はてなキーワード: チョコレートとは
この「わかるー」的なことを書いた増田だが、斜め上な返信に混乱した。
「〇〇ちゃんはゲーム持っているのになんでうちはゲームダメなの?」とか「〇〇ちゃんはチョコレート食べてるのになんで私は食べちゃダメなの」みたいな話をされてもねぇ。
教育方針も求められるものも違うし、蓄積も予算も違うでしょうがとしか言いようがない。
一部の予備校でできることをすべての公立学校でやるというのは非現実的だと思うのだが。
宋名臣言行録で出てくる、旧法派と新法派の対立がなぜ起きたかみたいなのをちょっと思う。
教員だと思われる増田はやる気があってもロジスティクスの整備がないと無理という話をしているんだから、ロジスティクスを整備してあげたらいいんじゃないの?それを教育方針もこれまでの蓄積も違う機関を例に出し、やる気と持ち出しでカバーしろってのは単なるブラック企業でしょ。
5年くらい苦しんだけど気が付けば治っていたな。いや治ったかどうかはわからんがほとんど症状は無くなった。
生活に余裕ができたんで飯に気を使うようにはした。バランスよく食うとかその程度。なんとなく糖分が多いものは皮膚にけっこうダメージがあるのはわかったのでそれも減らすとか別の甘いもの、チョコレートではなくて飲むヨーグルトみたいな感じで変えていった。
薬はちゃんと病院に行って処方薬をもらう。いろんなステロイドがあるけど合う合わないがあるのであんまり効いてないなと思ったら別のもの出してもらおう。私は4種類目でようやく効いた。
風呂に入ると乾燥するが、清潔にしないと悪化するのでしっかり洗ってすぐに服を着よう。理想は寝る前に入って薬塗ってすぐ寝る。薬塗って痒いなと思ったら合ってないのでやめよう。
布団はこまめに干して、服も乾かした時に叩いてから入れるなど、埃は払う。部屋もちょっとでいいから綺麗にする。窓を開けて淀まないようにしておく。
ストレスを溜めない。仕事はしなきゃ生活できないのでストレスの原因を回避するのは無理だけど、無理ならこまめに発散する方向で。そして寝不足は絶対にダメなので6〜7時間は寝る。
気をつけていたのはそれくらい。飯を変えるのとちゃんと寝るのがやっぱり大きかったかな。サプリメントは飲んでもいいけど過剰になりやすいので摂取目安の半分を2日に1回くらいでいい。
元旦の初詣に地元の神社へ行ったら、それなりの人出で、チョコレートバナナの屋台なんかも出てた。思ったほどは並ばずにお参りを済ませて、屋台を覗いてから帰ろうかなと思ったら、鳥居の右下に立ってビラを配ってる女性がいた。通り過ぎながらなんとなく受け取ってしまって、ビラを見たらなんだか奇妙な内容だった。
2021年こそは思いなしを捨てて世界を統べる原理に気づこう、唯一神フェニミの光りに満ちた年を過ごそう、詳しくはこちら、みたいなことが書いてあって、その下にホームページのアドレスみたいなものが書いてある。
なんだろうなこれはと思って、ビラを配っている女性の方を振り向いたら、鳥居の左下にもう一人別の人が立って、この人もビラを配っていた。もとからいた女性がその人に近づいていって、なんだか言い争いになっているみたいだった。しまいには、後で来た女性の方がバールを振り回してちょっとした騒ぎになって警察が来た。あれは何だったのだろうか。寒いから最後まで見ていられなくて帰ったけれど、いまだにわけがわからないでいる。
チョコレートが好きだ。
ヴィタメールとか高級なのももちろんおいしいけれど、食後のコーヒーとともに板チョコを食べるのが好きだ。
カルディのFair traded with the farmer
どちらもグラム当たりの単価が安くて、ハイカカオで好みの味である。
そう、いわゆる明治チョコレートの板チョコとか、100円くらいだろって思うけれども、
あれ50gしか入ってない。
でもちゃんとおいしい。
ビターとか書いてあるくせに全然ビターじゃないとか、
口どけとか、なめらかさとかいらないんですよ。
明治の「The chocolate」があるっていうんでしょ?
