地を回って戦没者に祈る姿だと思うんですよ。
上皇さまは、戦後憲法における象徴天皇とは何か、を非常に突き詰めて、国民に支持される皇室でなくてはならない…と努力を重ねてきた方なんですよね。いつも腰が低くて、雨の日も雪の日も、自分が濡れても国民に傘を差し向けてくれる人、みたいなパブリックイメージ…そういう存在でなければ許されないと上皇さまが考え、そうでなくては許さないぞと思う国民がいる。私たちは、上質な衣食住の保障された特権階級の存在を認める代わりに、国民のための忠実なロボットを求めているのかもしれない(って書いて、宝石の国の金剛先生って天皇のメタファーかなと思った←漫画の話)。
でも本当は天皇だって人間なわけで、今回の騒動は、皇室の人が人間だってことを思い出させてくれるよい機会になるんじゃないでしょうか…(人間界から皇室に入った現皇后様も、ほんとに大変でしたもの)。
そもそも皇室の人には参政権も移動の自由も職業選択の自由もないですけど、そういう人たちを国に置くことが本当に正しいのか、皇室に関してもっと深い議論になればいいのになと思います。
私個人的に天皇制をなくした方がいいと思うかって聞かれたらすごい悩んじゃいますけど、でも今後、悠仁さまだって天皇になりたくなかったらならなくていいはずで、それを認めたらもう存続が怪しくなる制度なんて原始的不能なのでは、というような気もします。現行憲法下での天皇ってまだ2代目、全然歴史が浅くて矛盾だらけなんだなって。人間宣言してみたけど、人間扱いはされていない。
そして私は子育ての話としてもこの件を考えてしまうのだけれど、秋篠宮ご夫妻は子どもを学習院に入れないで外の世界も見ておいで、というふうに育てたわけで、それによって見識の広がった娘が自分の意思で結婚相手を選ぶことが出来たのだから、子育ての方針と結果が合致してる、つまり大成功してると思うんですよね。
親ってわりと子どもに矛盾をふっかけがちで、勉強はできて欲しいけど女の子だから東大はやめろとか、中高生がお洒落だ彼氏だって言うと色気付いたとなじるのに適齢期になって相手がいないと責めたりとか…するじゃないですか…。秋篠宮家の対応も、そういう矛盾したものに見えるのです。お立場があるから本心でどうお考えか分からないけど籠の外を見せたのは親だよね。しかもICUなんて帰国の子も多くて色んな価値観に触れられたでしょうからね。この状況はその結果として受け止めるしかないのでは…と思ってしまいます。
小室さんの留学は、皇室特権があってもなくても勉強は自分がやるしかないわけだから、無事卒業・合格・就職となれば、そりゃ努力の賜物で文句のつけようもないと思います。
批判コメント書いてる人ら、小室さんが鋼メンタルだと思って調子に乗ってるけど、自殺者出たら集団リンチで殺したことになるって認識あるんでしょうか。こんなの普通に心身病みます、眞子さまの不調も当たり前。ほんとにかわいそうでならない。みんなまるっと幸せになってほしいです。
自分に関係のないことでやたらと怒る人がいる。おそらく、実害があるから怒っているのではなくて、常に何かに対してイラついているのが好きなのだろう。私はそう解釈している。
昨今、取り沙汰されている眞子さまと小室圭さんのご結婚の話題などは、まさにその典型ではないかと思う。
はじめに断っておくと、私はお二人のご結婚にはとくに反対ではないし、お互い好きなら結婚して問題ないと考えている。
だから、そもそもお二人の結婚に断じて反対という人がこの先を読んでも、不快になるだけだろう。
断固反対という方はどうかこのページを閉じて、世の中に溢れているバッシング記事を参照していただきたい。
***
私は小室圭さんの生き方が好きだ。間違いなく優秀な方だし、これからも活躍してほしいと思っている。
だが、ICUに合格してアメリカへの留学も果たし、卒業後はメガバンクに入行した。
相当な努力家でなければ成し遂げられないことだ。
銀行を退職後はパラリーガルとして法律事務所に勤務しながら大学の夜間課程で経営法務を学び、さらにアメリカの大学で法務博士課程へと進学する。
知っている人にとっては言うまでもないことと思うが、弁護士になるには非常にお金がかかる。
日本で弁護士になるには大学の法学部を卒業後、さらに法科大学院へ進学するのが一般的だ。
もし小室さんの借金が批判に値するのなら、少なくとも日本では金持ちの家庭に生まれないと弁護士を目指せないことになってしまう。
「親ガチャ」という言葉が話題になったが、親ガチャの不運を嘆く層と、小室さんを批判している層はどの程度一致しているのだろうか。
