はてなキーワード: 実験結果とは
https://x.com/Tats_Gunso/status/1832937129371930688?t=sMhsG8F8n6Ux_uFGSk8OXw&s=19
子供を男子だけ女子だけで集めて大人のいない所で生活させたらどうなるか。
これ男女の質の違いを反映してて面白いんだよな。
男子:一日で家の中をメチャクチャにした後は上下の序列を作って家事はせずスナックだけ食べながら家の外で動物を狩ろうとしたところで大人に止められる。
(続
女子:全員同じ部屋で寝泊まりすることになり、ちゃんとした料理を持ち回りで作り家事の当番を決め室内を飾り始めるが、そのうちイジメと派閥と仲違いが発生して寝る場所はわかれ二人の子が実験から離脱。
というツイートが流れてきたが、女子の話がかなり改変されている。
この実験で寝る場所が別れ、いじめと派閥争いが起きたのは男子だし、大人から止められたのは狩りではなくハリネズミ虐待だ。
多分これらは男らしくないと思ったから女子達に押し付けたのだろうが、何でわざわざ圧倒的に女子のほうが良い結果を残した実験結果を歪曲してまでそんなツイートをするのだろう。
動画を見たら男子達はかなり少年らしい愚かさ乱暴さ残酷さで行動をしていて、他の子と同調しイキリ散らかし、破壊活動やバカをやらないと、舐められて虐められる空気が作り上げられているのがわかるのに。
男子のそういった同調圧力の強さは男も経験があるだろうに、何でこれは男らしくないから女子に押し付けようとなるのだろう。
似たような話で、映画「先生を流産させる会」がある、これは実在の事件の映画化を押し出して売りにした作品だが、実際は男子十数人が先生を流産させる会を結成して、誰が流産させるか競っていたのを女子達が告発して止めたのだが、内藤瑛亮監督が男子ではリアリティが無いからと女子生徒たちが犯人に改変した作品だ。
こういう陰湿で愚かな行為は女子がやるはずだという思いがあるのだろうが、何でフィクションで1から作らず実際にあったことを捻じ曲げようとするのだろう、こういうのをたまに見かけるが謎すぎる。
https://www.yourtango.com/news/social-experiment-tracks-10-boys-10-girls-left-alone-house
大人に監視されていない男の子10人、女の子10人がそれぞれ5日間過ごしたらどうなるだろうか?
同じような結果になるだろうか、まったく違う反応を示すだろうか。
2002年、Channel 4は『Boys And Girls Alone』というタイトルのドキュメンタリー番組を放映。
この社会実験では、男の子10人、女の子10人がそれぞれホームで一緒に過ごす様子をモニターし、彼らの行動や交流を追跡した。
このドキュメンタリーは、5日間に渡って大人に監視されていない状態の子どもたちを観察することを目的とする。
◼︎社会実験第一弾『ボーイズ・アローン』、11歳〜12歳の少年10人を追う
https://youtu.be/7F6w2naog5s?si=cMDQ4ybPExp-Od-P
少年たちは、食料が十分に備蓄され、子供たちを楽しませるためにさまざまなおもちゃ、ゲーム、本、絵の具が置かれたホームに送り出された。
日中、カメラクルーがホームの様子を撮影するが、安全上の問題がない限りは少年たちと関わったり、介入したりしない。
カメラはそれぞれの寝室にも設置され、夜間の少年たちを監視。ベッドルームは2つあり、大きな部屋には6台のベッド、小さな部屋には4台のベッドがある。少年たちが助けを必要とするときはいつでも求めることができるように、ホームにはベルが置かれている。
さらに、制作チーム・看護師・両親・あるいは事前に会った児童精神科医と会話することができ、少年たちはいつでもホームから出ることができる。
