はてなキーワード: 理不尽とは
まぁ落ちも見え見えな話なんだが。
3年くらい前の話だが、当時付き合ってた彼女が、転勤に際して話題の女性専用マンションに入居した。
その時は、まあ知らない土地でやっていくわけだし、その前までは実家の比較的近くの物件に住んでいたのもあって、そういったセキュリティ重視なところに行くのもいいんじゃないと軽く考えていた。
けれども、実際に入居し始めてから驚異的にセキュリティが厳しいことがわかった。
まずエントランスにも鍵、それはいいとして、そこに警備員、監視カメラいっぱい。
そして門限あり(!)。門限って……、なんでお金払って門限あるところに住むのか、甚だわからない。(とはいえ入出記録を書けば時間外でも入れる)
ただ、警備員を24時間置くよりは門限制にした方がコストは安そうだと思う。
それでそんな大層なセキュリティの物件に何度か遊びに行っていた。
で、ある時、彼女の帰宅時間と俺の到着時間にズレが生じた。転勤で遠距離になったのもあって、時刻のズレはままあることだった。
そしてそれまでと同じようにエントランス前で彼女が帰宅するのを待っていた。
おおよそ「お兄さん、ここ女性専用の物件だって知ってる?」みたいな感じで警備員に声をかけられた。
そして急に声をかけられてびっくりした俺の腕を押さえつけた。
強く握られたわけじゃないのに、警備員さんの手がすっごい硬かったのを覚えてる。現在の手の形状を維持する力が強いという感じ。
けど、いきなり屈強な男に話しかけられたらびっくりするわ。
つーか女性専用マンションなのに警備員は男だったのかよ!!ハルの書いた女性専用の街かよおまえ!!
というのは置いておくとして、その時はとにかく「彼女を待ってるだけなんです」と主張した。
おまえも男じゃろがい!と思ったがさすがにリアルには言えなかった。まぁ、相手もお仕事だしね。ただそれまで彼女と警備員室前を通った時はガンスルーだったじゃないの、とも思ったよ。
で、さすがに入居者の許可での侵入だし、許可者の彼女も間もなく帰宅したので、それでお縄にとかいう事はなかったものの、一応住居不法侵入ですよって言われた。
顔見知りの家で不法侵入ってお前……覚えたての小学生かよ……って思うけど、まぁそういう物件なんだししょうがないよね。
そして、遠方から来てる都合、追い返すわけにもいかないので、住居不法侵入ですよって言われた物件に入れてもらう俺。
なんかすっごい理不尽に恥ずかしい思いをしたし、なんか自分が情け無く思えた。
あるけしからん企業に対して不買運動が起こったとき、その企業の従業員は、大した責任も無いのにとばっちりを受けることになるが、それは理不尽ではないか? という疑問ですね。
前提として、少なくともいじめや誹謗中傷などはNGでしょうが、それは不買運動の話ではないので分けておきましょう。
以下では、不買運動 → 売上が下がる → 従業員のボーナスが下がる みたいな状況を想定します。
まず、責任が全くないのかという点を検討すると、「ちょっとはある」という話に落ち着くのではないかと思います。
この責任というのは、たとえ話になってしまうけど、遺産と借金の相続の話になぞらえることができる。以下が一般的な理解かと思います。
ひるがえって、企業と従業員の話をすると、まず、次のような考え方があり得る。
上記を前提とし、不買運動をする人間は、おそらく、従業員に対して次のように思っているはずだ。
上記とは逆の方面からも、たとえば以下のように、いろいろ反論できるはずである。
このような事情があるので、あるけしからん企業に所属しているからといって、特定の従業員を直ちに非難できるかというと、それは違うだろう、ということが言える。
そういう逡巡のない人は、働かせている想像力が少し足りないか、他にもっと強い何らかの信念があるか、どっちかでありましょう。
そして、補足するならば:
なお、私は普段このエントリのようなことを真剣に考えてはおらず、いま思いついたことをバーッと書いただけです。その程度の信頼性だと思っていただければ……。(不買運動とかも意識する機会は無い。まあ個人的に、評判の悪い会社の商品を買うのを控える、くらいはしてるかも。)
と言うかそれがフツーだから
じゃなかったら世の中はとんでもないことになってる
そのフツーを守らせるためにどれだけの同調圧力がかかっているのだろう。
お前が出ていけ
「まあまあ、広い心で受け入れてやろうぜ。」
くらいの優しさが必要だと思う。
殴る蹴る、胸ぐらをつかまれる、風呂に顔沈める、食器を投げられる、理不尽な怒号、否定しかしない、死ねと罵られる…さまざまな暴力を受けてきた。今では何もかも忘れてニコニコ接してきて、いっちょ前に子育てしましたみたいな顔して生きている父。
一生絶対に許さないと思う反面、育ててくれたことに関して感謝してる。しかしいなくなったら清々してしまうと思う。家族にも誰にも言えないが、ずっとその感情が心から消えない。この憎しみの記憶がなくなればいいのに。
「結婚しないと」と言われても、女は虐げられ尽くすものだと思うばかりで幸せな家庭が想像できない。それに、自分があの血を継いでいると思うと人を不幸にする気しかしない。いい大人になった今でも呪われてるみたいだ。
父、母、元気に長生きしてね。でもいなくなったら喜ぶかもしれない。ごめんね。
家事それぞれの負担ポイントをもっともーっと細かく見たほうが良いよ。
まず家事の分担として私が食器の洗い物を担当し、妻が洗濯物を担当している(畳むのは娘が4月から担当している)。
→そもそも洗い物と洗濯物は負担度合いが全然違う。洗い物はシンクにあるものを洗って乾かす(家によっては拭く)だけで済むけど、洗濯物は干して、取り込まないといけない。服の形状によって干し方を工夫したり天気によってやり方を変える必要があり、常に頭の片隅で天気を気にしてなくちゃならない。
(自動で乾燥までやってくれるのであればいいんだけど、洗濯機の乾燥機能って結構アバウトだから乾いてるかの確認作業は必要)
料理は週で半々の分担なのだが、この4月から娘がお弁当を持っていくことになり、仕事の都合上、週5で妻が朝の5時からお弁当を作ってくれることになり、
私は何もしないと作らないのが普通になってしまい仕事の状況が変わったときに変化が難しくなると考え、週一回だけ妻と娘のお弁当を作ることになった。これは結果的にお弁当の大変さが分かって良かった。
→週で半々なのはなぜ?勤務時間の関係かな?食材の買い出しと食費の管理は誰がしてるの?
台所に立つことだけじゃなくて献立決めから買い出し、余った料理を冷蔵庫に入れて衛生的に管理するところまでが「料理」だと私は思ってるんだけど、増田はどこまで関わってる?それら全てを週半々できちっと分担できてると思う?
週1のお弁当作りの為だけに食材買うのも非現実的。朝早起きして作って箱に詰めてるだけで「奥さんが買ってきた食材でお膳立てしてもらった」状態になってない?作り過ぎて余ったお弁当のおかずはどうしてる?
買い出しや食材管理まで増田がきちっと関わってるならいいんだけど、そうでないなら、それでお弁当作りの大変さが分かったと言われてもねぇ、て感じる。正直。ごめんね。
週4のお弁当作りで奥さんの方が台所によく立ってるんでしょ。その分、冷蔵庫の中とか毎日把握してるのは奥さんなんじゃないかな?つまり、ここでも奥さんの方が常に頭の片隅で冷蔵庫の中を気にする流れになってしまってると思ったんだけど…実際のところどう?
ところで、掃除や家の整理整頓はどう?増田はシンクに洗い物が溜まったら洗う性格だと書いてたけど、リビングもそうなっちゃってない?散らかってきたら片付けよう…後でまとめて仕舞おうとか……
それだけシンクの中を気にするくらいキッチリ(苦笑)してる奥さんのことだから、奥さんは物とか出しっ放しにしないタイプな気がしたんだけど、増田はどんな感じ?自分もすぐ片付けてるならいいけどね!
