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はてなキーワード: 動脈とは

2023-12-10

自分の首を絞める

脳に血液が回らないとどうなるんだっけ、そんなことをぼんやり考えながら右手で鎖骨を撫で、ぐるりと一周してから自らの首に添えた。

ドクドクと波打つ頸動脈の音を遠くに聞きながら指で抑えていけば、苦しいような、切ないような感覚に包まれる。

人は酸素を取り込まなければ生きていけない。

臓器も全て腐り落ちるだろう。

ただ、その時を自分で決められるのは贅沢なことに思えた。

病院で亡くなった親族もいる、他人に面倒を見られながら息を引き取り看取られる人も少なくはない。

人によっては事故病気身体麻痺したままの場合もあるだろう。

その全ての可能性を断ち切り、自らの首に手をかけることは贅沢な気がした。

好きな誰かを思いながら五指に力を込める。酸素が足りなくなって、それでもそうし続けなければいけない気がして長い間時間が経過した。

ああ、これで生殖の悩みから解放される。楽になれると思ったが肺は酸素を求めて苦しみ始める。

指を緩め、一度に酸素を吸い込むと生にシフトした身体は喜びを感じ始めた。

途端に両目から涙が溢れ、まだ生きている、生きていると噛み締めてしまう。

いずれ終わりが来る自らの肉体に惨めにすがり付く。生きれば生きる程に苦しみや喪失は尽きないのに、まだ踠いて自身を認めようとする。

エゴの上に成り立つこの生は綺麗事などとうの昔にかなぐり捨てて、ただ自己憐憫の為だけに機能していると言うのに。

ああ、容赦なく首を手にかけてくれる第三者が欲しい。そんなことを考えながら酸素の旨さに快感を覚えている。

2023-12-03

なんで琵琶湖を埋め立てないのだろう

水運は衰退したのだから物流の大動脈のために埋めるべきじゃないのか。

2023-11-29

妊娠させました

謎な人と言われるので僕の現実生活晒します

僕は現在無職です。ここ数ヶ月は彼女の家で引きこもっています。僕の彼女看護士です。ナースなのです。

ちなみに最近は「看護婦」と呼ぶと男女差別だと怒られます

僕は男尊女卑の塊なので、その辺うるさく言われるとキレます

僕のここ数年は「就職する→やめて退職金を貰う→金が尽きるまで無職」の繰り返し、いわゆるだめ人間です。毎日は、だいたいパソコンするか音楽聴くかの生活です。

ところで、よく友人に制服プレイをするのか聞かれますが、僕の場合、母が看護婦をしてるため、ナース姿では勃起できません。彼女制服でしたいみたいですが、射精の瞬間に母の顔が浮かぶことほど気持悪いことはありません。

一度浮かぶと次も浮かんでしばらく悪夢の繰り返しです。

家に聴診器血圧計があります彼女の腕にはあざがあります

先日彼女ヤンマガを買ってくるのを忘れたため、僕が殴ったあざです。次の日の昼休みの合間に彼女が一旦帰宅してヤンマガを置いて笑顔でまた仕事に戻っていきました。

とても優しくてかわいい彼女です。

そんな彼女が先日妊娠しました。

彼女の両親は気の弱い人ですが、彼女の兄が赤井ヒデカズみたいなやつで、話し合いの途中「彼女が中に出してって言ったんですよ?」と言ったら僕は突き飛ばされて馬のりでビンタされました。

僕は子供が嫌いです。子供も嫌いだし、妊婦も嫌いです。

きみが妊婦になったら気持が冷めると思う、と告げると彼女子供おろしました。

なんと堕胎手術の次の日にはもう元気に仕事へ行っていました!

