はてなキーワード: 信仰心とは
を教えてやる。
デマンドサイドに配慮した経済政策には期待が持てるが、外交は親米のくせにTPPに慎重で微妙な立ち位置。しかもその体制で中国とやりあったり再軍備で周辺諸国を刺激したりと、なかなかスパイシー。
迷走をつづけた民主だったが、現実を見せられ自信崩壊したところに思想を刷り込まれるというマインドコントロール的手法で官僚に飼いならされつつあるようなので、次期政権は意外と安定した官僚主導政権になるかも。期待したい。
政策がどうなっていくのか不透明。せめて骨格みたいなものが見えればいいのだけどそれもないみたい。存在感はすごいのにつかみどころがないお化けみたいな政党。この二人になら日本がどうされてもいい、という圧倒的な信仰心とともに投票すべき。
選挙が終わったらあの人やあの人が出張ってきて分裂したりくっついたりする予定、にしか見えない。
「一度でいいから見てみたい 利益を社員に分けるボス」
http://anond.hatelabo.jp/20120724021819
これ読んで、似たようなケースだなあと思って。
というのも、結婚して10年目くらいで父親が信仰に目覚めてしまったから。
後だしジャンケンだ。だから俺の家族は強制的に泥試合に参加しなくてはいけなかった。
増田が今の彼と結婚した場合の家庭像に少しは近いかと思うんで、参考までに。
(創価学会の信仰の特徴は2ちゃんなどで得た知識なので、違ったらごめん)
"恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません"
つまり、世間体だ。日本は(世界知らんけど)見えない空気感と戦わなくちゃいけない。
それが読めないと苛められちゃったりする。
日本で新興宗教に信仰があることは、あまり良い評判にはならないだろうな。
これで何とかやってけるのではないかと思った。
両家の家族間の問題はクローズドに行われるので、まあ頑張り次第(彼氏が宗教観で迷惑をかけない、彼女が宗教観を乗り越えられると説得)
で何とかなるんじゃないか。血のつながった家族だから、そこまで無下にはされないだろう。
友達、職場、ママ友、これに尽きる。バレたら裏でチクチクとバカにされる。
仲間が寄ってくるかもしれないけどw あまり良い事はないはず。
「選挙の時期に創価の友達から電話がくるよね」みたいなエピソードを「あるある〜まじキモいよね〜w」と軽く受け流せれば支障はないはず。
家に遊びに来られたら必ず、聖教新聞は他の部屋にぶち込んで、「旦那はゴルフに行ってて家にいない。」と言いきろう。
俺は父親が信仰をまったく押し付けなかったのが救い。これは父親のスタンスで大きく変わる。
思春期を迎えると父親の部屋に隠されたエロ本よりも、本棚に堂々と置かれた「人間革命」の方が如何わしい存在に思えてくる。
友達を家に呼んだ時に仏壇等見られるのが怖く、家に呼べない最悪なフラストレーション。堂々としたい、世間から認められたい、と強く思うだろうな。
そんな父親を責めた時に、母親が父親に加担するようなことがあろうものなら、グレる可能性もある。
しかし、そういった青春を送った子供は「人からどう見られるか」能力が秀でるので、他人の痛みも痛いほど感じれるようになり、他人に優しくなるという反作用もあったりする。
ここで増田のために、こんな駄文を書くバカ息子が生まれるってわけ。
本文でちょっと気になったところ。
”いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けた”
"そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、
私はこの先も共感できないことです。"
俺は父親の事が理解できません。血のつながっている相手でもわかりあえない。というか、もうあきらめましたわ。
結婚相手には血のつながっている家族以上に、多くをわかりあえる存在でありたいと思うもの。
ただ、聞いた時に受け入れられなかったのは母性本能に近い感覚じゃないかな?
「この人と一緒になった時に、超えなくてはならないハードルがたくさんある」
それをパートナーへの愛が強い弱いの話に置き換えるのは、はき違えもいいとこ。
この部分は間違いなく自分を責めなくて良い。それを増田に伝えたくてこの文章を書いてる。
こっからは、どれくらいのバランスを取るかって話。0か100か真ん中かってこと。
・隠し通す
恐らく「創価学会です」とオープンにして世間の見る目が劇的に良くなる、という日は訪れないだろう。
そんな時代に、リスクを取らずに生きて行くなら上に書いたみたいに隠しながら生きていくということかな。
・オープンにする
恥ずかしい事と一切思わず、オープンにする。そして世間の目から鈍感になる、ということ。
裏で何言われたって良いでしょう。死にはしません。
後ろめたいと思っている彼は、そんな増田のがんばりを見てキュンキュンしちゃうはず。
・ちょっとはみ出す
母親は「もうあの人はしょうがない」と腹をくくって、「旦那の趣味は宗教」みたいな形で仲間内では言ってるらしい。すげえ。
可哀想な奥さんを演じることで、周りを味方につける。
ただ、父親の前では彼をバカにしない。よくわかんないめんどくさい話も聞いてあげる。
世間体を少し変わった角度から保ちつつ、旦那のプライドも保つ。
これは、皆があまり傷つかない。
パートナーが盲目の場合は、もう1人がバランスを取ってあげる、ということ。
その覚悟をしてまで、相手を想う気持ちがあるのであれば、ちょっとはみ出す人生も良いんではないだろうか。
宗教観は今回の彼のように長い時間をかけて創られている場合、動きません。
それは増田が言っても、上戸彩が懇願しても、成瀬心美がキス我慢選手権を開催しても、絶対動きません。
俺も無宗教だけど、信仰を持つ人の異常さに気持ち悪さを感じる一方、自分が正常だと信じれるものだって何も無いとつくづく思う。
何となく働いて結婚して子供育てて幸せに人生終える、そんなことを目指してる。
でも、それだってマスコミが作り上げた資本主義が円滑に回るための、家庭像なだけだ。
だからそんな(普通の)奴らが目を覚ましなさい!って言っても、お前ら本当に目を覚ました状態なのか?って向こうの(信仰心がある)奴らは思ってる訳だ。
見ている世界が違うんだよな。
今回の増田の文章を読んでいると動揺もあるようだけど、好きな人と楽しく暮らしたいっていうような「普通志向」があるかと思う。
その考え方だと、あまりオススメできないかな。厳しいようだけど。
彼自身が「少しでも宗教観を分かち合いたい」と考えてるようなら、増田も人間革命をブックオフで100円で買って読まなきゃいけない。
それがきっと、彼にとっても幸せなことだと思う。
彼がどう考えてるか聞いてみたらどうだろうか。
どんな生き方をしたいか(その人生に創価がどう関わってくるのか)具体的なケースを聞いてみたらどうだろう。
今は感覚値だから、増田が嫌だなあ、と思う具体的な事例を想像してみよう。
昔の友達に話すのは、いける?
