はてなキーワード: 縁故とは
1987年生まれは、就職活動期(2009年)にリーマンショックによる企業の新卒採用縮小のあおりを受け、就職に苦労した世代だ。
三学年くらい上〜一学年上の代までは売り手市場と言われ、就職氷河期からは脱したと思っていた。だがリーマンショックで事態は急変、回復傾向から急落した。
第一志望だった企業は採用活動さえしていなかった。後から聞いたらその年は縁故入社のみであったらしい。
子供を産んでからでも転職活動はできると考え、20代で子供を産もうと思った。
その後の景気回復を横目に転職活動も考えたが、自分の仕事の忙しさに加え妊娠出産育児に追われて思うようにいかなかった。
最近、氷河期世代の就職支援案が叫ばれているが、1987年産まれは対象外になっている。
知り合いと飲んだら、過去の私と同じような状況であの日々を思い出して吐き出したくなった。
当時私が参加していたチーム・プロジェクトは美味しそうなFWを使っていた。
サーバサイドのエンジニアは片手ほどの人数で、採用時点でそのFWの経験があることを確認されていたし、別チームから転属してきたメンバーも何らかのMVCでWSGIなFW経験があり、わりとサクッと順応していた。
前職では業界未経験だったり、経歴を盛っていると思われるエンジニアもどきと仕事していたので、普通に公式ドキュメントを読み、FWのソースコードを確認することができる同僚との仕事はおもりがなくなったようで気楽だった。
3年前の夏、サーバサイドのチームに新人のN氏が加入した。新人と言っても別チームから来た年上の業界経験豊富なインフラエンジニアである。
別プロジェクトのクラウド化や縮小が当時の1年半ほど前から進んでいて、社内のインフラエンジニアはSREに名前を変えるような流れがあった。(実際にはインフラ、ミドルウェア、ネットワークに長けた彼らは相変わらずそれなりに仕事があったようだが)
その流れの中でN氏は、サーバサイドエンジニアをしてみようと決めたらしい。転向については1年前から部長に相談していたとのことだった。しかも、うちのチーム名指しで。これはちょっと嬉しかった。
さっそく、N氏には社内向けの新機能を担当してもらい、私がレビュー担当になった。
これがなんというか読むのが辛かった。確実に言えるのはチュートリアル絶対やってないということだった。
機能は満たすが、FWの書き方やお作法については部分的にググった結果がパッチワークされているような。
社内の各チームのアーキテクチャはエンジニアならだれでも知っていた、つまりN氏は知っていながら特に準備なしでやってきたわけである。
そこから始まる、レビューを通した実プロダクトを使ったチュートリアル。褒めるとこは褒めて、受け入れられないところは参考になる実装やドキュメントを提供する。
はじめからチュートリアルを一緒にこなした方が良かった。レビューで大幅に書き換えてもらうのは結構辛い。勿論プロダクトに使えるレベルのコードじゃないから仕方ないんだけど。
しかもN氏、臭いのである。脂汗を吸った服、毎日履いてくるジーパン、脱いだのが瞬時にわかるほど臭う靴。
当時は Visual Studio Live Share なんて無いし、ペアプロは5分で限界だった。
がっつり書き直しが入るようなコードの卒業には2ヶ月ほどかかった。(これは私が時間を十分にとれなかったのも悪かったし、N氏は前のチームの引継ぎ作業も並行していたので)
もう、色々思い出して悲しくなったから書いとくと
ちなみに知り合いのところは、最近の天気のせいなのか生乾き臭マックスの縁故入社の新人とのことで、当時彼にしてもらったように「ガンバ」と背中叩いておいた。
N氏は今も臭っているようだが今は別プロジェクトだ。スキルセットが増えている分、頼れるエンジニアに近づいたのかな。喉元過ぎればなんとやらで、忘れていた。
最近は私が別チームからの支援できた若手のフロントエンドエンジニアにレビューしてもらっている。
チュートリアルこなして、書籍や記事を読んで手を動かしたうえで相談をしながら実装を進めている。あんまりなものは見せられない。
我が子はいわゆる発達障害児だった。小さい頃から東大を目指してがんばってきたわけではない。周りの子供と同じように田舎の公立小中学校へ通ったし通塾などはしたことがない。本人が「自分と話が合う人が多そうだから」と希望したので高校は私立へ進んだが、受験直前も夜10時には寝ていた。彼にとって、中学までの学校生活はつらいことも多かったと思う。けっこうトラブルもあった。高校では水を得た魚のようで、本当にほっとした。同級生は我が家より裕福な家庭の子弟が多かったが、特に疎外感をもつほどではなかったようだ。
