はてなキーワード: アダルトチルドレンとは
抑圧されて自分が無くなったやつ、反発して自己主張強い暴れるようになったやつ、人格分裂して普段は無なのに刺激与えると急に怒鳴りだすやつetc...
こんなに人格のいい人間がこの世に存在するのか…と中学のクラスメイトに感動して仲良くなり家に呼ばれたら親も人格者で怒鳴り殴り罵倒してくるうちの親は一体何なのだろうと悲しくなった経験はあるか?
二言目には「こんな親に育てられたせいで自分の意見が言えません(泣)」みたいなのがもう本当におなじみなんだけどさ
というか突っ込みたくて仕方がない
「お前らもう十分すぎるほど自己主張できてんじゃねえか」と
この手の話題はネットじゃ頻出すぎてもううんざりなレベルだし、テレビなんかでも結構な頻度で出てきやがるし、そもそも本だってポンポン出てる
そんだけネットにもリアルにも似たような主張ばっか氾濫させておいて、なーにが「自分の意見が言えません」だよって、鼻で笑っちゃうだろそりゃ
もちろん本当に主張ができないACの皆様は観察できないし、そういうことは最初からわかりきってるんだが
しかし「主張ができない」なんて真っ赤な嘘をつき、ネットで暴れ回るのだけはいただけない
単純に自分も「支配する親の側」に回って、他人にそういうコミュニケーションを押しつけたくてしょうがない
そんな願望を持った奴らがわめいてるだけのようにしか思えない
日本社会における病理、他国と対等に関係を築けず、少子化か続き、常に何かに怯えるような病的で不幸な社会を作り出している原因は現在のポリコレではないだろうか。
性的なものを嫌悪し、プライベートな空間を否定し文句をつける。「男性性を批判し反省しろ」だの罪悪感を持つことを強制したり
ジェンダーレス絶対とし、ルッキズム・エイジズムを一片も許さない。自分が達成できなかった夢や理想、社会に押し付けて常に呪いの言葉を吐く
そしてそれらを「あなたたちのため」と言い譲らないのだ。
毒親の定義、恩着せがましい・過保護・過干渉・否定・罪悪感の植え付けとポリコレは同じことをしている
彼ら、彼女らは自分は子供を持たなくなった代わりに、民衆に対して父性・母性を発揮しようとするが
毒親に育てられた為に健全な関係を築く事ができていない。幸せでありたいと願いながら、同時に圧倒的支配者である父と、管理する母親を求めている。
そんなポリコレを作り出したのは確かに、性的役割を重視し押し付ける毒親、過去のポリコレである。
このままだと社会全体がアダルトチルドレンとなり、不幸に漬かることを当然とし、それを永遠に、無気力に再生産する不幸の星になる。
創作上のキャラクターの好きな属性としてのマザコンとか母性とかインナーチャイルドとかアダルトチルドレンみたいなそう言ったものについて考えてるんだけどマザコンは大きく分けて2種類あると思っている。
母親の愛情を過剰に受け取って育ったり母親を意識的/無意識にも神格化しすべての女性の基準が母親な人間。二言目には「うちママはこうだったけどな」とか言うタイプ。
わかりやすく既存のキャラクターで言うとドラえもんのスネ夫がそれである。
もう一つは『母親の愛情を充分に受け取れなかった為大人になっても母親の愛を求めているタイプ』
死別とかネグレクトにより本来子供のうちに得られるはずだった母の愛を得ずに大人になってしまい、いつまでも母の愛情を求めてしまう人間。
既存のキャラクターを使って例を挙げると、その中でも母の愛を配偶者とか恋人に求めるタイプがガンダムのシャア、母親本人に求め続けるタイプがブレンパワードのジョナサンだと思う。2作とも富野由悠季ですまなない。
私はこの後者の母親の愛情を充分受け取れなかったタイプのマザコンキャラクターが好きだ。女性キャラクターだとエヴァのアスカも好きだ。
普通子供は親から与えられる愛情を受けて育ち、成長とともにそれを受け取らなくなる。そしてそれを今度は恋人や配偶者に貰ったり、自分が愛を与える側になったりして大人になってゆく。
しかしこのマザコンは年齢だけを重ねて見た目は大人になったけれど中身はいつまで経ってもママの愛を求める子供だ。
