はてなキーワード: 大食いとは
大きめの業務用食材スーパーに行くと冷凍クロワッサンが売られているのだ。
袋入り、一個110円換算ぐらいでそんなに安くない。
ベーカリーで200円クロワッサンを買うよりは安いが、安さと引き換えにバター分が少なかったり解凍・焼成が自宅では面倒というリスクがある。
しかも腹に溜まらない。クロワッサンはコスパが悪い食べ物だ。味と触感重視で食べ応えがない。
腹いっぱいクロワッサンを食べたい、というのは万民の願いではないだろうか。
ちょうどGW期間は毎日祝日扱い、朝7時から10時までの三時間はココスバイキングのゴールデンタイム。
さくさくさくさくさく、パイの実みたいに食べ続けても次々に補充される。
天国だ。
大食いの俺は15個は食べられる。
「歳を取ると食べる量が減る」とか「油ものが食べられなくなる」とか言うだろ。
食べ盛り伸び盛りの頃は、焼き肉に行けば「カルビ!カルビ!カルビ!米!米!カルビ!米!」だった。
だが20代の半ばくらいから「タン!米!お茶!」になってしまったということに薄々気付いていた。
いや、薄々じゃない。かなりしっかりと自覚していた。
だが「量も食べられなければ油ものも食べられないなんて、まるでジジイじゃないか」と思い、
無理をしながら「タン!米!タン!ハラミ!カルビ!米!」くらいは食べていた。
それでも全盛期に比べれば量も油も少ないわけだが、まだまだいけるじゃんと思いこむことができた。
しかし30を過ぎた増田には、その強がりすらもキツくなってきた。
昨日、スーパーで夕飯のおかずを買って帰ったんだ。
買ったのはぼんじり。あっためて食べるやつ。焼き鳥はぼんじり、せせり、皮が大好きだ。
正直これだけじゃ少ないかな、なんて思った。思おうとした。
でも帰りも遅くなったし、今からガッツリ食うのはまずいなと思って控えたんだ。
食べきった。食べきったよ。満腹になりながら。それどころか、油っこさに吐き気すら感じながら。
さすがにもう腹をくくらなければならない。俺は食べ盛りじゃない。油ものは食べられない。
有難いことに親の庇護下にあった時代はお金がなくてご飯が食べられないことはなかったし、奨学金を貰って学校に行くこともなかった。そう、衣食住は満たされていたのだ。家に帰れば専業主婦の母がおり、父が働いたお金だけで家族全員が暮らすことができた(バイトはした)。
もちろん周りの友人達の親の中には共働きの人もいたがその理由については特に考えることもなかった。他人の家の経済状況なんて全く興味がないし、考えもしなかったからだ。寧ろ流行りのゲームも買ってもらえない自分の家よりディズニーランドにいつも行っていて、最新ゲーム持っていて、正月夏休みには親戚から万単位のお小遣いを貰っている友人の方がお金持ちだと思っていたくらいだ。私の親に対して大変失礼な考えだ。
初めに違和感を持ったのは私が大学に上がった時だった。奨学金の説明があるため、該当の人は残ってくれ、とアナウンスがあった時多くの人がその場に残っていた。その時点での私の中の常識は学費というものは親が出してくれて当然だったのだ。今思えば非常に傲慢な考えだ。
また、ニュースなどで貧困問題が取り上げられてる際も自分の身近に該当する人がいなかったし、この飽食の時代に食べるものがなくて苦しんでいる人がいるという事実自体どこか夢物語の様だった。
唯一若い人の収入が少なくて生活が苦しい、ということだけが実際に働いて実感を持つことができた。
SNSを見ていると最後まで文章を読まずに感想を書いたり、文章の正しい解釈が出来ていない人が多い。最近話題の漫画を読んだときに作者が「本編のこのキャラのこの行動の理由はこういう事です。」と注釈をつけていた時は絶句した。人の受け取り方は千差万別あるとはいえ特に漫画は読んだ受け取り手が意味がわかる様に描かれていることが多い。さらに作者だけではなく編集者もチェックして他者に伝わることを確認している筈だ。それなのにコミックスで作者が注釈を入れなければならないくらいにキャラの行動の理由がわからないという手紙が届いたということだ。それはつまり読解力のない人間が増えたと捉えることもできるのではないか。読解力がないという事は正しく相手に伝わらないし、伝えられないことに繋がる。それはコミュニケーションが正しく取れないから満たされないことに繋がるのではないか人は喜怒哀楽の中に細かい感情の機微があるはずで、感情表現や、行間が読み取れない事は学だけでなく人としての感情も乏しい事だと私は思う。