親ガチャに賛同しつつ小室さんをバッシングする、などという矛盾した行動を取っていないことを願うばかりだ。
そもそも、結婚するにあたって借金があるのはけしからん、という論理が私にはさっぱり分からない。
ギャンブルやアルコールへの依存で膨らんだ不毛な借金ならともかく、夢を叶えるための学費として借りたお金ではないか。
「公費で借金を返済するのが目的だろう」などと言う人がいるが、正気だろうかと心配になる。
そんなことが打算的な策略によって実現できると思うのなら、もはや世の中に思い通りにならないことなど1つもないだろう。
お二人は、お互いに惹かれ合って結婚を決めた。
それだけである。
皇族だからといって一般人と完全に切り分けて考える人のほうが、余程きわどい思想の持ち主のように私には思える。
***
身も蓋もないことを言うと、お二人がご結婚されたとしても、私自身の暮らしに何か影響があるわけではない。
よって、正直なところ私には「なぜそんなに批判する人がいるのかが分からない」のである。
どちらかと言えば、これを書いたきっかけは「批判する人たち」の動向を目の当たりにしたことにある。
冒頭にも書いたように、自分とは明らかに関係のない、自分の暮らしに何ら影響を及ぼさないことで怒る人がわりといる。
まず、この事実に驚いた。
これは私の個人的な推測でしかないのだが、批判している人の多くは皇室に思い入れがあるわけでも、日本古来の伝統を重んじているわけでもない。
ICUに合格する学力はなく、メガバンクの熾烈な選考に勝ち残って内定を獲得することもできない。
国際弁護士になる夢を実現するために、メガバンクを退職する決断力もない。
法律事務所でパラリーガルとして働く能力も、アメリカの大学院に留学する語学力もない。
もちろん皇室の女性と相思相愛になることも生涯ないだろうし、世間から猛烈にバッシングされても結婚を貫く胆力も持ち合わせていない。
つまり、批判している人たちの大半は小室さんにかなう要素が何ひとつない。
たとえば、「自分は借金をしていないが、あの男には多額の借金がある」といった発想なら、自分自身が「正しい」側に立てる論拠を獲得できる。
「借金はよくないよね」
「相当な借金があるのに皇室の女性と結婚するなんてあり得ないよね」
もしくは、
「何か悪いことをしているに違いない」
「それならバッシングしても構わないだろう」
この程度の認識の人もかなり多いと思われる。
批判している人々だって、ほじくり返せば過去に汚点の1つや2つありそうだが、さぞかしご自身は一点の曇りもない清廉潔白な聖人君子だから小室さんのことを批判し、許せないなどと断じるのだろう。
***
皇室に関わった民間人へのバッシングと聞いて、真っ先に思い浮かんだのは美智子さまのことだ。
皇室に初めて民間人が嫁ぐのと、皇室の女性と民間の男性が結婚するのでは状況が異なるが、一部メディアから執拗にバッシングされているところは共通している。
美智子さまがご結婚されたのは、私が生まれるずっと前のことだ。
だが、当時一部メディアから激しいバッシングを受けた美智子さまが失語症になられたことは知っている。
令和時代なのだから、皇室の女性の意思が尊重されてもいいのではないか、と私などは思う。
ここでやめておけばよかったのだが、反吐が出るほど嫌いな某ニュースコメントを私はうっかり見てしまった。
中には「このバカ女は……」などと、何とも無礼極まりない罵詈雑言を書き残している者までいる。
人間とは、自分に関係のない出来事にこれほど憤り、自分とは違った世界で暮らしている(と思い込んでいる)相手に対して、これほど無礼になれるのかと驚愕したものだ。
公費に税金が使われているのだから国民は文句を言う権利がある、などともっともらしい持論を展開する者もいた。
一体、この発言者が納めた税金のうち、いくらが宮内庁で使われているのだろう。
微々たるものであろうことは、あえて説明するまでもなく明白である。
仮に結婚なさったとして、この発言者が納める税金が増えるわけがない。
ちなみに、お二人の結婚がこれほど炎上するに至ったのは、どうやら某週刊誌が発端のようだ。
小室さん自身の借金や母親の金銭問題に関して、週刊誌がほじくり返さなければ明るみに出ることはなかった。
一部メディアがバッシングしているのは、美智子さまのときと全く同じ構図ではないか。
お二人のご結婚に対して憤慨したり罵ったりしている人は、週刊誌が作り上げた特異な市場で愚弄されていることに気づいたほうがいい。