彼らはまず、壁にペンキを塗りたくり、食べ物を床に投げつけ、水鉄砲で水をかけあった。3日目に数人の少年が壁のペンキを落とそうとするまで、この調子だった。ホームで生活する前の週に全員が料理教室で授業を受けたにもかかわらず、少年たちは誰もその技術を生かす様子はなかった。それどころか、食事はほとんど砂糖とシリアルだった。料理といえば、冷凍ピザをオーブンで焼くくらいだった。
少年たちは2つのグループに分かれ始める。一方は騒々しく、もう一方は身を潜めて静かにしていた。彼らはよく、遊び半分でいろいろなもので互いを叩き合っていた。そのグループの中で、まわりとは違うと見なされた少年・マイケルは、少年たちの標的になった。
5日目になると、家の中はゴミ屋敷と化し、食べ物やおもちゃ、椅子が散乱し、料理に使う食材はほとんどなく、カオスのまま終了した。
『ボーイズ・アローン』は反響を呼び、同チャンネルはまったく同じコンセプトの第2弾を制作することにした。
第2弾 『ガールズ・アローン』では、料理・掃除・交流に対する女子のアプローチが大きく異なることを証明
本編YouTube→ m.youtube.com/watch?v=PJ1nPP…
第一弾の少年と同年代の少女は、行動や整理整頓の方法が異なっていた。初日、一人の少女が料理と掃除を担当し、家庭内の食事の準備をした。
男の子たちとは違い、女の子たちは全員キッチンのテーブルに集まり、初めての食事を一緒に食べた。食事が終わると、女子の何人かはファッションショーを企画し、自分たちを楽しませるためにケーキを焼くことにした。
アクティビティが終わると、一人の少女が家の掃除と整理整頓を始め、他のメンバーもそれに加わった。やがて彼女たちは集まり、料理と掃除の分担表を作成した。
◼︎この社会実験は、女性がリーダーシップ能力がジェンダー的偏見の影響で見過ごされがちであるという議論を呼び起こした
このシリーズが公開された当初はやや物議を醸したが、最近ネット上で共有されたクリップが広く話題を呼んだ。両グループが同じリソースを持っていたにもかかわらず、男子が大混乱を引き起こしたのに対して、女子は組織化され、明確な決定を下すために協力し合っていたことを、人々はすぐに指摘した。
『みんなが料理コースを受講したの?それで、料理をしたのは1グループだけ?掃除をしたのも?ミーティングを企画したのも?タスクを分担したのも?そして、そのグループは「すぐいがみあうし感情的すぎるから、リーダーに向いてない」って言われてるグループなの?』
『少女たちは業務分担表まで作っていた!そして、肯定的な言葉を使い、自分の後始末をし、多くは寝る前にシャワーを浴びていた! 髪が濡れていた。 すごい。 とても誇りに思う』
◼︎ 少年たちの行動は「男に課せられている社会的役割」のせいだと非難する人も
『男の子はそうやって育てられるんだ。 他人の面倒を見ることができない。 彼らは他人の世話をしない。 これは女性の問題だ。 つまり、この機能不全は社会のせいであり、男性が社会からどう思われたいかが影響している。』
女子にも不完全な部分があり、いがみ合う瞬間もあったが、しばしば一緒になって合理的な解決策を考え、男子のように2つのグループに分かれることはなかった。
自然食品(手作り調味料無添加)、○○心理学(心理学ではない)、EM菌みたいなの、宇宙の偉大なる母的な方への信仰、ブラックホールなんちゃら理論(母の延長?)とかなんとかやって生還した
幸い医学で横道(横道でない認識でもまだ不安要素残ってて疑いもつのも仕方ないのも混じってるんだろうが、それを言い出すと入口なので…)逸れたのは、普通に市販薬には頼らない(自然免疫を高める、ただし高め方に癖がある)とか、ぐらいで、主に精神的な寄り道だった
10年以上はどっか行っちゃってたけど、そこの界隈が無茶な金集めしたかなんかでぶっ壊れたので、正気に戻った