夫はサラリーマン、私はパート主婦で、東大へは「行かせてやれないことはないが余裕はない」レベルの経済状況だ。本人が東大を志望し合格した時は、もちろんうれしかったが不安も大きかった。彼に一人暮らしができるレベルの生活能力があるとは思えなかったし、十分なサポートをするだけの時間的経済的余裕が我々夫婦にはなかった。危惧したとおり様々なことがあった。今も、このまま無事社会にでて自立してくれればと祈るような気持ちだ。
実は、私自身も今なら発達障害者と言われていただろう人間だ。親や周りからぼこぼこにされながら生きてきた、という恨みのようなものも抱えている。反面、「出来が悪い普通の人」として生きてこられた自分は「恵まれている」という思いもある。我が子は、東大に入ったことで、かえって生きる道を狭めてしまったのではとすら考えることがある。
彼は「東大なら自分の能力が生かせる」「自分と同じような人、もっとすごい人と出会える」という希望を抱いて東大に入学したのではないだろうか。しかし、本当にそうだったのか。上野氏の祝辞は、彼に響いただろうか。東大にあの言葉が響く「恵まれた」学生が多いのなら、私は失望しかない。「恵まれた」とカッコ書きにするのは、彼らを恵まれていると思えないからだ。肥大化したエリート意識を持ち想像力が乏しく、東大合格によって自分の将来が約束されたと誇らしく思う人々、上野氏の祝辞で言及された社会の諸問題や「恵まれない人」のことを今まで考えたこともなく、「初めて考えた、心に響いた」と思うほど無知で愚かな人々…彼らは本当に「恵まれている」のか?
いわゆる裕福な家庭で小さな頃から学力を高める教育を受けてきた子、そういう子に負けずに「エリート」へのパスポートを得ようとがんばってきた裕福ではない家庭の子、東大にはその二者しかいないのか? いってみれば「東大くらいしか行き道がなかった」子は少数なのだろうか。学問の道ならば自分の生きるすべがあると希望を抱いて入学する人々は、この大学には数少ないのだろうか。
上野氏の祝辞は少なくとも私には響かなかった。全体に雑で学者なのか疑わしく思う。「自閉症はマザコンのせい」といったとんでも発言で名を馳せた人らしいですね、と皮肉をいいたくなった。「弱くダメな人、他者から恵まれないとみなされがちな人」を社会にどう包摂していくか、そもそも「弱くてダメ」「恵まれない」とみなしていることに間違いはないのか、そこに価値がないのかを考えることが学者の仕事では。
人選をした東大もどうかと思う。コミュ力が高くてはったりが効く外部の人間を人寄せパンダのように登用するのはやめて、大学でしっかりと研究をして実績を積んだ人々を縁故や世間受けなどと関係なく登用していくほうが(されていないとはいっていない。実態を知らないので)、長い目で見れば大学の価値を高めていくのではないだろうか。
数年前に辞めた会社の話。
自分は第二新卒で入った比較的若手で、地方の中堅都市にある地元では大きめの会社に入った。
現場仕事中心だったこともあって自分のいた部署は9.5割が男性で、女性は経営者の縁故で事務やってる人畜無害な50代くらいの人だけという状況だった。
部内のメンツは大きく地元から出たことない高卒~高専卒組と、UターンもしくはIターンでそこそこの大学を出た組に分かれていて、数的には地元組が8割くらいでグループっぽいものを作ってた。
自分は後者の方だったが、あまり目立ちたくないということもあってできるだけ空気のように働こうとしていたが時々地元組の年長者から当たりが強い言い方をされることとかあった。
それでもまあまあ数年くらいはそれなり順調に仕事をしてきたのだが、あるときから急に周囲に無視をされるようになった。
何か仕事でミスをしたという覚えもなかったので最初は挨拶をしても無視されるのを気のせいかと思っていたが、どうやらそうではないということをあとから人畜無害の事務の人から教えてもらった。
もともと自分の言葉遣いとかが気に入らないと陰口を言われていたようだが、少し前の仕事で先輩社員を通さずにミスの処理をしたということが知られてそれからグループぐるみで無視しようぜということになったらしい。