なんてタフな女なんだろうと思いました。

けれど、おろしから一ヶ月は性行為禁止ということで僕はネットで知り合った女の子チャット一生懸命口説きました。けれど2回の待ち合わせには誰も来ませんでした。

帰りに風俗へ行きました。

ヘルス嬢が「私ね、のど感染しちゃってるから、口じゃなくて本番しよう」と言ってきてのどの奥を見せてきました。のどちんこの辺りに虫の卵のような白いブツブツがたくさんあってテラテラ光っていて、僕はそこで朝食べた杏仁豆腐リバースしてしまいました。

目が覚めたら普通に彼女の家でした。

リバースした後、本番だけはして帰ってきたことを思い出しました。

彼女の腕にはやっぱり痣があったし、聴診器もありました。

近くの自動車修理店が朝からすごい音で車を修理していて、うるさくて寝れません。

ああ、うるせークソッ

ああ、うるせークソッ

ああ、うるせークソッ

ああ、うるせークソッ

ベットを蹴飛ばしてコップを割ったらおなかがすきました。

今日休み彼女シャワーあびると言ってお風呂場へ行って、気付くと2時間以上が経っています彼女はいつも風呂は長いんです。

バスルームのドアをノックし、ドアごしに「はらへったんだけどー」と言うとジャーっというシャワーの音がしました。

おーい、コンコン入り口を叩いても聞こえていない様子。

一瞬いらだちましたが、たまにはキレずに優しくしようと思い、そっとドアをあけると、彼女はしんでいました。

バスルームは一面真っ赤でした。

彼女は首の静脈だか動脈だかをカミソリで一気に切ってしにました。

来週からヤンマガ自分で買いにいかないといけないです。

そんな23歳です。

毎週ヤンマガ買ってきてくれるかわいい女の子募集中です。

次はできれば看護婦じゃない人がいいです。

よろしくねがいします。

2023-11-24

anond:20231123184004

ディオジョナサンに真っ二つに切られた直後の回だったのでよく覚えてる

コリコリ弾力のある頸動脈にさわっているところ

2023-11-07

三大多分一生つかわないだろうセリフ

・KWAHHH(クウアーッ)! コリコリ弾力ある頸動脈にさわっているぞォ!

・あの、ジャスコにバッグを…

・いいですか?茄子ステーキ

・芋が無いと失礼だ

あと1つは?

2023-11-02

anond:20231102111315

リスカ」は甘切り自傷から死なないけどガッツリ動脈行ったら死ぬ

切腹並みの根性いるか普通はならないだけで

事故ガラスに手を突っ込んで死にそうになるとかは普通にある

2023-10-29

インド看護師ルナ・シャンバグ(Aruna Shanbaug)は1973年11月(24歳)に性犯罪被害植物状態になり、

意識回復しない状態で経管栄養療法で41年6月生存し、2015年5月に66歳で肺炎で死亡した[24][25]。

1973年11月27日の夜、24歳であった彼女病院の地下室で更衣を行っていたところ、

病院契約清掃員であったソハンラル・バルタ・ウォルミキ(Sohanlal Bhartha Walmiki)に性的暴行を受けた[6]。

ウォルミキ彼女の首を鎖を用いて強く絞め、彼女の頸動脈遮断されたことにより、脳への血液供給がなされなくなった。

この結果脳挫傷、頸髄損傷、皮質盲(英語版)などに至った[7]。彼女は翌朝の朝7時45分に別の清掃員によって発見された。

加害者のウォルミキ暴行強盗の容疑によって逮捕された。裁判の結果懲役7年の刑に処せられた。

強姦痴漢、不自然な性行為といった罪状[注釈 1]では有罪判決を受けなかった。ウォルミキ1980年に刑期を満了し釈放された。

シャンバグの死後すぐの2015年5月29日にジ・インディアンエクスプレス英語版)は、

ウォルミキ故郷の村に帰ったのちに義父の住むウッタル・プラデーシュ州のパルパ村(Parpa)で生存していることを明らかにした。

ウォルミキはその地で結婚発電所にて働いていた。

ウォルミキはジ・インディアンエクスプレスインタビューにおいて、「カッとなって(fit of rage)」事件を起こしたが、明確な記憶がないと前置きしたうえで、強姦は行っておらず、別の誰かによって行われたと主張した。