壊れてた時は、先生の言うことが正義で疑うやつは敵って感じだったので、反論がすべて無効だった
まだマシな時は、話聞きながら、それはわかる、実はこういう学説(そこまで学説的なものではなく単に聞きかじった実験結果から得た推測とかの雑学)あるし、とか言ってたら、
先生と考え方が似てる判定貰ったりして、多分未だに、先生の役に立つところ(気の持ちようとか、ある程度効果ありそうで、否定もされてないやつ)は取り入れながら暮らしてなさる
ダメだこりゃって思ったのは、何か芯になるところ(嫁でいう先生)が揺らぐと自分が全否定されたって思ってしまってヒスるのと、そもそもギリギリ義務教育習って覚えきってないから、嘘言われでも気づけないし、データ読んだり、論理的に話を進めていけないのよね。それこそ地頭は悪くはないとは思ってたから、初手ヒスが原因の大部分だったのかもだけど。そうなった状態とかそれに近い状態で懇切丁寧に説明するの難しいし。(途中ででも先生は! って言われて何度もはじめっからになったりするので)
同じ実験を何回もやって一番都合のいい結果以外を「失敗」として処分すればいい。
たとえば「ガチャの排出率を確認する実験」と称して、「10連を100回回してみて、その結果と公称されている排出率を比較します」という実験をやるとしよう。
このとき、10連を100回回すという行為自体を100回繰り返すのである。
気の遠くなる作業なので、適当にマクロを組んでスクショを取らせつつ自動化させよう。
同じアカウントでやるとバレる可能性があるので、アカウントを100個作ってそれぞれで100回やる。
あとは最も都合がいい結果が出たアカウントでの結果を排出率と比較して、「1000回回したら大体同じになりました!途中でちょっと偏りが出ている部分もありましたが最終的には収束してますね!」と公表すれば仕事終了だ。
ちょっと時間と手間はかかるが、広告費の一つだと思えばこんなに安いものもないぐらいだろう。
もしその結果手に対してユーザーが都合の悪い結果を出してきたら「おっと、運の悪い人がいましたね。まあ最後には収束しますよ」なんて言えばいいわけである。
理系ではこういう「恣意的な実験結果が作れてしまう」ということを教育するために、わざと実験器具に罠を仕込んで実験をすることがある。
やってもやっても実験ノートに書いてあるような結果が出ないという実験だ。
それに対してアレやコレやと考察させて、実験の精度を上げるのに必要なものを考えさせるのである。
再提出も含めた提出期限が完全に過ぎたタイミング、もしくは間抜けが見つかった所でネタバラシだ。
実験結果をメイキングすることの愚かさ、技術者倫理について有り難いお説教をすると共に、今回の実験器具は何が駄目だったのかを説明する。
これは別に道徳の授業として机上の空論を並べているとかではなく、世の中には10年も20年も整合をしていないメーターが平気で転がっており、それをそのまま信じていたら仕事にならんような現場が腐る程あるのだ。
そういった現場において、「機材を疑ってみる」という着意を養う、そもそも論として「定期的に機材の精度を確認する」という意識をもたせる意味もあるわけだ。
さてさて、世の中には企業がやった「ほんま、オタクの会社さんに都合が良すぎるような結果ドスなあ」と言いたくなる実験結果が腐る程ある。
そもそもの前提自体に恣意的な意図があるものは可愛い方で、パっと見だと会社側に不利な実験を試行回数の力で無理やり突破させようとすることはままある。
最初から鉛筆を舐めさせに来るような会社だっていくらでもある。
トマト警察、過去の鰹節警察の件も含めると「ダイレクトな言葉の意味以外は理解できない」タイプの人だな
鰹節のときは投稿削除せずに放置してたらDMで「あなたおいくつですか?」って呆れられてたけど
どうやらこれを「本当に年齢を詮索されている」と解釈したようだ
今「クエン酸が高温で気化・蒸発する」ことにこだわって執拗に絡んでいるのもそう