婦人会とかのイベントに参加するのは嫌だとか(主催者側の彼が嫁を参加させなくても平気なのか)。
仏壇は隠れた所に置かせてもらう(来客時は布かけるとか。できんのかw?)とか。
それで、増田が乗り越えられそうなら、考える。彼が求めるレベルとすり合せる。
無理なら、マスコミが作り上げた「クレヨンしんちゃん一家」みたいな普通の家庭を築けそうな人を、探せば良い。
どっちかが無理していることって、辛いからね。
俺はどんな宗教でも信じてる人は、基本的にピュアでいい人なんだろうなと思ってる。(金儲けとかに使う側以外の人ね)
前述の通り、今の日本ではそんな人達は、みんな肩身が狭いのかなと思ってる。
だからこそ、増田には無理して欲しくないし、増田の彼にも幸せになって欲しい。
何となく生きてる我々が、宗教を小バカにするのは良い。俺もキモいと思ってるし。
だけど、自分の信じてるモノの崇高さを語れるのか?って話。
この文章を読んだ人は、相変わらず宗教キモいな、って思っててもらっていいんだけど。
ちょっとでも視点を変えて、優しい目で信仰している人々を見てくれることを祈る。(決して信仰しろとは言ってない)
人に害を与えなくて、小さなコミュニティでやってる分には宗教って精神的には良さそうなもんだと思うんだけどね。(でもやっぱすげー気持ち悪いとも思うんだけど。)
でも今回のとこは政治とか企業まで関与してたりするから、ちょっと別問題か。話でかすぎてもうわかんないや。
おっと俺が怪しい宗教家みたいになってきちゃったぜ。
寄り道しないで、家帰ってここみんのDVDでも見よう!
http://anond.hatelabo.jp/20120629012945
公務員落ちたから準公務員を長いことやってるけど、こういう“公的団体”で働くのってマジで楽だよね。
まぁこっちの場合は宗教界にもぐりこんで飯食ってるんだけどさ。
この時期になると全国的にやってるお祭りがあるんだけどさ。ていうか今日やったんだけどさ。
お祭り自体はそう金もかかりゃしない。材料費準備費人件費通信費その他諸々締めて二百万もかからん。
準備にあたって特別な事なんて何もしない。難しい事も一切しない。はっきり言って普通の人でもできるレベル。
で、まぁ何万人とか手紙を出して、お祭りして欲しい人には金送ってもらうなり振り込むなりしてもらうわけよ。
一件平均四千円で、だいたい三千件帰ってくるワケだ。
バカみたいだろ? ただちっぽけなお祭りの準備して大勢に手紙出したってだけで一千万儲けが出るんだぜ?
ホントふざけてるよな。零細企業でひいひい言いながら残業してたあの頃は一体何だったんだろうって思う。
毎日お山の上で聖職者様であるとふんぞり返って、先生先生と頭を下げられて、定時に帰宅するのが仕事だってんだからな。
で、コネ持ってない奴はうまい仕事にありつけない、みたいな意見をよく見るけど。
あれ違うからな。
養成機関で教育を受けた時、コネまみれの奴らとそうでない奴らの二種類がいたけどな。
コネまみれの奴らはヌルくてうまい仕事に就いて、俺らは比較的待遇の悪い仕事に就く羽目になった。
で、時が流れて、今もこの業界に残って仕事してる奴は半分くらいに減ったけど。
社畜扱いされ続けて現実に絶望したハングリー精神の塊と、コネしか持ってないバカ。
コネで仕事決めたような奴は所詮、自分の力で仕事決めたわけじゃないんだから、得た職に対する執着が希薄なんだ。
奴らは決まって、つまらないところで小さな不満を見つけて、びっくりするほど馬鹿馬鹿しい理由で、すぐに仕事を放り出すんだよ。
行き場があるとかないとか関係ない。
信仰心なんざ欠片も無くてもテメエ自身の安穏な生活が惜しいなら聖職者だって何だって務まる。
ああ、一度言ってみたかった。すっきりした。
これを書いた者です。http://anond.hatelabo.jp/20110707051147
人気のブックマークコメントに「一通り目を通してブクマはするけど、実際に勉強することはまずないっ!」と書かれていた。 はてぶで英語学習関連のエントリーをしたはいいけど、勉強しないで、ブックマークして満足しちゃう人は多いと思う。
今回はそれを防ぐために僕がどうしたか書く。
断言法という方法がある。ようするに叶えたいことを毎日十五回ノートに粛々と祈るように書くわけで、僕は「TOEIC990点取る」とノートに書き続けた。そんなことして何の意味があるんだよって思うかもしれないけど、全世界に宗教が存在し、人々の願いが祈られ続けられてきた。祈りが続けれたということは少なくとも願いが叶った者もいるということである。全く意味のないことを続けるほど人類はバカじゃない。神社に毎日参拝するということでもいいかもしれない。信仰心があるかは重要ではない。カルト宗教にはまっている奴らとか見ていると、救われたあと、つまり願いが叶ったあとに、教祖様に対する信仰心が生まれている。断言法の場合は教祖様を信じないで、自分自身を信じるということになる。最初は疑いでいい。それが実感として目標に近づいている時に自分を信じられるようになる。http://alfalfalfa.com/archives/13635.html
断言法の説明を見ると成功率は大体70%程度らしいが、これを100%に近い形で実現する方法を僕は見つけた。似た願いを複数すること、また、英語学習に関することを日記に書くことである。ちょっとした遊び心で「TOEIC990点取る」以外にも「彼女が出来る」「年収10億円になる」とか書いていた。願いが最初に叶ったものは「TOEIC990点取る」だったけど、「年収十億円」「彼女が出来る」は叶わなかった。僕はなぜこれが叶わなかったのか考えた。僕はノートに断言法を書いていたんだけど、それは日記帳と併用していて、日々のことを書いていた。今日は一時間勉強した、新宿で外人に道訊ねられたけど、けっこう答えられたとか、友達と遊んだとか、好きなロックバンドのライブに行ってきたとか他愛も無いことである。数ヶ月分眺めていて、英語力は上昇していると日々感じていたけど、全然モテないし、お金も増えないと思っていた。あれ?これ日記に書いてなくね?女の子のこととかお金のこととかほとんど書いていないのである。英語のことは書いてあるのに(笑)そう、実感として英語力は上がっているのは感じていた。これ何か関係あるんじゃね?