なお事件当時のウォルミキは、立ち位置が上であったシャンバグとの関係が不調であり、休暇をとることを拒否されたことによって「口論及び身体的な戦い」があったと述べていた[10]。

2023-10-22

イノシシ

を甘く見てるハイカーについてネット民イノシシいかに恐ろしいか口々に説いている。

言ってる内容は概ね間違ってはいない。イノシシ運動能力の高さとか牙で大腿動脈えぐられて失血死の事例があるとか。

でも田舎じゃリアルイノシシだらけなんで怖がってたら暮らせないのよね。

イノシシ個体数は年によってめちゃくちゃ違う。「当たり年」には道路の脇の土の部分が全てほじくり返されている。ミミズを探した跡だ。犬の散歩で近所を一回りする間に4回遭遇したことがある。庭にもよく来る。

100回以上遭遇しているがいまのところ直接的に攻撃されたことはない。

人間を捕食する動物ではないので、出会い頭にぶつからないようにこちらの存在を伝えること、シューシューカチカチ言う威嚇音を聞き逃さないこと、それが全てであるイノシシ縄張りを守る意識というものはない。

イノシシの当たり年に一番困るのはマダニもそこらで大量発生することだ。

イノシシは臆病で敏感な生き物だと言うが、個体により行動パターンがかなり違う。人間を見ても全然逃げないやつも多く居る。うりぼう自分から寄ってくることもありすごいカワイイのだが言うまでもなく母イノシシが居るかもしれず危険である

夢中で地面掘ったりしててこっちの存在に全く気づいておらず「オイ居るぞ」と声かけるとブゴッ!?ってなって怒ってシューシュー言いながら逃げていったりもする。ブゴッじゃねえよ

2023-09-27

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

2023-09-15

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

2023-09-14

anond:20230914102547

夏目漱石こころ

友人の想い人を寝取り、友人を自殺に追い込む話

そこで先生は、Kの話を伝えずに奥さんお嬢さんを妻としてくださいと直談判します。

いくつか質問があったものの、奥さんはその話を了承。

お嬢さんにも伝えられ、知らないのはKだけです。

先生はKを出し抜くことに成功しますが、今更になって良心が痛み、このことをKに伝えられずにいました。

結局、奥さんからKに伝えられ、Kはおめでとうございますと言ってくれます

いつもと変わらない様子に、先生はホッとします。

ところが二日後、Kはナイフで頸動脈を切って自殺してしまいました。

2023-08-27

anond:20230827142343

氷を直接だと、冷たいというより痛いという感覚が先きます

そして、首や足の付け根の動脈とくらべたら、血流は少ないので、そんなに涼しくはなりません。

2023-08-26

anond:20230826121353

人体の痛みのメカニズム関係しているかもしれません。

体内の細胞は、血管のつまりや吸気の酸素不足などから血液から十分な酸素供給されなくなると、痛み物質を緊急放出します。

痛み物質は周辺の痛覚神経に届くと、そこから痛み信号として脳に伝わります

心筋梗塞や、その他の梗塞で酸欠状態になった細胞が痛み物質を緊急放出するので、

胸や血管の詰まった周辺に激痛を感じたりするわけです。

痛み物質自体は、単に放出されるだけなので、周辺の受容体に結合できなければ、そのまま他の部位に浸透したり、

血管で別の場所まで流れてゆきます

その結果、痛みの原因となっている部位から、血流的に下流にある部位が痛んだり、内臓の疾患では、

あっちが痛くなったりこっちが痛くなったりという現象が起きるのです。

ここからは私の想像ですが、窒息しかけると、全身のあちこちで酸欠状態が生じて痛み物質が発生しますが、

全身の血管をめぐる際に、大動脈最初に細くなる腰のあたりで、一番痛み物質を検知しやすくなるのかもしれません。

anond:20230826121353

腰大動脈 lumber artery、

腸大動脈(腸腰部大動脈)  iliolumber artery は、個体危機が迫ったと判断したとき逃げ出すために足に血液を送り込みます

そのため足の温度が上がり、気温差のため冷たくなったように感じるはずです

その現象英語の get cold feet (怖気づく)の元となっています

日本語ガクブルという表現も同じ現象のことを言い表しま

この場合、実際に走ってみることも効果的かもしれません

2023-07-21

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてKOした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