ちなみに言葉遣いというのは四字熟語とか、漢字2文字系(「組み立てる」を「構築する」みたいな言い方するような)とか使うのが気に入らなかったとか。
その無視というのが40過ぎのオッサンがやることかよというくらい幼稚なもので、こっちが挨拶をしたらわざと無視して、自分が席についたら後ろからクスクスと笑い声を聞こえるようにやったり、冠婚葬祭のときに「部署一同」として出すようなお金に声をかけてくれなかったりとかいう感じ。
必要な用具を隠されたこともあったし、ベテランでも難しいような仕事を「○○大学を出た増田君なら余裕だよな」と言って放り投げてきたりというようなこともあった。
結局そんな職場にしがみついているのが馬鹿らしくなってそのあと少しして辞めた。
んで、そんなことがあったということを少し前に姉につい酒の勢いで愚痴ったところ冒頭の「女みたいな男がいる職場だね」というようなことを言われたというわけだ。
自分がいた職場はどちらかといえば体育会系な男ばかりの場所だったので、そういう感想が出たのがちょっとおもしろいなと思ったので書いてみた。
原文:https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2675_6508.html
尤もっとも多い中には万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽あきが来て、又新しいのを手に入れたくなり、之これを手に入れて少時しばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、夫それから夫へと各種のペンや軸を試みて嬉うれしがるそうだが、是これは今の日本に沢山たくさんあり得る道楽とも思えない。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。
自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。
万年筆に就ついて何等の経験もない余は其時丸善からペリカンと称するのを二本買って帰った。
そうして夫それをいまだに用いているのである。
其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。
夫それでペリカンの方でも半なかば余に愛想あいそを尽かし、余の方でも半ばペリカンを見限みかぎって、此正月「彼岸過迄ひがんすぎまで」を筆するときは又一ひと時代退歩して、ペンとそうしてペン軸じくの旧弊な昔に逆戻りをした。
酒呑さけのみが酒を解する如く、筆を執とる人が万年筆を解しなければ済まない時期が来るのはもう遠い事ではなかろうと思う。
ペリカン丈だけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。
ペリカンを追い出した余は其姉妹に当るオノトを新らしく迎え入れて、それで万年筆に対して幾分か罪亡つみほろぼしをした積つもりなのである。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。
自白すると余は万年筆に余り深い縁故もなければ、又人に講釈する程に精通していない素人しろうとなのである。
そうして夫それをいまだに用いているのである。
其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。
ペリカン丈だけの経験で万年筆は駄目だという僕が人から笑われるのも間もない事とすれば、僕も笑われない為に、少しは外ほかの万年筆も試してみる必要があるだろう。
万年筆の最上等になると一本で三百円もするのがあるとかいう話である。
そうして夫それをいまだに用いているのである。
其上無経験な余は如何いかにペリカンを取り扱うべきかを解しなかった。
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弟に鳥アレルギーがいるから、私の楽しみは学校帰りにKFCで好物のチキンを食べることだった
ある日研修中の札をつけた40歳過ぎくらいのレジスタッフが入ってたんだけど、私がいつも予約してて、グルメ券とポイントカードとポンタポイント併用したり、クーポンと無料引換券と割引券を同時に出したりとイレギュラーなことをするので、一生懸命操作を思い出しながらレジを打ってくれてた