引き寄せの法則というのがあるんだけど、その方法の一つに自分の願いに関する事をとにかく日々記録していくというのがある。英語学習の場合だったら、一時間勉強したりとか、外国人に道を訊ねられたとか、この洋楽のバンド歌詞いいな、とかそんなんです。書いて行くとそれが実感になっていき願いが叶うというものである。http://netaatoz.blog21.fc2.com/blog-entry-1289.html http://www.amazon.co.jp
断言法も引き寄せの法則もというか自己啓発系のほとんどがカルト宗教並に胡散臭いんだけど、僕なりの解釈を見つけた。「戦略」(strategy)と「戦術」(tactics)という言葉ある。勘違いしている人も多そうなので、説明するが、戦略というのは目標や目的の事で、戦術とは戦略を成功させるための方法のことである。具体的には「対テロ戦争」という戦略があって、その「対テロ戦争」を成功させるためにイラクを攻撃したり、外国人が米国に入国する際は指紋が取られたり、テロ対策の部隊が編成されたりとかが戦術である。あんまり良い例じゃなかったかな。まあ、話を戻すと、僕の場合は「TOEIC990点を取る」という戦略があって、そのために戦術をどうするかって話だ。TOEICの参考書を解きまくる、洋楽を聴きまくるとか、まあ、それも立派な戦術だ。ただ、”この段階”では戦術が正しいかどうかは重要ではない。戦略達成のために自分自身を戦略に向けさせることが重要なんだ。洋楽や洋画が英語学習に向かないというのは説明したけど、僕自身がかつてやっていた勉強方法でもあった。それが自然に英語学習に向かないと気づき、別の手段(戦術)に移っていった。ただ、それに気づくためにはそれに向き合っていなければならない。それが日々日記を書く事に繋がる。間違った手段、正しい手段に関わらず、僕は英語学習に関する事を書き続けていた。それは僕を目標まで導いてくれる懐中電灯みたいなもんだ。例えば、宇宙飛行士になりたいという願いを叶えることは難しい。そこが引き寄せの法則などの自己啓発の批判の元なんだろうけど、むちゃくちゃなことを叶えることは難しいが、宇宙飛行士になることも不可能ではない。いきなり真っ暗闇の山中に放り込まれて、ここがどこだかわかりませんが、あそこにうっすら街の灯りが見えるでしょ。あそこ東京ですから頑張って行ってくださいと言われたら、大抵の人はどうするだろうか、灯りが東京だということは分かるが、足下は不安定で、足を一歩でも踏み出してみたら崖かもしれない、周りには野犬がいるかもしれない、ここでじっと救助を待っているほうがいいかもしれない、そんな風に考えるだろう。ただ、そこで、LEDの懐中電灯を持っていたらどうなる?見えなかった足下は見えるようになり、数十メートル離れた先ならなんとか把握出来るようになる。崖もないことを確認した。これなら東京まで帰れるんじゃないか?灯りに照らされた途端に思考はポジティブになる。国道まで出れば下ればいいし、あ、飴も一袋持っていたんだ。飲みかけの午後の紅茶もあった。なんとか帰るんじゃないんだろうかという実感を強める。それでも、山中が暗く危険に溢れているが、戦略を叶えるために、視界の先、足下、体力などの状況に合わせて、進め方を変えていくだろう。そして、進めば進む程に街の灯りは強くなっていき、帰れるという実感が増えていく。その実感を掴めるものだけが目標(戦略)を叶えることが出来る。懐中電灯や飴を始めとする様々な戦術と共にね。
話が長くなって恐縮だけど、話は戻って断言法で「年収十億円」「彼女が出来る」と書いていたのに叶わなかったのが分かったでしょうか。英語学習は様々な戦術を使い実感を得て目標に近づく度に、やる気が出て来た。「年収十億円」が叶わなかったのは僕自身がLEDの懐中電灯を持っていなかっため、戦略は持っていたが戦術は持っていなかったということになる。戦略を叶えるためには戦術が必要である。東京には帰りたいという戦略があっても戦術がないと帰れない。ただし、むちゃくちゃな非常識な願いほどLEDの懐中電灯のような強力な戦術を持つことは容易じゃない。宇宙飛行士になる、村上春樹のように世界的に有名作家になるとかである。それでも戦術を練り、それになれるという実感を持てば戦略を達成することは可能だろう。流石に僕は実感が得られないので無理ですが(笑)
「TOEIC990点取る」というのも英語に苦手意識がある方は非常識な戦略に思えるかもしれない。僕もそうだった。非常識だと感じるのを弱めるために断言法と引き寄せの法則を組み合わせたのを使った。実は「TOEIC990点取る」の他に、「海外で働く」というのも書いていた。残念ながらそちらはまだ叶っていないが、英語学習のモチベーションの上昇に繋がったんじゃないかと思っている。断言法に関しては、やる気増産装置のようだと考えている。英語学習者にありがちな挫折パターンとして「あの本いいんだー」「あのエントリー参考になる」「俺は外資系企業に勤める」とか思ってもロケット花火のようなもので急加速はするが、すぐに急降下し地面に落ちてしまう。断言法はある種のジンクスを作るようなもので、自身が「TOEIC990点取る」という目標に対する燃料を投下していくようなものである。不思議なことに、ジンクスというのはそういうものであると思うけど、断言法を三日もサボると急にやる気がなくなる。勉強するというジンクスを無くしてしまったからであろう。言わば、断言法はジンクスのない人にジンクスを作るための装置である。まあ、やる気は作れるもんだぜ?ってことです。さらに似た願いを書く事は燃料投下を倍増させることになるのでおそらく願いが叶う可能性は高くなるんじゃないのか。また、 知らず知らずの内にしてしまっていたが、英語に関するということ日記を書くということは方向性を定め戦術を作っていく作業であった。断言法でやる気を作り、引き寄せ日記で戦略に体を向けさせ、戦術を精査していく。
ちなみに「彼女が出来る」というのも年齢=童貞だった僕にとっては非常識な願いであったけど、これに気づいた後に「女友達が出来る」と書き加えて、日記に、今日は女性にこういう話がして受けていたとか、趣味の話が出来たとか、そういうことを書いていたら、彼女が出来た。いや、マジですよ。まじまじ。なんとなく、女の子と最近話す機会多いなーって思い始め(目標達成が見え始めている)、女友達も増えて、遊ぶ機会も増えていて、あの女の子とちょっと良い感じかなって思っていたら逆に告白された。ありえない。非常識過ぎると少し前の僕ならそう思うかもしれないが、そんな非常識は僕から消え去っていた。実感としてこういうことになるだろうと思い始めていた。
たぶんいろんな側面の話がまじりあっててこの話は面倒。
あと、初詣に行っても信仰心は芽生えない、ってのは必ずしも正しくないと思うよ。日本人の宗教観は柔軟だけど、信仰心がユビキタス(宗教用語としての)に存在するため見えづらいだけだと思う。内心どうでもいいと思ってるなら、初詣なんかいかないよ。
国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。
「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近の判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どももいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どももいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。
まぁこれは僕の勝手な想像だから、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。