週刊誌はそのうち別のネタのほうが部数が伸びると見て、新たな「市場」を開拓するのだろう。
そして、間もなく世間はお二人のご結婚にまつわる騒動を忘れ去っていくのだろう。
***
話を戻すと、お二人の結婚について憤っている人の多くは、自身は安全地帯にいて、自分とは関わりのない世界のことだから安心して批判している。
注目すべきは、そもそも「自分の暮らしには何ら関係のないこと」を批判しているので、批判したところで何も変わらないし、自分の生活圏には1ミクロンも影響を及ぼさないことだ。
まるでストレス醸成と解消のエコシステム、あるいは永久機関のようだ。
自分に関係のないことで憤り、批判する人は、おそらくこの「永久機関」を求めてやまないのだろう。
心から批判しているわけではなく、本気で何かを変えようという気概もない。
勝手に憤って批判し、オリジナリティ溢れる罵詈雑言を撒き散らしている有象無象など放っておいて、お二人にはどうか幸せになっていただきたい。
時を経たら、多くの人を魅了するラブストーリーとして回想されるのかもしれない。
https://news.line.me/articles/oa-shujoprime/43edd0e52bb9
――お母様自身、初等科から聖心に通われていたということですが、聖心での生活はいかがでしたか?
「大学時代は同級生が他大学のサークルや飲み会に励む間も、私は学生時代から婚活をし、旦那様にふさわしい方を探していました。
お金持ちなだけ、顔がカッコいいだけの慶應ボーイは周りにたくさんいましたが、たとえ慶應ボーイでも幼稚舎出身以外には興味がなく、
学歴、家柄、職業、収入のトータルで点数をつけて、旦那様候補となる男性を探していました。
そして主人とは、医師と結婚した同級生が開いてくれたお食事会で知り合いました。
聖心教育のひとつに“よりよく生き抜く”という言葉があるのですが、16年間の聖心教育のなかで“男を見抜く力”が身についたと思います。
歴代卒業生を見ましても、美智子さま、安倍昭恵夫人を筆頭に、代議士や財閥系企業に嫁いでいる方が多いんです。
よいお家柄に嫁ぐ確率を上げるためにも、聖心女子学院卒業というのは、世界にも通じる最強の肩書だと思っています。
レディー・ガガやヒルトン姉妹もニューヨークの聖心の卒業生です」
小学校からのエスカレーター組の聖心OGには成金がいなくて、経済力、品性、家柄全部ほんまもんの一流の子女しかいないって評判大嘘やんけ
最近のネットの一部では小室圭問題に端を発した秋篠宮家バッシングがひどくて、雅子さま愛子さまアゲが凄まじいんだよね。
一方で即位当日の笑顔を見ると、雅子さま自身は、吹っ切れて何かを乗り越えつつあるように見える。「潰そうとした」人たちはいたけれども、その程度では潰れなかった感じ。
思えば、美智子さまもそもそも初の民間出身って時点でいろんな人に潰されかけてて、皇太子妃時代の末期(昭和の終わりごろ)は、「あんなにお綺麗だったのに、なんか随分苦労したみたいな顔になっちゃったわねえ」なんて、ウチの母なんかはよく言ってた。
皇后になった直後もいろいろバッシングあったけど、それも落ち着くに従ってみるみる穏やかな顔になったんだよな。
ネットの誹謗中傷も含む色んなストレスにさらされて心のバランスを崩しながら、夫と精神科医のサポートに支えられながら自分を取り戻した皇后なんてはなはだ現代的ではあって、案外、ものすごく愛される皇后になるかもしれない。
なんか、「いろいろあったけど良い経験だったんじゃない?」みたいな話にまとめるのは本意ではないんだが。
女性皇族は結婚したら皇室から離脱しなければならないことがよく批判されるけど、こっちの方がはるかに問題だよね。
雅子さまや紀子さま、もっとさかのぼれば美智子さまもそうなんだけど、女は民間人であっても皇室に入る仕組みがあるのに、逆は無い。
まあこの3人の女性も、普通の元民間人ではなく、民間人の中でも別格の存在だったんだけどさ。
女には「玉の輿」というチャンスが用意されているのに、男には最初からないのだから、圧倒的に不平等だ。
なぜこんなことを書かせてもらったかというと、今話題の小室君のことが少し可哀想になってきたから。
眞子さまと小室君はいいカップル・夫婦になれるだろうし応援したいんだけど、小室君が皇室に入れる仕組みが最初から出来ていればなと思ったから。
ここに僕がどう受け止めたかを書く。
お気持ちをどう捉えるかは国民個々人に任せられたものであるからして、これは僕個人の受け止め方です。
あなたがたがどう思うかは分からないが、書かずにはいられないので書く。