あれ、お洒落でいろいろな味があって、おいしくて、
でもね、お高いんですよまだまだ。
50gしかないのに300円くらいするでしょ。
あれ2つ買うなら、カルディの板チョコ3枚で300g分買えるよ。
三倍高いわけですよ。
みみっちいことを書いているようで、その通りなわけですが、
毎日夕食後に食べるために買うならこんなもん、っていう価格帯が自分の中にできてしまった。
アメリカにいたときに、スーパーでよくリンツとかGhirardelliの板チョコを買ってたんだけど、
1枚100g以上で2ドルちょい。
でもね、帰ってきてからあれ食べたいなあってカルディ行ったら、
なんだよ、倍以上の値段じゃんか。ずいぶん高級品だったんじゃないかお前。
それから、g単価と好みの味の成分を気にするようになった。
リンツ1枚500円(で買えない)たっかー!って思うけど、
日本の板チョコのスタンダードである1枚あたり50gにくらべれば、
50gで250円なわけ。
それでしっかりハイカカオ。カカオマスとココアバターでできてて、植物油脂とか使ってないことが多い。
明治とか、熱帯雨林保護のために持続可能なパーム油に置き換えていくってニュースリリースだしてたね。
素晴らしいことだと思う。
そして日本の製菓会社の中の人、植物油脂入ってなくてハイカカオの板チョコもっと出してほしい。
その日に食べたものをメモってランク付けする日々を送ってはや3ヶ月
◎食べ始めて気が付いたら貪り食ってる
○そこまでではないが最後まで美味い
✕途中で飽きる、よくよく考えたら美味くない
評価はこんな感じ。
◎をメインに食い、気が向いたら○を食い、✕は絶対にもう食べないぞ、という感じの食生活を送るようになった。
思いの外、朝マックのソーセージマフィンが好きだと気付いたので週3ぐらいで食べるようになり、手羽先の素揚げを食べてればそれだけで幸せな人間なんだと悟って毎日のように揚げ、積極的に野菜をとるタイプではなかったのだがトマトスライスにピエトロドレッシングをかけたもの、きゅうりとツナのサラダ、大根の細切りに玉ねぎドレッシングとマヨネーズを和えたものは無限に食えることを知った。冷凍食品ならラージャオ担々麺と冷凍あさりご飯とサヤエンドウのペペロンチーノは自分にとって飛び抜けて美味く、チョコレートは昔から
気持ち悪い男性からのプレゼントを見えない後から捨てるのがそんなに難しいことですか
バレンタインにもらったチョコを隣の駅まで捨てに行くイケメンの苦悩なんて知らなそうだな
隣の駅まで言って捨てに行くサンタクロース
リモワで夫も家にいるし子どもを寝かしつけたらコンビニに甘いものを買いに行きたいなと思っていたけど眠くて疲れていてとてもこの寒い中外に行く気力などわかず。
家に買い置きのお菓子は全部子供が食べてしまったのでトースターでパンを焼いてチョコレートジャムを塗って食べた。夜なのに。
昼間は子供の好きなYouTubeの動画を垂れ流しで自分の見たいものは見させてもらえないので子供の寝てるこの隙に何か見ようかとテレビをつけたけど、ニュースは全然頭に入ってこないし、とにかく色んなことで気持ちが荒んで仕方ないのでジョーカーの良いところから見始めることにした。
良いところというのはランドルと同僚がジョーカーの部屋を訪れるシーンあたりからぶっ壊れた車の上で踊るシーンあたりまでです。本当は正しくない楽しみ方なんだろうけど燃えるゴッサムシティは美しくてとても癒やされる。私の代わりに暴れてくれてありがとう。おやすみなさい。
在宅勤務9ヶ月目。
やらなきゃいけないことが山積みなのに手が動かない。
今日もボーっと午前中を過ごし、昼休みはご飯食べずに毛布にくるまり、もういやだーっ! と叫びながら13時過ぎに仕事用のPCに向かう。
返信が必要なメールにもチャットにも返信ださず、はてブやらYahoo! ニュースやらをみて時間が過ぎている。
お酒を飲めばこの鬱々とした気持ちも多少前向きになって、仕事のパフォーマンスも上がるんじゃないかなあと思った。
だけどその一線を越えたら多分もう戻って来れない。