冒頭に書いた様に私はオタクだ。二次創作はよく見る。最近の二次創作で疑問に思うのは大食いキャラが食べ方が汚い様に描写されることが多くなったな、という事だ。私個人としては「大食い」と「食べ方が汚い(行儀が悪い)」は全く違うことだと思っている。しかし何故か大食い=食べ方が汚いのイメージが定着しているのだ。作中でキャラクターの育ちがいい描写をされていても何故か二次創作では飢えた獣の様な食事方法をさせられているのだ。よくオタクは「沢山食べる君が好き」と言っているが、自分の推しが飢えた獣の様にご飯を食べていることには抵抗がないのだろうか?私はものすごく嫌だ。二次創作に限らずテレビを見ていても食べ物を上から食べる、口に物が入ったまま話す、迷い箸などの芸能人はよく見かける。定期的に箸の持ち方が炎上もしている。正しい持ち方はその持ち方である根拠があるのに、自分ができないからそれはおかしい!という人間が増えた気がする。(勿論、懐石料理の様に部屋の開け方から食べる順番まで守れ、とは思わない。私だってそこまで出来ない。一般常識の範囲の事ができていない人がいるのだ)
あくまで私個人の見解だが、人間は自分が体験、経験したことを主軸に物事を考えたり行動する為、それだけちゃんとしたテーブルマナーや躾がなされていない人が増えたのかとすごい貧しさを感じてしまった。
よく本に出てくるフレーズとして「知識は宝だ」の様な文章がある。実際に知識があって頭がいい人ほど腰が低く、心にも余裕がある様に思える(この場合の頭がいいは勉強ができるだけでないということも補足しておく)。心の穏やかさはそのまま豊かさに繋がっていると私は思っている。最近のSNSを見ていると、世界の実情が辛いことも踏まえても、貧富格差広がっている中全体的に貧しくなっていってるのと、絶え間ない情報と自分に都合のいいところしか見ない様な状況になっている気がする。それによって(それだけではないけれど)感情のコントロールが効かなくなってるのを、SNSやら、二次元キャラやらに当てがって発散してる様に見える。昔からいたのかもしれないがガッツリ目に見える形になっていて、経済的にも精神的にも貧しさを感じて私は怖い。
昨日お昼から暇だったので、
お友だち詠んでトン活に勤しんだわけなのよ。
まあそれはいいとして、
でも試合中にもの食べていい競技ってカーリングだけじゃないかしら?
世の中広しと言えども、
逆に考えてみたら、
カーリングできるわけで。
そうなるとまた戦略も変わってくると思うわ。
せいぜいアメリカのホットドッグ早食い選手権で小林尊さんが現地でアニメ化されるまで人気になるほど、
でも各国のおっかさんの得意料理となると、
そうトン活中にそう思ったわけ。
世界標準の料理でカウントしやすくて見た目も分かりやすいってお寿司以外になくない?
あれだと1貫の規定もかなり厳密に決められそうだし、
国際化競技になればいいとおもうな。
魚の鮮度と美味さを刺身で感じる旨味よね。
そこも重要なわけで。
でも逆に言えば、
世界中の人たちが魚捕って食べまくったら
だから
国際会議を開くレヴェルで各国の漁獲高の配分を決めるのよ。
そうなるとさ、
松方弘樹さんが世界を釣る競技も渡哲也さんがご期待下さい!って言うのよ。
あーそっかー
釣ってから食べるまでを
トライアスロン形式で一人で釣って調理して食べるところまでが、
ヨットで無寄港世界一周する無謀なヨットレースの魚食べる版とでも言っても言い過ぎじゃないし過言でもないわ。
でもそこは排他的経済水域に踏み入れないぐらいで、
じゃんじゃん漁したらいいんじゃない?って
国際ルールもそれでセーフよ。
ちょっと話しが飛躍しすぎたけど。
まあトン活でトンカツを食べながら考える魚の話しって奥深かったわ。
どうりでルービーがすすむわけよ。
気分トンドルって感じ!