ベタで申し訳ないけど、初詣に神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式を仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。
立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣を神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実は信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。
ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣の神社の神のことを考えないのと同じように。
もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。
だから、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈がいまいちわからない。だれか理屈を教えてください。
という主張は、ある程度世間で受け入れられていると言ってよいだろう。
「その相手とセックスをするべきである」という要素から成り立つ。
そして、同時に「人は恋愛感情を持たない相手とセックスするべきではない」という主張をも含んでいる。
多くの人は明白であると考えているようだ。
しかし、ハッキリとした恋愛感情を感じた事がないという人間がいないわけではない。
信仰心がある人にとっては先天的に付与されたと思われるほどに強固で明白であっても
ほかの人にとっては、想像することすら困難で遠いものであるのと同じように
残念ながら、持たない人たちにも性欲はある。
では、持たない人たちは冒頭の主張に対し、どう対応すればいいのだろうか。
1:持つ人とセックスをする
2:持たない人とセックスをする
3:しない
個人情報を明らかにしたくないという理由で自分のブログには書けないので、ここに書かせてもらう。
現役京大生だが、今回の入試不正問題で感じたことを書く場がほしかった。
自分が思ったことを書きつづるだけなので、論理とか矛盾とかあまり気にせずに書く。
だからもし読んでくれる人がいれば、あまり重く受け止めず読んでほしい。
2度ほど誤報もしたマスコミは馬鹿だと思ってるが、逮捕は正統だと思っている。
でもそれは、自分も京大入試を経験したってのが大きいのかもしれない。
4大学の中では同志社も受験したが、俺が書きたい話にはあまり関係ないので今回は触れない。
受験当時の俺は、とにかく京大に行きたい、京大以外の大学には行きたくないと思ってた。
今になって振り返ると、そこまで京大にこだわる必要なんてないだろって自分でも思うけど、当時は京大しか目に入ってなかった。
その理由は話すと長くなるから、要点だけ書くけど、
俺は高校生の頃、高校がすごく不自由な場所だと感じていて、とにかく息苦しいし生きにくいと日々思っていたので、
おそらく「自由の学風」で「放任主義」、おまけに「変人が多い」と噂の京大に入りさえすれば、自由が手に入ると信じきっていたんだと思う。
(これは今になって思うのであって、当時はまだそこまで自分を客観視できていなかったけども。)
現役で落ちたときは悔しい思いをしたし、受かってた滑り止めには行かず、浪人することに決めた。
浪人のときは、aicezukiもそうだったようだけど、センターで点がとれず、D判定だったときは、追い詰められた気持ちになった。
俺は模試でもD判定のことが多くて、二次試験で挽回できる見込みも低かったし、受かる自信はほとんどなかった。
それでも上述のように、京大へのこだわりは異常だった。
滑り止めも受かってたけど、京大に行けないなら死ぬと決めた。
センター試験後に決めたというと語弊があるかもしれない。
心の中で、可能性としてずっと考えていたものを、確信に変えたという方が正しいだろう。
(余談だが、だから俺は、aicezukiが自殺の方法を質問していた日時がセンター2日目終了後だと知って、ものすごく納得したし共感した。)
二次試験までは、勉強の間、ノートの余白に「死にたい」と書きまくっていた。
二次試験が終わった後、合格発表までは、後期試験の勉強の傍ら、遺書の下書きや自殺方法を真剣に考えていた。
そして迎えた合格発表の日。俺は受かっていた。
その瞬間のことは今でも鮮明に思い出せる。
自分の番号を見た瞬間、涙がグワッと溢れてきた。
そして、「あ、俺、生きてていいんだ」と思うと、涙が止まらなかった。
俺は信仰心とか全然ないんだけど、そのときだけは神様から「死ぬな、生きろ」って言われたような気がした。
それまで死ぬことしか考えてなかったのに、いきなり「生きる」という道が目の前にバーッと、それこそ白い強烈な光みたいに開けてきた。
なんだかこれ書いてる今も涙出てきた。あのときほど強く「生きよう」と思ったことはない。
今だからこんな風に言えるけど、俺は京大入試に文字通り命をかけていた。
俺の例は極端かもしれないけど、京大に限らずどこの大学でも、入試を受ける一人ひとりに、いろんな思いがあると思う。
そしてその思いは、極論かもしれないけども、実際に入試を体験しないとわからない部分もあるはずだ。
「追い詰められていた」っていうのは、カンニングの理由にはならない。
追い詰められてる人間なんていくらでもいるし、俺やaicezuki以上に追い詰められていた受験生もたくさんいるはず。
京大入試の特異な点は、試験を受けるほぼ全員が第一志望だという点だと思う。
在学生や受験生の人には申し訳ないし、今から書くことに悪意は全くないんだが、
早稲田や同志社ですら、東大・京大などの国立大志望者からすれば、滑り止めとしか見ていない場合も多い。
けれども京大は違う。ひやかしでもない限り、全員が並々ならぬ決意と共に受けに来る。
「京大じゃなかったらマスコミがここまで騒いでない」「京大は大騒ぎしすぎ」という意見もよく見るけども、この点を考えれば、京大だから大騒ぎになっているのは当然のことだと思う。
俺は、入試は人生に大きく影響し、人生を変えるものだと思っている。
けれどもそれは、「良い大学に入れば良い就職ができる云々」という意味ではない。
大学なんてものは、「どこに入るか」よりも、「入ってから何をするか」の方が重要だと思う。
特に、京大なんかだと、「京大に入ること」が目的になってしまい、
いざ入った後に何をしていいかわからなくなり、無気力になってしまったり、受験からの解放感が強すぎて、授業にも行かず毎日家でダラダラと過ごしてしまったり、という状況に入学早々陥る人も珍しくない。
就職活動でも、聞かれるのは「大学『で』何をしたか」ということだ。入るまでの努力の日々なんか聞かれやしない。
じゃあ俺が「入試は人生に大きく影響する」と思うのはなぜかといえば、
それは、「勉強の末、第一志望に合格した達成感」や「頑張ったのに第一志望には入学できなかった挫折感」を感じるという経験は、非常に大きなものだし、人間の生き方や考え方にも影響を与えるものだと思うから。
挫折感を味わった人は、その後奮起して、負けず嫌いな努力家になるかもしれない。また反対に、虚無的になり、努力を放棄する道を選ぶかもしれない。
入試での体験をどう受け止めるにせよ、その体験があることで、その人の人生は間違いなく深みを増すはずだ。
しかし、達成感も挫折感も、カンニングをし、他力に頼って入試を切り抜けた者には味わえないだろう。
もちろん合否という結果は出るのだから、ある程度の達成感や挫折感は得られるはずだ。
しかし、完全なる達成感、完全なる挫折感は、自力で入試にぶつかっていった者にしか感じることはできないと思う。