現にシャアは(ロリコンも発症している為)年下の少女ララァを母になってくれるかもしれなかった存在として死に至るまで彼女の幻影を求め続けたし、自身に父親を求めたクェスのことは受け入れられなかった。30も半ばをすぎていてこれだ(見た目は頼り甲斐のある大人の男性のシャアの中身がアムロにも引かれるくらい子供を拗らせているというギャップが好きだ)
ジョナサンのほうはもっと悲惨だ。彼は幼少期に多忙な母親と過ごす時間を充分に得られなかった為大人になってもいつまでも母を求めている。ジョナサンの有名なセリフ「クリスマスプレゼントだろ!」にそれは凝縮されているが、大人になって自ら母親と離別してからもずっと子供の頃のクリスマスの悲しい思い出をひきずっている(彼の方は母親にも問題がありそれを指摘されたことで母親までも発狂してしまうのだが)
そんな悲しきマザコンたちが私は好きなのだが、この愛情を与えられた者、与えられなかった者、正反対の2者がどちらも「マザコン」という雑で大きなくくりで呼ばれるのが少し悲しい。かと言って別の呼称も思い浮かばない。
マザコンというとマイナスイメージが強い印象があるが、この悲しき愛を得られなかった大人たちは創作上のキャラクターとしてはとても魅力的だと思う。
彼らにとって体制側とはリベラル思想の世界であるので、それに反発しているわけだ。
だがこの反発の正体は社会の革命などという大それたものではなくもっと家庭的な問題に起因している。
もともと日本の戦後左翼は自分の親(この親も戦争でPTSDなど抱えていた可能性もあるが)と折り合いがつけられなかった子供たちによって構成されており、
現代の見方で解析するなら恐らくはアダルトチルドレンに属するだろう人々だ。
それと同様、トラウマを治療することなく自身の家庭問題を逃避する形で、怒りだけを社会に持ち込んで居場所を作り出した、それがネトウヨコミュニティ。
では俗にパヨク(支流には俗流のフェミニズムや弱者男性論も入る)と呼ばれている人々は何かというと、これはネトウヨとコミュニティが異なるだけで本質的には同じなのだ。
彼らもまたアダルトチルドレンである。だがこちらはもう少し複雑な状況である。
ネトウヨコミュニティは男性が先に作り始めたが故に基本的に男社会なので、男性的でない男性や女性には入りづらい。
だから周縁的な人々がしばしば行きがちな外国への憧憬に寄り集まり、海外で流行っていた「リベラルっぽい」集団を形成した。直接向こうでリベラル思想を学んできた人々としばしば正反対の言動を取るのは彼らが学問として体系的に取り込んでこなかったからである。
つまりパヨク世界はネトウヨに対するカウンターカルチャーである。
だがどちらも確固とした社会思想も信念も持ち合わせていないうえに、そもそも本当に社会をよくしたいとは思っていないため、同じ相手と同じ問題についていつまでも解決しない論法によってぶつかり合い、非建設的な言い争いで延々と絡み合い続ける。傷のなめ合いや互助を反転させた関係だ。
ただ生きているだけでちやほやされていた年齢は過ぎ、女としての価値が落ちた年齢になった。
この歳になって初めて気が付いた。私は子供ままこの年齢になってしまった。
正確にいうと、私のことを大切に思ってくれている人とは付き合えない。
自分の行動や性格、金銭感覚、生活習慣何もかもが酷い。このまま生きるとどうしようもない年齢で皺寄せが来ることがわかっている。
だけどそれを正しく指摘し叱ってくれる人が苦手だ。ストレスが溜まってとても一緒にはいられない。
つまり私のことを大切に思い本当に愛してくれている人からのアプローチはただただ苦痛でしかない。でも異性に愛されていたいとは思う。
だから浮気か不倫しかできない。好きではあるけどさほど愛してないしそこまで大切ではない、そのくらいの距離感で異性と付き合うことでしか私は私を保てない。
家庭的な問題がなかったと言えば嘘になるが、私は所謂アダルトチルドレンに該当しない。虐待も受けていないし親はネグレクトでもなかった。
でも私の中身は直訳するとアダルトチルドレンであり、つまり精神年齢が本当に子供のままこの年齢に差し掛かってしまった。
