はてなキーワード: 殺人犯とは
タイトルの通りだ。
風邪もしくはインフルエンザ、ノロなどの症状があるのに、咳や鼻水を垂れ流して外を出歩く。
電車や駅、店内や会社、学校など様々な場所でウイルスをばら撒く。
それが乳幼児や高齢者に直接、間接的に感染して死んでしまったら責任取れるの?
直接死なないまでも風邪がうつって受験や出産に差し障って結果人生台無しにされる人がいないと言えるのか?
風邪の人を出歩かせるな。出歩くな。
企業側も在宅勤務とかさせてくれよ。
咳エチケットすらできない人間に社会性があるとは思えない。信用に値しない。
お前の社会狭いな?
お前がばらまくウイルスが何を引き起こすか考えてくれ。
ありとあらゆる面で人は弱いし
そしてその弱者は「相手が強いはずだ」となぜかおもって弱者同士の戦争を始めるんだ
オタクでさえひどいと思う孕ませアキハバラ看板がつい最近あったが
だいぶ以前にはLGBTの人が下着ゲイ男子5人を新宿二丁目の看板に書いて問題になったことがある
男性に搾取されるアイドルがいればホストを自分だけのものにするため刺殺したメンヘラ女がいる
だから最低限、共通コードとして棲み分けて礼儀をとらなきゃいけない
親しき仲にも礼儀ありだ
そういった規制は邪魔だ、はねつけたい、重くて生きていけないと
弱いものほど思うけど
弱さだけに目がいっていると
はねつけられた先に人がいることに思い至らない
幸いネットがあるから人口がある都市では細かい部分の討論はできるけど
法律もどんどんできてる
細かいところばっかりみつめるのではなく
大きな愛情をみつけてほしいよ
弱くても弱いなりに弱い親に育てられてきたんだから
あ。どうも。Y染色体です。
こうしてお会いするのは初めてですね。いつもは男性がお世話になっております。
端的に下着をみて楽しくなるということについてなのですが、楽しいという感情は探求をする対象について行動喚起のための感情です。
自分が継続的かつ集中的に関与したいとする対象についてその占有時間を長く、関係性を深くしようとする私たち遺伝子がそういうデザインにしています。
石や鉄で街に彫像や看板をつくることで土地、空間、利用者、閲覧者の関係性ができるように私たち染色体も蛋白質やアミノ酸を使って構造デザインをしています。
楽しい感情が優先的に発生する対象を大きく性別で分けていて、男性はよくわからないものをわかろうとしたりまだ使われていない事をつかおうとするようにしています。
女性はわかっている事を確認し保持することを楽しいとして、共有を楽しみとするようにしています。保持というのは溜めて所有し干渉しないことではなく、同じ結果が連続するように干渉しつづけることです。
化粧をするというのは化粧をするという行動で変化するわけではなく、いつも同じ状況になるためにするもので探求ではないということです。
また男性は独占を好むように設定されていますが、これは配合が両極まであり男性が女性だったらどうかというところまで振り分けがあるので、逆転的に女性だから男性だからその特徴が発露するというものでもないです。
発露したものが女性であり男性であり、という形状に多く見られるというだけで赤いボトルに入っているのが必ずワインであるとは限らず、青いボトルの中身は炭酸水だと決めつけて飲むと醤油である可能性もあります。
あなたのプリウスが殺人ロケットとして警察の御用にならないのは、歩道に乗り上げて虐殺をしたプリウスとあなたのプリウスが違うからです。
所詮男だろ、結局女だろ、というのでしたら「おまえプリウスのってるから殺人犯だな」ということになるわけです。そんなことはないですよね。
そこで下着をみて喜ぶということなのですが、これは「下着をみて喜ぶ状態に教育さえてしまったY染色体」の行動なんです。すいませんね。
ちょっとした誤動作といいますか、実際のところちらっとみえる、隠れている、気が付く、発明するが好きだという動作の余波なんです。
みんなそうならないというのは環境による学習がありまして、見えるもの見えないものなんでも興味が最初はあるんです。
一定以上知能がついてくると構造を理解して、構造を理解することと利用することが別であることに気が付いてどちらかに興味の中心点がうつります。
理解しようとすることに興味があると逆算して作成をすることが好きになります。利用することに興味がわくと異なる状況で同じ状態を作成したくなります。
この直前において、基軸となる価値観を自分なりに形成します。かっこいいとかきれいとかそういった底辺の感情を確保してそこに情報をのせていきます。
牛がかっこいいとかナイフがかっこいいとか、貝殻がきれいとか炭酸水の泡がすてきとか、それはその対象が特別な環境においてそうみえる状態を基軸とするのです。
これは若干の判断基準から絶対のこだわりまでなんでも基軸をつくります。ゼロの地点をつくるのです。これがないものは「興味がないもの」です。
下着が見えてうれしいだけの場合は、この基軸を形成するものとしてチラ見えする部分が特別なものであると判断したことがある経験です。
ふつうの服装をしているけれども、よく変化を起こす珍しい服、その中に花柄だったりレースだったり、ほかの衣類と異なる形状や素材のものがあった場合、隠れたところにお花畑があるという感覚になります。
そうすると、お花畑とはなにか、そこにたどり着くためにはどういう経路があるか、と探求をしたりそのお花畑を別のところで再現したりしたくなるのです。
プラモデルの関節の空洞や空き箱の中とか興味をもって覗くのでそこでその状況に合致しているかどうかの判断がつかない珍しいものをみつけてしまうとそれを一時的に探究してしまうのです。
服の延長である布切れだとか、服から飛び出てる手足とかわらないと判断されると興味はわかないのですが、小さなお子さんがいる状態で衣服の楽しみを追及されている時、お子さんには影響が少なからずでるのです。
華やかな下着で生活を楽しんでいるだけの主婦の方には申し訳ないのですが、子供からしてみればいつもきれいな花柄を宝探ししてくれてるお母さんと認識されてしまうと、そういうことで楽しくなってしまうのです。
成長するに伴い母親という情報がそれとは結び付けられない他の探究や基軸ができてしまうと下着と母親は合致しなくなってはいきますが、それら個別には同じ情報源として残ります。
その基軸が完成してしまうと、履いていない下着ですらちらりとみたくなります。むしろちらりも必要でなくなる可能性があります。また隠されていたという状況を想定するだけで模様をなんらかの感情に結び付けることがあります。
成長の仕方にもよるので成長結果を見越した教育方法があるわけではないので、各種取り組みはあったり想像できたりすると思いますがどれも望まれた結果にたどり着くとは限りません。
天才を育て上げる手腕は、天才の成長についていけた教育方法だったというだけで、成長のさせ方で天才が育つわけではないのです。
これは男性だから女性だからと同じですね。そういうところは男性だな、そこは女性みたいだな、という配分と興味をもつ対象とその取り込み方に合わせて供給ができれば効率のよい運動が発生するだけなのです。