繰り返しになるが、俺は一個人としてはaicezukiの逮捕は妥当だと思ってる。感情論だと自分でもわかってはいるが。
このことについて、「カンニングを偽計業務妨害にするのはおかしい」という意見の人も多い。
実際に2chやTwitterでも、そのような議論が数多く見られる。
でも俺が気になることが、ひとつある。
それは、そのような議論をしてる人たちの中には、罪状について「業務妨害」「業務妨害」と、「偽計」の部分を略している人が非常に多いということだ。
俺は、このことに強い違和感を感じている。
「カンニングされたのは大学の監視体制が悪かったからだ、だから自業自得であり、業務妨害にはならない」という意見の人も多いのだけれども、
みんな「偽計」の部分の重大さを忘れているように感じる。
今回の件で真に重大なのは、「業務妨害」の部分よりも、「偽計」したという事実だと思うのだが。
「偽計」の省略され具合から見ても、みんなその点を忘れてるんじゃないだろうか。
でも、カンニングは罪に問われてもおかしくない行為だと信じているし、
もしカンニングを罪に問える適切な法律が現時点で存在しないのならば、早急に作るべきだと考えている。
ネットへの解放で相乗効果が見込めるのは、そのコンテンツが拡大傾向にある時だけ。いわばブースト効果みたいなもの。
一旦縮小傾向へと入ってしまったら、ネットへのコンテンツ解放は害毒でしかない。
まあアイマスの場合、元々が大した販売本数じゃなかった事もあって、「少しでも宣伝になれば」というメーカー側の思惑もあって半ば黙認、公認化してた面もあるんだろうけれど、正式な続編にあたる「2」の売れ行きが芳しくない事を受けて「ネットとの共存は得にならない」と判断したんじゃないかと。
まあそんな感じだろうと思うけど
共存してねえって話だよな今回はw
前作までのようにユーザーに友好的なムードがあったら(なんてレベルじゃなく信仰心すら見えたが)
「こういう動画はアップしないでね」という簡単なガイドラインを示した上で
75. 価値あるものを作る
誰かが必要としているものを作りましょう。何か役に立つものです。時代遅れなものに従うのではなく、あなたの周辺を劇的に変化させるものです。価値ある物を作ることが、あなたが本当に力をそそぐべき事です。
76. 思いやりをふりまく
誰かに褒められるような事でなくても、相手に自分がやったことだと知られなくても構いません。名を名乗らず、誰かに親切にしてあげてください。その時自分がどう感じるかをみてください。今まで多くの人に支えられてきたことに気がつくでしょう。
77. 少し立ち止まって
もう一度、物事を見つめ直す癖をつけましょう。重要な事を決める前はもう少し「時間」をとって考えてみましょう。「時間」はあなたの意思に従い、あなたのために思いがけない窓を開いてくれるでしょう。少しゆっくり生きてください。
78. みんながあなたに何を求めているのかを考える
あなたができる事は、必ずしも人々が求めているものと一致するとは限りません。彼らが求めているものを今直ぐ与える必要はありません。しかし、もし与えれるとするなら、思いがけない感動を手にするでしょう。
79. 昔からの悪い習慣を直す
昔からの習慣を直すのは大変なことです。しかし、それを直す事はあなたの人生を多くの無駄な時間から解放してくれるでしょう。たばこをやめる、長電話をやめる…なんでも構いません。人生を変えてくれます。
80. 愚痴をやめる
愚痴る事は、トラブルを招いているのと同じことです。愚痴れば愚痴るほど悩みや苦労が増えていきます。愚痴っているだけではなんの解決にもなりません。苦労するだけです。
81. 欲しくない物は拒絶する
こんなに簡単なのに、過小評価されている事です。世間は面白くないものでも笑わそうとするのです。嫌いなものとは距離をとりましょう。
82. 求めすぎず、ありのままに
私達は自分達が持っているものの量に対して、人生の満足を得ようとします。しかし、多くを求めようとするよりも、ありのままでいる事を保つことに勝るものはありません。多くを求める事は重要な過ちであり、もしそれを欲し続けるのであれば、今すぐやめた方がいいです。際限なく求めてもキリがなく、よりよい人生を歩む事においては、ありのままの自分でいる事が大切です。
83. 反論する人の言う事を聞く
最初は難しいと思いますが、慣れたら本当に素晴らしいものとなります。あなたの知らない多くの事を学ぶでしょう。
84. 他人の言う事を気にしない
人が言う事をいちいち気にする必要はありません。あなたの人生は、他人ではなく、あなたが考えた事で成り立っています。他の誰かがあなたを決め付けたり、先入観を持ったりする事を気にしたり、イライラする必要はありません。ただ、それはそれで頭に置いておき、進めばよいのです。
85. 笑う
これは微笑むのではなく、声を出して笑うという事です。笑うチャンスを逃してはいけません。笑う時間を長くし、落ち込む時間を短くする事はとても素敵な事なのです。
86. 熱中する
理性ではなく情熱と共に行動しましょう。時々でも構いません。何か熱中できるものを見つけたら飛び込んでみましょう。他人の許可など必要ありません。情熱とともに生きましょう。
あなたの感情をみくびってはいけません。買いかぶるのもいけません。あなたの感情は、そのまま自分に返ってくるとても大切なものです。自分の感情を無視する事は、暗闇の中を走る車から光を奪うのと同じことです。
88. 毎日が休暇のように生きる
休暇中、どれほど自分が心地良く過ごしているか気づいていますか?全てが素晴らしいものに思えてきますよね。その感情を忘れず生活しましょう。休暇を過ごすように生活するのです。
89. ドラマを作る
「イイ話」は好きですか?私は大好きです。素晴らしいストーリーを作り、あなたはそれを見ている視聴者・主人公・ナレーターになるのです。人生をドラマにしましょう。
90. 人の後を追わない
誰かを素敵だと思うことは素晴らしい事です。しかし、誰かに素敵だと思われる事はもっと素晴らしい事です。誰かの顔色をうかがうのはやめて、自分の道を歩んでください。もしそれであなたのライフスタイルが大きく変わるとしてもです。あなたが誰からしく生きているなら、あなたらしく生きる事は出来ません。
91. 信仰を見つめ直す
信仰とは、あなた自身をさしているわけではありませんが、あなた自身の人生を形成しています。しかし、あなたはその人生の中で、いつでも信仰心を変える力を持っています。まずはそれを見つめなおし、一度はなれて観測してみる必要があります。
92. 嘘をつかない
他人、そして自分自身に対してです。複雑な状況を容易にするとしてもです。嘘は一時的なものであり、ずっとは続きません。嘘は事実を作り替えることができるかもしれませんが、歪んだ現実を操作する事はできません。
93. 自ら始めよう
今ある何かの後を追うのではなく、新しいプロジェクトを始めましょう。新しい事には様々な状況を予測する必要があります。嵐がぶつかる前に対策をしていきましょう。作られた道を歩むのではなく、自分の人生を創造していきましょう。
94. 今日を生きる
昨日でも明日でもない、今日を生きる。昨日の事は置いておいて、今日できる事をしましょう。今日は今日しかないんです。明日はまだ存在すらしていません。今日を無駄にしないでください。
95. 思いがけない出来事に備える
何か思いがけない出来事に遭遇しても、ただ受け入れてください。思いがけない出来事はチャンス到来の合図です。たいてい素敵な出来事です。
96. 楽しむ
楽しみの中に生きる。あなたのいるどんな状況からも、楽しみを見出してください。それがどんなに悪い状況でもです。楽しみはどこにでも転がっています。楽しみを食い止めたり、拒絶してはいけません。