今後のことを考えて、社会常識として、そんなことどうだっていいと思っている。今の自分が幸せであることが最優先であり、そうでないとストレスで死んでしまうとさえ思っている。
だから私は自分の生活のだらしなさを誰かに指摘され矯正されることで大人になろうとする努力をしていない。
没頭できる趣味はある。ほとんどの時間は1人で過ごすことができる。ある程度仕事はできる。一人暮らしができる。
しかし彼氏と呼べる存在も結婚相手もいない。結婚願望もない。ただその時に都合のいい男を探して不倫や浮気に没頭しているだけ。
Twitterにいるフェミニストと自称している人をリストに100人ほど入れて暇な時に眺めているのが趣味だ。
そこで得た気付きをここに記す事で共有していきたいのがこの増田の目的だ。
ほぼ朝から深夜にかけて生息している。
朝起きたらまずニュースのRTから始まる。そして知識人のようにツイートをするが専門家ではないので内容は全く的を射ないのが殆どだ。
一人ワイドショーが終われば次は子供や旦那に対する不満や愚痴が始まる。殆ど似たり寄ったりなのでこればかりは全世界の主婦さんお疲れ様ですとしか言えない。
しかしここで子持ちか子持ちでないかで傾向が若干異なってくる。子持ちは国や家族の将来の不安などを視野に入れているのかどこか現実的な部分が見られる。
子供持たない主婦は旦那への不満が多く、現状ばかり文句を言っていて若干お姫様体質が多いように思えた。
そして旦那が家事をやってくれない系のツイートにはどちらも食いつきが良い。お前昼はずっとTwitterとソシャゲとドラマばっかして家事してないだろって主婦(主婦?)もやたらと食いつく。
中には旦那だけは好きだけど他の世の中の男性はマジファックだという主婦もいる。不思議な事にメンヘラを患っている率が高いので旦那をパートナーってよりご飯を食わせてくれる人形として見ているかもしれない。
アダルトチルドレン(以後AC)という言葉自体を聞くの久しい人がいるかもしれないが今も深刻な問題として力強く根付いているのである。
親からの愛情不足、または親の不仲、離婚などから来る結婚に対する不信感が拗れた結果ツイフェミに目覚める人がわりかしいる。
中には父親からの暴力がトラウマで男性そのものを心底から怯えてしまっている人もいて、それは可哀想だとは思う。
しかし結婚というより男女の恋愛に対して不純なものと見なしてしまう人も一定数いて、そこから極端となると反出生主義に走るケースも見られる。
このACツイフェミの多くはこの世に対する憎悪や怒りが根底にあってそもそも私がこんな目に合うのはこの家父長制が全ての元凶なのだと、それによるホモソーシャルや女性を性的搾取する強者こそが
我々の敵であり打ち倒せばきっと平和な世界が訪れるのだろうという分かりやすい魔王を作り上げる事で自分を奮い立たせている。
だから自分の人生がどうしてこんなに幸せになれないのかという思考が前提にあってフェミニストのいう男女平等とかは彼女らにとってはどうでもいいように思える。正確にはフェミニストではないかもしれない。
だがそれでも彼女らは自分を魔王を倒しに行く正義の味方なのだと振舞っており、もし彼女らにとって都合の悪い情報が入ってもそれは一切見ないようにして
男性でも弱者はいるという現実も彼女らは絶対に認めようとしないのである。男性の時点で加害者であり魔王なのだという前提が彼女らの心の支えになっているのだから。
親の都合で不幸になるのは同情するし、出来る事なら幸せになって欲しいのだが他人の弱者を見て見ぬふりをしたり踏みつけて良い理由にはならないのもいつかは気づいて欲しい。
はっきりいってこの生態はクソオブクソである。
腐女子なので男性向きの漫画やアニメを好んで摂取している傾向にあるのは言うまでもないが
男性をターゲットにしたからこそのセクシー描写に対してやたらと厳しいのである。その時にお決まりの言葉が「この作者古い価値観のままで、アップデートしてない・・・」だ。
ちなみに俺はセクシー描写ぐらいはいいと思うが、セクハラ描写に対してはやや否定的な立場なのでラッキースケベで胸を掴んだりとかはどうなんだろうとは思うし