朝5時の奥さん、変な揚げ足取りでなんかハラ立つ言い方してるな〜〜て感じた。わざわざそんな言い方しなくてもいいのにね。
他の人が食洗機買ったらいいよ!て書いてるね。私も買うのいいんじゃないて思ってる。
でもね、今増田が食洗機提案したら「洗い物しか頼まれてないくせに、貴方がちゃんとすれば食洗機なんて買わなくていい」て言われそうで…余計に仲がこじれる未来しか見えないんだよね
まず買うなら乾燥機じゃない?奥さんの負担を減らすように持っていかないといつまで経っても奥さんのイライラ減らないし、また揚げ足取りされるよ。掃除の負担割合はわからないけど、ロボット掃除機とかもいいんじゃない?
「こだわり」の強そうな奥さんだから、ホットクック系も増田から提案するのはよした方が良さそう。あれは食材管理とか諸々やった上で便利なグッズだしなぁ。
台所仕事ってAを気にしつつBもやってCを覚えておいて…て作業が連続するものだから、分担すると報連相が増えがち。しかも奥さんこだわり強い系(苦笑)なんでしょ?奥さんも「わかってくれない」増田にイライラしそうだし、増田も近い将来嫌になってくると思うよ。
料理系の作業は奥さんに一任しちゃって、増田は洗い物、洗濯物、掃除、整理整頓全部引き受けます!の方が、この奥さん相手だったら揉めないような気がする………そのくらい料理ってやることいっぱいあって、大変!
料理もやらないとってことだったら献立決めや買い出し、冷蔵庫管理までやる。そこまでできないなら変に手出しせずに週5で料理してもらって、お弁当だけ「やらせてもらう」形の方がいいよ。食費の節約にもなる。
(お弁当も適当に残り物や冷凍詰めたらいいのに、て思うけど…娘さんの性格によるしお弁当生活大事にしてあげたい気持ちもわかる…)
寿司を食べて落ち着こうとすると、別の機会に寿司を食べたときに理不尽さへの怒りを思う出してしまわないか?
怒る。とにかく怒るのをオススメする。
飽きるまでイライラし続ける。一時的に怒りがぶり返す事もあるが、次第に反応は弱まっていく。
ただし、自分自身で煽ったりはしない、無理に思い出そうともしない。自然なままに任せるのがよい。
例えば職務質問された、とかへの怒りでネットを検索すると、無礼な警官を監察官室に連絡して叱ってもらう、って手を見つけられる。このように、怒りのエネルギーは行動の強力なエンジンになって、それが次回の危機対応を改善してくれる事もある。怒りはチャンスでもあるんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20150616100638
に対する返答だ。
まず冒頭の部分だが、
「ほにゃららはゲームを壊して楽しんでいる」「むにゃむにゃは負け続けた腹いせにわざと自分たちのチームを負けさせようとしている」
ここまで来るのだ。
(中略)
それはゲーム自体の本質が悪いのではなく、あなたたちの人間関係がヤバいだけだろう。くだらない。あなたたちの人間性のクソさをゲームに転嫁しないでいただきたいものだ。
さて、読んでいくと、ゲームに関しての考え方や、そもそも人狼についてなにかしら誤解しているように感じる。見ていると
と根本的にゲーム性を勘違いしているからだ。もちろん推理要素もあるが推理ゲームではない、推理ゲームがしたいなら、他にも良いゲームはたくさんある。それはあなたのやりたいことであって、このゲームは推理以上のものが求められる。
人狼は推理要素だけで成りたっているわけではない。人狼の面白さ(これをゲーム性とも言おうか)とは何か? それは様々なものが考えられるだろう。たとえば、ドラマ的な要素、劇的な要素が上げられるだろう。近年ではTRPGなんかは持て囃されているが、共通している面がある。それは、演劇をすることによる楽しさである。最近の幼児を観察することは無いけれども、幼児の遊びにも「おままごと」「ヒーローごっこ」などするだろう。これらは、家庭やヒーローを模倣する遊びであり、演じることの楽しみである。演じながらも、ストーリーを楽しむ意味でドラマ的でもあるのだ。 つまり劇的であったり、演じたりするのは、人間に共通する楽しみでありエンタメである。人狼に話を戻すと、たとえば人狼がいて、人々がいなくなっていくなか、怯えながら、誰かを吊す投票をする村人を演じるわけで、そして、その展開の様相は劇的でもあろうだろう。初期の人狼は、役職なんて、村人か人狼か占い師しかいなかったのだ。それでも14人で遊んだりしたものだが、なぜそれらが楽しいかといえば、そこに表われる劇的なものに、みんなが目を離せなかったからだ。