「もう高齢だから引退したいよ」という話でもなければ「憲法があるから言いたいこと言えない」という話でもないので、陛下を尊敬する国民として重く受け止めたい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html
本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。
ツイッターなどを見ていて、陛下のこのお気持ちの表明に対して「憲法があるから遠回しに表現したんだね」的にとらえている人が多いように思いますが、僕はその理解では陛下のお気持ちを半分しか分かっていないのではないかと思います。
陛下は以前から、そして今回のお気持ち表明で「象徴」や「天皇という立場」に強いこだわりを表明されています。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
このお気持ちの表明をよく読み返せば、陛下が「象徴天皇」であることを誇りに思われていることがわかるかと思います。
現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを言わず、憲法と民主主義(国民と国民の選んだ政治家)に委ねることこそ象徴天皇のあるべき姿であるという強い意思を感じました。
憲法があるから思っていることをストレートに表現できないのではありません。違います、たぶん。
私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。
陛下は、ここで『天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』と仰られています。
ここは僕の解釈ですが、「直接的・短絡的な存在意義を問いにくい存在」である象徴天皇とは何のためにいるのか、自分に何ができるのかを陛下が自問し、求道者的・修行者的とでもいうべき数十年があったように感じました。
「日本国の天皇とは」ではなく「象徴である天皇の存在意義とは」を強く意識されてこられたのだと思います。
繰り返しになりますが、現状とこれからの問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを仰らないのは、それが憲法で縛られているからでなく、自らが象徴であることを『天皇として~幸せなこと』と感じられているからであり、「象徴天皇の自覚を育て続けてきたから」という陛下のご意思であると僕は受け止めています。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
ここは重要な件です。
単にご公務を減らし、皇太子殿下や秋篠宮殿下に任せるのでは「行うべき仕事をしていない人が象徴というおかしな状態になる」、天皇の存在意義が問われると陛下はお考えであると僕は受け止めました。
僕個人は陛下がご公務を減らしても天皇としての存在意義は揺るがないと思いますが、陛下は上記のようにお考えなのではないでしょうか。
象徴天皇は、その歴史的権威だけではなく、憲法や法律によって成り立っています。
血筋でなるのではなく国民に存在を認められるからこそ象徴でい続けられる、陛下はそこまでお考えなのではないでしょうか。
代理やご公務の削減をしているのでは、「行うべき仕事をしていない人が象徴」では国民の理解と敬愛を得られるはずがないという強いご意思を感じます。
天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。 こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。
ツイッターなどで「我々国民の負担を考えてくれる陛下マジ陛下」的な受け取り方をした人が多いようで、僕もそう思いました。
これは僕の勝手な推測ではありますが、陛下はご自身の力が及ぶうちに皇太子ご夫妻へバトンを渡してサポートしたいとお考えなのではないか、ということです。
残念なことに、世の中には皇太子ご家族を悪くいう国民がいます(国民が良し悪しを評価するのではなくサポートするべきではないのかと思いますが…)。
陛下とともに歩んでこられた皇后美智子さまも60年台から90年台にかけてバッシングをうけたことがあります(wikipedaあたりを読んでください)。
両陛下と秋篠宮殿下や皇室全体で皇太子ご夫妻の即位後をサポートしていくことで次世代と継承をより良いものにできるとお考えなのではないかと、勝手ながら僕はそのように感じ取りました。