自分のルールを作り、それに従いましょう。他の誰かではなく、あなた自身がうまくいくと思うルールです。他の誰かではなく、あなた自身がしたいと思えるルールです。途中、他の人に邪魔されることもあるかもしれませんが、それも人生です。
98. 愛する
絶えず、無条件に愛する。愛こそがあなたの人生を動かしているのです。愛とは他の何かではなく、あなた自身を指しています。
99. レッテルを剥がす
レッテルをはらないでください。物事そのままを受け入れてください。善悪の概念はレッテル以外の何ものでもありません。他の国へ行けば、あなたの「正しい」は「間違い」となる事もあります。自分自身に必要のない負担をおわせないでください。
100. 後悔しない
後悔したところで、現実を受け入れることはできません。今、そのためになにができますか?それは過去の事、もう取り返せないものです。振り返るのではなく、どう変えていけるかに焦点を当てましょう。昨日でも、明日でもなく、あなたは今この瞬間を生きているのですから。
http://www.webcreatorbox.com/inspiration/100ways-better-life/
1. 間違いを受け入れる
あなたは人間です。私たち人間は間違う事もあります。自分のしたミスを受け入れて次はうまくいくように努力しましょう。自分自身に罰を与える必要はありません。間違いを受け入れる事が、罪悪感を消し去る唯一の方法です。
2. 友達のミスを許す
誰かに傷つけられる事もあるでしょう。人間は間違うものですし、自分の間違いを受け入れるのと同じように、他の人の間違いも受け入れましょう。最終的に、あなたの必要なものは彼らからの「愛」です。
3. 新しい習慣をつける
私たちは無意識のうちに多くの物事をこなしています。自分の人生に取り入れたい新しい事をこの習慣の中に結びつけてください。習慣は強力です。自分のためにこのエネルギーを利用してください。
4. 自己規律を作る
誰かがあなたに規律を作るのを待たないでください。早いうちに自己規律を作成しましょう。厳しく聞こえるかもしれませんが、自己規律はあなたの人生の多くの物事を容易にしてくれるでしょう。大変かもしれませんが、自己規律があるということは素晴らしいことです。
5. 新しい友達をつくる
手を差し伸べ、恐れないでください。新しい付き合いを始めましょう。起こりうる最悪の事態は拒絶されることです。そうなった場合は次へと進みましょう。
楽しみを刺激する事は、人生に多くの価値を生み出します。今の仕事に満足がいかないのであれば、新しい仕事につきましょう。収入がなくなるのは一時的なものです。乗り越えましょう。
7. いつも食べている物を変える
毎日の食卓に並ぶ食品を変えてみましょう。新しい食事を試すのは健康とエネルギーのために必要です。ヘルシーなものやベジタリアンである必要はありません。いいなと思ったものを試してみましょう。
8. 日記をつける
思ったこと、アイデア、目標、行った事を日記に書くことは、自分が人生の中で何を行ってきたのかを知るいい方法です。必要な物はペンと紙だけですよ。
今日一日の目標、したい事を「今日の一言」として毎朝作成しましょう。どんなものでも構いません。その目標はその日のうちにきっと叶うでしょう。朝起きて最初に今日の一言を言うだけ。とても簡単です。
10. 遠くへ旅にでる
遠くへ旅に出ることはとてもいいことです。わくわくするし、知りえない出来事に満ちています。
あなたの人生がなんだかつまらないのは…リスクを冒した事がありますか?最後に本当に大変な事に挑戦したのはいつですか?最後にリスクを伴う何かに挑戦したのはいつですか?さあ、やってみましょう。
自分自身を管理しましょう。自分の時間で働きましょう。浅はかな考えに思えるかもしれません。そう、保証があるからと好きでもない仕事をしている人にとっては、浅はかな考えに思えるでしょうね。最初の一歩を踏み出さない限り、何も挑戦できません。
13. 仕事場を変える
机を整理し、模様替えをしましょう。仕事場に新しい色を加え、仕事場を楽しめる場所に変えましょう。楽しめない仕事は仕事ではありません。それをしたいと思えるのが仕事です。
繰り返し挑戦し続けましょう。もしあなたが 10. 遠くへ旅に出る をする予定なら、新しい言語も学んでみましょう。たとえそこへ旅行しなくても、新しい言語を学ぶ事は素晴らしい事です。
15. 同意する理由を見つける
反対ではなく同意。私たちは絶えず論争し合います。それをやめましょう。無理に同意する必要はありませんが、もしその必要がある場合は十分な理由を見つけましょう。
あなたが持っていない物は、他の人に与える事もできません。あなたの中に光がなければ、他の人を照らす事もできません。あなた自身にゆとりがないと、誰かに与える事はできないのです。
17. 早起きをする
これは習慣ではなくライフスタイルです。ただ、目的もなく早起きするのでは効果がありません。早起きし、誰よりも早くチャンスを探してください。早起きするという事は可能性を見つける目を開くという事です。
18. 本質を見抜く力を鍛える
事実上、あなたの考えうることががあなたの現実です。それを賢く使ってください。物事の本質の何処に焦点を当てるかを考え、鍛える事で、あなたが今まで想像もしていなかった方法が見つかります。それはあなたの世界の質を高めます。こうした感覚を研ぎ澄ます事で、あなたの人生はより、すばらしいものになるでしょう。
19. ブログを始める
どんなトピックでも構いません。ブログは何か新しくて価値のある物を作り出すだけでなく、あなたの人生に新しい人々を連れてきてくれるでしょう。ブログは人を成長させるツールです。
あなたは自分に才能がないと思っているかもしれません。しかしそれは大きな間違いです。電子書籍を書いてみることは、自分の才能に気づくいい方法です。トピックはあなたが知っている事、勉強したい事などを選びましょう。楽しいですよ。
完璧を目指して努力し過ぎるとあなたの人生を台無しになってしまいます。 人間であるあなたを作っている不完全さがなくなってしまいます。完璧でないことは、逆に価値のあることなのです。 昨日の自分に向かって言いましょう。「もっとよくなったよ!」
22. 自己妨害をやめる
あなたは自分自身が、どれほど自分の負担になっているかを驚くかもしれません。 多くの場合、無意識のうちに、あなた自身を文字通り自己妨害しています。 もし、あなたの人生が、長い期間ずっとうまくいっていないなら、その最大の敵は、自分自身なのです。
人生は公平ではないと感じているかもしれません。そう、人生は公平ではないのです。しかし、それは素敵な事です。個性的で、美しくて、シンプルで、挑戦的で、甘く、苦しく、二度と体験できない、世界にただひとつのものです。自分の人生を見つめ直し、人生を愛する理由を探してください。
きっとあなたは退屈すぎて悲しくなっているのでしょう。そう考えた事はありませんか?今までしたことのない新しい事に挑戦してみましょう。新しいスポーツを始めたり、いつもと違うレストランを選んだり、いつも観ないジャンルの映画を観たり。
25. 争いをやめる
誰かと争うという事は多くのエネルギーを使います。あなたは相手が間違っていると平然と言おうとしますが、それが間違っています。あなたは誰かの間違いを立証するためではなく、人生の驚きを認めるためにここにいるのです。彼らは間違ってはいません。ただ意見が違うだけです。そして、それが人生です。
26. エネルギーを浪費しない
今すぐしなくてもいいと思う事をしていませんか?エネルギーの無駄です。あとどれほどし続けるのでしょう?なぜ無駄にエネルギーを浪費しますか?