失踪事件声明私信RNT+2023/07/21(金)

党首復職6勤め。

やはりかけがいのない親友である党員3人には私の現状説明必要だろう。

ねんごろを続けていくためにも私のことをより正確に知ってほしい気持ちもある。

ゆえに術式の開示を行う。

まず今回の件(6月中旬7月中旬の30日間休職)について。

双極性障害ニ型

自律神経失調症

③薬物依存(処方薬が7種類くらいある)

これら三要素が原因である

①双極についての説明

私はだいたい3ヶ月周期でゆるやかな躁鬱カーブを描く(躁シフト3ヶ月→鬱シフト3ヶ月→躁シフト……)。

※前回の4人登城カナディアン回では今思えば相当な鬱シフトだった。色々とすまん。この場で謝る。

3ヶ月周期説は必ずしもきっかりではないが、例年梅雨付近は(鬱シフトに)落ちる。ほぼほぼ例年。

※「鬱」というと仰々しいが、私は自己肯定感が強いので鬱々(希死念慮かいわゆるうつ病イメージ)はない。

  主な症状は「バイタリティの低下、意欲気力低下」であり、激鬱だと「社会的断絶(音信普通=雲隠れ)」

  といった感じである。今回は5年ぶりくらいの激鬱だった。

原因としては今回鬱転前の躁期が異例に高く・長かったため、揺り戻し反発・鬱の谷も深かったのがひとつ

あとはまぁ周期、梅雨時期低迷のジンクス(統計的有意)のため落ちるべくして落ちた。

それと3年間の疲れ(後述)。

自律神経失調症についての説明

今回(の休職雲隠れ)、直接的な原因となったのがコレである

夜寝るには最強の睡眠薬(サイレース4mg)が必要だし、朝起きるのは最強の覚醒薬剤(コンサータ72mg)が必要である

フルタイム労働を再開して3年1ヶ月が経っていた。

もともとそんなに体力はないのだ。コンサータで5日働いたら土日は48時間ダウンしてた日常を3年続けてきた。

今回は3年越しの疲れがでてダウンした感じだ。

症状としては体温異常(基礎体温37.5度)、熱感、聴覚過敏悪化+ひどい耳鳴り疲労感、思考鈍化。

職場で首まわり(動脈)に氷嚢のようなものを巻いていたり、おでこ冷えピタしてたりしてフラフラしていたため、

見るに見かねてという感じで上級管理職(役員クラス)から一ヶ月程度休んではどうかと面談で言われた。

当時は自身身体ヤバいという自覚がなく(いつもそうだ。自覚は難しい。後で気づく)、

ちょっと突っ張ったが、上司から実質的休職勧告だったため、突っ張りきれずという形で休職となった。

『さて休みはどんな1ヶ月にしようか!いろんなことができるぞ!有意義で生産的な1ヶ月にしよう!副業してもいいな!』

最初は本気でそう思ってた。本気と書いてマジ。

では実際はどんな一ヶ月だったか

まず寝た。1週間くらい。そして1週間ぶりにシャワーを浴びた。

次に2週間部屋に引きこもった。食事も1階のダイニングで食卓を囲むことができず、

PC室でどん兵衛を食べることしかできなかった。