チョコレートをもりもり食べながら、どうすればいいのかではなく、どうしてこうなったのかをぐるぐる考えている。
あとは任せた、数分後の自分。
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。
本当に「発覚」で使い方はあっている。
子どものころ、親からあらゆる虐待を受けてきた。殴られて首の骨がずれたことや包丁を向けられたこともあるし、おぞましい体験もある。テストの点数を見せて平均点以下だったらぶん殴られる生活だった。交友関係の自由はなく、男子から電話がきただけで2時間正座で説教だった。
父と母、双方のクワイエット不倫の結果、母は最終的に焼身自殺を選び、父や周りからは「親が自殺した人間の娘など貰い手もない」「鬼畜生の娘だ」「お父様に一生孝行して尽くして、結婚するとしたらお父様が連れてきた人でないといけないよ」とかさんざん言われた。
そんななかで出会った現在の夫は、私にとってまさに「白馬の王子様」だった。
修羅の国みたいな環境に包まれていたが、私は恐ろしくまじめで、男性と付き合ったこともなかった。18と22で出会って、23と27で結婚。育ちよく人柄よく文武両道で努力家で大学院卒業の夫と私では、とても釣り合いがとれていなかったと思う。
でも、菩薩様と仏様みたいな義両親は、過去をつまびらかにした私に対して、「よく生きていてくれたね」と言ってくれて、それからの15年、本当に掛け値なしに、私はとても幸せだった。
そしてその15年のなかで、私は自分の会社を立ち上げ、そこそこにした。夫と義両親が、私に対して「正しい自己肯定感」を与えてくれたから可能だったのだと思う。
私は妊娠が怖かった。
私の家庭はいつも怒鳴り声と暴力と理不尽さに包まれていたし、お前なんか生まなければよかった死んでくれこんな子は私の子じゃないという言葉は私にとってありふれたもので、だから子供=邪魔物という認識しかなかった。ない。
だから結婚するときも、「私は一生涯子どもを作らないと思う、それでもいいか」と聞いた。
夫は「それでもいい、ただ考え方が変わったらいいね」と言っていた。私もそう思った。考え方が変わって、多くの人みたいに「子どもを欲しい」と思えたのならば、それはきっと幸せなことだっただろうから。
それから15年、本当に夫は私によく添ってくれた。ご両親からは「ま~子ども生むなら早い方が楽だけど(これは本当にそうだろうから、嫌でもなんでもない)、いなければいないでそれは貴方たちの選択だからね」と言われていたし、せっつかれたのは本当にたった1度だけだ。そのときも、私の伝え方が悪くて誤解が生じたがゆえのこと。
私は38歳になり、心境が少しずつ変わっていった。「絶対に欲しくない」は「欲しくない」に変わり、「欲しくはないけど、いてもいいかもしれない」に変わった。
なので、夫と話し合って、妊活だけ始めた。いなければいなくていい、いたらいたで楽しいかもしれないと。
妊活の最中で、自分の気持ちが、「欲しくはないけど、いてもいいかもしれない」から「欲しい」に変わるかもという期待もあった。
年齢制限と、よく私のことを知る周りからの「いなくても君たちは幸せだろうけど、少しでも『いてもいいかも』と思う気持ちがあるのなら、妊活してみたらいいんじゃない? やらない後悔よりもやってからの後悔の方がマシだと思う」という後押しもあって。
積極的な不妊治療はしなかったけれど、双方の同時検査で「私は問題なし、夫は加齢によるもので合格ラインよりも10パーセント下程度」となった。あとはタイミング療法だけでとりあえずいきましょう、と。
まさかその2か月後に、子どもができるなんて思いもしなかった。
私の夫は、菩薩様と仏様の間の子どもだけあって、非常に人間ができている。私の体調不良にも、精神の不安定さにも、彼はどこまでも寄り添ってくれるだろう。
今だって、家事の7割を担ってくれているのは夫だし、ハウスキーパーを提案してくれたのも夫である。