「加熱によって酸味を失わせる」ことを示す「飛ばす」という表現を、言葉どおり「気化する」としか認識できていないからやたらそこにこだわる
そして実験結果に「酸味が飛んで美味しくなりました」という記述があれば「美味しくなった」という文字列に引っかかって「旨味ガー」が始まる
現代文は読めていないけど日本語の高尚な()表現は知っているから「私の言う事についてこれないやつは程度が低い」となっていく
ただまわりから呆れられて人が引いていくことにも気づかずに
量子力学は、測定が行われるまで粒子は重ね合わせの状態、つまり同時に 2 つの状態にある可能性があることを示唆している。
そのとき初めて、粒子を記述する波動関数は 2 つの状態のいずれかに崩壊する。
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、波動関数の崩壊は意識のある観察者が関与したときに起こる。
意識が崩壊を引き起こすのではなく、波動関数が自然に崩壊し、その過程で意識が生じるとペンローズは示唆した。
この仮説の奇妙さにもかかわらず、最近の実験結果は、そのようなプロセスが脳の微小管内で起こっていることを示唆している。
意識はすべてを包括しており、現実そのものを構成しており、物質世界は単なる幻想である、と言う人もいる。
意識は幻想であり、実際の現象的な経験や意識的な制御の感覚はないと言う人も。
この見解によれば私たちは「ただの無力な観客であり、ただ乗り物に乗っているだけ」である。
そして、脳をコンピューターとして見る人もいる。
脳機能は歴史的に、蝋の「封印リング」としての記憶という古代ギリシャの考え方から、電信交換回路、ホログラム、コンピューターに至るまで、現代の情報技術と比較されてきた。
神経科学者、哲学者、人工知能 (AI) の支持者は、脳を、可変強度のシナプスで接続された単純なアルゴリズムのニューロンからなる複雑なコンピューターに例えている。
これらのプロセスは、意識を持たない「自動操縦」機能には適しているかもしれないが、意識を考慮することはできない。
意識を基本的なものとして捉え、宇宙の微細な構造や物理学に何らかの形でつながっていると考える人たちもいる。
例えば、意識は量子領域と古典的領域の間の境界における活動である「量子波動関数の崩壊」という客観的還元プロセスに関連しているというペンローズの見解が含まれる。
基礎物理学とのそのようなつながりをスピリチュアルなもの、他者や宇宙とのつながりと見る人もいるが、意識が現実の基本的な特徴であり、生命そのものよりもずっと前に発達したものであることの証拠であると考える人もいる。
ペンローズは、客観的還元を意識の科学的根拠としてだけでなく、量子力学の「測定問題」の解決策としても提案していた。
20世紀初頭以来、量子粒子は、シュレディンガー方程式に従った波動関数として数学的に記述され、複数の可能な状態および/または位置を同時に重ね合わせて存在できることが知られてきた。
なぜなら、初期の量子研究者にとって、測定または意識的な観察という行為自体が、波動関数を明確な状態と位置に「崩壊」させるように見えたからである。
これは全く同意見。この枠組みは、ブルデューの言うハビトゥスに近いものがあると感じてる。彼らが、友人と議論し、切磋琢磨する過程で身につけたものと、全く同じものは、独学で身につけられないだろうが、しかし、技術的に近いものは身につけられるはず。そう思い、自分も、身につけたい「常識」を毎日勉強してる。大学の勉強もそれに含まれる。ある意味、彼らと同じような「正規の教育過程」を経てないので、その分、なおさらがんばらなければいけないと思っている。
余談になるが、自分のいた研究室の教授は、超自然的な直感で、実験前に実験結果の数値を予想していた。実験すると、たしかにそうなる。他の助教やPhDの理解を超越していた。あれは一種の天賦の才に近いところがあったと思う。