27. 無視する事を学ぶ
これは学校で教わるべき事です。私たちは多くの物に焦点をあて、多くの事をしていかなくてはいけません。人生はそういった物に悩まされているのです。物事をこなす事はいいことですが、無視することはもっといいことです。
あなたが最後に「ありがとう」と言ったのはいつですか?それは心から言った言葉でしたか?みんな感謝する事は成功の鍵だという事は知っていますが、多くの人が実行できていません。
29. 負けん気を持ち続ける
あなたの目標のために負けん気を持ち続けましょう。あなたの中にある強い思いを声に出しましょう。負けず嫌いの気持ちはあなたの一部であり、今以上に強くなるために、それを決して否定してはいけません。
触ってはいけない、食べてはいけない、チャンスを掴もうとしてはいけない…あなたが何か本当に欲しい物があったときに、このような言葉が駆け巡るでしょう。こういったもう一人の自分が頭の中であなたを守ろうとします。それを解き放てばよりよい生活を送れるでしょう。
31. 掃除する
楽しいものです。そしてそれはあなたにとってもいい事です。家の掃除をする習慣をつけて楽しんでください。部屋の乱れは心の乱れ。整頓するだけです。簡単なことです。
32. 目標や行動方針を書き記す
あなたはここにいる理由があります。どんな小さな、ささいな事でも、あなたには目的があります。将来の成長する為に必要な目標や行動方針を書いてみてください。それが人生の明るい道しるべとなります。
あなたができると思っている事は、あなたが本当にできる事の半分程度です。それはあなた自身に対してネガティブな考えを多く持っているためです。それらを解決し、可能性を秘めている事実を受け入れ、行動しましょう。
34. 異なったスキルを磨く
学ぶことをやめないでください。ひとつのキャリアにとどまらないでください。たったひとつのキャリアなんて、退屈で、制限のあるものです。今までしてきたこととは全く違うスキルを磨いてください。いつそれが必要になるかわかりませんし、何よりも楽しいものです。
お金と同じように時間を管理するとどうなるか、考えた事はありますか?なにに時間を費やしているのか、どれほど時間にゆとりがあるのかを見てみましょう。
36. 運動する
新記録を作るとか、そういった事はしなくてもいいんです。ただ定期的に体を動かしましょう。体は健康に、頭はすっきりします。よりよい人生を送るための簡単で、取り組みやすい方法です。
37. 親になる
子供を持つことはあなたの人生を大きく変えます。永久に持続的な愛とあたたかい気持ちをもたらします。愛に生き、多くのことを学ぶでしょう。
38. 一日にひとつ、家にあるものを捨てる
きっとあなたの人生は何かの物によって息を詰まらせている事でしょう。思い切って捨ててみましょう。寄付するのもいいでしょう。
39. 週に一度、本を読む
ブログ記事でもかまいません。あなたの心のアンテナを安定させるでしょう。 読書は脳にとって良い食材です。それなしでは怠けてしまい、健康的とは言えません。良い食材と良い関係を持ちましょう。
40. 月間目標を作る
物理的で、精神を安定させ、社交的な生活を送れます。 30日間であなたの人生に何か新しいものを取り入れましょう。 新しい始めることによって、新しい方法を利用して、健康的な生活を送りましょう。
41. 古い友人に電話する
長年連絡をとっていない人と話しましょう。さあ、今直ぐ電話してみてください。素敵な思い出話と新しいチャンスが待っているでしょう。今までの関係を無駄にしてはいけません。
42. 偶然に身を任せる
いえ、偶然なんてありえないですね。嘘をつきました。全ての物事には理由があります。偶然と思える出来事に遭遇したら、それは本当に運がいい事です。それを信じて、身を任せましょう。すべてはうまくいきます。
43. 遊ぶ
どんなものでも構いません。ただ子供の頃のように楽しんでください。目標なしではただのプレッシャーに感じるかもしれません。全ての物事を「ゲーム」だと思って楽しんでください。苦しい時もあるかもしれません。でも大丈夫、ただの「ゲーム」です。
44. 許す
過去に嫌な思いをしたことを、いつまでも根にもってはいけません。恨みを取り除くのは難しいでしょう。しかし、長年の恨みを取り除くのはより困難なものになります。許して自分を開放しましょう。
45. 必要のない問題を解決しようとしない
あなたは粗探しをするためにここにいるのではありません。日々を楽しむためにいるのです。本当に重要な問題のみを解決する事に集中してください。
46. 古くからの敵と和解する
許す事よりも、仲の悪い状況を変える事が重要です。和解し合い、友人となってしまいましょう。それは簡単な事ではありませんが、うまくいくものです。敵の数を減らし、友人の数を増やしましょう。
47. 約束をして、それを果たす
大した事ではなくても構いません。誰か特別な人とでなくてもいいんです。もちろん、難しい事でなくても構いません。約束をし、果たしましょう。気持ちいいものですよ。
48. 本当に嫌いな人とは縁を切る
なんとなく縁を切れないでいる嫌いな友人がいるでしょう。別れてしまいましょう。あなたに、あなたが長年失っていたと思っていたもの(勇気)を運んでくるでしょう。
49. 長年欲しかった物を手に入れる
「お金や時間がなくて我慢している物」…思い切って手に入れましょう。自分を高めるだけでなく、長年あなたを悩ませていた欲望を解放してくれます。
50. 批判するのをやめる
誰かの、そして自分自身の批判をするのをやめましょう。過度の批判はあなたの情熱を失わせます。心を明るくし、人生をそのまま受け入れましょう。
51. クローゼットの中身を変える
自分が着るものがどれほど限られているか知らないと思います。クローゼットをあけて、暗い色ばかりなら明るい色を足してみましょう。簡単に変えることができますよね?
さあ、数えてみましょう。笑顔は正直で、とても強力です。多くの人が嫌な出来事に涙していますが、強力な笑顔だけがその気持を取り除く事ができます。次は一日20回の笑顔を目指しましょう。
53. 黒歴史を消し去る
中1の時のノート?十代の頃書いた寒気のするポエム?もう捨ててしまいましょう。難しいかもしれませんが、過去に囚われていては素敵な人生を歩めませんよ。
54. 観葉植物を育てる
数カ月に一度は部屋に緑を与えましょう。潜在能力を高めてくれるでしょう。また、植物の成長する様子を見る事は、自分の成長にも繋がります。さあ、始めましょう。
55. 違う街や国へ引っ越す
そろそろ生活環境を変えてみませんか?違う街や国へ引っ越してみましょう!最初は戸惑うかもしれませんが、本当にいい刺激になります。
バイクサークルや、話し方教室など、なんでも構いません。新しいグループに参加しましょう。熱中する何かを発見でき、コミュニティー力もアップします。
57. テレビを観るのをやめる
まずは一週間、その後一ヶ月、テレビを観るのをやめてみましょう。その間あなたの精神状態がどのように変化するか感じてください。きっと驚きますよ。
58. 全く違う趣味を見つける
マッチで列車を作ってみたり、コブラを育ててみたり、小さな瓶に船を入れてみたり…。自分の抱えている問題を忘れて、新しい事を始めましょう。
59. 道端で見知らぬ人にハグ(挨拶)を
少し危険かもしれませんが、ハグを返してくれる人もいます。いい刺激になります。
※Mana注:この記事は海外ブログを翻訳しています。海外のフリーハグの文化を指しており、日本では挨拶程度にしておいた方がいいかもです…
サプライズパーティーはいつでも楽しい気分にさせてくれます。あなたが落ち込んでいる時、もしくは友人が落ち込んでいる時に効果的です。友達を誘って、友達にはその友達を誘ってもらいましょう。新しい出会いが待っています。もちろん、楽しむ事が大切です。
61. ハイキングへ行く
週末、ハイキングへ出かけましょう。人工のものより自然のもつ力は強力です。休息が必要であれば、外にでて、自然とふれあいましょう。
62. ペットを飼う
鳥でも、ハムスターでも、犬でも猫でも構いません。落ち込んでいるときの癒しになります。ペットの世話をすることは、人間関係よりもたやすいことです。例え相手がペットでも、愛は愛です。
例えそれを送れないとしても、感謝の気持ちを書き記す事が肝心です。過去に助けてくれた誰かの事を考えながら、その人に言いたい事を書き始めましょう。あなたがどれほど感謝に満ちた人生を送っているのかを知ることができます。
64. 毎日瞑想する
簡単に始められます。心を空にして、感覚に身を任せましょう。難しいテクニックなどはありません。あるがままに瞑想しましょう。
知っている人にでも、知らない人にでも、何か素敵な一言を言ってみましょう。その人の反応から喜びと感謝の気持ちを得る事ができるでしょう。あなたも誰かにそうされたら嬉しいですよね?