始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。
陛下はご自身が『象徴天皇』≒『権能を持たないEMPEROR』であることを誇りに思われているのだな、と感じる件です。
あくまでも、お気持ちを我々と我々の選んだ政治家に委ねられているのですから。
国民の理解を得られることを、切に願っています。
天皇陛下がですよ、大君・大王でありEMPERORたる陛下がですよ、『国民の理解』を、『切に願って』いるんですよ。
何度も言いますが、陛下は「こうしたい」とも「こうしたらいいんじゃないかな」とも仰っていません。
ただ、お気持ちをお話になられ、それが我々と我々の選んだ政治家がどうするかに委ねていらっしゃるのです。
『一般的に皇太子には「皇太子さま」というように「さま」をつけるが,なぜ天皇陛下には「さま」をつけないのか。
また,雅子さまについては,「皇太子妃」ではなく「雅子さま」と呼ぶのはなぜか。
資料2 共同通信社 編著『記者ハンドブック』共同通信社, 2010【816.07/10X/R】pp.602-603「皇室用語について」
「(前略)2 皇室に対する敬称として皇室典範では天皇、皇后、皇太后、太皇太后は「陛下」、それ以外の皇族は「殿下」とすると定めているが、記事上、「陛下」は天皇だけに使う。天皇、皇后と併記する際は「両陛下」とする。「殿下」はできるだけ使用せず、皇后や皇太子など皇族は「さま」を使う。(中略)[例]天皇陛下 天皇、皇后両陛下 皇后さま 秋篠宮さま 雅子さま 皇太子ご夫妻 秋篠宮ご一家(後略)」』
リファレンス共同データベース http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000184144
『日本のマスコミのおかしなところは、他国の皇族や王室には「さま」呼びしないということです。
イギリス王妃をキャサリン妃と呼び、カンボジアの王族にはシハモニ殿下、ラナリット殿下と呼び、ブータン王室にはワンチュク国王とジェツン・ペマ王妃と呼びます。
しかし、日本の皇族には「さま」です。特に皇后陛下にまで「美智子さま」と呼ぶのです。
これを「親しみをもって」と言っていますが、日本の皇族だけに「さま」呼びしていることに悪意を感じます。』
http://ameblo.jp/sikihanana156/entry-12093235041.html
『謀社に抗議したところ、昔はどの新聞にもきちんと「殿下」をつけて書いてあったのですが、マスコミ各社が「開かれた皇室」ということで例の左翼系の謀新聞社が音頭をとって「殿下」という言い方をやめようと言う話になり、それがマスコミ各社の基準になった、と言うことでした。ところで宮内庁が「開かれた皇室」というスローガンを打ち出したのですか、という問いには、謀新聞社がリードして打ち出したので宮内庁は関係ない、と言うことでした。』
http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/2012-07-08
『「雅子様」とは見出しにとっていない事実だ。「雅子さま」なんです。なんで、「様」でなくて「さま」なんだろう?平仮名の方が柔らかいってのがあるでしょうね。それに「様」というと、マスコミが標榜している「開かれた皇室」というのと、イメージが違ってくる。「さま」だと国民にちょっと近づいた感じを与える。』
鳥越俊太郎の「あのくさ こればい!」http://www.1101.com/torigoe/archive/2000-01-01.html
『「さま」とする敬称はマスコミが勝手に基準を設けているだけで、敬称は皇室典範で決まっています。マスコミは親しみやすく、わかりやすく、と言っているようですが、反面、伝統を壊し、皇室・皇族の権威を下げることに繋がっています。おそらくイデオロギー的なものが入っているのでしょう。一種のトリックです。ちゃんと子供の頃から本来の敬称を教えて、マスコミもちゃんと報道していれば誰でも自然に正しい敬称が使えるはずで、解りにくいとか、窮屈とか、親しみがどうとかそんな話ではないはずです。私自身、偏向マスコミと日教組に洗脳されて育った人間であり、スラスラでてこないため、文献で確認しながらこう書いている始末です。』
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20100221/1266717963