単純な希望のための行動としては、地味な下着で肌は部位によって特別な意味をもたないといった日常行動をとることで下着を見て喜ぶ可能性は低くなります。
変化する瞬間や変化の前後を感知されなければ、興味を持ちにくいですしそれを伸ばす性質を別の現象に差し向けることで育ち方を変えることはできるでしょう。
でも、好きになったものはしょうがないとおもいますよ。もう今更もとには戻せませんし。
エロ絵師かAV監督か下着デザイナーか下着泥棒ニートになるか、素質を観察しながら成長に沿ってあげてくださるのが一番ではないか、と思います。
なんで嬉しいか、という事については多方面多岐にその嗜好はあるかと思いますが、個人などの特定の環境によい方向性を見出すための理解への一助となれば幸いです。
文体を照らし合わせてモザイクアプローチ、アカウント情報をあの手この手で探る、ただ気に食わんからとそんな理由で最もな理由つけて運営に通報して情報要求
増田にすらこんな奴らがたくさんいる
自分たちの悪いとこを告発された企業なんかも開示・削除要求して社内吊し上げしようとする
なんで人の事を探るわけ?
そういうの怖がるのはスネに傷持つ後ろめたい奴?そうだよ?後ろめたいから名前隠してんのに
あ?バレたとこで何もない?あるよ?
具体的に言うとなんJ系とかのコミュは人の個人情報得たらそいつが悪人だろうが被害者だろうがフリー素材にしておもちゃにするし、そもそもここ、殺人犯出したからね?
国家神道の解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教にめぐりあえたか。宗教は日本人の魂を救済することができたか。
心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳を確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。
私はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生を呪い、救いを求めるように座禅や瞑想について調べた。集中力を高め、自分の精神を制御しようと考えたのである。
「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間は自由で平等である。王侯貴族の血統に固定された価値があるのなら、その地位は永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解し人生に活かすことができるからこそ尊い。人間に生まれたことは奇跡である。人間に生まれたことを感謝せよ。」
しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。
私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである。空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。
皇室は私を神として祀る神職の家系のひとつである。皇室は私のことを自分の言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有な家系である。神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである。
皇室の神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しかし民主主義国家の象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくその神聖性を表現したものである。
いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本は神罰を受けようとしている。
私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定の人間が選ばれるようにして現れるものではない。
皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職が必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたときに不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。
それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったからである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである。
日本人の心そのものである私から、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯そのものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対の価値を信じないことの告白である。
【解説】
神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗、元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性は殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。
しかし2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。
以下はひとつの想像であるが、同男性は現代科学では幻聴や幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか。
これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いしたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。
この映画をキモカネ問題と結びつけた批評が目についてウンザリしている
そんなにキモくて金がないおっさん"だけ"がかわいそうじゃないとイヤなのかよ
女子供にも不幸で悲惨な奴はいるけどそいつらはかわいそうじゃないのかよ
性犯罪にあっても「お前が誘ったんだろ」とか言われて泣き寝入りになったり
ジョーカー劇中のアーサー君ばりに不幸で悲惨な目に遭ってるのに
ジョーカーや加藤智大みたいな凶悪犯罪には走らない者がぎょうさんおる
で、ジョーカー劇中のアーサー君みたいな不幸なキモカネがいざ犯罪に走ると
たいてい加藤智大や宅間守や都井睦雄や宮崎勤みたいに女子供や老人しか殺せなくって
確実に金も地位もあって身体も頑強な社会的強者には向かっていかない
世のフェミなんかどうでもいい(どうせ女全体のごくごくごくごく少数)