ほかにも人狼が面白い要素がある。村人からの視点を見てみようか。たとえば、村人はだれが、人狼かを考えなければならない。そこで、多くの「ガチ人狼ゲーマー」は、「論理性」を武器に叩かう。つまり、人狼や人狼側の役職における、矛盾点を突いたり、人狼側の視点にたって、有利な展開を予想したりするわけだ。それは一つの「戦略」だ。しかしながら、根本的にそれらは一つの戦略でしなく、他にも、人狼は嘘を付かないといけないわけである立場上、どれだけ、上手くロジックを取り繕っていたとしても、その挙動や所作、発言の仕方などから、「嘘」を突いているというものをなんとなくだが、見わけられる可能性がある。人間は論理を思いつくには、どれだけ頭の回転がかかろうと、時間がかかるのだ。つまり多くの「嘘」をつかせるために、より多くの質問をしたり、また、 考える時間を観察したり、そのときの所作を観察したりして、見ぬくのもまた、戦略であり、それは、弁論内容の正当性とは関係のない、論理性と無関係な一つの戦略でもあるのだ。ただ、多くの日本人 における「ガチ人狼プレイヤー」とくに、ネットを介して行なわれているものは、「論理性」のみを戦略をしてしまうところがある。それはプレイヤー同士で、ゲームの戦略性の多くを失なわせる結果となり、ゲーム性をゲームプレイヤーが失なわせているだけなのだ。
また、これら以外にも村人の視点として「情報提供のジレンマ」もあるだろう。たとえば、ある人が「怪しいな」とするとすると、それに気づいたとして。それに生き残っている村人に同調して、その人達に投票してもらわなければならない。気づきを共有しようにしても、タイミングによっては、こちらが疑われるかもしれない。また、人狼に目をつけられるかもしれない。一方で、気づきを早く共有しなければ、村人側は不利になるだけだ。もしかしたら、人狼や投票によって、予想外に退場させられ、気づきを得ながらも共有できなくなるリスクだってある。そのところが、人狼をゲームとして非常に面白くする側面でもあるのだ。人間は正論を吐いたとしても、認めてもらうわけではなく、信頼を如何にして勝ち取っていくゲームか?みたいなものである。それは、プレイヤー間で互いによく理解しあうための社会性のゲームでもあるのだ。
このように、人狼がゲームとして、楽しめる要素は無数にある。だから人狼は遊ばれているわけだ。単純な推理ゲームではないのだ。というか、単に推理ゲームとして、見るのはとても浅く、見識が狭く、とてももったいない、残念な見方である。もちろん、論理性だけを楽しむのもありではある。精巧な弁論のを探索し、矛盾点を突いていくのもそれはそれで非常に楽しいことではある。しかしながら、それだけで、ゲームは成り立っていないのだ。また、ガチ勢人狼プレイヤーの多くがそのような見識の狭いゲーマーだと言うつもりではない。しかしながら、見識が狭すぎるプレイヤーが居るのは事実だろう。とても残念だ。
また、「人狼はクソゲー」 に書いているのも人狼ゲーム自体じゃなくて、 そうかくあなたがた(あえて「あなたがた」と対面ぽく書くとしよう)「ゲーム」に対する捉え方もやはり原因があるように感じる。 チームゲームに関することである。まず、思うのだが、「戦犯」を見つけたがるのだ。どうして、「○○のがこういうミスした、せいで負けた」 という、ゲームの敗北の責任転嫁をしているのだろうか。どうして、その人が「無能な存在」だと決めつけるのだろうか? 彼らは協力者である。彼等を無能だと決めつけ、ゲームの敗北の責任だとする、あなたがたもまた無能のように私は思える。「チームが負けた」という事実に対して、 そういう捉え方をするのであれば、そもそも「チームゲーム」にあなたがたは向いてないだけなのだ。