何よりも権力を利用して相手の身体を弄ぶようなパワハラでもあるセクハラが俺も到底許せないと思う。こればかりはセクハラに文句を言う腐女子の立場も理解できる。
ところがその男女間のセクハラにやたら厳しいはずの腐女子がハマっているコンテンツやその二次創作を目にすると何とも驚くのが
セクハラしまくりなのである。胸をまさぐるし、しかも上司が立場を利用して部下を脅したり(逆もあるけどそれは割愛)と権力によるセクハラが普通に好まれているのである。
純愛だからいいんですといってもどう見ても相手嫌がってるんですがそれは。フィクションだからいいんですといったらさっき上で言ってた女性へのセクハラもいいんですってなるぞおい。
そう腐女子フェミニストはとにかくダブスタしまくりである。自分の言った言葉が見事に自分がやってる事に刺さりまくりなのである。
しかし腐女子はそれを絶対に認めようとしない。BLは尊いだとか素晴らしいとか強引に理屈をつけて男性が考えるセクハラとは違うんですと開き直ろうとしている。
それ以上に厄介な問題もある。鍵をかけているのならともかくとしてTwitterというオープンな世界で腐トークを撒き散らすのである。
文が得意とする腐女子は長文感想(ツリーが10個ほどある)垂れ流したり、絵が描ける人はドキツイ二次エロを放流したり、それに対して絶賛しまくる腐女子。
女子の中でも腐女子はお気持ちが本当に強すぎるのである、感情が魂と直結してしまっているのだろうかとにかくいきなりお気持ちを爆発するので周囲にとっては自爆テロに等しいのである。
腐女子は学級会を行って度が越えた行為や発言は控えているとはいうがSNSが浸透してからはその自浄作用はぶっ壊れているように思える。
二次元の男性は好きだけど三次元の男は嫌いですというのはオタク特有の理由だろうからそれは別にいいとして
BLというのは実際に男性を性的搾取するのが前提のコンテンツなのは間違いはないし、ましてやゲイではないキャラクターを強引にゲイにして入れるか入れられるかの組み合わせにするのは正直どうかと思う。
はっきりいってBLは多くの人に見逃されているコンテンツともいえる。ポリコレで言えばグレーすぎるしもしもゲイ達が立ち上がってBL反対運動なんて起こせばBLは簡単に吹き飛ぶのである。
地上波でBLドラマが流れても不快だ!セクハラだ!と怒る男性はいたのだろうか?嫌なもの観ちまったなとそのまま黙って終わるのが殆どではないだろうか。
はっきりいって腐女子はよそ様のコンテンツに物申せる立場ではないのだ。更に言えばフェミニストという視点からでも一番遠い立場にいるのが腐女子なのだ。
それなのにフェミニストですが何か?って厚顔無恥な腐女子がなんと多い事か。フェミニストでもなくむしろ足を引っ張っている立場だというのに。
BL好きならばゾーニングを心がけたり、SNSのようなオープンの場所で下ネタだらけのトークなんかせずにその専用のアカウントを作って鍵をかけて欲望を吐き出したりと色々と工夫はあるはずだ。
「趣味があれば他はいいや」という価値観、過去に持っていた。趣味以外に楽しいと思えることがなかったのだ。
真面目に学生生活を送りすぎて青春なんてこれっぽっちもなかった。厳しくて過保護な親に育てられたことで、洋服1枚買うだけでも親の顔色を伺っていた。
人間関係も趣味も勉強もバイトも、全て親が喜ぶことを考えて生きていた。
そんな環境で育ち、大学生~社会人になった私は「趣味」を知ったのだ。好きなことを好きに楽しめる幸せを生まれて初めて知った。
相変わらず人間関係と仕事関係は親の顔色伺い。趣味だけが生きる意味だった。趣味の楽しさを知らなかった頃は、大人になった死ぬつもりだった。だって生きることは楽しくなかったから。
人にこの価値観を押し付けることはなかったが、趣味のない人はなぜ生きている?という疑問は常々ある状態。
今は親の顔色伺いをやめ、恋愛を楽しみ、結婚もし、子どももいて、普通の人の幸せな日々を過ごしている。
「趣味があれば他はいいや」という価値観、確かに異常だった。傍にそんな人がいたら声をかけてみてほしい。普通の家庭で育てば知れる幸せの感情が欠けている可能性がある。