お昼寝しちゃったけど有意義な1日だったわ。
うふふ。
具のこと。
あれが美味しく出来たら、
気が向いたら梅干しの旨味も加えたら、
そこはお出汁の国の人だもの!って故郷を懐かしく思えるはずよ。
朝の温活トン活とともに。
上手いこと言えたわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ぶっちゃけこれがどういった経緯で書かれたのかは本人のお気持ちのことなので他人にはわからないが、どうも艦これ界隈において多数の二次設定が乱立してはそれが公式に逆輸入され初期のキャラ付けが崩壊することを嘆いたものであると推察されている。
確かに艦これ界隈においては「空母は大食い(特に赤城)」「◯◯はママ(複数いる)」などのファン設定が共有されていき、それが公式へと逆輸入されていっている。これはアニメにおいて赤城が大食いカレーを食べているシーンを思い出せば瞬時に理解していただけるだろう。
そもそも創作物の制作サイドは二次創作の設定を拾って取り入れたがる場合と、初期のイメージを守ろうとする場合のどちらかに分岐していく運命にある。
気をつけたいのは、「ファンにとってのそのキャラクター」を作中で描こうとした結果のファンサービスであって、公式逆輸入を繰り返す運営が単に悪ノリをしてるわけでも、初期設定を貫く運営が二次創作におけるキャラ改変を嫌っているということでもないことだ。あくまで作品とファンが相互に幸せになる形を模索した結果にすぎず、好みの問題、not for meの類となりそこに絶対正義はない。
とはいえ個々人の感情においては「俺が不快だからな許せねえ」が絶対正義となるのも事実であり、内心の自由が保証されている国でそこに踏み込んで平地に均せということに正義はない。
事件はアニメ「ポケットモンスター サンアンドムーン」第13話「アローラパンケーキ大レース!」において起こる。
なんとそこにはしょんぼりした垂れ目で情けない顔をしたあのカイロスがいるではないか!
カイロスは昔から「レアだけどパっとしない」「クワガタというよりアリジゴク」「ストライクは強くなったぞ」「ライバルのヘラクロスは普通に強いぞ」とネタにされ続け、メガシンカによりようやく日の目を見たときでさえ「対抗馬だったヘラクロスへの殺意が具現化した姿」と言われてしまうほどのネタキャラぶりである。
そんな姿と強気な吊り目のギャップが魅力のカイロスが何故か垂れ目にされるウサミちゃんの画像のインパクトはなかなかのものがあり、あのウサミちゃんの画像がポケモンアニメ事件より前にバズった際には多くの界隈で「なんで突然カイロス?」「これはカイロスなのか?」「流石にキャライメージが変わりすぎだろ」「カイロスは繊細じゃないよ~」「カイロスはそんなんじゃないよ~」と言われまくっていた。
元々ネタ扱いしていいポケモンという立ち位置が強かったカイロスにコレが起きてしまったせいで、カイロスのキャライメージに「そんなんじゃないよ~」は強く埋め込まれることになった。
強気な顔つきと攻撃的なメガシンカ初代やGOにおけるレアリティなどの要素から一転直下して「そんなんじゃないよ~」と言い出す姿はネタキャラとしては最高に美味しいためある意味セーフというのが多数の意見だが、一部には「カイロスは実はカッコイイ」「クワガタやぞ?」「漢の相方」といった価値観のファンもおり、そういった「強いカイロス」のマニアにとっては強い逆風が吹くことになってしまった。
この事件における最もインパクトが強いところは、公式逆輸入を最悪と謳ってる本人が公式に逆輸入されるネタを提供し、キャラクターイメージを変化(まあカイロスは元々ネタキャラだからセーフみたいなのは今は置いといて)させてしまったことである。なぜ適当な動物キャラにしなかったのか。どうしてカイロスだったのか。どうしてあんな描き方をしたのか。作者の無配慮が産んだ悲劇にして現代インターネットの喜劇である。
我々が「カイロスはそんなんじゃないよ~」から学ぶべきことは、自分が誰かの無配慮に怒るとき、自分の怒りに意識を向けすぎると、今度は自分が誰かにとっての無配慮になってしまうから気をつけねばならないということだ。ここまで読んでくれた皆さんは是非そんなんカイロスを他山の石として持ち帰って欲しい。
割と有名なyoutuerや芸能人がやってるyoutubeチャンネルもそうなんだが、結構杜撰な撮影環境の人多いんだがあれって大丈夫なのかな?