そして2週間シャワーすら浴びれなかった。服を脱いで浴室に行くというアクションすらできなかったのだ。

 やべぇ。

 ※まぁこれは5年前も前科がある。

4週間め。リハビリをしようと思ったが、まぁ、なぁなぁで家からは一歩も出れなかった。

リハビリ失敗。まぁなるべく長くコンサータ抜きたかったし、コンサータないとわたし無能だし。

タイムリミットギリギリまで引きこもり延長。食事は多少とれるようになったが。

休み明け前日にようやく外出して、通院して出社して軽い事務手続きをした。

外の太陽は眩しくて目を焼いた(光学過敏)。

くっそ溜まったLINEとかを(頑張れば)少しは返せるようになった。メール128通受信してた。

iPhoneSE3のスクリーンタイムレポートは平均0分だった。

激鬱の確変期はスマホが触れなくなるのだ。知らんけど。

PC室の窓は埋めてあるし(DIY)、寝室のカーテン完璧な遮光カーテン

26度のエアコン24時間×30日間=720時間一切の休みなしで稼働させてた。寝室とPC室の2台とも。

ちなみにPC室にいる間はniconico動画(笑)を垂れ流してた。

ようつべすら見る気力はなかった。

なんだかんだつべ意識高いというか実用的だから(エンタメ系を再生しないせいかもしれんが)。

愚にもつかないなんも役に立たない無駄動画がちょうどよかった。

本も読めなかったが4週間めにはずっと積んでた村上春樹の「街とその不確かな壁」を読んだ。

隠居して世界線移動をしていたのだ。

現実世界線から休養のため一時避難していたともいう。

③薬物依存(処方薬)

これは数々の障害を抱えてる以上しかたないのだが、とにかく薬が多い。

つよつよの眠剤(サイレース&ピレチアレスリンメラトニン&デエビゴの5種カクテル)で無理やり寝て、

つよつよの劇薬(コンサータMAX量:72mg)で無理やり起きて働く。

※実際コンサータは耐性がついて90mg,99mg,108mg,126mgとか常習的に飲んでいたりしたが……(※OD)。

ちなみに新卒入社後の1年間は劇薬コンサータ90mg(※OD)を常用した結果、

瞳孔が開いてしまドクターストップ退職しました。懐かしいなぁ。

どうやら頑張りすぎてしまう体質らしい。過激努力を好んでいた。

で、今回の3年間は……

もちろん身体負荷的にも脳依存・脳ダメージ的にもかなりヤヴァいレベルであったらしい。

 だから滅びた……。(自律神経が。)

で、1ヶ月はほぼほぼ休薬してた。

というか休薬のための1ヶ月休職だった。

先週復帰したわけだけど、コンサータは今のところ27mgでセーブしてる。

耐性抜きしたしね。

27mgでずっとやっていければいいね……。

【今後のバイオリズム見立て

わりときちんと日々双極スコアログをつけているので、そこそこ信頼できる見通しだと思う。

※双極14年選手だし……

医者コネ日本中の双極専門医にかかりまくったが、医師の総意は「マイナス1を目指せ!」らしい。(ふーん)