誰もあなたに素敵な事を言ってくれないなら、自分自身に言ってみてはどうでしょう?あなたにふさわしい一言を、付箋に書いて机に貼っておくのもいいでしょう。自分に優しく生きてください。
67. 思いついたままに行動する
行動する事を恐れていては何も解決しません。考えすぎると、あなたを余計に混乱させます。流れに身を任せ、自分の思いつきのままに行動してみるのもよいでしょう。無意識の行動によって、本当の自分に驚かされます。
68. 結果に対して議論しない
結果に対して議論しないという事は、争いを避けてくださいと言っているわけではありません。議論から生まれる結果は、勝つか、負けるかしかありません。あなたの望む通りの結果にならずとも、結果が決まったものは受け入れて、それに従う事が人生を円滑にする手段です。
ごまかす事は簡単です。世間は建前や偽りでできていて、時にはあなたもそうする必要があるでしょう。それをやめて、正直に生きる事が大切です。悲しみも、楽しみも、どちらもあなたの人生です。
70. 目標を設定する
明確な決意表明であり、あなたが本当にしたい事です。あなたは目標がありますか?熱中する事がありますか?
71. 他人を助ける
手を差し伸べ、誰かを手助けできるか考えてください。聖者になる必要はありません。誰かに与えるようにみえて、実は自分がもっと多くのものを受け取っているのです。
72. 社交的に
外に出て誰かとふれあいましょう。新しい人と出会うのに慣れましょう。その習慣を身につければ、新しい事を始めるのにも慣れてきます。目標はいいネットワークを作ることではなく、なるべく多くのエネルギー源とつながり、それを手にすることです。
73. 一人の時間をつくる
あなた自身のために必要な時間も十分にとってください。新しい観点に気づくでしょう。あなたはどこにいますか?今後どうなりたいのですか?少し立ち止まって、辺りを見渡してみましょう。
74. 自分で何かを直す
お店に修理に出さず、壊れた窓や車の傷を自分で直してみましょう。どれほど周りのサービスに頼っていたかがわかるでしょう。汗を流して自分
両親が熱心な信者であったため、Aさんも幼いころから、自然に信仰心を身につけていました。
オウム真理教をめぐる一連の事件はAさんに衝撃を与えはしましたが、
Aさんにとってサリン事件は「教義に反するもの」であったため、教義への信仰が揺らぐ事はありませんでした。
しかし、世間の目はAさんに冷たく、「オウム」「サリン野郎」等の言葉を敵意とともに向けられることもしょっちゅうです。
そこで、Aさんは考えました
「サリンたん」という萌えキャラを作って広めてしまえば、「サリン野郎」と呼んでる人々はどう思うだろう、と!
…という例を考えてみた。
「日本鬼子って萌えキャラ作って中国人を萌え豚にしようぜ」に対する中国人の反応は
このAさんに対する日本人の反応と同じなんじゃないかな。
知ってることだけ。
そのへんは、ICU 国際基督教大学(こくさいきりすときょうだいがく/ツッコミありがとう。訂正しました)っていう、キリシタンの大学と同じだと思いますよ。
創価学会の人じゃなきゃ興味を示さないだろうし、学会員じゃないから教授にしないってこともないです。
公に認められた私立大学です。
そういや知らないな…
上辺じゃないでしょうけど。
キャンパス内で勧誘とかあるの?
たぶんあるでしょうね。
学会員じゃなくても入れますので。
そういうのじゃなくてサークルの勧誘だったなら、どこの大学でもあるでしょうけど。
創価学会ってなんでそんなに人気があるの?
え、人気有るの?
ネタとしてなら大人気だと思えますけど。
何を信じてるの?
仏教における南無っていうのは、命を捧げて信仰するよっていう意味の言葉に対する当て字です。
だから、創価学会においては、妙法蓮華経が信仰の対象になります。
具体的には、ご本尊ですよね。
会長や名誉会長は尊敬の対象であっても、信仰の対象じゃないです。
ざこばさんが「(公明党の人が)落選したってことは、信仰心が足らんかったからですか?」ギャグったの、
皮肉が効いてておもしろいと思ったなぁー。
あれ?
ざこばさんでしたっけ?
でも、あれは風刺がきいてて楽しめましたねw
とか言いつつ、身近に結構学会員の人がいたりするから、安易に色々言えないんだよね。 これがまた。
創価学会というか、法華経の考え方的に「誹謗されて当たり前。なぜなら正しいから」っていうのがあります。
いろいろ言うのは、むしろ喜ばれると思いますよ。
でも以前に比べると、単純に仕事の能力が落ちている。回復しつつはあるのだけど、以前の状態まで戻れるのだろうか。
これまでもうつ症状で苦しんだことはあったけど、ここまで酷くはなくて、毎日苦しくて、それでもなんとか復職できたのだから、復職できないほどに重症の人の苦しみはどれほどのものだろうか。想像できない。
以前の自分が「仕事で疲れた」というとき、それは例えば荷物を背負ってたくさん歩いたから疲れた、ような感覚だったと思うのだけど、
今の自分には、大きめの地震の揺れに耐えて疲れた、というのが一番合っているように思う。足元がおぼつかず、また余震が来るかもという恐怖におびえる。
もしこれが正しいのなら、地震を止めることはできないのだから、必要なのは、揺れても避難できる場所だ。
気分が悪くなって、世界中のいろんなものが醜く見えて、こんなひどい世界で生きていかないといけない自分がつらくなったときでも、
「避難所」は、世界の汚いものだけを見てしまうから汚い気持ちになるということを思い出させるもの。
それは人にとっては宗教かもしれないし、アルコールかもしれない。
なので今夜も「避難所」を求めてさまよう。