『共同通信が皇太子殿下から皇族方を「殿下」という言葉を退け、「様」呼ばわりするようになってから、各マスコミが右に倣えして、正しい敬称を使わなくなった状態の中、ついに天皇陛下の尊称である陛下と言う言葉までNHK の製作者は、秘かに削り、省略するような工作をし始めていたのである。』
雅子さまをワガママだと言ったり怠けだと言ったり、ロイヤルニートだとかほざいている人いるじゃないですか。とくにネトウヨ。お前ら逆に皇室なめとんのかいと言いたいね。小さな家庭の嫁姑孫しきたりの問題でも精神を病むし、小さな会社の小さな案件を任されただけで腹を壊す人もいる。じゃあいつも他人の目にさらされつつ、他方隠されつつ、男を産まなきゃそれだけで日本中が大騒ぎ、週刊誌にあることないこと書かれ、世界中の要人と会って・・そんな生活が楽だと思うか?まあ、おれなら100%精神壊れるよ。美智子さまとか紀子さまとか歴代の”ちゃんと”やってきた人たちは鉄人なんだよ。超人。すごいの。だから皇室すごいの。普通だったら病むね。うん。皇室の仕事はそんな簡単なもんじゃないんだよ。なめんなくそ。
毒カレー事件で林真須美に死刑判決が出たけど、そういえばあの時女子中学生が夏休みの宿題で「カレーは腐らないから食中毒じゃないはず。毒物混入では」と推理して世の大注目を浴びたことがあった。
あの子は今ごろどうしてるんだろうと、ネットを検索してみた。まずは本人のサイト。
1983年生なので、今は26歳。HPのプロフィールは2000年に16歳で高校を中退したところで止まっている。
三好万季
四人はなぜ死んだのか―インターネットで追跡する「毒入りカレー事件」 (単行本)
http://www.amazon.co.jp/dp/4163554300
出版社/著者からの内容紹介
日本中を震撼させた和歌山毒入りカレー事件。四人の犠牲者はなぜ死んだのか。医療過誤の可能性を鋭くついた文藝春秋読者賞受賞作
中3の夏休みの宿題で史上最年少受賞!15歳の少女がインターネットを駆使して見つけたあの和歌山毒入りカレー事件の「盲点」とは?選考委員こぞって激賞、皇后美智子さまと同時授賞。第60回文芸春秋読者賞。
書評を読むとこの頃(1998年当時)はインターネットで検索・情報収集ということが世間で新鮮味をもっていたことがわかる。
ひとつ気になった、書評が。
<蛇足>
この筆者の父親が砒素の専門家で、父親の著作と同じような記述が本書でも見られることから、
父親が本書にかなり手を加えていたのではないかということが言及されていた。
事実はどうであれ、このような疑いを持たれるような人物に、大した身辺調査をせず賞を与えてしまった出版社は大いに反省すべきであろう。
父親が手を加えていたのかと興味が湧く。さらに調べるとある雑誌とは噂の真相の記事のことらしい。
たしかに文章が似ている。
三好万季の父・三好義光はいろいろ本を出してるらしい。amazonで検索してみる。
- 成人病を予防するビタミン・ミネラル (TSUTIYA HEALTHY BOOKS) 三好 義光 (単行本 - 2004/5)
- 子には魚を与えるな釣り方を教えよ!―15歳のわが子を司法試験(一次)に合格させた... 三好 義光 (単行本 - 1991/5)
- 成人病を予防する ビタミン・ミネラル 三好 義光 (単行本 - 1986/1)
- 気力こそ自立への根っこ―パラダイム大転換時代の子育て (モーニングママ選書) 三好 義光 (単行本(ソフトカバー) - 1995/3)
- ビタミン・ミネラル健康百科―健康と能力をアップする (1984年) 三好 義光 (- - 1984/6)
http://www.amazon.co.jp/本/s?ie=UTF8&rh=n%3A465610%2Cp_27%3A%E4%B8%89%E5%A5%BD%20%E7%BE%A9%E5%85%89&field-author=%E4%B8%89%E5%A5%BD%20%E7%BE%A9%E5%85%89&page=1
さらに「気力こそ自立への根っこ―パラダイム大転換時代の子育て」「子には魚を与えるな釣り方を教えよ!―15歳のわが子を司法試験(一次)に合格させた三好流教育法」という本を出していて、長男を司法試験1次合格させたり、留学させたりかなりユニークな教育観を持った人物のようだ。(長男は司法試験2次合格したかは不明)
ということで、今現在の三好万季が何をしているかはよくわからず、怪しい?父親の存在が浮かび上がって、なんだかなぁ~という思いがもやもやと残った・・・