たまに間違えて若い社員さんに怒られてたりしてたし、私も学生でセコセコしたクーポンの使い方してたりしたから申し訳ないなと思ってたんだけど「いつも勉強させてもらってます、ありがとうございます」って私みたいな小娘に笑顔で言ってくれる人で、私もその接客見習いたいなと思ってた
みなさんは #オリジナルチキン がどうやって作られているか知っていますか?🐔🍗
毎日お店で手作りされているからこその美味しさ✨
カーネル・サンダースから受け継がれた伝統の味、ぜひ食べてみて! pic.twitter.com/drGFweQfMV— ケンタッキーフライドチキン (@KFC_jp) 2018年9月8日
私のバイトは受付事務だったんだけど、パソコン操作がメインで受付に立つことが無かった
だけど三年目の夏休みのバイトで、受付専門の人が不幸ごとで急にやめちゃって、私も受付の仕事を手伝うことになった
だけどやっぱりパソコンに向き合ってるだけの仕事とは違って、気遣うことがいっぱい
そんなときもKFCのことを思い出して、あの人みたいになろうと笑顔で頑張ってた
無理難題を言われても、「これも勉強!」と思うようにして、相手は私に新しいことを学ぶ機会をくれてるんだ!と思うようにした
そしたら勘助たちにストーカーされた
「勉強させてもらってるなんて、俺を慕ってるから言うセリフに違いない」
「謙虚さと愛嬌と忍耐を兼ね備えた理想の女性を俺にアピールしてきたんだ」
と何人かの男性に言われて仕事中に口説かれ、仕事終わりに追い回された
受付で別の人が対応してたら「花子ちゃん出してよ、花子ちゃんがいい」と言い出す男性もいて、個人的な連絡先を書いたラブレターを渡してくる人もいた
ひどくなると会社に対して私のことを問い合わせる人もいた
他にもなぜか私だけに高圧的に怒鳴りつけてくる男性もいた
女性にはそんな人はあまりいなくて、嫌味な人はいたけど、そういう人は誰が受付でも嫌味だったし、むしろひとくせふたくせ有るような人は、私が接客すると態度が良いので、いつも私が任されてた
男性に絡まれたときはベテラン受付の人がそれとなく引き継いで庇ってくださってたんだけど、最後には責任者に私は受付に不適任ということで業務を外されてしまった
はっきりと「君はトラブルメーカー、会社に利益ではなく迷惑をかけている。労働の意味を知ってるか?」と言われ、それから半月、出勤したら朝礼のあと1時間、別室で「私は給料泥棒です。私はグズです。私は間抜けです。」等と自分の悪いところを延々言い続けさせられた
ある日耐えきれずに泣いてしまって、部屋から出てきた私を見たベテラン受付の人が「これはパワハラだ」と止めてくれた
そのままベテラン受付の人に外に連れ出され、別室で何をさせられてたのか話を聞かれた
そのときに流れでKFCの人の接客にあこがれていたと話したら「それはねぇ、私達みたいなおばちゃんだからできることで、若さもないおばちゃんだから必要な処世術なのよ、貴方みたいな若くて可愛い子がヘコヘコしてたら男の餌食になるわ」と教えてくれた
それはそれでショックだった
バイト先でパワハラした人は社長の縁故の人らしくて、翌日私に首が言い渡された
ベテラン受付の人が唖然とする私を自家用車て家まで送ってくれて、そのまま父と何か話していた
そして父がバイト先に出向いて、それからしばらくしてパワハラをした人が家まで謝罪に来てた
だけど私は二度と会いたくなくて、断った
私の接客態度を褒める言葉と、あなたのような若くて向上心がある人なら、今後どこに行ってもうまくやれるから自身を持ってという内容の手紙だった
バイト先の他の人たちからも一筆応援のメッセージが添えられていた
私が首になったあと、ベテラン受付の人を含め、皆さん次々と退職されたそうで、この手紙はその直前にしたためられたものだと父から聞いた
職場の人に恵まれて、父に守られてなかったら、男性恐怖症になってたかもしれないと思うと、感謝しかない
みなさんありがとう
🍗 #オリジナルチキン の #温めなおし方 🍗
【オーブントースター】アルミホイルにつつみ180~200℃で5~8分
【電子レンジ】無包装のまま1ピースにつき
500Wの場合:30秒~1分
1000Wの場合:20~40秒
もし、チキンが冷めてしまってもこれで安心😋💓 pic.twitter.com/OEXmgoRioK— ケンタッキーフライドチキン (@KFC_jp) 2018年10月2日 anond:20190710141151