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2021-02-22

平均的日本人のまとめ

・俺から税金とるな!でも公務員24時間休まず仕事しろ

NHK受信料をとるな!でも国会中継災害時の特別報道ちゃんとやれ!

コロナだみんな自粛しろ!俺は自粛しない!

商品は安くしろ!お前の店が赤字になってもいい、お前の店がブラックでもいいか笑顔で最大限のサービスしろ

・俺以外幸せになるな!幸せそうな顔もするな!不幸でかわいそうな態度を見せろ!

地球の皆さんへ

この文章が、私たち故郷であった星の人たちに無事に伝わったことを願っています

私の名前ニニーです。

みんなが問題のない生活を送っていて、戦争や大災害など、命に関わるようなことが起きていないことを願っています。もしよろしければ、皆さんの生活の様子を教えてください。

実のところ、私たちはこれ以上ないほど大変です。星は燃えているし、mother planetは二度と戻らない。

あなた大丈夫ですか?

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

地球温暖化を推進したいのだぜ?

近年、地球温暖化を食い止めようと世界中で皆が躍起になっている。大気への二酸化炭素放出を最小限にすることが、その運動のメインテーマの様だ。

ところで温暖化温暖化ってよく言われるけど、何がそんなに問題なんだろうか?

よく聞くのは、海面上昇によって沿岸部が水没する、気候の変動で農作物等がうまく育たなくなる、スーパー台風等の未曾有の大災害が頻発する…等々だ。生態系への影響を懸念する声も多い。

かに土地が水没すれば多くの人間が住み処を追われるだろうし、気候が大きく変われば世界食糧計画に狂いが生じ、下手をすれば大飢饉ってこともあるんだろう。

ここ数年の日本でも大きな台風豪雨による自然災害記憶も新しい。

それでも僕は『温暖化対策』なるものにどうにも欺瞞めいたものを感じずには居られないのだ。あんもの既得権益者の悪あがきでしょ、と。

地球を守るためじゃなくて、わが身を守りたいだけでしょ。

いや、頭では解っているんだよ? 今の環境が激変すれば多くの人が困るだろうってことはさ。

でも古今東西もっとダイレクト人間の都合で住み慣れた土地を追われた例なんて枚挙に暇がないわけだし…。都市開発での地上げダム湖に沈んだ村、原発事故なんてのもあったな。

僕の住む地域では雪が降る。万年日陰で冬場はガリガリに凍りつくあの道も、温暖化が進めば多少は歩きやすくなるはずさ。

現在実り豊かな土地砂漠に変わることがあっても、逆も然り。不毛の地が豊穣の地に変わることだってあるはずだ。

はっきり言って僕は地球温暖化を推進したいと思ってる。

アイドリングストップなぞ何処吹く風。出発前には5分の暖気運転を欠かさない。

オール電化なんて知りません。ガスや灯油を使う器具割合を増やそう。

出来る事から始めています

ただ、僕が温暖化を推進したいのは、「雪かきメンドイ」とか、「今度は下流の奴らが沈む番だぜ! ヒャッハー!!」とかいミニマル事情(だけ)ではないと思う。

多分、温暖化によって世界は変わる。多かれ少なかれ、間違いなく変わる。

既存の秩序が崩壊し、新しい秩序が興るかも知れない。死人も沢山出るかも知れない。それを経て人類は何か変わるだろうか?

とにかくね、人類史始まって以来の世界の大変革が訪れるかも知れないのに、それに水を差すなんてあり得ないんですよ。

こんなビッグイベント先祖代々子々孫々の代まで通しても1度あるかもわからないのに。

戦争なんて目じゃないんですよ。

世界が変わる瞬間を目の当たりにするチャンスをどうして棒に振れようか。

から僕は温暖化に勝って欲しい。

2021-02-21

山に太陽光パネル敷くのと間伐せずに放置するのとどっちがマシか

正直太陽光パネルのほうがマシだと思うよ。

今すでに間伐してないとこは谷が崩れて荒れ放題な一方、

ハゲ山維持してる里山集落土砂崩れとかしてませんよね。

それに江戸時代ハゲ山&田畑ばっかりだったんで。

ましてやパネル置くようなところは防水シート敷いたり林道作って段々にしてるんでしょ。

そっちのほうがずっと災害には強そう。

間伐すらできない田舎太陽光パネル敷き詰めてくれよ。

ついでに余った電気水素とか作ってさ、FCVの一大拠点にしてくれ。

2021-02-17

先日の地震のこともあってディザスタリカバリの話をされた

しかクラウドサービス依存したディザスタリカバリが難しい

サービスを使ってるのにサービスデータを抜き出して別の地にバックアップ取ったり、そこから復元する仕組みを考えたりするのが面倒

そもそもそんな状況だったらサービス使う状況じゃないから気にしすぎではという感じもしている

災害時にこそ必要インフラとかだと困るけど)