育児も絶対にやってくれるし、育児休暇も取得するし、フットワークもすさまじく軽いし、20年付き合ってきて一度も彼の誠実さを疑ったこともない。
ダブルインカムだけあって、まぁ世帯年収がだいたい1500万円くらいで生活に不安はない。快適な家があり、心優しい義両親(そのうえ義母は医師なので医療的知識もある)もいる。実親はひどいもんだけど。
基本的には仕事の調整は自分でつけられるし、病院に行くために仕事を休む……という経験をしたこともなかった。
この年齢で、妊活2か月で、しかもほぼ自然妊娠に近い形で妊娠できるのは、奇跡ともいえるんだろう。
私は実はソムリエである。そしてソムリエになるくらいだからわかって頂けると思うのだけど、酒好きである。妊娠発覚前日も、「まぁ妊娠したら飲めなくなるしな!」と思いながら、仕事でワインを1本分程度飲んでしまった。
そして私は、生魚も好きだし、チーズも好きだし、チョコレートも好きだし、コーヒーも好きだし、つまり妊婦にとって「悪い」と言われるものが全部すきだ。
こういうことを言うと、ぶったたかれるであろうことはわかっている。いろいろ調べてみても、「出来ない悩み」や「うっかり飲んでしまったこと」に悩む人は多くても、私のようなクソみたいな悩みを抱えている人は多分いない。
私が一人だけで立ち上げた会社は、私自身がメインのソムリエであるため、私がいなくなれば掛け値なしに間違いなくつぶれる。というか、開店休業状態になる。
肥溜めみたいなところから這い上がってきた私が、私自身の力で立ち上げた、私が大好きな会社は、おそらくここでついえることになる。
私が好きだったお酒も、私が好きだった釣れたての刺身も、私の研修でもあった年に3回の渡航も(もっともこれはコロナがあるからどっちにしろ無理だけど)、私の大好きだった夜更かしも。
夫は非常に優しいけれど、子どもを切望していた夫の生活には少なくとも大きな変化はない。
だけど私は、仕事ができなくなるし、好きなものも食べられなくなるし、体調不良も抱えて生きていくことになるし、そのうち店にも出られなくなるだろう。
私は家の近くに会社を建てたため、保育園や幼稚園に預けたとしても、熱が出れば迎えに行くのは私だ。夫はたしかに協力的だけど、夫の会社から家までは2時間かかるので物理的に絶対に無理。
私は我儘だし、子どもだし、身勝手だ。完全な覚悟ができて妊活を始めたわけではなかったし、生理がくれば安堵もしていた。今だって、どこかで「間違いであったらいい」と思っている。
私がまだ20代の前半くらいならば迷いも当然のものと受け入れられようが、アラフォーになって、しかも妊活をしてでさえこのありさまだ。だれも同じ悩みなんかない。あるはずがない。もしあったのならだれか本当に教えてほしい。
酒のみで、自身のキャリアを構築していて、でも妊娠をすれば物理的にその仕事を続けていくのは不可能で、という人に教えてほしい。
その悩みはどうやって克服したのかと。私の悩みは「私」自身の考え方に終始してしまっているけど、みんなすぐに「良いお母さんになろう」って思えるの? 楽しかったこととか全部封じても?
もしも子どもに障害があったら? 子どもが自殺してしまったら? 子どもが犯罪者になったら? 子どもが殺されてしまったら? そんなこと、だれも考えないの? 私は周りで、横に書いたこと全部が起きたのだけど。
「ずっとだれかがいる生活」「自分の楽しいことをキャリアを諦めて生んだ、それでも反抗期がやってくる子ども」を、だれも怖いとは思わないものなの?
自分だけが努力してできることではないことが、生活のなかに入ってくることが、ただ怖い。もともと変化に極端に弱いから。こんな風に、自分のことしか考えない私は、多分母親になる資格などない。
分かっている。覚悟がなかったのならば、選択をしなければよかっただけ。過去のことは、考え方のベースにはなっているけれど言い訳にはならない。アラフォーなんだし。
すべての結果は、すべて私自身の選択だけによるものだ。だからこれは、たぶん、匿名でしか言えないような、「妊娠が発覚した」ときの話。