蓋をすると蒸発が妨げられ、気化熱が奪われるため蒸し器のなかと同じような 状態になり水温は100°Cになります。これではプリンにスが入ってしまうので、アルミホイルなどで蓋をするのは絶対にやめましょう。
「プリンを蒸すときに蓋をしてはいけない。なぜなら『マギーキッチンサイエンス(マギーという人の書いた料理本)』にそう書かれているからだ」という主張。
https://togetter.com/li/2128879
詳しい料理法は下記のnoteを参考にしました。 蓋は使用しないと言う注意書きがあったので、本当なのだろうかと実験してみました。
https://note.com/travelingfoodlab/n/nf4453a1fc002
出典: ibushi_maru https://twitter.com/ibushi_maru/status/1648558690490826755 2023年04月19日
蓋なし、アルミホイル蓋、シリコン蓋の3種類の方式でプリンを焼いて比較した実験結果のツイート。
結果をまとめると
蓋なし | アルミホイル蓋 | シリコン蓋 | |
スがなくきれい | ⭕️ | ⭕️ | × |
縮まず元の大きさを保つ | × | ⭕️ | ⭕️ |
空気と接する面に固い膜が張っていない | × | ⭕️ | ⭕️ |
という結果が得られた。
つまりこの人の実験によれば蓋をしたほうが出来がよかったのだ。
樋口直哉はマギーキッチンサイエンスの内容を自分で試して確認してはいないんだね、という話かな。 "蓋をするのは絶対やめましょう" htt ps://note.com/travelingfoodlab/n/n9966c96151c7
https://b.hatena.ne.jp/entry/4735318971133592005/comment/WinterMute
なるほどWinterMuteは正論を言っているように見える。
しかし
蓋をすると蒸発が妨げられ、気化熱が奪われるため蒸し器のなかと同じような状態になり水温は100°Cになります。これではプリンにスが入ってしまうので、アルミホイルなどで蓋をするのは絶対にやめましょう。
出典: 樋口直哉 “プリン作り講座 〜座学編〜” [htt ps://note.com/travelingfoodlab/n/n9966c96151c7 2018年1月22日
「これが座学編なら実践編もあるのでは?」ある
全卵タイプのプリンの一部を卵黄に変え、生クリームを使わずあっさりと仕上げたプリンです。昔、甘味屋で食べたような味を目指しました。
実際に蓋をしないで作ったレポートと写真が掲載されている。おいしそう。
樋口直哉はマギーキッチンサイエンスの内容を自分で試して確認してはいないんだね、という話かな。 "蓋をするのは絶対やめましょう" htt ps://note.com/travelingfoodlab/n/n9966c96151c7
[htt ps://b.hatena.ne.jp/entry/4735318971133592005/comment/WinterMute
樋口氏が蓋をせずに作ったプリンには見たところスはなく、縮んでもいない。固い膜の有無は直接はわからないが、①本体側面と色があまり変わらないこと、②あまり縮んでいるように見えないこと からおそらく張ってないと思われる。
つまり
/ | 蓋なし(ibushi_maru) | 蓋なし(樋口) |
スがなくきれい | ⭕️ | ⭕️ |
縮まず元の大きさを保つ | × | ⭕️ |
空気と接する面に固い膜が張っていない | × | ⭕️ |
どうしてこのような違いが出たのか。
考えられるのは
加熱方法については昔ながらの蒸し器をつかう方法と、オーブンで湯煎にする方法、どちらがいいのでしょうか?