災害時の自衛隊戦闘機の発進はサンダーバード1号

いちばんカッコイイ機体で真っ先に到着してウエメセで指揮するだけ、ってモヤモヤしてたが、状況確認のための情報収集て考えたらわかんだね

自衛隊世界レスキュー部隊とするのはどうだろう

安全保障のために対外国にforceという単語を使う軍隊としてるより、災害が起きたときにすぐ駆けつける即応部隊として不明者捜索から復興までの建設工事までするレスキュー土木建設工事部隊になり、世界の警察ならぬ世界大工さんになるのはどうだろう

国内では雇用の受け皿になると同時に技術指導者になることを目的とした人材育成計画も直接的に行えていいことぐるめじゃない?

公共事業現場作業員ダンピングなんてできなくなるよ。

下請けに回すだけの民間はそのままにしても入札制度は恐らく変わりようがない。どのように自社の強みで入札にこぎつけるかの競争にもなる(薄い可能性もある)し、除染五輪みたいな費用も末端にしっかりお金が回っていいんじゃない

共産主義じゃんそれって言う人いるだろうけど、作業員を除く下請は民間作業員人件費を削る以外のノウハウあるとこしか生き残れないし理想的な仕組みになるんじゃないかと思った。

なんならパートアルバイトと言われる人は全員国が直接雇って金出せばいいけどこの先はもう頭が働かない

2021-02-16

anond:20210216144139

現金優位なケースは存在するのでキャッシュレス派も現金は持ち歩きましょう」

結局災害時にどれだけ現金が強いかってのはかなり地域差があると思う

殆ど液状化もなくちょっとした停電で住んだ地域から道路も何もかもボロボロになった地域からいっぱいあるよね

そこんとこ整理しないと

整理しなくても「キャッシュレス決済は動かないけど手持ちの現金で最低限必要ものは買えた」という被災ケースは確実にある(あった)んだから

キャッシュレス派でも1~2万ぐらいは現金で持っておきましょうね~」で終了だし実際ほとんどの人がそうしているだろ

地域差が大きい問題を一括りにしないで実例経験談をそれぞれあげよう、って話じゃない?聞きかじったことじゃなく

 

現金優位なケースは存在するのでキャッシュレス派も現金は持ち歩きましょう」に対して「地域差が大きい問題なので一括りにできない」と主張するということは、

現金優位なケースが存在しない地域存在する」か「キャッシュレス100%の方が優位になり得る地域存在する」かのどちらかを主張すると言うことになります

どちらも存在しない、もしくは無視できる規模であるなら、地域を問わず一括りで「現金優位なケースは存在するのでキャッシュレス派も現金は持ち歩きましょう」の結論でよいはずなので。

anond:20210216143444

その結論否定しないよ

そもそも俺も災害時には現金はある程度持っておくべきと思っている

論点はそこじゃないよ

誰も話していない「100%キャッシュレス」とかそういう言葉をいきなりだしたのはなんでってことでしょ

anond:20210216143222

お前が反論のための反論をしようとして泥沼にはまっているだけで最初から

災害時でも売れるものは手売りします」と早い段階から単なる事実提示として件の増田トラバつけてるよ

お前が見ていないだけ

anond:20210216142834

もう自分の話が正しいとしか思っていないんだね。

まず「簡易端末」っていう話はかなり後で出たよね。その噛みついていた人に「簡易端末で現金決済するという事例があります」とまず最初反論すべきだった。それがなく後付けでどんどん自分の話を膨らませていくのは露骨に悪だ。

簡易端末で災害時に現金対応が間違っているとは誰も言っていない。それを間違っているとか存在しないとも言っていない。

そんな事例があるのか?と聞かれたらその事例をストレートに返すことだ

から信頼されない

anond:20210216142203

まり

災害時にコンビニが簡易端末使って現金のみで店内の商品販売するという事実

はあるんですよね

コンビニレジが動かなかったらどうするんですかね…

全部手売りですか?クリスマスファミチキよろしく

に対しての回答は「はいそうです」だし、なので「キャッシュレス派も現金は多少持ち歩いていた方がいい」が結論になります

このツリーはずっとその話をしています

頭の悪いお前が会話の内容を理解できていないだけ。

anond:20210216141628

そっかご苦労さん

災害時のことを知ったかぶりしているからそうじゃないかなって思った

大抵のことが「当然だ」「きまってる」と断定してるくせにどこにもソースがなかったモンでね

ソースなしで「知ったかぶり」って断定しているお前がブーメランじゃん

俺は実際に被災して簡易端末決済で現金コンビニから商品買ったからそう言ってるだけだぞ

 