『チ ー ム 戦 だ か ら だ』
とかくように、チーム戦だからクソゲーだという。 違う。チーム戦だからクソゲーではなく、何度も言うが「あなたがたがチームゲームに向いていない」だけなのだとはっきり言わせてもらう。
また、あなたがたの「勝ち負け至上主義」にも根本があるように感じる。 人狼は本来負けたとしても楽しいものだ。 たとえそれが「理不尽な負け」であっても、その場の人間皆が演出したドラマティックな展開なのだ。なぜ、それを楽しもうとしないのだろうか? 確かに勝つ努力をするのがゲームだ。しかし、「最善の努力をした(つもり)にもかかわらず、ドラマティックな展開に巻き込まれて、それで負ける」 ことも人狼はありえるし、それが一つの人狼の楽しむべき価値なのだ。
結局、先程、敢げたような無数にあるゲーム性を無視し、自分達が想定する楽しみ方ができないから、あなたがたは「人狼」をクソゲーとするのだ。ただ、それは、単にあなたがたが「not for me」であるだけで、ゲーム性の問題ではない。
悪意があろうがなかろうが過失は過失。悪気がなかったで済むならいじめなど発生しない。
「夜中に皿をを洗うのがうるさい」
→×夜中に皿を洗うのをやめる
→△なるべく音を立てないよう洗う
→○夜中になる前に皿を洗う
「早いね!」
→△こんなに朝早くからやらなくていいよ!
10年結婚生活をして、ここ1年の9割8分の出来がよくても前の9年間の積み重ねがある。多分「皿洗いをすると言ってもなかなかやらず、妻がやろうとすると後でやろうと思ったのになどグチグチ言う」などのトラブルがあったのだろう。今回も朝起きて皿洗いではなく先にシャワー浴びたことも妻のムカつきポイントなのでは。増田にとっては「最近よく出来てた久しぶりの失敗」でも妻からすると「何回も何回も言ってるのに結局また言うことを聞いてくれない」かもしれない。この場合、信頼してほしいなら「自分の言い分も聞いて欲しい」というのは通らない。
料理と皿洗いは不可分な仕事なのでどちらかが滞れば次に進まない。洗濯機をセットする係と干す係があったとき、干す係が仕事を溜めると新しく洗濯ができない。家事にはそういう仕事がたくさんあるので「自分のペースでやりたい」というのは捨てよう。特に子供がいるなら。
妻は妻、増田は増田なので増田が変わるしかない。妻が怒ったのなら相当な理不尽でもない限り増田が謝罪、改善するしかない。今回の件で増田が何か言うことで妻を納得させるということは「僕は過失はあったかもしれないけど基本的に悪くないから君は怒るのをやめるべきだし僕は改善しない」ということを妻に伝えるということだ。つまり「悪気がない」を全面に出したのが一番悪い。
皿は寝る前に洗っておく
起きたらなるべく早く皿を洗う
場合によっては妻に皿洗いを早めにお願いする
怒ってる人に「悪気はない」と言ってはいけない
悪気がなくても過失は認め、謝る
信頼されたかったら信頼に足る行動を取る
つまり皿は寝る前に洗っておけ
私は異なる考えを持っている。
尊厳の考え方は、クラス全員の男にヌード写真が出回るのと、クラス全員が彼女の裸を妄想して自慰するのは、実質的には変わらない、とすると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20220525213803
電車の中で、隣に座った女性と肌を触れ合いを、後で振り返って楽しむのは… よくないと思う。
あなたの自制心や理性を疑ってるわけではないんだ。相手に下心を気取られないように細心の注意を払い、それは成功するだろう。
だから隣の女性は、「この男性は性的に消費する意図で触れ合いを記憶しているんだろうな」と想像する。肩が触れたたくさんの男たちの中には、確率的に理性の箍が緩いケモノもいるはずだ。女たちは常に威迫されながら、脅威に怯えて生きている。
性的まなざしを向け、一般女性を性的消費するのを是としている現代日本では、生きづらさは女性性にビルトインされている。男たち全員が「一般女性をオカズに妄想したりはしないよ」って言い続ける必要がある。不文律を破って威迫行為をした人を咎める必要がある。さもなくば理不尽な性の不平等は消えないよ。