出典: 樋口直哉 “プリン作り講座 〜座学編〜” [htt ps://note.com/travelingfoodlab/n/n9966c96151c7] 2018年1月22日
樋口氏の方法では熱いお湯をバットに注いで湯煎している。この水蒸気にはプリンの表面の乾燥を防ぐ効果がある。
もしかするとibushi_maruは湯煎していないのかもしれないと思いツイートを見ていくと
4種類の材質が違う容器で比較を行う。
出典: ibushi_maru
https://twitter.com/ibushi_maru/status/1650042252700581892 2023年4月23日
湯煎してる……
AIには優しくなるのに人には厳しいね - スナックelve 本店の
概要:はまぐりに聴覚はないとされている。まぁ音なんか聴こえたところではまぐりの生存になんぞ一切寄与しないことであろう。
しかしながら、彼らが住まう海中は本来非常に騒がしい場所である。年末にも関わらず静謐とした著者の台所ではまぐりの故郷の音を聴かせることで、我々の感じ取る音ではないにせよ、何らかの刺激を受容することによる活動の変化が観察できるのではないか。
ボウルBにはYouTubeで適当に拾った海中のライブカメラ音声を聴かせる。
実験結果:
ボウルBの群はボウルAと比べて足をウニウニさせたり水管から水を吐く動きを見せた。
有意差があったと思いたいがボウルAも元気になったので冷蔵庫から常温に出して元気になっただけのようだ。
なお、味はボウルBの方が有意にしょっぱかったです。
これについて解説するのは、駒澤大学准教授の井上智洋。2020年1月に、前澤友作社長がTwitter上で、総額10憶円の「お年玉企画」を実施。100万円を1000人に配るという企画だったのだが、これは「単なるお金配りではなく、社会実験」だと井上は語る。
その実験結果を分析する専門家として参加したという井上は、なぜ前澤がこのような企画を実施したかの意図を説明。
「格差が拡大していたり、貧困層が増加していたり、お金がないからチャレンジしたいことができない人もいるので、“大金を配った時に人々はどのように行動を変えるか”を検証した」とのこと。
実験では、当選した1000人を「A:当選後すぐに配布」「B:半年後に配布」「C:12か月の分割で配布」と3つのグループに分けて、アンケートを実施。
いきなり大金を手にした人たちは、1週間の平均勤務日数が4.5日から4.7日にアップ。さらに自己成長のために勉強を始めた人が3.7%から4.7%にアップするなど、100万円を手にしたら怠ける方向に行くかと思いきや、やる気へと繋がっていたことが明らかになった。
実はこの調査は、お金をもらっていない人にも実施。すると、抽選に外れた人よりも、当選した人の方がギャンブルに行く人が少なかったという結果も。
世界でも現金給付の実験例があり、麻薬中毒やアルコール中毒の人がお金を手に入れた場合、麻薬やアルコールにお金を使わなくなるという結果が出ているそう。
そもそも何かを所有する権利を主張することが可能かどうかも後付のもの。
幼稚園児の集団に玩具を投げ込むとそれぞれが勝手に自分の物だと主張し始める。
警察や裁判所が機能していることの保証なんてどこにもない中で皆ひとまずそれを信じようとしている。
自分の考える社会道徳が他人と同じものであるかなんて分からない。
談話室の中央テーブルに置かれた誰かのおすそ分けに貼られる「範囲でご自由にお持ちください」の付箋に「一人◯個まで」とわざわざ書くべきかどうかなんて誰にも分からない。
生存権はそれを理解してる人達の社会が守っているが、逆に言えばそれを理解していない子供同士の社会やDV家庭では守られていない。
分かった上で踏みにじる者たちもいるのは、キリスト教の牧師が神に懺悔しながら子供のアナルをほじくるようなものと言えるだろう。
知らないどこかの誰かがしたらしい検証を皆信じている。
自分で実験をしてみれば分かるというが、実験結果が定説と食い違うとやり方が悪いだけだと否定される。
たとえば「ありがとう」と声をかけた花が歪な咲きかたをしたら、それは声のかけ方や水のやり方に問題があっただけだと決めつけられるのだ。
皆が悪く言ってるものは悪く見えるが、自分の嫌いな相手が悪く言ってるものは逆によく見える。
印象を受けるということ自体がミラーニューロンの生み出すまやかしであり派閥闘争の一手段に過ぎないのだろうか。
貰えると嬉しいが、こんなものに価値があると思っている奴ははてなーしかいない。
だがはてなーは貰うと喜ぶ。
皆苦しいときほどそれを求めて必死にネットで道化を演じるが、本当にやるべきことはさっさと寝て自然回復力に任せることでありつまりは武器軟膏。