休職中は(双極)マイナス10オーバーくらいだったかも。5年ぶりの快挙(?)。

◆今はマイナス3程度。シーズナリティにゆるやかに上昇していくはず……

◆と思ったけど、案外リハビリ(社会復帰)を頑張ってるせいか結構な角度で上昇してるみたい。自覚以上に。

◆てかもう今日時点でマイナス2~1くらいあるかも。あんまり急上昇しすぎるようなら薬調整してペース落とす処方にしないとなぁ。

◆で、予定だと、8月11日にプラマイゼロ到達、以降もゆるやかな(だといいなぁ)上昇を続け、

 8月下旬~9月1日あたりには完全にプラス圏の躁期に入る、見立て

ぶっちゃけ鬱期に行動(労働・雑事・手配)するのは辛いから「躁期までじっくり我慢の時だ」と今週はずっと言い聞かせてた。

◆ちなみに双極の一般論として「躁のほうが失うものが多いか危険」というのが医療サイドのセオリー

◆まぁ患者サイドとしてはもちろん躁期のほうが心地よいのだけど。

◆実際わたし過去にひどい散財やヤベぇスピード違反とか繰り返してた。事故ってないのが奇跡

梅雨に落ちるジンクスと並んで、夏に高まるジンクスもある。唐突思いつきグアム単騎も夏だったし。

◆今は敏感というか振れ幅が大きいのかも。

 3ヶ月周期説はベースオブベースのサイクルで、週単位、一日単位でも突発的な躁転、鬱転はもちろんあるよ。

 大きな波(長期サイクル)と中くらいの波(中期サイクル)と小さい波(短期サイクル)があるのよ。

結論

★そんなわけで激鬱期にはご心配迷惑かけました、現在回復中・リハビリ中です。

★8/12にはプラマイゼロの見込みなので安心してくれ。それだけは伝えたかった。

★夏の陣(ある意味ラストトリップと言えよう)を楽しみに展望しつつ、やっていきましょう。

以上、よしなに。

2023/07/21(金)21:55、某党首より。

(了)

2023-07-12

安楽死

この前手術で鎮静剤打ちました。

まあその気持ちいいこと、久しぶりにさび付いた感情が揺れ動きました。

しかも目を覚ましたらお医者さんが「増田さん?手術終わりましたよ~」って、え?マジ?

この時ね、不覚にも思ってしまいました。「鎮静剤打った後、首の動脈切ればめっちゃ幸せ死ねるんじゃね?」と。

僕は隠すまでもなく弱男です。だーれも僕に興味ないし、なんならほんのちょっと女性社員に嫌われてるかな?(笑)

上司も評判の悪い人で毎日いびられっぱなしですよ。怒鳴られたり嫌味言われたり。ま、誰も気にしてないだろうけど(笑)

そんなこんなでちょっとだけ希死観念があるんです。検索しすぎて心の相談ダイヤル覚えちゃいました。

まあ痛いの怖くて行動に踏み切れないくらいの、ほんの小さな希死観念なんですけどね。

そんな中出会ったのが鎮静剤という魔法の薬。打たれた瞬間がここ最近ハイライトで、今でも忘れられません。もうひとめぼれです。

そんなひとめぼれ相手と一緒に人生最期を迎えられるなら、間違いなく僕の人生幸せだと断言できます

なのになぜ安楽死制度を国は認めてくれないんでしょう。働く肉ロボットが突然消えたら困りますか?(笑)

鎮静剤を打った後に、首の動脈をピッっとやるだけでいいんですよ?(笑)

もう僕はね、疲れたんです。

安楽死できるなら何にも文句言わないよ?

弱男迫害女性優遇、じじいの延命、なんでもすりゃいいじゃん(笑)

俺のいない世界でな(笑)

2023-06-21

anond:20230621135246

フィンランド大学が行った同国在住の男性2315人を対象とした20年にわたる調査によると、サウナに通う頻度の高い人ほど心臓リスクを含む全死因による死亡率が低かったというのです。週に1回未満の人と4回以上サウナに行く人を比較すると、突然死は後者が63パーセント、冠動脈疾患死亡者は同48パーセント、それぞれ前者より低下しているという内容でした。論文の著者は「回数は多いほうが良い結果になっていました。もちろん週2~3回でも効果があるようですが、最もリスクが低かったのは4回以上サウナに行く人でした」と別の雑誌で述べていますフィンランドはもともと高脂肪食の摂取が多いために、心臓リスクの高いことが国民課題でしたから、このサウナ効果は大いに関心がもたれたに違いありません。

 

この論文でもう一つ興味を引いたのは、サウナの入浴時間によっても効果に差があるとわかったことです。入浴時間11分未満の人と19分以上の人を比較した場合、19分以上のほうが突然死や心血管系疾患の死亡リスクが低下していたとされています11分、19分という中途半端時間設定の理由は分かりませんが)。同著者は「サウナ浴で心拍数が上がり発汗が促された結果、運動したのと同様の効果が期待できます。そのためにサウナ浴後は運動後と同じようなリラックス効果が得られるのでしょう」と語っています

サウナ帝国フィンランドでのサウナに関しての研究があるが、

心肺機能に関しては今のところ一応ポジティブ研究結果になってるな

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