しろコンビニが簡易端末使って現金のみで店内の商品販売するという事実がない」と断定するならお前がソース出して?

anond:20210216141324

そっかご苦労さん

災害時のことを知ったかぶりしているからそうじゃないかなって思った

大抵のことが「当然だ」「きまってる」と断定してるくせにどこにもソースがなかったモンでね

anond:20210216134209

なんか枝葉の話しかしてなくない?結局災害時にどれだけ現金が強いかってのはかなり地域差があると思う

殆ど液状化もなくちょっとした停電で住んだ地域から道路も何もかもボロボロになった地域からいっぱいあるよね

そこんとこ整理しないと

anond:20210216133424

何で現金を強いという人はキャッシュレスに噛みつくの?

いや、

コンビニレジが動かなかったらどうするんですかね…

全部手売りですか?クリスマスファミチキよろしく

に対して「災害時のコンビニ現金やり取りで手売りしてますが」という事実の話をしているだけのツリーで、キャッシュレスに噛みついてませんが

災害に強いっていっても自販機だって動かないケースあるんだから現金の優位性って実はあまりないんだよ?

自販機のものが買えないか災害時に現金の優位性がないというのは意味不明すぎない?

ほとんどのもの自販機以外で買えるし、鍵で自販機開けて中身売るケースもあるけど

 

財布の中身だけで生活しようにも、相手がおつりなかったらどうする?なんでも1万円均一かな?

少なくとも311でお釣り枯渇で販売止めた店は自分の周りにはほぼなかったね

 

 

普通に現金が使われるケースを実態と異なる想像現金の優位性を否定しようとするから反論しているだけで、

基本キャッシュレスで財布に2万も入れておけば事足りるのは否定してないよ

キャッシュレスでも現金1~2万円いれておいたほうがいい程度には「現金の優位性」はあるという話

anond:20210216132028

俺はキャッシュレス普段生活しているが現金が悪いとは思わないし普段から現金も持ち歩いている

何で現金を強いという人はキャッシュレスに噛みつくの?災害に強いっていっても自販機だって動かないケースあるんだから現金の優位性って実はあまりないんだよ?

財布の中身だけで生活しようにも、相手がおつりなかったらどうする?なんでも1万円均一かな?

結局、適材適所が全て。

anond:20210216132057

災害時における現金の強さがここから全く伝わらないので1000文字以下でお願い

anond:20210216131748

災害時に復旧までに使う金なんて普通は財布の中身で足りますので……

anond:20210216124901

キャッシュレスも良いが、スマホダメになったらアウトだし

乗っ取られて知らん間に使われる事だってあるだろう

災害時には使えんくなるし、キャッシュレスばかり使ってたら

本当に金を持ち歩かなくなる

小銭すらないこともな

最強ってのは、災害時やスマホがない場合にも問題ないことやぞ

一番良いのは、そいつ自身マイナンバータグか何か埋め込まれ

貯金そこに放り込まれればええんや

anond:20210216130421

そういうことじゃないでしょ

電気通信が寸断されたらどうなるか、考えたことないでしょ

地震が起こってもニコニコ銀行営業していつもどおり現金おろせるって、本気で思う?人がごった返しているかボロボロか、何も出来ないか

災害時に現金が強いのは本当に屋台のような簡易会計の話だってことでしょう?

まだ現金が最強と思っている人いる?

災害時に強いのは現金だ、という人がいたらしい。でもそれは普段自分お金を払わない人か無知なだけでしょ。

地震被災したら現金クレジットコード決済も何もかも不通になる。現代会計はほぼ全てが電気通信必要としているので、停電があったらまずレジが使えなくなる。もちろん停電でも使えるようにはなっているけど、そもそも売るモノがなかったり、手計算で売れるとしても普段会計の何倍も時間がかかる。

金種がなければお釣りはだせないし、買う側もATMが動かなくなったら財布一つでしか生活が出来ない。

結局、電気通信があってこその現金でありキャッシュレスだってことを理解しない人が多すぎる。そもそもキャッシュレスの人は現金を持ち歩かないってのは都市伝説に近い。逆に現金だってキャッシュカードとか持っているでしょう。適材適所であり、日本のような高度な会計システムが普及している社会ではどっちでも十分に通用するし、災害時にはどっちも危うい。キャッシュレス派と現金派なんて不毛だけど、こと現金派の人の意味不明な主張を聞くと頭痛が痛い。

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