勿論ちゃんとやってる人や企業チャンネルもいっぱいあるんだが、youtubeなんて世界に向けて映像晒してるわけだから、万が一その中から感染者でたら「あの動画が問題だったんでは?」みたいな憶測や批判を受け、ダメージ大きそうなのになんでしないんだろうか?あと、動画にコメントしてる視聴者もほぼ批判も指摘もしないのがなんか怖いなって思うわ。
例えば、声優事務所の響が運営してるチャンネルが幾つかあるんだが、どのチャンネルも対策全然されてないように見えるんだよな(見逃した回や、見逃した箇所でされてたら申し訳ない)。響が運営するチャンネルの一つに声優三姉妹【チームY】ってのがあるんだが、いつも肩がつくくらい密着して声優がわいわいおしゃべりしてるし、あと結構な頻度で食べ物企画とかやってて飛沫とびまくりなんだが、誰か陽性者が一人でもいたらヤバいなって感じの動画ばかり。
出てる人が少ないから良いって考えなのかもしれないし、アクリル板とかマスクで感染対策バッチリとか言いたいわけじゃないが、全くしないって怖くないのかな?
少人数なら家庭でいるのと同じだからいいだろ?って思う人いるかもしれないけど、家族でもあんなにくっついて喋ったり飲食しないよ。
奇妙なのはスタジオでの撮影中は基本的にノーガードなんだが、外でボルダリングやってる回とかは何故か皆、マスクしてんだよな。
これって、外での感染のリスク軽減のためだけでなく、ようは外でマスクなしは人の目があるからマズイって認識してるからだよね。だけど、全世界に公開してるyoutube動画では対策をせず家にいる感覚で視聴者とその空間を共有してるのを考えると本末転倒だなって思う。
こういうyoutubeチャンネルってここだけじゃなくて、元々素人で有名になった人、お笑い芸人、モデル、俳優、スポーツ選手等色んなジャンルでこんな感じの人が少なくない。
youtube動画っぽいからかもしれないが、特に大食いや早食い、食べ比べなど飲食関係の企画も多くて今わざわざ集まって動画でやるなよって思う。
極めつけは、ゼロイチゲーム部っていうゼロイチファミリアっていうグラビアやモデル系の事務所が運営するゲームチャンネルがあるんだが、夏や数か月前はマスクとかしてたんだが、最近の動画では一切マスクすらしてないんだよ。eXeFIELD AKIBA(NTT系)の提供でeXeFIELD AKIBAに遊びに行ってる企画でも、説明しているeXeFIELD AKIBA側の副社長はマスクしてるのに、動画の出演者の子たちはノーマスクなんだよな。4人で密集して食レポもしっかりやってて、ほんと感染しそう。
建前での対策もしないし、夏はマスクしてたのに今しないって明らかに緩んでる感じがでてそういう感覚が当たり前になってきてるのが怖いわ。
斬新で強烈なCMが多い近年の日清にしては大人しいほうだ。薄味といってもいいかもしれない。
カップヌードルシーフードの新具材「ほぼイカ」を全面にPRするCMになっている。
同種のCMというと、キムタクがやっていたコロチャーを思い出す。
それはいいとして、件のCMは前半がアニメーション、後半が実写という構成。
アニメーションのパートは早見優の夏色のナンシーの「恋かな 恋じゃない」を替え歌にした「イカかな イカじゃない」というフレーズに合わせて、プールの飛び込み台からシーフードヌードルのキャラクターが飛び込んでいくさまが可愛らしい、キャッチーな映像だ。
じっと目を凝らして見ていなくても、この前半部分については見覚え、聞き覚えがある人は多いと思う。
そして後半では、早見優本人が出てくる。
早見優はカメラ目線でカップヌードルシーフードを黙々と食べている。
一見何気ないシーンだ。
しかし、よく見ると本当に黙々と麺を食べ続けているのだ。数秒間の間に何口も。苦にしない様子で。
確かにカップヌードルの麺はよく噛まなくても食べられる部類のものではあるとは思う。ただそれにしても早見優の食べ方は尋常ではない。
麺を口に入れてはまた口に入れる。その繰り返し。口内がブラックホールになっている。
人ってこんなに食べられるんだ。